●「STAP細胞」の再現に失敗
日本中を騒がせた「STAP細胞」問題が終わろうとしている。12月19日、理研は「STAP現象の検証結果」を公表し、STAP細胞の存在が確認できなかったと結論づけた。この検証実験は、実験総括責任者として相澤慎一特任顧問の下、研究実施責任者に多細胞システム形成研究センターの丹羽仁史チームリーダーを充てたものと、小保方晴子の独自のものとが並行して行われた。検証結果は、そのどちらにおいても「STAP細胞」の再現には至らなかった。
●「STAP細胞」はES細胞の混入
12月25日、理研は「研究論文に関する調査報告書」(研究論文に関する調査委員会・委員長 桂 勲)を公表した。同委員会は「STAP細胞」や万能性の証拠とされたマウスなどが、すべてES細胞が混入したものだった可能性が高いと結論付けた。
だが、混入が意図的だったかどうかは「培養器具の不注意な操作による混入の可能性も考えられる。決定的な判断は困難」とし、混入した者を特定しなかった。同委員会によると、特定に至らなかった理由は、混入者を特定できなかったことだという。
作製した「STAP細胞」やマウスなどについて、調査委は「ES細胞の混入があった場合、当事者は小保方晴子氏と若山照彦氏しかいないように見える」と分析。だが実験が行われた若山の研究室は「多くの人が夜中に入ることが可能だった」ことから、「必ずしもそうとは言い切れない」と判断したという。また、調査の過程で小保方の研究室の冷凍庫からES細胞が見つかったが、これについて小保方、若山は知らないと回答。故意または過失による混入を全面的に否定したため、誰が混入したかは特定できないと結論付けた。
小保方が会見において「200回以上作製に成功した」とした発言は何だったのか。
●調査結果はNスぺ『STAP細胞 不正の深層』のとおり
理研の二つの調査結果は、なんのことはない、7月27日に放映された、「NHKスペシャル/『STAP細胞 不正の深層』」のとおりではないか。この番組が放映された直後に、笹井芳樹は自殺した。おそらく笹井はこの番組を見て観念したことが確認できた。
犠牲者(自殺者)を出し、日本の科学史に大きな汚点を残した「STAP細胞」問題の解決に要した時間とカネはいわゆる浪費である。いわんや人命の喪失は悲惨ともいえる。理研がすばやく処分をくだせば、このような無駄なカネも時間も命も損失しなかったのだ。
●小保方(弁護団)の立て籠もり作戦が悲劇を誘発
そもそもは小保方が弁護士を立てて立て籠もり、訴訟をちらつかして理研を恫喝したのがことの始まりである。小保方(弁護団)の罪は重い。小保方はすでに理研を退職している。理研がこの先、処分を発表したとしても当事者の小保方は理研にいないし、論文共著者で共同実験者の若山も外部の人間である。笹井はすでの他界している。理研の処分は実効性がない。ならば、小保方弁護団は小保方を守ったのだろうか。実効的処分を免れたのだから、少なくとも小保方を守ったと言える。
だが、はたしてそうなのだろうか。日本の科学史に汚点を残すような大事件の真相を隠蔽し、自殺者を出し、当事者を放免することが「守った」ことになるのだろうか。当事者の小保方は不正、捏造、偽証を償うことなく、この先も生きていくことになる。その人生は逃亡者のそれである。小保方は「STAP細胞」という罪障を背負って生き続けるのである。小保方を隠し続けた弁護団の作戦は、小保方のこの先における人生の汚点を消すことに失敗している。小保方は、不正、捏造の罪を償って再出発すべきだった。過而不改是謂過矣(過ちて改めざる、是を過ちと謂う。)
●当事者としての反省をみせない理研
小保方が「STAP細胞」の汚名を一生背負い続ける反面、理化学研究所にはどんな罰もくだらない。12月19日の「STAP現象の検証結果」を説明した実験総括責任者の相澤慎一は会見中、「科学者として・・・」を何度も連発していた。この期に及んで「科学者として云々」とは笑わせる。真っ当な科学者倫理をもった者が理研にいたのならば、こんな醜態をあらわすはずもない。理研の研究者に科学者倫理が徹底していなかったから、愚かな不正や捏造や偽証が続いたのではなかったのか。ありもしない「万能細胞」とやらを、若い女性研究員に割烹着を着せてメディアに発信したのは理研ではなかったのか。偉そうに「科学者として・・・」を連発するこの理研幹部に憐れみを感じた。
丹羽仁史も同類である。確かこの男、かつて会見において、「STAP細胞は存在する」という意味の発言をした記憶がある。筆者の記憶違いだろうか。丹羽にも反省は感じられない。
●不正の当事者特定こそが科学者倫理再構築の糸口
「研究論文に関する調査報告書」の調査委員長・桂勲の発言と態度も感心しない。桂は理研関係者ではないが、(自分たちは科学者であって)犯人捜しの役割をもたない――という意味の発言していた。犯人捜しは岡っ引きの仕事であって、科学者であるわれわれは、そんな(不浄な)仕事はしないんだ――という意識が表情にありありと浮かんでいた。
現状、少なくとも理研のような研究所において、純粋科学研究は存在しえない。科学は資本に密接している、いや、隷属しているといったほうがいい。先人たちのように、研究者が純粋に科学に向き合った時代とは違う。この委員会の長である桂に課せられたのは、研究論文に関する調査報告であって、不正、捏造の実行者(犯人)をあげることではない――という主張は間違いではないように思える。だが、本件、すなわち「STAP細胞」問題に限れば、実行者を特定し、その動機を解明することこそが、科学者倫理再構築の道筋だった。なぜ、実行者たちは科学者倫理を逸脱忘却し、不正、捏造へと暴走したのか。その切迫した心情と背景が解明できれば、理研という組織の問題点、研究者及び研究受託の現状と課題が明らかになったはずだ。少なくともその糸口くらいはつかめたかもしれない。岡っ引きの仕事こそが、理研において失われた科学者倫理を再生する契機となったかもしれない。
桂は調査の入り口を間違え、出口ではすでにネットやテレビ番組(NHK)において指摘されていた、「不正・捏造」を追認するにとどまった。残念というか期待外れである。一流の「科学者」が集まった調査委員会の仕事としてはお粗末すぎる。
●マスメディアの「STAP細胞」報道は誤報ではないのか
理研が「STAP細胞」作製実験に成功したと発表したとき、マスメディア、とりわけテレビは割烹着姿の小保方と漫画が描かれた実験室を一斉に報道した。「リケジョ」という新語まで流行らせた。この報道はいわゆる誤報ではないのか。メディアが誤報を訂正・謝罪した話は聞いていない。この問題の初期の一連の報道は、朝日新聞の従軍慰安婦報道や原発事故の吉田調書報道と変わらないように筆者には思える。
2014年12月29日月曜日
2014年12月26日金曜日
2014年12月17日水曜日
2014年12月13日土曜日
2014年12月6日土曜日
Happy Tea Life
何年か前、筆者の仕事を手伝ってくれたIさん姉妹が紅茶店(h.m.c)を開き、
最近、川崎(駅から徒歩5分)に店を移したので行ってきた。
Iさんは手作りケーキ、紅茶、紅茶染めグッズ等を販売し、
妹さんはやはり手作りのアクセサリーを販売している。
最近、川崎(駅から徒歩5分)に店を移したので行ってきた。
Iさんは手作りケーキ、紅茶、紅茶染めグッズ等を販売し、
妹さんはやはり手作りのアクセサリーを販売している。
2014年12月3日水曜日
2014年11月19日水曜日
ハッピーリタイアメント
旧友のSさんが、自身の誕生日・11月13日をもって定年退職した。
ハッピーバースデー、ハッピーリタイアメント、そして筆者夫婦の結婚記念日を祝し、
ちょっと遅れて19日、SさんとパートナーのMさんを夕食にお招きした。
ハッピーバースデー、ハッピーリタイアメント、そして筆者夫婦の結婚記念日を祝し、
ちょっと遅れて19日、SさんとパートナーのMさんを夕食にお招きした。
2014年11月17日月曜日
2014年11月7日金曜日
「革マル派」の幽霊が昼日中、国会を彷徨った
衆院予算委員会は30日、安倍晋三首相らが出席して「政治とカネ」問題などの集中審議を行った。そのなかで質問に立った民主党の枝野幸男幹事長が行った質問に対し安倍は、枝野自身の政治資金収支報告書の記載漏れに加え、左翼過激派「革マル派」が浸透している団体からの献金問題を引き合いに大反撃したという。
安倍:「殺人や強盗や窃盗や盗聴を行った革マル派活動家が影響力を行使しうる、指導的立場に浸透しているとみられる団体から、枝野氏は約800万円の献金を受けていた」
枝野:「私は、首相も社会的な存在として認める連合(日本労働組合総連合会)加盟の産別とはお付き合いをしているが、そうした所の中にいろんな方がいる…」
安倍が言うところの“革マル派が浸透している団体”というのは旧国鉄の労働組合であった国鉄動力車労働組合(動労)のこと。動労委員長だった松崎明(故人)が革マル派の幹部。民営化後のJRでは全日本鉄道労働組合総連合会(鉄道労連、のちJR総連)を結成、民営化された新会社における労働運動で主導権を握った。全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)は、日本労働組合総連合会(連合)の加盟団体である。
革マルとは革命的共産主義者同盟(革共同)革命的マルクス主義派の略。革共同は新左翼として結成の後、同派と中核派に分裂、1960年代後半から70年代、両派は互いに死者を出す内ゲバを繰り広げた。内ゲバはその後収束したものの、両派の対立はそのまま今日まで持ち越されている。
JR関連の労働組合について、革マル派と関係のある労働組合だとする規定はまちがってはいないが、同労組員全員が革マル派だというわけではないし、革マル派の思想が完全に浸透しているわけでもない。そもそも革マル派が日本社会に与える政治的影響力はゼロに等しい。連合の加盟団体を名指しで、「殺人・・・云々」と国会で発言するのは、いかがなものかとは思う。
さて、過去、殺人、強盗等を行った団体」という表現は、日本共産党もそうだし、戦前、6.15、2.26事件を引き起こした団体(民族派団体、日本帝国軍隊の一部等)にも当てはまる。さらには、戦前・戦中、共産主義者、社会主義者、民主主義者を弾圧し、獄中でリンチ殺害した特高警察もそうだ。プロレタリア作家の小林多喜二の殺害について、Wikipediaは以下のとおり記している。
日本近代史において、権力側が思想犯として共産党員、反戦運動家等を拉致、拘留し、多喜二のように惨殺した総件数については調べていないが、その件数は革マル派が行ったそれとどちらが多いのであろうか。
そもそも、安倍晋三が今日政治的影響力を失った革マル派を国会で持ち出す意図に疑問をもつべきなのだ。いまなぜ、革マル派なのかといえば、前の拙Blobに書いた通り、安倍による「サヨク」脅威論による、人心誘導作戦にほかならない。
自民党議員や同党の大臣に「政治とカネ」の疑惑が巻き起こり、国会で問題にされると、野党議員を革マル派に結びつけて、自陣の攻撃をかわすという卑劣な防御作戦にすぎない。そもそも、安倍が問題視した枝野の献金は違法なのか。枝野が国会で追及した自民党国会議員の疑惑については、政治資金規正法に違反している可能性がある。安倍が問題視した枝野の件と、枝野が問題視した自民党議員の件とは、まったく異質な次元の問題だ。そこをきちんと整理すれば、安倍の意図がいかに姑息なものかわかってくる。
繰り返すが、安倍の政治手法は、ヒットラーのそれと同じだ。民主党、社民党等の野党は「サヨク」だから悪だ、という決めつけから始まる。「サヨク」は殺人、強盗をやってきた、革マル派は恐ろしい、彼らは日本国民の敵だ、それとくっついている民主党=枝野は日本国民の敵だ・・・
安倍が決めつけている悪の権化=サヨクのところに、「ユダヤ人」と入れれば、ヒットラーの演説と寸分変わらなくなる。善悪の単純化した対立構造をつくりあげ、大衆を「善」に向けて誘導する。「悪」の脅威について、メディアを使って拡声する。「悪」は「ユダヤ人」、サヨク、革マル派、中共・・・と代替可能なのだ。
政治的影響力という意味では幽霊にも等しい革マル派が、なんと安倍によって呼び出され、昼日中、国会を彷徨った。昔の名前でなんとやら、いかにも時代錯誤な光景ではないか。
日本国民は、真の敵を見誤ってはならない。もちろん真の敵とは、幽霊・革マル派ではなく、安倍晋三その人だ。
安倍:「殺人や強盗や窃盗や盗聴を行った革マル派活動家が影響力を行使しうる、指導的立場に浸透しているとみられる団体から、枝野氏は約800万円の献金を受けていた」
枝野:「私は、首相も社会的な存在として認める連合(日本労働組合総連合会)加盟の産別とはお付き合いをしているが、そうした所の中にいろんな方がいる…」
安倍が言うところの“革マル派が浸透している団体”というのは旧国鉄の労働組合であった国鉄動力車労働組合(動労)のこと。動労委員長だった松崎明(故人)が革マル派の幹部。民営化後のJRでは全日本鉄道労働組合総連合会(鉄道労連、のちJR総連)を結成、民営化された新会社における労働運動で主導権を握った。全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)は、日本労働組合総連合会(連合)の加盟団体である。
革マルとは革命的共産主義者同盟(革共同)革命的マルクス主義派の略。革共同は新左翼として結成の後、同派と中核派に分裂、1960年代後半から70年代、両派は互いに死者を出す内ゲバを繰り広げた。内ゲバはその後収束したものの、両派の対立はそのまま今日まで持ち越されている。
JR関連の労働組合について、革マル派と関係のある労働組合だとする規定はまちがってはいないが、同労組員全員が革マル派だというわけではないし、革マル派の思想が完全に浸透しているわけでもない。そもそも革マル派が日本社会に与える政治的影響力はゼロに等しい。連合の加盟団体を名指しで、「殺人・・・云々」と国会で発言するのは、いかがなものかとは思う。
さて、過去、殺人、強盗等を行った団体」という表現は、日本共産党もそうだし、戦前、6.15、2.26事件を引き起こした団体(民族派団体、日本帝国軍隊の一部等)にも当てはまる。さらには、戦前・戦中、共産主義者、社会主義者、民主主義者を弾圧し、獄中でリンチ殺害した特高警察もそうだ。プロレタリア作家の小林多喜二の殺害について、Wikipediaは以下のとおり記している。
新聞報道によると、2月20日正午頃別の共産党員1名と赤坂福吉町の芸妓屋街で街頭連絡中だった多喜二は築地署小林特高課員に追跡され約20分にわたって逃げ回り、溜池の電車通りで格闘の上取押さえられそのまま築地署に連行された。最初は小林多喜二であることを頑強に否認していたが、同署水谷特高主任が取調べた結果自白した。築地署長は、「短時間の調べでは自供しないと判断して外部からの材料を集めてから取調べようと一旦5時半留置場に入れたが間もなく苦悶を始め7時半にはほとんど重体になったので前田病院に入院させる処置を取り、築地署としては何の手落ちもなかった」との説明を行なっている。なお、小林死亡時の責任者は特高警察部長だった安倍源基で、その部下であった中川、特高課長の毛利基(戦後、埼玉県警幹部)、警部山県為三(戦後、スエヒロを経営)の3人が直接手を下している。
警察当局は翌21日に「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。死に顔は日本共産党の機関紙『赤旗』(せっき)が掲載した他、同い歳で同志の岡本唐貴により油絵で描き残され、千田是也が製作したデスマスクも小樽文学館に現存している。
日本近代史において、権力側が思想犯として共産党員、反戦運動家等を拉致、拘留し、多喜二のように惨殺した総件数については調べていないが、その件数は革マル派が行ったそれとどちらが多いのであろうか。
そもそも、安倍晋三が今日政治的影響力を失った革マル派を国会で持ち出す意図に疑問をもつべきなのだ。いまなぜ、革マル派なのかといえば、前の拙Blobに書いた通り、安倍による「サヨク」脅威論による、人心誘導作戦にほかならない。
自民党議員や同党の大臣に「政治とカネ」の疑惑が巻き起こり、国会で問題にされると、野党議員を革マル派に結びつけて、自陣の攻撃をかわすという卑劣な防御作戦にすぎない。そもそも、安倍が問題視した枝野の献金は違法なのか。枝野が国会で追及した自民党国会議員の疑惑については、政治資金規正法に違反している可能性がある。安倍が問題視した枝野の件と、枝野が問題視した自民党議員の件とは、まったく異質な次元の問題だ。そこをきちんと整理すれば、安倍の意図がいかに姑息なものかわかってくる。
繰り返すが、安倍の政治手法は、ヒットラーのそれと同じだ。民主党、社民党等の野党は「サヨク」だから悪だ、という決めつけから始まる。「サヨク」は殺人、強盗をやってきた、革マル派は恐ろしい、彼らは日本国民の敵だ、それとくっついている民主党=枝野は日本国民の敵だ・・・
安倍が決めつけている悪の権化=サヨクのところに、「ユダヤ人」と入れれば、ヒットラーの演説と寸分変わらなくなる。善悪の単純化した対立構造をつくりあげ、大衆を「善」に向けて誘導する。「悪」の脅威について、メディアを使って拡声する。「悪」は「ユダヤ人」、サヨク、革マル派、中共・・・と代替可能なのだ。
政治的影響力という意味では幽霊にも等しい革マル派が、なんと安倍によって呼び出され、昼日中、国会を彷徨った。昔の名前でなんとやら、いかにも時代錯誤な光景ではないか。
日本国民は、真の敵を見誤ってはならない。もちろん真の敵とは、幽霊・革マル派ではなく、安倍晋三その人だ。
2014年11月2日日曜日
異常な朝日新聞攻撃から透けて見える安倍晋三の頭の中
安倍晋三が国会において、朝日新聞に係る異常な発言を繰り返した。10月29日に自民党本部で行われた側近議員との昼食会で、安倍が「これで『撃ち方やめ』になればいい」などと述べた、という報道が発端だった。この発言については、朝日新聞のほか、共同通信、毎日新聞、日経新聞、産経新聞が報じたのだが、この点について、枝野幸男が10月30日の衆院予算委員会で確認すると、なぜか安倍は朝日新聞だけを持ち出して「これは捏造です」と断言したという。
それだけではない。安倍は05年の「NHK改変問題」を唐突に持ち出した。これは05年に朝日新聞が、NHKのいわゆる従軍慰安婦問題を扱った番組の放送前日に安倍と中川昭一元財務相(故人)がNHK幹部と面会して放送内容に圧力をかけたなどと報じた問題だという。
安倍は、「ですから、かつて朝日新聞は、私が中川昭一さんとともに、放送内容を変えさせたという記事を書いた。しかし、中川昭一さんは、その番組が放送される前に(NHK側に)会ってすらいないことが明らかになった。私が呼びつけて、そう指示したということも、そうではないということが明らかになった。これはまさに『捏造』ですよね。こういう捏造が起こったかということが問題。それはまさに(朝日新聞が)安倍晋三を攻撃しようという意志があって記事を書くから、こういうことになる」と続けたという。
安倍が理想とするのは維新から敗戦までのおよそ80年間の日本
こうした安部の異常発言から、安倍の頭の中が透けて見える。安倍は「大日本帝国」の幻想にとりつかれているようだ。安倍の世界観とはすなわち、日本を悪くした、もしくは悪くするのは、「サヨク」であり、「サヨク」が日本国をいたずらに貶めているのだと。その「サヨク」の象徴的存在が「朝日新聞」であり、「アサヒ」と「サヨク」の台頭は、日本がアジア太平洋戦争に敗北したことに起因すると考えているようだ。
安倍が理想とし、取り戻したい「日本国」とは、明治維新(1868年)からアジア太平洋戦争終結(1945年)までのおよそ、“80年間”だと思われる。なお、真珠湾攻撃の開戦(1941年)から終戦(1945)までの日本の国家体制を総力戦体制と呼び、それまでの国家体制との異質性を強調する考え方もあるが、本稿ではそのことを問わない。
その間、日本帝国は日清戦争及び日露戦争に勝利し、朝鮮併合を行い、第一次世界大戦において戦勝国となった。当時の日本は強国として軍事的にアジアに君臨し、満洲国建国に代表される大東亜共栄圏構想の下、アジア各地を侵略し続けた挙句、前出のとおり、1945年、米国の軍事力に国土を廃墟と化され無条件降伏した。
安部はこの“80年間”の日本を「取り戻す」ことを自身の使命と考えている。安倍が考える日本の美風とは、明治維新後日本の擬似的伝統として偽装された家族、故郷(自然)、神に行き着く。その装置として、靖国に代表される神社及び神と、神に守られた強力な軍(兵士)がある。
安部が靖国に参拝したがるのは、選挙対策としてつながっている神道(政治連盟)、遺族会(政治連盟)との関係だけではない。前出のとおり安倍が「取り戻したい」日本は、日本が強国として世界のイニシアチブをとった“80年間”に日本がもっていた皇軍と皇軍に兵士を供給し続けた家族(母)、そしてそれらを育んだ日本の「美しい自然」ということになる。
戦前の思想が300万人超の戦死者を出した
しかし、安倍が「取り戻したい」日本は、1945年にほぼ壊滅した。アジア太平洋戦争だけでも、日本人の戦死者は300万を超えている。沖縄地上戦、広島・長崎への原爆投下、大都市部への無差別大空襲、シベリア抑留・・・と、悲惨な戦争結果を列記するだけで胸が痛む。つまり、安倍が「取り戻したがっている」日本の“80年間”とは、国家の破滅を用意した年月だった。だから言うまでもなく、安倍が理想とする思想(世界観、倫理・道徳、国家観、家族観、宗教観、自然観、戦争観・・・)は歴史的事実として、国を破滅に導く。安倍の思想は、安倍が言うところの日本を悪くする「サヨク」の思想どころではない。日本を滅ぼす絶対に戻ってはいけない“80年間”なのだ。
蛇足ながら言っておくと、安倍が敵視する朝日新聞は、安倍が理想とする“80年間”において、一貫して開戦の論陣を張り続け、戦中は大本営発表という誤報を国民に垂れ流し続けた体制翼賛メディアだった。
安倍の朝日新聞攻撃はヒットラーの「ユダヤ人」攻撃に酷似
そもそも、安倍が敵視する「アサヒ」も「サヨク」も、いまの日本に存在しない。まったく存在しないわけではないが、政治的影響力は皆無に近い。朝日新聞が「進歩的」だった時代はずっと昔に終わっている。安倍は存在しない「サヨク」をお化けのように怖がってみせて、攻撃の対象とする。ワイマール共和国にヒットラーが攻撃対象とした「ユダヤ人」は実在するユダヤ人ではないのと同じことだ。幻想の敵をつくって理屈抜きで攻撃する手法こそ、ファシズムの常套手段にほかならない。大衆は単純化された敵に反応しやすい。
安倍がヒステリックに朝日攻撃をするシーンをTV映像で眺めていると、その姿は、ユダヤ人を執拗に攻撃する、ヒットラーの姿に見事に重なっていた。ヒットラーの演説の論理構造は単純で、ユダヤ人がドイツを悪くしている、もしくは悪くする――というワンフレーズに要約できる。第一次大戦後のドイツにおけるインフレ、混乱、不道徳・・・そして戦争の敗因までもが「ユダヤ人」に起因するという主張で一貫していた。ユダヤ人の下に共産党、社会主義者、社民主義者がいて、彼らを応援する新聞(メディア)があるという具合だ。安倍も「サヨク」が悪の権化であり、彼らに乗っ取られたメディア(朝日新聞等)が安倍自身を攻撃し、日本国民を貶め、韓国、中国に日本国を売ろうとしている、と主張する。
安倍の思想と日本の極右勢力との親和性は、当然高い。日本の極右勢力はもちろん「サヨク」を敵視し、嫌韓、謙中であり、あの“80年間”に創作された日本の擬似的伝統――神、家族、自然を信奉している。
安倍は歴史修正主義者である。政治家としての安倍の念願が日本の国連常任理事国入りであることもよく知られている。この安倍の願望こそが、“80年間”への回帰願望をよく象徴する。安倍の願望は、日本が軍事的プレゼンスをもって国際関係を主導するまでに至った1930年代の日本の復活だ。しかし考えてみれば、そのときの日本の指導者の傲慢と無知が、日本を破滅させたのだ。
安倍はアジア太平洋戦争の敗戦の痛みを知らない。敗戦を経験していなから、軍事力(戦争)を観念としてとらえ、安易に軍事力を信奉する。安倍は戦争の結果を想像する能力に欠けている。だから安倍は、平和主義(憲法第9条)に縛られることなく、日本が世界を領導できる地位に高めるため、軍事力を背景とした国家体制を構築することを夢想してしまう。それが宰相として歴史に名を残すことだという勘違いができてしまう。
安倍政権が日本を滅ぼす
さて、安倍の経済政策(アベノミクス)は、すでに破たんしている。円安誘導で国内物価は上がり、生活者の収入は上がらず、金利は低い。年金に頼る高齢者にとって消費税率のアップは生活を困窮させる。その一方で大企業は減税され、円安誘導は株価を一時的に押し上げ、1%が優遇される。だがこれもモルヒネにすぎない。
1%(大企業、資産家等)は優遇され、99%(生活者)は苦境に追い込まれる。これがアベノミクスの正体だ。モルヒネがきかなくなれば株価も下がり、日本経済は漂流するしかない。安部の復古主義と誤った経済政策を止めなければ、日本はそれこそ最暗黒の歴史を繰り返すことになる。
それだけではない。安倍は05年の「NHK改変問題」を唐突に持ち出した。これは05年に朝日新聞が、NHKのいわゆる従軍慰安婦問題を扱った番組の放送前日に安倍と中川昭一元財務相(故人)がNHK幹部と面会して放送内容に圧力をかけたなどと報じた問題だという。
安倍は、「ですから、かつて朝日新聞は、私が中川昭一さんとともに、放送内容を変えさせたという記事を書いた。しかし、中川昭一さんは、その番組が放送される前に(NHK側に)会ってすらいないことが明らかになった。私が呼びつけて、そう指示したということも、そうではないということが明らかになった。これはまさに『捏造』ですよね。こういう捏造が起こったかということが問題。それはまさに(朝日新聞が)安倍晋三を攻撃しようという意志があって記事を書くから、こういうことになる」と続けたという。
安倍が理想とするのは維新から敗戦までのおよそ80年間の日本
こうした安部の異常発言から、安倍の頭の中が透けて見える。安倍は「大日本帝国」の幻想にとりつかれているようだ。安倍の世界観とはすなわち、日本を悪くした、もしくは悪くするのは、「サヨク」であり、「サヨク」が日本国をいたずらに貶めているのだと。その「サヨク」の象徴的存在が「朝日新聞」であり、「アサヒ」と「サヨク」の台頭は、日本がアジア太平洋戦争に敗北したことに起因すると考えているようだ。
安倍が理想とし、取り戻したい「日本国」とは、明治維新(1868年)からアジア太平洋戦争終結(1945年)までのおよそ、“80年間”だと思われる。なお、真珠湾攻撃の開戦(1941年)から終戦(1945)までの日本の国家体制を総力戦体制と呼び、それまでの国家体制との異質性を強調する考え方もあるが、本稿ではそのことを問わない。
その間、日本帝国は日清戦争及び日露戦争に勝利し、朝鮮併合を行い、第一次世界大戦において戦勝国となった。当時の日本は強国として軍事的にアジアに君臨し、満洲国建国に代表される大東亜共栄圏構想の下、アジア各地を侵略し続けた挙句、前出のとおり、1945年、米国の軍事力に国土を廃墟と化され無条件降伏した。
安部はこの“80年間”の日本を「取り戻す」ことを自身の使命と考えている。安倍が考える日本の美風とは、明治維新後日本の擬似的伝統として偽装された家族、故郷(自然)、神に行き着く。その装置として、靖国に代表される神社及び神と、神に守られた強力な軍(兵士)がある。
安部が靖国に参拝したがるのは、選挙対策としてつながっている神道(政治連盟)、遺族会(政治連盟)との関係だけではない。前出のとおり安倍が「取り戻したい」日本は、日本が強国として世界のイニシアチブをとった“80年間”に日本がもっていた皇軍と皇軍に兵士を供給し続けた家族(母)、そしてそれらを育んだ日本の「美しい自然」ということになる。
戦前の思想が300万人超の戦死者を出した
しかし、安倍が「取り戻したい」日本は、1945年にほぼ壊滅した。アジア太平洋戦争だけでも、日本人の戦死者は300万を超えている。沖縄地上戦、広島・長崎への原爆投下、大都市部への無差別大空襲、シベリア抑留・・・と、悲惨な戦争結果を列記するだけで胸が痛む。つまり、安倍が「取り戻したがっている」日本の“80年間”とは、国家の破滅を用意した年月だった。だから言うまでもなく、安倍が理想とする思想(世界観、倫理・道徳、国家観、家族観、宗教観、自然観、戦争観・・・)は歴史的事実として、国を破滅に導く。安倍の思想は、安倍が言うところの日本を悪くする「サヨク」の思想どころではない。日本を滅ぼす絶対に戻ってはいけない“80年間”なのだ。
蛇足ながら言っておくと、安倍が敵視する朝日新聞は、安倍が理想とする“80年間”において、一貫して開戦の論陣を張り続け、戦中は大本営発表という誤報を国民に垂れ流し続けた体制翼賛メディアだった。
安倍の朝日新聞攻撃はヒットラーの「ユダヤ人」攻撃に酷似
そもそも、安倍が敵視する「アサヒ」も「サヨク」も、いまの日本に存在しない。まったく存在しないわけではないが、政治的影響力は皆無に近い。朝日新聞が「進歩的」だった時代はずっと昔に終わっている。安倍は存在しない「サヨク」をお化けのように怖がってみせて、攻撃の対象とする。ワイマール共和国にヒットラーが攻撃対象とした「ユダヤ人」は実在するユダヤ人ではないのと同じことだ。幻想の敵をつくって理屈抜きで攻撃する手法こそ、ファシズムの常套手段にほかならない。大衆は単純化された敵に反応しやすい。
安倍がヒステリックに朝日攻撃をするシーンをTV映像で眺めていると、その姿は、ユダヤ人を執拗に攻撃する、ヒットラーの姿に見事に重なっていた。ヒットラーの演説の論理構造は単純で、ユダヤ人がドイツを悪くしている、もしくは悪くする――というワンフレーズに要約できる。第一次大戦後のドイツにおけるインフレ、混乱、不道徳・・・そして戦争の敗因までもが「ユダヤ人」に起因するという主張で一貫していた。ユダヤ人の下に共産党、社会主義者、社民主義者がいて、彼らを応援する新聞(メディア)があるという具合だ。安倍も「サヨク」が悪の権化であり、彼らに乗っ取られたメディア(朝日新聞等)が安倍自身を攻撃し、日本国民を貶め、韓国、中国に日本国を売ろうとしている、と主張する。
安倍の思想と日本の極右勢力との親和性は、当然高い。日本の極右勢力はもちろん「サヨク」を敵視し、嫌韓、謙中であり、あの“80年間”に創作された日本の擬似的伝統――神、家族、自然を信奉している。
安倍は歴史修正主義者である。政治家としての安倍の念願が日本の国連常任理事国入りであることもよく知られている。この安倍の願望こそが、“80年間”への回帰願望をよく象徴する。安倍の願望は、日本が軍事的プレゼンスをもって国際関係を主導するまでに至った1930年代の日本の復活だ。しかし考えてみれば、そのときの日本の指導者の傲慢と無知が、日本を破滅させたのだ。
安倍はアジア太平洋戦争の敗戦の痛みを知らない。敗戦を経験していなから、軍事力(戦争)を観念としてとらえ、安易に軍事力を信奉する。安倍は戦争の結果を想像する能力に欠けている。だから安倍は、平和主義(憲法第9条)に縛られることなく、日本が世界を領導できる地位に高めるため、軍事力を背景とした国家体制を構築することを夢想してしまう。それが宰相として歴史に名を残すことだという勘違いができてしまう。
安倍政権が日本を滅ぼす
さて、安倍の経済政策(アベノミクス)は、すでに破たんしている。円安誘導で国内物価は上がり、生活者の収入は上がらず、金利は低い。年金に頼る高齢者にとって消費税率のアップは生活を困窮させる。その一方で大企業は減税され、円安誘導は株価を一時的に押し上げ、1%が優遇される。だがこれもモルヒネにすぎない。
1%(大企業、資産家等)は優遇され、99%(生活者)は苦境に追い込まれる。これがアベノミクスの正体だ。モルヒネがきかなくなれば株価も下がり、日本経済は漂流するしかない。安部の復古主義と誤った経済政策を止めなければ、日本はそれこそ最暗黒の歴史を繰り返すことになる。
2014年11月1日土曜日
2014年10月28日火曜日
ザハ・ハディド
東京オペラシティにて、ザハ・ハディドさんのデザイン展が開催されている。
新国立競技場のデザインに採用されたデザイナーだ。
ところが、選考過程の不透明性、建物が及ぼす周辺環境への悪影響や周辺景観との不調和性、
加えて建設及びメンテコスト等の非経済性に係る異議が続出している。
ザハさんのデザインについては個人の好みが働くが、国立競技場がある神宮外苑周辺にはそぐわない。
この人の作品はアジアでは中国、香港、韓国等にあって、日本にない。
そのあたり、日本の国威発揚として採用が決まったのならば、選考する側の考え違いだろう。
見終わった後、パブへ。
2014年10月21日火曜日
小渕優子は原発推進派によって「消された」のか
小渕優子経済産業相と松島みどり法相が20日、閣僚を辞任した。小渕優子は不適切な政治資金問題、松島みどりは地元選挙区で「うちわ」を配布した問題の責任を取った。松島の「うちわ問題」はさておき、小渕優子の政治資金問題については、不自然な印象が拭えない。
第二次安倍内閣が発足したのが9月3日。その後、9月18日に『赤旗新聞』が、9月23日に『日刊ゲンダイ』が、そして、10月16日発売の『週刊新潮(10月23日号)』が小渕優子のスキャンダルを報じた。以降、同誌の発刊を契機として、日本の全メディアが小渕優子の政治資金問題をスキャンダルとして大々的に一斉報道し始めた。各メディアの論調はそろって、“政治とカネ”という醜聞仕立てであった。
同誌の内容を大雑把にいうと、小渕優子関連の2つの政治団体が平成22年と23年、選挙区の後援会員らのために「観劇会」を東京の劇場で開催した際、劇場側に支払った費用が、参加した後援会員らから集めた会費を2年とも約1300万円上回っていることが15日、両団体の政治資金収支報告書からわかったというもの。
だが、小渕優子の2つの政治団体(小淵優子後援会と自由民主党群馬県ふるさと振興支部)の収支報告書」の公表日付は不明だが、少なくとも、『赤旗新聞』掲載の直前ではない。群馬県のホームページに掲載された政治資金収支報告書の最新の公表日は、平成25年11月25日であって、それ以降の更新はない。総務省のホームページの定期公表も平成25年11月29日が最後(平成24年分)になっている。
いったいなぜ、いまになって小渕優子の政治資金収支報告書が問題視されたのだろうか。小渕優子が経産相に就任した本年9月3日から、『週刊新潮』がスキャンダルを報じた10月15日のあいだにいったい、なにがあったのだろうか。
日本のメディアは一切報じていないが、『ロイター』は10月17日に小渕優子経産相(当時)の動きとして、以下のとおり伝えていた。
また、10月21日の『東京新聞(朝刊)』は署名入り記事で以下のとおり報じている。
小渕優子の後任には、宮澤洋一が決まったが、宮澤洋一はWikipediaによると、東京電力株を大量に保有しているというし、前出の『東京新聞』も、原発再稼働推進派として報じている。
『ロイター』及び『東京新聞』の報道からうかがえるのは、小渕優子は経産相に就任してから、原発エネルギー問題について、何かをしようとしたことだけは確かである。小渕優子は少なくとも、原発再稼働を検証抜きに推進するような政治家ではなかった。
安倍首相は、平成26年10月16日(現地時間)、第10回アジア欧州会合(ASEM)首脳会合等に出席するためイタリアを訪問し17日まで滞在した。つまり安倍が日本にいない間に、『週刊新潮』の小渕バッシング報道が始まり、その勢いは日本の全メディアによって燎原の火のごとく日本中に燃え広がったのである。この騒ぎを異国で知った安倍は急きょ予定を変更し帰国、事態収拾にあたったようだ。
つまり、小渕を任命した安部が不在の間に小渕バッシングは仕組まれ、安倍は小渕の首を切るために急きょ帰国したといえる。このことが意味するのは、小渕優子のスキャンダルに安倍は関与していないということ。安部の思惑とは異なるところで小渕優子の解任は準備され、そして実行されたものと推定できる。
総理大臣である安部を無視して大臣の首を挿げ替えることができるのはだれなのか。もちろんそれができるのは(小渕優子を経産省から追い出すことができるのは)、官・産の原発推進派であり、日本のマスメディアが後押しした結果にほかならない。
今回の小渕優子スキャンダルの発覚は、安部にまったくメリットがないわけではない。第二次安部内閣には、江頭聡徳防衛相、塩崎恭久厚労相、西川公也農水相の3つのスキャンダルがまだ控えている。さらにヘイトスピーチで知られる在特会との関係を疑われる閣僚が(女性閣僚を含めて)数人いる。同会との関係は、国際的スキャンダルに発展しかねない。
ここで、女性2大臣を切れば、世間も納得し、閣僚スキャンダル・ドミノの類焼を免れる目も出てくる。世間が注目する「女性」をあくまでも利用し尽くそうという魂胆である。国民が関心を失えば、野党の追及も迫力が薄れる。小渕優子だけではインパクトが低いので、ついでに、朝日新聞出身の松島みどりも切っておこうというわけか。残念ながら、日本国民は、権力の陰謀にナイーブ(うぶ)であり、メディアの扇動に乗りやすい。
第二次安倍内閣が発足したのが9月3日。その後、9月18日に『赤旗新聞』が、9月23日に『日刊ゲンダイ』が、そして、10月16日発売の『週刊新潮(10月23日号)』が小渕優子のスキャンダルを報じた。以降、同誌の発刊を契機として、日本の全メディアが小渕優子の政治資金問題をスキャンダルとして大々的に一斉報道し始めた。各メディアの論調はそろって、“政治とカネ”という醜聞仕立てであった。
同誌の内容を大雑把にいうと、小渕優子関連の2つの政治団体が平成22年と23年、選挙区の後援会員らのために「観劇会」を東京の劇場で開催した際、劇場側に支払った費用が、参加した後援会員らから集めた会費を2年とも約1300万円上回っていることが15日、両団体の政治資金収支報告書からわかったというもの。
だが、小渕優子の2つの政治団体(小淵優子後援会と自由民主党群馬県ふるさと振興支部)の収支報告書」の公表日付は不明だが、少なくとも、『赤旗新聞』掲載の直前ではない。群馬県のホームページに掲載された政治資金収支報告書の最新の公表日は、平成25年11月25日であって、それ以降の更新はない。総務省のホームページの定期公表も平成25年11月29日が最後(平成24年分)になっている。
いったいなぜ、いまになって小渕優子の政治資金収支報告書が問題視されたのだろうか。小渕優子が経産相に就任した本年9月3日から、『週刊新潮』がスキャンダルを報じた10月15日のあいだにいったい、なにがあったのだろうか。
日本のメディアは一切報じていないが、『ロイター』は10月17日に小渕優子経産相(当時)の動きとして、以下のとおり伝えていた。
[東京 17日 ロイター] - 小渕優子経済産業相は17日夕、電気事業連合会の八木誠会長(関西電力)と会い、老朽原子炉7基の廃炉判断を早期に示すよう要請した。「来年4月から7月に運転延長を申請する必要がある炉7基の取り扱いの考え方を早期に示していただきたい」と述べた。
八木会長は小渕経産相との会談後、記者団に対し、「取り扱いは各社の経営判断。それぞれの会社で検討していただきたい」と述べた。判断を示す期限についての質問に八木会長は「できるだけ早く示すようにしたい」と答えた。
対象の7基は、古い順に日本原子力発電の敦賀1号、関電美浜1・2号、中国電力島根1号、関電高浜1号、九州電力玄海1号、高浜2号。
八木氏は関電の対象4基について「検討を進めているが、現時点で決めたものはない」と話した。同氏は、今後、廃炉の際の財務面への影響を緩和するために、国に会計制度の見直しを求めたいとの考えを示した。
原発の運転期間に関する現行ルールは、運転期間を原則40年に制限しながらも、原子力規制委員会の認可を条件に20年間を上限に1回だけ運転延長が認められる。
すでに40年超の4基を含め、2016年7月時点で40年を超える7基を運転延長させるには、来年4月から7月までに規制委に申請する必要がある。その際、事業者は原子炉の劣化状況などを調べる「特別点検」を実施し、規制委の認可を得る必要がある。
小渕氏との会談に先立って行われて電事連の定例会見で八木氏は、特別点検には「数カ月はかかる」と述べた。(浜田健太郎)
また、10月21日の『東京新聞(朝刊)』は署名入り記事で以下のとおり報じている。
電力政策停滞も 再生エネ、原発…経産相の課題山積
小渕優子経済産業相が辞任し、後任に宮沢洋一氏が就く。(略)経産相が抱えるエネルギー政策の課題は多い。中でも太陽光発電を中心とする再生可能エネルギーを増やす議論は小渕氏が重視してようやく動きだした感があり、経産相の交代で政策が停滞する懸念がある。(略)経産省、電力会社ともに原発の再稼働を重視し、再生エネルギーを増やす対策を怠っていたが、9月3日に就任した小渕氏は電力各社の判断が妥当かどうかを専門家に検証してもらう部会を設置。背景には「電力会社の説明は本当なのかと疑った小渕氏の鶴の一声があった」(経産省関係者)という。中長期的な再生エネの拡大策も含めて議論は始まったばかりだが、経産相の交代で腰が折られる恐れもある。(吉田通夫)
小渕優子の後任には、宮澤洋一が決まったが、宮澤洋一はWikipediaによると、東京電力株を大量に保有しているというし、前出の『東京新聞』も、原発再稼働推進派として報じている。
『ロイター』及び『東京新聞』の報道からうかがえるのは、小渕優子は経産相に就任してから、原発エネルギー問題について、何かをしようとしたことだけは確かである。小渕優子は少なくとも、原発再稼働を検証抜きに推進するような政治家ではなかった。
安倍首相は、平成26年10月16日(現地時間)、第10回アジア欧州会合(ASEM)首脳会合等に出席するためイタリアを訪問し17日まで滞在した。つまり安倍が日本にいない間に、『週刊新潮』の小渕バッシング報道が始まり、その勢いは日本の全メディアによって燎原の火のごとく日本中に燃え広がったのである。この騒ぎを異国で知った安倍は急きょ予定を変更し帰国、事態収拾にあたったようだ。
つまり、小渕を任命した安部が不在の間に小渕バッシングは仕組まれ、安倍は小渕の首を切るために急きょ帰国したといえる。このことが意味するのは、小渕優子のスキャンダルに安倍は関与していないということ。安部の思惑とは異なるところで小渕優子の解任は準備され、そして実行されたものと推定できる。
総理大臣である安部を無視して大臣の首を挿げ替えることができるのはだれなのか。もちろんそれができるのは(小渕優子を経産省から追い出すことができるのは)、官・産の原発推進派であり、日本のマスメディアが後押しした結果にほかならない。
今回の小渕優子スキャンダルの発覚は、安部にまったくメリットがないわけではない。第二次安部内閣には、江頭聡徳防衛相、塩崎恭久厚労相、西川公也農水相の3つのスキャンダルがまだ控えている。さらにヘイトスピーチで知られる在特会との関係を疑われる閣僚が(女性閣僚を含めて)数人いる。同会との関係は、国際的スキャンダルに発展しかねない。
ここで、女性2大臣を切れば、世間も納得し、閣僚スキャンダル・ドミノの類焼を免れる目も出てくる。世間が注目する「女性」をあくまでも利用し尽くそうという魂胆である。国民が関心を失えば、野党の追及も迫力が薄れる。小渕優子だけではインパクトが低いので、ついでに、朝日新聞出身の松島みどりも切っておこうというわけか。残念ながら、日本国民は、権力の陰謀にナイーブ(うぶ)であり、メディアの扇動に乗りやすい。
2014年10月17日金曜日
アギーレの歴史的采配―日本ブラジルに惨敗
サッカー日本代表がシンガポールにおいてブラジル代表に0-4で惨敗した。日本の4失点は相手のエース、ネイマールにすべて奪われたもの。ネイマールをマークしてほかの選手に点を取られたのならばわからないでもないが、相手のエースに思うようにやられたとはみっともない。それにしてもお粗末な日本代表だった。北京で宿敵アルゼンチンと戦ったブラジル、一方日本はホームで格下ジャマイカと戦った。その両者がシンガポールにやってきたのだから、コンディションの面では日本に分があったはず。それでも歯が立たないのだから、日本は相当弱い。試合後の選手のコメントは、「収穫」やら「経験」やら「課題」やら。この大敗のあと、御託を並べている暇はない。闘争心をもって真剣に闘わなければ、日本はますます弱くなる。敗者のメンタリティーを醸成してはいけない。
日本サッカー界についに訪れた人材払底のサイクル
W杯ブラジル大会後の日本代表の試合ぶりを見ていて感じるのは、先のW杯で明らかになった世界との差ばかりではない。「パスサッカーからフィジカル重視」といったトレンドを論じるよりも、いま、日本人フットボーラーのなかに人材払底現象が見受けられることだ。ついに恐れていた事態がやってきた。ロシア大会に希望をつなぐ才能、資質を感じさせる選手が見当たらないのだ。
モチベーションを失ったブラジル組
第一に、ブラジル大会代表レギュラークラス(海外組=FW本田、FW香川/ブラジル戦では故障によりベンチ外、DF長友、GK川島、国内組=DF森重)がモチベーションを完全に失っていること。海外組には欧州からの移動という疲労もある。だから、ブラジル戦を休ませたのだろう。ジャマイカ戦でも短い時間の出場にとどまったFW柿谷(ブラジルでは控え)も、代表サッカーにおけるモチベーションを失っている。ブラジル大会に選ばれたことで満足したのか。そんな中、唯一闘う姿勢を貫いているのがFW岡崎だ。
学生アルバイト(武藤)に代表を奪われるJリーガーの無力
第二は、前出のいわば「過去の人」を追い抜くだけの新戦力が育っていないこと。そのことを象徴するのが「今売り出し中」のFW武藤だ。武藤は大学在学中という。Jリーグのトップクラスが学生アルバイトとは情けない。Jの選手はいったい何をしているのだ。学生アルバイトが代表に選出される現状を「プロ」が許しているとは論外。
それとも学生とは名ばかりで、勉学の方はサッカーで免除されているのか。もしそうならば、武藤が通っている大学にも問題がある。文武両道とは聞こえはいいが、大学生とプロサッカー選手の二足の草鞋をはくことは、世界のサッカー界ではまず、あり得ない。もっと言えば、この現状を異常だと思わないメディアがそもそも異常だ。大学生がアルバイトでJリーガーとしてやっていける日本のサッカー界のレベルとは・・・
たとえば、前出のブラジルのネイマールは武藤と同年齢だという。ネイマールはブラジル代表のキャプテンをはっているのだが、彼が大学生であることはおよそ考えつかない。プロフェッショナルスポーツのアスリートは年齢も学歴も関係ない。その分野でとにかく一流であることだ。だから武藤が大学生でバイトでサッカーをやっていることを非難するのではない。学生とプロサッカー選手を両立できる日本のプロサッカー界が不思議なだけなのだ。世界のサッカーリーグはそんなに甘くはないだろう。ましてやブラジル代表とバルセロナのレギュラーと、大学生を両立できるはずがない。
武藤が代表で「輝いている」現実が、日本のサッカーの最高峰リーグであるJリーグの低レベルを象徴している。だから、武藤に続く、MF柴崎、MF森岡、FW小林、DF塩谷のレベルも押して知るべし。
アギーレのここまでの功績は、日本代表が弱いことを白日の下に晒したこと
それにしてもアギーレは正直な人物のようだ。かつての代表監督ではできないような選手起用を行った。アギーレは、ブラジル戦に臨むにあたって、移動でコンディションの悪い海外組主力を思い切って外した。その結果明らかになったことは、いや、アギーレが明らかにしたことは、先述のとおりの日本代表の惨状にほかならない。アギーレは、日本のサッカーファン、いや日本代表に期待する日本国民に対して、日本代表のレベルの低さを明らかにした。日本のみなさま、日本のサッカーの実力はこの程度ですよ、過剰な期待をされては困りますよ、世界レベルとは、こんなにも開きがありますよ――というわけだ。これまでの代表監督は、サッカー協会、広告代理店(TVメディア)、スポンサーの手前、この事実を隠し続けてきた。
「岡崎中心」の日本代表をつくるしかない
では、ここまで弱体化した日本代表をどう再建したらいいのか。これはかなり難しい課題とはいえ、アジア杯は目前に迫り、そこで結果を出さなければ先に進まない。
奇策、奇手はない。現状の駒のなかで最強チームをつくるしかない。まず考えられるのは、前出のとおり、フィジカル的に強く、好調を維持し、しかも高いモチベーションをも維持しているFW岡崎を攻撃の中心、というよりも、チームの中心とするしかない。彼の闘争心、諦めない姿勢、運動量の多さをもって、チームを引っ張るしかない。岡崎の性格にキャプテンシーが備わっているか否かについては、会ったことがないのでわからないが、いま日本代表に必要なものすべてもっているのが岡崎であることだけは間違いない。
アジア相手ならば高さのあるハーフナーも武器になるはず
戦術的には、岡崎をワントップとするかサイドにおくかが第一の選択。筆者の見方では、アギーレが4-3-3を貫くと仮定するならば、ワントップに長身FWハーフナーをおいて、高さを武器としたい。長身選手が少ないアジア相手ならば、ハーフナーの高さは機能する。アギーレはハーフナーを招集しながら使わなかった。このことは疑問として残る。
本田はイタリアで結果を出しているのでそのまま右。岡崎は左となる。アンカーは「守備の職人」と言われる細貝で鉄板。
問題は細貝の前の列。どうもここが人材難のようだ。柴崎、森岡、田中、小林には情熱が感じられない。彼らに頑張ってもらうか、新たな戦力を探すしかないのだが、決め手となる選手はいない。強いて挙げれば、米本拓司(FC東京)か。
香川がこのポジションで真価を発揮するとも思えないので、香川は4-2-3-1に変化するまで控えになる。
SBは左が長友、右が内田。内田が代表引退ならば酒井高で仕方がない。酒井高のクロスの精度は大いに問題だが。
日本最大の弱点CBは、カテゴリーにこだわらず若手に切り替えろ
SBは森重、鈴木、水本らをそろそろ見切る必要がある。年功序列を排して、A代表に西野貴治(G大阪)、岩波拓也(神戸)、植田直通(鹿島)らを早く合流させたほうがいい。U21、U23、五輪といったカテゴリーにこだわりすぎるのは、日本サッカーの悪弊である。ブラジル戦の経験を彼らにこそ積ませたかった。
ブラジル戦で明らかになった日本代表の惨状。ここから立ち直るには、ディスパレートな精神力をもった選手を代表にできるだけ多く呼ぶ以外にない。
日本サッカー界についに訪れた人材払底のサイクル
W杯ブラジル大会後の日本代表の試合ぶりを見ていて感じるのは、先のW杯で明らかになった世界との差ばかりではない。「パスサッカーからフィジカル重視」といったトレンドを論じるよりも、いま、日本人フットボーラーのなかに人材払底現象が見受けられることだ。ついに恐れていた事態がやってきた。ロシア大会に希望をつなぐ才能、資質を感じさせる選手が見当たらないのだ。
モチベーションを失ったブラジル組
第一に、ブラジル大会代表レギュラークラス(海外組=FW本田、FW香川/ブラジル戦では故障によりベンチ外、DF長友、GK川島、国内組=DF森重)がモチベーションを完全に失っていること。海外組には欧州からの移動という疲労もある。だから、ブラジル戦を休ませたのだろう。ジャマイカ戦でも短い時間の出場にとどまったFW柿谷(ブラジルでは控え)も、代表サッカーにおけるモチベーションを失っている。ブラジル大会に選ばれたことで満足したのか。そんな中、唯一闘う姿勢を貫いているのがFW岡崎だ。
学生アルバイト(武藤)に代表を奪われるJリーガーの無力
第二は、前出のいわば「過去の人」を追い抜くだけの新戦力が育っていないこと。そのことを象徴するのが「今売り出し中」のFW武藤だ。武藤は大学在学中という。Jリーグのトップクラスが学生アルバイトとは情けない。Jの選手はいったい何をしているのだ。学生アルバイトが代表に選出される現状を「プロ」が許しているとは論外。
それとも学生とは名ばかりで、勉学の方はサッカーで免除されているのか。もしそうならば、武藤が通っている大学にも問題がある。文武両道とは聞こえはいいが、大学生とプロサッカー選手の二足の草鞋をはくことは、世界のサッカー界ではまず、あり得ない。もっと言えば、この現状を異常だと思わないメディアがそもそも異常だ。大学生がアルバイトでJリーガーとしてやっていける日本のサッカー界のレベルとは・・・
たとえば、前出のブラジルのネイマールは武藤と同年齢だという。ネイマールはブラジル代表のキャプテンをはっているのだが、彼が大学生であることはおよそ考えつかない。プロフェッショナルスポーツのアスリートは年齢も学歴も関係ない。その分野でとにかく一流であることだ。だから武藤が大学生でバイトでサッカーをやっていることを非難するのではない。学生とプロサッカー選手を両立できる日本のプロサッカー界が不思議なだけなのだ。世界のサッカーリーグはそんなに甘くはないだろう。ましてやブラジル代表とバルセロナのレギュラーと、大学生を両立できるはずがない。
武藤が代表で「輝いている」現実が、日本のサッカーの最高峰リーグであるJリーグの低レベルを象徴している。だから、武藤に続く、MF柴崎、MF森岡、FW小林、DF塩谷のレベルも押して知るべし。
アギーレのここまでの功績は、日本代表が弱いことを白日の下に晒したこと
それにしてもアギーレは正直な人物のようだ。かつての代表監督ではできないような選手起用を行った。アギーレは、ブラジル戦に臨むにあたって、移動でコンディションの悪い海外組主力を思い切って外した。その結果明らかになったことは、いや、アギーレが明らかにしたことは、先述のとおりの日本代表の惨状にほかならない。アギーレは、日本のサッカーファン、いや日本代表に期待する日本国民に対して、日本代表のレベルの低さを明らかにした。日本のみなさま、日本のサッカーの実力はこの程度ですよ、過剰な期待をされては困りますよ、世界レベルとは、こんなにも開きがありますよ――というわけだ。これまでの代表監督は、サッカー協会、広告代理店(TVメディア)、スポンサーの手前、この事実を隠し続けてきた。
「岡崎中心」の日本代表をつくるしかない
では、ここまで弱体化した日本代表をどう再建したらいいのか。これはかなり難しい課題とはいえ、アジア杯は目前に迫り、そこで結果を出さなければ先に進まない。
奇策、奇手はない。現状の駒のなかで最強チームをつくるしかない。まず考えられるのは、前出のとおり、フィジカル的に強く、好調を維持し、しかも高いモチベーションをも維持しているFW岡崎を攻撃の中心、というよりも、チームの中心とするしかない。彼の闘争心、諦めない姿勢、運動量の多さをもって、チームを引っ張るしかない。岡崎の性格にキャプテンシーが備わっているか否かについては、会ったことがないのでわからないが、いま日本代表に必要なものすべてもっているのが岡崎であることだけは間違いない。
アジア相手ならば高さのあるハーフナーも武器になるはず
戦術的には、岡崎をワントップとするかサイドにおくかが第一の選択。筆者の見方では、アギーレが4-3-3を貫くと仮定するならば、ワントップに長身FWハーフナーをおいて、高さを武器としたい。長身選手が少ないアジア相手ならば、ハーフナーの高さは機能する。アギーレはハーフナーを招集しながら使わなかった。このことは疑問として残る。
本田はイタリアで結果を出しているのでそのまま右。岡崎は左となる。アンカーは「守備の職人」と言われる細貝で鉄板。
問題は細貝の前の列。どうもここが人材難のようだ。柴崎、森岡、田中、小林には情熱が感じられない。彼らに頑張ってもらうか、新たな戦力を探すしかないのだが、決め手となる選手はいない。強いて挙げれば、米本拓司(FC東京)か。
香川がこのポジションで真価を発揮するとも思えないので、香川は4-2-3-1に変化するまで控えになる。
SBは左が長友、右が内田。内田が代表引退ならば酒井高で仕方がない。酒井高のクロスの精度は大いに問題だが。
日本最大の弱点CBは、カテゴリーにこだわらず若手に切り替えろ
SBは森重、鈴木、水本らをそろそろ見切る必要がある。年功序列を排して、A代表に西野貴治(G大阪)、岩波拓也(神戸)、植田直通(鹿島)らを早く合流させたほうがいい。U21、U23、五輪といったカテゴリーにこだわりすぎるのは、日本サッカーの悪弊である。ブラジル戦の経験を彼らにこそ積ませたかった。
ブラジル戦で明らかになった日本代表の惨状。ここから立ち直るには、ディスパレートな精神力をもった選手を代表にできるだけ多く呼ぶ以外にない。
2014年10月5日日曜日
テレビ映画『ヒットラー』
昨日偶然だが、CATVでTV映画『ヒットラー』(原題:Hitler: The Rise of Evil、2003年、カナダ・CBCとアメリカ合衆国・CBSの制作)を見た。このTV映画がどこまでヒットラー及びナチズムの真実を伝えるものなのかは検証できないものの、事実だと仮定したうえで現代日本の情況と突き合わせてみると、今日の日本の危機が見えてきた。日本がファシズム到来に差し掛かっている現実に改めて驚愕した。
第一次大戦に従軍して負傷してドイツに戻ったヒットラー。彼が最初に接触した政治団体がドイツ労働者党であった。同党は後年、ヒットラーが党首に就任し国家社会主義ドイツ労働者党(以下「ナチ党」と略記)に改名された。ヒットラーが入党した当時、同党は数十人の愛国主義者党員で構成されていたにすぎなかった。
ヒットラーが同党の集会で最初に行った演説が、いまで言うところの“ヘイト・スピーチ”。演説といっても、小さなビアホールで開かれたもので、聴衆も十数人程度のものだったのだが。そこでヒットラーはドイツの純潔とユダヤ人及びユダヤ人に操られたとする共産主義者、社会主義者、社民主義者の排斥を訴えた。
ヒットラーの演説会は回を重ねていくうちに聴衆を集め、支持者を増やしていく。演説の内容はともかく、その訴求力は尋常でなく、彼は政治家として存在感を増していく。ヒットラーの排外主義と愛国主義は、敗戦とベルサイユ条約の巨額補償で疲弊したドイツ経済の下で呻吟する労働者、若者といった底辺層と、ドイツ経済の復興利権を独占しようと企む富裕層(ブルジュアジー)の支持を集めた。経済的に相反する底辺層と富裕層がヒットラーを支持したということは、日本の安倍政権(アベノミクス)が底辺層と富裕層に支持されている実態と重なり合う。
ヒットラーの台頭に危機を覚える知識人、言論人は少なくなかった。映画ではヒットラーに生命をかけて抵抗した新聞人(フリッツ・ゲルリッヒ)が主役である。ゲルリッヒはヒットラーが石油利権で英国と通じていたスキャンダルを暴いたところでナチ党に強制収容所に送られ、処刑される。
また、ヒットラーが反逆罪で収監されていたときに執筆した自伝『わが闘争』は、ヒットラーの台頭に利権を求めて近づいた穏健派出版人が請負わされる。ヒットラーに近づきすぎ、その狂気に危険を察した出版人は、妻をヒットラーに奪われ、英国に脱出する。ヒットラーが言論界、出版界をコントロールしていく様子は鬼気迫るものがある。
今日の日本では朝日新聞が「従軍慰安婦誤報問題」で謝罪をし、安倍政権にひれ伏した。併せて、朝日新聞OBの大学人が就職先の大学を追われる大事件が起きているが、メディアはその危機を伝えようとしない。右翼系週刊誌・月刊誌が排外主義を喧伝し、書店も排外主義者の著作物であふれている。TVメディアは事実上、安倍批判を自粛している。
メディア業界にあっては、公共放送の責任者は排外主義者が安部政権の意向で就任した。大手広告代理店は安倍政権の利益を代表する編成をTV局に強いている。新聞メディアの社主は安倍政権に従順な者で占められ、批判記事は掲載しない。右翼系出版社は「左翼叩き」「赤狩り」に地道を上げ、朝日新聞を血祭りに上げていて、そこを地盤にした排外主義的「知識人」が戦前の日本帝国主義を賛美し、嫌韓、嫌中を煽っている。産業界は大企業優遇政策実現のために、無批判的に安倍政権に大規模な政治資金を提供することを決めている。
ヒットラーの権力奪取の過程は、順風満帆ではなかった。反逆罪で短期だが収監されたこともあった。また、議会、憲法、大統領(ヒンデンブルク)に代表される伝統的権力とも衝突を繰り返した。盟友関係にあった突撃隊との内ゲバ(粛清)も経験している。ヒットラーはその都度、陰謀(国会議事堂放火事件等)、議場退出による議会麻痺戦術等を駆使し、決められない政治(=議会)の無力を国民に訴求しつつ、「全権委任法」を国会で承認させたところで映画は終わる。ヒットラーの「全権委任法」は、憲法を無視し議会の議論を経ずに閣議決定で政策を進める安倍政権の政治手法と近似する。
ヘイト・スピーチ、排外主義、言論弾圧、陰謀・謀略、憲法・議会の無視(全権委任法)等と並べてみると、いまの日本がワイマル共和国下のヒットラーの政治手法を繰り返していることに気づく。また、ナチスの台頭とシンクロしてドイツの野党勢力が衰退していくことも同じような現象だ。
だが、ヒットラーと安倍政権はまるで同じというわけではない。安倍は民主党政権の自壊から合法的に政権をとっている。民主党政権をワイマル共和国にアナロジーする見方もないわけではないが、ヒットラーのように暴力的に血みどろの権力闘争を繰り広げて権力奪取をしたわけではない。そこが違いであり、それゆえの怖さなのだ。
一見して民主的、合法的、非暴力的ファシズムであり、自身に熱狂的支持を伴わない、静的なファシズム支配の進行だ。しかし裏側では、ネットメディアにより周知された事実として、安倍及び現政権の中枢は排外主義勢力と地下水脈で親密な関係がある。合法領域では、安倍政権を支持する野党の一部には排外主義者、植民地主義者、軍国主義者が結集して、外側から安倍政権を支えようとしている。
日本が敗戦を犠牲にして獲得した平和主義と民主主義は、いま大きな危機にある。
ヒットラーの演説はヘイト・スピーチで始まった
第一次大戦に従軍して負傷してドイツに戻ったヒットラー。彼が最初に接触した政治団体がドイツ労働者党であった。同党は後年、ヒットラーが党首に就任し国家社会主義ドイツ労働者党(以下「ナチ党」と略記)に改名された。ヒットラーが入党した当時、同党は数十人の愛国主義者党員で構成されていたにすぎなかった。
ヒットラーが同党の集会で最初に行った演説が、いまで言うところの“ヘイト・スピーチ”。演説といっても、小さなビアホールで開かれたもので、聴衆も十数人程度のものだったのだが。そこでヒットラーはドイツの純潔とユダヤ人及びユダヤ人に操られたとする共産主義者、社会主義者、社民主義者の排斥を訴えた。
ヒットラーの演説会は回を重ねていくうちに聴衆を集め、支持者を増やしていく。演説の内容はともかく、その訴求力は尋常でなく、彼は政治家として存在感を増していく。ヒットラーの排外主義と愛国主義は、敗戦とベルサイユ条約の巨額補償で疲弊したドイツ経済の下で呻吟する労働者、若者といった底辺層と、ドイツ経済の復興利権を独占しようと企む富裕層(ブルジュアジー)の支持を集めた。経済的に相反する底辺層と富裕層がヒットラーを支持したということは、日本の安倍政権(アベノミクス)が底辺層と富裕層に支持されている実態と重なり合う。
ヒットラーに抵抗した新聞人は収容所で処刑された
ヒットラーの台頭に危機を覚える知識人、言論人は少なくなかった。映画ではヒットラーに生命をかけて抵抗した新聞人(フリッツ・ゲルリッヒ)が主役である。ゲルリッヒはヒットラーが石油利権で英国と通じていたスキャンダルを暴いたところでナチ党に強制収容所に送られ、処刑される。
また、ヒットラーが反逆罪で収監されていたときに執筆した自伝『わが闘争』は、ヒットラーの台頭に利権を求めて近づいた穏健派出版人が請負わされる。ヒットラーに近づきすぎ、その狂気に危険を察した出版人は、妻をヒットラーに奪われ、英国に脱出する。ヒットラーが言論界、出版界をコントロールしていく様子は鬼気迫るものがある。
今日の日本では朝日新聞が「従軍慰安婦誤報問題」で謝罪をし、安倍政権にひれ伏した。併せて、朝日新聞OBの大学人が就職先の大学を追われる大事件が起きているが、メディアはその危機を伝えようとしない。右翼系週刊誌・月刊誌が排外主義を喧伝し、書店も排外主義者の著作物であふれている。TVメディアは事実上、安倍批判を自粛している。
メディア業界にあっては、公共放送の責任者は排外主義者が安部政権の意向で就任した。大手広告代理店は安倍政権の利益を代表する編成をTV局に強いている。新聞メディアの社主は安倍政権に従順な者で占められ、批判記事は掲載しない。右翼系出版社は「左翼叩き」「赤狩り」に地道を上げ、朝日新聞を血祭りに上げていて、そこを地盤にした排外主義的「知識人」が戦前の日本帝国主義を賛美し、嫌韓、嫌中を煽っている。産業界は大企業優遇政策実現のために、無批判的に安倍政権に大規模な政治資金を提供することを決めている。
全権委任法で憲法、議会を無力化
ヒットラーの権力奪取の過程は、順風満帆ではなかった。反逆罪で短期だが収監されたこともあった。また、議会、憲法、大統領(ヒンデンブルク)に代表される伝統的権力とも衝突を繰り返した。盟友関係にあった突撃隊との内ゲバ(粛清)も経験している。ヒットラーはその都度、陰謀(国会議事堂放火事件等)、議場退出による議会麻痺戦術等を駆使し、決められない政治(=議会)の無力を国民に訴求しつつ、「全権委任法」を国会で承認させたところで映画は終わる。ヒットラーの「全権委任法」は、憲法を無視し議会の議論を経ずに閣議決定で政策を進める安倍政権の政治手法と近似する。
ヘイト・スピーチ、排外主義、言論弾圧、陰謀・謀略、憲法・議会の無視(全権委任法)等と並べてみると、いまの日本がワイマル共和国下のヒットラーの政治手法を繰り返していることに気づく。また、ナチスの台頭とシンクロしてドイツの野党勢力が衰退していくことも同じような現象だ。
表は合法、裏は非合法の安部政権の二重の顔
だが、ヒットラーと安倍政権はまるで同じというわけではない。安倍は民主党政権の自壊から合法的に政権をとっている。民主党政権をワイマル共和国にアナロジーする見方もないわけではないが、ヒットラーのように暴力的に血みどろの権力闘争を繰り広げて権力奪取をしたわけではない。そこが違いであり、それゆえの怖さなのだ。
一見して民主的、合法的、非暴力的ファシズムであり、自身に熱狂的支持を伴わない、静的なファシズム支配の進行だ。しかし裏側では、ネットメディアにより周知された事実として、安倍及び現政権の中枢は排外主義勢力と地下水脈で親密な関係がある。合法領域では、安倍政権を支持する野党の一部には排外主義者、植民地主義者、軍国主義者が結集して、外側から安倍政権を支えようとしている。
日本が敗戦を犠牲にして獲得した平和主義と民主主義は、いま大きな危機にある。
2014年10月3日金曜日
『存在論的政治――反乱・主体化・階級闘争』
●市田良彦〔著〕 ●航思社 ●4200円+税
本書の副題「反乱・主体化・階級闘争」から連想されるような、マルクス革命論の再解釈ではなく、主に「1968年革命」以降、ヨーロッパにおいて花開いたポストモダニズムの共産主義思想に係る論考によって構成されている。
著者(市田良彦)はフランスにおいて、「マルチチュード」という思想誌の編集委員を務めていたとのこと。雑誌名“マルチチュード”とはいうまでもなく、ポストモダンの共産主義者の代表格、アントニオ・ネグリが提唱した革命主体の名称であり、同名の書物もある。著者(市田良彦)はネグリには強い影響を受けているようで、本書にはネグリ論が数本おさめられている。
ところで、マルクス主義を通過した者であるならば、本題にある〈存在〉と〈政治〉という言葉から、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』の以下のような言説を連想するのではないか。
復習の意味で、マルクスのこれらの言説をとりあえず頭に入れておこう。さて、存在論的政治とはなんなのか――本書の帯にも書き抜かれている「まえがき」から引用する。
著者(市田良彦)の立場は明確である。「フォイエルバッハは宗教的本質を人間的本質に解消させる。しかし人間的本質はなにも個々の個人に内在する抽象体ではない。その現実においてそれは社会的諸関係の総和(ensemble)である」(前掲書/P237)、「哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきたにすぎない。たいせつなのはそれを変更することである。」(同/P238)。
存在論的政治とは――下部が上部を決定するという「決定論」を排したうえでだが――マルクスの言葉を言い換えたようなもののように感じる。
本書の副題「反乱・主体化・階級闘争」から連想されるような、マルクス革命論の再解釈ではなく、主に「1968年革命」以降、ヨーロッパにおいて花開いたポストモダニズムの共産主義思想に係る論考によって構成されている。
著者(市田良彦)はフランスにおいて、「マルチチュード」という思想誌の編集委員を務めていたとのこと。雑誌名“マルチチュード”とはいうまでもなく、ポストモダンの共産主義者の代表格、アントニオ・ネグリが提唱した革命主体の名称であり、同名の書物もある。著者(市田良彦)はネグリには強い影響を受けているようで、本書にはネグリ論が数本おさめられている。
ところで、マルクス主義を通過した者であるならば、本題にある〈存在〉と〈政治〉という言葉から、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』の以下のような言説を連想するのではないか。
意識(Bewusstsein)とは決して意識的存在(das bewusste Sein)以外のものではありえず、そして人間の存在とはかれらの現実的な生活過程である。(P32)
* *
意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する。(P33)
* *
意識ははじめからすでに一つの社会的な産物であり、そして一般に人間が存在するかぎりそうであるあるほかない。(P38)
* *
もし幾百万のプロレタリアがかれらの生活関係に決して満足を感じないならば、またもしかれらの『存在』(Sein)がかれらの〔・・・〕現実において、そして実践的唯物論者すなわち共産主義者にとって大切なのは、現存する世界を革命し、既成の事物を攻撃し変更することである。(P59)〔岩波文庫版〕
復習の意味で、マルクスのこれらの言説をとりあえず頭に入れておこう。さて、存在論的政治とはなんなのか――本書の帯にも書き抜かれている「まえがき」から引用する。
存在論的政治。すなわち、我々の生のあり方全般を深く拘束すると同時に、種別的にひとつの政治であることを手放さない政治。それは、生そのものを哲学的に考察すればことさら主題化しなくてすむ政治ではない。問題はつまり、文化や文明や経済や歴史、その他なんらかの人間的事象に置き換えれば「本質」を見極めることのできる「現象」ではない。もちろん、政治はいつでも表層的なものだ。・・・存在論的政治とは、現在の私にとって、この表層と深層が分岐する地点において生じる問題の名前にほかならない。それは、存在論的に「深い」次元が決定するような政治のあり方を指すわけではないのである。(P1~2)(略)存在論的政治は、積極的に日和見主義なのである。実践的には何も決定されていない、という原理から出発して、決定の方向を「世界」――生であれ経済であれ構造であれ――に対しそのつど問おうとする。どれだけ持続するのか分からない「世界の今」の傾向に寄り添おうとする。方向-傾向の特殊な「形態」を、表層と深層のあいだ、分岐点そのものに取らせる「歴史」を見ようとする。下部からの決定力が政治に特定の枠のなかにとどまらせることを許さないから、存在論的政治は固有の歴史をもつのだ。本書はこの歴史のなかにあるかぎりでの現在――主として1968年にはじまる――についても語ろうとするだろう。政治について「本質」から「歴史」へと視点を移動させ、「歴史」的分岐点を表層と深層のあいだに見定め、そこに「実践」を定位させることもまた、存在論的政治は求めている。(P4)(略)存在論的政治は、万人の救済と転生を信じる一個の狂気である。(P6)
著者(市田良彦)の立場は明確である。「フォイエルバッハは宗教的本質を人間的本質に解消させる。しかし人間的本質はなにも個々の個人に内在する抽象体ではない。その現実においてそれは社会的諸関係の総和(ensemble)である」(前掲書/P237)、「哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきたにすぎない。たいせつなのはそれを変更することである。」(同/P238)。
存在論的政治とは――下部が上部を決定するという「決定論」を排したうえでだが――マルクスの言葉を言い換えたようなもののように感じる。
2014年10月1日水曜日
2014年9月30日火曜日
御嶽山の噴火と火山噴火予知連絡会の無力
木曽の御嶽山が火山爆発し、登山中の多くの方々が犠牲になられた。心よりお悔やみ申し上げます。
それにしても許しがたいのが火山噴火予知連絡会という火山研究者集団。TVにその長と思われる者が登場し、ヌケヌケと、「水蒸気噴火は予知できない」という意味の発言をしていた。おいおい、そんな話は初めて聞くぞ、予知できないのならば常日頃から、そのことを広く明らかにしておくべきではないのかい――無責任極まりない。
同連絡会は気象庁の外郭か。そこにどれくらいの税金が投入されているか知らないが、水蒸気噴火が予知できないのならば、火山噴火はすなわち予知できないということに等しい。富士山、箱根山、三原山・・・関東地方に住む筆者の近くには、噴火の可能性がある火山が少なくないことを意味しないか。しかもそれらはかなり身近な存在だ。なかで富士山がその代表的存在。2013年に世界遺産に登録され、海外からも観光登山者が増加している。
登山はそもそも趣味の範疇にある。個人の趣味を強制的に奪うことはできない。登山には、悪天候、落石、滑落等に起因する事故もある。だから、登山者はそれらに対する備えをする。火山噴火が予知できないことが登山者に周知されていれば、火山に登る場合の必携品としてゴーグル、ヘルメット等が常識となっていた可能性もあるし、そんなもの要らないという登山家もいたことだろう。携行品にも強制は及ばない。ゴーグルやヘルメットを携行していても、火山爆発の規模や遭遇場所によって、死亡しないわけではない。ガスマスクというところまではいかないだろう。しかしそれでも、火山に登ることの覚悟はできた。噴火に遭遇する可能性はゼロではないのだと。
さて、今冬にも再稼働するとされる九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の近くには、頻繁に噴火する桜島がある。今回の噴火以前、桜島が噴火する可能性は、筆者の素人認識では、御嶽山より高かった。たまたま、御嶽山のほうが早くに大規模噴火したまでだ。
安倍政権と同連絡会ははもちろん、今回の噴火があっても、川内原発の再稼働を強行するだろう。噴火の予知できない火山と、事故が起きても制御不能な原発の取り合わせほど、不気味なものはない。
3.11に代表される大地震及び大津波、大型台風、局地的集中豪雨、土砂崩れ、河川の氾濫、そして火山噴火と、日本列島は災害列島と化している。気候(気象)変動と地層・地殻の変動がいま同時的に日本列島を襲っている。しかも、科学はほぼなすすべを知らない。自然に対して人間の知が及ばないのは仕方がない。が、せめて自然現象の研究に従事する者(川内原発再稼働に関しては、火山噴火予知連絡会)は、謙虚に自分たちの知の限界を語ってほしい。自然現象を予知できないことは恥ではない。予知できないことを告白しないことの方が罪が重い。科学の限界を素直に語ることが、科学者の最低限のモラルというものだ。
人間が生み出しながら、人間が制御できない原子力発電所については、人間の知(=技術)がその制御を可能とするまで、稼働は控えるべきだ。少なくとも、地震予知及び火山噴火予知ができないという前提において、それに従事する科学者・専門家と呼ばれる者は、知の限界を体現する者として、原発の再稼働については反対の立場を表明することが期待される。
それにしても許しがたいのが火山噴火予知連絡会という火山研究者集団。TVにその長と思われる者が登場し、ヌケヌケと、「水蒸気噴火は予知できない」という意味の発言をしていた。おいおい、そんな話は初めて聞くぞ、予知できないのならば常日頃から、そのことを広く明らかにしておくべきではないのかい――無責任極まりない。
同連絡会は気象庁の外郭か。そこにどれくらいの税金が投入されているか知らないが、水蒸気噴火が予知できないのならば、火山噴火はすなわち予知できないということに等しい。富士山、箱根山、三原山・・・関東地方に住む筆者の近くには、噴火の可能性がある火山が少なくないことを意味しないか。しかもそれらはかなり身近な存在だ。なかで富士山がその代表的存在。2013年に世界遺産に登録され、海外からも観光登山者が増加している。
登山はそもそも趣味の範疇にある。個人の趣味を強制的に奪うことはできない。登山には、悪天候、落石、滑落等に起因する事故もある。だから、登山者はそれらに対する備えをする。火山噴火が予知できないことが登山者に周知されていれば、火山に登る場合の必携品としてゴーグル、ヘルメット等が常識となっていた可能性もあるし、そんなもの要らないという登山家もいたことだろう。携行品にも強制は及ばない。ゴーグルやヘルメットを携行していても、火山爆発の規模や遭遇場所によって、死亡しないわけではない。ガスマスクというところまではいかないだろう。しかしそれでも、火山に登ることの覚悟はできた。噴火に遭遇する可能性はゼロではないのだと。
さて、今冬にも再稼働するとされる九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の近くには、頻繁に噴火する桜島がある。今回の噴火以前、桜島が噴火する可能性は、筆者の素人認識では、御嶽山より高かった。たまたま、御嶽山のほうが早くに大規模噴火したまでだ。
安倍政権と同連絡会ははもちろん、今回の噴火があっても、川内原発の再稼働を強行するだろう。噴火の予知できない火山と、事故が起きても制御不能な原発の取り合わせほど、不気味なものはない。
3.11に代表される大地震及び大津波、大型台風、局地的集中豪雨、土砂崩れ、河川の氾濫、そして火山噴火と、日本列島は災害列島と化している。気候(気象)変動と地層・地殻の変動がいま同時的に日本列島を襲っている。しかも、科学はほぼなすすべを知らない。自然に対して人間の知が及ばないのは仕方がない。が、せめて自然現象の研究に従事する者(川内原発再稼働に関しては、火山噴火予知連絡会)は、謙虚に自分たちの知の限界を語ってほしい。自然現象を予知できないことは恥ではない。予知できないことを告白しないことの方が罪が重い。科学の限界を素直に語ることが、科学者の最低限のモラルというものだ。
人間が生み出しながら、人間が制御できない原子力発電所については、人間の知(=技術)がその制御を可能とするまで、稼働は控えるべきだ。少なくとも、地震予知及び火山噴火予知ができないという前提において、それに従事する科学者・専門家と呼ばれる者は、知の限界を体現する者として、原発の再稼働については反対の立場を表明することが期待される。
2014年9月19日金曜日
巡礼の道ツアー「旅友」と再会
2003年に参加した、サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の道ツアーの「旅友」と久々に再会した。
再会したのは、65歳で浅草北部教会の牧師になられたOさんはじめ、4人が洗礼を受けている方だった。
話題は信仰について、牧師のお仕事等、教会の内情など、普段は聞かれないものばかり。
なんとも奇妙な食事会となった。
再会したのは、65歳で浅草北部教会の牧師になられたOさんはじめ、4人が洗礼を受けている方だった。
話題は信仰について、牧師のお仕事等、教会の内情など、普段は聞かれないものばかり。
なんとも奇妙な食事会となった。
2014年9月14日日曜日
朝日は謝罪会見で安倍ファシズム政権に恭順の意を表した
朝日新聞社が揺れている。「慰安婦問題」記事及び福島第一原発事故における「吉田調書」の記事において誤報を認め、謝罪会見をしたのだ。前者については実に32年前のことだという。誤報はあってはならないことだから、朝日新聞を擁護することはまったくできないが、筆者は、このたびの朝日の謝罪に違和感を覚えずにはいられない。なぜ、この時期に謝罪会見をしたのだろうか。
昨今、新聞が「社会の木鐸」であるとか、真実を伝える「報道機関」だと信じている人はおそらく少数派だろう。毎朝夕、家庭に配達されるこの不細工な印刷物は、ニュースの量、質、速度の面から考えても、時代にそぐわない。なんでこんなゴミに近い代物を日本人は購読料という形で買ってしまうのか不思議でならない。毎朝、食事をしながら新聞を眺め、政治、文化、家庭、娯楽、スポーツ等に区分された「情報」により、己の行く末に思いをめぐらすのが、日本人の身体化した「思想の形式」なのか。
3.11以降、筆者は新聞をやめた。ところが、家人の強い反対により再び購読し始めた。仕方がない。一度やめて、再び新聞を手にしたときの感慨としては、新聞というのは、印刷物(広告媒体)――しかも、かなり質の悪い――というものであった。
さて、謝罪した朝日新聞社である。日本の一部の知識人の中には、朝日新聞を左派だと信じている人がいる。だから、そのような朝日シンパは、このたびの問題をいま安倍政権の下で勢力を強めている右派(産経、読売、毎日、文春、新潮等)が、左派の頭目である朝日を屈服させようとして言論弾圧を仕掛けたのだと解釈している節がある。
だが、このような見方は、実にくだらない。朝日は左派ではないし、左派であったこともないからだ。アジア太平洋戦争前から開戦後にかけて朝日は戦争推進のキャンペーンをはっていた。開戦後は、大本営発表を垂れ流し続けていた。好戦、開戦、大日本帝国万歳の新聞だったのだ。
ところが敗戦後、こんどは平和と民主主義の旗手に変身した。その間、朝日新聞が戦争責任について国民に謝罪をしたとは聞いていない。
大日本帝国万歳から平和と民主主義への大変身がなぜ可能だったのかと言えば、朝日にはなんの哲学もないからだ。戦後は平和と民主主義の風潮に乗って、厭戦気分の残る日本国民に媚を売り、部数を伸ばしてきたにすぎない。32年前の慰安婦報道は、朝日の戦後の路線の延長線にすぎない。その路線が誤報を生んだのだ。日本の「進歩派」と呼ばれる一部大衆に迎合して、ガサに飛びついたまで。もちろん朝日の目的は部数拡大、拡販である。話題性があって、「進歩派」に受けることで、日本の「知性」を代表し、「平和と民主主義」を守る新聞だというポジションを維持したかったのだ。
原発事故における「吉田調書」報道においても、その名残が認められる。悪いのは「東電」なのだから、叩けば自分たちの株が上がるという思い上がりだ。
だが、かくも傲慢な朝日新聞が、なぜ、いま、謝罪に及んだのだろうか。慰安婦報道では32年間、報道機関の戦争責任という面では70年が過ぎようとしているのに、いまだ謝罪に及んでいない彼らが、なぜ突如、白旗を掲げたのだろうか。
巷間言われているのは、部数減だ。定期購読者の解約が止まらず、部数減に歯止めがかからなくなったらしい。これは朝日最大のピンチ。先述したように、新聞は広告印刷物であるから、部数が減れば広告収入も減額する。だから、謝っておこうという考えか。
もう一つ、筆者の見解にすぎないが、朝日がいよいよ、「進歩派」の看板を下ろそうと決めたのかなと察する。安倍政権が政権発足後から積極的に推進してきた裏の政策の一つにマスメディア封じ込めがあることはよく知られている。うるさいメディアを黙らせること、政権・政策批判をさせないという圧力をマスメディア(新聞、TV)にかけ続けてきた。
そもそも、朝日新聞は(朝日に限らないが)、そのときどきの状況に流される体質をもっている。前出のとおり、“鬼畜米英”から“平和と民主主義”、すなわち、野蛮から進歩への変身くらいはお手の物の新聞である。いまこの期に及んで、「進歩派」から安倍ファシズム政権に擦り寄ることくらいは平気の平左である。つまり、あの朝日新聞社長の謝罪会見は、安倍ファシズム政権に恭順の意を表するパフォーマンスだったのではなかろうか。いわば、朝日は朝日なりに、けじめをつけたのかもしれない。
朝日はかくして、産経、読売、毎日と横一線で並ぶ資格を得たのかもしれない。筆者は朝日新聞を読んでいないので、チェックのしようはないのだが、日本の大新聞すべてが、はっきりと安倍ファシズム政権に取り込まれたのならば、それは誤報よりも恐ろしい事態の到来だと言わねばなるまい。
昨今、新聞が「社会の木鐸」であるとか、真実を伝える「報道機関」だと信じている人はおそらく少数派だろう。毎朝夕、家庭に配達されるこの不細工な印刷物は、ニュースの量、質、速度の面から考えても、時代にそぐわない。なんでこんなゴミに近い代物を日本人は購読料という形で買ってしまうのか不思議でならない。毎朝、食事をしながら新聞を眺め、政治、文化、家庭、娯楽、スポーツ等に区分された「情報」により、己の行く末に思いをめぐらすのが、日本人の身体化した「思想の形式」なのか。
3.11以降、筆者は新聞をやめた。ところが、家人の強い反対により再び購読し始めた。仕方がない。一度やめて、再び新聞を手にしたときの感慨としては、新聞というのは、印刷物(広告媒体)――しかも、かなり質の悪い――というものであった。
さて、謝罪した朝日新聞社である。日本の一部の知識人の中には、朝日新聞を左派だと信じている人がいる。だから、そのような朝日シンパは、このたびの問題をいま安倍政権の下で勢力を強めている右派(産経、読売、毎日、文春、新潮等)が、左派の頭目である朝日を屈服させようとして言論弾圧を仕掛けたのだと解釈している節がある。
だが、このような見方は、実にくだらない。朝日は左派ではないし、左派であったこともないからだ。アジア太平洋戦争前から開戦後にかけて朝日は戦争推進のキャンペーンをはっていた。開戦後は、大本営発表を垂れ流し続けていた。好戦、開戦、大日本帝国万歳の新聞だったのだ。
ところが敗戦後、こんどは平和と民主主義の旗手に変身した。その間、朝日新聞が戦争責任について国民に謝罪をしたとは聞いていない。
大日本帝国万歳から平和と民主主義への大変身がなぜ可能だったのかと言えば、朝日にはなんの哲学もないからだ。戦後は平和と民主主義の風潮に乗って、厭戦気分の残る日本国民に媚を売り、部数を伸ばしてきたにすぎない。32年前の慰安婦報道は、朝日の戦後の路線の延長線にすぎない。その路線が誤報を生んだのだ。日本の「進歩派」と呼ばれる一部大衆に迎合して、ガサに飛びついたまで。もちろん朝日の目的は部数拡大、拡販である。話題性があって、「進歩派」に受けることで、日本の「知性」を代表し、「平和と民主主義」を守る新聞だというポジションを維持したかったのだ。
原発事故における「吉田調書」報道においても、その名残が認められる。悪いのは「東電」なのだから、叩けば自分たちの株が上がるという思い上がりだ。
だが、かくも傲慢な朝日新聞が、なぜ、いま、謝罪に及んだのだろうか。慰安婦報道では32年間、報道機関の戦争責任という面では70年が過ぎようとしているのに、いまだ謝罪に及んでいない彼らが、なぜ突如、白旗を掲げたのだろうか。
巷間言われているのは、部数減だ。定期購読者の解約が止まらず、部数減に歯止めがかからなくなったらしい。これは朝日最大のピンチ。先述したように、新聞は広告印刷物であるから、部数が減れば広告収入も減額する。だから、謝っておこうという考えか。
もう一つ、筆者の見解にすぎないが、朝日がいよいよ、「進歩派」の看板を下ろそうと決めたのかなと察する。安倍政権が政権発足後から積極的に推進してきた裏の政策の一つにマスメディア封じ込めがあることはよく知られている。うるさいメディアを黙らせること、政権・政策批判をさせないという圧力をマスメディア(新聞、TV)にかけ続けてきた。
そもそも、朝日新聞は(朝日に限らないが)、そのときどきの状況に流される体質をもっている。前出のとおり、“鬼畜米英”から“平和と民主主義”、すなわち、野蛮から進歩への変身くらいはお手の物の新聞である。いまこの期に及んで、「進歩派」から安倍ファシズム政権に擦り寄ることくらいは平気の平左である。つまり、あの朝日新聞社長の謝罪会見は、安倍ファシズム政権に恭順の意を表するパフォーマンスだったのではなかろうか。いわば、朝日は朝日なりに、けじめをつけたのかもしれない。
朝日はかくして、産経、読売、毎日と横一線で並ぶ資格を得たのかもしれない。筆者は朝日新聞を読んでいないので、チェックのしようはないのだが、日本の大新聞すべてが、はっきりと安倍ファシズム政権に取り込まれたのならば、それは誤報よりも恐ろしい事態の到来だと言わねばなるまい。
2014年9月3日水曜日
『谷川雁 永久工作者の言霊』
●松本輝夫〔著〕 ●平凡社新書 ●880円(税別)
“かつて「難解王」と呼ばれた”(P8)谷川雁(1923~1995)――は、ある世代の者にとって、伝説の人である。詩人→突然の詩との決別宣言、日本共産党山村工作隊活動家→共産党離党、新左翼革命家、評論執筆、人妻・森崎和江と筑豊・中間への出奔と同棲、労働運動(大正行動隊、大正鉱業退職者同盟)指導者→新左翼運動・労働運動からの完全撤退、すべての表現活動の休止、言語教育会社(テック)重役就任→同社組合弾圧、テック退社、「十代の会」組織化運営、復活・・・
雁の履歴をこうして素描してみても、その実像を明確に把握することは難しい。雁と同世代であり、60年安保闘争を反日共系活動家として共闘した吉本隆明とは、詩作を出発点としたところなど、重なり合う活動領域・思想領域が認められるものの、二人を截然と分けるのは、雁が会社の重役となり、さらに組合弾圧を行った履歴にある。
これまでのところ、雁がテックという会社で具体的にどのような仕事を担い、何を志向していたのかについてはあまり語られることはなかった。テック時代の雁はベールに包まれ、そのことが雁の神秘化、伝説化を助長していた。本書は、テック時代の雁をかなり明確にしている点で、「谷川雁論」として新鮮な位置を占める。
著者・松本輝夫
本書の著者・松本輝夫(1943~)は、東京大学在学中、筑豊・中間にて雁と出会ったことを縁に69年にテック(1985年、ラボ教育センターと社名変更。本稿では知名度の高い「テック」にて通記することとする。)に入社し、同社労働組合活動に従事。その後、雁を追い出す形でテック(ラボセンター)会長に就任し、2008年に同社を退社している。退社後は谷川雁研究会(雁研)を起こして代表に就任。著者の経歴からみて、本書に書かれたテック時代の雁の姿については、信頼性が高いものと考えていい。
本書の構成
そんな雁であるが、彼は革命家であろうとしたときにおいても、マルクス・レーニン主義者ではなかったし、プロレタリア革命を志向したこともなかった。雁が思い描いた革命の主体は、“前プロレタリアート”と彼が呼んだところの炭鉱労働者、貧農民、被差別部落民、在日朝鮮人といった、当時社会の底辺の人々だった。谷川は共産党オルグ(山村工作隊)時代に出会った貧農民や、筑豊・中間への移住によって出会った炭鉱労働者等の中に無政府主義的暴力性を認めた。当時の日本においては、下層大衆の内に暴力的エネルギーが実在していた。雁は彼らに革命の可能性を仮託した。“前プロレタリアート”の原郷を探れば、ソヴィエト(評議会)よりも、アジアの小村(共同体)に行き着く。そういう意味で、雁は革命的ロマン主義者の群れに属していた。
さて、本書の構成は以下の通り。
・第1章:誕生(1923年)から西日本新聞社入社(1945年)まで
・第2章:新聞社入社から筑豊・中間に森崎和江を伴っての移住(1958年)まで
・第3章:中間移住から(株)テック入社(1965年)まで
・第4章:テック時代の雁の仕事(経営・販売・商品化)について
・第5章:テック時代の雁の創作(商品)について
・第6章:テック労組結成(1968)から雁の退社(1980年)の経緯
・第7章:テック退社から死去(1995年)まで
・終 章:3.11以降の日本における雁の意味を問う論考
雁は若くして子どもを亡くしていた
第1~2章の中で注目すべきは、雁が第一子(空也)を雁が27歳の時に亡くしていることである。もちろん、雁が20代半ばで結婚していた可能性も高い。ところが、空也の母(すなわち雁の妻と思われる女性)及び空也の死については、これまでの雁関連の出版物にある経歴、年譜には書いていない。筆者はもちろん本書において初めて知った。この件について著者(松本輝夫)は次のとおり書いている。
表現者が若くして実子を亡くしたということは、そのことを契機として、以降の表現全般に大きな影響を及ぼす。雁の年譜作成におけるこの“大欠落”は、たとえば詩人中原中也が長男文也を亡くした事実を年譜に入れないくらい重い欠落と言わねばならない。中原中也を論ずるに、文也の死を抜きに語れないことは言うまでもないように、雁を論ずるに、空也の死を抜きには語れまい。子どもに対する執着は、雁が後にテックに入社し、子ども向けの言語教材の制作に注力したことと無関係ではあるまい。
雁と中也が亡くした子どもの名前に「也」の字がついているのは、偶然なのだろうか。加えて、雁と森崎和江の関係で言えば、雁は、夫のある森崎を奪ったかたちで筑豊・中間に移住した。中原中也と長谷川泰子の関係と対照すると、雁は中也から泰子を奪った小林秀雄の位置にあった。雁は中也のような“口惜しき人”ではなかった。
もう一つ注目すべきは、雁の兄であり民俗学者の谷川健一の影響である。雁が常に下部(原点)へと志向した思考方法は谷川民俗学に重なる部分もある。なお、雁の幼年期については、自伝『北がなければ日本は三角』(河出書房新書)に詳しい。
テック入社の経緯と雁の仕事
本書の際立った特徴は、前出のとおり、雁のテック時代を明らかにした、第4~6章にある。60年安保闘争において、当時最左派だったブント(共産主義者同盟)を応援し、その後に労働運動を過激に闘った雁が、なぜテックという民間企業に入社し、そこで重役に就任し業績を上げ、かつ自社の労働組合を弾圧し、そして同社から「追放」されたのであろうか。この変節ぶりは雁を論ずるにおいて、もっとも難解な部分だろう。
本書においては、雁がテックに開発部長として入社した経緯はわかる。
では雁はテックでどのような仕事をしたのだろうか。本書における記述を大雑把にまとめると、雁は商品企画開発(物語)、販売網の整備(ラボ運動)を行った。テックとはどんな会社かというと、ラボ機という独特の言語学習機器開発と外国語習得教材の販売である。雁が行った商品開発とは、物語を使って子どもたちに英語を学ばせるというもの。その教材となった物語は、雁自らが原作を超訳して書き上げたものや、雁のオリジナル作品であった。音声吹込みに当たっては、C・W・ニコル、林光、間宮芳生、高松次郎、野見山暁治、江守徹、野村万作、岸田今日子、米倉斉加年らの役者、専門家を起用した。そして、雁のつくった教材は売れたのである。雁が子ども向けの物語に注力したエネルギーの源泉は、前出の空也を亡くした欠損の感覚の穴埋めだったかどうかはわからない。
それだけではない。むしろ販売方法が当時としては斬新で、テックは全国規模で「テューター」と呼ばれる女性英語教師を募集し、教室を開かせ組織化し、そこに子どもを集めて集団で英語を学ばせる方式(「ラボ・パーティー」)をとった。雁の入社後、雁の商品開発と販売網の整備により、テックは大きく業績を伸ばしたという。
さらにテックは東京言語研究所を立ち上げ、ノーム・チョムスキー、ローマン・ヤコブソンといった世界的権威の言語学者を日本に招聘し、『言葉の宇宙』という言語(学)研究誌も創刊した。これらの提案者は雁であろう。テック創業者・榊原一族による雁の採用は経営的には大成功した。
さて、この時代の雁の「成功」を神話化しないためにも、雁の業績を客観的に見直しておこう。雁が制作した教材テープについては、筆者は聞いていないのでその価値を評価できない。ただ、本書のとおりならば、商品のポジショニングとしては、いわゆる「本物指向」「高付加価値化」であり、それが当時の市場に受け入れられたものと考えていい。物語に固執した雁の創作の質については、筆者は評価する力量をもっていないので評価は行わない。
特筆すべきは、雁がつくりあげた販売方式と販売網(=テュータ―によるラボ・パーティー)である。この販売方式は、当時としては最新の方式であったように思われる。日本の高度成長期、アメリカのマーケティングが浸透するにつれ、ホーム・パーティー形式とねずみ講が合体したマルチ商法が流行して今日に至っているが、雁はそれとは無関係にホーム・パーティー販売を組織化した。雁が発案した「ラボ運動」の根源に、雁が九州の山村で組織化を夢想した「サークル村」があったことは確かだろう。
しかしそうであったとしても、雁の思いとは裏腹に、ラボ・パーティーは商品を売るための場であり、革新的なマーケティング技術のひとつの範疇として当時機能していたに過ぎない。
また前出のテックが行った文化事業は現代の経営の用語で言えば、企業メセナである。企業の価値を高めるため、私企業が若手芸術家に対して助成したり、美術館を運営したりするのと同次元にある。雁が当時、自己実現しようと意図した商品開発、商品販売、文化事業等は、いまではあたりまえの経営手法でしかない。
事業の行き詰まりと雁のテック追放
順風満帆だった雁によるテック経営も市場における競争と淘汰の波にさらされる。つまり事業の行き詰まりである。経営の行き詰まりは労使問題として表出する。67年にテック労組が結成され、71年にテック(=雁)は労組を刑事弾圧する。その後もテックの組織混乱は続き、業績も低迷する。そして、79年、雁は榊原一族から解任されかけ、ついには80年、雁は同社を退社する。
雁がテックを出ていかざるを得なくなった理由は、雁が開発した商品が売れなくなったから。言語教育商品の多様化があり、テックの商品が時代に合わなくなったのだろう。雁が経営の一翼を担う者ならば、当然、売れる商品を開発し続けなければならなかった。それまでのラボ・パーティーに依存せず、新しい販売方法を考えなければならなかった。それがテックに従業する労働者に対する経営側(=雁)の義務であり責務であった。ところが、雁は商品ではなく自分の創作に固執した。
テックを私物化した雁
著者(松本輝夫)は雁のテック退社の理由について、(一)経営者で ありオーナーである、榊原一族(とりわけ二代目の陽)との不仲、(二)雁、陽がともに理念優先型で、経営者に求められる計画性、バランス感覚、自己抑制能力を軽んじる傾向が強かったこと、すなわち、雁、陽ともに経営私物化、公私混同の傾向が強かったこと、(三)労使関係のとりかたがなっていなかった――の3点を挙げている。そのうえで著者(松本輝夫)は、雁の経営者失格のエピソードとして、松本健一の『谷川雁 革命伝説』から引用して、次のように書いている。ちょっと長いが、しかも引用の引用だが、雁を知るうえで重要だと思われるので紹介しておこう。
雁が支配したテックはブラック企業だった
第三の労使問題も重要である。著者(松本輝夫)は、「テック労組が・・・賃金政策などをめぐって経営批判することに対して経営者側は過剰なまでの反撃と労組批判を繰り返すのが常だった」(P205)と述懐している。
当時のテックという会社は、いまで言うところのブラック企業そのものである。そして雁はそのブラック企業の経営の中心にいたことになる。雁にとってテックの従業員は何だったのか、雁の夢を実現するための手足にすぎなかったのか。かつて労働運動を指導した「革命家」の正体は、労働者を人間として扱わない、圧殺者であったということか。
元「革命家」の企業経営
筆者の読解力が不足しているからかもしれないのだが、本書を読了しても筆者が読み解けない謎が残っている。それは、雁がなぜ、何を目的として、テックに入社したのか――という点である。テックが制作・販売する商品が子ども向けの言語教材であることは既に書いた。そこに入社し仕事をするということと、雁がこれまで行ってきた運動及び思想とをどのように結びつけようとしたのだろうか。雁がかつて思い描いた革命の主体は“前プロレタリアート”だったはずだ。雁が“前プロレタリアート”を見捨てたのならば、そのことの思想的総括が必要だったのではないか。テックを創設した榊原一族からの入社要請だけで、「革命家」から「会社重役」に移行できるものなのだろうか。
日本においては、共産党員が離党後、会社経営者になることは珍しくない。セゾングループ総帥だった堤清二、読売新聞社主・渡邊恒雄が有名である。堤は経営者と文学者の二足の草鞋を履き、文化事業(セゾン美術館の創設運営等)にも熱心だった。一方の渡邊は、読売グループの「独裁者」と自らを称し、経営者に特化している。雁は渡邊よりもむろん、堤に近い。堤は雁と同じように、企業経営と文化を融合しようとした挙句、経営に行き詰まり、セゾングループから追われた。
雁はテックの言語教材にどのような可能性を求めたのだろうか。本書では「物語」だというが、言語教材の物語とラボ・パーティーが敷衍することによって、雁は日本が変わると夢想したのだろうか。時代は高度成長期とはいえ、雁は言語教材の物語とその販売網の拡大によって日本人が変わると考えられるほどの楽天主義者だったのだろうか。
仮に雁が子ども向けの教材と物語に日本の未来を託したのならば、テックから追い出された(表面上は円満退社)後においても、それに賭けるべきだった。ラボ・テープというメディアを失っても、ガリ版、手書きでいいから、物語をつくり続けるべきだった。ラボ・パーティーという子どもたちへの語りの場を失っても、私塾でいい、寺子屋でいいから、集められる範囲の子どもたちに向けて、物語を発信すべきだった。
大正末から昭和初期生まれの男の人生
私事になるが、筆者には母方におじが3人いた。一番上(1916年生まれ)が中小企業経営者として財を成した。二番目は実家の酒屋を継いだものの放蕩をくりかえし、その挙句に区議会議員になり区議会議長を務めて引退した。一番下(1926年生まれ)は労農派マルクス主義に心酔し組合専従となり、結果、労働貴族となった。引退後は関連団体の相談役や顧問を務めて悠々自適の生活を送った。筆者のおじに詩人はいなかったが、3人ともロマン主義者で、そして「いつも威張って」いた。そして、(雁も)「いつも威張っていた」(鶴見俊輔、森崎和江、矢川澄子らの証言)(P256)らしい。世代的にも雁が1923年生まれだから、同世代と言っていいだろう。
世代論に還元する気はないが、筆者が勝手に描く人間・雁のイメージは、筆者の3人のおじを合体させたようなものとなる。雁は筆者の3人のおじの人生(会社経営、政治運動参加及び組合運動)を合算した以上の人生をたった一人で生きた。むろん、思想性や影響力において、雁と3人のおじとはまったく比較にならないのだが、目指した方向性及び注いだエネルギーの類型としては、けして異なっていないようにも思える。
谷川雁を伝説化してはいけない。その矛盾に満ちた一生を思想として読み通す努力がわれわれにはまだ、残されている。
“かつて「難解王」と呼ばれた”(P8)谷川雁(1923~1995)――は、ある世代の者にとって、伝説の人である。詩人→突然の詩との決別宣言、日本共産党山村工作隊活動家→共産党離党、新左翼革命家、評論執筆、人妻・森崎和江と筑豊・中間への出奔と同棲、労働運動(大正行動隊、大正鉱業退職者同盟)指導者→新左翼運動・労働運動からの完全撤退、すべての表現活動の休止、言語教育会社(テック)重役就任→同社組合弾圧、テック退社、「十代の会」組織化運営、復活・・・
雁の履歴をこうして素描してみても、その実像を明確に把握することは難しい。雁と同世代であり、60年安保闘争を反日共系活動家として共闘した吉本隆明とは、詩作を出発点としたところなど、重なり合う活動領域・思想領域が認められるものの、二人を截然と分けるのは、雁が会社の重役となり、さらに組合弾圧を行った履歴にある。
これまでのところ、雁がテックという会社で具体的にどのような仕事を担い、何を志向していたのかについてはあまり語られることはなかった。テック時代の雁はベールに包まれ、そのことが雁の神秘化、伝説化を助長していた。本書は、テック時代の雁をかなり明確にしている点で、「谷川雁論」として新鮮な位置を占める。
著者・松本輝夫
本書の著者・松本輝夫(1943~)は、東京大学在学中、筑豊・中間にて雁と出会ったことを縁に69年にテック(1985年、ラボ教育センターと社名変更。本稿では知名度の高い「テック」にて通記することとする。)に入社し、同社労働組合活動に従事。その後、雁を追い出す形でテック(ラボセンター)会長に就任し、2008年に同社を退社している。退社後は谷川雁研究会(雁研)を起こして代表に就任。著者の経歴からみて、本書に書かれたテック時代の雁の姿については、信頼性が高いものと考えていい。
本書の構成
そんな雁であるが、彼は革命家であろうとしたときにおいても、マルクス・レーニン主義者ではなかったし、プロレタリア革命を志向したこともなかった。雁が思い描いた革命の主体は、“前プロレタリアート”と彼が呼んだところの炭鉱労働者、貧農民、被差別部落民、在日朝鮮人といった、当時社会の底辺の人々だった。谷川は共産党オルグ(山村工作隊)時代に出会った貧農民や、筑豊・中間への移住によって出会った炭鉱労働者等の中に無政府主義的暴力性を認めた。当時の日本においては、下層大衆の内に暴力的エネルギーが実在していた。雁は彼らに革命の可能性を仮託した。“前プロレタリアート”の原郷を探れば、ソヴィエト(評議会)よりも、アジアの小村(共同体)に行き着く。そういう意味で、雁は革命的ロマン主義者の群れに属していた。
さて、本書の構成は以下の通り。
・第1章:誕生(1923年)から西日本新聞社入社(1945年)まで
・第2章:新聞社入社から筑豊・中間に森崎和江を伴っての移住(1958年)まで
・第3章:中間移住から(株)テック入社(1965年)まで
・第4章:テック時代の雁の仕事(経営・販売・商品化)について
・第5章:テック時代の雁の創作(商品)について
・第6章:テック労組結成(1968)から雁の退社(1980年)の経緯
・第7章:テック退社から死去(1995年)まで
・終 章:3.11以降の日本における雁の意味を問う論考
雁は若くして子どもを亡くしていた
第1~2章の中で注目すべきは、雁が第一子(空也)を雁が27歳の時に亡くしていることである。もちろん、雁が20代半ばで結婚していた可能性も高い。ところが、空也の母(すなわち雁の妻と思われる女性)及び空也の死については、これまでの雁関連の出版物にある経歴、年譜には書いていない。筆者はもちろん本書において初めて知った。この件について著者(松本輝夫)は次のとおり書いている。
それにしても残念なのは、どの谷川雁年譜をみても、かくも大事件であった空也の死が記されていないことだ。それとの関連もある空也の母親との結婚についての記述も皆無。もしかしたら生前の雁が年譜に入れることを頑なに拒んだのかもしれないが、そうだとしても没後作成の年譜においても、結婚はともかく空也の死について触れていないのは、どう考えても大欠落といわねばならない。(P62)
表現者が若くして実子を亡くしたということは、そのことを契機として、以降の表現全般に大きな影響を及ぼす。雁の年譜作成におけるこの“大欠落”は、たとえば詩人中原中也が長男文也を亡くした事実を年譜に入れないくらい重い欠落と言わねばならない。中原中也を論ずるに、文也の死を抜きに語れないことは言うまでもないように、雁を論ずるに、空也の死を抜きには語れまい。子どもに対する執着は、雁が後にテックに入社し、子ども向けの言語教材の制作に注力したことと無関係ではあるまい。
雁と中也が亡くした子どもの名前に「也」の字がついているのは、偶然なのだろうか。加えて、雁と森崎和江の関係で言えば、雁は、夫のある森崎を奪ったかたちで筑豊・中間に移住した。中原中也と長谷川泰子の関係と対照すると、雁は中也から泰子を奪った小林秀雄の位置にあった。雁は中也のような“口惜しき人”ではなかった。
もう一つ注目すべきは、雁の兄であり民俗学者の谷川健一の影響である。雁が常に下部(原点)へと志向した思考方法は谷川民俗学に重なる部分もある。なお、雁の幼年期については、自伝『北がなければ日本は三角』(河出書房新書)に詳しい。
テック入社の経緯と雁の仕事
本書の際立った特徴は、前出のとおり、雁のテック時代を明らかにした、第4~6章にある。60年安保闘争において、当時最左派だったブント(共産主義者同盟)を応援し、その後に労働運動を過激に闘った雁が、なぜテックという民間企業に入社し、そこで重役に就任し業績を上げ、かつ自社の労働組合を弾圧し、そして同社から「追放」されたのであろうか。この変節ぶりは雁を論ずるにおいて、もっとも難解な部分だろう。
本書においては、雁がテックに開発部長として入社した経緯はわかる。
テック創業者一族(榊原巌・千代夫妻、息子の陽等)との縁によって入社した・・・。榊原巌・千代夫妻は篤実なキリスト教社会主義者、・・・二人とも日本社会党党員。千代は国会議員になったこともあり、巌は青山学院大学教授を長く務め、教会共同体の研究者でもあった。・・・この一族が、詩人としての雁、工作者としての闘争歴に相当な関心を寄せていたにちがいない。(P130~131)
では雁はテックでどのような仕事をしたのだろうか。本書における記述を大雑把にまとめると、雁は商品企画開発(物語)、販売網の整備(ラボ運動)を行った。テックとはどんな会社かというと、ラボ機という独特の言語学習機器開発と外国語習得教材の販売である。雁が行った商品開発とは、物語を使って子どもたちに英語を学ばせるというもの。その教材となった物語は、雁自らが原作を超訳して書き上げたものや、雁のオリジナル作品であった。音声吹込みに当たっては、C・W・ニコル、林光、間宮芳生、高松次郎、野見山暁治、江守徹、野村万作、岸田今日子、米倉斉加年らの役者、専門家を起用した。そして、雁のつくった教材は売れたのである。雁が子ども向けの物語に注力したエネルギーの源泉は、前出の空也を亡くした欠損の感覚の穴埋めだったかどうかはわからない。
それだけではない。むしろ販売方法が当時としては斬新で、テックは全国規模で「テューター」と呼ばれる女性英語教師を募集し、教室を開かせ組織化し、そこに子どもを集めて集団で英語を学ばせる方式(「ラボ・パーティー」)をとった。雁の入社後、雁の商品開発と販売網の整備により、テックは大きく業績を伸ばしたという。
さらにテックは東京言語研究所を立ち上げ、ノーム・チョムスキー、ローマン・ヤコブソンといった世界的権威の言語学者を日本に招聘し、『言葉の宇宙』という言語(学)研究誌も創刊した。これらの提案者は雁であろう。テック創業者・榊原一族による雁の採用は経営的には大成功した。
さて、この時代の雁の「成功」を神話化しないためにも、雁の業績を客観的に見直しておこう。雁が制作した教材テープについては、筆者は聞いていないのでその価値を評価できない。ただ、本書のとおりならば、商品のポジショニングとしては、いわゆる「本物指向」「高付加価値化」であり、それが当時の市場に受け入れられたものと考えていい。物語に固執した雁の創作の質については、筆者は評価する力量をもっていないので評価は行わない。
特筆すべきは、雁がつくりあげた販売方式と販売網(=テュータ―によるラボ・パーティー)である。この販売方式は、当時としては最新の方式であったように思われる。日本の高度成長期、アメリカのマーケティングが浸透するにつれ、ホーム・パーティー形式とねずみ講が合体したマルチ商法が流行して今日に至っているが、雁はそれとは無関係にホーム・パーティー販売を組織化した。雁が発案した「ラボ運動」の根源に、雁が九州の山村で組織化を夢想した「サークル村」があったことは確かだろう。
ラボ・パーティーが一挙に全国津々浦々に生まれていくのをみて、雁のなかでは個々のパーティーがかつて日本変革の夢を託した「サークル」と二重写しになっていたのではなかろうか。(P139)
しかしそうであったとしても、雁の思いとは裏腹に、ラボ・パーティーは商品を売るための場であり、革新的なマーケティング技術のひとつの範疇として当時機能していたに過ぎない。
また前出のテックが行った文化事業は現代の経営の用語で言えば、企業メセナである。企業の価値を高めるため、私企業が若手芸術家に対して助成したり、美術館を運営したりするのと同次元にある。雁が当時、自己実現しようと意図した商品開発、商品販売、文化事業等は、いまではあたりまえの経営手法でしかない。
事業の行き詰まりと雁のテック追放
順風満帆だった雁によるテック経営も市場における競争と淘汰の波にさらされる。つまり事業の行き詰まりである。経営の行き詰まりは労使問題として表出する。67年にテック労組が結成され、71年にテック(=雁)は労組を刑事弾圧する。その後もテックの組織混乱は続き、業績も低迷する。そして、79年、雁は榊原一族から解任されかけ、ついには80年、雁は同社を退社する。
雁がテックを出ていかざるを得なくなった理由は、雁が開発した商品が売れなくなったから。言語教育商品の多様化があり、テックの商品が時代に合わなくなったのだろう。雁が経営の一翼を担う者ならば、当然、売れる商品を開発し続けなければならなかった。それまでのラボ・パーティーに依存せず、新しい販売方法を考えなければならなかった。それがテックに従業する労働者に対する経営側(=雁)の義務であり責務であった。ところが、雁は商品ではなく自分の創作に固執した。
テックを私物化した雁
著者(松本輝夫)は雁のテック退社の理由について、(一)経営者で ありオーナーである、榊原一族(とりわけ二代目の陽)との不仲、(二)雁、陽がともに理念優先型で、経営者に求められる計画性、バランス感覚、自己抑制能力を軽んじる傾向が強かったこと、すなわち、雁、陽ともに経営私物化、公私混同の傾向が強かったこと、(三)労使関係のとりかたがなっていなかった――の3点を挙げている。そのうえで著者(松本輝夫)は、雁の経営者失格のエピソードとして、松本健一の『谷川雁 革命伝説』から引用して、次のように書いている。ちょっと長いが、しかも引用の引用だが、雁を知るうえで重要だと思われるので紹介しておこう。
75年3月、かつて『試行』を一緒に起こした三名のうちの一人でもあった村上一郎が自刃した際の通夜の晩のこと。埴谷雄高や吉本隆明らと10年ぶりに再会し、二次会は夜中の3時すぎまで続いたのだが、その飲み会が解散した際、松本健一に対して「ぼくは会社の車を待たせてあるから一緒に乗っていかないか」と誘って同乗させてくれたという。(谷川雁 革命伝説)
このくだりを目にしたとき、筆者(松本輝夫)はただちに雁は経営者として一番やってはいけないことをやっているのだなとやる瀬なく思ったものである。個人的な通夜参加に運転主付きの社用車で参加した挙句、延々と夜中の3時すぎまで待機させておくなんて経営者の風上にもおけないではないかと。しかも矢川澄子(翻訳家。雁を「神様」と敬愛して後に黒姫の雁宅近くに移住)の年譜をみると、松本健一をどこかで降ろした後には、なんと明け方彼女宅にも押しかけているのだから公私混同の極みだ。(P104~105)
雁が支配したテックはブラック企業だった
第三の労使問題も重要である。著者(松本輝夫)は、「テック労組が・・・賃金政策などをめぐって経営批判することに対して経営者側は過剰なまでの反撃と労組批判を繰り返すのが常だった」(P205)と述懐している。
雁は「ラボ・テープを愛せない者は組織担当であることはできないし、ラボにいることもおかしい」が口癖であり、筆者自身も雁から直接そう言われたことがある。仕事上は原理的に真っ当なことをいってはいるのだが、それが押しつけ、強制となると話は別だ。・・・当時のテックには、賃金政策においては全体として低賃金な上に異常に大幅な査定を実行、人事政策においてはテックの理念への同化が乏しいとみなされた者は干されるといったことが常態化していたのである。(P206)
ともあれ、テックの経営者としての雁には多々問題があったことは否めない事実だ。教育運動家、物語論の語り手、あるいはラボ・テープ制作者としての雁は神がかり的なひらめきとパワー、オルガナイザー能力を縦横に発揮してラボ教育活動の礎を築いたのだが、中小企業経営者としての雁には(本当はこう簡単には腑分けできないのだが)必要不可欠な器量の不足、そして不要な過剰や逸脱が山ほどあったということになろう。謎と矛盾のかたまり谷川雁の宿業であったというべきか。(P213)
当時のテックという会社は、いまで言うところのブラック企業そのものである。そして雁はそのブラック企業の経営の中心にいたことになる。雁にとってテックの従業員は何だったのか、雁の夢を実現するための手足にすぎなかったのか。かつて労働運動を指導した「革命家」の正体は、労働者を人間として扱わない、圧殺者であったということか。
元「革命家」の企業経営
筆者の読解力が不足しているからかもしれないのだが、本書を読了しても筆者が読み解けない謎が残っている。それは、雁がなぜ、何を目的として、テックに入社したのか――という点である。テックが制作・販売する商品が子ども向けの言語教材であることは既に書いた。そこに入社し仕事をするということと、雁がこれまで行ってきた運動及び思想とをどのように結びつけようとしたのだろうか。雁がかつて思い描いた革命の主体は“前プロレタリアート”だったはずだ。雁が“前プロレタリアート”を見捨てたのならば、そのことの思想的総括が必要だったのではないか。テックを創設した榊原一族からの入社要請だけで、「革命家」から「会社重役」に移行できるものなのだろうか。
日本においては、共産党員が離党後、会社経営者になることは珍しくない。セゾングループ総帥だった堤清二、読売新聞社主・渡邊恒雄が有名である。堤は経営者と文学者の二足の草鞋を履き、文化事業(セゾン美術館の創設運営等)にも熱心だった。一方の渡邊は、読売グループの「独裁者」と自らを称し、経営者に特化している。雁は渡邊よりもむろん、堤に近い。堤は雁と同じように、企業経営と文化を融合しようとした挙句、経営に行き詰まり、セゾングループから追われた。
雁はテックの言語教材にどのような可能性を求めたのだろうか。本書では「物語」だというが、言語教材の物語とラボ・パーティーが敷衍することによって、雁は日本が変わると夢想したのだろうか。時代は高度成長期とはいえ、雁は言語教材の物語とその販売網の拡大によって日本人が変わると考えられるほどの楽天主義者だったのだろうか。
仮に雁が子ども向けの教材と物語に日本の未来を託したのならば、テックから追い出された(表面上は円満退社)後においても、それに賭けるべきだった。ラボ・テープというメディアを失っても、ガリ版、手書きでいいから、物語をつくり続けるべきだった。ラボ・パーティーという子どもたちへの語りの場を失っても、私塾でいい、寺子屋でいいから、集められる範囲の子どもたちに向けて、物語を発信すべきだった。
・・・ラボ時代=沈黙・空白期という通説は虚妄でしかないが、しかし、こうした「伝説」が流布したのには他ならぬ雁の責任もきわめて大きいということ。彼自身がこの時代をほとんど封印して語らないままラボ後の人生を過ごしたのであるから、これは結果的には自己伝説化を図ったとみなされてもやむをえまい。(P19)
大正末から昭和初期生まれの男の人生
私事になるが、筆者には母方におじが3人いた。一番上(1916年生まれ)が中小企業経営者として財を成した。二番目は実家の酒屋を継いだものの放蕩をくりかえし、その挙句に区議会議員になり区議会議長を務めて引退した。一番下(1926年生まれ)は労農派マルクス主義に心酔し組合専従となり、結果、労働貴族となった。引退後は関連団体の相談役や顧問を務めて悠々自適の生活を送った。筆者のおじに詩人はいなかったが、3人ともロマン主義者で、そして「いつも威張って」いた。そして、(雁も)「いつも威張っていた」(鶴見俊輔、森崎和江、矢川澄子らの証言)(P256)らしい。世代的にも雁が1923年生まれだから、同世代と言っていいだろう。
世代論に還元する気はないが、筆者が勝手に描く人間・雁のイメージは、筆者の3人のおじを合体させたようなものとなる。雁は筆者の3人のおじの人生(会社経営、政治運動参加及び組合運動)を合算した以上の人生をたった一人で生きた。むろん、思想性や影響力において、雁と3人のおじとはまったく比較にならないのだが、目指した方向性及び注いだエネルギーの類型としては、けして異なっていないようにも思える。
谷川雁を伝説化してはいけない。その矛盾に満ちた一生を思想として読み通す努力がわれわれにはまだ、残されている。
2014年9月2日火曜日
2014年8月22日金曜日
「STAP細胞」問題は終わったのか
あれほど人々の注目を集めた「STAP細胞」騒動も、マスメディアの世界では終息した感が強い。いまではこの問題を取り上げるメディアは皆無に近い。もちろん終息の主因は、キーパーソンだった笹井芳樹の自殺にある。笹井の死後、メディアは、笹井はもちろん、小保方晴子に対する追及を封印した。笹井の自殺は世界的頭脳の損失として惜しまれ、あたかも聖人のごとく崇められ、この問題に対し自死をもって終息を宣言した。
笹井の自殺後、不自然な遺書の公開があり、また、笹井の家族が家族宛の遺書の一部を公開した。どちらの内容も、問題発生の根源に触れるものでない。むしろ、笹井の死があたかもそれを追求したメディアが原因であるかのようなニュアンスを伝えるものだった。乱暴に言えば、笹井はメディアが殺した――というニュアンスを伝えるかのような。
“死者を鞭打たない”というのは、奥ゆかしい規律かもしれない。ましてや、笹井は自らの命をもって償ったという解釈もできる。だから、「STAP細胞」問題は終わったと。
筆者を含めて人々がこの問題に対して急速に興味を失ったのは、人々がそう思うとおりのことがこの問題の真相であることを確信したからだろう。単刀直入に言えば、この問題の張本人は、小保方晴子と笹井芳樹であるということ。
二人は炎のごとく、「STAP細胞」という二人の共同の幻想に取りつかれ、破滅への道を走った。かつて小保方が「STAP細胞」の再現実験に復帰するとき、「自分の子供に会いに行く気分」という意味の発言をしたが、まさに彼女が言ったとおり、「STAP細胞」は笹井と小保方の愛の結晶だった。
笹井が共同の幻想から覚めた時、彼はどうしようもないジレンマに追い込まれていることを自覚した。あの割烹着イベントの発表が終わった後、ネットを中心に「STAP細胞」に関する疑惑が指摘され始め、ふと現実世界に戻ったとき、引き裂かれた自分の立ち位置に絶望した。
論文不正・研究不正の責任を小保方一人に負わせれば、彼女を裏切ることになる。彼は会見で、自分は実験には関与していない、と暗に小保方一人に不正の責任を取らせる立場を明言していた。
だがまてよ、小保方が笹井の無責任さに逆上し、笹井の不正への関与を世間にばらせば、笹井の立場は小保方以上に悪くなる。そればかりではない。小保方の愛を裏切ることになる。笹井は気丈に会見では「自分は関係ない」と主張してみたものの、内心はヒヤヒヤだったのかもしれない。
その一方、笹井が自ら不正への関与を認めれば、彼の研究者としての立場はゼロどころか、学界からの追放は免れない。ノーベル賞候補といわれるまで実績を積み重ねた笹井が、小保方の論文不正、実験不正に手を貸したとなれば、破滅である。
自殺は無念の死である。この問題を機に、研究者としてではなく、ほかの道で生きていこうと考えられるような者には、けして死の誘惑は訪れない。小保方との愛、研究者としての将来――そのどちらも得ていたいという傲慢な我執にとらわれたとき、そして、そのどちらの道も閉ざされたことを悟ったとき、死の誘惑に勝てなかった。
笹井の自殺の原因をなしたのが、『NHKスペシャル-STAP細胞 不正の深層』(以降「Nスぺ」と略記)だったという主張は間違っていない。笹井は、「Nスぺ」をみたとき、観念したのだと思う。つまり、「Nスぺ」が誹謗中傷ではなく、この問題の真相を突いていたから。「もはや言い逃れはできない」というのが笹井の心境だったと想像できる。
同番組の中で笹井と小保方のメール交換を男女の声優が代読したシーンがあった。あれはひどい、という意見もあったようだが、NHKは笹井と小保方の関係について、事実をつかんでいたからこそ、番組で再現できたのだろう。二人の関係を濃密に反映したメールのうち、二人の関係者に配慮して、もっともあたりさわりにないものを選んで。
メディアが不正を追及することは当然である。ただし、きちんとした取材、証拠という裏付けをとったうえでの話。NHKが推測や思い付きで、あれほどの内容を放映するはずがない。NHKは、訴訟に備えられるだけの裏付けをもっていたと考える方が自然である。小保方(弁護団)が放送後、NHKを訴えていないことがその根拠となる。さらに言えば、NHK以外のメディアは、それほどの取材も証拠集めもせず、ただ騒いでいたにすぎないということになる。NHK以外のメディアの追及には平然としていた笹井が、NHKには敏感に反応したのではないか。「Nスぺ」がこの問題の核心を突いたからこそ、当事者にショックを与えたのではないか。
不正を働いた者が、メディアによって真実を明らかにされ、逃げ場がなくなって自殺した――これは誠に残念な結果である。本来ならば、笹井と小保方を雇用していた理研が真相を明らかにし、迅速に二人を処分していたならば、少なくとも自殺者を出すことはなかった。少なくとも、NHKがこのような番組を制作する必要もなかった。
この問題を当事者の一人が自殺したことで終わらせてはいけない。「STAP細胞」に係る発想、実験、実験データ、論文執筆に至る全過程において、何があったのか、まさに不正の深層ならぬ真相を明らかにすることが理研に課せられた課題である。そしてなによりも、もう一人の当事者が、すべてを包み隠さず、その真実を語ることが期待される。
笹井の自殺後、不自然な遺書の公開があり、また、笹井の家族が家族宛の遺書の一部を公開した。どちらの内容も、問題発生の根源に触れるものでない。むしろ、笹井の死があたかもそれを追求したメディアが原因であるかのようなニュアンスを伝えるものだった。乱暴に言えば、笹井はメディアが殺した――というニュアンスを伝えるかのような。
“死者を鞭打たない”というのは、奥ゆかしい規律かもしれない。ましてや、笹井は自らの命をもって償ったという解釈もできる。だから、「STAP細胞」問題は終わったと。
筆者を含めて人々がこの問題に対して急速に興味を失ったのは、人々がそう思うとおりのことがこの問題の真相であることを確信したからだろう。単刀直入に言えば、この問題の張本人は、小保方晴子と笹井芳樹であるということ。
二人は炎のごとく、「STAP細胞」という二人の共同の幻想に取りつかれ、破滅への道を走った。かつて小保方が「STAP細胞」の再現実験に復帰するとき、「自分の子供に会いに行く気分」という意味の発言をしたが、まさに彼女が言ったとおり、「STAP細胞」は笹井と小保方の愛の結晶だった。
笹井が共同の幻想から覚めた時、彼はどうしようもないジレンマに追い込まれていることを自覚した。あの割烹着イベントの発表が終わった後、ネットを中心に「STAP細胞」に関する疑惑が指摘され始め、ふと現実世界に戻ったとき、引き裂かれた自分の立ち位置に絶望した。
論文不正・研究不正の責任を小保方一人に負わせれば、彼女を裏切ることになる。彼は会見で、自分は実験には関与していない、と暗に小保方一人に不正の責任を取らせる立場を明言していた。
だがまてよ、小保方が笹井の無責任さに逆上し、笹井の不正への関与を世間にばらせば、笹井の立場は小保方以上に悪くなる。そればかりではない。小保方の愛を裏切ることになる。笹井は気丈に会見では「自分は関係ない」と主張してみたものの、内心はヒヤヒヤだったのかもしれない。
その一方、笹井が自ら不正への関与を認めれば、彼の研究者としての立場はゼロどころか、学界からの追放は免れない。ノーベル賞候補といわれるまで実績を積み重ねた笹井が、小保方の論文不正、実験不正に手を貸したとなれば、破滅である。
自殺は無念の死である。この問題を機に、研究者としてではなく、ほかの道で生きていこうと考えられるような者には、けして死の誘惑は訪れない。小保方との愛、研究者としての将来――そのどちらも得ていたいという傲慢な我執にとらわれたとき、そして、そのどちらの道も閉ざされたことを悟ったとき、死の誘惑に勝てなかった。
笹井の自殺の原因をなしたのが、『NHKスペシャル-STAP細胞 不正の深層』(以降「Nスぺ」と略記)だったという主張は間違っていない。笹井は、「Nスぺ」をみたとき、観念したのだと思う。つまり、「Nスぺ」が誹謗中傷ではなく、この問題の真相を突いていたから。「もはや言い逃れはできない」というのが笹井の心境だったと想像できる。
同番組の中で笹井と小保方のメール交換を男女の声優が代読したシーンがあった。あれはひどい、という意見もあったようだが、NHKは笹井と小保方の関係について、事実をつかんでいたからこそ、番組で再現できたのだろう。二人の関係を濃密に反映したメールのうち、二人の関係者に配慮して、もっともあたりさわりにないものを選んで。
メディアが不正を追及することは当然である。ただし、きちんとした取材、証拠という裏付けをとったうえでの話。NHKが推測や思い付きで、あれほどの内容を放映するはずがない。NHKは、訴訟に備えられるだけの裏付けをもっていたと考える方が自然である。小保方(弁護団)が放送後、NHKを訴えていないことがその根拠となる。さらに言えば、NHK以外のメディアは、それほどの取材も証拠集めもせず、ただ騒いでいたにすぎないということになる。NHK以外のメディアの追及には平然としていた笹井が、NHKには敏感に反応したのではないか。「Nスぺ」がこの問題の核心を突いたからこそ、当事者にショックを与えたのではないか。
不正を働いた者が、メディアによって真実を明らかにされ、逃げ場がなくなって自殺した――これは誠に残念な結果である。本来ならば、笹井と小保方を雇用していた理研が真相を明らかにし、迅速に二人を処分していたならば、少なくとも自殺者を出すことはなかった。少なくとも、NHKがこのような番組を制作する必要もなかった。
この問題を当事者の一人が自殺したことで終わらせてはいけない。「STAP細胞」に係る発想、実験、実験データ、論文執筆に至る全過程において、何があったのか、まさに不正の深層ならぬ真相を明らかにすることが理研に課せられた課題である。そしてなによりも、もう一人の当事者が、すべてを包み隠さず、その真実を語ることが期待される。
2014年8月12日火曜日
過而不改是謂過矣――笹井芳樹の自殺とモンスター小保方晴子のこれから
過而不改是謂過矣(過ちて改めざる、是を過ちと謂う。)――現代日本の中学生が初めて漢文に接するとき、おそらくこのフレーズを最初に目にするのではないか。出典はもちろん孔子の『論語』で、解釈は、「過ちを犯したことを知っていながらも改めようとしない、これを本当の過ちという。」となる。
はなはだ説教臭い言い回しに辟易する方も多いと思われるものの、このたびの「STAP細胞」問題が笹井芳樹の死という最悪な事態に進展したいま、孔子の言説の重さを改めて痛感するのは、筆者だけであろうか。
小保方晴子の場合
「STAP細胞」の論文に疑義が生じたとき、理研は調査委員会を立ち上げ、論文不正を認定して不正者の処分を理研の懲戒委員会にゆだねた。ところが、小保方弁護団が5月26日、理研の懲戒委員会に弁明書を提出した。弁明書の要旨は、「調査委員会が研究不正の解釈や事実認定を誤っており、調査の過程にも重大な手続違背がある。そのような審査結果を前提に懲戒委員会が諭旨退職及び懲戒解雇を行うならば、その処分は違法となる」という主張である。
小保方晴子(弁護団)が「不服申し立て」を行ったところから、この問題はいわば泥沼化していく。結果的には、このとき小保方が不服申し立てを行わず、その後に出された理研の懲戒委員会の処分を受け入れていれば、ことは決着した。処分→論文撤回という単純な展開である。その後、実験等に係る不正が発覚したとしても、問題は大きくはならなかった。かりに小保方晴子と笹井芳樹の不倫問題が執拗に報道されたとしても、ここまで長引くことはなかった。世間もここまでの関心を払わなかった。
小保方晴子が弁護士を立て、理研と争う姿勢を見せた動機が分からない。小保方の両親の差し金なのか小保方本人の強い意志によるものなのか、それ以外の利害関係者の意志なのか・・・いずれにしても、この「不服申し立て」作戦は最悪の結果を招いたことは誰しもが認めるところだろう。小保方が“過ちて、改めていれば”、笹井の自殺はなかった。
小保方が“改める”機会はもう一回あった。7月2日、雑誌『ネイチャー』論文の取下げに同意したときだ。「論文取下げ」が意味するのは、実験結果もデータもすべて同研究の白紙化である。すなわち、「STAP細胞」は発見も作製もなかったということである。ところが驚いたことに、小保方(弁護団)は論文取下げに同意しながら、「STAP細胞」はあるという主張は取下げなかった。科学界では「論文の取下げに同意する」ということは、前出のとおり、発表された研究すべてが白紙化されたというコードがある。つまり小保方は“同意=改めた”はずなのだが、小保方(弁護団)は「不本意な同意」という、意味不明の抗弁を行った。これぞ、「過而不改是謂過矣」の典型である。
このように小保方が過ちを複数回“改めなかった”ことにより、事態は小保方側にとって悪化してゆく。他の細胞の混入、マウスの差し替えといった、実験過程の不正に係る証拠が次々と挙がってくる。小保方が「籠城」し、担当弁護士が詭弁を弄するたびごとに、小保方側に不利な証拠が報道されるという構造が定着してきたのだ。
こうした構造は、小保方と笹井の関係性にいっそう疑義をもたらす結果を招いた。当初、笹井は小保方に対する、監督責任を問われるだけだった。ところが、小保方の「籠城」により、笹井の不正への関与に係る疑惑が強まった。小保方の「籠城」は、小保方を有利にするどころか、この問題の真相をあぶりだす媒介になった。「STAP細胞」が、小保方と笹井の共同謀議による捏造であるという疑惑を明るみに出す結果となった。
筆者はこの問題の対処について、小保方弁護団に戦略的誤りがあったと考える。小保方弁護団は、落としどころとして、理研との和解を目指していたように思う。つまり、理研が小保方を処分しない方向でこの問題をフェイドアウトさせることである。しかし、事態はそうならないばかりか、問題を一層深刻化させた。弁護団が小保方を擁護するたびごとに、小保方側に不利な情報が流出する。早期解決こそが、傷を少なくする最善策だった、と、結果からは言える。弁護団の「不服申し立て」が小保方の傷を深くし、笹井を死に追いやった。
笹井芳樹の場合
笹井の自殺について改めて考えてみよう。自殺の原因はいろいろある。一つの事柄を思いつめて自殺する場合もあるし、健康問題、借金問題、不倫問題等の複数の要因が重複する場合もある。笹井の場合はどうなのだろうか。
さて、その前に自殺の原因について、「STAP細胞」問題と切り離す説もある。いわゆる「薬物説」である。笹井が心療内科に通院していたとき処方された薬物により、笹井は鬱状態になり、自殺した、というもの。この説について、いまもって心療内科学会から異議が出ていないのが不思議である。この説は心療内科が処方する薬物は、自殺を誘引すると言っているに等しい。にもかかわらず、同学会はこれを積極的に否定しない。同学会が、その可能性を否定できない根拠を隠蔽しているからなのか。
筆者はこの「薬物自殺原因説」を棚上げにしておく。判断する医学的材料をもっていないから。よって、薬物以外の、つまり笹井の精神性に限定して自殺原因を推測する。
(一)自尊心
まず、笹井は「STAP細胞」問題のすべてを知るキーパーソンであったことは何度も書いた。そして笹井ほどの頭脳の持ち主ならば、それが存在しないことも知っていたはずなのだが、笹井は先(4月16日)の会見において、「STAP細胞」の存在可能性を強く主張した。その後、事態の進展に伴い、同細胞に関する疑義が科学界から指摘され、不在の状況的証拠が突きつけられるようになってきて、STAP細胞は、“もはや、ネッシー”とまで揶揄されてしまった。
笹井は科学者としてすべてを失いつつあった。つまり、4月の会見において、“過ちを改めて”さえいれば、ここまで自分を追い込む必要はなかった。報道によると、笹井は会見前、副センター長を辞する旨、理研側に申し出ていたという。つまり、笹井は改める用意があったと推測できる。ところが、実際には、謝罪はしたが「STAP細胞」の捏造については改めなかった。“過ちて、改めざる”ことの恐ろしさを痛感する次第である。
(二)不倫問題
それだけではない。笹井の犯した過ちとして、小保方との個人的関係を無視できない。笹井を追い詰めたのは、小保方晴子との不倫問題であった。この問題の実態が小保方側を含めた他者の口から明らかにされる前に、笹井は自ら命を絶った。エリート特有のプライドというやつか――自分がやってしまったことが芸能人やサラリーマンといった、自分より「下位」にある(と笹井が思っている)人々と同じことだったことを、笹井自身が許容できなかったのである。
笹井は自らの不倫問題について家族に説明したのか、しなかったのか、知る由もないのだが、筆者は、笹井はこの問題について一切改めることはなかった、と推測する。笹井は、この問題を自己嫌悪としてだけ受け止めた。
前出のとおり、自分より下位の者と同じ過ちを犯してしまった、という自己嫌悪である。笹井が不倫問題について家族と向き合い、改めて解決にむけて歩みだしていれば、彼の精神が自殺に向かうことは避けられた。笹井はこの問題から、逃げたのである。不倫問題は、その発生から終局に至るまで、科学的には解決できないからである。
(三)資本、国家、行政との関係の行き詰まり
三番目は、「STAP細胞」問題が国家プロジェクトであること。このことは既に拙Blogにて繰り返し書いてきたので詳述を控える。報道によると、笹井は神戸市のまちづくり及びアベノミックスと深く結びついていたらしい。理研を代表して、資本、地方自治体及び国家との交渉、予算取り等で活躍していたという。しかし、彼がその分野で活躍していたとしても、それは笹井の本分ではなかろう。自己の資質を逸脱した、つまりかなり無理をしていたのだと思う。アカデミズムで育ってきた人間がカネの心配が得意であるはずがない。資本は科学論文を書き上げるように理路整然と進まない。そのうえでの「STAP細胞」問題である。笹井は、資本、行政、国家との関係において、追い込まれていた可能性はある。
しかし、自殺はあくまでも個人の問題であって、資本、権力、他者等が強要できるものではない、と筆者は考える。上から下から周りから、どんな圧力をかけられていたとしても、自殺を選ぶのは当事者であって、他者が人を自殺に追い込むことは相当難しいと筆者は思っている。ある状況に追い込まれたとき、自殺を選ぶ者と選ばない者がいる。その人の資質や人間関係、家族関係等の状況が左右する。社会的地位、自尊心等も関与するかもしれない。
だが、どんな状況であれ、自殺は当事者の決意なしではなし得ない。笹井芳樹は、「過而不改是謂過矣」のまま、自ら命を絶った。つまり、笹井は自らの生命をもって、改めたのであろうか。改める方法として自裁があるのだろうか。孔子は残念ながら、そこまでは言及しなかった。
小保方晴子はモンスター
小保方晴子は、「過而不改是謂過矣」が意味する倫理観、道徳観とはおよそ相容れない存在である。だから、自分が「改めざる」が故に生じた最悪の結果(笹井の自死)について考えを及ぼすまい。彼女は善悪を越えた、倫理を越えた、モンスターなのだから。
それゆえ、自己の実験、論文における捏造、不正という過ち、そして、笹井を巻き込み、死に至らせた過ちについて、深刻に考えることもなかろう。小保方はモンスターとして、この先、どのように生きていくつもりなのだろうか。小保方がモンスターから普通の人間に戻る方法は、――それが笹井の死に報いる唯一の方法なのだが、――孔子の言うとおり、「過ちを改める」こと以外にはないのである。
はなはだ説教臭い言い回しに辟易する方も多いと思われるものの、このたびの「STAP細胞」問題が笹井芳樹の死という最悪な事態に進展したいま、孔子の言説の重さを改めて痛感するのは、筆者だけであろうか。
小保方晴子の場合
「STAP細胞」の論文に疑義が生じたとき、理研は調査委員会を立ち上げ、論文不正を認定して不正者の処分を理研の懲戒委員会にゆだねた。ところが、小保方弁護団が5月26日、理研の懲戒委員会に弁明書を提出した。弁明書の要旨は、「調査委員会が研究不正の解釈や事実認定を誤っており、調査の過程にも重大な手続違背がある。そのような審査結果を前提に懲戒委員会が諭旨退職及び懲戒解雇を行うならば、その処分は違法となる」という主張である。
小保方晴子(弁護団)が「不服申し立て」を行ったところから、この問題はいわば泥沼化していく。結果的には、このとき小保方が不服申し立てを行わず、その後に出された理研の懲戒委員会の処分を受け入れていれば、ことは決着した。処分→論文撤回という単純な展開である。その後、実験等に係る不正が発覚したとしても、問題は大きくはならなかった。かりに小保方晴子と笹井芳樹の不倫問題が執拗に報道されたとしても、ここまで長引くことはなかった。世間もここまでの関心を払わなかった。
小保方晴子が弁護士を立て、理研と争う姿勢を見せた動機が分からない。小保方の両親の差し金なのか小保方本人の強い意志によるものなのか、それ以外の利害関係者の意志なのか・・・いずれにしても、この「不服申し立て」作戦は最悪の結果を招いたことは誰しもが認めるところだろう。小保方が“過ちて、改めていれば”、笹井の自殺はなかった。
小保方が“改める”機会はもう一回あった。7月2日、雑誌『ネイチャー』論文の取下げに同意したときだ。「論文取下げ」が意味するのは、実験結果もデータもすべて同研究の白紙化である。すなわち、「STAP細胞」は発見も作製もなかったということである。ところが驚いたことに、小保方(弁護団)は論文取下げに同意しながら、「STAP細胞」はあるという主張は取下げなかった。科学界では「論文の取下げに同意する」ということは、前出のとおり、発表された研究すべてが白紙化されたというコードがある。つまり小保方は“同意=改めた”はずなのだが、小保方(弁護団)は「不本意な同意」という、意味不明の抗弁を行った。これぞ、「過而不改是謂過矣」の典型である。
このように小保方が過ちを複数回“改めなかった”ことにより、事態は小保方側にとって悪化してゆく。他の細胞の混入、マウスの差し替えといった、実験過程の不正に係る証拠が次々と挙がってくる。小保方が「籠城」し、担当弁護士が詭弁を弄するたびごとに、小保方側に不利な証拠が報道されるという構造が定着してきたのだ。
こうした構造は、小保方と笹井の関係性にいっそう疑義をもたらす結果を招いた。当初、笹井は小保方に対する、監督責任を問われるだけだった。ところが、小保方の「籠城」により、笹井の不正への関与に係る疑惑が強まった。小保方の「籠城」は、小保方を有利にするどころか、この問題の真相をあぶりだす媒介になった。「STAP細胞」が、小保方と笹井の共同謀議による捏造であるという疑惑を明るみに出す結果となった。
筆者はこの問題の対処について、小保方弁護団に戦略的誤りがあったと考える。小保方弁護団は、落としどころとして、理研との和解を目指していたように思う。つまり、理研が小保方を処分しない方向でこの問題をフェイドアウトさせることである。しかし、事態はそうならないばかりか、問題を一層深刻化させた。弁護団が小保方を擁護するたびごとに、小保方側に不利な情報が流出する。早期解決こそが、傷を少なくする最善策だった、と、結果からは言える。弁護団の「不服申し立て」が小保方の傷を深くし、笹井を死に追いやった。
笹井芳樹の場合
笹井の自殺について改めて考えてみよう。自殺の原因はいろいろある。一つの事柄を思いつめて自殺する場合もあるし、健康問題、借金問題、不倫問題等の複数の要因が重複する場合もある。笹井の場合はどうなのだろうか。
さて、その前に自殺の原因について、「STAP細胞」問題と切り離す説もある。いわゆる「薬物説」である。笹井が心療内科に通院していたとき処方された薬物により、笹井は鬱状態になり、自殺した、というもの。この説について、いまもって心療内科学会から異議が出ていないのが不思議である。この説は心療内科が処方する薬物は、自殺を誘引すると言っているに等しい。にもかかわらず、同学会はこれを積極的に否定しない。同学会が、その可能性を否定できない根拠を隠蔽しているからなのか。
筆者はこの「薬物自殺原因説」を棚上げにしておく。判断する医学的材料をもっていないから。よって、薬物以外の、つまり笹井の精神性に限定して自殺原因を推測する。
(一)自尊心
まず、笹井は「STAP細胞」問題のすべてを知るキーパーソンであったことは何度も書いた。そして笹井ほどの頭脳の持ち主ならば、それが存在しないことも知っていたはずなのだが、笹井は先(4月16日)の会見において、「STAP細胞」の存在可能性を強く主張した。その後、事態の進展に伴い、同細胞に関する疑義が科学界から指摘され、不在の状況的証拠が突きつけられるようになってきて、STAP細胞は、“もはや、ネッシー”とまで揶揄されてしまった。
笹井は科学者としてすべてを失いつつあった。つまり、4月の会見において、“過ちを改めて”さえいれば、ここまで自分を追い込む必要はなかった。報道によると、笹井は会見前、副センター長を辞する旨、理研側に申し出ていたという。つまり、笹井は改める用意があったと推測できる。ところが、実際には、謝罪はしたが「STAP細胞」の捏造については改めなかった。“過ちて、改めざる”ことの恐ろしさを痛感する次第である。
(二)不倫問題
それだけではない。笹井の犯した過ちとして、小保方との個人的関係を無視できない。笹井を追い詰めたのは、小保方晴子との不倫問題であった。この問題の実態が小保方側を含めた他者の口から明らかにされる前に、笹井は自ら命を絶った。エリート特有のプライドというやつか――自分がやってしまったことが芸能人やサラリーマンといった、自分より「下位」にある(と笹井が思っている)人々と同じことだったことを、笹井自身が許容できなかったのである。
笹井は自らの不倫問題について家族に説明したのか、しなかったのか、知る由もないのだが、筆者は、笹井はこの問題について一切改めることはなかった、と推測する。笹井は、この問題を自己嫌悪としてだけ受け止めた。
前出のとおり、自分より下位の者と同じ過ちを犯してしまった、という自己嫌悪である。笹井が不倫問題について家族と向き合い、改めて解決にむけて歩みだしていれば、彼の精神が自殺に向かうことは避けられた。笹井はこの問題から、逃げたのである。不倫問題は、その発生から終局に至るまで、科学的には解決できないからである。
(三)資本、国家、行政との関係の行き詰まり
三番目は、「STAP細胞」問題が国家プロジェクトであること。このことは既に拙Blogにて繰り返し書いてきたので詳述を控える。報道によると、笹井は神戸市のまちづくり及びアベノミックスと深く結びついていたらしい。理研を代表して、資本、地方自治体及び国家との交渉、予算取り等で活躍していたという。しかし、彼がその分野で活躍していたとしても、それは笹井の本分ではなかろう。自己の資質を逸脱した、つまりかなり無理をしていたのだと思う。アカデミズムで育ってきた人間がカネの心配が得意であるはずがない。資本は科学論文を書き上げるように理路整然と進まない。そのうえでの「STAP細胞」問題である。笹井は、資本、行政、国家との関係において、追い込まれていた可能性はある。
しかし、自殺はあくまでも個人の問題であって、資本、権力、他者等が強要できるものではない、と筆者は考える。上から下から周りから、どんな圧力をかけられていたとしても、自殺を選ぶのは当事者であって、他者が人を自殺に追い込むことは相当難しいと筆者は思っている。ある状況に追い込まれたとき、自殺を選ぶ者と選ばない者がいる。その人の資質や人間関係、家族関係等の状況が左右する。社会的地位、自尊心等も関与するかもしれない。
だが、どんな状況であれ、自殺は当事者の決意なしではなし得ない。笹井芳樹は、「過而不改是謂過矣」のまま、自ら命を絶った。つまり、笹井は自らの生命をもって、改めたのであろうか。改める方法として自裁があるのだろうか。孔子は残念ながら、そこまでは言及しなかった。
小保方晴子はモンスター
小保方晴子は、「過而不改是謂過矣」が意味する倫理観、道徳観とはおよそ相容れない存在である。だから、自分が「改めざる」が故に生じた最悪の結果(笹井の自死)について考えを及ぼすまい。彼女は善悪を越えた、倫理を越えた、モンスターなのだから。
それゆえ、自己の実験、論文における捏造、不正という過ち、そして、笹井を巻き込み、死に至らせた過ちについて、深刻に考えることもなかろう。小保方はモンスターとして、この先、どのように生きていくつもりなのだろうか。小保方がモンスターから普通の人間に戻る方法は、――それが笹井の死に報いる唯一の方法なのだが、――孔子の言うとおり、「過ちを改める」こと以外にはないのである。
2014年8月5日火曜日
笹井芳樹は自裁を選んだ--真相解明に向かわなければ、死者の魂は永久に浮かばれない
理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長(52)が自殺した。兵庫県警によると、笹井は5日朝、発生・再生科学総合研究センターに隣接する先端医療センター研究棟の4階と5階の間の踊り場で、ひものようなもので首をつった状態で見つかったという。遺書が近くのかばんの中にあり、小保方に宛てた遺書には「あなたのせいではない」「STAP細胞を必ず再現してください」という趣旨のことが書かれていたという。また、別の理研関係者宛の遺書には、「疲れた」という趣旨や謝罪する内容が書かれていたという。まさに無念の自殺であろう。衷心よりお悔み申し上げる。
さて筆者は先の拙Blogにおいて、▽笹井が「STAP細胞」問題のキーパーソンであること、▽この問題の舞台が神戸の埋立て人口島「ポートアイランド」で起きたこと――の2点を強調しておいた。笹井が自宅ではなく、職場である人口島の研究棟を自死の場に選んだことは、筆者の直観があながち外れていなかったことを傍証しているようで、気味が悪かった。
埋立て人口島の先端医療センター研究棟――いかにも人の温もりを感じさせない場ではなかろうか。筆者がポートアイランドを訪れたのはいまから20年以上前のことだ。バブル崩壊と震災の影響で同所を訪れる機会が失われてしまったものだから、現在の状況はわからない。しかし、人口島は人口島、そこには人の所縁、温もり、記憶、絆が薄い。コンクリートの箱、すべすべしたタイル、金属製の手すり・サッシ、冷たいガラスで覆われた、ピカピカの「職場」であったに違いない。研究棟ならばなおいっそう、人と人を結びつける息づかいすら聞こえにくいのではなかろうか。植栽が施されていたとしても、その緑や花は、埋立ての人口島の厚化粧の一環に過ぎない。
そんな人口島の一角に医療研究施設と医療関連企業をテナントとして集めること――それが国と神戸市、理研から笹井に課せられた特命だった。そしてその切り札として「STAP細胞」研究というテーマが、若い女性研究者とともに舞い込んだ。笹井はそのことにより、人生を狂わせた…
笹井は「STAP細胞」問題のキーパーソンであった。だから墓場まで持っていかざるを得ない情報やら事情を抱えていた。笹井が問題の真相を語れば、国、神戸市、理研は崩壊する。ノーベル賞受賞者の理研理事長もただではすまない。口を閉ざし続けることの重荷は計り知れないほど重かったのだろう。
それだけではない。笹井を追い込んだ要因は幾つかある。笹井が会見において「存在する」と力説した「STAP細胞」に関する科学アカデミーからの反証が当たり前のように報道されるようになったことだ。その中には笹井より科学者として“序列の低い者”――理研の研究員、科学ジャーナリスト、ネット情報――からのものが圧倒的だった。そして、それらを集大成したのが『NHKスペシャル――STAP細胞 不正の深層』の放映だった。(この番組については筆者も拙Blogで感想を書いておいた)
笹井に圧力をかけたのは、それだけではない。日本学術会議は7月25日、「研究全体が虚構であったのではないかという疑念を禁じ得ない段階に達している」と指摘。改革を早急に進めること、保存されている関係試料などを調査し、不正が認定されれば速やかに関係者を処分することなどを求めていた。この声明は、日本を代表する科学コミュニティーから発せられたものだ。
同会議の声明の根底には、理研が「STAP細胞」問題に関する情報を必要以上に隠蔽する姿勢を崩さないことへの不信感がある。科学研究というのは、自由に議論し合うことで切磋琢磨され真理へ近づくものである。理研は各界から提起された疑問や疑念に答えるための真相解明に着手しようとしないばかりか、議論する姿勢すらみせない。
理研の姿勢と共通するのが、小保方(弁護団)である。小保方(弁護団)も科学的見地からの質問や指摘に対しては一切の回答を拒否し、一見強気なヒステリックな決めつけ的言語で逃げている。つまり、理研も小保方も、科学的真相解明を拒否する姿勢において共通する。両者は、争っているように見えて、実は真相解明を忌避する姿勢において利害を一にする存在なのだ。
理研も小保方(弁護団)も真相解明の動きを遮断する盾として、「STAP細胞」の再現検証実験を掲げる。真相解明とは、それを換言すれば、小保方、笹井ほかの関係者の処分に行き着く。しかるに、前出のとおり、理研も小保方もそのことの先延ばしに奔走してきた。そして、その裏側で不正に係る証拠物等の処分を内密に進めようとしていたのではないか。ところが、理研と小保方(弁護団)が処分を留保しようとすればするほど、理研の脇の下から、不正に係る情報、証拠、証言がこぼれ落ちてくる。それらを掻き集めれば、小保方、笹井らの不正が傍証されてくる。そうした状況に耐えきれなくなったのが、笹井のこのたびの自死ではなかったのか。本日(8月5日)の理研の会見で「処分を保留したことが自殺の原因ではなかったのか」という質問があったそうだが、筆者もこの質問をしたメディア関係者と見解を同じくする。
笹井の自殺の原因は何かということになるのだが、遺書が公開されていない段階では推察するしかない。筆者は、笹井が「自裁」を選んだ、と推理する。笹井は「STAP細胞」に関わる(小保方の)着想・実験・論文作成、すなわち、この問題の全過程における不正、捏造等を知っていたはずだ。(にもかかわらず笹井が小保方と共謀して「STAP細胞」論文を世に出した主因については、拙Blogで繰り返し書いてきたので省く。)
すでに論文が撤回され、不正も明らかになった。この期に及んで、当たり前の組織ならば、関係者は処分され、処分後に新しい人生を歩むことになったであろう。犯罪者が服役後、新しい人生を歩むように。
ところが、筆者が拙Blogで書き続けてきたように、当たり前の処分は留保された。張本人の小保方は、弁護士を立てて引きこもり、“真相隠蔽”において共通する理研と共闘して、「STAP細胞」の再現検証実験という無限時間の中に身を置くことを選んだ。
一方の笹井は、一流の研究者という自負において、「再現検証実験」の無意味さを自覚し、処分留保の時間的圧迫に一人、身をさらさねばならなかった。つまり、自己の行き場所を完全に失いつつあった。笹井は「不正」を自白することもかなわず、科学者の良心と不正の隠蔽という葛藤に悩み、自らの不正を自らが裁く方法、すなわち自裁の道を選んだ。
笹井の自死はもちろん、先述したように回避できた。笹井を自裁に追い込んだのは、理研(とその上にある文科相、官邸)であり、小保方(弁護団)である。なによりも真相解明に向けて当事者が口を開かなければ、死者の魂は永久に浮かばれない。
さて筆者は先の拙Blogにおいて、▽笹井が「STAP細胞」問題のキーパーソンであること、▽この問題の舞台が神戸の埋立て人口島「ポートアイランド」で起きたこと――の2点を強調しておいた。笹井が自宅ではなく、職場である人口島の研究棟を自死の場に選んだことは、筆者の直観があながち外れていなかったことを傍証しているようで、気味が悪かった。
埋立て人口島の先端医療センター研究棟――いかにも人の温もりを感じさせない場ではなかろうか。筆者がポートアイランドを訪れたのはいまから20年以上前のことだ。バブル崩壊と震災の影響で同所を訪れる機会が失われてしまったものだから、現在の状況はわからない。しかし、人口島は人口島、そこには人の所縁、温もり、記憶、絆が薄い。コンクリートの箱、すべすべしたタイル、金属製の手すり・サッシ、冷たいガラスで覆われた、ピカピカの「職場」であったに違いない。研究棟ならばなおいっそう、人と人を結びつける息づかいすら聞こえにくいのではなかろうか。植栽が施されていたとしても、その緑や花は、埋立ての人口島の厚化粧の一環に過ぎない。
そんな人口島の一角に医療研究施設と医療関連企業をテナントとして集めること――それが国と神戸市、理研から笹井に課せられた特命だった。そしてその切り札として「STAP細胞」研究というテーマが、若い女性研究者とともに舞い込んだ。笹井はそのことにより、人生を狂わせた…
笹井は「STAP細胞」問題のキーパーソンであった。だから墓場まで持っていかざるを得ない情報やら事情を抱えていた。笹井が問題の真相を語れば、国、神戸市、理研は崩壊する。ノーベル賞受賞者の理研理事長もただではすまない。口を閉ざし続けることの重荷は計り知れないほど重かったのだろう。
それだけではない。笹井を追い込んだ要因は幾つかある。笹井が会見において「存在する」と力説した「STAP細胞」に関する科学アカデミーからの反証が当たり前のように報道されるようになったことだ。その中には笹井より科学者として“序列の低い者”――理研の研究員、科学ジャーナリスト、ネット情報――からのものが圧倒的だった。そして、それらを集大成したのが『NHKスペシャル――STAP細胞 不正の深層』の放映だった。(この番組については筆者も拙Blogで感想を書いておいた)
笹井に圧力をかけたのは、それだけではない。日本学術会議は7月25日、「研究全体が虚構であったのではないかという疑念を禁じ得ない段階に達している」と指摘。改革を早急に進めること、保存されている関係試料などを調査し、不正が認定されれば速やかに関係者を処分することなどを求めていた。この声明は、日本を代表する科学コミュニティーから発せられたものだ。
同会議の声明の根底には、理研が「STAP細胞」問題に関する情報を必要以上に隠蔽する姿勢を崩さないことへの不信感がある。科学研究というのは、自由に議論し合うことで切磋琢磨され真理へ近づくものである。理研は各界から提起された疑問や疑念に答えるための真相解明に着手しようとしないばかりか、議論する姿勢すらみせない。
理研の姿勢と共通するのが、小保方(弁護団)である。小保方(弁護団)も科学的見地からの質問や指摘に対しては一切の回答を拒否し、一見強気なヒステリックな決めつけ的言語で逃げている。つまり、理研も小保方も、科学的真相解明を拒否する姿勢において共通する。両者は、争っているように見えて、実は真相解明を忌避する姿勢において利害を一にする存在なのだ。
理研も小保方(弁護団)も真相解明の動きを遮断する盾として、「STAP細胞」の再現検証実験を掲げる。真相解明とは、それを換言すれば、小保方、笹井ほかの関係者の処分に行き着く。しかるに、前出のとおり、理研も小保方もそのことの先延ばしに奔走してきた。そして、その裏側で不正に係る証拠物等の処分を内密に進めようとしていたのではないか。ところが、理研と小保方(弁護団)が処分を留保しようとすればするほど、理研の脇の下から、不正に係る情報、証拠、証言がこぼれ落ちてくる。それらを掻き集めれば、小保方、笹井らの不正が傍証されてくる。そうした状況に耐えきれなくなったのが、笹井のこのたびの自死ではなかったのか。本日(8月5日)の理研の会見で「処分を保留したことが自殺の原因ではなかったのか」という質問があったそうだが、筆者もこの質問をしたメディア関係者と見解を同じくする。
笹井の自殺の原因は何かということになるのだが、遺書が公開されていない段階では推察するしかない。筆者は、笹井が「自裁」を選んだ、と推理する。笹井は「STAP細胞」に関わる(小保方の)着想・実験・論文作成、すなわち、この問題の全過程における不正、捏造等を知っていたはずだ。(にもかかわらず笹井が小保方と共謀して「STAP細胞」論文を世に出した主因については、拙Blogで繰り返し書いてきたので省く。)
すでに論文が撤回され、不正も明らかになった。この期に及んで、当たり前の組織ならば、関係者は処分され、処分後に新しい人生を歩むことになったであろう。犯罪者が服役後、新しい人生を歩むように。
ところが、筆者が拙Blogで書き続けてきたように、当たり前の処分は留保された。張本人の小保方は、弁護士を立てて引きこもり、“真相隠蔽”において共通する理研と共闘して、「STAP細胞」の再現検証実験という無限時間の中に身を置くことを選んだ。
一方の笹井は、一流の研究者という自負において、「再現検証実験」の無意味さを自覚し、処分留保の時間的圧迫に一人、身をさらさねばならなかった。つまり、自己の行き場所を完全に失いつつあった。笹井は「不正」を自白することもかなわず、科学者の良心と不正の隠蔽という葛藤に悩み、自らの不正を自らが裁く方法、すなわち自裁の道を選んだ。
笹井の自死はもちろん、先述したように回避できた。笹井を自裁に追い込んだのは、理研(とその上にある文科相、官邸)であり、小保方(弁護団)である。なによりも真相解明に向けて当事者が口を開かなければ、死者の魂は永久に浮かばれない。
2014年8月4日月曜日
誕生日
8月6日が誕生日。
娘夫婦が東京でも珍しい、生ハムと肉の専門料理屋にて祝ってくれた。
とてもおいしかった、ありがとう。
さて、このことは何度も書くことだが、6日は広島の原爆記念日だ。
人類史上、最初に原子力兵器が使用され、多くの市民が命を落とした。
原爆で命を落としたのは、戦争を始めた張本人ではない。
張本人たちは東京で、これまた米軍の空爆で命を落としている市民をよそに、
頑丈な防空壕のなかで、「終戦」の道筋を探っていた。
戦後、自分たちが延命する方策を弄していた。
その間に、沖縄戦があり、大空襲があり、広島・長崎への原爆投下があった。
筆者が「その日」に生まれたのは偶然だけれど、
「悲劇」がなぜ、起きたのか、それを繰り返さないために何が必要なのか。
生涯、そのことを忘れないように生きていこうと思う。
娘夫婦が東京でも珍しい、生ハムと肉の専門料理屋にて祝ってくれた。
とてもおいしかった、ありがとう。
さて、このことは何度も書くことだが、6日は広島の原爆記念日だ。
人類史上、最初に原子力兵器が使用され、多くの市民が命を落とした。
原爆で命を落としたのは、戦争を始めた張本人ではない。
張本人たちは東京で、これまた米軍の空爆で命を落としている市民をよそに、
頑丈な防空壕のなかで、「終戦」の道筋を探っていた。
戦後、自分たちが延命する方策を弄していた。
その間に、沖縄戦があり、大空襲があり、広島・長崎への原爆投下があった。
筆者が「その日」に生まれたのは偶然だけれど、
「悲劇」がなぜ、起きたのか、それを繰り返さないために何が必要なのか。
生涯、そのことを忘れないように生きていこうと思う。
2014年8月3日日曜日
イスラエルの無差別殺戮は許せない
イスラエルによるガザ攻撃が開始され、この2日でひと月(26日目)近くたった。この攻撃は、イスラエルによる同地区のパレスチナ人の大量虐殺であって、戦闘や戦争ではない。双方の戦力はあまりにも非対称的である。ガザはイスラエルが開発するハイテク装備と最新兵器の実験場と化しているという。
イスラエルが同地区を攻撃した理由は明らかで、先の選挙によって成立した同地区の自治政府にハマスの勢力が合流したからだ。そのことを機に、イスラエルは謀略を通じて侵攻の火ぶたを切った。26日間のイスラエルの殺戮行為により、ガザでのパレスチナ人の死者は1700人を超え、負傷者は9000人以上になったらしい。その中には、民間人(子供、女性)が多く含まれている。
近年の中東の混乱はすべからく、イスラエル(アメリカ)による、アラブ弱体化の帰結である。20世紀末、それまで安定していた中東において、アメリカは世紀を挟んだ二度のイラク戦争により、イラク=フセイン政権を打倒し、イラクを内戦状態に追い込んだ。
エジプトではイスラム同胞団の新政権を軍部クーデターにより打倒し、親米(親イスラエル)政権を樹立した。相前後して、シリアのアサド政権(シーア派)に対して、イスラム教スンニ派過激勢力を使って内戦状態に追い込み、いま現在のシリアも内戦状態にある。
ヨルダンはすでに、親米(親イスラエル)国家となっていて、脅威ではない。アメリカとイスラエルは、イスラエルに好意的でない周囲のアラブ諸国をすべからく、内戦・内乱状態に陥れ、その弱体化に成功している。そのうえで、ガザ地区パレスチナ人の大量殺戮に踏み切った。イスラエルの脅威となる周辺国は内乱状態もしくは親米(親イスラエル)国家となっているから、イスラエルの安全が損なわることはないという読みである。
イスラエルによる空爆と民間人無差別虐殺は、イスラエルによる、(ナオミ・クラインがその著書名とした)『ショック・ドクトリン』と呼ばれる支配方策の実践である。激しい空爆と地上戦における無差別殺人を受けた側は、恐怖によって頭の中が真っ白になり、軍事作戦終了後、抵抗や反抗の意思を喪失してしまう。アジア太平洋戦争末期、アメリカは日本中に激しい空爆を続け、そのことにより、焦土に残された日本人は戦争終了後、アメリカに対し抵抗する意思を無くした。
1970~80年代、チリ、ブラジル等の南米南部地域の軍事政権が国内の社会主義勢力や市民運動家に対して行ったのは、空爆・砲撃等の軍事行動ではなく、拉致、誘拐、拷問(電気ショック等)及び無差別処刑であった。おそらくガザ地区では、軍事作戦と並行して、反イスラエル活動を行ってきたパレスチナ人活動家に対し、報道されていないが、前出のような非人道的弾圧が繰り返されているに違いない。
筆者は昨年(2013年)12月、イスラエルに観光旅行に行った。もちろん、ガザ地区を訪れたわけではないが、観光ガイド氏は、イスラエル国内のユダヤ人とアラブ人は、互いに共存の道を模索していると説明していた。
当時、筆者が訪れた観光地はみな平穏で、今の状態を想像することはできなかった。ガザの悲劇をよそに、エルサレム、テルアビブ、ファイファといった主要都市は平穏なのかもしれないが、イスラエル国内各所のパレスチナ人がガザの虐殺に憤って決起しないとも限らない。情勢は予断を許さない。
イスラエルが同地区を攻撃した理由は明らかで、先の選挙によって成立した同地区の自治政府にハマスの勢力が合流したからだ。そのことを機に、イスラエルは謀略を通じて侵攻の火ぶたを切った。26日間のイスラエルの殺戮行為により、ガザでのパレスチナ人の死者は1700人を超え、負傷者は9000人以上になったらしい。その中には、民間人(子供、女性)が多く含まれている。
近年の中東の混乱はすべからく、イスラエル(アメリカ)による、アラブ弱体化の帰結である。20世紀末、それまで安定していた中東において、アメリカは世紀を挟んだ二度のイラク戦争により、イラク=フセイン政権を打倒し、イラクを内戦状態に追い込んだ。
エジプトではイスラム同胞団の新政権を軍部クーデターにより打倒し、親米(親イスラエル)政権を樹立した。相前後して、シリアのアサド政権(シーア派)に対して、イスラム教スンニ派過激勢力を使って内戦状態に追い込み、いま現在のシリアも内戦状態にある。
ヨルダンはすでに、親米(親イスラエル)国家となっていて、脅威ではない。アメリカとイスラエルは、イスラエルに好意的でない周囲のアラブ諸国をすべからく、内戦・内乱状態に陥れ、その弱体化に成功している。そのうえで、ガザ地区パレスチナ人の大量殺戮に踏み切った。イスラエルの脅威となる周辺国は内乱状態もしくは親米(親イスラエル)国家となっているから、イスラエルの安全が損なわることはないという読みである。
イスラエルによる空爆と民間人無差別虐殺は、イスラエルによる、(ナオミ・クラインがその著書名とした)『ショック・ドクトリン』と呼ばれる支配方策の実践である。激しい空爆と地上戦における無差別殺人を受けた側は、恐怖によって頭の中が真っ白になり、軍事作戦終了後、抵抗や反抗の意思を喪失してしまう。アジア太平洋戦争末期、アメリカは日本中に激しい空爆を続け、そのことにより、焦土に残された日本人は戦争終了後、アメリカに対し抵抗する意思を無くした。
1970~80年代、チリ、ブラジル等の南米南部地域の軍事政権が国内の社会主義勢力や市民運動家に対して行ったのは、空爆・砲撃等の軍事行動ではなく、拉致、誘拐、拷問(電気ショック等)及び無差別処刑であった。おそらくガザ地区では、軍事作戦と並行して、反イスラエル活動を行ってきたパレスチナ人活動家に対し、報道されていないが、前出のような非人道的弾圧が繰り返されているに違いない。
筆者は昨年(2013年)12月、イスラエルに観光旅行に行った。もちろん、ガザ地区を訪れたわけではないが、観光ガイド氏は、イスラエル国内のユダヤ人とアラブ人は、互いに共存の道を模索していると説明していた。
当時、筆者が訪れた観光地はみな平穏で、今の状態を想像することはできなかった。ガザの悲劇をよそに、エルサレム、テルアビブ、ファイファといった主要都市は平穏なのかもしれないが、イスラエル国内各所のパレスチナ人がガザの虐殺に憤って決起しないとも限らない。情勢は予断を許さない。
子供たちの殺戮を許すことはできない(イスラエル・ナザレ市内/筆者撮影) |
2014年8月1日金曜日
8月の猫
暑い。
盛夏である。
猫の体重を記録しておく。
Zazieが4.3キロ、Nicoが5.9㎏で前月と変わらなかった。
さて、2匹の猫の性格について書いておく。
さび猫のZazieきわめて人懐っこく、気温が低くなると、人の胸の上にのって寝てしまう。
無理やり抱かれるのは好きではないが、気が向くと人の胸に飛び込んでくる。
気性が荒く、あまり鳴かない。
一方の白の大型のNicoは、人に抱かれるのが大嫌い。
そのかわり、人と、遠からず近からず、ほどよい距離(自分の距離)でいることが多い。
性格は温厚だが屈折している。
要求が多く、年中、鳴いてあれをしてほしい、これをしてほしい、とせがんでいる。
ブラッシングと手でなでられるのが大好き。
一方のZazieは、これらをまったく受けつけない。
まるで正反対の性格の猫が2匹。
何の因果でわが家にやってきたのか、神の悪戯だろうか。
猫の体重を記録しておく。
Zazieが4.3キロ、Nicoが5.9㎏で前月と変わらなかった。
さて、2匹の猫の性格について書いておく。
さび猫のZazieきわめて人懐っこく、気温が低くなると、人の胸の上にのって寝てしまう。
無理やり抱かれるのは好きではないが、気が向くと人の胸に飛び込んでくる。
気性が荒く、あまり鳴かない。
一方の白の大型のNicoは、人に抱かれるのが大嫌い。
そのかわり、人と、遠からず近からず、ほどよい距離(自分の距離)でいることが多い。
性格は温厚だが屈折している。
要求が多く、年中、鳴いてあれをしてほしい、これをしてほしい、とせがんでいる。
ブラッシングと手でなでられるのが大好き。
一方のZazieは、これらをまったく受けつけない。
まるで正反対の性格の猫が2匹。
何の因果でわが家にやってきたのか、神の悪戯だろうか。
落ち着いた状態、満腹か遊んだあと |
窓の上を通過する鳥を見据えた状態。野生に戻った瞬間かも |
新聞を読んでいると必ず邪魔をしにくる。新聞紙の上に乗ってしてやったりの顔。 |
2014年7月29日火曜日
Nスぺ、「STAP細胞 不正の深層」
7月27日に放映された、「NHKスペシャル/『STAP細胞 不正の深層』」を見た。同番組を見た筆者の印象は以下の4点に集約される。
1.不正の証拠
不正の証拠とはすでに報道された、マウスの差し替えやES細胞の混入等の事項である。純文系の筆者はこれらの証拠について詳論できない。ただ、提示された証拠は、科学コミュニティからのものである以上、小保方は科学者・研究者として、科学的に回答する義務がある。ところが小保方は弁護士を立てて引きこもるばかり。小保方が科学者・研究者ならば、それらの指摘に対して、自由に討論する場を設けてもいいはずだ。小保方の弁護士は、科学的指摘をすべて、「リンチ」「言いがかり」等の非科学的言語で退けようとしている。このような頑迷な態度は、科学が本来もつべき自由で創造的な議論、検証の場の創造を崩壊させる。
小保方は小保方で、乱暴なメディアの取材を恐れるかのような素振りで、代理人の法的権威の向こう側で沈黙するばかり。自分に非がないのなら、不正の証拠として提起された事項に対して正々堂々と反論するなり、議論したらいい。
2.理研内「反小保方勢力」の存在
同番組において、理研の内部資料のコピー等が明らかにされた。小保方が若山研究室からES細胞を盗んだことを窺わせる証言や、小保方と笹井の「親密メール交換」までもが公開された。正直、これらの映像には驚いた。NHKが独自取材で集められるものではなかろう。
3.不正のキーパーソンは笹井芳樹
笹井は、理研再生科学総合研究センター副センター長の職にあり、小保方の「STAP細胞」論文の作成を全面的に指導したと言われている。また小保方と個人的に親しい関係にあり、情を通じていたとされる。再生科学分野の世界的権威者の一人であり、研究者としての実力、実績、知名度において、小保方をはるかに凌ぐ。小保方は海外の科学雑誌に2度ほど投稿しながら採用が見送られたが、笹井が論文作成を指導した途端、雑誌『ネイチャー』に採用され、それがこの問題の発端になったことはよく知られている。
笹井ほどの実力者がなぜ、小保方の不正に気が付かなかったのか――というのは誰もが抱く疑問である。笹井の説明では、実験過程は若山、論文作成過程は自分(笹井)だと単純に割り切きって抗弁しているが、科学論文は一般文書の校正、添削や、広告宣伝パンフレット・カタログ等のグラフィックデザインの手なおし作業ではなかろう。
同番組では、笹井は小保方の不正を承知していたことを示唆していたが、筆者もその視点に同意する。不正がばれれば、自分の科学者としてのキャリアに傷がつくし、それ以上の最悪のケースも想定されたはずだ。それを承知で、なぜかくも高いリスクをとったのか想像しにくいが、もしかしたら小保方への特別な感情と功名心が絡み合った結果かもしれない。人間は説明のつかない行動をとることがないわけではない。それが転落への道であったとしても。
4.「STAP細胞」問題発生の舞台
同番組の後半、あ、この問題の舞台となったのが、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(所在地:兵庫県神戸市中央区港島南町)、すなわち、神戸のポートアイランドであったことを再認識した。筆者はこのことを軽視していた。
Wikiによると、
筆者の記憶で正確さを欠くが、ポートアイランドは華々しく「まちびらき」をした後、当時、神戸の有力な地場産業であったアパレルメーカー各社が本社を移転させ、〝ファッション都市神戸"の顔となった。ところが、ファストファッション等の台頭により、日本のアパレル産業に地殻変動がおこり、神戸の同産業は、ほぼ壊滅状態に陥った。1980年代の最盛期、ポートアイランドに十数社集積していたアパレルメーカーのうち、今日、残っているのは、ワールドほか数社にすぎない。
それに代わってポートアイランドに集積されたのが、前出のとおり、理化学研究所再生科学総合研究センターを中核とした医療研究機関と関連企業であった。同番組が報じているように、現在、理研同センターの別棟の建設が進められており、同時に医療関連企業の誘致も進んでいるようだ。
同番組によると、笹井は研究者として有能であるばかりか、国、企業との折衝能力に長け、一研究者という枠組みを越え、マネジャー、コーディネーターとして活躍しているという。笹井の役割は、研究費の支援要請であろう。笹井が問題発生後、マスメディアを集めて記者会見を行ったが、そのときの態度は自信に満ち溢れていた。彼は国、地方自治体、企業等との折衝の場数を踏むことで、交渉力を鍛え上げたのだろう。とりわけ資本との折衝は厳しいものがある。メディア関係者の手ぬるい追及など、笹井には恐れるに足らずだったのではないか。
われわれは、「STAP細胞」問題をみるとき、どうしても小保方晴子という、特異な小悪魔的キャラクターにフォーカスしがちである。その不正に目が行きがちである。それはそれで仕方がない。研究不正や論文不正が許されるはずがない。だが、小保方は、国、神戸市、理研が一体化した国策推進に偶然か必然かわからないが、巻き込まれた駆け出しの研究者にすぎない。
笹井の関与のエネルギーもその一環である。そしてその国策は、いま現在、アベノミックスとして肥大化し、強力なものとなっている。アベノミックスが立ち上がる前、神戸市は前出のとおり、神戸医療産業都市構想を立案して医療機関や関連企業の誘致を図っていた。この構想に後付けをしたのが、アベノミックスが掲げた国家戦略特区の一つ「医療等イノベーション拠点、チャレンジ支援(関西編)」であり、成長産業としての「医療産業都市構想や新たな市場の創出」であろう。後者の具体例として、▽世界共通の課題に取り組む中での新たな市場の創出 → 最新医療機器の認証の迅速化、最先端の研究開発を総合的に指揮する機関の創設 等が挙げられており、主要な成果目標(KPI)として、「医薬品、医療機器、再生医療の医療関連産業の市場規模を2020年に16兆円(現状12兆円)に拡大する」とある。
「STAP細胞」とはもちろん、再生医療の分野に属する。理研、笹井、小保方らが進めた研究は、まさに国策中の国策に格上げされたのだ。いや、笹井は格上げされたからこそ、「STAP細胞」にのめりこんだに違いない。そこにアベノミックスが掲げた「女性の活用」を加えてもいい。だから、6月12日に発せられた、「研究不正再発防止のための提言書」にあった、再生センターの解体(その物理的解体)はもちろんあり得ない。それは国策及び神戸市(ポートアイランドのテナント誘致計画)に反するからだ。
幕引きは、理研と小保方の談合的和解か
今日、科学研究とは、言うまでもなく、純粋に自立して存在することはできない。資本・政治に従属して、その方向性はいかようにも左右される。ときには、その結果までもが捻じ曲げられる。日本においては、その中立性・客観性を担保する制度、機関等は貧弱である。そればかりではない。原発事故や原発再稼働をみても、「安全性」に係る基準は、科学的判断だけに委ねられていない。
今日の科学者は、自分のしたい研究をするわけではない。研究の優先順位の第一は、資本のニーズにこたえることであり、政治もその手助けをする。「STAP細胞」はまさに、資本と政治が望むものだった。そこに「不正」が暴走する源があった。
理研が小保方を処分しない、いや処分できないのは、裁判闘争に至れば、不正に連座する者が数人の幹部に及ぶことを恐れているからだろう。加えて、国策にもひびが入る。小保方側(弁護団)は、理研を告発できる材料(証拠)を、小保方の不正の証拠を上回る数、揃えていることだろう。だから、理研(その背後にある国と神戸市)と小保方の間の落としどころは、和解である。しかし、このまま和解に至れば、理研の規程に反するばかりか、不正の解明抜きの談合ということになり、理研は研究機関としての信頼性を大いに損なう。
つまり、いま現在、理研と小保方の力関係において優位にあるのは、小保方の側であって、理研ではない。理研が優位に立って和解する条件は、小保方がこだわっている「STAP細胞」の実在を切り崩すことである。つまり小保方が検証実験に参加し、それが作製できなければ、小保方の劣位は決定的なものとなる。だが、そう簡単に結論に至らないで引き延ばし作戦がとられるにちがいない。ひきのばしの期間とは、事件の風化であり世間が関心を失うまでとなる。この問題が忘却され風化するに、そう長い時間はかかるまい、1年か2年で十分だろう。それまでの間に理研は組織と予算の拡大に成功し、ポートアイランドにおいては、先端医療関連企業のテナント誘致が進んでいる。処分を保留された笹井は、マネジャーとして、コーディネーターとして、これまでと変わらず、その手腕を発揮し、一方の小保方は一人、理研の隔離された実験室に閉じこもり、存在しない「STAP細胞」の再現実験をもくもくと繰り返し続けるというわけだ。
- 小保方晴子の「STAP細胞」に係る実験及び論文に不正があった証拠は概ね、そろっていることが確認できた
- 小保方の不正を許容しないグループが理研内部に存在している(理研内部の反小保方グループが同番組の制作に協力している)ことが確認できた
- 「小保方単独犯」ではなく、理研ぐるみの不正である(この問題のキーパーソンは笹井芳樹である)ことを確信した
- 小保方にフォーカスしすぎることは、「木を見て森を見ず」
1.不正の証拠
不正の証拠とはすでに報道された、マウスの差し替えやES細胞の混入等の事項である。純文系の筆者はこれらの証拠について詳論できない。ただ、提示された証拠は、科学コミュニティからのものである以上、小保方は科学者・研究者として、科学的に回答する義務がある。ところが小保方は弁護士を立てて引きこもるばかり。小保方が科学者・研究者ならば、それらの指摘に対して、自由に討論する場を設けてもいいはずだ。小保方の弁護士は、科学的指摘をすべて、「リンチ」「言いがかり」等の非科学的言語で退けようとしている。このような頑迷な態度は、科学が本来もつべき自由で創造的な議論、検証の場の創造を崩壊させる。
小保方は小保方で、乱暴なメディアの取材を恐れるかのような素振りで、代理人の法的権威の向こう側で沈黙するばかり。自分に非がないのなら、不正の証拠として提起された事項に対して正々堂々と反論するなり、議論したらいい。
2.理研内「反小保方勢力」の存在
同番組において、理研の内部資料のコピー等が明らかにされた。小保方が若山研究室からES細胞を盗んだことを窺わせる証言や、小保方と笹井の「親密メール交換」までもが公開された。正直、これらの映像には驚いた。NHKが独自取材で集められるものではなかろう。
3.不正のキーパーソンは笹井芳樹
笹井は、理研再生科学総合研究センター副センター長の職にあり、小保方の「STAP細胞」論文の作成を全面的に指導したと言われている。また小保方と個人的に親しい関係にあり、情を通じていたとされる。再生科学分野の世界的権威者の一人であり、研究者としての実力、実績、知名度において、小保方をはるかに凌ぐ。小保方は海外の科学雑誌に2度ほど投稿しながら採用が見送られたが、笹井が論文作成を指導した途端、雑誌『ネイチャー』に採用され、それがこの問題の発端になったことはよく知られている。
笹井ほどの実力者がなぜ、小保方の不正に気が付かなかったのか――というのは誰もが抱く疑問である。笹井の説明では、実験過程は若山、論文作成過程は自分(笹井)だと単純に割り切きって抗弁しているが、科学論文は一般文書の校正、添削や、広告宣伝パンフレット・カタログ等のグラフィックデザインの手なおし作業ではなかろう。
同番組では、笹井は小保方の不正を承知していたことを示唆していたが、筆者もその視点に同意する。不正がばれれば、自分の科学者としてのキャリアに傷がつくし、それ以上の最悪のケースも想定されたはずだ。それを承知で、なぜかくも高いリスクをとったのか想像しにくいが、もしかしたら小保方への特別な感情と功名心が絡み合った結果かもしれない。人間は説明のつかない行動をとることがないわけではない。それが転落への道であったとしても。
4.「STAP細胞」問題発生の舞台
同番組の後半、あ、この問題の舞台となったのが、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(所在地:兵庫県神戸市中央区港島南町)、すなわち、神戸のポートアイランドであったことを再認識した。筆者はこのことを軽視していた。
Wikiによると、
ポートアイランドは、神戸市中央区、神戸港内にある人工島。1966年に六甲山の土で埋め立てが始まり、その後、2005年には神戸空港が新たにつくられた。
開島に合わせ、1981年(昭和56年)にポートピア'81(神戸ポートアイランド博覧会)を開催。その後の地方博ブームのさきがけとなった。また、街開きにあたって博覧会を開催するという手法は横浜博覧会(横浜市・みなとみらい21地区)など各地で用いられるようになった。
阪神・淡路大震災の際には、島内全体が液状化現象で水浸しになって至る所に段差が生じた。市内の需要をカバーするため、一期地区に大量の仮設住宅が建設される。神戸大橋も橋脚にズレが生じただけではなく、水道管2本のうち通水していた1本(もう1本は将来需要を満たすために作られたもので通水されていない)が陥落して人工島の防災上の弱さを露呈した。
その後、一期地区は、その港湾施設の統合に伴って島の西部で旧バースの売却が行われ、神戸学院大学、神戸夙川学院大学、兵庫医療大学の3大学がキャンパスを新しく開設した。さらに、重機販売会社や中古車販売会社が集積して輸出を行う巨大中古車市場も設けられている。震災後、二期地区は土地の売却が進まずに問題となり、神戸市は、神戸医療産業都市構想を立案して医療機関や関連企業の誘致を図っている。その結果2009年(平成21年)8月現在では、理化学研究所など11の研究関連施設と158の医療関連企業が進出し、国内最大級の医療クラスターとなっている。2002年(平成14年)には三宮地域と神戸空港を結ぶ重要な都市軸上に位置している西側の区域が、「神戸ポートアイランド西地域」として政令による都市再生緊急整備地域に指定されている。
筆者の記憶で正確さを欠くが、ポートアイランドは華々しく「まちびらき」をした後、当時、神戸の有力な地場産業であったアパレルメーカー各社が本社を移転させ、〝ファッション都市神戸"の顔となった。ところが、ファストファッション等の台頭により、日本のアパレル産業に地殻変動がおこり、神戸の同産業は、ほぼ壊滅状態に陥った。1980年代の最盛期、ポートアイランドに十数社集積していたアパレルメーカーのうち、今日、残っているのは、ワールドほか数社にすぎない。
それに代わってポートアイランドに集積されたのが、前出のとおり、理化学研究所再生科学総合研究センターを中核とした医療研究機関と関連企業であった。同番組が報じているように、現在、理研同センターの別棟の建設が進められており、同時に医療関連企業の誘致も進んでいるようだ。
同番組によると、笹井は研究者として有能であるばかりか、国、企業との折衝能力に長け、一研究者という枠組みを越え、マネジャー、コーディネーターとして活躍しているという。笹井の役割は、研究費の支援要請であろう。笹井が問題発生後、マスメディアを集めて記者会見を行ったが、そのときの態度は自信に満ち溢れていた。彼は国、地方自治体、企業等との折衝の場数を踏むことで、交渉力を鍛え上げたのだろう。とりわけ資本との折衝は厳しいものがある。メディア関係者の手ぬるい追及など、笹井には恐れるに足らずだったのではないか。
われわれは、「STAP細胞」問題をみるとき、どうしても小保方晴子という、特異な小悪魔的キャラクターにフォーカスしがちである。その不正に目が行きがちである。それはそれで仕方がない。研究不正や論文不正が許されるはずがない。だが、小保方は、国、神戸市、理研が一体化した国策推進に偶然か必然かわからないが、巻き込まれた駆け出しの研究者にすぎない。
笹井の関与のエネルギーもその一環である。そしてその国策は、いま現在、アベノミックスとして肥大化し、強力なものとなっている。アベノミックスが立ち上がる前、神戸市は前出のとおり、神戸医療産業都市構想を立案して医療機関や関連企業の誘致を図っていた。この構想に後付けをしたのが、アベノミックスが掲げた国家戦略特区の一つ「医療等イノベーション拠点、チャレンジ支援(関西編)」であり、成長産業としての「医療産業都市構想や新たな市場の創出」であろう。後者の具体例として、▽世界共通の課題に取り組む中での新たな市場の創出 → 最新医療機器の認証の迅速化、最先端の研究開発を総合的に指揮する機関の創設 等が挙げられており、主要な成果目標(KPI)として、「医薬品、医療機器、再生医療の医療関連産業の市場規模を2020年に16兆円(現状12兆円)に拡大する」とある。
「STAP細胞」とはもちろん、再生医療の分野に属する。理研、笹井、小保方らが進めた研究は、まさに国策中の国策に格上げされたのだ。いや、笹井は格上げされたからこそ、「STAP細胞」にのめりこんだに違いない。そこにアベノミックスが掲げた「女性の活用」を加えてもいい。だから、6月12日に発せられた、「研究不正再発防止のための提言書」にあった、再生センターの解体(その物理的解体)はもちろんあり得ない。それは国策及び神戸市(ポートアイランドのテナント誘致計画)に反するからだ。
幕引きは、理研と小保方の談合的和解か
今日、科学研究とは、言うまでもなく、純粋に自立して存在することはできない。資本・政治に従属して、その方向性はいかようにも左右される。ときには、その結果までもが捻じ曲げられる。日本においては、その中立性・客観性を担保する制度、機関等は貧弱である。そればかりではない。原発事故や原発再稼働をみても、「安全性」に係る基準は、科学的判断だけに委ねられていない。
今日の科学者は、自分のしたい研究をするわけではない。研究の優先順位の第一は、資本のニーズにこたえることであり、政治もその手助けをする。「STAP細胞」はまさに、資本と政治が望むものだった。そこに「不正」が暴走する源があった。
理研が小保方を処分しない、いや処分できないのは、裁判闘争に至れば、不正に連座する者が数人の幹部に及ぶことを恐れているからだろう。加えて、国策にもひびが入る。小保方側(弁護団)は、理研を告発できる材料(証拠)を、小保方の不正の証拠を上回る数、揃えていることだろう。だから、理研(その背後にある国と神戸市)と小保方の間の落としどころは、和解である。しかし、このまま和解に至れば、理研の規程に反するばかりか、不正の解明抜きの談合ということになり、理研は研究機関としての信頼性を大いに損なう。
つまり、いま現在、理研と小保方の力関係において優位にあるのは、小保方の側であって、理研ではない。理研が優位に立って和解する条件は、小保方がこだわっている「STAP細胞」の実在を切り崩すことである。つまり小保方が検証実験に参加し、それが作製できなければ、小保方の劣位は決定的なものとなる。だが、そう簡単に結論に至らないで引き延ばし作戦がとられるにちがいない。ひきのばしの期間とは、事件の風化であり世間が関心を失うまでとなる。この問題が忘却され風化するに、そう長い時間はかかるまい、1年か2年で十分だろう。それまでの間に理研は組織と予算の拡大に成功し、ポートアイランドにおいては、先端医療関連企業のテナント誘致が進んでいる。処分を保留された笹井は、マネジャーとして、コーディネーターとして、これまでと変わらず、その手腕を発揮し、一方の小保方は一人、理研の隔離された実験室に閉じこもり、存在しない「STAP細胞」の再現実験をもくもくと繰り返し続けるというわけだ。
2014年7月25日金曜日
アギーレに期待しない
サッカー日本代表監督にメキシコ人のアギーレが就任する。8月に来日し、9月に予定されている国際親善試合(ウルグアイ戦/5日、ベネズエラ戦/9日)の指揮をとるという。
それに先立ち、日本代表(日本サッカー協会=JFA)はアディダス社との大型のスポンサー契約に合意している。また、このたびの親善試合も日本代表のメーンスポンサーであるキリン社の冠大会。かくして日本代表は、2018年ロシアW杯の開催に向けて、いつか来た道を歩みだす。
アギーレ・ジャパンは短命?
筆者の直観を申し述べれば、アギーレ・ジャパンは短命に終わりそうな気がする。なぜならば、アギーレが日本代表を取り巻くマーケティング的状況を理解することはあり得ないと思うから。おそらく、彼は純粋なサッカーの指揮官であって、大手広告代理店とJFAが共管する日本代表に嫌気がさし、早々に指揮を放棄すると思う。
逆に言えば、アギーレが監督を続けている状況とは、日本代表がブラジル大会と同じ状況にあることを意味する。ものわかりがよくなったアギーレとは、自身のサッカー哲学から外れ、代理店主導のカネまみれの日本代表のあり方と妥協している状況をいう。アギーレ一人に、JFAと代理店を黙らせる力はないだろう。
キリン杯のために「海外組」が犠牲に
さて、欧州のトップリーグの2014-15シーズンの開始日をみると、イタリアが8月31日、イングランドが16日、ドイツが22日になっている。前出のキリン社の冠大会は、欧州各国リーグの開幕直後に組まれている。日本代表の「海外組」がこの時期に欧州から日本に帰ってきて親善試合をすることで、彼らのコンディションを上向かせる要素は見いだせない。
キリン杯がFIFAの公認の大会だったとしても、「海外組」が日本に戻ることは、クラブにとっても選手にとっても、きわめて大きなマイナス行動となる。選手とクラブの間における拘束に係る契約の詳細を知らないが、なによりも、「海外組」にとって重要なのは、所属チームのレギュラーポジションを獲得すること、試合に出場することだ。開幕直後にチームを離れることのマイナスは計り知れない。
レギュラーこそが代表の条件
ブラジル大会惨敗の要因の一つに、代表主力選手が試合に出ていないことが挙げられる。いくら練習でフィジカルを上げても、公式戦では通用しない。代表強化の最善策の一つとして、個々の選手が、所属チームでリーグ戦という公式試合において、勝利に貢献すること、真剣勝負の経験を積むこと。これらのことがらは、ブラジルW杯惨敗によって、確認済みの事項だったはずだ。
日本のプロ野球には、「ブルペン・エース」という言い方がある。ドラフト上位で指名され、期待された投手。練習では素晴らしい投球をするものの、いざ試合に出ると制球を乱したりして勝てない。そうこうしていくうちに、チャンスが与えられなくなり、球界から去っていく。才能があっても、試合で発揮できなければ、プロではやっていけない。つまり試合で結果を残すことがプロスポーツ選手の最低限の存在証明なのだ。資格、過去の実績、ネームバリューやマスメディアの露出度ではない。
日本の海外組は「ブルペン・エース」と同じようなものだ。彼らはJリーグで活躍し、海外クラブと契約に至る。しかし、海外クラブでは試合に出られないまま、「海外組」という「資格」において日本代表入りする。彼らの役割は、海外クラブの広告塔、日本国内におけるCMタレントである。
公式試合で鍛えられていない精神と肉体は、W杯という真剣勝負では通用しない。むしろ、日本のJリーグでレギュラーをはっている選手に劣る。前者がブラジルにおける本田、香川、長谷部、長友、吉田であり、後者が大久保、山口、青山だった。
「海外組」の数少ないレギュラーでありながらブラジルに行けなかった2選手
「海外組」でレギュラーでありながら、W杯の代表選手に選ばれなかった事例もある。この事例は、ブラジル大会惨敗を検証するうえで、きわめて重要なものだ。代表選考に不正があったとは言わないが、選手の実力とは異なる力学が選考過程に作用したことの傍証となる。
ブラジル大会日本代表に残れなかったハーフナーマイクは、W杯後、オランダ1部からスペイン1部のコルドバに移籍した。彼はオランダ1部フィテッセに所属し、2年連続で10得点以上を記録した。オランダで実績を残しているハーフナーが代表から漏れ、イングランドやイタリアで1~2点しかとっていない「海外組」が、なぜ代表に選ばれたのか。
もう1人は、細貝萌だ。彼はドイツ1部ヘルタベルリンに所属し、13-14シーズンに33試合に出場している。その一方、日本代表キャプテンの長谷部は同じくニュルンベルグでわずか14試合の出場にとどまっている。しかもシーズン後半は故障であった。どちらが、ドイツ1部で活躍していたかは、その成績こそが物語っている。
筆者は、ブラジルW杯開催直前の代表選考発表の日から、繰り返し、ハーフナーと細貝が選に漏れたことに疑問を呈してきた。ザッケローニが代表監督を退いた今、その理由を技術委員長(現専務理事)に明らかにしてもらいたいものだ。
アギーレが真の監督の仕事に全うできる条件
さて、アギーレである。アギーレがJFAと広告代理店の横槍を退け、普通の代表強化に取り組むチャンスが皆無というわけではない。わずかではあるが、アギーレが代表監督の職を全うできる条件を挙げておく。
その第一は、日本惨敗の主因を日本のサッカージャーナリズムが真剣に取り上げ、その是正に向けたキャンペーンを行うことだ。つまり、日本国民が、日本代表のこれまでのあり方に疑問を呈すること。そうなれば、アイドル的な代表人気をつくりあげてきた広告代理店が、これまでとってきた日本代表に係るマーケティング戦略を後退させる可能性もないとは言えない。
そうなれば、国際親善試合に対する価値相対化も現実化する。親善試合に勝ってもそれが実力測定には当たらないという認識の一般化だ。親善試合とは、いわばボクシングの公開スパーリングのようなものだ、ということが国民レベルで理解が進めば、国民の関心のあり方が変わる。相手は練習不足かつ体重コントロールもしていない。交代枠は6人だから、ヘッドギア着用と同じだ。勝った、負けた、の話ではない。代表とは名ばかりの中身が知れれば、国民は不当表示だとJFAを糾弾するだろう。チケット代を返せと。
第二には、日本代表がブラジルで惨敗した結果、代表選手のタレント価値が低下したことだ。「海外組」に対する期待度、好感度は下落した。つまり、彼らをCMタレントとして起用する意味がなくなってきた。代表選手の媒体露出は低下し、JFA(広告代理店)も代表選手起用について、監督を束縛しなくなる。もちろん、キリン社及びアディダス社の影響は残るだろうが、ブラジル大会前ほどではないだろう。代表監督は代表選手の選出及び起用における自己裁量権はザッケローニのときよりも拡大する。
“アギーレ”は代表祭りが始まるぞ、の大号令
しかし、こう書きながらも、アギーレ日本代表監督就任の媒体の取り扱いを見る限り、筆者が挙げてきた条件とやらも怪しくなる。一部メディア(ネット及び活字媒体)には総括なしの監督選びを非難する見出しも散見するが、TVがまるで駄目だ。“アギーレ”は、これから4年間、代表祭りが始まるぞ、の大号令に聞こえる。
結論を言えば、9月のキリン杯までに外国ブランドの代表監督を就任させることが、(スポンサー様のため、広告代理店のために)JFAにくだされた大命令なのだ。4年後のロシア大会に期待できない。
それに先立ち、日本代表(日本サッカー協会=JFA)はアディダス社との大型のスポンサー契約に合意している。また、このたびの親善試合も日本代表のメーンスポンサーであるキリン社の冠大会。かくして日本代表は、2018年ロシアW杯の開催に向けて、いつか来た道を歩みだす。
アギーレ・ジャパンは短命?
筆者の直観を申し述べれば、アギーレ・ジャパンは短命に終わりそうな気がする。なぜならば、アギーレが日本代表を取り巻くマーケティング的状況を理解することはあり得ないと思うから。おそらく、彼は純粋なサッカーの指揮官であって、大手広告代理店とJFAが共管する日本代表に嫌気がさし、早々に指揮を放棄すると思う。
逆に言えば、アギーレが監督を続けている状況とは、日本代表がブラジル大会と同じ状況にあることを意味する。ものわかりがよくなったアギーレとは、自身のサッカー哲学から外れ、代理店主導のカネまみれの日本代表のあり方と妥協している状況をいう。アギーレ一人に、JFAと代理店を黙らせる力はないだろう。
キリン杯のために「海外組」が犠牲に
さて、欧州のトップリーグの2014-15シーズンの開始日をみると、イタリアが8月31日、イングランドが16日、ドイツが22日になっている。前出のキリン社の冠大会は、欧州各国リーグの開幕直後に組まれている。日本代表の「海外組」がこの時期に欧州から日本に帰ってきて親善試合をすることで、彼らのコンディションを上向かせる要素は見いだせない。
キリン杯がFIFAの公認の大会だったとしても、「海外組」が日本に戻ることは、クラブにとっても選手にとっても、きわめて大きなマイナス行動となる。選手とクラブの間における拘束に係る契約の詳細を知らないが、なによりも、「海外組」にとって重要なのは、所属チームのレギュラーポジションを獲得すること、試合に出場することだ。開幕直後にチームを離れることのマイナスは計り知れない。
レギュラーこそが代表の条件
ブラジル大会惨敗の要因の一つに、代表主力選手が試合に出ていないことが挙げられる。いくら練習でフィジカルを上げても、公式戦では通用しない。代表強化の最善策の一つとして、個々の選手が、所属チームでリーグ戦という公式試合において、勝利に貢献すること、真剣勝負の経験を積むこと。これらのことがらは、ブラジルW杯惨敗によって、確認済みの事項だったはずだ。
日本のプロ野球には、「ブルペン・エース」という言い方がある。ドラフト上位で指名され、期待された投手。練習では素晴らしい投球をするものの、いざ試合に出ると制球を乱したりして勝てない。そうこうしていくうちに、チャンスが与えられなくなり、球界から去っていく。才能があっても、試合で発揮できなければ、プロではやっていけない。つまり試合で結果を残すことがプロスポーツ選手の最低限の存在証明なのだ。資格、過去の実績、ネームバリューやマスメディアの露出度ではない。
日本の海外組は「ブルペン・エース」と同じようなものだ。彼らはJリーグで活躍し、海外クラブと契約に至る。しかし、海外クラブでは試合に出られないまま、「海外組」という「資格」において日本代表入りする。彼らの役割は、海外クラブの広告塔、日本国内におけるCMタレントである。
公式試合で鍛えられていない精神と肉体は、W杯という真剣勝負では通用しない。むしろ、日本のJリーグでレギュラーをはっている選手に劣る。前者がブラジルにおける本田、香川、長谷部、長友、吉田であり、後者が大久保、山口、青山だった。
「海外組」の数少ないレギュラーでありながらブラジルに行けなかった2選手
「海外組」でレギュラーでありながら、W杯の代表選手に選ばれなかった事例もある。この事例は、ブラジル大会惨敗を検証するうえで、きわめて重要なものだ。代表選考に不正があったとは言わないが、選手の実力とは異なる力学が選考過程に作用したことの傍証となる。
ブラジル大会日本代表に残れなかったハーフナーマイクは、W杯後、オランダ1部からスペイン1部のコルドバに移籍した。彼はオランダ1部フィテッセに所属し、2年連続で10得点以上を記録した。オランダで実績を残しているハーフナーが代表から漏れ、イングランドやイタリアで1~2点しかとっていない「海外組」が、なぜ代表に選ばれたのか。
もう1人は、細貝萌だ。彼はドイツ1部ヘルタベルリンに所属し、13-14シーズンに33試合に出場している。その一方、日本代表キャプテンの長谷部は同じくニュルンベルグでわずか14試合の出場にとどまっている。しかもシーズン後半は故障であった。どちらが、ドイツ1部で活躍していたかは、その成績こそが物語っている。
筆者は、ブラジルW杯開催直前の代表選考発表の日から、繰り返し、ハーフナーと細貝が選に漏れたことに疑問を呈してきた。ザッケローニが代表監督を退いた今、その理由を技術委員長(現専務理事)に明らかにしてもらいたいものだ。
アギーレが真の監督の仕事に全うできる条件
さて、アギーレである。アギーレがJFAと広告代理店の横槍を退け、普通の代表強化に取り組むチャンスが皆無というわけではない。わずかではあるが、アギーレが代表監督の職を全うできる条件を挙げておく。
その第一は、日本惨敗の主因を日本のサッカージャーナリズムが真剣に取り上げ、その是正に向けたキャンペーンを行うことだ。つまり、日本国民が、日本代表のこれまでのあり方に疑問を呈すること。そうなれば、アイドル的な代表人気をつくりあげてきた広告代理店が、これまでとってきた日本代表に係るマーケティング戦略を後退させる可能性もないとは言えない。
そうなれば、国際親善試合に対する価値相対化も現実化する。親善試合に勝ってもそれが実力測定には当たらないという認識の一般化だ。親善試合とは、いわばボクシングの公開スパーリングのようなものだ、ということが国民レベルで理解が進めば、国民の関心のあり方が変わる。相手は練習不足かつ体重コントロールもしていない。交代枠は6人だから、ヘッドギア着用と同じだ。勝った、負けた、の話ではない。代表とは名ばかりの中身が知れれば、国民は不当表示だとJFAを糾弾するだろう。チケット代を返せと。
第二には、日本代表がブラジルで惨敗した結果、代表選手のタレント価値が低下したことだ。「海外組」に対する期待度、好感度は下落した。つまり、彼らをCMタレントとして起用する意味がなくなってきた。代表選手の媒体露出は低下し、JFA(広告代理店)も代表選手起用について、監督を束縛しなくなる。もちろん、キリン社及びアディダス社の影響は残るだろうが、ブラジル大会前ほどではないだろう。代表監督は代表選手の選出及び起用における自己裁量権はザッケローニのときよりも拡大する。
“アギーレ”は代表祭りが始まるぞ、の大号令
しかし、こう書きながらも、アギーレ日本代表監督就任の媒体の取り扱いを見る限り、筆者が挙げてきた条件とやらも怪しくなる。一部メディア(ネット及び活字媒体)には総括なしの監督選びを非難する見出しも散見するが、TVがまるで駄目だ。“アギーレ”は、これから4年間、代表祭りが始まるぞ、の大号令に聞こえる。
結論を言えば、9月のキリン杯までに外国ブランドの代表監督を就任させることが、(スポンサー様のため、広告代理店のために)JFAにくだされた大命令なのだ。4年後のロシア大会に期待できない。
2014年7月21日月曜日
2014年7月20日日曜日
権力の側にある者は罰を受けない――小保方晴子問題と忍び寄るファシズムの暗い影
筆者は小保方晴子と理化学研究所が引き起こした「STAP細胞」問題について、あまりに軽く考えてきたことを深く反省する。「小保方劇場」というタイトルも金輪際使用しない。この問題は筆者が思っていた以上に深刻化し、かつ、いま日本国で起きている諸々の修正主義的傾向の一環となって表出している。それは倫理・正義・法体系といった、国家と国民に対する最低限の縛り・約束事の崩壊を伴う社会の変質の象徴である。端的に言えば、小保方晴子を免罪しようとする勢力の台頭は、ファシズム(的支配体系勢力)の台頭と換言できる。
理研は小保方の処分を留保し、理研復帰を容認
拙コラムで触れたとおり、小保方らの「STAP細胞」論文は撤回され、その前後に若山および理研内部研究者等の調査・検証により、「STAP細胞」の実験結果にも不正・捏造があったという客観的証拠が公表されていった。このままならば、小保方が「自白」をせず弁護士を立てて引きこもっている以上、理研が小保方に処分をくだし、それを不服とした小保方が法廷闘争にもちこみ、えんえんと裁判が続くのかな、そうなれば、われわれが知らない理研と小保方の怪しげな関係も明るみに出て、それはそれでおもしろいのかな、と理研の処分発表とそれに対する小保方側の反応が出る日を心待ちにしていた。
ところが、政府(文科相)・改革委・理研(野依理事長)の三者が、「STAP細胞」の存在に係る検証実験について、小保方の参加を支持しだしたころから、法廷闘争の雰囲気が消え、承知のとおり、実際に小保方が期限付きではあるが理研に復帰してしまった。理研は自ら備えた規程を自ら逸脱し、小保方に対する処分言い渡しを留保した。
早稲田大、博士論文調査委の驚愕の詭弁
その一方、7月17日、小保方の「博士論文」をめぐり、早稲田大学の調査委員会(委員長・小林英明弁護士)は、小保方の博士論文に数々の「問題点」を指摘しつつも、小保方の行為が「学位取り消しの規定にあたらない」と結論付けた。その説明はいかにも不自然で、草稿をあやまって提出してしまった、という小保方の言い訳を全面的に受け入れての検証結果であった。「学位取り消しに当たらない」という結論が先にあって、それを正当化するための詭弁で構成された、驚きの内容の調査結果であった。もちろん、最終的に判断するのは早稲田大学であるから(本日=7月20日現在)、「学位取消しに当たらない」と決定されたわけではないが、調査委の結論を大学が覆す可能性はない。つまり、小保方はここでも処分を免れた。
小保方の理研復帰(検証実験参加)と、早稲田大学(調査委)の「学位取り消しに当たらない」という判定には密接な関係がある。両者に共通するのは、いずれもが「小保方は処分されない」という、「STAP細胞」問題の最終結論に向けた、露払い的役割を担っている点である。
小保方は「STAP細胞」問題で処分されない――その論拠は
論文が取下げられ、不正の状況証拠が出揃っている以上、ノーマルな社会ならば小保方のクロが確定し、組織の規程に従って処分される。犯罪ならば法律で裁かれる。自白がなくても証拠によってシロ、クロが判断される。小保方の場合は、大学が定めた規程及び理研という政府系研究機関が具備する規程に従う。もちろん、不服があるときは規程ではなく法律に委ねることもできる。法廷闘争である。
だが小保方の場合は大学で処分を免れ、理研でも免れそうな状況にある。このことは明らかに、尋常ならざる圧力が小保方を処分する側(早稲田大学・理研)にかけられていると考えることが自然であろう。尋常ならざる圧力とは何かといえば、国家権力以外にない。なぜ国家権力が小保方を守るのか。
国策の誤りは「なかったことにする」という修正主義が横行
それは、国家が国家にとって不都合な事件、事案は、すべからく“なかったこととする”からだ。修正主義である。「STAP細胞」研究は国家プロジェクトであった(現在もそう)。それは理研という日本国直営の研究機関において発想されてものだからだ。国策の一環なのである。ところが承知のとおり、それは見事に頓挫し、世間の笑いものになった。理研(の一部機関の)解体までが提案され、小保方とその周辺の幹部研究者との醜聞までが公表されるに至った。これ以上のマイナスが及べば、すなわち、小保方及び論文共著者等が理研により処分されれば、国家の威信を著しく損なう。それだけは避けよう、というのが小保方を処分しない側の本心である。
原発事故、平和憲法、侵略行為、アジア太平洋戦争までもが修正される
この構造は「原発」と同じである。原発は国策であり、福島原発の事故は国家にとって、“あってはならない”ものだった。だから、「事故はなかったものとする」というのが日本国の基本姿勢である。この姿勢は政党・政権を問わない。「STAP細胞」問題も論文取下げで決着し、すべて「なかったものとする」というのが、国家の姿勢であり、その姿勢を堅持するために小保方は、不正を問われることなくいま、理研に復帰している。
原発事故においても、東電、経産省ほか、原子力発電の安全基準を審査してきた諸々の機関・委員会等に関わった者の責任が問われることはない。そしていま、福島原発事故は風化しつつあり、マスメディアによって、それがなかったこととする、記憶と記録の封じ込めが進行している。
日本国憲法についても同じような修正が加えられている。集団的自衛権行使容認が憲法改正を経ずに閣議決定で「合法化」されてしまう。満洲国建国、アジア諸国への侵略、アジア太平洋戦争の開始、沖縄戦、広島・長崎の原爆投下もなかったこととする。「東京裁判」「戦後民主主義」「不戦の誓い」「戦争放棄」「永久平和主義」もなかったこととする。そればかりではない。日本人の戦没者数310万人の犠牲さえもなかったこととされようとしている。筆者にとって一世代前の人間がたかだか70年余前の戦争で310万人も亡くなったのである。そのことを忘却して、集団的自衛権の問題は議論できないのではなかろうか。現政権によって進行している日本国家の再編作業は「歴史修正主義」を基本としている点において、中国・韓国の指摘は間違っていない。
国策を担う者は処分されない
第二点目は、小保方が国家の側の人間であるからである。このことは前段の同義反復である。国家の側に属する者というのは、国策を担う者なのだから、同じことだ。だから処分されることがない。国家公務員、政治家、経営者、研究者、教育者・・・ジャンルを問わず、国家の側に属する者に官憲等の力は及ばない。ところがひとたび反権力側に押し出されれば、ジャンルを問わず排除される。その最適事例が田中角栄であり小沢一郎であり田中真紀子であり、鈴木宗男であり、佐藤優であり、ホリエモン・・・である。
小保方晴子が国家に属するようになったのは、彼女が発想した「STAP細胞」故であり、それに国家権力が捩じりより、小保方はもちろん国家の敷いた路線で彼女なりに頑張った。その頑張り方は実験結果の捏造、論文における画像の切貼り・無断転載など滅茶苦茶な作法を伴い、科学者倫理を逸脱したものに満ち満ちていた。だが、その仕事ぶりを糺す者は、少なくとも理研という政府系研究機関にはいなかった。学位論文でも然りである。早稲田大学が小保方の論文を適正に審査していたならば、彼女のキャリアはいまとは違ったものとなっただろう。そこに問題の出発点があったという者もいるが、筆者はそうは思っていない。早稲田でなくとも、どこかの大学が彼女の博士論文を通していただろう。(多少の時間的ズレはあったかもしれないが。)
小保方を止められなかったのは、日本各所の原発建設が止められななかったことと同じであり、事故後の原発再稼働の動きを止められないのと同じ構造である。
小保方晴子が備える「政治家」としての資質
国策にのった「STAP細胞」は国策により発信され、小保方の不正の発覚により頓挫した。しかしその張本人小保方を国家が処分することはない。これも噂だが、彼女の資質――科学者よりも「政治家」としてのそれ――を見越して、自民党が小保方を参院選候補者に立てるという説もあるらしい。
思えば、あれだけの状況証拠が後日明らかになりながら(本人は百も承知で)、「STAP細胞」はある、200回以上も製作した、と大勢のメディア関係者の前でミエを切った小保方の度胸と厚顔ぶりは、日本の「政治家」としての資質を十分に備えている。
科学コミュニティからの科学的指摘に一切耳をかさない忍耐力、いや鈍感力も然りである。政務調査費の使途を問われて絶叫号泣した兵庫県議会議員と比べてみれば、その存在感は圧倒的である。おまけに、いわゆる「女子力」とやらも備えているらしい。小保方が着用した洋服は売れるという説も聞いたことがある。つまり、これほどのタマはそう簡単に見つかるものではない、というのが選挙のプロの目なのではないか。自民党の比例代表名簿の上位者になれば、まず落選はない。自民党の比例代表獲得票数の増加も期待できる。
小保方が選挙に立候補するまで「STAP細胞」検証実験は終わらない?
もちろん、選挙戦まで、「STAP細胞」のあるなし(検証実験結果の公表)は留保され続ける。見つからない条件を挙げ続けてその修正を大義として実験を引き延ばせば、おそらく何年でも留保は可能である。何年もしないうちに、「STAP細胞」の不正も捏造も人々の記憶から消える。処分されない「女子力」の高い小保方晴子の虚像だけが人々の前に国会議員候補者として蘇るのである。それは筆者には悪夢に等しいが、そう思わない有権者の方が圧倒的多数だろう。小保方が日本の国会議会になったとしたら、まさに世の終わり(終末)である。
理研は小保方の処分を留保し、理研復帰を容認
拙コラムで触れたとおり、小保方らの「STAP細胞」論文は撤回され、その前後に若山および理研内部研究者等の調査・検証により、「STAP細胞」の実験結果にも不正・捏造があったという客観的証拠が公表されていった。このままならば、小保方が「自白」をせず弁護士を立てて引きこもっている以上、理研が小保方に処分をくだし、それを不服とした小保方が法廷闘争にもちこみ、えんえんと裁判が続くのかな、そうなれば、われわれが知らない理研と小保方の怪しげな関係も明るみに出て、それはそれでおもしろいのかな、と理研の処分発表とそれに対する小保方側の反応が出る日を心待ちにしていた。
ところが、政府(文科相)・改革委・理研(野依理事長)の三者が、「STAP細胞」の存在に係る検証実験について、小保方の参加を支持しだしたころから、法廷闘争の雰囲気が消え、承知のとおり、実際に小保方が期限付きではあるが理研に復帰してしまった。理研は自ら備えた規程を自ら逸脱し、小保方に対する処分言い渡しを留保した。
早稲田大、博士論文調査委の驚愕の詭弁
その一方、7月17日、小保方の「博士論文」をめぐり、早稲田大学の調査委員会(委員長・小林英明弁護士)は、小保方の博士論文に数々の「問題点」を指摘しつつも、小保方の行為が「学位取り消しの規定にあたらない」と結論付けた。その説明はいかにも不自然で、草稿をあやまって提出してしまった、という小保方の言い訳を全面的に受け入れての検証結果であった。「学位取り消しに当たらない」という結論が先にあって、それを正当化するための詭弁で構成された、驚きの内容の調査結果であった。もちろん、最終的に判断するのは早稲田大学であるから(本日=7月20日現在)、「学位取消しに当たらない」と決定されたわけではないが、調査委の結論を大学が覆す可能性はない。つまり、小保方はここでも処分を免れた。
小保方の理研復帰(検証実験参加)と、早稲田大学(調査委)の「学位取り消しに当たらない」という判定には密接な関係がある。両者に共通するのは、いずれもが「小保方は処分されない」という、「STAP細胞」問題の最終結論に向けた、露払い的役割を担っている点である。
小保方は「STAP細胞」問題で処分されない――その論拠は
論文が取下げられ、不正の状況証拠が出揃っている以上、ノーマルな社会ならば小保方のクロが確定し、組織の規程に従って処分される。犯罪ならば法律で裁かれる。自白がなくても証拠によってシロ、クロが判断される。小保方の場合は、大学が定めた規程及び理研という政府系研究機関が具備する規程に従う。もちろん、不服があるときは規程ではなく法律に委ねることもできる。法廷闘争である。
だが小保方の場合は大学で処分を免れ、理研でも免れそうな状況にある。このことは明らかに、尋常ならざる圧力が小保方を処分する側(早稲田大学・理研)にかけられていると考えることが自然であろう。尋常ならざる圧力とは何かといえば、国家権力以外にない。なぜ国家権力が小保方を守るのか。
国策の誤りは「なかったことにする」という修正主義が横行
それは、国家が国家にとって不都合な事件、事案は、すべからく“なかったこととする”からだ。修正主義である。「STAP細胞」研究は国家プロジェクトであった(現在もそう)。それは理研という日本国直営の研究機関において発想されてものだからだ。国策の一環なのである。ところが承知のとおり、それは見事に頓挫し、世間の笑いものになった。理研(の一部機関の)解体までが提案され、小保方とその周辺の幹部研究者との醜聞までが公表されるに至った。これ以上のマイナスが及べば、すなわち、小保方及び論文共著者等が理研により処分されれば、国家の威信を著しく損なう。それだけは避けよう、というのが小保方を処分しない側の本心である。
原発事故、平和憲法、侵略行為、アジア太平洋戦争までもが修正される
この構造は「原発」と同じである。原発は国策であり、福島原発の事故は国家にとって、“あってはならない”ものだった。だから、「事故はなかったものとする」というのが日本国の基本姿勢である。この姿勢は政党・政権を問わない。「STAP細胞」問題も論文取下げで決着し、すべて「なかったものとする」というのが、国家の姿勢であり、その姿勢を堅持するために小保方は、不正を問われることなくいま、理研に復帰している。
原発事故においても、東電、経産省ほか、原子力発電の安全基準を審査してきた諸々の機関・委員会等に関わった者の責任が問われることはない。そしていま、福島原発事故は風化しつつあり、マスメディアによって、それがなかったこととする、記憶と記録の封じ込めが進行している。
日本国憲法についても同じような修正が加えられている。集団的自衛権行使容認が憲法改正を経ずに閣議決定で「合法化」されてしまう。満洲国建国、アジア諸国への侵略、アジア太平洋戦争の開始、沖縄戦、広島・長崎の原爆投下もなかったこととする。「東京裁判」「戦後民主主義」「不戦の誓い」「戦争放棄」「永久平和主義」もなかったこととする。そればかりではない。日本人の戦没者数310万人の犠牲さえもなかったこととされようとしている。筆者にとって一世代前の人間がたかだか70年余前の戦争で310万人も亡くなったのである。そのことを忘却して、集団的自衛権の問題は議論できないのではなかろうか。現政権によって進行している日本国家の再編作業は「歴史修正主義」を基本としている点において、中国・韓国の指摘は間違っていない。
国策を担う者は処分されない
第二点目は、小保方が国家の側の人間であるからである。このことは前段の同義反復である。国家の側に属する者というのは、国策を担う者なのだから、同じことだ。だから処分されることがない。国家公務員、政治家、経営者、研究者、教育者・・・ジャンルを問わず、国家の側に属する者に官憲等の力は及ばない。ところがひとたび反権力側に押し出されれば、ジャンルを問わず排除される。その最適事例が田中角栄であり小沢一郎であり田中真紀子であり、鈴木宗男であり、佐藤優であり、ホリエモン・・・である。
小保方晴子が国家に属するようになったのは、彼女が発想した「STAP細胞」故であり、それに国家権力が捩じりより、小保方はもちろん国家の敷いた路線で彼女なりに頑張った。その頑張り方は実験結果の捏造、論文における画像の切貼り・無断転載など滅茶苦茶な作法を伴い、科学者倫理を逸脱したものに満ち満ちていた。だが、その仕事ぶりを糺す者は、少なくとも理研という政府系研究機関にはいなかった。学位論文でも然りである。早稲田大学が小保方の論文を適正に審査していたならば、彼女のキャリアはいまとは違ったものとなっただろう。そこに問題の出発点があったという者もいるが、筆者はそうは思っていない。早稲田でなくとも、どこかの大学が彼女の博士論文を通していただろう。(多少の時間的ズレはあったかもしれないが。)
小保方を止められなかったのは、日本各所の原発建設が止められななかったことと同じであり、事故後の原発再稼働の動きを止められないのと同じ構造である。
小保方晴子が備える「政治家」としての資質
国策にのった「STAP細胞」は国策により発信され、小保方の不正の発覚により頓挫した。しかしその張本人小保方を国家が処分することはない。これも噂だが、彼女の資質――科学者よりも「政治家」としてのそれ――を見越して、自民党が小保方を参院選候補者に立てるという説もあるらしい。
思えば、あれだけの状況証拠が後日明らかになりながら(本人は百も承知で)、「STAP細胞」はある、200回以上も製作した、と大勢のメディア関係者の前でミエを切った小保方の度胸と厚顔ぶりは、日本の「政治家」としての資質を十分に備えている。
科学コミュニティからの科学的指摘に一切耳をかさない忍耐力、いや鈍感力も然りである。政務調査費の使途を問われて絶叫号泣した兵庫県議会議員と比べてみれば、その存在感は圧倒的である。おまけに、いわゆる「女子力」とやらも備えているらしい。小保方が着用した洋服は売れるという説も聞いたことがある。つまり、これほどのタマはそう簡単に見つかるものではない、というのが選挙のプロの目なのではないか。自民党の比例代表名簿の上位者になれば、まず落選はない。自民党の比例代表獲得票数の増加も期待できる。
小保方が選挙に立候補するまで「STAP細胞」検証実験は終わらない?
もちろん、選挙戦まで、「STAP細胞」のあるなし(検証実験結果の公表)は留保され続ける。見つからない条件を挙げ続けてその修正を大義として実験を引き延ばせば、おそらく何年でも留保は可能である。何年もしないうちに、「STAP細胞」の不正も捏造も人々の記憶から消える。処分されない「女子力」の高い小保方晴子の虚像だけが人々の前に国会議員候補者として蘇るのである。それは筆者には悪夢に等しいが、そう思わない有権者の方が圧倒的多数だろう。小保方が日本の国会議会になったとしたら、まさに世の終わり(終末)である。
2014年7月18日金曜日
日本代表サッカーの暗部と深部
管見の限りだが、もっとも簡潔にして的確なサッカーW杯ブラジル大会の日本代表についての論評は、レビー・クルプ(元セレッソ大阪監督)のそれだろう。
筆者は全面的にクルプの論評を支持するし、そのとおりだと思う。ただ、クルプはその立場上、日本サッカー、なかんずく代表サッカーが陥っている構造的問題についての論及を控えている。彼には、日本において仕事をする機会がまだ残されているからだ。彼はセレッソ監督時代に現マンチェスターUTの香川真司を育て、次いで清武弘嗣、柿谷曜一郎、山口蛍を育てて代表に送り出している。その手腕については、だれもが認めるところ。だから、クルプを代表監督に推挙する声すらある。日本のサッカー協会との関係悪化は望むまい。
日本サッカー協会の問題点
(一)協会の担当者は責任をとってまず辞任すべき
というわけで、クルプが触れなかった日本代表の問題点である。まず、協会がブラジル大会惨敗の責任をとろうとしないことだ。もちろんまだ検証の段階だという言い訳はとおる。そう簡単に敗北の原因究明はできません、という主張もありだろう。しかし、負けたことは事実なのだから、協会として、敗退が決定した時点で代表強化の職にあった者は辞任すべきだ。いきなりトップというわけにはいかないだろうから、まずは技術委員長が辞めるべきだ。
W杯南アフリカ大会終了後からブラジル大会に至るまでの4年間、技術委員長が日本代表を実質上マネジメントしてきた。その具体的一歩が代表監督選びであり、ザッケローニの招聘であった。ザッケローニの代表監督招聘は結果的には失敗だった(失敗の詳細については後述する)。
(二)誤った強化策
次に問われるべきは、強化策のあり方であり、その失敗の構造改革なしでは先に進めない。なかで重要なのが、強化試合の組み方だ。日本代表が日本国内で海外の代表チームと行う親善試合(=強化試合、練習試合)のあり方だ。
親善試合は(TV視聴率が高く、また、種々のメディアの注目度が高いため)広告代理店にとってドル箱のイベント(マーケティング上の)になっている。そのため、海外の代表と銘打って、調整不足の海外「代表チーム」が強行日程で試合をするケースが軒並みだった。しかも、日本と欧州等のサッカー日程の違いから、有力選手が集まらないケースも少なくなかった。それでも試合開催時には国歌が演奏され、大使等が観戦に訪れ、代表戦の体裁だけが整えられる。
それだけではない。代表戦というだけで盛り上がる日本の脳天気「代表サポーター」が多数集まり、公式戦さながらの応援をしてくれる。メディアもやってくる「海外代表」の実態を報道しない。有力選手が不在でもそのことを報じない。
玉石混交の「代表」選手で構成された「代表チーム」が日本にやってきて、日本代表と試合をするだけで、サッカー協会には巨額のカネが集まり、代理店にとっては価値の高いイベント(コンテンツ)として高く売れる。TV局は高視聴率が取れ、印刷媒体も売れる。日本代表の国内親善試合は、概ね日本の勝利で終わり、スタジアム、あるいはTVの前の「代表サポーター」が満足する。
協会、代理店、メディア、「サポーター」の4者にとってウイン・ウインの国際親善試合だが、もちろん日本代表チームの強化には結びつかない。加えて、欧州から日本に帰国する日本代表の「海外組」も長距離移動でコンディションを壊しクラブでのレギュラー争いに負ける要因となる。つまり、カネもうけにはなるが、代表強化には何の益もないのが「国際親善試合」の実態なのだ。こんなことは、サッカーを知る者には承知のことだが、カネの力には勝てない。このビジネスモデルを協会が諦めなければ、代表強化は無理だ。なぜ、海外組がたかが親善試合に呼ばれるのか、そのことは後述する。
(三) メディアに巣食うサッカー「解説者」を自称する“太鼓持ち”たちを一掃せよ
サッカー解説者と称して、いったい何人の“太鼓持ち”コメンテーターがTV出演したことか。中継中に大声で叫ぶだけの応援団的なコメンテーターの方が多数派だ。根拠のない対戦予想が花盛りで、「3-0」で日本勝利が定番化している。うち幾人かはサッカー解説をする者もいるものの、いずれ日本サッカー協会等から「お声」がかかる身だから、日本代表を批判する者は極めて少数派となる。
例外はセルジオ越後ただ一人。彼は日本サッカーに対して実にクールな立場を堅持し続けている例外的存在だ。セルジオ越後がいまの立場を堅持できるのは、サッカー協会やJリーグに取り込まれる可能性を自ら否定しているからだろう。セルジオ越後を除いたコメンテーターは就職がかかっているのだ。
この状況を換言すると、日本には専門職としてのサッカーコメンテーターは、セルジオ越後以外存在しないということ。もちろん、サッカーを専門的に扱うメディアもない。前出のとおり、代表サッカーを支配しているのは大手代理店である。メディアは代理店に隷属しているから、代理店が(コンテンツとして)大切にしている日本代表を貶めるような記事・報道を控える。
だれからも、どこからも批判の矢が飛んでこないのが、日本代表という存在なのだ。代表は大手広告代理店のメディア支配に守られている。この体制を脱して、日本代表を自由に批判し、その問題点を糺すようなメディア環境(サッカージャーナリズム)が日本に醸成できれば、日本代表のあり方は、そう長い時間を要さず、変えていけるかもしれない。
ブラジル大会前、“太鼓持ち”の多くは、日本代表がグループリーグを悠遊突破し、ベスト8に入ると予想していた。景気づけのつもりなのか、本心なのか、保身なのか・・・代表というお座敷を盛り上げるのが彼らの仕事なのだからそれはそれで仕方がないとはいえ、根拠のない楽観論にはウンザリ。彼らを一掃することも、代表強化の周縁的事業の一つとなる。
大手広告代理店の負の影響力
(一)スポーツメディア支配から、代表支配へ
その実態について確実な取材していないので、以下の記述は推定にすぎない。だが、そう考えた方が自然だと思うので書いておく。その根拠は以下の4点だ。
(二)代表選手選考、戦術への介入
広告代理店が代表選手の選考や戦術に影響を及ぼすとしたら、どうだろうか。そんなことは不可能だと考えるか、いやそんなの常識だよ、と考えるか。前者のようなナイーブ(ウブ)な観点の「代表論」は、筆者にとって魅力がない。つまり、前者の立場のカテゴリーの代表論は、前出のレビー・クルプの代表論で言い尽くされているからだ。
今回のW杯の日本代表、とりわけ試合に出場した選手たちの顔ぶれは、CMキャラクターとしてメディアに露出した顔ぶれとシンクロしている。実力がある選手だから海外に移籍し、メディアの話題となり、そのことを価値としてCMに起用されるというのが自然の流れだ。だれもがそう考える。
ところで、W杯ブラジル大会のMVPがメッシ(アルゼンチン)だったことには、だれもが疑問をもった。メッシが大活躍した記憶がないからだ。しかし、彼がアディダスの契約選手だったとわかれば、驚かない。同社はW杯の有力スポンサー企業である。
日本代表の背番号10はアディダスとの契約選手で受け継がれている(例外は2002年:トルシエが代表から外した中村俊輔)。もちろん現在の背番号10の香川真司もアディダス契約選手。
本大会に臨む前の香川真司はどうだったのか。イングランドで試合に出られず、日本代表試合でも活躍していない。香川真司に代わる人材はいなかったのか?こうしたメーカー等とスポーツ選手との密接な関係は、日本代表にも認められる。余談だが、筆者は圧力に屈せず中村俊輔を代表から外したトルシエをその一点で評価している。
(三)代表選手選考およびその起用とCM出演の関係性
本田圭佑はW杯開催前後、NTTドコモ(携帯電話)、オリンパス(カメラ)、ミンティア(菓子)、キリン(ビール)、ユニクロ(衣料品)、マクドナルド(外食)、TBC(エステ)、コカコーラ(飲料)、ベンツ(自動車)等々のTVCMに出演している。ほかにも、スポーツメーカー、腕時計、サングラス等のメーカーとの専属契約もあるという。こうしたCM契約と出演は広告代理店の主たる業務である。
その本田圭佑だが、彼は本業のサッカーでは調子が上がっていなかった。おそらく選手としてのピークも下り坂にさしかかったのではないか。ACミラン移籍後は点がとれない。フィジカルもおかしい。それでも本田圭佑は日本代表の中心選手として君臨し続けた。
日本代表監督のザッケローニは、香川真司と本田圭佑を攻撃の中心としたチームづくりをしてきた。しかしながら、彼らの調子が上向かないことが現実となった時、それに代わる人材と戦術に切り替えるチームづくりを怠った。とたとえば、本田圭佑を経由しないセンターフォワード(CF)を基点とする攻撃スタイルを模索する道筋もあった。CF候補としては、豊田陽平、ハーフナーマイク、佐藤寿人、川又堅碁がいた。ザッケローニは代表選考において、彼らを排除した。その背後に代理店と結託した日本サッカー協会(技術委員長)がいたことは想像に難くない。また、本田圭佑が彼らを個人的に排除したとも言われている。ザッケローニは、トルシエが中村俊輔を切ったような強硬的選考を回避した。前出の「ザッケローニの失敗」とは、このことをさす。
長谷部誠にも同じことがいえる。彼もキリンレモン(飲料)、ニベア(化粧品)、ボルビック(飲料)、アテッサ(時計)、日本ユニセフ協会等のTVCMに出演しており、書籍の刊行もある。ドイツではレギュラーもおぼつかなく、しかも故障あがりでありながら、彼が実力以上に評価されたのは、キャプテンシーというよりも広告代理店にとって重要だったからではないか。その影響で代表選考から漏れたのが、細貝萌だ。彼はドイツでレギュラーであり、実力では長谷部誠を大きく上回りながら、日本代表に残れなかった。
大手広告代理店が海外組をCMキャラクターとして企業に売り込み契約をし、その見返りとして、日本代表試合に出場させてメディア露出を保証する。そんな仕組みで日本代表ビジネスが成り立っているとしたら、日本代表はサッカーをする前に負けている。CM出演が実力に優先するような代表サッカーの構造を改革しなければ、日本は強くなれない。
ロシア大会に向けて何をなすべきか
(一)海外ブランド漁りが大好きなサッカー協会(技術委員長)
ザッケローニというイタリア高級ブランドに手を出して失敗した日本サッカー協会は、W杯敗北の検証も終わらないうちに、こんどはメキシコブランドに触手を伸ばしているという。メキシコのサッカー事情を知らない筆者だが、体格は日本人と同程度で小柄ながらW杯ではつねにベスト16以上をキープしているという。海外移籍が盛んでなく、メキシコ国内リーグで活躍する選手を主体とした代表チームづくりが特徴だという。
(二)ロシア大会は国内組が主力か
W杯で不調だった日本代表だから、海外移籍は前の4年間より盛んではなくなる傾向になろう。W杯終了後に海外移籍が決まった代表選手は柿谷曜一郎だけ。欧州サッカーにおける来季(14-15シーズン)、本田圭佑(イタリア)、香川真司(イングランド)のリーグ戦出場機会はさらに減少するだろう。2人とも海外遠征メンバーとして残るのが精いっぱいではないか。
この2選手がリーグ戦に出場する機会は激減するだろうが、もちろん契約解除には至らない。彼らはジャパンマネーの集金マシーンであり広告塔だからだ。「海外組」=実力のある選手、という等式に疑問をもつべきなのだ。モダンサッカーを動かすのは選手の実力もあるが、カネの流れも重要なのだから。
ドイツは世界王者となったため、優秀な海外選手の流入も増えそうだ。当然、清武弘嗣、大迫勇也、乾貴士、岡崎慎司、酒井高徳、酒井宏樹、長谷部誠、原口元気、細貝萌らがレギュラーとして保証されたわかではない。海外組でほぼレギュラーがとれそうなのは、内田篤人(ドイツ)と長友佑都(イタリア)しかいないのではないか。
(三)日本代表の暗部に目を向けなければ強くはなれない
そんななか、国内リーグ選手を中心とした日本代表づくりという状況を迫られるのならば、メキシコに目を向けることも悪くない。だが、メキシコ代表には、大手広告代理店が介入するような環境は絶無だろう。外形的サッカー情報でメキシコサッカーとその監督に適格性が見いだせたとしても、日本代表の暗部と深部に向けて構造改革がなされなければ、どこのだれが監督になっても変化は期待できない。代理店の圧力を排除できるような人物ならば、国籍、サッカー観はあまり関係ないような気もする。そう感じるほど、日本の代表サッカーは腐っているということだ。
筆者は全面的にクルプの論評を支持するし、そのとおりだと思う。ただ、クルプはその立場上、日本サッカー、なかんずく代表サッカーが陥っている構造的問題についての論及を控えている。彼には、日本において仕事をする機会がまだ残されているからだ。彼はセレッソ監督時代に現マンチェスターUTの香川真司を育て、次いで清武弘嗣、柿谷曜一郎、山口蛍を育てて代表に送り出している。その手腕については、だれもが認めるところ。だから、クルプを代表監督に推挙する声すらある。日本のサッカー協会との関係悪化は望むまい。
日本サッカー協会の問題点
(一)協会の担当者は責任をとってまず辞任すべき
というわけで、クルプが触れなかった日本代表の問題点である。まず、協会がブラジル大会惨敗の責任をとろうとしないことだ。もちろんまだ検証の段階だという言い訳はとおる。そう簡単に敗北の原因究明はできません、という主張もありだろう。しかし、負けたことは事実なのだから、協会として、敗退が決定した時点で代表強化の職にあった者は辞任すべきだ。いきなりトップというわけにはいかないだろうから、まずは技術委員長が辞めるべきだ。
W杯南アフリカ大会終了後からブラジル大会に至るまでの4年間、技術委員長が日本代表を実質上マネジメントしてきた。その具体的一歩が代表監督選びであり、ザッケローニの招聘であった。ザッケローニの代表監督招聘は結果的には失敗だった(失敗の詳細については後述する)。
(二)誤った強化策
次に問われるべきは、強化策のあり方であり、その失敗の構造改革なしでは先に進めない。なかで重要なのが、強化試合の組み方だ。日本代表が日本国内で海外の代表チームと行う親善試合(=強化試合、練習試合)のあり方だ。
親善試合は(TV視聴率が高く、また、種々のメディアの注目度が高いため)広告代理店にとってドル箱のイベント(マーケティング上の)になっている。そのため、海外の代表と銘打って、調整不足の海外「代表チーム」が強行日程で試合をするケースが軒並みだった。しかも、日本と欧州等のサッカー日程の違いから、有力選手が集まらないケースも少なくなかった。それでも試合開催時には国歌が演奏され、大使等が観戦に訪れ、代表戦の体裁だけが整えられる。
それだけではない。代表戦というだけで盛り上がる日本の脳天気「代表サポーター」が多数集まり、公式戦さながらの応援をしてくれる。メディアもやってくる「海外代表」の実態を報道しない。有力選手が不在でもそのことを報じない。
玉石混交の「代表」選手で構成された「代表チーム」が日本にやってきて、日本代表と試合をするだけで、サッカー協会には巨額のカネが集まり、代理店にとっては価値の高いイベント(コンテンツ)として高く売れる。TV局は高視聴率が取れ、印刷媒体も売れる。日本代表の国内親善試合は、概ね日本の勝利で終わり、スタジアム、あるいはTVの前の「代表サポーター」が満足する。
協会、代理店、メディア、「サポーター」の4者にとってウイン・ウインの国際親善試合だが、もちろん日本代表チームの強化には結びつかない。加えて、欧州から日本に帰国する日本代表の「海外組」も長距離移動でコンディションを壊しクラブでのレギュラー争いに負ける要因となる。つまり、カネもうけにはなるが、代表強化には何の益もないのが「国際親善試合」の実態なのだ。こんなことは、サッカーを知る者には承知のことだが、カネの力には勝てない。このビジネスモデルを協会が諦めなければ、代表強化は無理だ。なぜ、海外組がたかが親善試合に呼ばれるのか、そのことは後述する。
(三) メディアに巣食うサッカー「解説者」を自称する“太鼓持ち”たちを一掃せよ
サッカー解説者と称して、いったい何人の“太鼓持ち”コメンテーターがTV出演したことか。中継中に大声で叫ぶだけの応援団的なコメンテーターの方が多数派だ。根拠のない対戦予想が花盛りで、「3-0」で日本勝利が定番化している。うち幾人かはサッカー解説をする者もいるものの、いずれ日本サッカー協会等から「お声」がかかる身だから、日本代表を批判する者は極めて少数派となる。
例外はセルジオ越後ただ一人。彼は日本サッカーに対して実にクールな立場を堅持し続けている例外的存在だ。セルジオ越後がいまの立場を堅持できるのは、サッカー協会やJリーグに取り込まれる可能性を自ら否定しているからだろう。セルジオ越後を除いたコメンテーターは就職がかかっているのだ。
この状況を換言すると、日本には専門職としてのサッカーコメンテーターは、セルジオ越後以外存在しないということ。もちろん、サッカーを専門的に扱うメディアもない。前出のとおり、代表サッカーを支配しているのは大手代理店である。メディアは代理店に隷属しているから、代理店が(コンテンツとして)大切にしている日本代表を貶めるような記事・報道を控える。
だれからも、どこからも批判の矢が飛んでこないのが、日本代表という存在なのだ。代表は大手広告代理店のメディア支配に守られている。この体制を脱して、日本代表を自由に批判し、その問題点を糺すようなメディア環境(サッカージャーナリズム)が日本に醸成できれば、日本代表のあり方は、そう長い時間を要さず、変えていけるかもしれない。
ブラジル大会前、“太鼓持ち”の多くは、日本代表がグループリーグを悠遊突破し、ベスト8に入ると予想していた。景気づけのつもりなのか、本心なのか、保身なのか・・・代表というお座敷を盛り上げるのが彼らの仕事なのだからそれはそれで仕方がないとはいえ、根拠のない楽観論にはウンザリ。彼らを一掃することも、代表強化の周縁的事業の一つとなる。
大手広告代理店の負の影響力
(一)スポーツメディア支配から、代表支配へ
その実態について確実な取材していないので、以下の記述は推定にすぎない。だが、そう考えた方が自然だと思うので書いておく。その根拠は以下の4点だ。
- 日本代表試合が広告代理店にとって有力なコンテンツになった
- その結果、無益な海外チームとの親善試合が国内で興行目的のイベントとして仕掛けられた
- メディアも大手代理店の意向をうけ、代表批判を控えてきた
- W杯はその総集編とも呼ぶべきビッグイベント
(二)代表選手選考、戦術への介入
広告代理店が代表選手の選考や戦術に影響を及ぼすとしたら、どうだろうか。そんなことは不可能だと考えるか、いやそんなの常識だよ、と考えるか。前者のようなナイーブ(ウブ)な観点の「代表論」は、筆者にとって魅力がない。つまり、前者の立場のカテゴリーの代表論は、前出のレビー・クルプの代表論で言い尽くされているからだ。
今回のW杯の日本代表、とりわけ試合に出場した選手たちの顔ぶれは、CMキャラクターとしてメディアに露出した顔ぶれとシンクロしている。実力がある選手だから海外に移籍し、メディアの話題となり、そのことを価値としてCMに起用されるというのが自然の流れだ。だれもがそう考える。
ところで、W杯ブラジル大会のMVPがメッシ(アルゼンチン)だったことには、だれもが疑問をもった。メッシが大活躍した記憶がないからだ。しかし、彼がアディダスの契約選手だったとわかれば、驚かない。同社はW杯の有力スポンサー企業である。
日本代表の背番号10はアディダスとの契約選手で受け継がれている(例外は2002年:トルシエが代表から外した中村俊輔)。もちろん現在の背番号10の香川真司もアディダス契約選手。
本大会に臨む前の香川真司はどうだったのか。イングランドで試合に出られず、日本代表試合でも活躍していない。香川真司に代わる人材はいなかったのか?こうしたメーカー等とスポーツ選手との密接な関係は、日本代表にも認められる。余談だが、筆者は圧力に屈せず中村俊輔を代表から外したトルシエをその一点で評価している。
(三)代表選手選考およびその起用とCM出演の関係性
本田圭佑はW杯開催前後、NTTドコモ(携帯電話)、オリンパス(カメラ)、ミンティア(菓子)、キリン(ビール)、ユニクロ(衣料品)、マクドナルド(外食)、TBC(エステ)、コカコーラ(飲料)、ベンツ(自動車)等々のTVCMに出演している。ほかにも、スポーツメーカー、腕時計、サングラス等のメーカーとの専属契約もあるという。こうしたCM契約と出演は広告代理店の主たる業務である。
その本田圭佑だが、彼は本業のサッカーでは調子が上がっていなかった。おそらく選手としてのピークも下り坂にさしかかったのではないか。ACミラン移籍後は点がとれない。フィジカルもおかしい。それでも本田圭佑は日本代表の中心選手として君臨し続けた。
日本代表監督のザッケローニは、香川真司と本田圭佑を攻撃の中心としたチームづくりをしてきた。しかしながら、彼らの調子が上向かないことが現実となった時、それに代わる人材と戦術に切り替えるチームづくりを怠った。とたとえば、本田圭佑を経由しないセンターフォワード(CF)を基点とする攻撃スタイルを模索する道筋もあった。CF候補としては、豊田陽平、ハーフナーマイク、佐藤寿人、川又堅碁がいた。ザッケローニは代表選考において、彼らを排除した。その背後に代理店と結託した日本サッカー協会(技術委員長)がいたことは想像に難くない。また、本田圭佑が彼らを個人的に排除したとも言われている。ザッケローニは、トルシエが中村俊輔を切ったような強硬的選考を回避した。前出の「ザッケローニの失敗」とは、このことをさす。
長谷部誠にも同じことがいえる。彼もキリンレモン(飲料)、ニベア(化粧品)、ボルビック(飲料)、アテッサ(時計)、日本ユニセフ協会等のTVCMに出演しており、書籍の刊行もある。ドイツではレギュラーもおぼつかなく、しかも故障あがりでありながら、彼が実力以上に評価されたのは、キャプテンシーというよりも広告代理店にとって重要だったからではないか。その影響で代表選考から漏れたのが、細貝萌だ。彼はドイツでレギュラーであり、実力では長谷部誠を大きく上回りながら、日本代表に残れなかった。
大手広告代理店が海外組をCMキャラクターとして企業に売り込み契約をし、その見返りとして、日本代表試合に出場させてメディア露出を保証する。そんな仕組みで日本代表ビジネスが成り立っているとしたら、日本代表はサッカーをする前に負けている。CM出演が実力に優先するような代表サッカーの構造を改革しなければ、日本は強くなれない。
ロシア大会に向けて何をなすべきか
(一)海外ブランド漁りが大好きなサッカー協会(技術委員長)
ザッケローニというイタリア高級ブランドに手を出して失敗した日本サッカー協会は、W杯敗北の検証も終わらないうちに、こんどはメキシコブランドに触手を伸ばしているという。メキシコのサッカー事情を知らない筆者だが、体格は日本人と同程度で小柄ながらW杯ではつねにベスト16以上をキープしているという。海外移籍が盛んでなく、メキシコ国内リーグで活躍する選手を主体とした代表チームづくりが特徴だという。
(二)ロシア大会は国内組が主力か
W杯で不調だった日本代表だから、海外移籍は前の4年間より盛んではなくなる傾向になろう。W杯終了後に海外移籍が決まった代表選手は柿谷曜一郎だけ。欧州サッカーにおける来季(14-15シーズン)、本田圭佑(イタリア)、香川真司(イングランド)のリーグ戦出場機会はさらに減少するだろう。2人とも海外遠征メンバーとして残るのが精いっぱいではないか。
この2選手がリーグ戦に出場する機会は激減するだろうが、もちろん契約解除には至らない。彼らはジャパンマネーの集金マシーンであり広告塔だからだ。「海外組」=実力のある選手、という等式に疑問をもつべきなのだ。モダンサッカーを動かすのは選手の実力もあるが、カネの流れも重要なのだから。
ドイツは世界王者となったため、優秀な海外選手の流入も増えそうだ。当然、清武弘嗣、大迫勇也、乾貴士、岡崎慎司、酒井高徳、酒井宏樹、長谷部誠、原口元気、細貝萌らがレギュラーとして保証されたわかではない。海外組でほぼレギュラーがとれそうなのは、内田篤人(ドイツ)と長友佑都(イタリア)しかいないのではないか。
(三)日本代表の暗部に目を向けなければ強くはなれない
そんななか、国内リーグ選手を中心とした日本代表づくりという状況を迫られるのならば、メキシコに目を向けることも悪くない。だが、メキシコ代表には、大手広告代理店が介入するような環境は絶無だろう。外形的サッカー情報でメキシコサッカーとその監督に適格性が見いだせたとしても、日本代表の暗部と深部に向けて構造改革がなされなければ、どこのだれが監督になっても変化は期待できない。代理店の圧力を排除できるような人物ならば、国籍、サッカー観はあまり関係ないような気もする。そう感じるほど、日本の代表サッカーは腐っているということだ。
猫族の世界
ペットを飼う楽しみはいろいろある。
観賞用、愛玩用、癒し効果・・・人それぞれである。
筆者の場合、下の画像にある2匹の猫について、目的をもって飼い出したわけではない。
このことは以前に書いたことだが、ある日、突然、猫が拙宅に存在したのだった。
だから、目的をもって飼育を始めたのではなく、とにかく追い出すわけにいかないから、共存したのである。
共存してからというもの、猫族の魅力を新鮮に発見して驚くばかりである。 それは筆者には未知の領域だった。 なかで興味深いのは、猫族とのコミュニケーションのあり方だ。 猫族は人間と交信する。 声、仕草、近づいて注意を促す・・・方法は多種であり、彼らの目的によって、それぞれ使い分ける。
筆者は、犬は人になつくが、猫は人になつかないと思っていた。 ところが猫は犬以上に愛情が深い。意外と飼い主に気を遣うのである。
たとえば、熱帯魚、亀、トカゲといったペット類の場合、餌や水をあげるだけで終わってしまう。おもしろみはない。一方、猫とのやりとりは複雑であり、しかも犬のそれとも違う。猫の行動、言動?は論理性に乏しく、一貫性はない。矛盾だらけなのだ。それでも最後は、友情と愛情の世界で落ち着く。猫とはいかにも、不思議な生き物なのである。
共存してからというもの、猫族の魅力を新鮮に発見して驚くばかりである。 それは筆者には未知の領域だった。 なかで興味深いのは、猫族とのコミュニケーションのあり方だ。 猫族は人間と交信する。 声、仕草、近づいて注意を促す・・・方法は多種であり、彼らの目的によって、それぞれ使い分ける。
筆者は、犬は人になつくが、猫は人になつかないと思っていた。 ところが猫は犬以上に愛情が深い。意外と飼い主に気を遣うのである。
たとえば、熱帯魚、亀、トカゲといったペット類の場合、餌や水をあげるだけで終わってしまう。おもしろみはない。一方、猫とのやりとりは複雑であり、しかも犬のそれとも違う。猫の行動、言動?は論理性に乏しく、一貫性はない。矛盾だらけなのだ。それでも最後は、友情と愛情の世界で落ち着く。猫とはいかにも、不思議な生き物なのである。
2014年7月15日火曜日
W杯ブラジル大会閉幕
ドイツの強さは総合力
サッカーW杯ブラジル大会がドイツの優勝をもって終了した。北中南米開催のW杯で欧州勢が優勝したのはドイツが初めてのこと。しかも、セミファイナルでブラジルを、ファイナルでアルゼンチンを退けての栄冠であるから価値が高い。
ドイツ優勝の要因はいくつかあろう。才能のある若手がまさに旬の勢いで本大会に臨んだこと。GKの鉄壁の守備。高い組織力と規律、そしてフィジカルの強さ。戦術の巧みさ、選手層の厚さ等々・・・列挙すればきりがない。
いわゆる総合力が勝り、攻守のバランスがとれていたことだろう。言い古された言辞ではあるが、勝った方が強いわけであって、2014年時点において、ドイツが世界で一番サッカーの強い国である。
日本の“実力”は、出場国中、下から数えて1番目か2番目
本大会の総括はすでにスポーツメディアでなされていて、それに付け加えるものはない。ただ、はっきりしたのは、日本の実力のなさ。日本の力は、本大会出場国(32か国)中、下から数えて一番目か二番目という事実。もちろんこれは結果論を含んでの評価だが。
世界サッカーの進化のスピードは、日本が思う以上に早かった。前回南アフリカ大会終了からの4年間、日本はその変化についていけなかった。日本サッカーの関係者が、本田圭佑がまき散らした毒素に染まり、謙虚さを失い、自信過剰になり天狗になっていた。この事実を真摯に受け止めなければならない。
日本の話題はサポーターのゴミ拾いのみ、というさびしさ
思えば、開幕戦のブラジル-クロアチア戦は、日本人の主審が裁いた。さっそうと登場した日本人主審だったが、ブラジルのFWのダイブに騙されてPK判定をしてしまい、世界中から非難を受けた。
グループリーグ(GL)C組の日本は1分け2敗の勝ち点1で同組最下位に沈み、日本代表は早々と日本に帰国した。
本大会における日本がらみの話題と言えば、日本人サポーターのゴミ拾いという寂しいもの。選手も審判もだめで、ゴミ拾いの日本人が称賛されるという珍現象だけが開催国メディアの注目を集めた。
日本サッカーのガラパゴス化
日本人の主審がブラジル選手のダイブに簡単に騙されたのは、日本人主審のミスという次元の問題ではない。日本人の審判団が仕事をするJリーグに問題の根源がある。つまり、Jリーグのガラパゴス化である。日本のトップカテゴリーであるJリーグは、世界サッカーの潮流とは無関係に、独自の進化を遂げている。主審の判定基準で言えば、接触プレーに著しく厳しい。タックルで倒されれば(ボールに向かったものでも)、倒れた側に必ずファウルが与えられる。正当なショルダーチャージでも(選手が倒れれば)、倒された側にファウルが与えられる。
激しい当たりにはすぐイエローが出され、選手は退場を恐れて激しいプレーを控えるようになる。そればかりではない。日本のサッカー風土がお嬢様サッカー風のパス主体の試合を好むところから、激しいチャージを行う選手は、審判、ファン、メディア、選手間で嫌われる。その結果、Jリーグの選手は球際の競り合いに極端に弱い。この現象は、JリーグクラブがACLで勝てなくなったことで実証されている。
お嬢様サッカーはアマチュアの少年サッカー、中高大の学校クラブ活動でじっくりと醸成される。お嬢様サッカーは、プロのクラブのユースチームでも、指導者が同じような指導方法なので、是正されない。フィジカルの強さよりも、ボール捌きが器用で上手な選手がレギュラーになり、おとなしく闘争心のない試合を10代で繰り返す。
強いフィジカル、闘争心をもった代表選手が必要
本大会に日本代表に選ばれた選手をみると、似たようなタイプの選手ばかり。これはザッケローニが選んだのか広告代理店が選んだのか定かではないが、戦い方の幅を感じさせない選手ばかり。そしてその共通点は、みなフィジカルが弱いこと。
サッカーは格闘技的要素もあるが、相手を倒すことにフィジカル強化の目的があるわけではない。拙コラムで何度も繰り返すように、(相手との)競り合い、走りあい、ボールの奪い合い――に必要なフィジカルを身につければいいのであって、筋肉をつけて大きくなればいいというものではない。大型化が必要なのはゴールキーパー(GK)とセンターバック(CB)。この2つのポジションは、身長が高いほうが有利だが、それ以外のポジションは必ずしも大型であればいいというわけではない。
フィジカルの強さを実効性の高いものとするのは、強い精神力・闘争心である。本大会において世界の代表選手は、その点ではるかに日本を凌いでいた。日本代表選手は、精神力・闘争心で世界に引けを取っていた。今後の日本代表の強化ポイントは、フィジカル強化、精神力・闘争心の鍛錬となろう。簡潔に言えば、W杯という舞台は戦いの場であるということだ。「自分たちのサッカー」をなんて寝言を言っていたのでは勝てないということだ。
We will play our own brand of football.(自分たちのサッカーをするだけ)
このことは拙コラムですでに書いたことだけれど、「自分たちのサッカーをする」という言い回しは、We will play our own brand of football.の日本語訳であって、この言い回しは外国人選手・監督等が試合前のインタビュー等に答えるときの常套句の一つにすぎない。この言い方に深い意味はない。日本人選手の間では「がんばります」が意味をもたない常套句の一つとして定着していたし、「最善を尽くします」と言うのもあった。だが近年、これらの常套句が陳腐化してきたので、気の利いた言い方の一つとして、「自分たちのサッカーをするだけ」が流行りだした。
しかし、いかにもばかげているのは、この空疎な常套句が、日本のサッカーの方向性を決定してしまったことだ。日本は攻撃的サッカーで勝たなければいけないと。このカラクリについては、すでに拙コラムで繰り返し書いてきた。
本大会を見ると、強豪国は相手次第で多様な戦略・戦術・選手起用を試行してきたことがわかる。そして、最後には、もっとも攻守のバランスのとれたチーム(ドイツ)が勝ち残った。勝負事というのは、そういうものだ。サッカーに「勝利の方程式」があるわけではない。いまの日本人のサッカーの実力で「自分たちのサッカー」で相手に勝ち切れるほど、世界は甘くない。相手によって、やり方はいろいろある。W杯においてなによりも大切なのは、監督・選手が、勝ち抜くために必要な選択を重ね、それを実行することにある。
守りを蔑ろにしたチームは上には行けない。筆者が今大会もっとも印象に残ったチームは、日本と同じC組で退場者を出しながら日本と引分け、最終戦、コートジボワールを追加時間のPKで退けGLを勝ち抜けたギリシャである。
サッカーW杯ブラジル大会がドイツの優勝をもって終了した。北中南米開催のW杯で欧州勢が優勝したのはドイツが初めてのこと。しかも、セミファイナルでブラジルを、ファイナルでアルゼンチンを退けての栄冠であるから価値が高い。
ドイツ優勝の要因はいくつかあろう。才能のある若手がまさに旬の勢いで本大会に臨んだこと。GKの鉄壁の守備。高い組織力と規律、そしてフィジカルの強さ。戦術の巧みさ、選手層の厚さ等々・・・列挙すればきりがない。
いわゆる総合力が勝り、攻守のバランスがとれていたことだろう。言い古された言辞ではあるが、勝った方が強いわけであって、2014年時点において、ドイツが世界で一番サッカーの強い国である。
日本の“実力”は、出場国中、下から数えて1番目か2番目
本大会の総括はすでにスポーツメディアでなされていて、それに付け加えるものはない。ただ、はっきりしたのは、日本の実力のなさ。日本の力は、本大会出場国(32か国)中、下から数えて一番目か二番目という事実。もちろんこれは結果論を含んでの評価だが。
世界サッカーの進化のスピードは、日本が思う以上に早かった。前回南アフリカ大会終了からの4年間、日本はその変化についていけなかった。日本サッカーの関係者が、本田圭佑がまき散らした毒素に染まり、謙虚さを失い、自信過剰になり天狗になっていた。この事実を真摯に受け止めなければならない。
日本の話題はサポーターのゴミ拾いのみ、というさびしさ
思えば、開幕戦のブラジル-クロアチア戦は、日本人の主審が裁いた。さっそうと登場した日本人主審だったが、ブラジルのFWのダイブに騙されてPK判定をしてしまい、世界中から非難を受けた。
グループリーグ(GL)C組の日本は1分け2敗の勝ち点1で同組最下位に沈み、日本代表は早々と日本に帰国した。
本大会における日本がらみの話題と言えば、日本人サポーターのゴミ拾いという寂しいもの。選手も審判もだめで、ゴミ拾いの日本人が称賛されるという珍現象だけが開催国メディアの注目を集めた。
日本サッカーのガラパゴス化
日本人の主審がブラジル選手のダイブに簡単に騙されたのは、日本人主審のミスという次元の問題ではない。日本人の審判団が仕事をするJリーグに問題の根源がある。つまり、Jリーグのガラパゴス化である。日本のトップカテゴリーであるJリーグは、世界サッカーの潮流とは無関係に、独自の進化を遂げている。主審の判定基準で言えば、接触プレーに著しく厳しい。タックルで倒されれば(ボールに向かったものでも)、倒れた側に必ずファウルが与えられる。正当なショルダーチャージでも(選手が倒れれば)、倒された側にファウルが与えられる。
激しい当たりにはすぐイエローが出され、選手は退場を恐れて激しいプレーを控えるようになる。そればかりではない。日本のサッカー風土がお嬢様サッカー風のパス主体の試合を好むところから、激しいチャージを行う選手は、審判、ファン、メディア、選手間で嫌われる。その結果、Jリーグの選手は球際の競り合いに極端に弱い。この現象は、JリーグクラブがACLで勝てなくなったことで実証されている。
お嬢様サッカーはアマチュアの少年サッカー、中高大の学校クラブ活動でじっくりと醸成される。お嬢様サッカーは、プロのクラブのユースチームでも、指導者が同じような指導方法なので、是正されない。フィジカルの強さよりも、ボール捌きが器用で上手な選手がレギュラーになり、おとなしく闘争心のない試合を10代で繰り返す。
強いフィジカル、闘争心をもった代表選手が必要
本大会に日本代表に選ばれた選手をみると、似たようなタイプの選手ばかり。これはザッケローニが選んだのか広告代理店が選んだのか定かではないが、戦い方の幅を感じさせない選手ばかり。そしてその共通点は、みなフィジカルが弱いこと。
サッカーは格闘技的要素もあるが、相手を倒すことにフィジカル強化の目的があるわけではない。拙コラムで何度も繰り返すように、(相手との)競り合い、走りあい、ボールの奪い合い――に必要なフィジカルを身につければいいのであって、筋肉をつけて大きくなればいいというものではない。大型化が必要なのはゴールキーパー(GK)とセンターバック(CB)。この2つのポジションは、身長が高いほうが有利だが、それ以外のポジションは必ずしも大型であればいいというわけではない。
フィジカルの強さを実効性の高いものとするのは、強い精神力・闘争心である。本大会において世界の代表選手は、その点ではるかに日本を凌いでいた。日本代表選手は、精神力・闘争心で世界に引けを取っていた。今後の日本代表の強化ポイントは、フィジカル強化、精神力・闘争心の鍛錬となろう。簡潔に言えば、W杯という舞台は戦いの場であるということだ。「自分たちのサッカー」をなんて寝言を言っていたのでは勝てないということだ。
We will play our own brand of football.(自分たちのサッカーをするだけ)
このことは拙コラムですでに書いたことだけれど、「自分たちのサッカーをする」という言い回しは、We will play our own brand of football.の日本語訳であって、この言い回しは外国人選手・監督等が試合前のインタビュー等に答えるときの常套句の一つにすぎない。この言い方に深い意味はない。日本人選手の間では「がんばります」が意味をもたない常套句の一つとして定着していたし、「最善を尽くします」と言うのもあった。だが近年、これらの常套句が陳腐化してきたので、気の利いた言い方の一つとして、「自分たちのサッカーをするだけ」が流行りだした。
しかし、いかにもばかげているのは、この空疎な常套句が、日本のサッカーの方向性を決定してしまったことだ。日本は攻撃的サッカーで勝たなければいけないと。このカラクリについては、すでに拙コラムで繰り返し書いてきた。
本大会を見ると、強豪国は相手次第で多様な戦略・戦術・選手起用を試行してきたことがわかる。そして、最後には、もっとも攻守のバランスのとれたチーム(ドイツ)が勝ち残った。勝負事というのは、そういうものだ。サッカーに「勝利の方程式」があるわけではない。いまの日本人のサッカーの実力で「自分たちのサッカー」で相手に勝ち切れるほど、世界は甘くない。相手によって、やり方はいろいろある。W杯においてなによりも大切なのは、監督・選手が、勝ち抜くために必要な選択を重ね、それを実行することにある。
守りを蔑ろにしたチームは上には行けない。筆者が今大会もっとも印象に残ったチームは、日本と同じC組で退場者を出しながら日本と引分け、最終戦、コートジボワールを追加時間のPKで退けGLを勝ち抜けたギリシャである。
2014年7月11日金曜日
がんばれアルゼンチン!
王国の悲劇
準決勝最初の試合はブラジル-ドイツ。この試合についてはすでに多くの論評があり、言い尽くされた感がある。1-7という大差のブラジルの敗北をどう評価すべきなのか。どこかの監督の言葉どおり、「サッカーは非論理的」なのだろうか。
スポーツ評論のすべては結果論だ。スポーツが試合前に論理的に結果が判明していたならば、それを見る価値はない。スポーツは現在進行にのみ意味と価値のあるドラマなのだ。だから、ブラジルの大敗を予想した者がいないのは当然だ。筆者は本大会の優勝者をブラジルと予想した。戦力的には難のあるチームだったが、ホームの利があると信じたからだ。
ドイツ戦の敗因は
エース、ネイマールの欠場、守備の要、Tシウバのサスペンションによって、ブラジルが苦戦するであろうことはだれもが予想できた。それでも、1-7のスコアは想定外だった。
拙コラムで書いたことではあるが、こういう大会では、大差の試合が起こらないわけではない。本大会グループリーグ(GL)において、前回王者のスペインがオランダに1-5で大敗しているし、わが日本もコロンビアに1-4で惨敗している。前者は精密機械(スペイン)の歯車が狂い、制御不能に陥ったためだ。後者はGL敗退寸前に追い詰められた日本が、ノーガードで前に出たためだ。それでも、スペイン、日本ともに7失点はしていない。そればかりではない。ドイツに大敗したのがブラジルでなければ、たとえばアジアの日本とか韓国だったら、さほど話題にもならなかっただろう。W杯史上まれな大差の敗北の当事者が王国ブラジルだったことが衝撃だった。
ブラジルが大敗したこの試合、ドイツの良いところはいくつか指摘されている。先取点のスクリーンプレーは各メディアがとりあげているように、実に頭脳的で見事なものだった。だが、ドイツの良さだけで、大量7点が上げられるとは思えない。やはり、ブラジルに自壊現象が生じた、と考えるべきだろう。
コロンビア戦の“削りあい”がすべて
ブラジル大敗の要因は、ベスト4をかけた南米対決、コロンビア戦にあった。ブラジルは2-1でコロンビアに勝ったが、試合内容は褒められたものではなかった。この試合のファウル数は54(ブラジル31、コロンビア23)あり、イエローはともに2枚だった。ブラジルに出されたそのうちの1枚が、前出したとおりTシウバに出された。
ベスト4のもう一方、ドイツ-フラン戦のファウル数は33(ドイツ15、フランス18)、イエロー2(ドイツ2、フランス0)だった。多くも少なくもない数字だろう。ファウルやイエローは審判の主観に負うが、それでもブラジル-コロンビア戦におけるブラジルのファウル数は異常数値だった。
自らが仕掛けた削りあいでブラジルはコロンビアには勝ったものの、その代償は、ブラジルに重くのしかかることとなった。ネイマールがコロンビアDFのハード・ブリッツを受けて骨折し、以降出場不能となった。その背景として、この試合の主審がファウルに寛容であり、多少の“削りあい”を容認したからだ。そのなかで、両チームの選手にハードな接触プレーが誘発された。やられたらやりかえせ、主審の笛の範囲の接触はOKなのだからと。
その結果、ブラジルの守備の要、キャプテンのTシウバは、通算2枚目のイエローをもらい、準決勝に出場できなくなってしまった。この結果は南米サッカーの光と影の象徴だ。彼らの悪しき伝統“削りあい”という影の部分が、開催国ブラジルを覆った。
セルフ・コントロールに失敗したブラジルの選手たち
そればかりではない。GLから決勝トーナメント(T)を通じて、ブラジル選手の異常な興奮ぶりが目に付いた。PK戦勝利による涙、コロンビア戦におけるファウルの多発などなど、開催国のプレッシャーに自制(セルフ・コントロール)がきかなくなる寸前まで追い詰められた感があった。
ブラジルの選手の精神状態は、引っ張られすぎて切れる寸前のゴム紐のようなものだったのではないか。そしてドイツ戦である。試合開始早々、どちらかといえば、ブラジルは興奮状態がプラスに働いて、好調のように見えた。よく言われる、「試合の入り方としては悪くなかった」というやつだ。ところが、セットプレー(前半11分)でドイツに先制点を奪われたところで、ブラジルの選手たちの精神状態は、興奮状態から不安もしくは焦りへと変わりつつあったのではないか。そして前半23分に失点すると彼らの緊張、不安、焦りは一挙にしかも重層的に高まり、ゴム紐はぷつんと切れた。つまり、瓦解した(29分までの6分間で4失点)。
結果論として、ブラジル大敗の分析は合理的に説明がつく。サッカーは、けして非論理的ではない。しかし、ブラジルが序盤で先制点を上げていたら、ブラジル選手の興奮度はエネルギーに変換していたかもしれない。その結果、大敗したのがドイツだったかもしれない。どちらに転ぶかは、神のみぞ知るところなのだ。
南米サッカーの秘められた力=堅守
ブラジル大敗の翌日行われたオランダ-アルゼンチン戦は、前日とは実に対照的な試合となった。両チームともに昨日の試合の衝撃を引きずって試合に臨んだようだ。そのことを一言で言えば、“恐怖”だろう。両チームとも過度な攻撃性を抑制し守備的になった。アルゼンチンはオランダのリアクション・サッカーを警戒し中盤を省略、オランダの3バックの両側のスペースにロングボールを供給する作戦に出た。中盤からの攻撃はメッシ一人にお任せ。そのメッシに対して、オランダは最大3人で守った。
オランダも得意のリアクション・サッカーを封じられ、しかも、頼みのロッベンがサイドのスペースに走りこまないため、チャンスがつくれなかった。この試合のファウル数は25(オランダ15、アルゼンチン10)、イエローは3(オランダ2、アルゼンチン1)だった。前出のブラジル-コロンビア戦と比べれば、ファウル数は半分以下。いかに接触プレーが少なかったかがわかる。“削りあい”を回避し、ケガ及び先制点を恐れた。
アルゼンチンの守備の要、ハビエル・マスチェラーノの好プレーも特筆されるべきだ。この選手、身長はそう高くないが、粘り強さ、スタミナ、走力、判断力、ポジショニングに優れていて、オランダの決定機をことごとくつぶした。体格に恵まれない日本人が模範としたい選手の一人だ。
両チームがリスク回避のマネジメントを優先したとはいえ、南米の伝統である堅守が、フィジカルのオランダを止めた試合だと言える。メッシばかりに目を奪われがちなアルゼンチンだが、南米特有の守りのDNAをいかんなく発揮した。ブラジル-ドイツ戦とは異なる、緊張感のあるいい試合だった。
決勝戦はドイツ有利だが、筆者はアルゼンチンに勝ってほしい
条件からすれば、決勝戦(日本時間・14日早朝)におけるドイツ有利は動かない。準決勝はブラジルに90分の楽勝。しかも休養日は、対するアルゼンチンより1日多い中4日。ブラジル相手の大勝は選手に自信を与えたはずだ。アルゼンチンはオランダと延長戦(120分)を戦っての中3日。これは苦しい。
それでも、アルゼンチンに希望があるのは、メッシが元気でいることだ。いまのところ、故障、ケガの情報はないし、コンディションも悪くなさそうだ。守備の要のマスチェラーノも健在だ。準決勝のブラジルは、ネイマール(攻撃の要)、Tシウバ(守備の要)を欠いてドイツに敗れたが、アルゼンチンはどちらの要も試合に出場できる。オランダを封じたアルゼンチンの守備が崩壊しなければ、僅差の勝利が期待できる。もちろん、決勝点はメッシの信じられないプレーによる得点というわけだ。
筆者は、アルゼンチンに優勝してもらいたい。なぜならば、W杯の歴史を振りかえると、30年ウルグアイ大会=ウルグアイ優勝、50年ブラジル大会=ウルグアイ優勝、62年チリ大会=ブラジル優勝、70年メキシコ大会=ブラジル優勝、78年アルゼンチン大会=アルゼンチン優勝、86年メキシコ大会=アルゼンチン優勝、94年アメリカ大会=ブラジル優勝と、北中南米開催のW杯では、南米勢が優勝しているからだ。この地勢的サイクルからすれば、今回南米ブラジル開催の優勝国は、アルゼンチンでなければならない。
南米開催のW杯において、欧州(ドイツ)が優勝することはあり得ない。ここでドイツが優勝すれば、サッカーの覇権は欧州ということになってしまう。そんな事態だけはなんとしても避けなければならない。がんばれ、アルゼンチン!
準決勝最初の試合はブラジル-ドイツ。この試合についてはすでに多くの論評があり、言い尽くされた感がある。1-7という大差のブラジルの敗北をどう評価すべきなのか。どこかの監督の言葉どおり、「サッカーは非論理的」なのだろうか。
スポーツ評論のすべては結果論だ。スポーツが試合前に論理的に結果が判明していたならば、それを見る価値はない。スポーツは現在進行にのみ意味と価値のあるドラマなのだ。だから、ブラジルの大敗を予想した者がいないのは当然だ。筆者は本大会の優勝者をブラジルと予想した。戦力的には難のあるチームだったが、ホームの利があると信じたからだ。
ドイツ戦の敗因は
エース、ネイマールの欠場、守備の要、Tシウバのサスペンションによって、ブラジルが苦戦するであろうことはだれもが予想できた。それでも、1-7のスコアは想定外だった。
拙コラムで書いたことではあるが、こういう大会では、大差の試合が起こらないわけではない。本大会グループリーグ(GL)において、前回王者のスペインがオランダに1-5で大敗しているし、わが日本もコロンビアに1-4で惨敗している。前者は精密機械(スペイン)の歯車が狂い、制御不能に陥ったためだ。後者はGL敗退寸前に追い詰められた日本が、ノーガードで前に出たためだ。それでも、スペイン、日本ともに7失点はしていない。そればかりではない。ドイツに大敗したのがブラジルでなければ、たとえばアジアの日本とか韓国だったら、さほど話題にもならなかっただろう。W杯史上まれな大差の敗北の当事者が王国ブラジルだったことが衝撃だった。
ブラジルが大敗したこの試合、ドイツの良いところはいくつか指摘されている。先取点のスクリーンプレーは各メディアがとりあげているように、実に頭脳的で見事なものだった。だが、ドイツの良さだけで、大量7点が上げられるとは思えない。やはり、ブラジルに自壊現象が生じた、と考えるべきだろう。
コロンビア戦の“削りあい”がすべて
ブラジル大敗の要因は、ベスト4をかけた南米対決、コロンビア戦にあった。ブラジルは2-1でコロンビアに勝ったが、試合内容は褒められたものではなかった。この試合のファウル数は54(ブラジル31、コロンビア23)あり、イエローはともに2枚だった。ブラジルに出されたそのうちの1枚が、前出したとおりTシウバに出された。
ベスト4のもう一方、ドイツ-フラン戦のファウル数は33(ドイツ15、フランス18)、イエロー2(ドイツ2、フランス0)だった。多くも少なくもない数字だろう。ファウルやイエローは審判の主観に負うが、それでもブラジル-コロンビア戦におけるブラジルのファウル数は異常数値だった。
自らが仕掛けた削りあいでブラジルはコロンビアには勝ったものの、その代償は、ブラジルに重くのしかかることとなった。ネイマールがコロンビアDFのハード・ブリッツを受けて骨折し、以降出場不能となった。その背景として、この試合の主審がファウルに寛容であり、多少の“削りあい”を容認したからだ。そのなかで、両チームの選手にハードな接触プレーが誘発された。やられたらやりかえせ、主審の笛の範囲の接触はOKなのだからと。
その結果、ブラジルの守備の要、キャプテンのTシウバは、通算2枚目のイエローをもらい、準決勝に出場できなくなってしまった。この結果は南米サッカーの光と影の象徴だ。彼らの悪しき伝統“削りあい”という影の部分が、開催国ブラジルを覆った。
セルフ・コントロールに失敗したブラジルの選手たち
そればかりではない。GLから決勝トーナメント(T)を通じて、ブラジル選手の異常な興奮ぶりが目に付いた。PK戦勝利による涙、コロンビア戦におけるファウルの多発などなど、開催国のプレッシャーに自制(セルフ・コントロール)がきかなくなる寸前まで追い詰められた感があった。
ブラジルの選手の精神状態は、引っ張られすぎて切れる寸前のゴム紐のようなものだったのではないか。そしてドイツ戦である。試合開始早々、どちらかといえば、ブラジルは興奮状態がプラスに働いて、好調のように見えた。よく言われる、「試合の入り方としては悪くなかった」というやつだ。ところが、セットプレー(前半11分)でドイツに先制点を奪われたところで、ブラジルの選手たちの精神状態は、興奮状態から不安もしくは焦りへと変わりつつあったのではないか。そして前半23分に失点すると彼らの緊張、不安、焦りは一挙にしかも重層的に高まり、ゴム紐はぷつんと切れた。つまり、瓦解した(29分までの6分間で4失点)。
結果論として、ブラジル大敗の分析は合理的に説明がつく。サッカーは、けして非論理的ではない。しかし、ブラジルが序盤で先制点を上げていたら、ブラジル選手の興奮度はエネルギーに変換していたかもしれない。その結果、大敗したのがドイツだったかもしれない。どちらに転ぶかは、神のみぞ知るところなのだ。
南米サッカーの秘められた力=堅守
ブラジル大敗の翌日行われたオランダ-アルゼンチン戦は、前日とは実に対照的な試合となった。両チームともに昨日の試合の衝撃を引きずって試合に臨んだようだ。そのことを一言で言えば、“恐怖”だろう。両チームとも過度な攻撃性を抑制し守備的になった。アルゼンチンはオランダのリアクション・サッカーを警戒し中盤を省略、オランダの3バックの両側のスペースにロングボールを供給する作戦に出た。中盤からの攻撃はメッシ一人にお任せ。そのメッシに対して、オランダは最大3人で守った。
オランダも得意のリアクション・サッカーを封じられ、しかも、頼みのロッベンがサイドのスペースに走りこまないため、チャンスがつくれなかった。この試合のファウル数は25(オランダ15、アルゼンチン10)、イエローは3(オランダ2、アルゼンチン1)だった。前出のブラジル-コロンビア戦と比べれば、ファウル数は半分以下。いかに接触プレーが少なかったかがわかる。“削りあい”を回避し、ケガ及び先制点を恐れた。
アルゼンチンの守備の要、ハビエル・マスチェラーノの好プレーも特筆されるべきだ。この選手、身長はそう高くないが、粘り強さ、スタミナ、走力、判断力、ポジショニングに優れていて、オランダの決定機をことごとくつぶした。体格に恵まれない日本人が模範としたい選手の一人だ。
両チームがリスク回避のマネジメントを優先したとはいえ、南米の伝統である堅守が、フィジカルのオランダを止めた試合だと言える。メッシばかりに目を奪われがちなアルゼンチンだが、南米特有の守りのDNAをいかんなく発揮した。ブラジル-ドイツ戦とは異なる、緊張感のあるいい試合だった。
決勝戦はドイツ有利だが、筆者はアルゼンチンに勝ってほしい
条件からすれば、決勝戦(日本時間・14日早朝)におけるドイツ有利は動かない。準決勝はブラジルに90分の楽勝。しかも休養日は、対するアルゼンチンより1日多い中4日。ブラジル相手の大勝は選手に自信を与えたはずだ。アルゼンチンはオランダと延長戦(120分)を戦っての中3日。これは苦しい。
それでも、アルゼンチンに希望があるのは、メッシが元気でいることだ。いまのところ、故障、ケガの情報はないし、コンディションも悪くなさそうだ。守備の要のマスチェラーノも健在だ。準決勝のブラジルは、ネイマール(攻撃の要)、Tシウバ(守備の要)を欠いてドイツに敗れたが、アルゼンチンはどちらの要も試合に出場できる。オランダを封じたアルゼンチンの守備が崩壊しなければ、僅差の勝利が期待できる。もちろん、決勝点はメッシの信じられないプレーによる得点というわけだ。
筆者は、アルゼンチンに優勝してもらいたい。なぜならば、W杯の歴史を振りかえると、30年ウルグアイ大会=ウルグアイ優勝、50年ブラジル大会=ウルグアイ優勝、62年チリ大会=ブラジル優勝、70年メキシコ大会=ブラジル優勝、78年アルゼンチン大会=アルゼンチン優勝、86年メキシコ大会=アルゼンチン優勝、94年アメリカ大会=ブラジル優勝と、北中南米開催のW杯では、南米勢が優勝しているからだ。この地勢的サイクルからすれば、今回南米ブラジル開催の優勝国は、アルゼンチンでなければならない。
南米開催のW杯において、欧州(ドイツ)が優勝することはあり得ない。ここでドイツが優勝すれば、サッカーの覇権は欧州ということになってしまう。そんな事態だけはなんとしても避けなければならない。がんばれ、アルゼンチン!
2014年7月6日日曜日
W杯、ベスト4をかけた死闘
南米対決となったブラジル―コロンビア戦は、壮絶な戦いとなった。その前に行われた欧州対決、ドイツ―フランス戦が規則に基づく競技であるならば、南米対決は規則に基づく戦闘のように思えた。
展開は序盤で先制点を上げたブラジルが優位。だが試合内容は点差とは関係ない。両チームの個々の選手同士がせめぎ合う、潰し合いだった。とりわけブラジルのネイマールとコロンビアのロドリゲスに対するブリッツは厳しかった。
この試合を裁く主審が競り合いに寛容で、イエローカードをなかなか出さない。Jリーグの審判だったら、イエローが何枚だされたかわからない。だが、両チームがこの試合の主審の笛を基準として争った代償は、勝ったブラジルにとって、大きなものだった。ブラジルのエース・ネイマールがコロンビアの選手の後ろからのチャージを受けて背骨を骨折し、試合に出られなくなってしまったのだ。
ネイマールが受けたバックチャージは、TV映像(のビデオ)を見る限り、それほどのものに見えなかった。打ち所が悪かったのだろうか。もちろん、チャージしたコロンビアの選手にイエローは出ていない。プロレス技のフライングニーバット、空中飛び膝蹴りのような格好だった。ビデオで見る限り、バックチャージだからイエローの対象だろう。
南米サッカーの守備は厳しい。南米は攻撃陣に多彩な技を繰り出すタレントが豊富だから、守備陣も自然と厳しくならざるを得ない。やらっれっぱなしだったら、選手を続けられなくなる。守備の選手が生き残るには、きわめて厳しい環境のようだ。
こんな試合を見せられると、日本代表の試合ぶりのおとなしさが際立ってしまう。日本選手はサッカーは上手なのだろうが、生き延びるためのサッカーをした経験はないのではないか。海外組といっても、海外クラブをクビになったら、Jリーグに戻ってスターでいられる。J1がだめならJ2・・・引退すれば解説者、コメンテーター、タレント・・・と生き延びられる。日本代表に選ばれ、W杯に出ればそれで安泰なのだ。
南米選手の堅い守備のDNAが、W杯という晴れ舞台でも呼び起こされる。勝つために何をするのか、負けたコロンビアだが、彼らが「自分たちのサッカー」をしたことだけは、間違いない。
展開は序盤で先制点を上げたブラジルが優位。だが試合内容は点差とは関係ない。両チームの個々の選手同士がせめぎ合う、潰し合いだった。とりわけブラジルのネイマールとコロンビアのロドリゲスに対するブリッツは厳しかった。
この試合を裁く主審が競り合いに寛容で、イエローカードをなかなか出さない。Jリーグの審判だったら、イエローが何枚だされたかわからない。だが、両チームがこの試合の主審の笛を基準として争った代償は、勝ったブラジルにとって、大きなものだった。ブラジルのエース・ネイマールがコロンビアの選手の後ろからのチャージを受けて背骨を骨折し、試合に出られなくなってしまったのだ。
ネイマールが受けたバックチャージは、TV映像(のビデオ)を見る限り、それほどのものに見えなかった。打ち所が悪かったのだろうか。もちろん、チャージしたコロンビアの選手にイエローは出ていない。プロレス技のフライングニーバット、空中飛び膝蹴りのような格好だった。ビデオで見る限り、バックチャージだからイエローの対象だろう。
南米サッカーの守備は厳しい。南米は攻撃陣に多彩な技を繰り出すタレントが豊富だから、守備陣も自然と厳しくならざるを得ない。やらっれっぱなしだったら、選手を続けられなくなる。守備の選手が生き残るには、きわめて厳しい環境のようだ。
こんな試合を見せられると、日本代表の試合ぶりのおとなしさが際立ってしまう。日本選手はサッカーは上手なのだろうが、生き延びるためのサッカーをした経験はないのではないか。海外組といっても、海外クラブをクビになったら、Jリーグに戻ってスターでいられる。J1がだめならJ2・・・引退すれば解説者、コメンテーター、タレント・・・と生き延びられる。日本代表に選ばれ、W杯に出ればそれで安泰なのだ。
南米選手の堅い守備のDNAが、W杯という晴れ舞台でも呼び起こされる。勝つために何をするのか、負けたコロンビアだが、彼らが「自分たちのサッカー」をしたことだけは、間違いない。
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