2021年10月29日金曜日

ジム友と「緊急事態明け」の飲み会

緊急事態宣言解除に伴い、ジム友と飲み会。


 

2021年10月19日火曜日

『ニュー・アソシエーショニスト宣言』

●柄谷行人〔著〕 ●作品社 ●2400円+税

エンゲルス以降の「マルクス主義」における史的唯物論は、一般に次のように説明される。それは「生産様式」から、つまり、誰が生産手段を所有するかという観点から、社会構成体の歴史的段階を見るものとされる。先ず原始的な共産主義があり、それが階級社会に転化する。資本制生産の段階では、生産手段をもつ資本家とそれをもたないプロレタリアという階級関係があり、階級闘争があるということになる。

柄谷は、それだけでは、信用をふくむ資本制経済の体系を理解することなどできないとして、マルクスの『資本論』を史的唯物論とは異なる見方をしたものと理解する。つまり、マルクスは商品交換から始めて、貨幣、資本、そして信用体系にいたる資本主義システムの全体を解明しようとしたと。その際、マルクスは国家をカッコに入れて、純粋に資本制経済のメカニズムをとらえようとした。

自分と同じような観点から、『資本論』を読んだのが宇野弘蔵だ、と柄谷はいう。すなわち、資本制経済の原理を純粋に解明する著作として『資本論』を読んだ、つまり、イギリスの経済を通して、「純粋資本主義」の原理(原理論)を見ようとしたと。

宇野は、その一方で、国家がとる経済政策によって、資本主義の歴史的段階を区別しようとした。具体的には、イギリスは〈重商主義的→自由主義的→帝国主義的〉と呼ぶべき経済政策をとってきた。宇野は、それが資本主義の歴史的段階だといった(段階論)。そして、現状の資本主義経済について、それがどのような状況にあるかを現状分析として措定した。

しかし、宇野のこのような考え方は、その内部で、つまり、鈴木鴻一郎や岩田弘によって批判された。資本主義は、本来、一国だけで考えられるものではない、ゆえに「世界資本主義」という観点が必要だと。柄谷は、その通りだと思ったが、それをどう考えたらいいのかわからなかったという。ただ、このことがずっと気になっていたと。

柄谷は、この疑問がのちの柄谷自身が創出した、「交換様式」という着想に結びついたと述懐している。柄谷が岩田らの宇野経済学批判をあらためて考えるようになったのは、20世紀末になってからだという。柄谷の交換様式の着想が1960年代末に起きた、ブント内における宇野弘蔵の三段階論をめぐる論争だったことは興味深いものがある。

理念(統整的理念)は義務として外からやってくる
では柄谷が創出した交換様式とはなにか。柄谷はそれを歯医者で治療中、身動きできない状態にあったときに、ふと思いついたという。ここが本書の肝だと思われるので、長いが引用する。

昔から、カントの「義務に従うことが自由だ」という命題が、難問としてありました。義務は他律的で自由は自律的ですから、背反します。これをどう考えたらいいかわからない。(中略)通常は、義務と自由は両立しません。しかし、私はふと思った。「それに従うことが自由であるような」義務が一つある、そして一つしかない。それは「自由であれ」という義務です。逆にいうと、「自由であれ」という至上命令がなければ、自由はありえない。

カントの場合、自由とは自発的という意味です。スピノザは、自由(自発性)はない、人の意志は多重的な原因によって決定されている、ところが、それがあまりに複雑なので、自由(自発性)と思い込んでいるだけだ、といいました。彼の見方はまちがっていません。カントもそれを認めた上で、こう考えたのです。確かに、人間に自由はない。が、やはり自由はある。ただ自由であれという義務に従うときにのみ、それがある。そう考えれば、謎はない、と・・・(略)

人間には自由はない、自由だと思うのはイデオロギーでしかない。確かにそうですが、それだけでは足りません。積極的なものが出てこない。「自由であれ」という命令があるからこそ、自由が生じる。問題は、では、その命令は、どこから来るのかということです。カントはそれを、神の命令ではなく、理性の奥に内在する道徳法則だと考えました。が、そうではない。それは人間の理性に内在するものでもない、それはやはり「外から」来るのです。しかし、それを「神」という必要はない。私は、交換様式からそのことを説明できると考えました。(略)

あらためていうと、理念(統整的理念)は義務としてやってくる。それはたんなる観念ではなくて、反復強迫的なものである。ヘーゲルは、理念はカントがいうのとは違って、現実的であると、いいかえれば、歴史的な現実においてあるといった。しかし、別の意味で、カントのいう理念もリアルなのです。歴史的現実を通して迫ってくるのだから。(P32~33)

史的唯物論を交換様式の観点から再構築する
このような積極的な倫理性を裏づける論理として、交換様式を、逆説的にいえば、史的唯物論を、交換様式の観点から再構築することが柄谷のNAMの原理として措定される。では、交換様式とはなんなのか、となるのだが、それを説明する前に、柄谷が前出の史的唯物論について、《それは歴史を経済的下部構造から見るもの》という一般的な説明をしりぞける論理に着目すると、わかりやすくなる。よって以下、引用する。

史的唯物論では、歴史を経済的下部構造から見ます。そして、それが生産様式(生産関係)です。国家、宗教、哲学などは政治的・観念的上部構造であり、経済的下部構造によって規定されるということになる。しかし、そうすると・・・理論的に多くの困難が生じます。そこで、観念的上部構造の相対的自立性を唱え、そのあげく、経済的下部構造を事実上無視するようになる。それに対して、私は交換様式を、経済的下部構造と見なす。その意味では、私は断乎として「経済決定論」者なのです。

交換様式が経済的下部構造だとすると、観念的上部構造がそれによって規定されていることははっきりわかります。(P34~35)

交換様式A、B、CそしてD
いよいよ、交換様式の説明に入る。以下は柄谷の交換様式(原文)に多少の補足説明を加えたものである。

・交換様式A
史的唯物論では、前資本主義社会を「生産力と生産関係」という観点から説明しようとすると、うまくいかない。たとえば氏族社会に関しては、何もいえない。たんに未開で、生産力が低いというほかない。氏族社会の性格は、この社会が今もって模範的と見える性格は互酬交換という交換様式であり、これは原始の遊動民の時代にはなく、彼らが定住した後に生まれたものである。互酬とは人あるいは集団が相互に有形・無形のものを、特定の期待感や義務感をもって、与え、返礼しあうことによって成立しているものが多い。人間の行為の多くは相互的行為、あるいは一種の交換ということができる。物の交換以外の互酬交換の例としては首長制がある。首長は権力をもつけれども、その役割が果たさなければ辞めさせられたり殺されたりする。互酬交換を交換様式Aという。

・交換様式B
交換様式Bとは、支配-保護という関係である。支配する側は、被支配者を保護する義務がある。そして、被支配者は自発的に服従する。ここに国家権力の秘密がある。国家の「力」はたんに武力によるものではなく、自発的な服従にもとづいている。

・交換様式C
その次が商品交換Cである。これが優位に立つのは、近代のブルジョア社会段階である。ここで柄谷が力を入れて注意喚起するのは、社会構成体が、このような複数の交換様式の接合としてある点である。たとえばブルジョア社会では交換様式Cが支配的であるが、AやBが消えてしまうわけではないということ。Bは近代国家として残り、Aは「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)としてネーションとして残る。だから、近代では資本-共同体(ネーション)-国家(ステイト)となる。

・交換様式D
交換様式Dとは、具体的にいえば、古代に帝国が成立した時点で普遍宗教としてあらわれたものであり、交換様式A・B・Cの複合体に対抗して、抑圧された原遊動性が回帰したものである。マルクスは、共産主義は「氏族社会の高次元における回復」だといった。その言い方を借りれば、Dは交換様式Aの高次元の回復である。したがって、それは、古代に帝国が成立した時点、つまりBが決定的に支配的となった時点で、普遍宗教としてあらわれた。それはまた、資本制経済(C)が決定的に優位になった時点で、共産主義という理念であらわれたわけである。

ここで注意しなければならないのは、たとえば、資本主義社会を中世や共同体のロマン主義的な回復によって乗り越えることはできないということ。それはファシズムになってしまうだけである。だから、Aの回復は‶高次元での回復″でなければならない。交換様式Dとはそのようなものでる。

あらためていうと、交換様式DはBやCを超克するものだが、人が積極的に、意識的に構成するようなものではない、カント的にいえば、それは構成的理念ではなく、統整的理念である。つまり、人間の願望・意志によって綿密に計画されるようなものというより、逆にそれに反して‶向こうから″(強迫的に)到来するものだということ。したがって、それは歴史的には最初、普遍宗教として出てきた。つけ加えれば、普遍宗教はたんなる観念ではなく、広い意味で経済的な交換様式に根ざしている。DはAの高次元の回帰であり、このようなAの「回帰」を、フロイトの「抑圧されたものの回帰」という見方によって説明できると。つまり、定住以前の人類がもっていた「原遊動性」は定住以後に抑圧されたが、それが反復強迫的に回帰したと。

交換様式Dと普遍宗教
交換様式Dが普遍宗教としてあらわれたとはどういうことか。この問いは当然、だれもがもつ疑問である。そのことについて柄谷は次のように説明する。

普遍宗教(たとえば原始キリスト教)は、呪術などの原始宗教とは異なる。その違いは交換様式からみると、明らかである。呪術は、神に贈与して、そのお返しを強いる(たとえば、お賽銭⇔幸運)。これは交換様式Aである。

ところが、交換様式Dは普遍宗教としてあらわれた。それは人間の願望や計画ではなく、神の意志として到来した。もしそれが人間の祈願によるものならば、それは呪術(神強制)と同じである。もちろん、今日「世界宗教」といわれている宗教も、事実上、祈願=神強制にもとづいていて、人間が考え作った制度を神の考えとして強制しているが、柄谷が普遍宗教と呼ぶのは、そのような考えを拒否することであり、いいかえれば、普遍宗教は、AやBやCを斥けるDとしてあらわれたということになる。

キリスト教は普遍宗教として出現しながら拡大するうちに、ローマ帝国の国教になってしまったが、その根底にあるDが消えてしまうことはなった。それがのちに、千年王国や異端の運動としてあらわれた。19世紀前半でも、ヨーロッパの社会主義運動はほとんどすべて、千年王国のような宗教的社会運動の伝統に根ざしていた。

マルクス主義運動も事実上、宗教的であった。マルクス主義の理論では、最初に原始共産社会があり、それが階級社会に転落し、資本主義の後に、共産主義社会が到来することになっている。実は、これは聖書のエデンの園、失楽園、楽園回帰という神話(物語)と同形である。だから、マルクス主義者はそれをいわないようにしている。そのかわりに、歴史を生産力の発展と生産関係の変化から説明しようとする。実際には、人を動かすのは宗教的な原理あるいは終末論なのだが、だからこそ、あえて宗教的なものを否定し、経済的な観点をとろうとしてきた。

本書の構成
NAMの運動は、資本ー共同体ー国家の外に出るものである、ということになる。運動の具体的な構想と実践については本書を参照されたい。

本書の構成としては、①柄谷行人が2000年頃に開始した、NAM(New Associationist Movement(ニュー・アソシエ―ショニスト運動)を回顧・検証・再考する書下ろし(2011~2018年執筆)と、②運動開始時期に書かれた、〔NAM(運動)の原理〕〔NAM(運動)結成のために〕が付録としてついている。アソーシエショニスト(Associationist)とは聞きなれない言葉であるが、辞書的には連合主義者と訳されるようだが、柄谷はその訳をきらって、アソーシエショニストと英語のまま使用するといっている。

この時期(2021.2に刊行)、過去のNAM(運動)とNAM(宣言/Manifesto)を併せて出版した意図は、《コロナ禍、日本社会を含めた世界全体が未経験の困難に直面していることにより、アソーシエショニスト運動が見直されているのではないか、すなわち、前出の通り、未来の社会は「向こうからくる」》からと柄谷はいう。具体的には、《生産、流通、金融などの現在の諸システムの問題点が浮き上がり、自給自足や地域通貨をはじめとする地域ネットワークの重要性に気づきはじめてきたから》だとも。《困難とともに、新たなアソーシエーションの可能性が向こうからやってきた》というわけである。

2021年10月17日日曜日

緊急事態宣言明けの根津へ

 Bar Hidamari





2021年10月15日金曜日

『1932年の大日本帝国 あるフランス人記者の記録』

 ●アンドレ・ヴィオリス〔著〕 ●草思社 ●2600円+税

副題にあるとおり、アンドレ・ヴィオリスというフランス人ジャーナリストが1932年(昭7)の日本に滞在した記録である。ヴィオリスは「第一次上海事変」(1932.1.28)の最中に上海に滞在していて、日本軍と中国軍のあいだで繰り広げられた激しい戦闘を体験した直後、本邦にやってきた。

本書から、新たな歴史的事実が得られたわけではないのだが、日本で刊行されている近現代史の研究書等とは異なる視点から、日本(人)が破滅へと向かう過程が鮮明に読み取れるのが不思議である。その過程から、後世の者である筆者は、悲しみのような、不思議な感慨を覚えずにはいられなかった。そして、なによりも本書の貴重なところは、当時の日本軍のトップ、政治家、裁判官、事業者、社会主義者、国家社会主義者、極右愛国者といった、日本社会の各層の生の姿が再現されたところにある。歴史とはすなわち、人間の生の記録であることをあらためて思い知らされる。

ヴィオリスは日本の産業・経済・政治(家)・軍事(軍人)・都市問題・成金(資本家)・労働者・農民・人口問題などに対して、インタビュー取材とは別に彼女なりの分析を加えている。世界をまたにかけた百戦錬磨のジャーナリストの視線は、当時の日本に対してすぐれて批判的である。今日でも、‶世界は日本をどう見ているのか″という、外国人の言説に従った日本批判が行われることが少なくない。またその一方で、外国人の日本批判を嫌悪する傾向もなくはない。しかし、「日本」というものを常に相対化していくという意味において、外国人の日本批判をおろそかにしてはならない。そのことを本書から学ぶことができる。

興味深いのは、日本の議会(国会)について取材を重ねると同時に、独自のルートから情報を入手し、先入観にとらわれない見解を書きつけている点である。本邦では1925年には衆議院議員選挙についての男子普通選挙法が成立し、1924~32年にかけては〈憲政の常道〉の名のもとに、衆議院の多数派に基礎をおく政党内閣が実現したといわれている。しかしながら、天皇を統治権の総攬者とする帝国憲法の基本原理のもと、制度上も、衆議院に対する貴族院の原則的対等性、天皇(の勅令)による立法制度、予算審議権に対する制約、さらには統帥権独立の原則や、枢密院・重臣・元老などの存在によって制約をうけ、帝国議会の中心的地位を占めることはできなかった。日本の議会は「天皇」を超えるものではなかったのである。ヴィオリスは前出の通り、当時(明治憲法下)の日本の議会制度の構造的欠陥を踏まえつつ、政党の腐敗と堕落に鋭いメスを入れている。ヴィオリスを信じるならば、1930年代の日本が議会制民主主義国家であったなど、夢思わぬことである。軍部の独走を許した主因がそこにあった。