2011年7月30日土曜日

窓辺

二匹の猫は兄弟のように仲の良いときもあれば、格闘家のように激しく取っ組み合いの喧嘩をするときもある。

喧嘩が終わったあと、二匹は風通しの良い窓辺でくつろぎ、そして、ぼんやり外をながめている。

彼らが部屋の外の広い世界をどのように認識しているのかはわからないものの、自由を望んでいるように見えなくもない。



2011年7月27日水曜日

「神道」の虚像と実像

●井上寛司 (著) ●講談社現代新書 ●760円(税別)




外来の仏教に影響された「神道」

本題には“「神道」の…”とあるが、日本宗教史の入門書といった感がある。日本固有の宗教といわれる「神道」が、外来の仏教の影響を受けたものであることは本書の指摘の通り。そのわかりやすい一例が神仏習合の教義の確立である。それ以前においても、巨大な神社の建立が、巨大な仏教寺院の出現に影響されてつくられたことが知られている。「神道」が宗教として成立を見たのは、仏教との分離結合を繰り返した挙句のものであり、その体系化・教団としての発展も、仏教の影響を受けた結果である。「神道」については、日本人が仏教を受容した状況や仏教勢力の拡大を抜きにしては説明できないため、本書は日本宗教史の入門書風に仕立てられたのだと思う。


神国思想と明治維新後の天皇制全体主義国家

日本人が信仰する宗教の代表といえば、仏教と「神道」であることについては異論が少ない。今日、日本人の多くは、初詣の参拝や七五三のお祝いに神社に出向くし、お祭りでは神輿を担ぐ。その一方、葬式となれば仏式で行うのが一般的である。また、京都、鎌倉といった古都に限らず、日本中の町にはいくつかの神社・仏閣がある。長い年月をかけてそれらが存続しえた理由の1つは、この2つの宗教が国家権力に寄り添って活動してきたからであろう。古代律令制国家からアジア太平洋戦争敗戦にいたるまで、この2つの宗教は国家権力を擁護するイデオロギーの1つであった。そして、その起源は、鎌倉期に生まれた神国思想(①神明擁護、②神孫降臨、③国土の宗教的神聖視)に求められる。

ところで、同様に、世界宗教の1つであるキリスト教も、ローマ帝国がキリスト教を国教として公認したとき(カトリックキリスト教の成立)、それまで、小集団がひっそりと信仰してきた原始キリスト教とは明らかに異なる位相に上り詰めたのである。

明治維新を経て成立した日本帝国は、天皇制全体主義国家として成長を遂げ、帝国主義戦争に邁進した。その間、「神道」は国家神道として、それまでにない独自のイデオロギー的変質を遂げた。「神道」が天皇制全体主義と帝国主義戦争を補完する機能を積極的に、かつ、前面に立って、果たしたのである。

日本のもう1つの伝統的宗教である仏教界が、天皇制全体主義と帝国主義戦争に抗った形跡はなく、仏教も天皇制全体主義と帝国主義戦争に加担したわけであるが、「神道」の比ではない。「神道」は教義および制度において、天皇制全体主義と融合し、また加えて、軍神、靖国神社建立、植民地における神社創建といった象徴的機能をも担った。

こうした国家神道の成立を軍部政権による上からの押しつけ、誘導、教育・教宣の結果であると、見誤ってはならない。国家神道は、大衆のナショナリズム、土俗的信仰のエネルギー、すなわち、下からの押し上げがなければ成り立たない。「神道」が日本人の固有の信仰と不可分であるがゆえに、戦前・戦中の日本の狂信的天皇制全体主義が国家神道として結実してしまったのである。

戦後民主主義と「神道」

アジア・太平洋戦争の敗戦による日本帝国の解体と日本国憲法公布以降、宗教は個人の内面=信仰の位相に還元された。だがしかし、宗教が信者の組織体であり続ける限り、教団が、政治力・経済力を有した世俗の圧力団体であることは、古代社会と変わっていない。今日の日本において宗教団体は――伝統的勢力、新興勢力を問わず――世俗的パワーをもった宗教法人として、戦前ほどではないにしても、日本社会に対して一定の影響力を持ち続けている。

新憲法では国家と宗教の分離が原則となっているが、たとえば、創価学会=公明党が連立与党を形成していたし、宗教法人は国家から税制等の優遇措置を受け続けている。事実上、宗教は宗教法人の認可を国家が独占しているという意味において、かつ、国家が宗教法人を優遇しているという意味において、国家と分離していない。また、選挙時、教団が特定の政党を支持する限りにおいて、宗教と政治は一体的である。実態上、日本の政治は、宗教団体の意向を受けている。

宗教が日本の政治に介入することがあり得るという前提にたったとき、日本人の信仰とはいったいどのようなものかを明らかにしておくことが重要だと思う。70年前、日本帝国は、国家神道を媒介として、天皇制全体主義を完成させた。そして、日本国民及び周辺諸国民を戦争に巻き込んだ。そのような悲劇を二度と起こさないためには、どうしたいいのかということである。

そのことのヒントは本書の後半、著者(井上寛司)による柳田国男の「神道」論批判にあるように思う。著者(井上寛司)は柳田の「神道(シントウ)は、太古の昔から現在にいたるまで連綿と続く、自然発生的な日本固有の民族的宗教である」という「神道」定義に反発し、①「神道」をシントウと発音する呼称の問題、②歴史的な「神道」の実態の問題、③日本の宗教の実態の問題――という3つの視点から批判を展開している。

著者(井上寛司)はマーク・テーウン(ノルウェー・オスロ大学)の指摘、すなわち、「神道」の語はもともと中国で用いられたもので、日本に移入した当初は濁音(ジンドウ)であったこと、それが(シントウ)と清音で呼ばれるようになったのは室町期からであることを前提とし、かつ、「神道」は外来仏教の影響を強く受けたものとして推移、発展して成立をみたものであるから、「神道」は柳田の言うような太古から連綿と続くものでないと、主張する。

このような指摘が誤りだとは思わない。しかし、そもそも柳田国男は、常民の生活=生産に係る儀礼(とりわけ農耕儀礼)、通過儀礼、共同体の統治等の儀礼として執り行われてきたカミ送り、カミ迎えの祭祀に代表される信仰を「神道」と呼んだにすぎない。だから、シントウ、ジンドウというと発音の問題は、柳田国男の認識の外側であろう。柳田国男は、日本人の固有の信仰を、常民(=ふつうの人々)の暮らしに密着し、しかも、ムラ、シマといった小規模な共同体で執り行われてきた幻想過程だと考えた。

それは日常に対して、規律を与えると同時に、反秩序(熱狂)をも惹起せしめるものであった。祭祀は非日常であり、そこに注力する人々の情念の発露をつうじて、豊穣の希求、自然への崇敬、そして、豊穣への感謝、厄災の退出および安寧が祈念されたはずである。

常民の信仰対象がカミであって、それは遠来(山頂もしくは海の彼方)の者であり、神事の間だけムラ、サトにとどまり、それが終わると帰還する者であった。おそらく柳田は、そうした常民の信仰を宗教の概念区分として「神道」と定義したのだと思う。だから、カミを迎え送る祭壇は、ムラであればせいぜい小さな祠で十分であり、シマであれば、たとえば沖縄、八重山・宮古地方においては、御嶽という自然石を積み上げた程度の標で事足りたはずである。巨大な神殿=神社は必要ない。

柳田国男が戦後間もなく、「神道」の概念から、天皇制全体主義国家と一体化した国家神道の要素を排除し、常民の信仰に還元しようとしたのは、象徴天皇制度を擁護することとは関係がない。柳田は自らが再定義した「神道」、すなわち、常民によって連綿と受け継がれてきたカミの概念=原点に、日本人が復帰することを希求したのだと思う。柳田の希求とは、それまで帝国主義戦争を志向し、外国人に対して残忍極まりない行為を繰り返すことにより荒廃してしまった、日本人の心を、一日も早く、帝国主義戦争やファシズムとは無縁の――平凡だが平和な――常民の心に戻すことだったのではないか。

前出の通り、「神道」が常民の暮らしの中で綿々と続いてきた宗教であるからこそ、それが国家と結合したとき、すなわち、国家神道として成立をみたとき、かくも強固な統治イデオロギーとして猛威を振るったのである。換言すれば、「神道」は生活共同体の幻想である。であればこそ、共同体の幻想が国家利害と対立すれば、「神道」が国家統治に与することはない。生活者の幻想=原点が、国家の幻想と対峙することがあれば、「神道」が国家の暴走を阻止するはずである。

では、今日、柳田が希求した常民の信仰に日本人が復帰したのかというと、そうともいえない。戦後の経済の高度成長、情報化、都市化の進展により、日本人が連綿と継続してきた信仰は、その基盤となる共同体の崩壊によって、喪失してしまったからである。国家神道の復帰は、占領軍によってもたらされた「民主化」という改革によって、制度上あり得ないものとなっている。宗教(信仰)は、個の領域に還元され、個の自由の範疇にとどめ置かれている。つまり、今日の日本人は、国家神道の再びの台頭を許さない制度のうえにありながら、柳田が定義した「神道」からも切り離された状況にある。原点を喪失してしまったのである。

2011年7月25日月曜日

猫の性格







猫に性格があることについては、猫を飼う前に聞いたことがあったものの、そのことにあまり関心がなかった。しかし、目の前に二匹の猫が現存するいま、猫の性格の違いというものを実感している。

さび猫のザジは聡明であり、感情がこまやかで人懐こい。一方のシロは鈍重でおっとりしているが、いまだ警戒心が強い。

こうした相違が生まれるつきのもの(種類)なのか、生まれてすぐの育てられた方に起因するものなのかはわからない。

飼い主にとっては、前者のような性格の者は可愛くてしかたがないわけで、わが家ではザジの評価が一段と高くなっている。が、だからといって、シロを邪見にしているわけではない。

そんな評価を知ってか知らずか、二匹の猫は取っ組み合いに励んでいる。

2011年7月20日水曜日

大震災の記録と記憶

@Kesennuma(July-09-2011)

東日本大震災4カ月後の記録をアップした。

昨今、復旧・復興が順調であるかのような幻想を抱かせる報道が少なくない。

希望、一歩前へ・・・という肯定的表現が悪いはずがない。

だが、もっと重要なことは、被災後4カ月の現状を冷静に見極めることではないか。

それを行わないで、「復旧・復興の物語」を勝手に紡いでいいのだろうか。

筆者の抱いた印象では、被災地はきわめて困難な状況にある。

4カ月経ってこれならば、1年経っても、2年経っても事態は好転しないのではないか。

国は東北を見捨てるのか。

2011年7月17日日曜日

白猫のタンゴ



白猫はようやく落ち着き、家の中をわがもの顔で歩き回るようになった。

名前はけっきょく、呼びやすい「シロ」「チロ」に定着した。

「ザジ」がフランス映画に因んだのに比べて、手抜きのそしりは免れない。

もっとも、「リック」(カサブランカ)、ジャン(男と女)等といった、映画の主人公の名前を提案したものの、海外映画を愛さない家人に却下され、きわめて土着的名前に収斂した次第である。

というのも、筆者は猫を飼うことに反対していた。制御できない生命がうっとおしかったのだ。

だから、一匹目の「ザジ」および二匹目の「シロ」に係る監督権もしくは保有権については、強引に猫を連れてきた家人にあって筆者にはない。

2011年7月13日水曜日

再会

8日(金)~12日(火)まで、東北地方の被災地をまわってきた。

5日間ほど家を空けていたわけだが、帰宅後、猫(ザジ)がどのような反応を示すものか、楽しみだった。

再会直後はよそよそしかったが、抱き上げると、のどをごろごろ鳴らして、甘えること甘えること。

ほう、可愛いものよ、忘れなかったかと。

一方の二匹目のチロは、近づくと逃げて行ってしまうではないか。

2011年7月7日木曜日

白猫のプロフィール



もとの飼い主さんの覚えによると、白猫(♂)は2011年3月29日(ころ)、足立区小台で生まれている。

その飼い主さんは里親探しをボランティアさんに依頼し、それを受けた拙宅近くのボランティアさんがウエブを通じて里親を公募。

家人がその情報をみてお見合いが実現した。

先にやってきた「ザジ(♀)」の誕生日が同年4月13日(ころ)であるから、2週間ほど白猫のほうがお兄さんになる。

体も一回り大きい。

「ザジ」はいわゆる「さび猫」で、外形が汚いので別名「雑巾猫」ともいわる。

当然、人気がない。

一方の「白猫」は目の色が赤くないので、アルビノではないと思われる。

名前は、呼びやすい2音ということで、「チロ」に内定した。

きょうは、2匹がくっついて昼寝するまでに親密になり、じゃれあいも落ち着いてきた。

2011年7月6日水曜日

神話の崩壊

● 時代遅れの「闘将」

プロ野球界における神話崩壊の代表は、被災地復興の象徴的存在として注目された楽天・星野監督だろう。楽天の不調は今シーズンから指揮を執った星野新監督の手腕に問題があることは明らか。まず、「得意の人事」では親友の田淵を打撃コーチに招聘しながら、チーム打率が悪化し、どうしようもなくなって田淵の打撃コーチの肩書を外した。星野・田淵コンビがどうしようもないのは北京五輪で証明済みだったはず。

頼みの投手陣も崩壊した挙句、なんと、投手陣に五厘刈り指令を出したという。丸刈り指令といえば、旧時代的体育会の蛮行の象徴で、暴力制裁の代替手段である。スポーツの結果と髪型の間には、いかなる因果関係も見いだせない。にもかかわらず、間違った「精神主義」が楽天・星野監督の得意技なのだ。こんなことで不調な投手陣が蘇るなら投手コーチの代わりに理容師を雇用したほうがよい。

●「ドームラン」の減少で巨人野球は崩壊

統一球(低反発球)導入で日本プロ野球に異変が起きたことは、すでに多くの報道の通り。なかでも「被害甚大」なのが読売だろう。加えて電力使用制限により、狭くてホームラン気流の疑惑をもたれている東京ドームの使用回数が減り、打撃陣がさっぱりだ。

統一球の影響は読売だけではないが、打撃技術が低レベルで芯を外していても東京ドームならホームランが打てた小笠原、ラミレス、阿部、坂本らの長打率が低下し、読売はさっぱり勝てなくなった。

なお、打撃不調の要因は、主審のストライクゾーンが広がったこともある。使用電力制限のもと、投手戦を多くして、試合時間短縮を図っているものと推測する。

●被災地の高校野球部の不祥事を報道しないマスコミ業界

高校野球の神話については何度も当該コラムで書いている。甲子園常連の高校野球部が「プロ選手」で構成されていることは明らかなこと。野球部員が特待生もしくは、学業成績は二の次、三の次の野球専門人間であることは常識。彼らが「純粋な青年」であるはずもなく、彼らには勝つための異常な練習と精神修養が課せられる。

常軌を逸した、いびつな高校生活で溜め込んだストレスが、彼らを禁酒・喫煙、下級生への暴力行為等に駆り立て、彼らを犯罪者に仕立て上げる。もちろん、甲子園野球高校生のすべてが、犯罪者になるわけではないが、犯罪者か、純粋野球高校生か、を分かつのは、いかなる管理システムの下に置かれているかの差異に基づくにすぎない。

正常な判断力をもったスポーツジャーナリストならば、教育的見地から甲子園高校野球の正常化を求めるべく筆をとるのが一般的だ。だが、マスコミにとって甲子園高校野球が金もうけの手段だから、批判は控える。大相撲が力士一座の興行でありながら「スポーツ」とされるのと同じことだ。

甲子園野球高校生を「球児」なる珍妙な日本語で神話化してきたのがマスコミだ。高校生は正常な判断力をもった青年であって、だんじて「児」ではない。だから、学業・クラブ活動・趣味等に励むことが普通であり、バランスのとれた高校生活を送ることが望まれる。野球部に属する者もそうでない者も犯罪に手を染めてはいけないし、非行があれば矯正しなければなるまい。「球児」だけが特別ではない。すなわち、高校生のクラブ活動の全国大会に国中が注目する必要はなく、その反対に、高校生の軽犯罪レベルの非行にも全国が注目する必要はない。甲子園「球児」の「活躍」も、その犯罪・非行のどちらも、マスコミが大々的に報ずる価値はないのであり、報ずることが誤りなのだ。

さて、大相撲の「八百長」が問題視され、「正常化」が求められていたが、一場所休業で禊とされたようだ。愚かな話だ。スポーツでないものに「八百長」はない。つまり、相撲が古典芸能としての娯楽であると国民が納得しているように、マスコミもその限りで報道すればいいだけの話なのだ。

同様に、純粋でない「球児」の異常な甲子園野球を高校生によるプロ野球だと認知すれば、特待生制度も度を越したスカウティングも認められる。米国流の呼び方にならえば、ルーキーリーグ(マイナーリーグ)の創設である。(日本の場合はマイナーリーグである甲子園高校生野球のほうが、プロ野球一軍=メージャーリーグよりも人気が高いのだが。)

被災地の高校野球部員が窃盗をはたらいたという事件があった。いかなる状況にあっても、高校生の犯罪が許されるはずはない。一方、ある宗教系高校の野球部で暴力事件があった。どちらの高校生にも、適法な処分がくだされ、それまでだろう。ところが、甲子園野球の主催者は、前者を不問に付し、後者には大会予選不出場の罰を科した。もちろん、高校側の自主的な判断という外形をとってはいるが。

マスコミは前者については報道せず、後者についてはその旨を報じた。かかる報道基準のアンバランスは、彼らが捏造してきた商品価値を守らんがためだ。マスコミにとっては、被災地の甲子園常連高校に不祥事があっては不都合なのだ。甲子園野球の隆盛こそが復興の「シンボル」であり、被災地の高校が勝ち進むことこそが望ましい。負けても被災地「球児」の「熱闘」を報ずることでマスコミ業界の売上が上がるのだ。だから、甲子園野球の価値を貶めることがあってはならない。よしんばあったとしても、報道しなければそれは「なかった」ことなのだ。

●神話を壊して、スポーツ本来の価値をみよう

もういい加減、巨人(読売)、星野監督、甲子園といったスポーツの神話に“サヨナラ”をしよう。いま、原発の安全神話が崩壊し、多くの原発近隣住民が過酷な現実を強いられている。神話を信じることは、思考停止の居心地の良さを手に入れられるが、現実の当事者のおかれた非人間的扱い、苦悩、まやかしに目をつぶることになる。

現代の神話の創始者は、テレビ・新聞といった大手メディア=マスコミ業界だ。原発の神話もそうであり、スポーツにおける数々の神話も同様だ。

そうこうしているうちに、サッカーの若手がW杯で強豪国に勝って、ベスト8を果たした。また、女子サッカー日本代表がW杯において、予選リーグ突破を果たした。神話に係らない世代、カテゴリーがグローバルな強さを身に着けてきている。Jリーグの若手選手が欧州に渡り、そこからさらに上のチームへのステップアップを試行しようとしている姿は珍しくなくなった。

甲子園野球というドメスティックなカテゴリーで野球漬けの毎日を過ごしている若者よりも、サッカーというグローバルな競技の世界大会で好成績を上げた若者の姿を大きく扱うことのほうが、スポーツマスコミの正常な報道基準なのではなかろうか。マスコミ業界では、若者のサッカーは、甲子園球児よりも稼ぎが少ないのだろうか。

神話に係らないスポーツが日本で隆盛を極める日は、近いのだろうか。

新旧二匹の猫が仲良しに



3日にやってきた白猫とザジが、4日目にして互いにじゃれあうまでの仲良しになった。

小さなザジが大柄な新参者を威嚇し、勢いに押された白猫がおずおずと後ずさりを繰り返していた前日までの光景が嘘のよう。

動物同士のコミュニケーションのとり方は、人間にはわからない。

2011年7月5日火曜日

二匹目の猫



二匹目の猫が7月3日にやってきた。

お見合いが終わって飼い主が帰ってしまったあと、家具の下に入ったまま出てこない。

今朝(5日)になってようやく姿を現すようになり、抱かれるまでに慣れた。

新旧の猫は、互いに反目しあっているようだが、次第に接近し距離を縮めてきつつある。

だが、一緒に戯れるまでにはいたっていない。

2011年7月3日日曜日

白猫が来た

家人が猫に取りつかれ、ご近所の方の斡旋により、二匹目の猫として、「白猫」がわが家にやってきた。

名前はまだ決まっていない。

環境に慣れないためだろうか、家具の下に隠れたまま、姿を現さない。

当分、写真は撮れそうもない。

すでに紹介済みの「ザジ」は、自分より体の大きな「白猫」の到来に怯えて、おとなしく寝たままだ。

二匹が喧嘩しなかったことがせめてもの幸いなのだが、この先どうなるか、不安である。

2011年7月1日金曜日

猫の支配力

猫を飼い始めてから2週間が経過したところで、NHKBSが猫と芸術家にまつわる自伝的物語を4話連続で放映した。その4人とは、藤田嗣治(レオナルド・フジタ)、内田百閒、向田邦子、夏目漱石。ドラマの内容については、平板で新しい発見はなかったものの、猫と人との関係を改めて確認することはできた。

猫とはよくいわれるとおり、両義的な生き物だ。静と動、家畜性と野獣性、親愛と無関心といったところか。しかも彼らは、人(飼い主)の支配を拒否する。人に依存していながら、自由であろうとする、誠に身勝手な生き物なのだ。筆者は猫を飼ったことがなかったので、先人のこのような指摘がこれまで実感できなかったのだが、手元に猫がいるようになってはじめて、そのことがよく理解できるようになった。

猫の両義性とはすなわち、自由の別言だ。人は他者とのさまざまなしがらみの中で、他者を無視することができない。煩わしさを感じつつも、関係のなかで生きざるをえない。その一方、猫は飼い主からの要望を無視し、猫(自分)の信ずる行動をこともなげに選択できる。そのような身勝手さから、猫は、男性からは悪女に、女性からは親友に喩えられることが少なくない。筆者は男性なのでその立場からいえば、向こうから一方的に甘えられたのだから、次はこちらから積極的にアプローチしてみると、こともなげにはねつけられる。猫は悪女に似ているというよりも、悪女そのものなのだ。このような猫の不可解さが聖性や魔性に転化したりもした。「神の使い」であったり、「化け猫」にもなったりした。

前出のテレビドラマの例にもあるように、猫は人の精神性に関与する。4人の芸術家の不幸の傍らに猫がいて、猫が彼らの精神の病を救ったことはまちがいない。猫に限らず、動物のセラピー効果については科学的に証明されていることなのだろうが、猫の場合は、それとも違うような気がする。筆者の解釈では、猫は時間に関して無為なのであり、そのことが人の精神の病を救うのだと思う。猫と遊んでいる時間、猫と一緒に寝ている時間・・・を共有していると、一日がかくも短かったのだと驚くばかりだ。その結果、猫と一緒にいると、飼い主は猫にいつのまにか支配されていることに気がつく。過剰な自意識に囚われた飼い主にとって、無為の到来、主客の逆転の時間の獲得は、奴隷の自由の享受ということになる。TVドラマの中でも、内田百閒や漱石が愛猫の失踪に心を痛め、右往左往したことが描かれていた。このことは、猫の支配力の傍証でなくてなんであろう。人が猫に救われるのは、猫による「癒しの効果」というよりも、猫に支配される奴隷の自由の享受によるのではないか。

こうして、古来、猫は家畜として独自の地位を占め、今日に至っている。

●縫いぐるみの「クマちゃん」を攻撃



●猫は一日のほとんどを寝てすごす