2009年11月24日火曜日

今年もわずか

光陰矢のごとし――と月並みな言葉を思い出す今日この頃。

あっという間の2009年である。

今年は当方にとって、記念すべき年。

さて、今年を振り返ると、「政権交代」がなんといっても大きな出来事。

でも、劇的な変化はいまのところ、起きていない。

来年は、いいことがあるのだろうか。

2009年11月12日木曜日

当局自作の「逮捕劇」は困る

千葉県市川市で2007年3月、英国人女性死体遺棄容疑で全国に指名手配中の市橋容疑者が10日、逮捕された。2年半あまり膠着状態だったこの事件が、急展開して身柄確保に至った。逮捕のきっかけは、整形手術後の写真の公開だった。マスコミが一斉に写真を公開し、あたかも市橋容疑者が「あなたがた」の近くに潜んでいるかのような報道だった。写真公開から数日、身柄確保の現場は、大阪のフェリー乗り場だった。いまどき、沖縄にフェリーで渡る人間は少ない。そのため、かえって人目につきやすく、誤って最初に訪れた神戸のフェリー乗り場の職員に通報されたらしい。

この急展開はなんだったのか――筆者の憶測と推測にすぎないが、この逮捕劇はオバマ訪日直前に行われた、当局の「治安キャンペーン」だったのではないか。オバマ訪日を前にして、日本の治安当局は「逃亡犯」(=市橋容疑者)を以下のとおり利用した。第一に、英国人を殺害し逃亡している犯人をオバマ訪日前に逮捕することにより、日本の治安体制が万全であることを世界的にアッピールしようとした。第二に、懸賞金付きの市橋容疑者の整形手術後の写真等を公開することにより、一般市民の間に「岡っ引き根性」を惹起させ、情報提供という名の密告体制の再構築を図ろうとした。

筆者の憶測・推測では、市橋容疑者の動向は当局によりマークされており、当局は彼をいつでも逮捕できたはずだ。ただ、当局は彼の身柄確保を当局にとって最も都合のよいタイミングで行い、有効に利用しようと考えていたはずだ。そして、当局は彼の逮捕時期を“オバマ訪日直前”というタイミングに定め、そのとおり実行した。

そればかりではない。当局の狙いは副産物として、ここのところ連続して起こった4件の未解決事件(練炭不審死事件、鳥取不審死事件、千葉大生殺人事件、島根県立女子大生殺人事件)から国民の関心をそらせる効果まで発揮した。とりわけ、練炭不審死と鳥取不審死事件は、警察当局の初動捜査のミスが指摘されていた。

犯罪者を野放しにしていいわけがない。殺人犯は速やかにその身柄が確保され、裁判を受け刑に服すべきである。そのことに異論があるはずがない。しかし、犯人逮捕をことさら「劇場化」させる必要はない。そもそもこの「逃亡劇」は、警察が市橋容疑者を彼の自宅で取り逃がしたことから始まったのだ。「酒井法子事件」の公判を取り仕切った某裁判官は、「法廷女優」という異名を取った酒井法子被告に対し、“これはドラマではなく現実なのだ”という意味の発言で酒井被告を諭したという。

筆者ならば、この身柄確保について前出の某裁判官にならって、 “これは「逮捕劇」ではない、あなた方(当局)のミスにより2年余りも逃亡した容疑者を、あなた方(当局)がやっとのことで、修復したにすぎない”と、当局を諭したい。

2009年11月10日火曜日

休養日

8日の日曜に仕事をしたため、本日、代休で家でのんびりしている。暑くもなく寒くもなく、天気はあまりよくないけれど、このくらいの曇天のほうが楽である。ここのところ11月にしては暖かい。暖冬傾向は否定しようもない。

さて、報道によると、新型インフルエンザが大流行の兆しが認められる。中世欧州の「ペスト」の大流行は、中世を終わらせた要因の1といわれているし、近代では「スペイン風邪」の大流行が第一次世界大戦を終わらせた、という説がある。近年では「エイズ」と呼ばれる感染症に世界中が汚染され、多数の死者を出している。伝染病が文明を転換させる要因の1つとなることは、歴史が証明している。

このたびの新型インフルエンザの場合、日本では発病者の過半が18歳以下であることがわかっている。乳幼児の死亡も何件か報道されているが、今後増加傾向を示すことが懸念される。このことが意味するものがあるのだろうか。

新型インフルエンザの流行は予測されていた。にもかかわらず、当時の自民党政府はワクチンの確保に全力を傾けたとはいえない。民主党も本格的流行に備えた対策をうったともいえない。今年の夏の時点では、大流行に懐疑的であった。もちろん、筆者も「大騒ぎ」をすれば、いたずらに社会的混乱を引き起こすだけだ、と考えていた。反省を要する。

ただ、情報が整理されて報道されているともいえない。まずもって、「新型」と「季節性」の比較がなされなければなるまい。両者の死亡率を比較してみないと、「新型」の危険性が証明されたとはいえない。新型のほうが呼吸器に悪い影響を与えるとの報道はあったが・・・

感染者数、学級閉鎖数等も同様である。「季節性」に「新型」が加わって、状況としては危険度が増していることは確かであるが。

類似した事件がセットで発生する不思議

似たような事件がセットで発生している。なんとも不思議な現象だ。まず、芸能人の麻薬・危険薬物事件として、「押尾学事件」と「酒井法子事件」がほぼ同時期に報道され、このたび、両事件の2人の被告に判決が出た。これを便宜上、セット1-2人の芸能人麻薬事件と呼ぶ。

■セット2-2人の女のまわりで大量の不審死発生

(1)埼玉結婚詐欺女と練炭不審死事件

10月27日、埼玉県警に結婚詐欺などの疑いで逮捕された無職の女(34)=東京都豊島区西池袋=の知人男性が相次いで不自然な経緯で死亡していたことが、県警の調べで判明し、殺人事件の疑いもあるとみて捜査しているとの報道があった。県警によると、女とかかわりを持ち、その後に不審死した男性は4人に上るという。

県警と警察当局によると、女と交際していた東京都千代田区神田神保町の会社員、大出嘉之さん=当時(41)=が8月6日朝、埼玉県富士見市の駐車場で、施錠した乗用車内で練炭による一酸化炭素中毒で死亡しているのが見つかった。大出さんの遺体から睡眠薬の成分が検出された。車内から車の鍵は見つからず、遺書もなかった。女は大出さんに「学生だからお金がかかる。欲しいものがある」などとうその話を持ち掛け、約500万円をだまし取っていたという。

また、女が出入りしていた千葉県野田市尾崎の安藤健三さん=当時(80)=が5月15日、自宅が全焼する火事で死亡。安藤さんの遺体からも睡眠薬の成分が検出された。安藤さんは息子(36)と2人暮らしで寝たきりの状態。火事は息子の留守中に発生した。

県警によると、ほかにも都内と千葉県に、女とかかわりがあり、その後死亡した男性が2人いるという。女は、インターネットで知り合った長野県の50代男性と静岡県の40代男性に「学費が3カ月未納で卒業できない。卒業したらあなたに尽くします」などと結婚話を持ち掛け、計約330万円をだまし取ったなどとして詐欺などの疑いで逮捕された。
 
(2)鳥取詐欺ホステス女と大量不審死事件

11月になると、鳥取の不審死が報道され始めた。鳥取県で男性3人が相次いで不審死した事件で、詐欺容疑で逮捕された元スナック従業員の女(35)が、10月27日に変死した無職、田口和美さん(58)に自宅アパートで前日夜に多量の錠剤を飲ませた際、一緒にいた知人の男性に「薬を飲ませたことを警察に言わないで」と口止めしていたことが9日、分かった。鳥取県警は、女の周辺で亡くなった田口さんを含む男性6人について死亡の経緯に不自然な点があるとして、殺人容疑も視野に捜査を開始。田口さんの遺体からは睡眠導入剤が検出されており、県警は女が飲ませた薬の成分の可能性があるとみて調べている。

■セット3-2人の女子大生殺害事件

(1)千葉大生放火殺人事件

10月下旬、千葉県松戸市の千葉大4年荻野友花里さん(21)が殺害され、マンション自室が放火された事件で、犯人が荻野さんを10月21日に殺害していったん逃走後、翌22日にマンションに戻って放火した疑いがあることが分かった。その後、殺された荻野さんのカードを使った男が金を引き出した映像が公開された。

(2)島根県立大生バラバラ殺人事件
広島県北広島町の臥龍(がりゅう)山で見つかった女性の切断された頭部について、広島県警は7日未明、DNA型鑑定の結果、10月下旬から行方不明だった島根県浜田市の島根県立大総合政策学部1年、平岡都さん(19)と確認し、発表した。広島、島根両県警は死体損壊、遺棄容疑で浜田署に合同捜査本部を設置。何者かが別の場所で平岡さんを殺害、遺体を切断して車で運んで捨てたとみて、司法解剖して死因の特定を急ぐ。

■日本の警察は甘すぎる

「セット」と称しても、時間、場所等において相互の関連性は何もない。ただ、被害者、実行犯、内容において、似たような属性や情況が認められるだけだ。犯罪の傾向や犯人像において、なんらかの共通性が認められるわけではない。いまのところ(11月10日現在)共通しているのは、芸能人の麻薬事件を除いて、未解決であるということだ。

「セット2」の場合、詐欺事件を起こした女性の周辺に、不審死をとげた多数の男性(被害者か)がいたにもかかわらず、いずれの警察も不審死について自殺と断定し、捜査開始が遅れた。警察が人の死を軽んじている。日本は殺人者に都合のよい国になる危険性が高まる。日本の警察はチョロイぞ、死体のそばに「遺書」でも置いておけば、疑われることはないぞ、となれば、自殺を装った保険金殺人事件や、このたびのような不審死が多発する可能性が高くなる。そういえば、相撲部屋で起った「かわいがり」事件も、当初、警察は事故で済まそうとした。遺族が遺体を新潟大学医学部に持ち込まなければ、親方逮捕に至らなかった。警察が事件を見逃し、「殺人者」を捕まえないことが新たな被害者を生む。

いま話題の英国人女性死体遺棄事件で指名手配されている犯人は、整形手術で顔を変え逃走中だ。事件当時、犯人の自宅に警察が捜査に入ったところ、犯人が逃げ出し、以来、身柄が確保されていない。どじな話だ。日本の警察は甘すぎる。モタモタするな、と言いたい。

2009年11月5日木曜日

役割は終わった-“Social”か“Individual”か

総選挙に民主党が圧勝してから最初の国会が開催された。代表質問終了後のテレビのインタビューに、田中真紀子民主党議員は次のように答えた。「自民党は終わった、という感じですね、わたしがいたころの自民党とは・・・(全然、違う。)」。

田中は、小泉政権下でその人気を買われ外務大臣に就任したが、同省内でゴタゴタを引き起こし解任された。結局、田中は自民党を出て無党派議員となり、先の総選挙直前に民主党に入党した。彼女にしてみれば、このたびの自民党の代表質問のテイタラクを目の当たりにして、それなりの思いが込み上げてきたのだと思う。それほど、自民党の代表質問は酷かった。その様子をテレビで見た国民の誰しもが、「自民党は終わった」と思ったであろう。

いま行われている予算委員会等における野党側(自民党)の質問も、民主党の勢いを止めるには至っていない。自民党の質問者の言葉は、自民党の確固たる政策から発せられたものでないことが、その重さから感じ取られてしまうのである。先に行われた参院補選で自民党が二連敗したことが、そのことをなによりも証明している。

政権奪取後、民主党政権が取り組んでいる諸課題とは、大雑把に言えば、長年続いた自民党政治の負の遺産の後始末、清算である。例えば、八ッ場ダムが象徴するのは自民党が行ってきた大型公共事業の継続性の是非であり、子供手当てが象徴するのは、小泉・竹中自民党が断行した福祉政策後退の是正であり、郵政民営化の見直しは、自民党が切り捨てた、地域生活ネットワーク拠点の再生に関する試行であり、JAL経営問題は、無責任な航空行政と空港建設に引きずられた巨大企業の経営破綻処理である。

まず、郵政民営化の見直しを考えてみよう。小泉政権の下、郵政民営化を実質的に進めた竹中平蔵は、テレビに出演して、民営化の前、郵便局に貯蓄された国民の預金は、財政投融資として大蔵省(当時)の裁量によって恣意的に使われ、特殊法人等にノーチェックで流れていたと説明している。ところが、経済評論家の森永卓郎は、この竹中平蔵の説明にかなり前から反論しており、森永は自身のブログで、次のように説明している。

■(竹中が主張する郵政民営化により、)特殊法人への資金の流れが変わるという件であるが、これは誤解なのか曲解なのか、前提に大きな誤りがある。というのも、すでに2001年に財政投融資制度は廃止となっており、郵政公社が特殊法人に資金をそのまま流していたという指摘は当たらないからだ。では、郵政公社はどうしていたかというと、政府が保証をつけている財投債、あるいは財投機関が発行する財投機関債を、マーケットで買って資金運用をしていたのである。だが、この財投債は民間銀行も購入しているものであり、そもそもマーケットを通じて買うのだから、特殊法人に金を流しているという批判は当たらない。政府が財投債を売って、政府がその金を特殊法人に流していたのであるから、特殊法人を温存していた責任があるのは政府なのであって、郵政公社には責任はなかったのだ。■

大蔵省(現財務省)が財投を巨大公共事業に勝手にまわした(霞ヶ関の隠れた財布)という竹中の説明は、郵貯のいつの時代の話なのか。さらに、郵貯銀行を銀行法の下におくという竹中の企図は一見、正当に思われるが、郵貯銀行が市井の一(いち)銀行として競争を続けても、せいぜいCクラスの銀行にとどまる。金融市場のメカニズムに従えば、郵貯銀行がいまできることといえば、せいぜい、最もリスクの低い事業、すなわち、国債の購入くらいであり、現にそれしか資金運用していないのである。

民主政権が行おうとする、“郵政民営化見直し案”とは、「郵便局」、すなわち、郵貯銀行を都市銀行として改変することではなく、国民生活のためになる機能を再発見し、その方向に事業目的を変更することなのだと思う。そのことが、亀井大臣の基本的な考え方なのだと思う。

さて、田中真紀子が発した、「自民党は終わった」という言葉に戻ろう。自民党の終わりとは何か、自民党の何がどう終わったのかを整理しなければなるまい。

自民党が果たしてきた役割とは、第一に、公共事業を駆使した集票による政権維持であった。たとえば、巨大ダムに代表されるような半世紀単位の工期の公共事業を官庁(たとえば国交省)に立案させ、それを餌にして、地域(選挙区)にカネが落ちる仕掛けをつくり込み、予算(工事費)と引き換えに票を得る。「地域」は自民党に議席を与えるかわりに、公共事業予算分相当の仕事を半世紀近く保証される。省庁も調査、監理に関する外郭団体等を設立できるメリットがあり、建設中は長期にわたって現場事務所に職員を貼り付けることができる。政権与党、官僚組織、ゼネコン(土建業者等)に必要なのはダムではなく、工事(調査、監理等を含む)なのである。

第二は、調整機能である。市場原理に従えば、地域の小規模小売業者は、全国規模の大規模小売業者が進出すれば、たちどころに、閉店・倒産・廃業を余儀なくされる。それを調整するのが、いろいろな法規制であり、大店法が代表的である。そればかりではない。立法化されない調整方法はいくらでもある。たとえば、日本の法令においては、法の下に省令、施行規則、大臣告示等が紐付けられていて、それらは、各省庁レベルで自由につくられている。官僚組織は、省令、施行規則等を駆使することにより、市場メカニズムを窓口レベルで制御することができる。それらを公布するのは大臣(=官庁)の権限だから、省庁は国会以上に、実質的立法権をもっているのである。自民党政権の時代、大臣(政治)はまったくそれらに関与できなかったから、官僚の裁量権は高まるばかりであった。

第三は、特定の団体等に優遇措置を与える権限である。顕著な例として、消費税が挙げられる。小規模事業者は、消費税の納付が免除されている。その結果、おそらく、小規模事業者は消費税が課せられた価格で商品を販売しながら、その分を納税せず、消費税分を利益としているのである。これを「益税」という。国民はすべての商品に消費税が課せられていると思っているけれど、消費者が小規模事業者(例えば小規模小売店)を通じて物品を購入した場合、消費税相当分は小規模事業者の懐に収まり、国庫に納付されることはない。消費税率が上がった場合、「益税」はさらに膨らみ、消費者の納税における不公平は是正されないどころか、拡大してしまうのである。小規模事業者は、自民党支持団体である商店会連合会、事業組合等を結成していて、自民党議員を応援する後援会に通じている。民主党が、消費税の納付における不公平を是正できるのかどうか。

輸入品と国内産品の価格調整も行われている。省庁権限で、輸入品と国内産品の価格を強制的に統一して市場に出すことができるようにすれば、国内業者は守られるが、消費者は実際に輸入された価格より高い価格でその商品を購入することになる。そこで生じた差額は、特殊法人・独立行政法人、公庫等(以下、「特殊法人等」という。)の内部に基金、準備金等の名目で蓄積される。これも「埋蔵金」の一つである。国内産品生産者は外国産との価格競争が回避され、生活を保障される。生産者は事業組合、社団法人等の業界団体を構成し、法制化に尽力した議員に組織的に投票する。調整権限をもつ省庁は、傘下の特殊法人等を確保し、天下り先となる。これも、「政」治-「官」庁-「財」界の癒着の構造の1つである。

自民党が与党であった時代、自民党の存在理由は、“与党であること”以外に見当たらなかった。政府与党という立場を利用して、予算を獲得し、政策という名目により諸々の団体等に利益供与をし、それと引き換えに票をもらい、政権を維持していた。民主主義をどう定義するのかは難しい問題だけれど、自民党政権下の日本とは、開発独裁型もしくは開発調整型の国家として成立・維持された国家であった。当時の日本国では、自民党議員が官僚に命じて自分たちに都合のよい法案をつくらせ、それを国会で立法化し、国家運営を実質的に官僚に丸投げしてきた。国民(市民)よりも「上位」にある管理者(官僚)と業団体が、共同の利害に基づき、合体した政体であった。

官僚機構が産業界を統制することにより、その効率を高め、グローバル市場において高い競争力をもつ企業を育成する一方、競争力の弱い業態については保護主義的政策でそれらを守った。小泉(当時)首相が「自民党をぶっこわす」と宣言したのは、まさにそのような政体を指したのである。2005年の「郵政解散」のとき、国民は、小泉(当時)首相が唱えた「郵政民営化」を、それまで維持してきた古い自民党政治を壊し、新たな市民優位の政体を確立する、スローガンだと錯覚した。

小泉政権が目指したのは、米国のような、Individual(個的)に重きを置く国家像であった。もちろん、そのような国家像は、日本、というよりも、ユーラシア的規模において馴染まない。旧大陸においては、歴史的重層性に規定された、Social(社会的)な国家が求められているからである。

自民党が半世紀にわたって維持してきた日本型産業優先調整国家が行き詰まり、さらに、米国を模倣した小泉政権下で進められたIndividual(個的)な競争社会がリーマンショックにより破綻し、そしていま、政権交代により、Social(社会的)な調整型国家が復権してきた。小泉政権以前の旧自民党と、現在の与党民主党の政策は、Individual(個的)にではなく、Social(社会的)に重きを置くという意味において、共通しているのである。

小泉政権が終わり、民主党政権が誕生するまでの間、自民党は、安倍、福田、麻生の3人の首相を輩出しながら、党として国家像を把握することに失敗した。Social(社会的)な国家像を描けば、当然、公的セクターの役割は増大し、官僚の役割は強まり、仕事は多くなる。民主党は、“官僚依存”を止めると宣言しただけであって、官僚制度を廃止するとは言っていない。ところが、「みんなの党」の渡辺喜美は、官僚制度の廃止を目指し、民主党を批判している。国民は、官僚制度が国民生活を豊かにする方向に機能すればいいわけで、渡辺喜美のような怨恨を官僚制度に抱いているわけではない。自民党が小泉政権のようなIndividual(個的)な国家像を目指せば、国民から見放され、党は崩壊するし、Social(社会的)な国家像を目指せば、民主党に取り込まれる。自民党の役割は、どうあがいても、終わったのである。

2009年11月3日火曜日

飲みすぎ、歌いすぎ

先週は水曜日に旧友(高校の同級生)S氏と拙宅近くで飲んで、二軒目、「N」でカラオケをした。金曜、拙宅近くで仕事があり、終わってから仕事仲間と飲んで、同じく「N」に行ってカラオケをした。日曜日、高校時代の同窓会が上野公園内の精養軒であり、三次会に池之端のカラオケボックスに行き、更に四次会で「N」に行きカラオケをした。

というわけで、歌いすぎ、喉が変。ハスキーボイスになって今日を迎えている。飲みすぎ、歌いすぎで、喉にポリープができるという話もある。しばらく、歌は休業しよう。

さて、同窓会(隔年開催)である。筆者は一昨年、わけあって二次会に初参加した。それまでは出席する気になれなかった。

今回は、本会から四次会まで参加したのだけれど、三次会まではどうも周囲と波長が合わず、困ってしまった。卒業以来●年、懐かしく再会したにもかかわらず、違和感を拭いきれない。

筆者の高校は優等生が多い。同窓会に来るのも優等生グループが大半、筆者が当時遊んだ悪友たちは、S氏以外、来ていなかった。そんなわけで、不完全燃焼である。だからといって、筆者が音頭をとって、悪友ばかりを集めた「もう一つの同窓会」を開くほどのエネルギーもない。熱心な永久幹事が開催してくれる本会に悪友たちが参加してくれるしかないのだが、いろいろな事情があるのだろう。

「あいつは、いま、何してるんだ」「あいつとあったのは、●年前、確か・・・」といった具合で、不在者を懐かしむばかりである。亡くなられた学友はおよそ10名。ご冥福をお祈りします。

保護責任者遺棄容疑

東京地裁は11月2日、麻薬及び向精神薬取締法違反の罪に問われた元俳優・押尾学被告(31)に対し、懲役1年6月、執行猶予5年(求刑懲役1年6月)の有罪判決を言い渡した。執行猶予としては最長で、同罪の初犯では異例の厳しい判決となった。

「押尾学事件」については、何度も取り上げてきた。「酒井法子事件」に比べて、当該事件には死者が出ているのである。死の真相を突き止めるという意味を論ずるまでもなく、薬物の恐ろしさを人々に、とりわけ、若者に知らせるという意味において、両者を比較することすら憚れる。マスコミは事件の社会的意味を適正に判断し、薬物事件に係る報道の量(時間もしくはスペース)と質とを決めていただきたいものだ。

この事件の報道については、管見の限りでは、インターネット版『スポーツ報知(芸能)』(以下『IN版スポーツ報知』と略記。)が最も分かりやすく適切な報道を行っていると思われるので、以下、その報道に従って、筆者の考え方をまとめておく。

■井口修裁判官は冷静に判決要旨を読み上げたが、法廷での“押尾語録”に疑問を呈した厳しい内容だった。「MDMA施用の経緯など被告人の法廷での説明は、内容が不自然で、およそ信用し難い」とバッサリ切り捨てた。「違法薬物との関係を断絶する環境整備も十分とは認め難い。相当長期間、再び違法薬物に手を出さないか見守る必要がある」と、執行猶予としては最長の5年を適用した。(中略)判決公判は午前11時に開始され、わずか4分で終了。押尾被告が言葉を発したのは名前と判決内容を確認した2度の「はい」だけ。裁判官が被告人に悪い点を言い聞かせる「説諭」もなかった。麻薬取締法違反の初犯では、執行猶予は3年か長くても4年が多いが、海外での使用経験、入手ルートのあいまいさも踏まえ、異例の厳しい判決となった。(『IN版スポーツ報知』)■

麻薬及び向精神薬取締法違反の罪に関する今回の量刑は、そんなものなのだろうと思う。筆者には、懲役1年6月、執行猶予5年(求刑懲役1年6月)が重いか軽いかは判断できない。しかし、この裁判で明らかにされなかったのは、①危険薬物の入手経路、②いわゆる「空白の3時間」、③亡くなった女性の携帯電話がマンションの植え込みで見つかったこと――の3点につきる。筆者を含めて、国民の過半が不満を抱くのは、判決(量刑)にではなく、真相が明らかにされていないということに関してなのではないか。

筆者の推測では、これも何度も書いたことだけれど、①②③は密接に関係している。押尾学被告は、薬物を自分ではなく、亡くなった女性が所持していたと述べているようだ。今回の裁判でも、入手経路については明らかにされていない。それでいいのだろうか。押尾学被告は、薬物所持(=入手経路)の責任(=罪)を亡くなった女性に被せるために、救急車を呼ばずに、瀕死の状態の女性を放置していたのではないのか。現時点では、そのように推測するほうが自然なのであり、「死人に口なし」として、薬物の入手経路を明らかにせず、執行猶予で逃げ切るつもりなのではないのか。

■押尾被告の判決を受け、スポーツ報知ではホームページ上で緊急アンケートを実施した。同時に寄せられた意見では「こんな判決、何か裏で強力な何かが、あるような気がします」「実際に起きたことを正直に話しているとは全く思えない」と押尾被告の証言に疑問を唱える声が次々と上がった。世論は、押尾被告を許していないし、判決にも納得していなかった。判決を軽いと感じ、芸能界復帰にも「この上復帰となれば、芸能界は覚せい剤の温床と見なすべき」と芸能界全体に投げかける過激な意見も見られた。(同上)■

『INスポーチ報知』が緊急アンケートを行ったことは適正であり、そこに寄せられた人々の「声」も適正である。人々は、押尾学被告を許していない以上に、今回の裁判が真相究明に及んでいないことに怒りを覚えているのである。

■厳しいとはいえ、薬物使用での実刑は免れた押尾被告。だが、まだ再逮捕の可能性が残っている。保護責任者遺棄容疑での立件だ。公判では触れられなかった田中さんの体に異変が起こってから、119番通報されるまでの“空白の3時間”。警視庁捜査1課は、田中さんの死亡までの経緯と押尾被告の行動の因果関係について詰めの捜査を進めているという。(同課は)当初は、保護責任者遺棄致死罪の適用を検討。しかし、救急治療を受けたとしても、高い確率で救命できたかどうか立証するのは難しく、同致死容疑での立件は困難との判断に傾いている。そんな中、同被告の供述などから、田中さんに異変があってから30分以上生存していた可能性があり、捜査1課は保護責任者遺棄容疑の適用は可能と見ている。一部ではすでに捜査は終え、検察と今週中の立件に向け調整中という情報もある。同容疑で立件された場合は、実刑判決が確実だ。
◆保護責任者遺棄罪:保護責任がある者が、要保護者の生存に必要な保護をせず、その生命や身体に危険を生じさせる罪。遺棄の結果、人を死傷させた場合は同遺棄致死傷罪となり、重い刑により処断される。保護責任者遺棄罪は3月以上5年以下の懲役、同遺棄致死傷罪は20年以下の懲役となる。(同上)■

当局がなんらかの事情で押尾学被告の犯した罪を見逃し、真相を究明せず、執行猶予で逃げ切らせたとなれば、亡くなった女性の霊がうかばれることはない。これも繰り返しになるが、女性の容態が悪化したとき、押尾学被告の周りには、マネジャーや友人がいたといわれている。彼らも共謀して、女性を死に至らしめた可能性が高い。しかも、いま現在、彼らがマスコミに登場する気配がない。つまり、彼らの人道上の「罪」が問われることもない。普通に考えれば、死にそうな人が傍らにいたとしたら、救急車をすぐさま呼ぶのが当たり前ではないか。マスコミは、現場で押尾学と行動をともにした人物に取材して、そのときの様子を聞きだして伝えるべきだ。「酒井法子事件」にあれだけエネルギーを注いだ実績があるのだから、それくらいのことはできるはずだ。