8月のとある日曜日、ダイニングバー「N」主催のカラオケ大会が開催されました。
12時から20時まで、参加者全員が楽しい時をすごしました。
みなさん、歌がとてもお上手です。
猫のこと、本のこと、身のまわりのこと、とか・・・
FIFA(国際サッカー連盟)は、北中米ワールドカップの決勝後に起こった乱闘騒ぎについて、関与した選手4名、およびチームスタッフ1名に対する処罰を発表(8月21日)した。
スペイン代表vsアルゼンチン代表の決勝戦。スペインが16年ぶり2度目の優勝を飾った直後、乱闘事件が起きた。タイムアップの笛が鳴り響き、スペインの全選手がピッチに流れ込んでセレブーションをはじめたところ、まずはアルゼンチンのナウエル・モリーナがベンチから飛び出したスペインの主将ロドリに対し、胸部へパンチを放つ。怒ったロドリがモリーナに詰め寄ると、スペインのエリク・ガルシアがサポートする。これに猛然と割って入ったのがアルゼンチンのレアンドロ・パレデスで、ガルシアを"のど輪"で突き飛ばすと、止めに入ったスペインのガビにも2~3発のパンチを浴びせる暴挙に出た。アルゼンチンのチアゴ・アルマダとガビが揉み合う場面も目撃されており、別の場所ではアルゼンチンのコーチのロベルト・アジャラがスペインのダニ・オルモの頭を殴打した。FIFAはこれらの行動を問題視し、規律委員会を立ち上げて調査を続け、以下の処分を発表した。
パレデス(アルゼンチン)→10試合の出場停止、9万ドル(約1430万円)の罰金
モリーナ(アルゼンチン)→7試合の出場停止、9万ドル(約1430万円)の罰金
アルマダ(アルゼンチン)→1試合の出場停止、3万ドル(約476万円)の罰金
アジャラ(アルゼンチン)→3試合のベンチ入り停止、3万ドル(約476万円)の罰金
ガビ(スペイン)→1試合の出場停止、3万ドル(約476万円)の罰金
この処罰が軽いのか重いのか適正なのかと言えば、筆者は軽すぎると思う。出場停止とはいえ、代表選にかぎられている。彼らが代表として公式に出場するのは2年後の2028年の南米選手権だ。その間、親善試合がどのくらい組まれるのか見当もつかないが、アルゼンチン代表チームおよびパレデスらにとって大きな痛手とはならない。罰金の最高額を課せられたパレデスは、ASローマ、エンポリFC、ゼニト・サンクトペテルブルク、パリ・サンジェルマンFC、ユヴェントスFC、 ASローマ、ボカ・ジュニアーズと一流クラブを渡り歩いた経歴をもつ。移籍金等は500万ユーロ~2800万ユーロと高額だった。移籍金は選手の報酬とは無関係だが、おそらく罰金の1,430万円などはした金だろう。あのような行為が街中の路上や飲食店内で行われれば警察沙汰になることはまちがいないのだが。
FIFAの処分が軽いと批判しても罰金の適正額ははかれない。ではどうしたらいいのか。答えは簡単――処分を受けた選手らが彼らが犯した重大な過ちについて反省の弁をサッカーファンのみならず世界中に発出すればいい。そのうえで、寄付なりボランティア活動を進んで行えばいい。いまのところ、管見の限りだが、そのような報道に筆者は接していない。おそらく処分を受けた選手たちは反省もしていないし、処分など気にもかけていないだろう。彼らは傲慢な「サッカーバカ」なのだ。
FIFAは、処分を発表したことで、2026W杯は完全に終わったことにして、決勝戦後の暴力事件はなかったことにするつもりだろうが、このような幕引きについて、筆者はまったく納得していない。〔完〕
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| 優勝したスペイン代表 |
(これらの)問題の根底には、『金』と『権力』という二つの存在がある。いま、サッカーに関わる多くの人々とFIFAとの間には、深刻な信頼の危機が生じている。 今後数週間のうちに、多額の資金が各国サッカー協会や、多くのサッカー関係者へ分配されるだろう。そして彼らは、『どうか黙っていてほしい』と丁重に促されることになる。
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| アルゼンチン選手の悪質なファウル |
〔註〕1982年4月、アルゼンチンの軍事政権がフォークランド諸島を占領、これに端を発してイギリスとアルゼンチンが同島で大規模な武力紛争を展開した(フォークランド紛争/マルビナス戦争)。イギリスは2ゕ月後に同島を奪還して勝利を収めた。戦争状態が終結したのは1990年2月のことだった。
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| これはサッカーではない |
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| やっと出されたアルゼンチン選手へのレッドカード |
世界統括団体(FIFA)は、7月にニューヨーク・ニュージャージー・スタジアムで行われた試合の終了ホイッスル後に何が起こったのかを調査するため、懲戒倫理担当の検察官を任命した。この試合では、アルゼンチンの複数の選手とスタッフが、1対0で敗れたスペインの選手たちと口論になった。
検察官の勧告に基づき、FIFAはアルゼンチン代表選手のナウエル・モリーナ(2件)とレアンドロ・パレデス(3件)、およびアルゼンチン代表アシスタントコーチのロベルト・アヤラ(1件)に対し、FIFA懲戒規定第14条に基づく暴行容疑で調査を行う。
モリーナは、第14条に基づく非スポーツマン行為の疑いで懲戒処分を受ける可能性もある。
チームメイトのチアゴ・アルマダとスペイン代表MFのガビも、同様の違反行為で告発されていて、FIFAの懲戒規定によれば、選手や役員は非スポーツマン行為に対して最低1試合の出場停止処分、暴行に対して最低3試合の出場停止処分を受けることになる。 (BBC)
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| ミサイル攻撃を受けたかのような事故現場 |
このたびの熊本大地震に被災された皆々様に心よりお見舞い申し上げます。
被災地のようすをTV映像で確認する限り、もっとも衝撃的だったのが熊本イオンモールのガス爆発のものだった。
筆者は、不謹慎ながら、その影像が、パレスチナ・ガザ地区、ウクライナ各所、そしてベイルートなどの現在進行中である戦地のようすと重なってしまった。ミサイル、ドローンあるいは空爆によって破壊された市街地の――イオンモールとおなじく、人々が日々の暮らしを営む――住宅、病院、店舗・・・のものだ。
イオンモールにおいては、国を挙げて救命、救援活動が展開され、おそらく多くの人が救出されたと思われる。
さてもしも、日本がどこかの国と戦争になったならば、相手国の放つミサイル、ドローン、長距離砲等や空爆により、街中いたるところが破壊され、イオンモールのような、いや、それ以上の破壊を被ることだろう。戦争の最中、国を挙げての救援、救出を望む術もなかろう。そればかりではない。日本が相手国にたいして破壊攻撃を行い、相手国の生活者の生命・生活を奪うのだ。
戦争は軍人同士が前線で戦ったり、空中戦・海戦で攻撃し合ったりするものだけではない。市民の生活の場および生活インフラが攻撃を受け、兵士と同じように生活者(非戦闘員)に被害が及ぶ。 生活者の死には英雄もいなければ、国から讃えられることも、顧みられることすらない無言の死だ。
人類は、地震という自然災害を予知し予防する手立てをいまのところ、もちわせていないが、戦争をなくすことは可能だ。 もちろん、世界中の人々の努力と叡知が結集しなければ可能ではないのだが。
きょうから8月、敗戦から81年が経過しようとしているいま、日本国民が忘れ去ろうとする「反戦・平和主義」を、いまいちど取りもどさなければならない。〔完〕
さて、筆者はドーハの悲劇を経て1998年フランス大会からW杯に興味を持った者だが、今大会は私(わたくし)史上、最低最悪のW杯のように思える。
まず、北中米開催圏という広域開催による弊害だ。選手に負担がかかる。しかも冷房の効いたドームと、高温下の屋外というコンディションが異なるスタジアムで試合が行われたため、不公平が生じてしまった。
出場チームが32から48に増え、32チームが決勝トーナメントに出場できるというレギュレーションの変更もバカげている。わずか16チームが予選落ちというのでは予選リーグの価値がない。水ぶくれの試合数増で、収益拡大狙いが見え見えだ。
今大会で初めて導入された入場料金制度・ダイナミックプライシングもFIFAの利益追求に一役買っている。サッカーはそもそもが庶民の娯楽だ。価格を釣り上げて、金持ちばかりが席を確保し、庶民が会場に足を運べなくなるような入場料の自由価格競争はサッカーファンの夢を壊す。
ハイドレーションブレイク(給水タイム)導入も、サッカーの本筋から外れている。サッカーはプレーの合間を縫って給水できるゲームだ。マラソンも選手が走りながら給水する。どこで給水するかは各選手の判断であって、全走者の走行を一律に止めるようなことはしない。給水も技術である。ハイドレーションブレイクは、巷間いわれるように、TV中継におけるCMタイムにすぎない。TVのCM本数増による売上増が狙い。
審判の判定が狂っている。ここまでのところ、決勝トーナメントに入ってからのエジプト戦(ベスト8)、スイス戦(ベスト4)でアルゼンチンに有利な判定が目に余る。アルゼンチン選手の悪質なプレーはファウル(笛のみ)どまり、相手選手の反則にはイエロー連発。しかも、いきなりのVAR判定でゴール取り消しや、相手チームのエースに退場処分が出るといったありさま。アルゼンチン選手はそのことを理解していて、自分たちにイエローは出ないという前提で悪質なファウルを繰り返す。
審判もFIFAの意向に逆らえば、W杯に呼ばれなくなるからFIFAに忖度する。さらにVARの恣意的介入が加わり、めちゃくちゃな判定が相次いでいる。アルゼンチンのエース、メッシは、米国MLSのインテル・マイアミに所属している。メッシのアルゼンチンがW杯で優勝すれば、彼はアルゼンチンの英雄かつ米国MLSマイアミの英雄として、米国サッカー界も盛り上がる。トランプに近いインファンティーノFIFA会長がアルゼンチンというよりもMLSの英雄メッシをつくりだしたいため、アルゼンチン優勝を画策しているのではないか、という憶測も流れている。
フランスースペイン戦の主審は イバン・バートン(エルサルバドル)に決定。バートンは残念ながら評判がよろしくない。グループリーグにおける日本ースウエーデン戦で日本人選手のソックスにいちゃもんをつけ、ピッチから出て行かせた事例が記憶に新しい。判定に偏りが目立つという指摘もある。メッシのアルゼンチンにとって、フランスとスペインを比べれば、フランスよりもスペインに勝ちあがってほしいと思うだろう。バートンの裁きぶりに注目が集まる。
一方のアルゼンチンーイングランド戦は、主審(イスマエル・アリエス)とアシスタントレフリー2名の計3人がアメリカ人という構成。巷の声としては、英語を話す主審だからイングランドに有利だというものと、FIFA とアメリカはメッシのアルゼンチンの優勝を望んでいるというものが相半ば。いずれにせよ、公正な裁きが望まれる。〔完〕
自分(A君)は、選挙の際の選択肢として、「最悪は避けたい」という消極的動機で立憲か「れいわ」の候補者のどちらかに投票してきた。自分は「熱心な」支持者〔後述〕でなかったし、内部の事情など知る由もない。「れいわ」の今後については、水道橋や木村を中心に結党時の理念「生きているだけで価値がある」に立脚して再出発するしかないのではないか。山本太郎には、ただ「お疲れ様」だけだ。この回答を受けて愕然とした。A君は国政選挙時、(彼曰く)いち大衆として、ボランティアと称してビラを配り、ポスターを貼り、選挙事務所に日参していた。そのことを誇らしげに筆者に語ってもいた。筆者が「れいわ」の政策に疑問を投げかけると、「山本太郎の演説会場にきて、山本太郎に直接質問してみたら」と言っていたくらいだ。
参政党支持者も、れいわの支持者も、そして共産党の支持者も、生活者としての体感は共通なのです。
その苦しさが、グローバル化した資本主義経済にあるという認識も、たぶん共有しているのです。
ところが、れいわの人や参政党の人は、それが資本主義批判に向くことがないのです。
資本主義批判を可能にするためには、資本主義を外部から捉える科学的社会思想が必要ですが、それは「共産主義」として西側社会の大衆から遠ざけられてきたからです。
山本太郎がインチキなMMTみたいなのに引っ掛かったのも、端的に言えば、資本主義システムの理解が中途半端だったせいです。
また、参政党の人は、社会システムの問題を「愛国心」とか「外国人差別」のような、感情や情緒で解決しようとしていますが、それが最悪の選択肢であることは歴史が物語るとおりです。
プロ野球・読売巨人軍の阿部慎之助(当時監督/以下、肩書敬称省略)が、5月25日、長女への暴行容疑で警視庁に現行犯逮捕された。
報道によると、阿部は、25日午後6時ごろ、東京都内の自宅で、姉妹のけんかを止めようとしたときに、長女(18)から言い返されたことに腹を立て、襟元をつかみ、投げ飛ばして倒すなどの暴行を加えたという。長女にけがはなかったとも。
事件を受けて、報道陣の取材に同席した代理人の名古屋聡介弁護士が「長女の手紙」を代読した。それによれば、長女が対話型AIのChatGPTに相談したところ、「児童相談所への匿名での相談」を助言され、実際に電話をした。電話を受けた児相の職員が警察に通報し、逮捕に至ったという。
阿部は、26日未明に釈放されたものの、同日午前に辞任を申し入れ、受理された。前出の「長女の手紙」には、「警察が来て一番驚いているのは自分自身ですし、父が警察に連行された姿を見て、目前で私は泣き崩れてしまいました」とあるという。
筆者は、この事件の全容が公表されていないにもかかわらず、きわめて短期間に収拾が図られたというところに疑問を抱いた。そこで、この事件の疑問点、注目された点などを以下に列挙してみた。
1の暴行の程度だが、長女が「手紙」で殴る蹴るを否定しているようだが、前出の報道では、「襟元をつかみ、投げ飛ばして倒すなど」となっていて、「など」にどのような暴行が含まれるかが明らかにされていない。
2~3の「ChatGPTに相談」とその回答については話題性はあるが、たいした問題ではない。長女が加害者である父親をただちに警察に突き出すことを躊躇したのは当然だ。長女は警察ではないどこかに相談したかったところ、 ChatGPTが児童相談所という、長女にとってきわめて望ましい回答を与えてくれたため、そこに通報したと理解できる。それよりも、父親の暴力を母親、姉妹が止められなかった理由が筆者にはわからない。推測だが、阿部家には父親の暴力を容認することが日常的だったのではないか。
4の児相の〔対応=警察へ通報〕は問題するに当たらない。至極当然の対応だ。
5の現行犯逮捕時の実態=真相はいまのところ(2026/06/02現在)不明だが、長女への加害の程度がきわめて軽微で、室内に破損物がなく、整然としたままならば、現行犯逮捕はまずない。室内に暴行の状況を計るに足る物的証拠が残されていたか、加害者が興奮状態もしくは酩酊状態(阿部は飲酒をしていたと報道されている)だった可能性はある。
6の読売の対応だが、読売は報道されていない情報をつかんでいて、その事実が後日報道されることを恐れて、即刻、阿部を辞めさせたと考えられる。
7の復帰署名は愚かな行動だ。本邦の一部のプロ野球ファンの愚劣さを象徴する。捜査が終わらない段階で加害者に同情してみせて、自己満足するとは。こういう軽佻浮薄な直情傾向がDVや家庭内暴力を助長する。
家族とは小さな共同体だ。夫婦という契約的関係や親子・兄弟といった血縁を媒介とした 関係が標準的だが、養子や連れ子といった血縁関係を持たない者どうしで形成されることもある。
家庭とは家族が生活を営む場(空間)だ。社会を構成する微小な空間だが、家族にとっては隔絶した私的空間であり、閉鎖されている一方、それが癒しや安らぎの場ともなり得る。その一方で、家族と言えども感情的反発や利害関係の衝突に起因する親子のぶつかり合い、兄弟・夫婦間の諍いも起こり得る。
日本の明治期、家族の長は父親であり、その次に位置するのが長男とされた。男系支配の家族関係だ。父はときに子を暴力を用いて躾けた。母はそれを傍観した。また、夫はときに妻に暴力を加えた。だが、それら暴力は家族間のもしくは家庭内の問題として、社会的に容認された。
家父長的支配の関係は、天皇制全体主義へと国家規模に拡大した。それは家族帝国主義という用語を生んだ。その内実は支配する側による民衆に対する一方的暴力支配だ。国家権力の実体機関である警察、軍隊、その代替者である在郷軍人、自警団が国家を批判する民衆を暴力をもって抑圧した。子が父親に服従するように、民衆は国家(天皇)に服従した。暴力を受忍する規律権力の内面化が構造化された。
家族の関係である家父長制は、観念として、国家における天皇制全体主義に延伸した。また家庭という小規模共同体空間は国家という大規模共同体空間へと拡張した。関係性としては、民衆は天皇の赤子とされ、空間性としては、国家(の自然や人情)は万民の安らぎの場、癒しの場であると錯覚された。家庭=国家に侵入する敵は排除の対象となった。太平洋戦争前、日本帝国が国際連盟を脱退したのはその象徴だ。こうして一君万民の日本帝国は内に排外主義を、外に帝国主義を胚胎し、侵略戦争に向かった。これが前出の家族帝国主義だ。
阿部逮捕事件に戻ろう。若い女性が元プロスポーツ選手の中年男性に家庭内ではなく、街中のたとえば飲食店や公道等で暴行されたとしたらどうなるか。被害者もしくは通行人等の目撃者が110通報し、かけつけた警察官に加害者は現行犯逮捕される。あたりまえのことだ。それが有名人ならば、大きく報道される。芸能人の麻薬事件にあるように、当該芸能人は大々的に報道され、TVカメラの前で謝罪する。それが本邦の「当たり前の」光景となっている。当該芸能人が大麻を1キロ所持していたか、0.5グラム所持していたかは問題にならない。
このことを阿部の暴行の程度に敷衍すれば、阿部が長女に殴る蹴るの暴行を加えたのか、投げ飛ばしたかという程度は問われない。まして、家庭内の問題だ、親子喧嘩にすぎない、だから加害者を見逃せ、という議論は成立しようがない。
家族や家庭を聖化し、普遍的(法的)介入を退け、犯罪を見逃せという論理は通用しない。麻薬所持の芸能人が芸能界(という職場)を追放されるように、女性に暴行を加えた野球人が――それが実の娘であろうとも――野球界(における監督業)から追放されるのが本邦の「ルール」に従った道筋なのだ。
このような本邦の「ルール」がはたして基本的人権の侵害にあたるかどうかの議論はある。法的な処罰よりも社会的制裁のほうがはるかに上回っているのではないかという観点だ。法的な処罰は司法の領域だが、社会的制裁をくだす主体はマスメディアの領域となっている。テレビ報道はすべからく、テレビ事業に従事する者の恣意性に委ねられている。そこに従事する者は民間テレビならば、報道者の良心・思想性にではなく、視聴率という経営の価値観に従属する。それが社会的制裁の大いなる問題点だ。テレビ事業に従事する者による私刑ではないかと。
その反対の事例もある。海外の刑事もののドラマでは、せっかく追い詰め逮捕に至った犯罪者が証拠不十分という上層部等の圧力により釈放されてしまうケースだ。釈放されるのは大金持ち、警察幹部、政治家といった支配層に属する者だ。悔しがる刑事は、懇意にしているジャーナリストに捜査資料を渡し、ジャーナリストは特ダネとして大々的に報じる。ジャーナリストは特ダネという報酬が、刑事には無念を晴らすという、両者にウイン・ウインの取引がうまれる、という筋書きだ。巨悪に対して刑罰ではなく、社会的制裁が加えられ、視聴者であるわれわれは、巨悪が「裁かれる」結末に胸をなでおろす。これはドラマの中の話であって実際におこるかどうかわからないが、重要なのは、本邦の「ルール」と同様、マスメディア重要な役割を負っていることだ。
しかし。近年、より深刻な状況変化が起きている。ソーシャルメディアの発達により、マスメディア事業者から無数のユーザー(匿名個人)が制裁に加わったことだ。いまのところ、無数の匿名個人による恣意的な制裁を制限する手立てがない。〔完〕
今回のテーマは”1974年のザ・バンド”。ザ・バンドとボブ・ディランとの2度の共演([Planet Waves]および[Before the Flood])が取り上げられている。前者は同年1月17日のリリースで、ザ・バンドはディランのバックに専念している。後者は同年1月3日、シカゴからスタートしたディランとザ・バンドによる北米21都市・40回にわたるコンサートツアーである。
| 左:池上晴之氏 右:小倉エージ氏(2026/5/9 /Bar461/曙橋) |
筆者はボブ・ディランについてよく知らない。好きとか嫌いとかいうよりも、ついていけないと思い続けている。この対談終了後に行きつけのダイニングバーで偶然会った友人は、「オレは[Planet Waves]を聴いて、ディランが嫌いになった」と言ってはいたが。
小倉氏が[Planet Waves]から選んだのは〈On a Night Like This〉〈Going ,Going,Gone〉〈Dirge〉〈Forever Young〉など計7曲。小倉氏は、このアルバムでディランは「歌手」になったという独特の評価をした。確かに前出の歌唱はそれまでの突き放すような歌い方から、情緒的で情感を前面に打ち出しているように思える。しかもディランが自身について書いた歌詞を小倉氏は私小説的だともいう。なかで 〈Dirge(哀歌)〉は、ポルトガルのファドを思わせる。メキシコ経由でイベリア半島の歌謡の影響を感じる。ディランが主演した映画『ビリィ・ザ・キッド』のロケでメキシコに長期滞在したからだろう、と小倉氏は説明した。
一方のザ・バンドはどうなのか。小倉氏が挙げた前出の楽曲の中で印象に残ったのが 〈Going ,Going,Gone〉と前出の〈Dirge〉。ロビー・ロバートソンがハイフレットで奏でる緊迫感あふれるギターが素晴らしい。彼がギタリストとしてこれまでにない領域に踏み込み、それに同期してザ・バンドは「演奏者」となったのか。
小倉氏は、 1973年にリリースされた [Moondog Matinee]に収録された 〈The Third Man〉を起点に [Planet Waves]を経て、1976年11月のザ・バンドの解散コンサートで発表された〈Theme from The Last Walz〉へと続く流れを指摘した。 [Moondog Matinee]は前回の当対談のテーマとなったザ・バンドのカヴァー・アルバム。全曲中「The Third Man」だけがインストルメンタルで、しかも、唯一アフリカ系アーチストではないウィーンのチター奏者、アントン・カラスの作のカヴァーだ。
チターはオーストリアを中心にその周辺で演奏される弦楽器。強く張った弦をはじく音色が独特で、ヨハン・シュトラウス2世のウインナ・ワルツ『ウィーンの森の物語』の冒頭と末尾で演奏されるソロが有名である。ウィン・フィルとカラスが共演したアルバムもある。ザ・バンドがウィーンを舞台にしたスリラー映画のテーマ曲を [Moondog Matinee]に組み入れた理由は定かではないが、結果として、[Planet Waves]というボブ・ディランのバック演奏の中に生かされたことは確かだ。
さて、チターの音色は、ハプスブルク帝国の栄光の都ウィーンの絢爛たる舞踏会をイメージさせる。巨大なシャンデリアの下で正装した男女が優雅にワルツを踊る場面である。このような世界観は、ザ・バンドの音楽性を象徴するアメリカーナとは対極にあるように思う。
ここで、 The Last Waltzにふれておく。マーチン・スコセッシ監督の映画『The Last Waltz 』をみるかぎり、ザ・バンドの解散コンサートがなぜ The Last Waltzなのか理解しにくいのだが、ザ・バンドはもとより会食・舞踏会・詩の朗読・コンサートという構成の大規模なイヴェントを企画し、実際そのととおり執り行った。だが、スコセッシ監督の映画では、ディナーや舞踏会等の場面はカットされ、音楽映画として編集され公開されたのである。
実際の[The Last Waltz]と映画のそれとの違いについては、今回の対談のもう一人の主役・池上晴之氏の著書『ザ・バンド 来たるべきロック』を読んだ方には既知のことだろう。未読の方は参照されたい。
端的にいえば、スコセッシ監督の映画『The Last Waltz 』は長大な切り取り動画である(正確にはそれにスタジオ撮影とオーバー・ダビングを施して再構成したもの)。しかし、音楽映画としては素晴らしい出来栄えだったため、人々の記憶に[The Last Waltz]というイヴェントは映画のとおりだと受け止められ記憶され、実際に行われたイヴェントの模様は振り返られることがなかった。
筆者は 〈Theme from The Last Waltz〉(という楽曲)が象徴する実際のイヴェント としての"The Last Waltz"と、スコセッシがつくりあげた映画 『The Last Waltz』とは重なっていないように思っている。その淵源は、イヴェントの構成が、会食・舞踏会・詩の朗読の後に北米音楽界にみならず世界的に活躍した大御所、大物アーチストがゲスト出演し、彼ら・彼女らとザ・バンドが共演するという、不整合性にある。筆者のような日本の義務教育程度の音楽教育しか受けていない者には、ワルツとロックは対極にあるとしか思えない。にもかかわらず、映画を見た当時、それを不思議に思うことがなかった。これすべて、監督スコセッシの魔術である。
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| 聴衆がライターを灯してディランとザ・バンドを迎えた様子のジャケ |
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| Asylam Record P-5138~9Y |
[Before the Flood] はボブ・ディランがザ・バンドとともに1974年1月3日~2月14日に北米21都市40公演を行なった8年ぶりのコンサート・ツアーのタイトル。1974年6月、二枚組のアルバムとしてリリースされている。邦題は『偉大なる復活』。
それから半世紀を経た2024年9月、発表ライヴ音源417曲 (16トラックテープから新たにミックスした133曲、現存するすべてのサウンドボード録音) を含む全431曲を収録した現存する全ライヴ音源を収録した CD27枚組ボックスセット『偉大なる復活: 1974年の記録 (The 1974 Live Recordings)』が 発売された。筆者はボックスセットを聴いていないが、小倉氏・池上氏によると、ザ・バンドのパフォーマンスに削除されているものがあるという。
「偉大なる復活 ボブ・ディラン/ザ・バンド=ライヴ!]のライナーノーツの冒頭に、小倉氏は次のように書いている。
1974年1月3日、シカゴ・スタジアムにおいて、ザ・バンドを従えたボブ・ディランの8年ぶりのコンサート・ツアーの幕は切って落とされた。〔中略〕7時を過ぎた頃には18000余りの座席を埋め尽くし、満員の観客は、ディランの登場を待ちわび続けていたのである。そして開演予定時間の8時を30分あまりすぎた頃、突然訪れた暗闇に人々は歓声の声をあげたのだった。まずリック・ダンコを先頭にしたザ・バンドの面々が登場。続く6人目のザ・バンドのメンバーとみまごうその人こそボブ・ディランであったのだ。そしてステージの右端に歩み寄ったディランは、取りあげたエビフォンを手にしてまもなく、何のカウントもなしに、いきなり「ヒーローズ・ブルース」を歌いはじめたのである。
このツアーの開催が決まる前、ディランは活動休止状態にあった。ザ・バンドはロビー・ロバートソンのスランプとリチャード・マニュエルのアルコール依存症の休止期間から抜け出したばかりという難しい状況だった。両者は復活を目指すべき思いを共有していた。もちろん両者の支持者にとっても復活は望むところだったにちがいない。
このツアーがザ・バンドにどのような影響を与えたかについて小倉氏は、前出のライナーノーツに《サウンドの変化に気づくはずである。とりわけ目立っているのは、シンセサイザー及びメロトロン〔註〕の起用》だと指摘している。
〔註〕メロトロン(Mellotron)は、1960年代に開発された、アナログ再生式(磁気テープを媒体とする)のサンプル音声再生楽器である。 アメリカのハリー・チェンバリンが作成したチェンバリン(Chamberlin)を元に、イギリスのレスリー・フランク・ノーマンのブラッドレィ3兄弟が、設計と作成を行った。(Wikipedia)
小倉氏によると、ツアー中、ディランはいきなりセットリストを変更したり二番から歌いだしたりと、暴君ぶりをいくどとなく発揮したようだ。コンサートが落ち着くのに時間を要したとも、また、開催地ごとに出来栄えにむらがあったとも。とはいえ、ザ・バンドは暴君の気まぐれに耐えるに足る思いをしたようだ。リヴォン・ヘルムの回想録『Levon Helm and The Story of The Band(邦題「ザ・バンド 軌跡』)には次のようにある。
ボブとぼくたちは707ジェットの「スターシップ・ワン」で各都市を移動した。707ジェットの内部は改造され、バーや個室がそろっていて、空飛ぶラスヴェガスのようだった。(同書P227~228)
70年代ロックンロールの豊富な資金で、ぼくたちは6人の王侯のように旅をした。最高速のジェット、長いリムジン、ホテル最大のスイートルーム、大量の白い粉。(同P230)
その一方、この長期のツアーはザ・バンドの全メンバーの心身を疲労困憊させた。
・・・ボブがマイクにむかって「15分でもどる」といい、ぼくたちは楽屋に倒れこんだ。大観衆を前にした演奏は、大量のエネルギーを必要とした。まるで力を絞りとられるスポンジのようにスカスカになった気がした。たばこに火をつけたとき、手がふるえたのをおぼえている。(同P229)
・・・こんな具合だった。少々の変更はあったが、つぎの6週間、大体これとおなじコンサートをした。自分たちがあきてしまわないよう、新しい方法を編みだしながら古い曲の演奏をしたが、いつも結局はかつて野次られたことのある曲にもどっていった。ボブ・ディランはあのころから大地に足をつけて立っていた。そして世界のほうが二転も三転もした。客はぼくたちとおなじような歳で――三十代――、演奏をよく聞いて礼儀正しかった。変な気分になったこともある。これはボブ・ディランとザ・バンドという劇で、客は何年も前に見すごしたものを見るために金をはらって劇を見にきているんだ。そんな気分になったのだ。ボブをふくめて、みんながそれを感じていた。それもしかたがなかった。ぼくたちにとって経済的な意味ではよいツアーだったが、必死の情熱を注ぐものではなかった。(同P229~230/太字は筆者による)
[Before the Flood] の邦題は[偉大なる復活]だが、少なくともザ・バンドにとっては長期かつ大規模なコンサート・ツアーでバーンアウトし、復活という自覚とは異なる体験になったようだ。 なお、[Before the Flood]の(Album)および(Tour)については、Wikipediaが筆者にはとても参考になった。
さて、ザ・バンドは数カ月の休養をとり、マリブにシャングリア(というスタジオ兼ライブハウス)を拠点として構えることになる。〔続く〕
サッカー日本代表(森安ジャパン)が称賛されている。親善試合のホームにおけるブラジル戦およびアウエーのイングランド戦に勝利したからだ。W杯を間近(本年6月15日)に控え、優勝も狙えるとの報道もある。確かに日本代表の実力は上がっている。欧州リーグでレギュラーをはる選手も複数出ている。2002年、W杯日韓大会に初出場した時とはまったく状況が異なっている。
親善試合の2試合で実力を計るのは難しい。若い代表ファンはご存じないだろうが、ジーコが日本代表を率いていた2006年ドイツW杯直前の親善試合(5/30/ドイツ・レーバークーゼン)において、日本はドイツと(2-2)引き分けた。日本の2得点はいずれも高原が上げたものだった。
そのころドイツは日本が得点を奪うことすら不可能と思えるくらい強かった。しかもドイツは 開催国だ。親善試合とは言え、ドイツが手を抜くことはあり得ない。そんなドイツに日本代表はアウエーで引き分けたのだから、メディアは大騒ぎした。「さすがジーコ監督!」と、日本中がジーコ・ジャパンに期待を寄せた。
ところが、本番(6月12日)のグループリーグ初戦、日本はオーストラリアに1-3で負け、第二戦はクロアチアと0-0で引き分けたものの、第三戦のブラジル戦を1-4で落とし、勝点1で予選敗退に終わった。前出のドイツとの親善試合で2得点を上げた高原に得点はなかった。
結果論として言えるのは、ジーコ・ジャパンは本番の10月前にコンディションがピークとなり、次(6月4日)の格下のマルタ戦(1-0)から下降局面に入り、本番までに再上昇できなかった。
森安ジャパンのW杯初戦(オランダ)は6月12日(米国・ダラス)で、その直前のカードは5月31日のアイスランド戦(東京)。この試合は壮行会の位置づけだろう。ということは、森安ジャパンは本番前に北中米で試合を組んでいないことになる。第二戦はチュニジア(メキシコ・モンテレイ)、第三戦のスウェーデンがダラス〔註〕だ。6月のダラスは日中は30度を超えるし、モンテレイも変わらない。東京のアイスランド戦からダラスのオランダ戦までの調整こそが重要となる。
〔註〕拙稿執筆後、日本代表が試合をするダラスの会場がダラスAT&Tスタジアム( AT&T Stadium)であることが判明した。当該スタジアムは主にアメリカンフットボールの試合開催を目的とした開閉式屋根の多目的スタジアム。よって、第一試合中および第三試合中は酷暑の影響を受けない。オランダ戦、スウェーデン戦を空調が効くスタジアムで戦えることは好都合だが、もともとは人工芝のピッチのため、急遽、天然芝の敷設工事を行ったため、ピッチのコンディションは良くないと伝えられている。
親善試合は練習試合なのである。昨年(2025)の森安ジャパンの公式戦の成績をみると
となり、公式戦は7戦5勝1敗1引分だが、 EAFF E-1の3勝利を除くと2勝1敗1引分で終わっている。2勝のうち明らかに実力不足のインドネシアからの勝利を除くと、1勝1敗1引分の五分の成績である。W杯アジア予選を早々に勝ち抜けたあとの3試合とは言え、このことは、公式戦が親善試合と異なる現実を示している。
結論を言えば、W杯という真剣勝負の結果については、親善試合(練習試合)の結果の積み上げを参考に留め、本番までの調整具合を見ることが重要となる。調整にはフィジカル面にとどまらず、メンタル面も含まれることは言うまでもない。
ブラジル、イングランドといった強豪から奪った勝利を自信にするのはいいが、過信してはいけない。この勝利は練習試合なのだということを忘れてはならない。慢心こそが危険である。日本代表のW杯における最高位はベスト16どまりなのだから。自分たちはまだまだ挑戦者にすぎないのだという謙虚さを失ってはならない。〔完〕
昨晩(2026/03/19)、『ラストワルツ50周年記念 ウイリアム・ヘルムス写真展』ウイリアム・ヘルムスX池上晴之トークショーに行って来た。(ビリケンギャラリー/東京・青山)
ウイリアムさんは、ザ・バンドの解散コンサート「ラストワルツ」をカメラにおさめた数少ない写真家の中のお一人。撮影の苦労話や会場の雰囲気など貴重なお話をいただいた。
さらに『ザ・バンド 来たるべきロック』の著者である池上晴之さんの詳細な解説が加わり、「ラストワルツ」を立体的に追体験するような感覚を覚えた1時間あまりだった。