2023年12月21日木曜日

マルタ共和国観光

 12月11~19日まで、地中海南部の小島、マルタ共和国を観光してきた。

現在、東京都の三分の二の国土に52万人弱が住んでいる。

中世、ヨハネ(マルタ)騎士団とイスラム勢力が血なまぐさい闘争に明け暮れ、騎士団は島に強固な要塞を築いて侵攻に備えた。

第二次大戦では、ドイツ軍と連合軍とがこの島をめぐって激しい戦闘を繰り広げた。

マルタは「戦争の島」だった。

いまはのどかな、そして中世の歴史を感じさせる街並み、大聖堂などが残る、ヨーロッパ屈指の観光地として知られている。

われわれが島を訪れた季節(冬)はオフシーズンにあたり、観光客は少なく、島の主役は島民である。

彼らは静かに、そして華やかに飾り立ててクリスマスがやって来るのを待っている。

マルタは「戦争の島」の歴史とともに、敬虔なカトリック信仰が根強い「信仰の島」でもある。









2023年12月10日日曜日

『私の1960年代』

  ●山本義隆〔著〕 ●週刊金曜日 ●2100円(+税) 

 著者・山本義隆(1941~)は1964年東京大学理学部物理学科を卒業後、同大学院博士課程を中退している。1960年代末期、東大全学共闘会議(全共闘)代表を、そして短期ではあったが、全国全共闘議長を務めた。新左翼学生運動とりわけ全共闘運動の代表的指導者のひとりだった。本書は山本が2015年に行った講演に加筆修正を行い、ビラ、パンフレット、討論資料、大会議案等を集成したものである。
 全共闘運動とは1960年代、全国の大学において任意に結成された運動組織のこと。新左翼各派、無党派(当時ノンポリと呼ばれた)の学生が混然となって全学共闘会議に結集し、たとえば、反戦運動、大学管理法反対運動、学費値上げ反対運動などの異議申し立てを行った。その最大の特徴のひとつが、日本共産党に代表される既成(旧)左翼の政治運動方針、革命路線に「ノー」を突きつけたことであった。よって、全共闘運動を新左翼運動のひとつと分類することもできる。 

山本義隆と〈自己否定〉の論理 

 山本が代表する全共闘運動の思想の核心となるのは、〈自己否定〉の論理だった。それを具体的に説明しよう。
 全共闘運動に参加した学生たちは、たとえば、ベトナム戦争に対する自分たち学生の立場を次のように自覚した—―アメリカ帝国主義がベトナム人民を殺戮する軍用機は、在日米軍基地からベトナムへと飛行する、また、米軍が使用する武器・弾薬・燃料等も日本から空輸される、つまり、自分たち日本人(学生)は、ベトナム人民を直接的ではないけれども、米軍に協力することによって殺戮しているに等しい、がしかし、そのことにあまりにも無自覚であり、戦場ではない「平和」な日本の大学生という自己を肯定している。それではいけない。米軍によるベトナム人民殺戮を是としないのならば、まずもって殺戮者に無自覚的に同伴している自己を否定することだ、そして帝国主義アメリカに協力する日本帝国主義政府を打倒する革命に立ち上がらなければいけないと。
 〈自己否定論〉が説得力をもった背景については、大学進学率の推移をみることで理解しやすくなる。山本が東大大学院生として東大全共闘のリーダーだった1969年における大学進学率は25%程度であった。現在の60%弱と比較するならば雲泥の開きがある。当時の大学生はいまよりもずっと恵まれた存在であり、大卒の将来は明るかった。大学生は社会の上層に自動的に昇るエスカレーターに乗ったに等しかった。しかし、とつじょとして、山本ら全共闘リーダーたちから〈自己否定〉が突きつけられた。なかで東京大学の院生となれば知的エリートであり、特権階級にみえる。超エリートである山本らが「自己を否定せよ」とアジれば、全国の学部の学生の心に響かないはずがない。そんな時代だった。

「科学技術の進歩をめぐって」 

 拙稿は〈自己否定〉、全共闘運動を論ずる場ではなく、山本の当時の言説を検証することにある。筆者が本書のなかで注目したのが「科学技術の進歩をめぐって」という論考である。山本は物理学を研究する院生であったためであろうか、日本の科学者の倫理、責任を問うものが多く、同論考はそのティピカルなもののひとつだと思われる。
 山本の立ち位置は、近代化以降すなわち日本帝国の科学者の研究成果が、アジア近隣諸国への帝国主義的侵略の具として利用されてきたこと、そして、いま(当時)なお利用されている実態を挙げ、研究者がそのことに無自覚的であるか自覚的であるかを問わず、その罪を問い、科学者のあるべき姿を探ろうとするものとなっている。
 山本によると、戦後における日本国の科学者およびジャーナリズムの世界では、先の大戦に負けた主因を「科学戦に敗けたこと」だと総括してきたという。そして彼らが目指す戦後の展望とはすなわち、日本帝国が戦争に負けたアメリカを上回る、高度な科学技術を有する日本国をつくることだと。
 侵略国家・日本帝国が掲げた富国強兵に同伴してきた日本の帝国主義的科学者たちは、敗戦後の新しい戦争(冷戦)の下、反共イデオロギーに包摂され、アメリカに隷属し、表向きにはそれを平和的に利用するという名目で、 広島・長崎の非戦闘員を虐殺した原子力研究に精力的に取り組んだという。日本国が以来原発を増設しそれを稼働し続けてきたのは、日本国が潜在的核(爆弾)保有国であることを世界に示すためだという。日本国はつくろうと思えばいつでも核爆弾をつくれるのだと。

3.11以降の反原発運動に引き継がれた山本の日本の科学技術者批判 

 山本が示した日本国の科学技術者に対する批判、とりわけ原子力研究者に対するそれは、東日本大震災(2011)のときに起きた福島原発事故後にわき上がった反原発運動に引き継がれた。山本および反原発派は原子力エネルギー研究を全否定する。はたしてそうなのだろうか。原子力研究が核爆弾に応用されたことは人類史における最大の不幸のひとつであろう。がしかし、歴史は巻き戻せない。原子力研究を封印することは不可能であり、人類の損失である。人類はこの不幸を背負って先へ進まなければならない。
 原発廃炉に係る現実的問題にもふれなければならない。敗戦後、日本国が設置した原発はおよそ50基ある。これらをすべて廃炉するに要する費用と労力と時間は、日本国のGDP値を想像以上に引き下げるだろう。自然・再生可能エネルギーを利用した発電装置を開発・設置し廃炉分を賄おうとすることも同様である。福島原発事故を乗り越える道筋は廃炉ではなく、原発の安全を保証する技術の獲得にある。戦後、安全を保証しないまま原発をむやみに設置し稼働してきたことは、日本国の科学者と原発管理者(行政)の大失態であり大罪だった。その反省に基づくならば、被爆国であり、原発事故経験者である日本国がまずもって着手すべきは、安全な原発開発技術の獲得とそれを管理する制度の構築にある。そのことが不可能だと科学的に実証されたとき、以降発生するであろう莫大な損失を覚悟したうえで原発を止め、廃炉に着手することになる。

物理学会米軍資金導入と研究者としての〈自己否定〉

 山本は1967年、物理学会に米軍資金が導入されることに反対する運動を契機として、日本の科学者・研究者批判を開始する。敗戦直後から1960年代を通じて、日本国の科学技術者を支配したイデオロギーを次のようにとらえる――日本国の研究者の思考回路は、自然科学の研究を絶対的な善とみて、「なにはさておき研究は大切」と唱える没論理的研究至上主義であるか、科学の進歩は社会の進歩と手を携えて進むと見る啓蒙主義的科学観にとりつかれているかのどちらかであり、どちらもが、高度成長のイデオロギーとなっていたという。山本は次のように書いている。

 第二次大戦後、科学技術の研究は政治や産業や軍事に重要なかかわりを有するようになり、実際に1960年代になって復活した日本の資本主義は基礎研究も含めて科学技術の開発に力を入れていたのであり、このように科学技術が体制にすっぽり取り込まれている時代に、自身の研究がどのような社会的関連の中で営まれているのかについての反省的な捉え返しを抜きに科学技術至上主義を語ることは、自己の関心をただひたすら研究業績をあげることに限定することになります。そのような立場での研究費要求運動は、現状肯定・現状追随のうえに研究者としての既得権を擁護することでしかなく、普遍的な価値をもちえないのです。(P79) 

 山本は、そこから科学者の主体性維持を論じはじめる。科学者が主体性を維持できるとするならば、研究を放棄する権利を有していることを自覚し、場合によってはその権利を行使して研究をサポタージュしなければならないと。すなわち「研究者としての自己否定」が、時に求められていたのだと。山本は次のように述懐する。 

 ・・・米軍資金問題をめぐる1967年の私たちの運動は、現役の研究者の内部から、研究者は研究モラトリアムの権利を有すると語ったはじめての運動であったと思います。物理学の勉強をしたいと思って大学に入った私の、ひとつの転換点でした。(P80) 

核爆弾と原子力研究者 

 山本は、唐木順三の遺稿『「科學者の社会的責任」についての覚書』を読んで共感したといい、次のよう書いている。

 アメリカ合衆国が原爆製造に乗り出す契機となったと言われる書簡を書いたアインシュタインが、戦後の核兵器開発競争の激化に際して、1955年の所謂「ラッセル・アインシュタイン宣言」で、科学と技術の進歩については語ることなく、それゆえ「科学者」としてではなく「人類、人という種の一員として」核の危険性を訴え、生まれ変わったら「行商人か鉛管工」になりたいと語っていることを取りあげ、それとの対比で、1957年の「パゴウォッシュ会議」について触れています。(P80) 

 山本によると、唐木は「パゴウォッシュ会議」〔注〕では「科学者の社会的責任」というテーマの委員会の提言において、「科学者が自分の専門的研究の外に、戦争を防止するために全力を尽くし、恒久的かつ普遍的平和を確立するために、できるだけ助力することは、科学者の最高の責任である」を発出した一方で、「科学はそれが外部からおしつけられる如何なる教義による干渉からも自由であるとき(中略)最も有効に発展する。科学的精神のこの自由(中略)がなければ、科学の建設的な可能性を十分に利用することはできないであろう」と補足されていることを取り上げ、この補足部分に違和感を覚えたという。これを受けて山本も唐木の違和感に同調する。 

〔注〕本書では「パゴウォッシュ」と表記されているが、Wikipediaでは、正式名称として、科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議(Pugwash Conferences on Science and World Affairs)とされている。すべての核兵器およびすべての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議である。バートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインによるラッセル=アインシュタイン宣言での呼びかけを受け、11人の著名な科学者によって創設された。1957年7月7日、カナダ・ノバスコシア州パグウォッシュにある鉄道王サイラス・スティーブン・イートンの別荘に、湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄、マックス・ボルン、フレデリック・ジョリオ=キュリーら10カ国22人の科学者たちが集まって第1回の会議が開かれた。会議においてはすべての核兵器は絶対悪であるとされた。しかし第2回会議以降、核兵器に対する評価は変化し、核兵器廃絶を訴えるラッセルらと、核兵器との共生を求めるレオ・シラードらとの対立が鮮明化し始めた(シラードは核抑止論側に立った)。  

 唐木・山本の「パコウォッシュ会議批判」を整理すると

 パゴウォッシュ会議は――

  1. 一方で科学的真理の無限追及の自由を背後に維持しながら、他方でその心理が技術的に実現、応用、乃至悪用されることについて制限を加えるべしと言っているところの、二元論であること
  2. 科学と技術の進歩は不可避である。人類の技術的進歩の多くが、核力を自由にできるようになったことに依存していることを考えると、戦争が永久に、そして全面的に不可能になるようにすることがきわめて重要であるという委員会の報告は「うやむやの態度」であること
  3.  この会議には、科学者自身の自責の心は殆どないこと
  4.  あくまでも「科学者の立場」にこだわり、「研究の自由」を盾に研究については100パーセントのフリーハンドを主張しつつ、その結果について言うならば第三者的に制限云々をかたっているわけで、一方で科学、技術の無制限、無制約の進歩、発達を肯定、歓迎しながら、他方において、普遍的、恒久的な平和に〝助力″することが〝科学者の最高の責任である″というテーゼは、すっきりしないということ 

 これらを大雑把に言えば――

 科学技術研究に携わる者およびその成果はニュートラルであり、たとえ、それが戦争に用いる武器や実用機械として使用され事故を起こしたとしても、科学技術者および研究成果が罪を問われることはない、という立場・・・①
 そうではなく、科学技術が殺人や事故を起こす結果を見通すことができるのならば、科学技術者は、そのような研究をサポタージュすべきだという立場・・・②
 ――ということになる。
 唐木・山本の見解は、原子力研究は当初、核爆弾開発を想定して始められたものではなかろうが、原子力研究者が核爆弾に使用される可能性を予知していたにもかかわらず、その研究を続行してしまったので、その責任を問われる、というものではなかろうか。アインシュタインはどうだったのか。彼は核が爆弾として使用された事実を踏まえたうえで、つまり使用後に核の危険性を訴え、その自責の念を「生まれ変わったら、行商人か鉛管工になりたい」と語ったように筆者には思える。
 ところで、アインシュタインは山本が指摘しているように、《アメリカ合衆国が原爆製造に乗り出す契機となったと言われる書簡を書いた(P80)》のだろうか。そのことについて、『澤田昭二の反核ゼミ』(日本原水協ウエブサイト)において、澤田はこう書いている。 

 「アインシュタインが原爆を作るようにルーズベルト大統領に手紙を出したことが、核兵器製造の発端だった」とよく言われます。しかし、この手紙が大統領に届けられてから実際の原爆開発・製造のマンハッタン計画につながる経緯は、それほど単純ではありませんでした。この経緯を正確に捉えることは、科学と政治、科学者と政治家の関係についての正しい教訓を引き出すためにも大事な、今日的な問題です。
 すでにふれたように、核分裂が発見されて以来、その発見がナチス・ドイツの原爆製造につながる可能性について、物理学の側面から、もっとも強い関心をもって取り組んだのは、レオ・ジラードでした。同時に、彼は、アメリカがドイツに先がけて原爆を開発して、ドイツの原爆使用をけん制すべきだという、今日の「核抑止論」のような発想を抱いていました。 ジラードはこうした考えについて、同じハンガリー人の亡命科学者であるエドワード・テラー、ユージン・ウイグナーと議論しました。
 三人は、アメリカの原爆開発がドイツの原爆使用を回避するだけでなく、原爆を使った戦争をすれば、戦争の勝者も敗者もなくなり、戦争そのものができなくなるだろうと考えました。そうなれば、通常兵器を使ったあらゆる戦争も廃止できるだろう。彼らはアメリカの原爆開発にきわめて楽観的な、夢のような期待を抱いていたのです。彼らは、アメリカ政府を動かすには、同じ亡命科学者としてナチスのユダヤ人弾圧に心を痛めているアインシュタインの知名度を利用して、ルーズベルト大統領に手紙を書いてもらうことを考えつきました。一九三九年の七月一六日、ジラードとウイグナーはロングアイランドの避暑地にアインシュタインを訪ねました。アインシュタインはこのとき初めて、連鎖反応と原爆製造の可能性を知って驚きました。同時に、ジラードらのアメリカ政府を動かそうとする意図も理解しました。この時は、アインシュタインが手紙の内容をドイツ語で口述し、それをウイグナーが書き取って持ち帰り英訳しました。この手紙は、後に何度も書き変えられ、大統領宛の手紙の草案になりました。
 ジラードは、ルーズベルト大統領とつながりの深いアレキサンダー・ザクスを通してアインシュタインの手紙を大統領に届ける道をつけました。そこで、七月三十日、今度はジラードとテラーがロングアイランドにアインシュタインを訪ね、大統領宛の手紙を再検討しました。この時の手紙の草案をザクスとジラードが検討して手紙を作成し、アインシュタインが署名しました。これが有名な「アインシュタインの大統領宛の手紙」となったのです。
 ザクスがこの手紙を大統領に届けたのは二ヶ月以上を経た十月十一日でした。その時すでに、ドイツはポーランド侵攻を開始し、第二次世界大戦が始まっていました。ルーズベルト大統領は、さきの手紙を受け取ると直ちに「ウラン諮問委員会」を発足させました。「ウラン諮問委員会」は十一月一日付けで大統領宛の報告書を作成しましたが、この報告書は一九四一年秋、英国から原爆製造の可能性を具体的に示す報告書が届くまで大統領のファイルに収められ、眠ったままになっていました。
 第二次世界大戦が始まった一九三九年当時、アメリカの世論は一般住民への非人道的な爆撃に対する批判を高めていました。ルーズベルト大統領も、無防備な一般住民への爆撃を止めるように訴えるアピールを九月一日に発表しています。
 しかし、真珠湾攻撃をきっかけに世界大戦に参加するようになると、アメリカの非人道的な爆撃への非難は、復讐への衝動を強めることにつながっていきました。一九四五年にアメリカは東京大空襲をはじめ一般市民に対する爆撃をあいついで繰り返すようになりましました。一九四五年五月ドイツが降伏すると、ジラードは核兵器開発の停止を訴えました。しかし、原爆を手にしたアメリカは、原爆を対ソ外交の「切り札」と位置づけるようになっていました。ついに、今から五七年前の一九四五年、完成したばかりの原爆を、広島と長崎の一般住民に対して投下しました。
 戦後、アメリカは半世紀におよぶ米ソの核兵器開発競争に勝利し、ソ連が崩壊すると、一国覇権主義を強めるようになりました。「核兵器廃絶の明確な約束」をせざるを得なくなった今日でも、ブッシュ政権は核兵器を背景にして軍事力で世界を支配しようとする政策を捨てようとしていません。
 ナチスの暴圧を逃れて亡命してきた科学者たちは、核兵器を手にしたアメリカがこのように人間性を喪失し、変質していくことを予想だにしていませんでした。アインシュタインは、手紙に署名したことを生涯の最大の過ちとして、その後の生涯を平和のために捧げました。 (「原水協通信」2002年8月号 第702号 掲載) 

 澤田の説明が事実であるならば、戦争における核の使用と原子力研究者すなわち科学者の責任とが対応的関係にあるようには、筆者には思えない。アメリカの核爆弾開発・使用は、アメリカ(政府)の第二次大戦後における世界制覇戦略に基づくもの――核を背景とした、政治経済的世界支配という思惑によるものだったのではないか。
 アインシュタインは原子力研究を停止することを望んだのではなく、アメリカ大統領に出した手紙に自分の名前が利用されたことを悔いたのではないか。もしかしたら、彼は広島・長崎で核爆弾が使用され大戦終結後、核兵器開発競争が開始されたことを知って、「生まれ変わったら、行商人か鉛管工になりたい」と語った、つまり、原子力研究に従事したことにより、以降、世界大戦の勃発を永遠に封じる(世界最終戦争)という思惑が外れ、大戦後に核兵器開発競争が加速してしまったことを悔いたのではないか。
 筆者の推測にすぎないが、1945年8月すなわち大戦末期の時点では、それが真珠湾攻撃で自(アメリカ)国民を不意打ち殺戮した日本帝国に投下されたことを止むなしとしていた可能性を否定できない。 
 繰り返せば、アインシュタインが慙愧に耐ええなかったのは、核爆弾が世界最終戦争をみちびき、以降、戦争がなくなると考えていたにもかかわらず、大戦後、米ソを筆頭に核兵器開発競争が開始されたことだったのではないか。
 それゆえ、アインシュタインの「生まれ変わったら、行商人か鉛管工になりたい」という語りは、山本ほどには、筆者の心に響かない。 

総力戦と科学者をふくむ全国民の関係

 第一次欧州大戦(WWⅠ)、第二次世界大戦(WWⅡ)、そしてそれと並行して戦われたアジア・太平洋戦争がそれ以前の戦争と異なるのは、戦争が総力戦という形態に変化したことだ。総力戦については、クラウゼヴィッツがナポレオン戦争が起源(『戦争論』)としているようだが、一般にはWWⅠからとみなされている。
 総力戦とは、戦争が軍隊と軍隊が衝突するにとどまらず、国家・国民が、軍事、経済、商業、物流、文化そしてもちろん科学技術等を総動員して相手国と戦うところに進化したことを特徴とする。国際条約では非戦闘員の殺戮は違法とされるが、実態はそうではない。
 アメリカはアジア・太平洋戦争末期(1944~1945)、日本帝国(軍)が完全に自国の制空権を失ったことを見越したうえで、都市の市街地を標的として無差別空爆を行ったばかりか、人類史上初めてとなる核攻撃(原子爆弾投下)を行い、広島・長崎の市民を大量虐殺した。
 日本帝国は、日中戦争中の1938年~1941年、当時中華民国の首都であった重慶に対して大規模な無差別空襲(市街地を区分して隈なく絨毯爆撃)を反復実施した。
 連合国(イギリス・アメリカ等)は、WWⅡ末期の1945年、ドイツ東部の都市、ドレスデンに対し、無差別爆撃を行った。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、市の調査結果によれば死者数は25,000人、また一説には、10万人以上、13万5千人から20万人の死傷者ないし死者が出たともいわれる。
 総力戦では個別の戦闘ばかりか、相手国のpeople、都市インフラ(ライフライン、住宅、道路、物流、病院、学校、工場、商店、研究機関、官庁等の政治行政司法施設・・・)、劇場、寺院といた文化・宗教にかかわる施設をも攻撃対象として破壊する。そうして相手国の総力を減退させる。
 表向きの戦時国際法では、死傷者の収容・保護、病院地帯への攻撃は違法とされるが、総力戦では病院こそが軍事施設である。なぜならば、病院は負傷した軍人を治療し、回復後、戦力として戦場に再送するからだ。病院は戦力(軍人)再生工場なのだ。当然のことながら、科学技術者が新たな武器開発の基礎となる研究をする大学や研究所、そして兵器を製造する工場も優先順位の高い攻撃対象になる。
 総力戦では攻撃対象にならないものはない。敵国の市民がたくさん死ねば、厭戦気運が高まり、反戦、反政府運動につながるという論理もはたらく。すなわち、総力戦においては、戦争に関与しない国民(people )は一人もいない。女性、子供もそうだ。女性は兵士を「生産」する、子供は将来の兵士である。ついでながら、教師は愛国教育を施す者、文学者は好戦的文学を提供する者、コメディアン等の芸能人は戦闘に疲れた市民・兵士の心をリフレッシュする云々。 

鉛管工と科学者 

 さて、ふたたびアインシュタインである。前出の彼の語り、「生まれ変わったら、行商人か鉛管工になりたい」は、筆者には、科学者の高慢のように聞こえる。総力戦の最中ばかりか平時においても、行商人だろうが鉛管工だろうが、科学研究者・技術者であろうが、国家に在るかぎり、国家と国家の戦争の主役の一人にほかならない。科学技術者は大量破壊兵器開発の糸口を国家に提供し、国家はそれを工場(労働者)を介して兵器に変える。行商人は科学技術者に必要な物資を仕入れてそれをとどける、鉛管工は研究所や兵器工場の鉛管をつなぎ、それを修理する。社会総体の関係に与らないpeopleは存在しない。
 山本は、科学技術者こそが戦争にもっとも近い者だと錯覚しているのではないか。科学技術者が戦争を牽引するのではない。核をはじめとする高度な大量破壊兵器ばかりに目を奪われ、国家の総体を形成しているpeopleに目がとどかない。山本が研究者として〈自己否定〉するのは自由であるから、そのことを否定しない。だが、そのことばかりを強調して、特別な、選ばれた自己=研究者だけの〈自己否定〉を展開するのは、裏返ったエリート意識の表出である。
 筆者はだから、アジア・太平洋戦争時における「学徒出陣」をいまなお、あたかも悲劇ふうに報道する今日の日本国のマスメディアのあり方にも危機感を覚える。農民、工場労働者、商人等の青年が「出陣」するのは当たり前で、学徒(学生)が特別なのかと。科学者と鉛管工をむすぶ――生活者としての自己否定が反戦にむすびつくような論理展開が求められている。

〈自己否定〉と関係の絶対性

 1960年代に山本らが掲げた科学者の〈自己否定の論理〉を、1950年代に吉本隆明が著わした『マチウ書試論』における関係の絶対性という概念と対照しながら考えてみることにする。吉本は同試論の中でマチウ書(「マタイによる福音書」)23章29~33を引用する。吉本の引用は難解な訳なので、その箇所を新約聖書現代語訳から転載する。

23:29 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、 
23:30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。 
23:31 このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
23:32 あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。 
23:33 へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。 
(口語訳聖書「マタイによる福音書」) 

 そして以下、現代キリスト教批判を展開する。 

 すべての悲惨と、不合理な立法と支配の味方である現代のキリスト教は、当然この言葉をうけとらなければならない。加担の因果は、秩序というものを支点としてめぐるのである。加担の意味が現実の関係のなかで、社会的倫理にとらえられなければならないのはこのときである。ここでマチウ書が提出していることから、強いて現代的な意味を描き出してみると、加担というものは、人間の意志にかかわりなく、人間と人間との関係がそれを強いるものであるということだ。人間の意志はなるほど、撰択する自由をもっている。だが、この自由な撰択にかけられた人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。(中略)
 関係を意識しない思想など、幻にすぎないのである。(中略)
   秩序に対する反逆、それへの加担というものを倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。(中略)
 現代のキリスト教は、貧民と疎外者にたいし、われわれは諸君に同情をよせ、救済をこころざし、且つそれを実践している。われわれは諸君の味方であると称することは自由である。何となれば、かれらは自由な意志によってそれを撰択することが出来るから。しかしかれらの意志にかかわらず、現実における関係の絶対性のなかでかれらが秩序の擁護者であり貧民と疎外者の敵に加担していることをどうすることもできない。加担の意味は、関係の絶対性のなかで、人間の心情から自由に離れ、総体のメカニズムのなかに移されてしまう。(『マチウ書試論 転向論』吉本隆明〔著〕講談社文芸文庫) 

 「関係の絶対性」はわかりにくい表現だが、谷川雁がいうところの、その反対が「観念の相対性」なのだと規定するとわかりやすくなる。本書にもどれば、平時においては、だれも自分の仕事が戦争に結びつくとは思えない。研究者も鉛管工もそれぞれのモチベーションに従い仕事を続ける。賃金が低ければサポタージュ(ストライキ)も辞さないだろうし、快適で効率的な職場を求めてやまない。ところが、冒頭で指摘した〈自己否定論〉を反復すると、外国における悲惨な戦争や国内の政治腐敗等の報道に接したとき、静観する自己のなかの倫理観に従いつつ、異議申し立ての意志をもつにいたる。前出のベトナム戦争の事例のとおり、戦争に加担している自己を発見する。物理学研究者の学徒である山本は米軍という戦争機関のカネ(資金)が、所属する大学院に流入することを知り、自分(の立ち位置)が戦争に直結しているのだと自覚する。
 しかし、吉本が指摘するように、自由な意志によって、物理学徒である自己を否定するという撰択をすることは出来る一方、自分の意志にかかわらず、現実における関係の絶対性のなかで自分が秩序の擁護者であり貧民と疎外者の敵に加担していることをどうすることもできない。研究者でありながら、研究者批判の運動をしようとも、あるいは、研究者の職を辞して、ほかの場(職)に移ろうとも、関係の絶対性という尺度からみれば加担に変化はない。
 なぜならば前出のとおり、自国が総力戦に突入すれば、すべてのpeopleが戦争に結びつけられる。科学者も鉛管工もない。そのとき自由な意志で〈自己否定する者〉は、国家に対する反逆者とならざるをえない。そのとき極限の自己否定が反戦の論理として立ち上がる。
 一方の自己肯定する愛国者たちは自由な意志にしたがい国家への忠誠と献身を誓い、前線で戦う兵士、兵器を開発する科学技術者、それを製造する労働者、兵士に提供する食料を耕作する農民、負傷兵を「再生」する医師、看護師・・・として、戦争に勝つために励む。愛国者は軍国ファシストに変身し、国家はそれを下から組織して総力戦体制という構造をつくりあげる。(戦争への)加担の意味は人間の意志、心情から自由に離れ、関係の絶対性という総体のメカニズム――社会、国家という構造のなかに移されてしまう。

 吉本はさらに続ける。

 人間は狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまるごと強いられながら革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間の生存における矛盾を断ちきれないならばだ。(前掲書) 

 筆者がこの部分を引用した理由は、山本が「秩序を狡猾にぬってあるきながら、革命思想を信ずる」者であると言いたいがためではなく、吉本が革命とは何かという自問に自答していないことを明らかにしたいがためである。吉本は、《関係の絶対性のなかで自由な意志を表明したとしても、どうにもならないではないか》、という絶望と孤独のなか、《人間の生存における矛盾を断ちきろうとするとき、発想の底をえぐり出して、それをみる》ことができる地点にとどまる。
 では山本の唱える科学者・研究者の〈自己否定論〉が、1960年代から半世紀以上を経過したこんにちにいたるまでのあいだ、吉本がいう、生存における矛盾という地点に到達し、それを越えられたのかどうか――山本義隆の次なる像をもとめ、確認する作業が筆者に残されてしまったようだ。〔完〕

2023年12月5日火曜日

晩秋の上野公園(西郷隆盛銅像~黒田記念館)

西郷隆盛銅像

 

清水観音堂


黒田(清輝)記念館

2023年11月21日火曜日

秋の上野公園内ストリート







 

秋の上野寛永寺



 









上野公園

 秋の上野公園






横尾忠則「寒山百得」展

 上野公園内の東京国立博物館表慶館にて開催されている「寒山百得」展(横尾忠則)にいってきた。








2023年10月27日金曜日

不忍池

 本日も晴天なり



2023年10月20日金曜日

NPB/2023、パリーグCSに思うこと

 日本プロ野球(NPB)はレギュラーシーズンが終了し、クライマックスシリーズ(CS)がいまたけなわである。筆者は現行のCS制度に反対だけれど、開催中のパリーグCSの不可思議な展開に驚かされっぱなしである。

ロッテ、奇跡の逆転劇

〔一〕ミラクル・ロッテ

  NPBパリーグ、クライマックスシリーズ(CS)1st ステージ、ソフトバンクVs.ロッテ最終戦は「クライマックス(最高潮)」そのものだった。 

最初のクライマックス 

 試合内容の詳細はすでに報道済みだけれど、簡単にふりかえってみよう。延長10回裏、3点リードされたロッテが、奇跡ともいえる逆転劇を演じた場面だ。 ソフトバンクのクローザー津森宥紀は先頭打者にヒットを許した。ここまではロッテの最後のあがきかと思ったものだが、次の打者もそれに続いたことで無死1、2塁とロッテのチャンスが広がった。ここでホームランが出れば同点だとファンの気勢が上がったものの、まさかそうなるとは思っていなかったはずだ。ところが、ロッテ藤岡裕大が起死回生の3ラン。興奮冷めやらぬゾゾマリンスタジアム。まさに絶頂、クライマックスそのものである。 

クライマックス第二弾は続いてやってきた

 次の打者がヒットで出塁した。逆転の兆しではあるものの、一塁走者をホームに返すのはかなり難しい。案の定、二死を取られた。同点引き分けで1stステージ突破かなと思ったところが、二死一塁から途中出場の安田尚憲が右中間にサヨナラ二塁打を決めた。この二塁打は微妙で、右中間を抜かれたわけではない。ソフトバンクの外野が深く守りを固めたため、一塁走者は三塁で止まるかのように思えた。ところが、ロッテ三塁コーチの腕がぐるぐるまわり、三塁突入を指示、それをうけて走者はホーム突入、ソフトバンク外野手がバックホームするも間一髪セーフ。ビデオ検証をリクエストするも、判定どおり。クライマックス第二弾、ロッテは驚異の逆転劇をみごと演じきった。 

ソフトバンクのクローザーはだれだ 

 試合後、ソフトバンク藤本博史監督の投手リレーに疑問の声が上がった。筆者は、前日の試合でロッテ打線を完璧に抑えたロベルト・オスナを勝ち越しまで温存すべきだと思ったが、同点の場面で登板させてしまった。勝ち越した10回、クローザーとして残っていたのは津森宥紀だった。津森なのかな・・・と思っていたところで前出のとおり先頭打者、次の打者と連続して出塁を許した。ロッテ逆転の伏線は、オスナの先行登板にあったのかもしれない。 

〔二〕選手の流動化は望ましいことだが 

 このたびのパリーグのCSを見ていると、ロッテ球団と読売球団の不思議な縁を感じて仕方がなかった。

ロッテと「巨人」 

 CS1st、2ndステージを含め、ロッテには読売巨人軍を追われた石川慎吾、グレゴリー・ポランコ、クリストファー・クリソストモ・メルセデス、澤村拓一投手の名前が見える。石川、ポランコはクリーンアップを構成しているのである。その石川は今シーズン途中、トレードで、ポランコは昨シーズン限りで読売を退団しロッテに入団した。前者は対左投手対策の切り札的存在に、そして後者はパリーグの本塁打王に輝いた。 

 この2選手を放出した読売は、今季、外野手不足に悩まされた。ポランコはDH制のあるパリーグだから活躍できたという反論があるかもしれないが、筆者はそうは思わない。少なくとも、読売のルイス・ブリンソンよりは守備を含めてポランコのほうが上である。石川はどうか。読売の右の外野手で石川を上回る者がいただろうか。長野久義?前出のブリンソン?アダム・ブレット・ウォーカー2世?オコエ瑠偉?萩尾某?岡田某?どう考えても石川より劣る。全権委任された原辰徳の眼力のなさが証明される事例の一つだろう。なお、2ndステージ第三戦、読売球団を退団した澤村の先発が予定されている。 

メルセデス投手の実力 

 2ndステージ第三戦で先発したメルセデス投手は、今シーズン 22試合、4勝8敗、防御率3.33。勝星は芳しくないが、読売のエースと言われる菅野智之の14試合、4勝8敗、防御率3.36と比べると、メルセデスの方が登板数で上回り、勝星、防御率でほぼ同等の成績を残している。ちなみに読売の先発投手陣のうち、20試合以上登板したのは戸郷翔征(24試合、防御率2.38)、山崎伊織(23試合、同2.72)、フォスター・グリフィン(20試合、同2.75)、横川凱(20試合、同3.95)しかいないから、メルセデスは先発4番手にはいっておかしくない。これも全権監督としてチーム構成を企画した原辰徳の眼力のなさの証明の一つとなろう。 

「飼い殺し」から才能ある選手の放出に 

 かつて読売球団は選手を「飼い殺し」することで知られていた。相手の強い駒を奪ってしまえば、自然に順位が上がるという筋書きだ。読売球団はドラフト制度導入に反対し続け、逆指名制度等の抜け道を制度化するといった、不適切な過去がある。時代の流れに抗しきれなくなってドラフト制度が定着すると、FA制度を使ってFA権を行使できる有力選手を潤沢な資金を駆使して集め始めた。しかしながら、読売球団の不透明な体質(MLB移籍を認めない契約等)を敬遠する選手との契約交渉はうまくいかなくなってきた。そればかりではない。「巨人ブランド」が通用する高校野球界では育成選手を大量に入団させてきたものの、その育成ノウハウが未熟なため、短年で契約を打ち切る暴挙がアマ球界において知られるようになり、読売球団を敬遠する風潮も出始めた。

読売球団の選手育成プログラムは「カオス」

 読売球団というか、全権委任された原辰徳の育成プログラムはわけがわからない。スーパールーキーと話題になった浅野翔吾の事例である。浅野の2023シーズンの一軍での成績は24試合、41打席、打率.250。浅野が一軍に帯同した試合が何試合だったか確認できないが、7月7日に一軍ベンチ入りしたものの試合出場のないまま21日に登録抹消されたことはわかっている。有望ルーキーの一軍帯同は悪いことではないが、巨人の2023シーズンの成績に鑑みると、その一枠ははたして有効だったのかどうか。 

 甲子園のスターとはいえ、高校卒業したばかりの新人になによりも必要なのは試合経験である。長いシーズンを戦い抜ける体力、実戦における規律の中でいかなる仕事ができるのか。ヒットを打つだけではなく、状況に応じて犠打、エンドラン等への対応力、そして守備走塁の状況判断である。読売球団の悪い手本がブリンソンだ。彼は打撃だけを個別に見れば高いレベルにある。しかし、守備、走塁等における状況判断は一軍どころか三軍レベルに達しない。DH制度のないセリーグではより難しい。ウォーカーもそうだった。しかし、原辰徳は彼ら二人と契約し、使いあぐねたままシーズンを終えた。 

 浅野は甲子園のスーパースターであり、原辰徳がドラフトで自ら引き当てた選手だから思い入れがあるのかもしれないが、ロッテの佐々木朗希の育成と比較すると、差がありすぎる。 

 ロッテ球団は、2020年の佐々木のルーキーイヤー、一軍・二軍ともに公式戦登板はさせなかった。ほぼ通年で一軍に帯同したが、肉体強化を図る1年となった。2021年は3月12日に行われた中日とのオープン戦にて実戦デビュー。4月2日にはイースタン・リーグのヤクルト戦で公式戦デビュー。5月16日の西武戦でプロ初登板初先発。以下、一軍戦力として登板するようになった。開幕ローテーションに入ったのは2022年シーズンから。同シーズンでは1試合19奪三振を、そして史上16人目となる完全試合を達成した。そして、2023年シーズンではローテーションピッチャーとして自立している。 

 佐々木は投手で浅野は野手という違いがあるかもしれないが、高卒ルーキーには少なくとも3年間の育成期間を必要とする、と筆者は考えている。浅野が2026年シーズンには一軍戦力として活躍してくれることを望んではいるが、原辰徳の下ではおぼつかなかっただろう。原が辞任したことは浅野にとって僥倖となる。

おわりに 

 読売球団が率先して選手の「飼い殺し」をやめ、選手の流動化を促進したことは、球界にとって望ましい傾向である。そういえば、パリーグCS2ndステージ第二戦では、ロッテの対戦相手であるオリックスがトレードで読売球団から獲得した廣岡大志をレフトで先発起用し、廣岡は第一打席でヒットを打った。前巨人の選手が両チーム合わせてメルセデス、ポランコ、石川、廣岡と4選手にも上ったのだ。このような情景はあまり記憶にない。前出のとおり、第3戦は元巨人の澤村が先発だというから、もしかしたら巨人在籍者が5選手そろう可能性もなくはない。読売球団の前全権監督の原辰徳はパリーグCS2ndステージをどのような思いで観戦しているのであろうか。〔完〕 

2023年10月10日火曜日

ジャニーズ

  芸能人が歓び悲しみに係る受け答えをする場面をTVでみるとき、彼ら彼女らが本心からなのか、演技なのかを見通すことができない自分がいることに気づく。話題のジャーニーズ問題の記者会見でもそうだった。新しく同事務所の経営者に就任するという、同事務所所属のタレント二人の発言および受け答えだ。この二人は会見前に自らの頭の中に仕込んだセリフを発しているのであって、心のなかから湧き出た言葉で話していないのではないかと。  


 二回目の会見のとき、何度も手を挙げながらも司会者から当てられなかった取材者が怒りの抗議を発したとき、二人のうちの一人は「ルールを守りましょう、子供たちも見ている云々」とアドリブで会場の混乱を鎮めようと、沈痛な表情を浮かべてみせ、そのとき、会場にいた一部の取材者から拍手がわき上がった。「してやったり」と勝ち誇ったような表情を浮かべた彼だったのだが、後日、「NGリスト」とやらの存在が確認され、彼の一世一代のアドリブ(のセリフ)は、残念ながら迷演技、それこそ「NG」に終わった。「生放送」だから撮り直しはきかない。彼は人間性を疑われるまでに、彼のリライアビリティーは失墜してしまったのだ。
   同事務所の創業者ジャニー某は、おぞましい性犯罪者だったのだが逮捕されずにあの世に旅立ってしまった、と筆者は考えている。その罪障が発覚したいま、新会社としてその事業を引き継ごうとする彼ら二人はジャニー某のなにを守ろうとしているのだろうか。彼ら二人は操り人形にすぎないのか。 
 そればかりではない。「芸能レポーター」、日本放送協会を含むTV局、スポーツ新聞社、芸能雑誌社などの「エンタメ業界」周辺の「同業界内の従業者たち」――いまだかれらも、「ジャニーズ」と利益を一にする者たちなのだ。ほぼ半世紀にわたり、彼らはジャニー某の「犯罪」を黙認してきたのだから、いまだジャニーズと手を切ることができないのだろう。 
 もうひとつ、筆者の理解が及ばないのは、「ジャニーズ」を自らの青春に重ねようとする「ファン」の存在だ。この期に及んで、自らの青春を性加害者と性被害者に重ね合わせようとする心情が理解できない。同事務所のタレントに「罪はない」とファンは確信しているのかもしれないが、彼らが受けた心身の傷に思いを寄せることができなければファンの資格はないだろう。いまファンとしてできるのは、ジャニー某を断罪し、被害者に寄り添い、〈ジャニーズ〉および〈自らの青春の黒歴史〉と一刻も早く訣別することしかない。 

2023年9月18日月曜日

2023シーズン、日米プロ野球あれこれ


MLB篇

(一)超人はいなかった 

 大谷翔平がDL( disabled list)入りしたことで、彼の今シーズンは終了した。シーズン前のWBCからエンジン全開で突っ走ってきた彼を蓄積疲労が襲い、報道では身体の二カ所(肘と脇腹)に故障が発生したようだ。故障の軽重についてはわからないが、肘の手術という選択肢もあると聞いている。過熱報道していた日本のTVは〝大谷ネタ″が切れたところで、代わりに、NPBセリーグ優勝監督の「あれ」に切り替わって今日に至っている。 

 筆者は大谷の二刀流について2017年以来拙Blogにて懸念を表明してきたものの、その成否をこんにちまで結論づけられずにいたのだが、いま、懸念から失敗と断言する。二刀流は現在のベースボールでは不可能だと。  

 ベースボールの歴史はおよそ200年。1846年6月19日に、米国ニュージャージー州ホーボーケンにおいて最初のベースボールの試合が開催されたとされる。この6月19日は、現在の野球の基本となるルールで初めて試合が行われた日であることから、「ベースボール記念日」もしくは「ベースボールの日」と呼ばれているという(Wikipedia)。以来、たびかさなるルール変更が加えられ、MLBを中心に、概ね10人制で行われるまでに進化した(NPBのセリーグは9人制)。 

 

(二)分業化(打者と投手の分離 

 

 筆者が関心を抱いているのは、野球は分業化したのか、そうでないのかという点だ。およそ200年の歴史のなかでほぼ確立したスタイルが、投手と野手の分離だった。このことは明白だ。1試合およそ130~140球を投げる投手はもっとも過酷なポジションだ。DH制度が普及する前は、投手は打席に入っても三振か凡打で終わることが許されていた。そのかわり、1試合完投することが求められたのだが、故障者が多数出たことから、先発投手は100球を目途に降板し、複数のリリーフ投手が受け継ぐというスタイルに移行した。こんにちのMLBでは、完投は負担が大きいとされ、先発100球、中4日のローテーションが確立し、先発が降板した後は、中継ぎ、抑えが試合を終わらせる。NPBでは、先発投手は中6日、100球が目途とされている。投手、打者の分業制に反旗を翻したのが大谷の二刀流だったが、大谷に故障が頻発したことにより、彼の野心は頓挫したと断言できる。広大な北アメリカ大陸を移動するMLBの環境では、身体への負担が大きすぎたのだ。  

 攻撃陣の分業化の具体例としては、指名打者(DH制度)の導入が挙げられる。9人制の場合、投手も打席に入るが、10人制では投手は打席に入らず、そのかわり、守備に就かない打撃専門の打者が加わった。さらに状況に応じて、代走(走塁専門)、守備固め、代打といった控え選手の活用もなされている。 


NPB篇

 

(一)ユーティリティー(複数の守備をこなせる)プレイヤーの是非 

 

 分業化に反するのが、野手におけるユーティリティー・プレイヤー(複数のポジションを守れる能力をもった選手)が求めらる傾向だ。複数のポジションを守ることが出場機会を増やすとされ、そのような能力をもつ選手が一軍に上がれる条件の一つなっている。NPBでユーティリティー能力を厳しく選手に求める球団が読売巨人軍だ。今シーズン打撃好調の岡本は、三塁、一塁、左翼とポジションを転々とした。売り出し中の秋広は外野と一塁、坂本は遊撃から三塁、門脇が三塁、遊撃、二塁を兼任している。控えの中山が遊撃、三塁、二塁、若林が一塁、二塁、三塁、外野が守れる。しかし、読売の現在の順位は4位と低迷している。もちろん、ユーティリティーだけが順位を決定しているわけではないが、まったく影響がないともいえない。 

 

(二)守備の固定化が是と出た阪神タイガース 

 

 読売と対極的なのが優勝した阪神タイガースだ。阪神の内野は、大山(一塁)、中野(二塁)、佐藤(三塁)、木波(遊撃)で、内野守備位置はほぼ固定されて優勝を迎えた。一塁手と三塁手はファンに近いため花形ポジションといわれ、ON(一塁・王、三塁・長嶋)の事例が名高い。阪神は一塁・大山、三塁・佐藤のスター選手が7月15日以降、固定された。佐藤の打撃好調と三塁守備固定の相関性は証明しにくいが、結果としてはそれが打撃好調につながったといえる。逆にいえば、打撃好調だから守備位置が固定されたともいえる。 

 

(三)NPB球団中、最強の戦力をもった「原巨人」の失墜  

  

 豊富な戦力を擁し、毎シーズンセリーグ優勝候補とされている読売が今シーズンも低迷し、リーグ優勝を逃した。投手陣の未整備がその主因だとされるが、試合中における采配においても、首をかしげたくなるようなシーンが目立った。原の勘違いは、「勝負に徹する」という哲学を誤って理解している点にある。たとえば、今シーズン打撃開眼したとされる秋広の扱いだ。彼をクリーンアップ(三番)に抜擢したまではよかったが、得点機(たとえばノーアウト1塁、2塁の場面)で送りバントのサインを出して秋広が失敗するという場面があり、成功しても次の打者が凡退するというケースもあった。秋広は打撃とは異なる次元で自信を喪失した。さらに、打順も3番、5番、下位と、ころころ変更され、とうとう控えになってしまった。クリーンナップでも犠牲バントで塁を進めて勝とうとする原の采配は「非情采配」「勝ちにこだわる」という高評価があるようだが、筆者には選手を信頼できない証にしかみえない。  

  

若手外野手が伸びない

  

 かつて読売の外野は人材豊富といわれ、他球団からうらやましがられた。ところが、今シーズン終盤では、左翼に三塁からコンバートされた岡本、中堅が丸、右翼に梶谷である。しかも出戻りのベテラン長野が先発するという試合も少なくなかった。FAがらみの3選手と本職以外1選手が先発を独占している。シーズン終盤、岡田の登用もあったが結果は出ていない。プロパーで本職の外野手はどこに行ってしまったのだろうか。    

 近年、もっとも期待された若手のひとりが、2021年、育成で最多本塁打数を記録し大活躍した松原だ。ところが、2022シーズンから不調に陥り、今シーズンも二軍落ちが続いた。重信もそのひとり。2015年ドラフト2位指名を受け入団したもののレギュラーに定着できず、いまや代走専門だ。重信は、肝心なところで走塁でも失敗が続いている「もっていない」選手。今シーズン、現役ドラフトで入団したオコエはシーズンはじめ、レギュラーに定着化したと思われたが、その後尻切れトンボで二軍落ち。岡田、萩尾も一軍では結果が出ていない。  

  

構想なき「チームづくり」  

  

 読売の若手外野手が伸び悩んでいる主因は、FA等による補強によるものだと筆者は考えている。その象徴が中田翔の獲得だった。中田は日ハム在籍のとき、ある選手とトラブルを起こし、放逐された過去がある。それを拾ったのが読売で、今シーズンはそれなりの実績を上げたが、安定した戦力だとはいえない。まずケガが多い。あの体型からすれば、「第二の清原」だと思われても仕方がない。シーズンをとおした活躍はあり得ない。ポジションは一塁しかできない。彼がいるから原(監督)は強打を期待して先発に使う。結果、秋広は外野に追いやられ、岡本は必然的に本職の三塁に定着した。ところが、坂本が衰えて遊撃から三塁に転向させざるをえなくなった。この選択はいたしかたないが、この体制はせいぜいあと2~3シーズンの時限立法だ。坂本がレギュラーから外れた時点で、三塁・岡本、1塁・秋広が固定され、門脇がこの先も遊撃のレギュラーがつづけられる見通しが立ったところで、読売の内野陣は安定期を迎える。ちょうど優勝した阪神とほぼ同型の布陣が完成する。つまり、2023年から先の数年間は、読売の内野陣は発展途上にある。戦力が整っていない。  

  

中田外しを決断せよ  

  

 ならば、この過渡期をどうすごすか。筆者ならば、来季、中田を代打要員として、一塁・秋広、二塁・吉川尚、三塁・坂本、遊撃・門脇で固定させる。そのうえで外野陣の再構築を図る。現在の外野の戦力を、岡本を別格として、ⓐ 岡田、萩尾、松原、重信、オコエ、若林のグループ、ⓑ梶谷、丸、長野のFA等のグループ、Ⓒ ブリンソン、ウォーカーの外国人グループ--に3分類する。現在のところの実力、実績からみて、ⓐグループはⓑⒸと比べてそうとう見劣りする。岡田、萩尾は時間がかかりそう。来季もけっきょく消去法でベテラン頼みになるか、ブリンソン、ウォーカーを上回る外国人と契約するしかない。つまり、左翼・岡本、中堅・丸、右翼・長野、梶谷もしくは新外国人。松原、重信、オコエ、若林のうち複数選手は来季の契約更新が難しそうだ。読売の外野陣の完成への道のりは遠いし、前途は多難だ。  

  

厳しい投手陣  

  

 読売球団の課題は投手陣の再編だ。先発陣については、菅野が限界に近づき、期待された外国人も期待外れ、頼れるのは戸郷、山崎の2投手だけだった。ブルペンも厳しい。抑えの切り札・大勢がWBC以降、故障でベンチを外れた。もともと故障をもった投手だけに来季以降、完全復活があるかどうかわからない。ブルペン陣の誤算としては、高梨が後半息切れ、新人の船迫がシーズン終盤、どうにか台頭したものの、全体として不安定なまま、シーズン終了に至りそう。   

 思えば、エース候補と期待された桜井が昨シーズンをもって引退し、彼と同世代の鍬原、畠が消えた。その下の世代の高橋優も一軍定着を果たせず、消えようとしている。さらに、鍵谷、大江、高木京が消え、今村も来季の構想には入れにくい。それに代わるべき世代としては、赤星、横川、平内、田中、菊池、堀田に期待が集まるが、今季、及第点をもらえる者はいなかったし、来季も未知数のままだ。外国人のグリフィン、ビーディ、バルドナード、メンデス、ロペスのうち来季契約更新するのはだれだかわからない。文句なしで及第点をもらえる助っ人は見当たらなかった。

  

来季、先発メンバー

  

先発メンバー順を考えてみると--  

  

1.坂本(三)  

2.門脇(遊)  

3.秋広(一)  

4.岡本(左)  

5.丸 (中)  

6.大城(補)  

7.梶谷(右)  

8.吉川(二)  

9.XX(投)  

  

 となり、2023シーズンと変わらないが、読売がこの打順で固定できれば、今季優勝した阪神とほぼ同型となる。1.坂本⇔近本、2.門脇⇔中野、3.秋広⇔森下、4.岡本⇔大山、5.丸⇔佐藤輝、6.大城⇔ノイジー、7.梶谷⇔坂本誠、8.吉川⇔木波。むしろ下位では読売(大城、梶谷、吉川)のほうが、阪神(ノイジー、坂本誠、木波)より破壊力で上回る。  

 しかし投手陣については、先発=(金・土・日)戸郷、山崎、XX、(火・水・木)菅野、YY、ZZで、XX=赤星、YY=メンデス、ZZ=グリフィンが候補だが、どうしても3枚足りない。  

 ブルペンは、リード=(船迫-中川(バルドナード、高梨)-大勢)、ビハインド=(今村、平内、松井、田中、鈴木、田中、直江)の2パターンが必要だ。もちろんビハインドからリードへ、また、その逆の移動もある。  

 投手陣の再建は 、先発として3投手の補強が必要。クローザーは大勢が第一候補。7回を中川でつなぎ、8回を任せられるパワーピッチャーが必要。そこが埋まれば、船迫を僅差のビハインドで起用できる。とにかく保有している若手の成長が急務。投手のベンチ入りは8人。先発も不安だが、ブルペンにまわる7投手の構成が今シーズンより強力になる見込みはいまのところうすい。〔完〕