2013年1月22日火曜日

橋下の負けだ

大阪市立桜宮高校でバスケットボール部主将だった2年の男子生徒が顧問教諭の体罰を受け、自殺した事件で、市教委は21日、臨時の教育委員会議を開き、今春の体育系2科(体育科80人、スポーツ健康科学科40人、定員計120人)の募集を中止し、同じ定員を普通科に振り替えて募集することを決めた。ただ、選抜時期や入試科目は従来の体育系2科と同じ内容とし、受験生に配慮する。

教育委員会決定はきわめて折衷的

この決定は橋下徹大阪市長(以下、肩書略)が描いた桜宮高校改革の第一歩だと評価できるが、きわめて折衷的なところが不満だ。同校の入試はスポーツ関連学科=前期選抜と、後期選抜の普通科(160人)を予定していた。このうち前期選抜の体育系2科を普通科としたものの、新たに普通科とした前期選抜分については、入試科目を体育系2科と同じ国語、数学、英語、運動能力、運動技能の5つとし、入学後のカリキュラムについても、スポーツに特色のある内容とする。通学区域も体育系2科と同じ大阪府内全域とする。つまり、体育系2学科の試験は実施されないが、普通科に看板を架け替えただけにすぎない。橋下もマスメディアがヒステリックに叫ぶ「受験生が可哀そう」の合唱に抗しきれなかったようだ。

生徒有志の市役所内会見の発言に呆れはてる

試験中止のTV報道番組の中に同校の生徒数名が、橋下に対する不満、批判を公衆の面前で行っていたシーンが流れた。市長会見の直前に運動部の主将を務めた8人の生徒が市役所内で記者会見を開き、入試中止の決定に反対を表明した。発言内容は断片的で正確には把握できないのだが、「なぜ高校生の私たちがこんなにもつらい思いをしないといけないのかわかりません」「体育科をなくしたからといって、クラブ活動のなかで体罰がなくなるとか、そういうことにつながらないと思う」「いま1つしかない一瞬のことが、を全部潰されているようにしか思えない」……というものであった。

筆者はこの生徒たちの浅はかさ、薄っぺらさに唖然とした。この生徒たちの橋下批判の映像は、首から上がカットされていて、発言も部分的で全貌はつかめない。もちろん、彼らの発言が公式文書として配布された様子もない。

この映像を流したTV番組のコメンテーターの尾木氏は、学校側や一部保護者の入れ知恵ではないか、と批判した。おそらく、そのとおりであろう。会見した生徒たちの発言からは、学校側が体罰自殺をどう反省し、生徒に教えてきたのか、疑問を感ぜざるを得ない。尾木氏は「これが生徒のすべての声とは受け止められない。なぜこんな会見をやらせたのか。誰がやらせたのか。とんでもない。(会見をやるなら)生徒会長や部長が出るとか、生徒会長名で声明を出すべきです」と怒った。まったくそのとおりだ。

その背景として、尾木氏はこうも付け加えた。「この学校は体育科がメインで、強くなければいけない使命を背負っている。進学重点校の体育版です。橋下市長はそれがゆがんで出てきたと捉えた。校長の言うことを聞かない。校長の権限が及ばず、私物化されている。これは高校教育全体の構造で、全国の高校が自己点検すべき中身が含まれているんです。桜宮高設置のあり方を見直し変えていく第一歩です」

繰り返しになるが、筆者はこの映像を見て驚いた、というよりも、この生徒たちのことをアホかと思った。同胞の自死をわがこととすることのできない未熟さに呆れてしまった。この映像によって、桜宮高校の教育が根本的に間違っていることが確信できた。やはり、橋下が言うように、桜宮高校は廃校にしなければいけない。

体罰は学校、教師(顧問)、保護者、生徒の容認事項

桜宮高校の運動関連学科に生徒を通わせている親及び通学している生徒たちは、生徒たちが3年間スポーツに専念し、優秀な成績をおさめて学校推薦で有名大学(の体育会)に入学することを目論んでいるとしか思えない。彼らが望んでいるのは顧問に叩かれようが蹴られようが我慢して、スポーツ大会で優勝することなのではないか。そんなおり、その暴力に追い詰められた一人の生徒が自殺した。

正常な教師、生徒、保護者が過半を超える高校ならば、生徒の自殺の原因について真剣に考え、二度と起こらないような再発防止の方策を構築するよう努めるだろう。その原因が顧問の恒常的暴力であることがほぼ明らかならば、生徒指導のあり方を根本から改めようと努めるだろう。校内に横行する不条理な暴力が一掃されるまで、新しく生徒を受け入れること(入試)を控えるだろう。恒常的に暴力を加えていることが明らかな顧問(教師)にはそれ相応の処分が必要だと考えるであろうし、そのことを見逃していた校長以下の管理者も処分されて当然だと考えるだろう。

ところが、管見の限りだが、この事件に係る桜宮高校の総括的見解が聞こえてこない。今後の教育方針の転換の内容も聞こえない。当事者である顧問及びその管理者である校長の反省の弁も聞こえない。教育委員会というノッペラボウの教育官僚の事務的会見のみがTV映像に流れるばかりだ。橋下が入試中止と発言したことにより、マスメディアは生徒の自殺問題から、橋下批判に報道内容の舵を切ってしまった。なんと不幸なことなのか。

校長、顧問は自ら教育現場から身を引け

暴力顧問、校長が教育者の端くれならば、そして一人の人間であるならば、自身が行ってきた生徒に対する恒常的暴力=虐待を反省し、教育の現場から自ら離れるのが人の道というものではないか。

2013年1月20日日曜日

改めて巳年

諏方神社
根津のBar.Hidamariでいただいた御年賀の手ぬぐい
同上
谷中の路地の雪だるまならぬ雪蛇。なかなか溶けないぞ
13年前に中国・雲南省の麗江でゲットした木製の皿。

2013年1月18日金曜日

ガンバレ、橋下

筆者は橋下徹大阪市長(以下、肩書略)が嫌いだ。当コラムにおいて幾度となく批判してきた。だが、このたびの大阪市立桜宮高校バスケ部生徒自殺事件に関しては、橋下の発言を全面的に支持する。

自殺した生徒の命を無駄にしないため、桜宮高校をせめて廃校にせよ

橋下の発言については報道が断片的でわかりにくいのだが、筆者なりに解釈すると以下のとおりとなる。

(一)桜宮高校の廃校を目指すこと。

(二)同校のスポーツ関連学科の廃止を早期に実施すること。

(三)今年度の同校スポーツ関連学部の試験を中止すること。

(四)同校における人事異動を年度内に行うこと。

(五)上記(三)及び(四)が教育委員会において年度内に実施されなかった場合、次年度、同校における関連予算を執行停止すること。

橋下発言は項数ごとに段階を追っていて、(一)(二)の実現が年度内はもちろんのこと、短期的に実現するとは思っていないような節がある。早期に実現すべきは(三)(四)であり、その実施の武器として、(五)を持ち出したのだろう。というのも、地方自治体における教育については教育委員会に実施権限があり、首長といえども簡単には踏み込めないからだ。首長と教育委員会が教育問題で対立した場合、首長は教育委員会に対して予算執行権限で対抗する以外にない。

さて、バスケ部生徒自殺問題の原因については前回の当コラムで詳述したとおりだ。自殺のあった桜宮高校の体育関連学科というのは、スポーツ関連の教育を目的としたものではない。同校の場合、

(A)体育系学科に優秀なスポーツ選手を集め、

(B)それらの生徒を課外活動である体育系部活動に所属させ、

(C)彼らを顧問が暴力を使って練習させ強化し、 

(D)各スポーツ大会において優秀な成績を上げさせ、

(E)同校の知名度を高め、

(F)さらに受験生を増やし、

(G)かつ、大学に用意されたスポーツ選手枠を通じて有名大学進学率を高め、

・・・

というメカニズムを構築しているのだ。簡単に言えば、同校の体育系の部活動、たとえばバスケット部、バレー部等が高校生の大会で優秀な成績を上げることによって、桜宮高校は大阪市内有名校として君臨していることになる。

桜宮高校が体育関連学科の名の下に入学させた生徒は、同校が各スポーツ大会で優勝するためにただひたすら部活に励むことになる。もちろん入学した生徒全員がそうだとは言わない。スポーツ全般を学び、体育系大学に進学したい、という志望をもった生徒もいるだろう。ただ、問題はそんなところにあるのではない。同校において、体育系部活動の顧問の恒常的暴力(断じて体罰ではない)によって生徒が自殺に追い込まれた原因を真剣に求めるのならば、この高校に特設された体育系学科の主たる目的が、全国レベルで行われる各競技大会において優勝するために活用されてきた実態に着目することこそが重要なのだ。

体育系学科の目的は、スポーツを科学することにあるのではないのか。優秀な競技者を生むことよりも、そのよき指導者を育成することのほうに力点は置かれるべきではないのか。さらに社会科学的分野においては、現代社会におけるスポーツの意味を問うことではないのか。体育系学科に課せられた、この2つの本来的課題に取り組む教育が実施されていたならば、顧問の暴力が同校において起こり得るはずがない。もちろん、それによる生徒の自殺が起こるはずもない。

ならば、若い尊い生命を賭して告発された同校の悪しき体質を一掃するためには、今年度の入学試験(体育系学科)を中止すべきだ。新年度の人事の一新(=校長、体育系学科責任者、暴力顧問の辞任等)ももちろんであり、最低限の措置となる。入学試験の中止は大きな社会的混乱を生起するという懸念は無用だ。というのは、わが国において、1969年、当時、新左翼系学生運動の活発化の影響により、東京大学、東京教育大学(現・筑波大学)の2校の入試が中止になったことがあったが、それによる大きな社会的混乱は生じていないからだ。当時、マスメディアもそれによって誘導された世論も、入試中止に賛成した。もちろん、両校の体育系部活動(体育会)に影響はあったであろうが、そんなことに社会は関心を示さなかった。当然である。

高校生スポーツ・イベントの巨大化が問題の根源に

さて、大阪市立桜宮高校バスケ部生徒自殺問題における行政措置としては、前出の5項目を(五)から(一)へと順次実施していく、という道筋が見えてきた。次は、この問題をわが日本国の高校生スポーツの実態上の問題として解決する道筋を構築することにある。それこそが、若い命の犠牲に償い、かつ、報いるための唯一の道だろう。

いま、わが国おいてスポーツは大きな産業に成長している。スポーツ用具製造業者、ユニフォーム等を製造するアパレス業者、食料品・飲料品業者、製薬業者、メディア業者・・・オフィシャルサプライヤーを含めれば、全業界がスポーツと無縁ではない。しかもそれは全世界に及ぶ。そのことによって、スポーツイベントは大きな意味を持ってきた。それぞれのスポーツごとに世界大会が開催される。頂点はサッカーワールドカップであり、世界陸上、ワールドベースボールクラシック・・・と、各国、各都市が世界大会誘致に血眼になっている。その頂点の1つがオリンピック(五輪)ということになる。

スポーツの巨大産業化は、それが有するエンターテインメント(娯楽)性にある。スポーツは面白い。このことに議論の余地はない。世界規模で巨大なエンターテインメント・コンテンツに成長したのが現代スポーツなのだ。だから、アマチュアもプロも関係はない。一昔前、五輪ではアマチュア精神が遵守されていたことがあったが、いまはアスリートがプロなのかアマなのか、だれも気に留めない。国民的人気を誇るフィギュアスケートの浅田真央がプロなのかアマなのかを判別することすら不可能だろう。

エンターテインメントとしてのスポーツは今日、それぞれがカテゴリー化を成し遂げて、さらに拡大を遂げている。男女の別、地域の別、年齢の別、社会的属性の別・・・だ。細かくは体重別というのもある。オーバーオールであれば世界王者は一人しか存在し得ないが、それをクラス(体重別)に分ければ、複数のチャンピオンが生まれることになり、世界タイトル戦という興行は複数にのぼる。

日本では、社会的属性別のスポーツコンテンツが有力なものとして成長している。そこでは昔懐かしいアマチュア精神の純粋性が尊ばれる。大学野球の早慶戦、大学ラグビーの早明戦、実業団野球=都市対抗などが有名だが、学生スポーツの、しかも、なかで異常な人気を誇っているのが高校野球の「甲子園大会」だ。

そしてさらに、その影響を受けて、わが国では高校生スポーツの人気が異常に高くなっている。野球の母国米国ではハイスクールベースボールの注目度は低い。米国で人気があるのはカレッジフットボール等くらいではないか。

高校生スポーツはもちろん、繰り返しになるが、一般の部活動の枠を越えている。全国レベルで活躍できる高校生たちは、その実態においてプロフェッショナルと同等だ。もちろん報酬は得ていないが、高校三年間、そのスポーツに集中できる境遇というのは、少なくとも、プロ的であることはまちがいない。

高校生スポーツを巨大なエンターテインメント=イベントに高めたのは、メディアの力にほかならない。甲子園大会の巨大化は、NHKと朝日・毎日の二大新聞の力に負っている。その成功を模範として、読売・日テレが高校サッカーを、毎日・TBSが高校ラグビーを、フジ・産経が高校バレーを巨大化させようとしている。自殺した大阪市立桜宮高校の生徒は野球、サッカー、ラグビー、バレーよりはマイナーなバスケットをやっていたそうだが、同校はバスケの強豪校であり続けるため、暴力顧問をなんと、18年間も在籍させていた。こうして、メディアが高校生スポーツを悪戯に礼賛することによって、高校生の課外活動にすぎなかった運動部のスポーツはことさらゆがみを増していくことになる。

それだけではない。少子高齢化により生徒数が減少して危機感を抱くようになった学校経営者が、経営戦略として、スポーツ強化という方策を打ち出した。このことはすでに何度も書いたので繰り返さないが、大阪市立桜宮高校バスケ部生徒の自殺の原因もそこにある。

桜宮高校は公立高校であるが、生徒が集まらなければ廃校も選択肢としてまるでないわけではない。また、スポーツ有名校として大阪、関西で君臨することによって、そこに配属された教師も悪くない待遇を得ることができる。生徒に暴力を振るってでも、スポーツ大会で優秀な成績を上げれば、指導者(コーチ)としての評価が高まる。その証拠に、この暴力顧問教師がバスケットボール日本代表の年齢別チームのコーチに抜擢されているくらいなのだ。ここに倒錯も極まれるというものだ。また前出のとおり、スポーツ有名大学への推薦枠も増えていくため、同校の有名大学進学率も高まる。

 最後に、繰り返して言う。日本のスポーツ界は時代錯誤にある。運動能力を高めるために必要な心身のトレーニング技術を磨くことはなおざりで、選手を暴力で支配する指導者を優遇している。この事件を踏まえ、高名なスポーツ関係者が、「体罰」の非合理性を説くようになった。けっこうな傾向だ。彼らスポーツ成功者の発言こそが説得力を持つ。

体育系学科創設の目的そしてその教育内容は、スポーツを科学すること、及び、スポーツを社会科学として研究・分析すること等ではないのか。そして、結果として、それがよきスポーツ指導者の育成につながるのではないのか。もちろん、実技の向上も必要だ。

大阪市の教育委員会が教育の原点に返ろうとする意志をもっているのならば、さらに歪んだ高校スポーツのあり方を是正しようと思うのならば、大阪市立桜宮高校の廃校もしくは体育系学科の廃止を急ぐよう努めるべきだ。

また、高校を受験しようとする中学三年生が心配なのは理解できる。だが、桜宮高校の入学試験が中止になることによって、一人の高校生の死について深く考える機会を得たと受け止めてほしい。

マスメディアは、入試中止を迫る橋下の発言を「教育への介入」だと歪めてはいけない。今回の問題に限定だが、橋下の側に理はある。

2013年1月15日火曜日

雪(1月14日)

 
昨日、東京地方は突然、降雪に見舞われた。
 
降り始めて1時間もしないうちに、雪はみるみるつもり、あたりを銀世界に変えた。
 
交通機関は運休となり、まちから人が消えた。
 
とんだ三連休最終日(成人の日)であった。(写真は谷中霊園)
 
 
 


2013年1月11日金曜日

責任は橋下大阪市長と「甲子園」――大阪バスケ部生徒自殺事件

大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が、所属するバスケットボール部顧問の男性教諭(47)から「体罰」を受けた翌日に自殺した。筆者は、この問題の責任は、大阪市行政のトップにある橋下市長(以下、肩書略)及び「甲子園」を筆頭とする歪んだ高校スポーツを礼賛するマスコミ(そして、それに靡く社会風潮)にあるものと考える。

まず橋下――
彼は、大阪市行政改革の目玉の1つとして、教育改革を前面に打ち出していた。にもかかわらず、今回の事件の発覚により、彼の大阪市における教育改革が一向に実績を上げていないことが明らかになった。橋下は、国歌を歌わない教師に厳罰を処することに熱心である一方、生徒に恒常的に暴力をふるう部活顧問の教師の存在を簡単に見逃しているのである。国政(=日本維新の会)の活動に没頭して、肝心の市政が手抜きになっている。橋下の教育改革がまやかしであることは、このことをもって、明らかではないか。

彼の教育改革は偏向したものであって、彼の独自のイデオロギーに毒されている。橋下はまずもって大阪市の高校生が安心して課外部活動に励める環境を教育現場において、実現すべきなのである。橋下が市教育委員会を批判することはできない。橋下は市長なのであるから、教育委員会のトップでもある。橋下は市長として、暴力が日常的に横行するような高校をまずもって一掃すべきである。

橋下とつるんだマスコミは、この件に関する橋下の責任を追及しない。おかしいではないか。報道によると、暴行を加えた顧問は公立高校に勤務しながら18年間も異動していないという。公立高校の教育現場にあって、教師が18年間も異動せず、一つの高校にとどまるとは、常識では考えられない。教員人事に係る基本が蔑にされているのが、大阪市の教育現場なのである。そんなことにも気づかない大阪市上層部は情けない、もちろん、市長失格である。しかも、桜宮高校における顧問による暴行事件はこれが最初ではなかったという。大阪市のトップとして、橋下は責任を感じなければいけない。大阪市民は、「維新の会」などどうでもいいのである。なによりも、大阪市の市政(その一つである教育=高校のあり方)を糺すことが、市長の責任なのではないのか。  

橋下と共犯のマスコミ――
次に、今回の事件の報道のあり方の問題を指摘する。この事件を「体罰」という抽象的領域に導こうとする報道姿勢である。自殺の原因は「体罰」によるものではない。この高校生の自殺は、「体罰」もしくは「指導」という名を借りた恒常的暴力によるものである。なぜならば、スポーツの指導において、暴力の力で技術や体力が向上することはないからである。人々を動かすのは“恐怖=暴力”か“打算=利害関係”のどちらかだ、という極論が跋扈するわが日本国であるが、この二つが一時的に人々を動かすことはあっても、それによって築かれた規律はいずれ破綻する。今回の事件がその良き例である。体罰=暴力がスポーツ能力を向上させることはないにもかかわらず、そして、それにより若い尊い命を失ってもまだ、マスコミや一部のスポーツ関係者は、暴力による指導=体罰の有効性を声高に叫んでいる。なんと、愚かなことであろうか。暴力顧問が行った「指導」はいままさにここに破綻しているではないか。

重要なのは、技術、人格において優れたスポーツ指導者をすべての高校が擁することである。スポーツ指導の最低限の知識・経験を有する者が同校の部活指導者として配されていたならば、このような悲劇は防げた。

体罰による「指導」があったならば、その被害者は直ちに警察に駆け込むことである。ところが、この一見簡単そうに見える逃避行為が実はなかなか難しい。とりわけ、桜宮高校のようなスポーツ有名高校においては、スポーツ特待生という境遇の生徒が少なからず存在するからである。自殺した生徒が特待生であったかどうかは不明であるが、スポーツ有名校の場合、全国からすぐれたスポーツ選手を集めてくる。彼らは課外活動である体育系部活動の枠を越えた運動部に属し、ただひたすら高校の名前を全国に売るため、練習を重ね、試合に勝つことだけを義務付けられる。「スポーツをする=試合に勝つ」ためだけに高校に入った彼らには、顧問や先輩に暴行されようとも、所属する体育系部活から逃げ出すことができない。部活を辞めることは、すなわち学校を辞めることを意味するからである。

今回の生徒の場合はバスケット部に属していたというから、その頂点を争う大会はインタハイ(全国高校総合体育大会)になるのだが、インタハイの規模をはるかに超えているのが、高校野球の甲子園大会である。インタハイ、野球の甲子園大会、サッカーの国立、ラグビーの花園・・・と高校生のスポーツは、学校経営のみならず、マスメディアの有力な収入源となっている。これらの大会で優勝するために行われる指導(練習)が、通常の高校生の課外活動の領域をはるかに超えたものであることを知りながら、政治家、教育行政関係者(公務員)、教育の現場(教師)、知識人、マスメディアは、その弊害について真剣に取り上げてこなかった。彼らは、高校教育の枠を越えた生徒集め(スカウティング)、指導(練習)の実態について批判をしてこなかった。スポーツ有名校の顧問たちが勝つために行う生徒に対する暴行を黙認してきた。管見の限りだが、日本の高校スポーツのあり方を批判したスポーツ関係者は、ブラジル出身のサッカー評論家・セルジオ越後氏以外に知らない。

というわけで、スポーツが得意な若い命を追い込んで失わせてしまった第一の責任は、大阪市の教育改革に真剣に取り組んでこなかった橋下大阪市長にある。そして、第二の責任は、勝利至上主義の歪んだ高校スポーツのあり方を批判してこなかったマスコミにある。橋下を支持する大阪市民も共犯である。さらにいえば、甲子園大会等の異常な高校スポーツの現状を熱心に支持する日本国民にも、その責任の一端はある。若い尊い命の犠牲から、大阪市民、日本国民が反省し学ぶべき点は少なくない。

2013年1月3日木曜日

正月2日

不忍池にて開催されている骨董市に出かける。
骨董市では、掛け軸、湯呑み、木製フォークをゲット
寛永寺を通って帰宅

2013年1月1日火曜日

Happy New Year 2013

新年あけましておめでとうございます。

まずは猫たちの体重測定記録から。

Zazieは2.7㎏、Nicoは6.1㎏で、前者が0.1㎏、後者が0.2㎏の増量。

正月早々、頭が痛いNico
正月なんか関係ないZazie