2015年12月20日日曜日

忘年会

学生時代の友人の忘年会(宮益坂「おまかせ亭」)



2015年12月13日日曜日

老酒

中国・杭州を拠点に骨董ビジネスを展開している章一(ジャンイー)君が買付の合間を縫って拙宅に寄ってくれた。

お土産は老酒。さてお味のほうは飲んでからのお楽しみ。


2015年12月11日金曜日

Jack Atherton

娘の友達の友達、ジャックがイギリスから拙宅に遊びに来た。

彼はドラマーである。

彼がロイヤルアルバートホールで演奏したときのドラムスティックを土産にくれた。

私のレコードコレクションに興奮気味のジャック


2015年12月9日水曜日

ベトナムコーヒー


スポーツクラブで一緒にトレーニングしているベトナム人のダーさんから、
ベトナムコーヒー(インスタント)をいただきました。

来日したダーさんのお父さんが祖国から大量に日本に持ってきたそうです。

飲んでみると、確かにベトナムコーヒーの味がします。


2015年12月2日水曜日

猫の体重

家内が猫が太っている、というので、しばらくぶりで体重を測定してみた。


Zazieが4.3kg、Nicoが6.4kg。


直近の9月に比べて、同-300g、同-200gで、2匹とも体重減であった。

Nico

Zazie


2015年11月22日日曜日

野球「プレミア12」は詐欺もしくは景表法違反(不当表示)である

「野球世界一決定戦」という勇ましい謳い文句で開催された野球「プレミア12」が閉幕した。優勝は韓国、日本代表(侍ジャパン)は第3位で終わった。

代表とは名ばかり、日本・韓国・台湾以外は、マイナー選手の寄せ集め

この大会を先般イングランドで行われたラグビーW杯や、いまアジア予選が行われているサッカーW杯と混同して日本代表に声援を送った野球ファンも多かったようだ。少なくとも、マスメディアの扱いは、サッカー、ラグビーといった人気スポーツ以外のW杯(世界大会)よりも大きかったように思う。

しかし、参加チームの内実は各国代表とは名ばかり。まず、日本を含めて米国メジャーリーグ(MLB)に属している選手は参加していない。日本人選手の場合、田中将大、岩隈久志(青木宣親、上原浩治、ダルビッシュ優は故障中)が不参加だった。アメリカチームはAA、AAA所属のいわゆるマイナーの選手ばかり。中南米もアメリカのマイナー所属、自国リーグ及びウインターリーグの選手ばかり。最悪なのが、日本と3位を争ったメキシコチームで、土壇場まで選手が集まらず、不参加を表明しようとしたところその筋から圧力がかかり、急遽、米国籍でメキシコにゆかりのある選手をメキシコ代表に仕立て上げての参加だったという。

このような現象は、W杯と名の付くスポーツ大会では絶対に起こりえない。かりにも、サッカーW杯にイタリアチームがセリエB、セリエC所属の選手で構成されたチームを「イタリア代表」として送り込んできたら、世界中から非難が湧きあがるだろうし、そんなことはイタリアサッカー協会が絶対にしない。多くのスポーツのW杯及び世界大会では、予選を経るか、参加するため条件となる出場資格記録というハードルがある。こうした手段によって、「W杯」「世界一」の権威が保持される。

野球の世界化を阻むMLB

「プレミア12」の参加資格は世界ランキングを基準とするというが、野球の世界ランキングを決定するメカニズムが整備されていない。ランクづけをするには、各国が最強チームを編成して送り込んだ大会や強化試合を重ねなければ成り立たない。だが、MLBがそうしたメカニズムを阻害し続けている。彼らはアメリカの最強チーム決定戦を「ワールドシリーズ」と勝手に銘打っていて、MLBに所属するチームにしか参加資格を認めていない。加えて、アメリカ以外で行われる世界的大会を事実上、無視している。アメリカ(MLB)は、MLB選手をそうした大会に参加させないという手段を通じて、MLB=世界最強という地位を手放そうとしない。

こんなことはいまさら説明しなくても世界の常識となっていて、今回の「プレミア12」もマイナー大会の一つにすぎないことは、野球に少しでも興味がある人ならば誰もが承知している。

不当表示がまかりとおる日本のマスメディア業界

ところが、日本及び台湾の東アジアにおいて、「プレミア12」があたかも、野球世界一を決定する大会であるかのように喧伝され、開催され、入場料をとって興行されたのだ。

「プレミア12」は日本の大手広告代理店が仕込んだ興行(=商品)だ。彼らはそれを、メディア(TV、大新聞等)を使って誇大宣伝(不当表示)し、スポンサー及び野球ファンに販売した。景表法(景品表示法/不当景品類及び不当表示防止法)においては、商品を不当に表示して消費者に誤認を与えるような商品提供側の表示(チラシ、パンフレット、新聞雑誌広告、テレビコマーシャル…セールストーク)を厳しく規制している。

「プレミア12」の場合、この大会(興行)はまずもって、「世界一」を決めるものではない。参加する各国代表は厳選された代表選手ではないからだ。マイナーリーグに所属する選手で構成された代表チームは、その国を代表しない。たとえば、サッカー日本代表がJ2、J3の所属選手だったらどうなのか。もちろん、サッカーの場合であっても、日本代表が日本国内で行う親善試合の場合、「プレミア12」と同じ手口が使われている。日本代表は海外組を含めたほぼベストメンバーのチーム構成だが、相手になる「○○代表」の選手は欧州リーグの控え選手や自国リーグの選手ばかりで構成されていて、各国のトップリーグに所属する選手は、クラブが許可しないので日本に来ない。そんな代表チームではあるが、下のカテゴリーの選手で構成された選手の代表チームが来日したという話は聞いたことがない。「プレミア12」の実情がいかに酷いものか、日本代表サッカーの親善試合も悪質だが、「プレミア12」はそれに輪をかけて悪質である。

「プレミア12」に意義があるとしたら、せいぜい野球の視野を広げる程度

筆者は、「プレミア12」のような国際大会が全く無意味だとは思わない。野球を通じて国際親善を図ることはまちがいではないし、野球の視野を広げるためにも、あるいは選手に経験を積ませるという意味からも必要だろう。ただし、▽MLB選手が不参加であること、▽選手の強化を目的とした大会であること、▽もちろん「世界一」を決めるような大会ではないこと等――の実情を説明して大会を開き、チケットを売り、TV放送等のメディアを駆使するのならばそれでいい。

不当表示を喧伝する不愉快なタレントの存在

しかし前述のとおり、メディアは「プレミア12」が世界最強決定戦のようにしか報道しない。これは明らかに、「不当な顧客誘引の禁止」に抵触する。テレビ報道では、アイドルタレントがリポーター役をしていて、そのタレントが逐一、「プレミア12」を称賛するセリフを連発していた。まずもってその存在が不愉快であるばかりか、そのタレントの発する「プレミア12」礼賛のセリフこそが不当表示の連発にまちがいなく該当する。大会を盛り上げるという名分のもと、不当表示の宣伝係というピエロを哀れに思う。

日本の敗退の責任は無能監督=小久保にある

日本、韓国、台湾の野球熱は同地域独特のものだ。アジアの野球先進国である日本に対して異常な関心を示している。台湾の場合は日本に対するリスペクトを伴い、一方、韓国の場合は敵対心となって表れる。だから、「プレミア12」に参加した、事実上の開催国である日本、そして韓国、台湾は、それなりに熱心に大会に臨んだであろう。しかし、それ以外の北中米、南米、欧州はチームを構成した選手の力量不足は明らかだった。だから日本が決勝トーナメントに進むのは予見できたし、決勝トーナメントが日本で開催される日程をみれば、日本優勝は半ば仕組まれた筋書きだった。

ところが、運命の悪戯のように、日本は準決勝で韓国に逆転負けを屈した。この敗戦については既に野球評論家、野球ファンから、小久保裕紀代表監督批判となって表れ、その分析もなされている。筆者なりに端的に敗因を言えば、「侍ジャパン(日本代表)――選手は精鋭、監督はド素人」となる。

小久保裕紀は青山学院大学卒業後、プロ野球、福岡ダイエー、読売、福岡ソフトバンクで選手として活躍後、2012年に引退、野球解説者を経て2013年10月、野球日本代表監督に就任している。監督としての経験は、2013年、初陣である日本―チャイニーズタイペイしかない。この経歴からわかるように、指揮官としての経験は「ない」に等しい。

監督経験のない小久保がなぜ代表監督に就任したのか

小久保の代表監督就任も奇妙な話である。たとえば、サッカーの日本代表監督を決定する場合、日本のスポーツメディアでは侃々諤々、議論される。直近では、ブラジルW杯で惨敗したザッケローニ退任後、「監督候補」として、ベンゲル、ピエルサ、フェリペ、ラウドルップ・・・が挙がり、アギーレに決定したと思ったら「八百長疑惑」が浮上し解任、そしてハリルホジッチに決まりいまに至っていることは記憶に新しい。いずれの「候補者」も指揮官として実績のある者ばかり。たとえば、いまサッカー日本代表チームのゲームキャプテン長谷部誠が現役引退後、いきなり日本代表監督に就任するなんてことはまず、あり得ない。小久保も長谷部も現役時代はキャプテンシーをもった人材であることは同様だが、監督としての経験は必要である。すくなくとも2~3シーズン、リーグ戦の経験を積まなければ、監督業は成り立たない。

ところが、野球日本代表では、小久保は適材だと判断され、その就任にあたって議論はされなかったのである。このことが不思議でなくてなんであろう。

ど素人ぶりを発揮した、韓国戦の観念的投手交代

小久保の経験値のなさは、事実上の優勝決定戦である韓国戦で露呈してしまう。韓国戦の投手交代失敗である。好投していた大谷翔平(85球)を7回に降板させ、則本昴大を投入、8回に好投したその則本を9回に続投させ韓国打線につかまり、松井裕樹、増井浩俊を投入して傷口を広げ逆転を食らったのである。

この投手起用にはいくつかのポイントがある。まず、侍ジャパンがセットアッパーの専門職を選んでいないこと。つまり、シーズン中の先発投手を第二先発もしくはセットアッパーとして起用するという方針が正しいのかそうでないのか。

第二点目は、侍ジャパンに信頼できるクローザーがいなかったこと。日本プロ野球における今シーズン優勝チームのクローザーは、パリーグのソフトバンクがサファテ、ヤクルトがバーネットと外国人投手。最多セーブはセがバーネットと呉昇垣が41セーブで外国人2人が受賞。パリーグはサファテ(41)。次に増井が続く。そんななか、侍ジャパンのクローザーとしては、セリーグから山﨑康晃(新人)、澤村拓一(クローザー転向1年目)、パリーグからは前出の増井、松井裕樹が選ばれたが、増井は、本来はセットアッパーが本職で、クローザーは2014シーズンから務めるようになった。松井はプロ2年目。つまり、日本人投手のなかで修羅場をくぐって優秀な成績をおさめたクローザーは実際には一人もいない。本来ならば、読売の澤村が切り札にならなければいけなかったのだが、小久保監督の信頼にこたえられるような内容ではなかったようだ。

敗戦後、小久保監督は、「大谷は7回まで、残り2イニングは則本でいくと最初から決めていた」と発言したようだが、この発言こそが無能の証明である。説明するまでもないことだが、野球に限らず、勝負事には波というものがある。流れともいう。大谷が85球で身体に異常がないならば、シーズンオフのいま、この試合が彼にとって最後の試合となるのだから、85球は制限となるような球数ではない。球の走りが悪いとは思えなかった。当然、完封勝ちを狙わせればよかった。「則本で行く」というのは自分の信念どおり采配した、という自己弁護、つまり信念を貫いたという自負なのかもしれないが、観念的で勝負師としての閃きがない。

投手の役割分担は「経験知」の集積の結果

もう一つ、角度を変えた見方としては、なぜ、スターター・セットアッパー・クローザーという分業がアメリカで確立されたかを小久保は真剣に考えていないことだ。野球の流れからすると、投手は立ち上がりが不安定。ところがそれを乗り切ると、80~100球程度、すんなりいくことが多い。相手打者の無意識の緩みもあるのだろうか。それが流れとなって試合が進行する。ところが終盤、100球近くになると相手打者の危機意識の高まり、投手の握力低下、身体疲労等を要因として、打ち込まれることがある。そこでセットアッパーというポジションが経験上、確立された。ただし、限定1イニング(=8回)まで。3つのアウトが限界で「イニングまたぎ」は、説明しにくいが、成功しないケースが多い。

そして、クローザーである。クローザーの役割は、1イニング=3つのアウトをなにがなんでもとりにいける特性(タレント)をもった投手の仕事である。こうして、先発―中継ぎ―抑えが固定化されるようになった。それこそ「経験知」が確立したシステムなのだ。

日本では、先発―中継ぎ―抑えのシステムは形としては確立しつつあるが、本質的には理解されていない。まだまだ、「先発完投」がいいという野球解説者が多い。今回、侍ジャパンが則本をセットアッパーで成功させられたのは短期戦でしかも、相手のレベルが低かったから。則本が「イニングまたぎ」で韓国に打ち込まれたのは、韓国のレベルが他チームに比べて高かったから。そのあたりの分析が、素人監督の小久保にはできなかった。

選手選考は監督の仕事であり、中継ぎ専門職を選ばなかった責任は小久保にある。さらに、日本球界の現状において、信頼できるクローザーを外国人に負っている現実も直視しなければいけない。日本の投手は質が高いといわれながら、クローザーとして何シーズンも務められる人材はいないのである。佐々木主浩はMLBに行って引退してしまったし、上原もMLBで野球生活を終えそうな雰囲気だ。松井、澤村、山﨑の成長に期待したい。

小久保は代表監督を辞し、一から監督業の勉強に励むがいい

小久保は今回の敗戦を機に、代表監督の座を辞し、監督業を一から勉強しなおしてほしい。代表チームが選手育成の場でないことと同様、監督養成機関でもない。小久保は日本のマイナーリーグで監督業の修業を積んで改めて、代表監督に挑戦してもらいたい。日本球界には、小久保以上の能力を持った監督経験者はいくらでもいる。選手と同様、監督にも競争が必要である。

2015年11月20日金曜日

この頃の猫たち

最近、月初めに行っていた猫の体重測定をやめてしまったので、猫の近況を伝えることがなくなった。

猫はではどうしているのかといえば、元気である。ただし暖冬とはいえ気温が下がったため、筆者にくっついてばかいりる。

筆者がベッドに入るのを待ち構えていた、布団に入ると、その上に乗ってきて眠る。

とりわけ、イスタンブール土産のベッドカバーを使用しだしたら、それが気にいって1日の半分以上はその上にいる。




2015年10月25日日曜日

読売「巨人軍」の黒い霧

野球賭博問題でプロ野球球団の読売が揺れている。プロ野球機構の調査によると、読売球団所属の3選手が野球賭博常習者であることが判明した。

賭博発覚は、白昼堂々賭け金取立人の登場という不気味さ

報道で知る限りだが、この事件にはいくつかの疑問点がある。その第一は、賭博発覚の不自然さ。不自然というよりも、不気味といったほうがいいかもしれない。報道によると、賭博の胴元の関係者と思しき者が、福田投手の賭け金未払い分の取り立てのため、わざわざジャイアンツ球場までやってきたという。この手口は、闇金融業者等が利息未払い及び元金未返済の借り手に対してプレッシャーをかけるため、借り手の職場に押しかけるものと似ている。

普通のサラリーマンの場合、世間体を考えると、自分が借金をしていることを外部に知られたくないし、それを返済できな事態はもっと知られたくない。その筋の貸し手である金融業者等は、借り手の“知られたくない心理”を利用して、わざわざ借り手の職場に出向き、返済を促す。貸し手も非常識的手段を用いるわけだから、覚悟のうえの行為、つまり、合法的金融業者というよりも、反社会的勢力に属する者であると考えてもいい。いまのところメディアは、福田投手のところへ取り立てに来た者については報道を控えている。その理由は定かではない。

さて、賭博は胴元が機能してはじめて「業」として成り立つ。単一の「胴元」と多数の「賭ける者」という、組織的関係が構築されてはじめて「業」として拡大する。その反対のケースとしては、賭け麻雀や賭けゴルフといった、当事者同士で賭け金をやりとりするケース。この場合は、レートを異常に高くしなければうまみはない。加えていうならば、組織的非合法の賭博において、素人が胴元になるケースは稀である。

そんな賭博の構造を踏まえて、今回の取立人の存在を推測してみよう。一説には、“口封じ”だという。それもおおいに考えられる。福田投手はじめとするプロ野球界の賭博関与者に対し、「この先、なにもしゃべるな」という警告を与えたという。つまり、賭博行為の発覚については覚悟のうえの「取り立て」ということになる。別言すれば敢えて、プロ野球界に賭博が常態化していることを、非合法の胴元が積極的に明らかにしたことになる。そんなことができるのは、「反社」勢力以外に考えられない。

賭博関与の3選手がみな投手だったのは偶然か

第二点目は、読売球団の野球賭博常習者が3人とも投手だったこと。3選手が野球賭博に入り込んだのは、同じポジション同士で仲が良かったから、という推測も成り立つ。だが筆者は、投手というポジションの特殊性に注目している。なかんずく、中継ぎ投手というポジションは、ほかのどこよりも八百長に関与しやすい。福田、笠原は中継ぎ投手として一軍での実績があるのだが、彼らのような中継ぎ投手が勝負所で登板して四球を連発、塁が埋まったところで長打を食らえば、試合は決まってしまう。つまり、読売の負けを決定するにはもってこいのポジションなのだ。観戦者からは、コントロールに苦しんでストライクを取りに行き、長打を食らったように見えるから、その投手が八百長に関与したとは思わない。

松本竜の場合は先発型のようだが、一軍戦力にはなっていない。八百長を仕組む側が、松本竜の将来性を買って、八百長の実践者として育成しようとしたという推測も成り立つ。中継ぎ投手は登板機会が多いから、八百長を仕組む側にとって、八百長機会も多い分、都合がいい存在だ。しかも、前述のように、単独で勝負を決められる機会が多い。

同じ投手であっても、先発投手の場合は中5~6日の登板間隔のうえ、先発して八百長による負けが続けば目立つ。さらに負けが込めば、ローテーションから外される。先発投手は八百長を仕組む側からすれば、適当なポジションではない。

野手の場合は、八百長の使命を帯びた単一の選手が打席に立ってチャンスにわざと三振しても、後続打者が試合を決めるヒットを打てば、八百長は成立しない。試合を決めるタイムリーエラーを犯すことも、確率的にみて極めて低い。野手に八百長を仕組ませても、野球というスポーツではその成立は難しい。

賭博関与者がセリーグ最強球団の一つ、読売「巨人軍」所属だった理由

三点目は、賭博関与者が読売の選手だったこと。読売は戦力的に見て、セリーグでは最強球団の一つ。毎シーズン、優勝候補に挙げられている。八百長を仕組む側から、つまり胴元の立場からすれば、強いチームが負けた方が潤う。

賭ける側は、堅く稼ごうとするから、読売の勝利に大金をつぎ込む。そこで読売が負ければ、逆ばりしていた側に大金が転がり込む。たとえば、伝統の一戦といわれる読売―阪神の場合、今シーズンの対戦成績は16勝9敗と、読売が阪神に大きく勝ち越している。しかも、読売のホーム・東京ドームでは圧倒的に強い。東京ドームで行われる読売―阪神を賭博の対象にしたとすると、読売勝利の確率は8割を超える。賭ける側は、堅く見込んで、読売の勝利に大金を賭ける。そこで、八百長を仕組んで読売が負ければ、阪神勝利に賭けた側は大金を得るという筋書きだ。

八百長はなかったのか、あったのか、あるいは・・・

▽疑惑の取立人、▽賭博関与者が全員投手、▽賭博関与者が読売「巨人軍」という、強豪チームに所属、という3点から推測すると、読売球団の選手が野球賭博をしていたという段階にとどまらず、八百長を??あるいは関与た可性を否できない。なかったとしても、八百長を企てようとしたことが????か。もちろん、これは推論の域を脱しないし、証拠もないので確言することは憚れる。

筆者のような邪推や疑惑を抱かれないためにも、読売球団は外部の調査機関を立ち上げ、徹底的に調査を行うことが必要だ。また、メディア及び広告代理店側はプロ野球という、彼らにとって都合の良いコンテンツを傷つけない配慮をするよりも、独自取材で深層究明を図ってもらいたい。この問題をうやむやにすれば、プロ野球界及びメディア、広告代理店業界は、将来に禍根を残す。

2015年10月8日木曜日

八重山旅行

9月30日から10月6日まで、八重山諸島(竹富島、石垣島、西表島)を旅行しました。

竹富島

石垣島

西表島

2015年9月16日水曜日

上野公園内の許されざる景観

上野公園には国際こども図書館(旧国会図書館上野分室)と黒田清輝記念館がほぼ、隣接して建っている。

どちらも日本の近代建築黎明期に当たる建築物で、西欧建築のコピー作品だが、それなりに景観として調和している。

ところが、その間に奇妙な緑色の球形のガスタンクのような「建築物」が、
割り込むように建てられている。

芸大キャンパスの敷地であることは間違いないから、芸大が建てたのだろう。

筆者はその用途を知らない。

景観にそぐわないことは、一般国民にもわかる。

芸術?大学?

この学校の学長だれ?


右が図書館

左が黒田記念館

2015年9月9日水曜日

戦火にある国の代表に勝って、なにが嬉しい

2018年ロシアW杯アジア2次予選
▽E組第3戦 アフガニスタン0―日本6
▽9月8日、イラン・テヘラン アザディスタジアム

シリア、アフガニスタン、カンボジアと同組という悲劇

サッカー日本代表がアフガニスタンと中立国テヘラン(アフガニスタンのホーム試合)で戦い、6-0で勝利した。日本と同組のこのアフガニスタン及びいずれ対戦するシリアは戦乱に明け暮れる国家。国情を鑑みるならば、代表チームを組織することさえ困難であろう。いわんや強化はとんでもない。同情すべき相手に圧勝したからといって喜べる状況ではない。いままさに、シリアでは難民が西欧を目指して流出し、その過程で多くの人命が不条理な死を遂げている。日本と同組にシリア、アフガニスタンが入ってしまったのは籤の偶然とはいえ、やりきれない。

日本代表選手・監督の年収が国家予算の3%弱?

ちなみにアフガニスタンの国家予算のコア予算(同国政府の国庫を通る資金の流れ。援助均等を含まない)は26憶2,543万ドル(約3,413億円。1ドル=130円で換算)。先に日本(埼玉スタジアム)と対戦したカンボジアは世界の最貧国の一つといわれる。20世紀中葉~末期にかけて戦争に巻き込まれ、国内は疲弊した。同国の2015年度総予算は約39億ドル(約5,070億円。同率換算)。

日本代表選手及び代表監督等の年俸はいくらになるかわからないが、ネット情報によると、本田圭佑が約3億円、香川真司が3.4億円、長友佑都が1.7億円、ハリルホジッチ監督が2.7億円・・・年収となると、CM契約料等が加算され、各選手とも倍以上になるらしい。 ざっくり、日本代表選手25選手及びハリルホジッチ監督の一人当たり総年収を3億円と仮定すると、日本チームを構成する選手・監督の年収は78億円程度と推定できる。この額はアフガニスタンのコア予算の2.3%、カンボジアの総国家予算の1.5%程度に当たる。たかだか日本代表のサッカーチームを構成する選手・監督の年収が、対戦相手国の国家予算の1.5%~3%弱に達するという驚愕の事実をどう受け止めたらよいのだろうか。

戦火にある国の代表にリスペクトを―日本のメディアとサポーターの頭の構造は大丈夫?

日本代表は、同組のシンガポールを除いた3チームに比べて、恵まれすぎた環境にある。選手は西欧及び日本という平和な国家でサッカーに専心でき、前出のとおり高い報酬を受け、なに不自由のない生活をしている。そんな日本代表が、アジアの戦乱に明け暮れている(た)国の代表と試合をして、辛勝だ、圧勝だ、と騒いでいる。そんなマスメディア、代表サポーターの頭の構造を心配してしまう。

日本代表選手がカンボジア、アフガニスタンと対戦して、その結果について不調、復調を論ずるのは愚かな批評的姿勢だ。香川、本田、岡崎らの攻撃陣がよい得点をしたとか、守備陣が完封したとか判断すべきでない。勝利して当たり前の相手。得点して当たり前の相手。

サッカーは何があるかわからない、といわれるが、戦火にある国、貧困にあえぐ国家代表との試合は、対等な条件下の試合だと考えてはいけない。心と身体に深い傷を負った相手(人間)との戦いだと心得るべきだ。日本代表はどのように試合をしたらいいのか。それこそ、粛々とサッカーをすればいい。勝って奢らず、勝った相手国の国情に心を寄せ、そんな中でチームをつくり、スタジアムに現れた相手を心底リスペクトすればよい。

シリア戦の結果を日本のメディアはどのように伝えるつもりか

アフガニスタン戦では、得点した日本選手が派手なガッツポーズをしなかったことはせめてもの救いであった。しかるに今朝、日本の新聞やテレビの報道を眺めてみると、日本代表の復活だとか復調だとか、圧勝とやらの試合結果が“ど派手”に伝えられるばかり。日本のスポーツメディアをこれほど、愚かだと感じた日はない。日本のスポーツメディアは狂っている。国家がいままさに溶解しつつあるシリアとの試合結果を、彼らはどう受け止め、どう報道するつもりだろうか。

2015年9月2日水曜日

当事者、武藤、永井、佐野は速やかに盗作を認めベルギー側に謝罪を

東京五輪大会組織委員会(会長・森喜朗元首相)は1日、五輪公式エンブレムの使用を中止し、今後新たなデザインを公募して制定し直すと発表した。エンブレムは7月24日に発表されたが、デザインがベルギーの劇場のロゴと似ているなどとして訴訟が起こされているほか、作者が手がけたこれまでの仕事に「引き写し」「模倣」があるとの指摘が相次ぎ、組織委は「このままでは国民の理解が得られない」(武藤敏郎事務総長)と判断したという。

武藤事務総長は、「一般(素人のおろかな)国民が騒ぐから使用中止」と説明

組織委員会の会見をTV中継で見ていて驚いた。組織委員会の武藤敏郎事務総長は、▽佐野に盗作はなかった、▽デザインのプロの世界では、佐野の作品は盗作ではなくじゅうぶん容認される、ただし、▽一般国民の支持が得られない(バカな国民が大騒ぎする)から、▽佐野の要請を受けて使用を中止した――といい抜けたのだ。

会見に集まったマスメディア業界の住人達は、武藤の傲慢な説明に怒らず、はいそうですかと聞き流した。武藤も武藤だが、メディアもメディアである。五輪で潤うマスメディア業界、彼らには組織委員会を本気で批判することはできない。考えてみれば、このたびの盗作追及はマスメディアではなく、ネットユーザーの手によるものだった。もはや、この日本国においては、正義はネットにしか存在し得ない。

佐野の盗作は、数々の状況証拠から明らか

盗作問題の経緯は省略する。はっきりしているのは、使用中止を加速させたのが、公式エンブレム審査委員代表・永井一正による審査過程の公表からだったこと。それによると、コンペの審査結果では、佐野の原案が一席に入ったものの商標権登録調査の結果、類似のものがあるため登録できなかったらしい。そこで、審査委員会(=組織委員会事務局)が原案に修正を加え、修正された作品を一席にしたらしい。

ところが、原案を公表したとたん、これまた、2013年に東京で開かれた『ヤン・チョヒルト展』のポスターに似ている、との指摘があった。加えて、佐野が作成したエンブレムの展開例のパネルが明らかに盗作であることが発覚した。つまるところ、五輪エンブレムに係る佐野のデザインのどこにも、オリジナル性が認められないというわけだ。

武藤はデザイン業界の伏魔殿(審査委員会)にエンブレム審査を丸投げ

組織委員会事務総長の武藤は役所という特殊な環境で純粋培養された人間。だから、デザイン業界のことはわからない。そこで、エンブレムの決定については、五輪公式エンブレム審査委員会に丸投げしたようだ。しかし武藤が丸投げした先は、デザイン界の伏魔殿のような閉鎖的利権集団。そこで「佐野でいきましょう」という合意がなされ、今回の盗作問題の発端をなした。

審査委員会はデザイン業界の伏魔殿


永井の詭弁「コンセプト論」を丸呑みした武藤

審査委員代表の永井一正は、佐野の盗作疑惑を一貫して否定し、佐野を擁護してきた。永井の佐野擁護のロジックは、「コンセプトが違えば、表現が似ていても容認される」というもの。実は、1日の会見でも武藤はたびたび、この永井の詭弁論理を繰り返し引用していた。永井の詭弁論理を組織委員会事務局、すなわち、事務総長である武藤が信じ込んでしまったことが、今回の混乱の発端である。永井は、デザインの世界では無意識に同じようなデザインが出てくることがあり、それを否定してしまえば人材は育たないという意味で、この論理を振り回している。

武藤もそれを信じ込んだのだが、無意識による一致が許されるのはデザイン学校等のデザイン学習の場まで。デザインを学ぶ学生が無意識で起こした作品が、先人の有名な作品と類似した結果になったとしよう。デザイン科の教授等、デザインを教える側は、その結果において学生を責めることはない。むしろ誉めることもある。ただし、その作品は学生の作品として永久にとどめられ、コンクールやコンペに出展することは憚れる。

このことは何度も書くが、デザインを含めた表現行為においては、オリジナルこそが保護される。偶然、似てしまった作品は、先人の作品の存在を認めた時点で反故にされる。あたりまえではないか。

表現の世界において、先人の作品をリスペクトするという原則が貫かれれば、著作権は何の問題もなく保護される。一方の商標権には商標登録という制度があり、登録された作品は万人に開示されるから、著作権よりはわかりやすい。著作権には登録制度がない。だから佐野のように、先人の作品をコピペする輩が跋扈する。悪意ある作品の類似である。これを盗作と言う。武藤をトップとする東京五輪組織委員会事務局は、商標権さえクリアすれば問題は起こらないと早合点したのではないか。

このたびの五輪公式エンブレム作品は、デザイン科の学生の作品とは全く異なる世界に属している。公式エンブレムを使用するには、スポンサーが組織委員会に尋常でない金銭を納める。自分の作品を盗まれた側にとって、盗作を媒介にして数億円が取引される現実は容認し難い。

今回のトラブルは、プロフェッショナルな世界に、アマチュアの世界でしか通用しない永井の詭弁論理を適合させようとした、組織委員会事務局(=武藤事務総長)に責任がある。

佐野の恨み辛みは自業自得

佐野は今回の件で書面によるコメントを提出し、会見には現れなかった。「STAP細胞」問題の小保方も「STAP細胞はありまーす」と絶叫した会見を一度開いたきり、雲隠れした。佐野も小保方も、逃亡を旨とする点で同類のようだ。

さて、佐野の置かれた状況は、テレビの刑事番組によくある、状況証拠は揃っているが容疑者本人は犯行を否認しています――といったところか。前出のベルギーのデザイナーが、エンブレムデザインの使用中止が決まっても、提訴は取下げないと発言しているようなので、盗作か否かはベルギーの法廷で決着することになる。たいへん結構なことだ。ベルギーで有罪ならば、その証拠は日本でもアメリカでも、世界中どこでも認定されるらしいので、佐野の盗作疑惑はそこで決着がつく。

悲しいのは佐野のコメントである。そこには、マスメディア、ネットへの恨み辛みであふれていたが、係る事態は、そもそも疑惑発覚後、会見を開かず雲隠れした佐野自らが引き起こしたもの。佐野に適正な広報(代理人)がついていたならば避けられた。

尋常でないのが、佐野の自分が被害者であることを強調する文面。佐野がメディアやネットの追及を受けるのは、論理的な説明がなされないことに人々が苛立っているから。「盗作は絶対にしていない」といいながら、次々と佐野の盗作作品が明るみに出る。そのことを佐野はメディアやネットの問題だという。追及を終わらせるのは、追求から逃れ背を向けるのではなく、追及に真正面から対峙し、まじめに答えることだった。

武藤、永井、佐野の三者は速やかに盗作を認めベルギー側に謝罪を

佐野の盗作が法廷で認められるのは、佐野がベルギーのデザインを認知していたうえで、それを盗用した具体的証拠が示されることだという。たとえば、ベルギーサイドが、ベルギーの劇場のロゴが描かれた佐野のデザインブック等を証拠として提出することなどが考えられる。しかし、佐野が盗作を否定している現状では、事実上不可能だ。佐野の盗作の立証はできないのだから、ベルギーサイドは敗訴する――だれが考えても勝てない裁判をなぜ、ベルギー側は起こすのか――となろう。

ところがどっこい、である、佐野がたびたびにわたって盗作を繰り返していた事実があり、そのうえで佐野が劇場のデザインを知る立場にあったことが立証されれば、裁判所が佐野を「クロと判断する」可能性があるという。この2つは簡単に立証できる。前者については、有り余るほどの事例がある。後者については、佐野が、画像SNSであるピンタレスト等のネット画像をしばしば検索していたことは知られている。つまり、佐野には、ベルギーの裁判所でデザイン盗用の判決が下りる可能性が十二分にあるということだ。換言すれば、ベルギー側にとっては、勝つ見込みのない裁判ではなく、勝てる可能性が十二分にある裁判闘争というわけだ。

日本の五輪組織委員会は責任問題をうやむやにしようと図っているが、世界を舞台にすると日本的幕引きは通用しないのかもしれない。

筆者は、裁判の結果が判明する前に、武藤敏郎事務総長、永井一正五輪公式エンブレム審査委員代表、そして佐野研一郎の三者が、盗作を認めベルギー側に謝罪することが望ましいと考える。

『戦後史の正体 1945-2012』

●孫崎亨〔著〕 ●創元社 ●1500円+税


誠に示唆多き書である。著者(孫崎亨)及び矢部宏治(『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』等の著者)らの仕事はもっと評価されるべきであり、彼らの立論について、活発に議論されるべきだと思う。しかるに、彼らの仕事がマスメディア及び歴史学会等から遠ざけられるのは、彼らの立論のなかにこそ、わが国の戦後史の真実が隠されているからだと考えた方がいい。そのことは本書を一読すれば、万人が納得するところだろう。

また、日本国憲法を無視し、国民の反対を顧みず、なぜ安部内閣が安保法制(集団的自衛権の行使容認等)を強硬に推し進めようとするのか、その解は本書にあるようにも思われる。この状況のいま(2015.09)こそ、一読の機会だと思い本書を取り上げた次第である。

わが国の戦後史は米国に対する「自主路線」と「追随路線」のせめぎあい

本書の主意は、著者(孫崎亨)の以下の言説に尽くされている――“この本では、米国に対する「自主路線」と「追随路線」のせめぎあいという観点から、日本の戦後史をふり返っています”(P182)。

さて、この書きぶりに違和を覚える人は少なくないかもしれない。日本はサンフランシスコ講和条約締結により米国の占領支配から独立し、平和憲法の下、民主的選挙で選ばれた多数議員を擁する政党が政権を担当してきた。米国との協調はあっても、国民の選択の結果として、米国との関係を築いてきたではないか――と。

確かに日本の指導者である総理大臣は、選挙で多数を占めた政党の党首であり、対米関係といえども、日本国民の選択(投票)の結果のように思える。しかし、その総理大臣及び日本外交のキーマンが、米国の対日政策の都合により首をすげかえられていたとしたら、どうなのだろうか。本書は日本の戦後史の総理大臣等の交代に無視できない規則性があることを明らかにする。その規則性とは何かといえば、前出の「自主路線」と「追随路線」に対応する関係性にほかならない。

著者(孫崎亨)は本書終章(「おわりに」P367-368)において、戦後の日本の首相等について、次のような分類を示している。

(1)自主派(積極的に現状を変えようとし米国に働きかけた人たち)
  • 重光葵(降伏直後の軍事植民地政策を阻止。のちに米軍完全撤退案を米国に示す)
  • 石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)
  • 芦田均(外相時代、米国に対し米軍の「有事駐留」案を示す)
  • 岸信介(従属色の強い旧安保条約を改定。さらに米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しを行おうと試みる)
  • 鳩山一郎(対米自主路線をとなえ、米国が敵視するソ連との国交回復を実現)
  • 佐藤栄作(ベトナム戦争で沖縄の米軍基地の価値が高まるなか、沖縄返還を実現)
  • 田中角栄(米国の強い反対を押し切って、日中国交回復を実現)
  • 福田赳夫(ASEAN外交を推進するなど、米国一辺倒でない外交を展開)
  • 宮沢喜一(基本的には対米協調。しかしクリントン大統領に対しては対等以上の態度で交渉)
  • 細川護熙(「樋口レポート」の作成を指示。「日米同盟」よりも「多角的安全保障」を重視)
  • 鳩山由紀夫(「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱)
(2)対米追随派
  • 吉田茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)
  • 池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印し、経済に特化)
  • 三木武夫(米国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、特別な行動をとる)
  • 中曽根康弘(安全保障面では「日本は不沈空母になる」発言、経済面ではプラザ合意で円高基調の土台をつくる)
  • 小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣、経済では郵政民営化など制度の米国化推進)
  • 他、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田佳彦
(3)一部抵抗派
  • 鈴木善幸(米国からの防衛費増額要請を拒否。米国との軍事協力は行わないと明言)
  • 竹下登(金融面では協力。その一方、安全保障面では米国が世界規模で自衛隊が協力するよう要請してきたことに抵抗)
  • 橋本龍太郎(長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求。「米国債を大幅に売りたい」発言)
  • 福田康夫(アフガンへの陸上自衛隊の大規模派遣要求を拒否。破綻寸前の米金融会社への巨額融資に消極姿勢)

自主派、一部抵抗派の政治家は「政治とカネ」で東京地検特捜部の手で葬られる

この分類から多くの人が気付くことは、自主派及び一部抵抗派の政治家の失脚理由が「政治とカネ」にまつわるスキャンダルで失脚するという規則性であろう。彼らは東京地検特捜部の追及を受け、起訴、不起訴、有罪、無罪の違いはあるが、結果的には政治生命を失っている。

  • 在日米軍の「有事駐留」を主張した芦田均首相――「昭和電工事件」
  • 米国に先がけて中国との国交を回復した田中角栄首相――「ロッキード事件」
  • 自衛隊の軍事協力について米側と路線対立した竹下登首相――「リクルート事件」
  • 金融政策などで独自路線、中国に接近した橋本龍太郎首相――「日歯連事件」
  • 自主路線を強調した細川護熙首相――「佐川急便事件」
  • 鳩山由紀夫首相の時代、在日米軍は第七艦隊だけでよい発言し中国に接近した小沢一郎民主党幹事長――西松建設事件、「陸山会事件」
  • 普天間基地移転で県外を主張した鳩山由紀夫首相――実母からの資金提供に係る脱税疑惑等
  • 原発再稼働に消極的だった小渕優子経産相――政治資金規正法違反

なお、芦田は裁判で無罪、小沢は検察不起訴、強制起訴後、裁判で無罪だった。これらのスキャンダルに共通するのは、検察がマスメディアにリークし大騒ぎになり、政治家が世論に追い詰められた形で政治生命を絶たれるケースだ。またその逆のケースとしは田中角栄の場合で、雑誌がスキャンダルを報じてから検察が動き、起訴・有罪にもっていかれている。

東京地検特捜部のルーツはGHQの下僕、「隠匿蔵物資事件捜査部」

その検察であるが、本書によると、“検察は米国と密接な関係を持っていて、とりわけ特捜部はGHQの管理下でスタートした「隠匿蔵物資事件捜査部」を前身とし…その任務は、敗戦直後に旧日本軍関係者が隠した「お宝」をGHQに差しだすことだった”(P80)という。なんのことはない、検察特捜部とは、敗者(日本軍)を裏切り、戦勝国(米国)に忠誠を誓って戦勝国の言いなりに忠実に仕事をこなしてきた、進駐軍の下僕だった。

東京地検特捜部と米国との深い繋がり

東京地検特捜部と米国とのつながりを示す事例として、本書は(検察の)布施健という人物を紹介している。
彼(布施健)は戦前、ゾルゲ事件の担当検事として有名でした。私(孫崎亨)はこの事件が1941年9月に発覚し、対米戦争の回避を模索していた近衛内閣が崩壊する一因となった裏には、米国の工作があったと考えています。ゾルゲと親交のあった尾崎秀実は上海でアグネス・スメドレーと親交を結びますが、このスメドレーは1941年に米国国内で、対日戦争の呼びかけを行っていました。
いずれにせよ、G2〔注〕のウィロビーはゾルゲ事件の報告書をまとめて陸軍省に送っていますから、ウィロビーと布施には密接な関係があります。さらに布施は、一部の歴史家が米軍の関与を示唆する下山事件(国鉄総裁轢死事件)の主任検事でもあります。そして田中角栄前首相が逮捕されたロッキード事件のときは検事総長でした。ゾルゲ事件といい、下山事件といい、ロッキード事件といい、いずれも闇の世界での米国の関与がささやかれている事件です。そのすべてに布施健は関わっています。
他にも東京地検特捜部のエリートのなかには、米国とのかかわりが深い人物がいます。
ロッキード事件で米国の嘱託尋問を担当した堀田力氏は、在米日本大使館で一等書記官として勤務していました。
また、元民主党代表の小沢一郎氏とその秘書たちを対象にした「小沢事件(当初、西松建設事件、のちに陸山会事件)を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も、在米日本大使館に一等書記官として勤務しています。(P85)

地検特捜部に同調するマスメディアの動き

検察特捜部とシンクロして、自主路線派政治家の失脚に手を貸してきたのがマスメディア。敗戦直後は新聞、近年はテレビの影響が大きいが、メディア・パートナー・シップ制度が堅持されている日本では、メディア総体の大本である新聞社を見ておけば事足りる。

(1)芦田首相失脚の火をつけた読売・朝日
1948年2月、退陣を表明した片山首相は、後継に芦田を指名しました。しかしそれを吉田派が「政権のたらいまわしだ」と非難し、歩調をあわせるように読売新聞、朝日新聞が芦田首相の誕生に激しく反対します。(略)・・・こうした波乱のなか、1948年3月10日に成立した芦田内閣は、わずか3カ月後に大スキャンダルにまきこまれます。昭和電工事件です。(略)実はこの事件には、GHQが深く関与していました。ウィロビーは次のように書いています。「これ〔昭電事件〕を摘発したのは、主として他ならぬG2であった。被告日野原の陳述によれば、金品の贈賄は日本の政界ばかりでなく、占領軍にも及んでおり、GS(民生局)〔注〕が主な対象だった」(『知られざる日本占領』)
民生局(GS)と参謀第2部(G2)は対立していました。これはマッカーサー自身が認めています。G2のウィロビーと吉田茂がきわめて近いことはすでにみてきたとおりです。
昭電事件とは、「G2(参謀第2部)-吉田茂―読売新聞・朝日新聞」対「GS(民生局)-芦田均-リベラル勢力」という戦いだったのです。(P77-78)
(2)原発推進に暗躍した読売新聞(正力松太郎社主、柴田秀利GHQ担当記者)

そればかりではない。本書では、日本の原発について、1950年代、被爆国日本の原子力発電所建設推進を図ったのは米国の意向を反映したもので、その推進役の一人が読売新聞社主である正力松太郎であったこと、及び、正力の懐刀として尽力したのが、柴田秀利という読売新聞のGHQ担当記者であったこと――を明らかにしている。正力は戦後、CIAのコードネームをもち、米国のために働き続けた人物であることが近年明らかになっている。また、著者(孫崎亨)は、柴田及び彼の不審死について次のように書いている。
柴田氏は、1985年11月、自叙伝を出版しました。占領下から約40年間、米国との密接な関係を活かして、日本の政財界とさまざまな交流をもった人物でした。彼は自叙伝出版の翌年、10月にゴルフに招待されているといって米国に出かけ、11月にフロリダでゴルフ中に死んでいます。(P177)

60年安保闘争における新聞の不可解な変節

1960年、日本の世論を二分した「安保反対運動」が起こった。そのときの大新聞の不審な動きについて、著者(孫崎亨)がユニークな指摘をしている。60年安保条約改定の是非及び反対運動を担った日本の左翼陣営の動向等についてはここでは触れない。当時、安保条約改定に反対する運動として、100万人を超える国民がデモに参加し世の中は騒然としたが、条約は自動延長され、岸政権は崩壊した――という事実が残っている。さて、その裏側は?

(1)岸信介は自主路線派だった?

その前に、やや横道にそれるようだが、本書では岸信介について、かなり複雑な分析を試みている。著者(孫崎亨)の「岸信介論」を簡単にみておこう。

岸信介はいま現在の日本の首相、安倍晋三の祖父。安部の言動は、当然祖父・岸と比較されることが多い。岸の一般的評価といえば、戦前は満洲国で暗躍、開戦時の大臣であり戦時中の物資動員の責任者、戦後(1945年5月)、A級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨プリズンに拘置・・・拘置所内で極刑を覚悟していた岸だったが、冷戦の激化とともに公職復帰し、CIAから多額の資金援助を受け日本の政界に復帰を果たす。「政界の妖怪」ともいわれ、その波乱万丈の人生とともに謎の多い人物である――といったところか。

岸は前出のとおり米国(CIA)の支援を受けて首相の座に上り詰める。1957年に渡米し、当時米国大統領だったアイゼンハウアーの信任を受け、同年、安保条約の改定に取り組む。岸は同条約の改定、在日米軍の大幅撤退と併せて、不平等条約ともいえる日米行政協定(今日、日米地位協定として存続)を二段階に分けて改定を試みる「二段階論」の方針を明らかにした。ところが、である。
…池田勇人(国務大臣、副首相級)、河野一郎(総務会長)、三木武夫(経済企画庁長官)という実力者たちが、そろって「同時大幅改訂」を主張したのでした。「同時大幅改訂」は、現実問題としては実現不可能な話でした。
では、なぜ池田勇人、河野一郎、三木武夫は「同時大幅改訂」を主張したのでしょうか。池田勇人は岸首相のあと、首相になっています。その後、彼は行政協定(新安保条約の締結以後は「地位協定」)を改定する動きをしたでしょうか。まったくしていません。したがって池田勇人が「同時大幅改訂」をのべたのは、難題をふっかけ、岸政権つぶしを意図していたからだと見ることができます。(P198)
その一方、反安保闘争は学生運動を中心に国民的運動に発展する。6月15日には女子学生が警官隊との衝突で死亡する事件が起きた。その学生運動に資金援助をしたのが財界であり、CIAだったともいう。“岸政権つぶし”と“学生運動の激化”の関係について、著者(孫崎亨)は以下のように推論する。
  1. 岸首相の自主独立路線に危惧を持った米軍及びCIA関係者が、工作を行って岸政権を倒そうとした
  2. ところが岸の党内基盤および官界の掌握力は強く、政権内部から切り崩すという通常の手段が通じなかった
  3. そこで経済同友会などから資金提供をして、独裁国に対してよくもちいられる反政府デモの手法を使うことになった
  4. ところが6月15日のデモで女子東大生が死亡し、安保闘争が爆発的に盛り上がったため、岸首相の退陣の見通しが立ったこともあり、翌16日からデモを抑えこむ方向で動いた
  ということだと思います。(P206)

(2)安保反対→「岸打倒」→「暴力を排し、議会主義を守れ」(7社共同宣言)

安保闘争をめぐるマスメディアの動きは、先述した米国従属派の流れとぴったりシンクロする。新聞のとった基本的立場(社説)は、闘争が盛り上がるにつれ、安保条約反対の立場を後退させ、デモに対して批判的立場を貫くようになる。と同時に岸内閣退陣を求めるようになっていく。そして安保闘争のピークである6月17日に、きわめて異例な「7社共同宣言」が出される。この宣言は東京に本拠をもつ新聞7紙(朝日、読売、毎日、産経、東京、東京タイムズ、日本経済)が、「暴力を排し議会主義を守れ」という表題のもと、急進的学生運動、市民運動を批判する内容であった。当時、大新聞に対する幻想はいまよりずっと強く、新聞は市民の見方だという認識が強かった。その新聞がデモを批判したのだから、反安保の運動は沈静化に向かわざるを得なかった。「7社共同宣言」について著者(孫崎亨)は次のように書いている。
朝日新聞の論説主幹、笠信太朗がこの宣言を書いた中心人物です。笠信太朗はつぎのような経歴の持ち主です。 
①朝日新聞ヨーロッパ特派員としてドイツにわたる。1943年10月スイスへ移動、ベルンに滞在し、その地に滞在していたアメリカの情報機関のOSS(アメリカ戦略情報局、CIAの前身)の欧州総局長だったアレン・ダレス(安保闘争時のCIA長官で、ダレス国務長官の弟)と協力して、対米終戦工作を行う
②戦後は1948年2月に帰国。同年5月論説委員、同年12月東京本社論説主幹
米国が冷戦後、日本を「共産主義に対する防波堤」にしようというときに、東京にもどり、その年から1962年まで14年間、朝日新聞の論説主幹をつとめています。帰国当時は占領下で検閲もあります。米国との関係が密接でなければ、こうしたポストにはつけません。事実、CIA長官アレン・ダレスの伝記を書いた有馬哲夫・早稲田大学教授は、①のベルンで展開された対米終戦工作で日本人とアレン・ダレスのあいだで築かれたチャネルは、「のちにアレンがCIA副長官、次いで長官になったときに大きな役割をはたした」と書いています。(『アレン・ダレス』講談社)
シャラーの『日米関係とは何だったのか』も見てみましょう。
「マッカーサー駐日大使は日本の新聞の主筆たちに対し、大統領の訪日に対する妨害は共産主義にとっての勝利であると見なすと警告した」
「(CIAは)友好的な、あるいはCIAの支配下にある報道機関に、安保反対者を批判させ、アメリカとの結び付きの重要性を強調させた」
「三大新聞では政治報道陣の異動により、池田や安全保障条約に対する批判が姿を消した。7月4日の毎日新聞は『アメリカの援助が日本経済を支える』という見出しで、『日本の奇跡的な戦後の復興を可能にした巨大なアメリカの援助を忘れない』とのべた」
これを見れば、朝日の笠信太朗など、各新聞の主筆や論説主幹たちが、マッカーサー駐日大使やCIAの意向をうけ、途中から安保反対者を批判する側にまわったと見てよいと思います。(P209-210)
ここまでくれば、マスメディア(大新聞)の正体は明らかであり、彼らが米国の対日工作の主要な手段(世論誘導、政治家失脚)であることにだれも異論はないだろう。朝日も読売も変わりがないのである。

米国の対日政策は、米国の国益に資することで不変

では米国の対日政策とは何なのかということになる。その具体的内容は時代時代で変わっているものの、一貫しているのは、“米国の国益に資する”という一語で完結できる。米国の日本に対する姿勢とは、米国の国益にかなうよう日本をコントロールするということ以外はない。その詳細は本書に詳しいが、大雑把に整理しておこう。

太平洋戦争に勝った米国が最初に取った日本政策は、無条件降伏した日本の完全なる武装解除であり、以降の占領軍(アメリカ人)の安全確保だった。この目的は、天皇による日本国民に対する「戦争終結宣言(8.15「玉音放送」)」をもって、ほぼ完璧に全うされた。日本の無条件降伏以降、今日に至るまで、日本国民による米軍に対する武装反乱、ゲリラ戦等は確認されていない。

次のステップ(1945-1947)は、戦争犯罪人の処罰、日本の生産拠点の破壊、反軍国主義及び民主主義の移入であり、それを象徴するのが、第9条を挿入した日本国憲法の強要である。米国は、日本が米国に対抗する勢力になることをけして望んでいない。日本の軍事及び経済等の分野において、米国の脅威になるような日本の「自主性」を米国は一貫して望んでいない。そのことが、戦後から今日まで継続する、米国の日本に対する基本スタンスだ。

しかし、冷戦の激化(1947-)から、米国は日本を共産主義の脅威に対する防波堤として位置付ける。戦争犯罪者の公職復帰、日本の再軍備化、米軍による日本国内基地(沖縄、本土を問わず)の永年使用がこの時期に定められ、今日まで継続している。米軍(米兵及びその家族)は日米行政協定(後に地位協定に改名)により、治外法権化されている。

1950年には、原子力の平和利用が前出の正力松太郎及び中曽根康弘によって推進される。原発の受け入れも、原発開発者であり輸出国である米国の国益だとみなしていい。

日本国内における米軍駐留の永年化と関連するのが、米国(から見た西太平洋)の安全保障の基本的認識だ。冷戦期、日本は共産主義(ソ連、中国、北朝鮮)の脅威に対する防波堤であったが、冷戦終結後は、「対中国」「対テロとの戦い」へと目的が変わってきた。しかし、日本に米軍が常駐し、国内の基地を米軍が米国の目的のために自由に使用している状況は冷戦期となんら変わらない。近年、米国は中国と緊密な外交関係を築いているが、米国にとって脅威なのは、日本が米国の意図に反して中国と必要以上に接近することだ。つまりアメリカにとっての西太平洋で中・日が連合して米国に対抗する勢力となることを米国はもっとも恐れている。

米国の国益確保のため、日本における基地問題、原発問題、対中国問題において米国の意に反する政治姿勢を示した日本の政治家は、米国の意を受けた日本の検察及びマスメディアによって、葬られる。加えて、経済分野では、日本による、「米国債売却」についても、米国は神経をとがらせている。

安保法制と米国

今日(2015)、日本人の最重要課題の一つが安保法制問題であり、関連する基地問題(普天間基地辺野古移転問題)、加えて、原発問題であり、それらに対する反対運動が日本各所で展開されている。

一般には、安保法制を仕掛けた張本人は安倍晋三だと思われているが、筆者は、それが安倍晋三の政治信条の帰結だとは考えない。安倍晋三にとって、同法案の内容は、不満の残るものだと推測する。安保法制は米国の要請に安倍晋三がやむなく応じたものであろう。もし、安倍がそれに応じなければ、安倍晋三は首相でいられない。

安倍晋三の理想とする「日本国」の姿とは、アジア太平洋戦争敗戦前の「日本帝国」だろう。彼の理想は、敗戦後、日本がやむなく受容した平和憲法を廃棄し自主憲法を制定すること、そして、米軍の指揮のもとにある自衛隊ではなく、「安部の軍隊」として、安部が自由に使える軍隊の創設を夢想しているに違いない。しかし、米国(軍)は自主性ある日本(軍)の存在を望まない。

これまで米国は、日本国内に米軍基地を永年存続させ、費用負担を日本に求めることで満足していた。それは日本の軍事的突出を警戒するところから、やや片務的関係をよしとしていたからだろう。だがここにきて、米国が軍事おける人的、財政的負担に耐え切れなくなり、片務的関係の清算に乗り出したということだ。それが、9条を変えない集団的自衛権の行使容認という、超法規的安保法案にほかならない。それは、まともな憲法学者が「イエス」と容認できるような内容ではない。

米国の対日工作構造

本書は、戦後の米国による対日工作の実態について、政治家、外交官と少数のジャーナリストをクローズアアップしたものだ。もちろん、それ以外の分野――行政、司法、学界、法曹界、メディア業界、文化・芸術・サブカルチャー等――においても対日工作があった(ある)と想像するに難くない。むしろ、日本の権力機構の各所に米国の意向を組むシステムがビルトインされていると考えた方が自然だ。

そのような前提に立った時、今日の安部に対する個人攻撃、及び、安部批判は危うい側面がある。安部が極右的自主性という本領を発揮すれば、米国により、総理大臣の座から引きずり降ろされる。安部もまた、ぎりぎりのところに位置しているのである。

〔注〕
参謀第2部(G2)
GHQの情報(インテリジェンス)担当部局。三鷹事件や下山事件など、占領中に続発した怪事件に関与したともいわれる。反共姿勢をとる吉田茂を支持、リベラル派の多かった民生局(GS)との路線闘争に勝利した。

民生局(GS)
「非軍事化」と「民主化」を中心とする日本の戦後改革を推進。社会主義的思想の持ち主が多く、統制経済や労働組合の育成などの社会実験を行ったが、冷戦の始まりとともに占領政策においても反共路線が優勢となり、1948年以降、急速に力を失った。

2015年9月1日火曜日

9月の猫

暑い夏が急激に幕を下ろし、秋の気配が濃厚になってしまった。

さはさりながら、ここのところ、ぐずついた天候が続いていて、すっきりとした秋晴れは拝めない。

さて、月例の猫の体重測定。

Zazieが4.6kg(前月比+300g)、

NICOが6.6kg(同+100g)。

二匹とも増加傾向。

おいしい餌らしく、よく食べる。ちょっと肥満が心配。

気温が下がると胸の上で寝るようになるザジ

マイペースのニコ


2015年8月21日金曜日

汚れたエンブレム

東京オリンピック・エンブレムに係る盗作疑惑については、これをデザインした佐野研二郎に相次いで盗作疑惑が噴出したため、「佐野クロ説」が有力視しされてきた。管見の限りだが、日本人弁護士の数人が、佐野の著作権侵害を断言している。

佐野を追い込んだのはマスメディアではなくネットだった

本件は、▽その火付け役がネットユーザーであったこと(マスメディアは当初、オリンピック主管当局及び広告代理店に配慮して疑惑報道を控えた)、▽当事者(佐野)が、この期に及んでもシラを切り続けていること――の2点において、あの「STAP細胞」問題に酷似している。

佐野を厳しく追い込んだのは、マスメディアではなく、ネットユーザーだった。彼らが佐野の複数の過去作品における盗作を実証した。「STAP細胞」においても、小保方の不正を発見し、関連する情報を集約し、疑惑を追及したのはネットユーザーだった。

佐野の盗作「実績」は、いまのところ、①サントリーのキャンペーンのトートバッグにおける複数のデザインの盗作、②ローリングストーンズの公式Tシャツの盗作(ピレリ・ラグレーンのアルバムのジャケット裏の写真を反転)、③東山動植物園のシンボルマークの盗作(コスタリカ国立博物館のそれと酷似)――の3件が固いところだが、ほかにも何件か盗作を窺わせるような作品がある。

盗作をクライアントに納品した広告代理店の責任

佐野が盗作に及んだ情報ソースとして、写真共有SNSのピンタレストが浮上している。つまり、佐野はピンタレストに投稿された世界中のデザインソースをそのままコピーペーストするかあるいはアレンジして、自分のデザインとして広告代理店に納品し、代理店はクライアントからその代金を収納し、代理店手数料をピンはねしたうえで佐野にデザイン料を支払っていたことになる。浅学な筆者は佐野が高名なデザイナーであることを騒動が始まって初めて知ったのだが、それにしてもあくどい商法だ。佐野及び佐野を起用した大手広告代理店は詐欺にも等しい行為を働いていた。高名なデザイナーと大手広告代理店が共謀して高いデザイン料金を大企業からせしめていた。

マスメディアに散見される佐野への援護射撃

さて、この件に関する議論については混乱もある。佐野の盗作疑惑を和らげようとする間接的援護射撃だ。

(一)「デザインが悪い」説

代表的なものが、「佐野のデザインが凡庸でつまらない」という「デザインが悪い説」。この見解はマスメディアでは主流になっている。その特徴は言うまでもなく、佐野の盗作については追及せず、「デザインが悪いから引っ込めろ」と、佐野のデザイン能力及びこれを採用した組織委に対して強硬姿勢を見せる。一見すると筋が通っているかのようだが、盗作については触れない。つまり、盗作容認を代表する見解だ。

(二)偶然説

二番目は「偶然説」。“デザインというのは、デザイナーがこれまで見てきたものが頭に入っていて、それが盗作を意図しなくても自然に出てしまうことがある”だから本件も“著作権侵害に当たらない”という見解。もしくは、“単純な、たとえばアルファベット2文字程度の組合せならば、類似のものが出てきて当然”という見解。これらに共通すのは、“真似する意図がなかった場合、類似のものが出てきても真似された側は文句を言えない”という論理になる。つまり、盗作(と自ら言わない限り)すべてOKの暴論だ。

この暴論が通るならば、著作権保護は無意味化される。真似する意図がなかったと強弁すれば、模倣、二番煎じ、三番煎じ・・・がすべて許されることになる。もちろん偶然の一致がないことはない。人間のデザイン感覚は既存のあらゆる情報に規定されているから、その結果として、類似、近似のデザインが作成されることを否定しない。その場合どう処理したらいいのかと言えば、先のものを優先すべきなのだ。つまり、既にあるものに優先権が与えられるということ。本件の場合は、佐野が偶然ベルギーの劇場に近似したデザインを起こしたと仮定するならば、後発の佐野は、ベルギーのデザインの存在を知ったところで、自作を取下げればよかった。ただそれだけの話だ。

ところが佐野はこともあろうに類似を否定し、似ていないし、デザインに係るロジカル、哲学、発想が異なると強弁した。この問題をこじらせた発端だ。

デザインは外形(形、色)であって、その創作過程や考え方が云々されるものではない。たとえば、ある者が、Aを(先が尖っているから)上昇を示す形象とイメージした――と主張したとしよう。また別の者は、Aをものごとの始まり(アルファベットの最初の文字だから)をイメージしたと主張したとしよう。両者のAに関する考え方は全く異なるが、もちろん結果は同じでAはAだ。両者の考え方や発想は異なっていても、結果としてのデザインは同一なのだ。本件の場合は、ベルギーの劇場のシンボルマークがA、佐野の東京オリンピック・エンブレムはĀ程度。これを盗作と言う。盗作と言われないためには、佐野は後発として先人をリスペクトし、自己の作品にとどめ、公的に使用することを控えればよかった。それをしなかったのは、佐野が盗作したからだ。オリンピック組織委員、IOCという権威を利用して、ベルギー側を力でねじ伏せようと図った疑いがもたれる。

(三)佐野の「人格者説」

三番目の見解は、“佐野さんは盗作するようなデザイナーではない”というもの。佐野に盗作の事実が次々と発覚するに及んでまったく、通用しなくなったが、当初はこの説がまことしやかに囁かれた。この見解の是非については、論ずるまでもないので割愛する。

(四)審査委員責任論

四番目は、“コンペで佐野のデザインを採用した審査委員が悪い”という「審査委員責任論」。前出の(一)に近い。このたびの疑惑問題を発端にして、佐野と審査委員諸氏の相関図が作成された。それによると、審査委員と参加デザイナーがもちまわりでデザイン賞を獲得している実態が暴露された。オリンピック・エンブレムのコンペにもその構造が貫かれているという。いわば、日本のデザイン業界の癒着構造があからさまに暴露されたのである。

確かにそのとおりで、このたびの盗作疑惑には、選んだ側に咎が及ばないというわけにはいかない。盗作も問題だが、デザイン業界内部の閉じられた関係、すなわち仲間内の誉め合いについては、大いなる議論を必要とする。そこにはデザイン界における重鎮の権威化があり、有力とされるデザイナーの創作力の劣化があり、PCを駆使したコピペ問題がある。業界的には、大手広告代理店~有力デザイナーの系列化が進み、デザイナーの権威性、名前で商売を円滑に進めようとする広告代理店の営業姿勢(魂胆)が見え隠れする。



佐野の盗作疑惑に問題を絞りこめ

ただし、「審査委員責任論」は筆者からみれば、盗作問題の副次的効果、副次的産物のように思える。たとえて言うならば、本丸落城を目の前にしながら、まわりの雑魚を追い回すようなもの。雑魚にかまけて、追い詰めた大将を逃しかねない。つまり、本丸である佐野を落とせば、デザイン業界の腐敗(構造)も寄生虫も一掃できる。問題を佐野の盗作疑惑に絞り込み、引き続き、佐野が働いた盗作のサンプルを示し、かつ、佐野のまわり(職場=事務所)が盗作を常套的に行う環境であったことを示し、併せて、佐野がベルギーの劇場のシンボルマークを知り得る環境にあったことを示すことで、佐野の盗作=著作権侵害を実証する方向性が肝要だ。その方向性と事実の積み重ねが、佐野のオリンピック・エンブレムの盗作に係る状況証拠となり得る。それこそが、佐野の盗作を断罪する正義の遂行となる。

ベルギーの裁判所がどのような判断を示すかわからない。佐野に盗作の意図があったと、裁判所は判断しないかもしれない。だが、佐野の著作権侵害を裁判所が認めなかったとしても、ネットユーザーがこれまで行ってきた疑惑解明のための努力は無駄ではない。

2015年8月11日火曜日

東京五輪公式エンブレム盗作の根拠

2020年東京五輪の公式エンブレムが、ベルギーの劇場のロゴの盗作であると、ベルギーのデザイナーから抗議が出された。JOC、大会組織委員会などは「問題ない」との見解を示したものの、劇場ロゴのデザイナー側は使用停止を求め、強硬な姿勢を取っている。このことを受け、制作者のアートディレクター、佐野研二郎(43)は、会見を開き、盗作を否定した。

佐野の会見のポイントは以下のとおり。

  • 東京の「T」を模した五輪エンブレムの図案を作るにあたり、「ディド」と「ボドニ」と呼ばれるフォント(書体)を参考にしたこと。
  • 「力強さと繊細さが両立している書体で、このニュアンスを生かせないかと発想が始まった」とし、これに1964年東京大会のエンブレムをイメージさせる大きな円を組み合わせたのが、今回のデザインだとしたこと。
  • ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。
  • 「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説したこと。
  • エンブレムを構成する丸や四角などの図形を組み合わせると、AからZまでのアルファベットや数字が表現できることを公表し、五輪関連グッズなどへの応用性の高さをアピールし、海外作品については全く知らないとしたこと。
  • 「制作時に参考にしたことはありません」と断言したこと。

佐野の説明は説明になっていない。デザインのオリジナル性は、創作過程、創作方法、創作意図、デザイナーの哲学、精神性の説明で証明されるものではない。あくまでも、図案、図式等の最終形態(=作品)が似ているか似ていないか、見る者に誤認を与えるか与えないか――に尽きる。

商業デザインの場合、商標権登録により、先にデザインした側の権利が保護される。今回の場合、ベルギー側が商標権登録を行っていないようなので、商標権侵害の争いではなく、著作権の争いになる。著作権は、作品のオリジナル性の保護であるが、商標権登録という照合すべき客観的基準がないため、“シロ・クロ”の判定が難しい。著作権侵害を訴える側が、侵害したとする相手に盗用の事実性があったことを証明しなければならないからだ。今回の場合だと、佐野がベルギーのデザインを盗んだ事実性を証明する証拠を、ベルギー側が提出しなければならない。

本件の場合は、佐野に盗用の意図があったことは、容易に証明できる。その根拠の一つは、佐野自身が先の会見において、“ベルギーの劇場のロゴについては「TとLの組み合わせだと思う」とした上で、「こちらはTと円で、デザインに対する考え方が違う」と強調したこと。さらに決定的なのは、「アルファベットを主軸にすると、どうしても類似するものは出てくるが、テーマが違う」と力説した”ことに求められる。

佐野の発言は、結果として類似する可能性を予期しながら、テーマがちがえば類似は許される――という認識をもっていることを自ら認めたことになる。換言すれば、佐野は酷似する可能性を承知しながら、テーマ性の差異をもって著作権侵害を免れるという認識をもっていたことを図らずも吐露したわけである。

第二点目は、盗作したとされる側に、過去、他作品をしばしば盗作していた事実が認められるか否かに求められる。それが証明できれば、今回も盗作したと見做される可能性が高くなる。本件の場合、佐野がしばしば盗作をしていた事実はネット上の資料で確認できる。これだけでも、佐野が東京オリンピック・エンブレムを盗作したと見做されるのではないか。




この係争の結果について、弁護士・裁判官でもない筆者が断言できるはずもないが、作品が似てしまった以上、後発の者は先人をリスペクトすべきである。佐野に盗作の意志がよしんばなかったとしても、先人の創造性を尊重して、後発の自作を引っ込めることが筋である。そうでなければ、常套的に日本の意匠をパクる某国を日本が非難することができなくなる。日本もパクるじゃないかと――

なによりも、似ているものを似ていないと強弁する佐野の姿勢が筆者には理解できない。考え方が違えば、類似・模倣作品が横行してもいいのか。デザインは外見で情報・事物等を弁別することが第一の機能であり使命なのではないのか。そんなことは、デザイン創作のイロハのイ、当たり前ではないのか。創作においては、なによりもオリジナルが尊重されるべきではないのか。盗作を疑われるのは、なによりも、オリジナルが(先に)存在しているからではないのか。

会見において、「似ているものを似ていない」と強弁する佐野は、「ないものをある」と強弁し続けた、「STAP細胞」の小保方晴子の姿に、それこそ酷似しているではないか。

2015年8月10日月曜日

『奥浩平 青春の墓標』

●レッド・アーカイヴズ刊行会〔編集〕●社会評論社 ●2300円+税

本書第1部、『「青春の墓標」ある学生活動家の愛と死/奥浩平〔著〕』(以下、「遺稿集」と略記)については、筆者にとって再読に当たる。高校生のころ、2学年先に大学に入っていた兄の書棚にクロカン(黒田寛一)の著作物と並んでいた同書を手にした記憶がある。文芸春秋から1965年10月に刊行されたらしい。本書は、第2部に「奥浩平を読む」という時代考証的な内容を追加した構成になっている。

当時の若者に強い影響を与えた“青春の書”

高校時代の筆者は、遺稿集をほとんど理解していなかった。だが、奥浩平が都立高校生だったという筆者との共通点があり、親近感を感じたものだった。その一方で、高校時代から政治運動(60年安保闘争)に積極的に参加した奥浩平には違和感もあった。当時、筆者の高校にも、社研に巣食う反戦高協等の高校生活動家がいたが、筆者は毛嫌いしていた。

とは言え、読後から大学入学時まで、セイシュンノボヒョウ、オクコウヘイ、ナカハラモトコ、マルガクドウ、チュウカクハ、カクマルハ・・・といった固有名詞があたかも符牒のように記憶に留まり、内部で固化していったことを覚えている。そしてその反動のごとく、〈奥浩平〉と〈中原素子〉という一対の男女の存在だけはゆらゆらと幻想のように内部に漂い続けていた。

結局のところ、同書は、高校生だった筆者に、“大学に入ったらオクコウヘイのようになってもいいのかな”という漠然とした感覚を与えたことは確かである。換言すれば、大学に入ったら「学生活動家」になる――という漠然とした選択肢を植え付けたことになる。遺稿集は筆者を含めた奥浩平の死後の世代に対し、多大な影響を与えたことだけは間違いない。

再読後の感想――気恥ずかしさが第一に

再読し始めた時、不思議な感覚が筆者を捉えた。その第一は気恥ずかしさ。とっくの昔に廃棄したはずの自分の日記を読み返しているかのようないやな感覚である。

第二は驚き。遺稿集の中に初期マルクス(『経済学=哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』等)に係る論文やアジビラ等のボリュームが意外に多いこと。60年代、初期マルクスの再評価が世界中で起こったのだが、奥浩平はその時代にリアルタイムで立ち会いつつ、思想形成をしていたのだ。初読では、論文・アジビラについては、高校生で浅学の筆者の理解を超えていたため、読み飛ばしていたのだろう。

第三は、奥浩平と中原素子の関係が明確になったこと。初読のときの最大の疑問は、実際のところ中原素子は奥浩平のことをどう思っていたのかということだった。遺稿集はもちろん、奥浩平の一方的な(中原素子への)思いしか収録されていないし、管見の限りだが、刊行後に中原素子が奥浩平について発言していないはず。

奥は中原にとって、高校時代のただの友達

遺稿集に綴られた奥浩平の中原素子への思いだけを読む限りでは、高校時代から恋愛関係にあった2人であったが、奥浩平は横浜市大入学後革共同中核派に属し、中原素子は早稲田大学入学後、革マル派に属す。両派がイデオロギー的に対立し、暴力的に対峙するに及び、あたかも2人はロミオとジュリエットのごとく引き裂かれた、という悲恋物語が成立する余地はまだあったのである。つまり、奥浩平の自殺は、イデオロギー的対立により恋人との恋愛関係を清算せざるを得なくなり、苦悩の挙句自殺したのではないかと。

ところが、本書第2部「奥浩平を読む」に収録された、同時代人座談会「奧浩平の今」において、奥浩平と中原素子の2人をよく知る川口顕という人物が、奥と中原の関係について次のように証言している。
・・・『幻想の奥浩平』(川口顕別稿)で書いたけど、中原素子はまったく恋心も、恋愛感情も、そういう対象としてすら奥のことを見てなかったんですよ。単に青山高校の社研の仲間というそれだけの付き合いで、まあ手ぐらい握らせたことはあるかもしれないけど、恋人としての、キスをしたこともたぶん無いだろうし、ましてセックスは無いわけですね。恋人関係を成立させるものは彼女の方にまったくないですよ。(P367)
この証言を信じる限り、奥浩平にとっての中原素子はそれこそ幻想であり、2人の悲恋は、実際には成立していないことになる。遺稿集に頻繁に現れる〈中原素子〉という存在は、極論すれば奥浩平の創造であり想像のようなのだ。

奧浩平と中原素子の関係を邪推するなら以下のとおりである。二人は高校時代(~1962)、互いに好意を感じ合う友人関係にあった。卒業後、中原素子は早大一文に進学(1962)し、奥は浪人(同年)する。このころの男女は成熟度に差異があり、女性の方が早熟である場合が多い。

奥浩平より1年早く大学に入った中原素子は、文字通り「高校時代」を卒業し、新しい世界に足を踏み入れていった。進歩的な中原素子がマルクス主義学生同盟山本派(=革マル派)のシンパになるのは必然であるが、同盟員になるほどではなかった。そのころ、早大一文は革マル派の暴力的な一元的支配下にあったからである。ただし、高校卒業後1年目ということで、二人は高校時代の延長で交際を続けてもいた。

1963年4月~、中原素子に一年遅れて大学(横浜市大)に進学した奥浩平は学生運動家として活動を始め、マル学同中核派に加盟する。この年の7月、マル学同の決定的分裂を象徴する、「7.2早大事件」が起きる。それまでも対立を内包していたマル学同だったが、この日、早稲田大学構内において、マル学同全国委員会(中核派)・社学同・社青同解放派の三派とマル学同山本派(革マル派)との間で暴力的闘争を展開するに至る。この事件を契機に、二人の関係は急激に冷え始めたように遺稿集からはうかがえる。

しかし、中原素子が奥浩平を「拒絶」しはじめたのが、マル学同の分裂・対立というイデオロギー的契機に求められるのかというと、どうもそうではないらしい。大学2年生の中原には奥浩平の高校時代と変わらぬ子供じみた態度、思考回路、言動に不満を覚えた可能性がある。観念的には、すなわち、マルクス関連の読書量の増大化に応じて、難解な哲学的、革命的言語を獲得した奥浩平ではあったが、それだけで中原素子(女性)が奥浩平(男性)になびくとは限らない。中原素子は奥浩平の幼さに辟易し、男として見切ったのではないか。奥浩平は中原素子の変節を、「早大事件」を契機とした、中原素子が革マル派に入れあげた結果だと勘違いしたのではないか。

奧浩平――革命的ロマン主義者の系譜

奥浩平はなぜ自殺したのか。このことに本書は貴重なヒントを与えてくれる。奥浩平の自殺について、前掲の座談会の出席者で奥浩平の学生運動の同志だった斉藤政明が次のように述べている。
・・・奧浩平には死にたいということがずうーとあって・・・例えばの話ですけど、・・・原口統三の『二十歳のエチュード』だとか藤村操の『巌頭之感』に感じた死への思い、高校時代に読んで、そういう思いというのが奥君にもあったのかなあ、と。(P364)
奧浩平が『チボー家のジャック』『人知れず微笑まん』を愛読していたことも遺稿集から認められる。前者の小説の主人公、ジャック・チボーは、第一次世界大戦に反対するため、死を覚悟して飛行機に乗って反戦ビラを捲き、撃ち落とされる。この死に方は自死である。また、後者は、60年安保闘争において官憲により虐殺された樺美智子の遺稿集である。原口統三、藤村操、樺美智子、そしてフィックションではあるがジャック・チボー・・・彼らは「革命的ロマンチスト」の系列に属す。革命的というのは、マルクス主義者であることだけを意味しない。その列に奥浩平を加えることに筆者は違和を感じない。

奥の自殺と〈母〉の不在

最後に、筆者が「発見」した奥浩平の短い生涯を貫く最重要のテーマとして、「母の不在」の問題を挙げておく。この「発見」は筆者のオリジナルではなく、本書第2部に収録されている、『幻想の奥浩平(川口顕〔著〕)』で指摘されているもの。川口の「奥浩平論」は、奥を知るうえでかなり重要だと思われるので、相当の分量になるが書き抜いておく。
そのままで一冊の本になるようなノートが奥浩平の遺書であった。母や父にも、同志たちにも言い残した言葉はない。60年から65年までの苦悩と苦闘が凝縮したノート。それが遺書である。そう思って「遺稿集」の書き出しを見ると「大浦圭子(注1)の母への手紙」には次のような「決意」が書かれている。「圭子さんの自殺を正しいと考えた時、僕はもっと以前に死んでいるべきだと思いました。もっと以前に死ぬべきだったとのにこれまで生きてきたからには一刻も早く死ぬべきだと思いました」
(略)
奧浩平はそれから5年間生きた。そして、ノート=遺書のとおり自死を決行した。長い遺書の冒頭に、あたかも判決文のように「主文」があったのである。
しかし、「もっと以前に死ぬべきであった」とは何のことだろうか。最期の5年間を第二の人生とすれば、第一の人生に何があったのだろうか。ノートに書かれていない「もっと以前に」とは何であろう。饒舌な奥浩平がノートに書かなかったことがネガポジのように反転しながら、背後にある「死ぬべき」理由をさし示しているように、私には思えた。
(略)
奥のノート・・・は遺書であると同時に、「報告書」、「最良の息子」として生き抜いたレポートではないかと感じた。では、誰に読んでもらうために?
その答えは紳平氏(注2)の「まえがきにかえて」「あとがき」にある、と私は思った。
母との9歳からの別離、11年をへて家族の和解と合流の時をむかえて、浩平は母の郷里を訪ねた。東京から帰ってきての浩平は「ほとんど反応らしきものを見せようとせず……内心の衝撃を表さなかった」「よほどつらい気持ちを抱いたからだろう」。
私はここに二度目の決定的な、回復不能な「失恋」が隠されていると思う。しかし、母への思慕の情を募らせながら、「遺書」は恨みを残していない。「報告書」でありながら「どれだけ努力して美しくいきられるか」「どれだけ強くいきられるか」をやりきった浩平をみてください、やりきった浩平をほめてください、という悲歌が鳴り響いているように思うのだ。(P383~385)
川口顕の見立てについて、あれこれ付言する必要はなかろう。同時に巷間言われるように、中原素子が奧浩平にとって、不在の母の代替だったという仮説も成り立つかもしれない。いずれにしても、奧浩平の〈自死〉と〈母〉の不在とは、けして無関係なものでない。

(注1)大浦圭子:
1960年に自殺した目黒区立第六中学校の下級生。圭子は美術の特異な才能に恵まれた早熟な少女だったという。圭子の死後、奥浩平はクリスチャンであるその母親としばしば、対話及び文通をした。奥浩平は圭子の死を契機として、教会に通い始めたという。

(注2)紳平氏:

浩平の長兄(奥紳平)で遺稿集の企画・編集を行った。
浩平には父母、姉と紳平を含めて2人の兄がいた。戦時中、埼玉の山村に疎開。戦後東京に引上げたが、浩平の父母は別居。姉と次兄と共に母の実家(茨城県那珂湊市)にて暮らすも、父母の正式離婚により、兄2人とともに父に引取られ東京で暮らす。その後、母が戻り一家団欒の生活が再開されるも、短期間のうちに破綻。浩平は父と二人暮らしをすることになる。奥浩平の短い人生に、母親の不在、再会、不在という複雑な家庭環境が影響を及ぼした可能性は否定できない。

2015年8月1日土曜日

8月の猫

猛暑の7月を引き継いだまま8月に突入。

とにかく暑い、いや熱い。

猫たちは動きが鈍くなり、家の中で最も風通しの良さそうな場所を見つけては、寝そべっている。

冷房はあまりすきではないようで、冷房をしている部屋には居つくことがない。

さて、月初の体重測定について以下、記録しておく。


Zazie=4.3kg(前月比±0)

Nico=6.5kg(同+200g)

Nicoが体重を増やした。

2015年7月26日日曜日

『沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉』

●堤未果 ●集英社新書 ●740円+税


副題〈逃げ切れ!日本の医療〉が示すように、本書は『沈みゆく大国アメリカ』の姉妹(後)編に当たる。前編では、アメリカ版国民皆保険「オバマケア」の本質を暴きつつ、同国の強欲資本主義、暴力的コーポラティズムの実体をリポートした。「オバマケア」のまやかし・欠陥、そして同法案が作成されたメカニズムの分析を通じて、アメリカの医療崩壊の実態が示された戦慄の書であった。

“国民皆保険”と謳われた「オバマケア」だが、実は医薬品業界、保険業界、ウオール街の利潤追求の具であり、それを実現させるのが業界と政界を結ぶ「回転ドア」といわれる構造だ。そこでは業界の便を図る法律が、業界が政府に送り込んだ官僚(米国は日本の公務員制度とは異なり、多くの場合辣腕弁護士である。)の手により作成される。法案の本質は美辞麗句で彩られた政治的スローガンによって隠蔽され、議会で承認される。法案成立後、すなわち業界が目的を達成した後、彼らは政府を離れ、高額のサラリーでグローバル企業に重役として就職する。

健康保険制度とは社会保障

本書(後編)はそれを受けて、日本の保険制度の破壊をめざして市場進出を狙うアメリカの政財一体化した進出戦略及びそれに同調する日本政府の動向を明らかにしている。著者(堤未果)は本書を通じて読者に注意を喚起し、何度も警鐘を鳴らす。加えて、あるべき医療体制の日本における成功事例、予防医療を具体的に挙げることにより、健康保険制度とは何か、社会保障とは何か、医療とは何か、福祉とは何か、国家とは何か、生命とは何か――について問う。健康保険制度とは社会保障なのだと。

このような本書の組み立てからすると、帯にある「あなたは盲腸手術に200万円払えますか?」という広告コピーはいただけない。日本の皆保険制度がアメリカの強欲資本主義とそれに手を貸す現政権に破壊されればそうなることは間違いないし、本を売るためにはショッキングな広告コピーが必要なことはわかる。だが著者(堤未果)の意図は、具体から普遍――「知らない、わからない」から「知る、否定する、概念化する」――への上向であるからだ。

「無知は弱さになる」
本書の前編である『沈みゆく大国 アメリカ』の取材中、ニューヨークの貧困地域で出会った内科医のドン医師に、同じセリフを言われたことを思い出した。
〈気をつけてください。どんなに素晴らしいものを持っていても、その価値に気づかなければ隙を作ることになる。そしてそれを狙っている連中がいたら、簡単にかすめとられてしまう。この国でたくさんの者が、大切なものを、当たり前の暮らしを、合法的に奪われてしまったように〉(P33)
“素晴らしいもの”とは日本の国民皆保険制度のことであり、“それを狙っている連中”とはアメリカの強欲資本主義であり、それに手を貸す日本政府であり、アメリカ型資本主義に追随したい日本の大企業のこと。そして、“気をつけなければいけない”のは日本国民(生活者)だ。「だが実際、私たち日本人は、自分の住んでいる国や地域の制度について、どれだけ知っているのだろうか?」(P33)と、著者(堤未果)は危惧する。

強欲資本主義が人々を欺く手口

アメリカの強欲資本主義とそれに追随したい日本政府・日本企業は、社会保障=セーフティーネットの破壊とその商品化を実現するため、どのような手を使ってくるのか――筆者(堤未果)によると、それは、▽アメリカからの直接的外圧(MOSS協議、日米構造協議、年次改革要望書、日米経済調和対話等)、▽国内的には、経済財政諮問会議(という超法規的執行機関)によるたとえば「戦略特区」、規制緩和(新薬スピード承認等)、▽TPP(環太平洋パートナーシップ)及びTiSA(新サービス貿易協定)といった国際協定――を挙げる。もちろん日本政府による「後期高齢者医療制度」に代表される直接的な社会福祉制度の破壊、切捨てもある。

強欲資本主義先進国のアメリカでは、法案を数千ページという膨大な文書に仕上げ(誰も読まない)、「本質」を隠蔽する手口が横行しているという。前出のオバマケアがその好例で、同法案は3000ページを超えていた。膨大な分量の文書の内部に、保険会社、医薬品業者が実際に儲けられる仕組みをこっそりしのばせておいて、「国民皆保険」「貧しい人にも手厚い保険制度」といった謳い文句だけを政治家に声高に叫ばせるという手口だ。日本でも安保法制が10件の法案を一本にまとめて国会審議され強行採決されたケースも、アメリカの手口に近いかもしれない。

人気の(医療)ウエブサイトを広告料等の投入で買収し、そこに提灯記事を書かせるもの、TVで人気の芸能人、コメディアンに支持を表明させるもの、連続TVドラマで“刷り込む”手口も一般化している。もちろん、アカデミズムを抱き込む手口は常套手段。専門家が推奨することで国民の「理解を深める」という建前だが、「専門家」は概ね政府の代弁者というわけだ。日本の場合、安保法制ではアカデミズムが率先して「違憲」を表明したわけで、アメリカに比べれば、日本のアカデミズムのほうが健全かもしれない。

“普遍的問い”として答えよ
最速で高齢化する日本の行く末を、同じ高齢社会問題を抱える世界中がじっとみつめる経済成長という旗を振りながら、医療を「商品」にし、使い捨て市場となるのか。
世界一素晴らしい皆保険制度と憲法25条の精神を全力で守り、胸をはって輸出してゆくのか。
それは単なる医療という一つの制度の話ではなく、人間にとって、いのちとは何か、どうやって向き合ってゆくのかという、普遍的な問いになるだろう。
「マネーゲーム」ではなく、私たち自身の手で選ぶのだ。(P212)
本書の結びにあるとおり、TPP、安保法制、新国立問題、アベノミックス・・・と、われわれのもとに横たわるさまざまな社会問題及び変化を、“普遍的な問い”として受け止め、態度決定することこそがわれわれ一人ひとりに求められている。


憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   
    国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

2015年7月22日水曜日

新国立問題、騒ぐだけではなく、責任追及がメディアの使命

安倍総理大臣が東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとなる新しい国立競技場(以下、「新国立」と略記)について、「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで計画を見直すと決断した」と述べ、計画を見直す方針を表明した。これにより、迷走を続けた「新国立」問題は、いちおうの決着がついた。

新国立問題は安保法制衆院強行採決のめくらまし

迷走の経緯等については既に多くの報道があるので、ここでは繰り返さない。予算を大幅に超える建設費問題、工事が周辺環境に与える、景観上、衛生上等の悪影響、デザインの良し悪し、建設後の景観及び周辺環境に与える悪影響、維持管理費問題…と、誰が見ても現在の計画は無謀であった。それが見直されるのだから万々歳なのだが、白紙見直しには政権側の謀略も隠されている。

政権が白紙化を発表した背景には、安保法制強行採決による支持率低下の波及への懸念があった、という説がある。筆者もその説に反対ではない。アベノミックスの悪影響により家計を圧迫されている生活者の立場からすれば、へんてこりんなデザインの競技場に無駄な税金を使われたくない、という情念が働いて当然である。「新国立」問題は、「安保法制憲法違反」、「国会強行採決」によって、「あれ、安倍政権、なんかへんだぞ」と感じ始めた大衆の「反安部意識」を増幅するに十分すぎる素材である。だれだってあの奇妙なデザインには嫌悪感を抱くし、そこに血税を注ぎ込むというのは納得がいかない。

そればかりではない。支持率低下防止というよりも、大衆が抱いた安保法制への関心を「新国立」問題に逸らす意図がうかがえた。「めくらまし」である。そのことを実証するように、新聞、TVは一斉に、「新国立」叩きを、堰を切ったように始めた。人々は安保法制に疑問を抱き、政府与党の強行採決に怒りを感じた。その怒りの矛先を「新国立」問題に向けさせるためだ。怒りが怒りを呼ぶのではなく、怒りを「安保法制問題」から「新国立」に振り替えようというのが、安倍政権の意図のようだ。

良心的建築家及び市民運動団体が「新国立」に異議を唱え始めたのは、いまから2年以上も前のことだった。そのとき、マスメディアは彼らの異議申し立てを無視し続けた。しかるに、この期に及んで、マスメディアが「安藤叩き」「森喜朗叩き」「JSC叩き」を足並みそろえて始めたことの裏側になにかがある――と、想像することは自然である。この事例から、日本のマスメディアが権力の走狗、大衆操作の具となり下がったことを確認できる。

ハディド案の「新国立」は女性性器





マスメディアは報じないが、このたび白紙化された「新国立」のデザインは、女性性器をモチーフにしたものである。このことは、SNS上では常識になっていた。空から見た「新国立」の完成予想図(パース)は、神宮の森(陰毛)に女陰がぽっかりと口を開けている風景である。国際コンペに臨んだイラク出身、英国在住の女性建築家、ザハ・ハディドはおそらく、落選覚悟で遊んだのだろう。それが異議異論なく、当選してしまったのだ。今回の混乱の発端はそこにある。


「新国立」のデザインに係る混乱ぶり
  1. このたび白紙化されたデザインは2012年11月、建築家の安藤忠雄氏が委員長を務めた審査委員会が、建設費を1300億円とする想定のもと、前出のザハ・ハディドの作品を最優秀賞に選んだもの。
  2. そのことを受けて、建築家、環境保護市民団体等が同案に対する反対を表明し、反対運動を展開し始めた。
  3. ハディドのデザインを忠実に再現した場合、費用が想定の2倍を超える3000億円に上ることが分かり、去年5月にまとまった基本設計では、当初のデザインと比べ、延べ床面積を25%程度縮小するなどして1625億円まで費用を圧縮した。
  4. ところが、費用圧縮は不可能との検証結果が出て、結局費用が3000億円を超えるとともに、工期も間に合わないことが分かった。
  5. ハディドのデザインを換骨奪胎する修正案(開閉式の屋根の設置を、東京オリンピック・パラリンピックの終了後に先送りする等)が再提出され、2520億円になることが決まった。
  6. 安保法制衆院強行採決後、同修正案は白紙撤回となった。

ハディド案決定の裏側――専門家は「アンビルト」をなぜ選んだのか

さて、「新国立」のデザイン決定に関与したメンバーは以下のとおり。

審査委員 11名 (役職は当時)
★の3名は、有識者会議メンバーでもある。

◎有識者審査委員
(施設建築)
委員長;安藤忠雄 ★建築WG座長(建築家)
委員 ;鈴木博之・建築計画・建築史(青山学院大学教授)
委員 ;岸井隆幸・都市計画(日本大学教授)
委員 ;内藤廣・建築計画・景観(前東京大学副長)
委員 ;安岡正人・環境・建築設備(東京大学名誉教授)
(スポーツ利用)
委員 ;小倉純二 ★スポーツWG座長(日本サッカー協会長)
(文化利用)
委員 ;都倉俊一 ★文化WG座長(日本音楽著作権協会長)
◎日本国以外の籍を有する建築家審査委員
委員 ;リチャード・ロジャース・イギリス(建築家)
委員 ;ノーマン・フォスター・イギリス(建築家)
◎主催者
委員 ;河野一郎(日本スポーツ振興センター理事長)
◎実現可能性を確認する専門アドバイザー
;和田章・建築構造※技術調査員と兼任
技術調査員
総括管理 - 和田章(東京工業大学) ※審査委員の専門アドバイザーと兼任
建築分野 - 【構造】三井和男(日本大学)
建築設備 - 【メカニカル】藤田聡(東京電機大学)、【空調】川瀬貴晴(千葉大学、建築設備技術者協会会長)、【音響】坂本慎一(東京大学)
施工・品質分野 - 野口貴文(東京大学)
都市計画分野 - 関口太一(都市計画設計研究所)
積算分野 - 木本健二(芝浦工業大学)
事業計画分野 - 東洋一(日本総合研究所)
建築法規分野 - 【防災計画】河野守(東京理科大学)

ハディド案をおしたのが、安藤忠雄と、戸倉俊一だったという。専門家である安藤が「このデザインは東京、日本の輝かしい未来を象徴する」と発言したかどうか知らないが、おそらくそのような表向きの趣旨に従ってデザインが決定されたはずだ。

不可解な専門家の沈黙

このメンバー表を見ると、委員、技術調査員、アドバイザーを含め、日本の建築学会、建築界における超一流の頭脳が集結しているではないか。彼らがなぜ、ハディドのデザインがかくも高額になることを予想できなかったのか。真剣に検討したのかどうかおおいに疑問が残る。

デザインの良し悪しには主観性による。安藤忠雄がいいというのならば、折れることも構わない。だが、建築の専門家ならば当初の予算設定に疑問をはさむ余地は十二分にあったはずだ。今回の白紙撤回により浪費された経費は、彼らが個人資産で負担すべきだ。安藤忠雄が決定機関の委員長として会見を開いたが、自らの責任を明らかにしなかったし、謝罪もしていない。メディアも責任追求しない。この無責任体制はなんなのか。

予算無限大はゼネコンからのキックバック目当てか?

それだけではない。迷走を続けた同案の建設費の見通しは、見積漏れが何か所もあることがわかっている。つまり、メディアに流れた1300億、3000億超、2520億という予算額もいい加減な数字だったということ。さらに建築技術的諸問題点、廃棄物処理問題(物流問題)、建設技術者・労働者、建設機材、同物流車両等に係る確保が難航することが、否、不可能であることもわかっている。まさに、ハディド案は、事実上アンビルト(ザハの別名が「アンビルトの女王」であることは有名。)の代物だったのだ。

エジプトのピラミッド等に代表される古代の建築物はそのスケールの大きさにより、現代人を圧倒する。現代人が、クレーン等の建設機材をもたない古代人がなぜあんな勇壮な建築物をつくりあげたのか不思議に思う。その答えの一つに、“古代には予算も工期もなかったから”というのがある。ハディド案もそれに近い。オリンピックなんだから、カネはいくらでもつぎ込める――というのが、同案を決定した委員たちの本音なのだろう。それが証拠に、組織委員会長の森喜朗は、「国がなんで2600億円くらいだせなかったのか」と、同案白紙決定に不満を漏らしている。同案が「森喜朗古墳」と揶揄される所以である。

安藤忠雄、森喜朗に代表される「新国立」関係者たちは、予算がかさめば、ゼネコンからのキックバックもそれだけ大きくなると踏んだのではないか。森は、「白紙、見直し」が決まった直後のインタビューにおいて、「もともとあのデザインは嫌いだった」と述べている。これが森の本音である。彼らにとって、デザインはどうでもよい。彼らの関心は、“高い施工費、高いキックバック”――選考に当たって彼らの頭のなかを支配していたのは、このこと以外になかったのではないか。

騒ぐだけでなく責任追及がメディアの使命

ハディド案を白紙撤回したことにより、およそ100億円が消えるという。この責任はだれが負うのだ。安倍政権は、「新国立」問題を安保法制強行採決のめくらましに使い、マスメディアはその片棒を担いでいる。ならば、安倍政権打倒を目指す大衆は、「新国立」の不祥事を徹底追及し、スキャンダル化し、責任者を追及し、関与者の悪事を暴くことで、安保法制強行採決と併せて、ダブルパンチとして浴びせるしかない。めくらましを逆手にとって、安倍政権に二重の苦痛を与えることだ。

2015年7月15日水曜日

理想のボディより、強い体づくりを目指せ

健康ブームのなか、パーソナルトレーニングに特化したスポーツクラブR社が話題になっている。報道によると、このスポーツクラブの謳い文句は、入会金5万円、コース基本料金29万8千円(2か月・16回)で理想のボディを約束するというもの。

会員募集方法に特徴があり、有名人を起用したTVCMに集中して、年間70億円、販売管理費の約3割をそれに投入しているという。会員が受けられるサービスは、専属トレーナーによる筋トレ個人指導および食事指導である。

R社の指導方法はボディビルダーの調整法に近いかもしれない

R社の指導方法については、「ボディビルダーの大会前の調整と似ている」というネット上の指摘がある。筆者もその指摘に全面的に同意する。

ボディビルダーは大会出場から逆算して年間スケジュールを立てる。大会終了を起点として、その後のおよそ半年間は体を大きくする、いわゆるバルクアップに励む。バルクアップ期は体重増と並行して過酷なウエートトレーニングを重ね、体重増及び筋量増を目指す。この時期、例えば、65キロ以下クラスに出場すると定めた選手は75~80キロ程度まで体重をあげる。

バルクアップを終えると、体内の脂肪の除去にとりかかる。減量だ。減量期間は、炭水化物、糖類を極度に制限し、高タンパク質食材を摂取する。大会3月前くらいには、出場予定階級の体重制限を下回る見通しが立っていないといけない。

減量期において、もっとも難しいのが体重減に伴う筋量減の防止である。体重減とともにパワーは必然的に落ちる。たとえば、バルクアップ中ならば、ベンチプレス100キロを上げていた者でも、減量期には難しくなる。それを防止するのが、高蛋白質食材の大量摂取及び精神力である。バルクアップ期の重さを上げきれるか諦めるかで、体の仕上がり具合が変わってくる。

なお、ここではバルクアップ~減量の年2分割調整法を紹介したが、プチ増量、プチ減量を数回繰り返すような調整法もある。

筋トレにおいては、筋肉の形が鮮明に出るような特別なトレーニング方法、マシーン活用があり、ポージング(大会規定のポーズ及び選手オリジナルのフリー)の訓練も必要となる。また、専用サプリメントの摂取も大切である。こうして、大会直前に制限体重ぎりぎりに仕上げて、大会に臨む。大会入賞者の体脂肪率は概ね5%前後が一般的だ。

R社に入会する者は、筋トレの経験がないか、もしくは、それを休止していて、しかも体内脂肪比率(体脂肪率)の高い人だろう。そのような状態の者が入会後、筋トレ及び食事制限によるメニューを一気に実践にうつすことになる。ということは、R社の指導法は、一般人の体の状態をボディビルダーのバルクアップした状態にアナロジーし、そこから2か月間で減量を迫るものと考えていい。入会者は筋トレよりも、脂肪・糖質制限の食事制限により、体重を落とす。筋トレだけで脂肪を除去することはかなり難しい。体脂肪が高い者でも、もともと筋肉のある者なら、この食事制限により、筋肉の形が見え始め、体の外形的変化が認められるようになる。

体重減しても、筋量増は難しい

体重70キロの者が、R社の作成した筋トレメニューに従った場合、たとえばベンチプレス70キロの記録を、2か月後、体重65キロに落としたうえで、ベンチプレス80キロを記録できるのか、というと、おそらく、そうなっていない。体重減とともに脂肪が減り、筋肉の形が見えてきただけで、筋力アップにつながっていないと考えられるからだ。筋トレ経験の少ない人は、体重減とともに、パワーも減ずるのが一般的。つまり、体重減とともに筋量、筋パワーとも減少している可能性のほうが高い。

結論を言えば、R社のメニューに従った2か月間のトレーニング等では体脂肪は減少できても、筋量アップは見込めないだろう。

「理想のボディ」というのが謳い文句のようだが、人間の筋肉は、2カ月間ではそうそう強化できない。それができるのならば、だれもがボディビル大会で優勝できるし、パワーリフティング大会で勝てる。

トレーニングの目的は外形ではなく、強い体をつくること

筋トレ及び食事制限で理想のボディを手に入れようと努力することは大切なことだし、その試みを否定しない。ただし、どんなトレーニングでも、その目的は強い体をつくること。筋肉増とその強化が健康増進に直結することは医学的に証明済みなのだから、外形上の変化より、筋量増をメルクマールとしたトレーニング成果を追求したいものである。

「ローマは一日にしてならず」――筆者の経験では、強靭な体をつくるには、数年単位の筋トレの積み重ねが必要。たった、2か月で体の外形がある程度変わったくらいで、強い体づくりができたなんて、まちがっても思わないほうがいい。

2015年7月12日日曜日

『経済学からなにを学ぶか』

●伊藤誠〔著〕 ●平凡社新書 ●880円+税

本書は副題「その500年の歩み」とあるように、重商主義から重農主義(ケネー)、古典派経済学(スミス、リカード)、歴史学派、制度学派、新古典派経済学、そしてマルクス主義経済といった経済学について、歴史的、網羅的に解説したもの。たいへんわかりやすく、「新自由主義」に対抗する社会主義再生の道筋を示そうとした書といえる。

「新自由主義」はオーストリア学派(限界効用学派)の一部を継承するもの

いまの日本社会を支配する経済倫理が「新自由主義」と呼ばれる経済学に依っていることは否定しょうがない。それはネオ・リベラリズム、市場原理主義、フリー・マーケット・システムと呼ばれることもある。

この潮流が形成されたのはそう古いことではない。ソ連の崩壊(1991)の直前、欧州を代表する社会民主主義国家イギリスのサッチャー政権(首相在任期間1979-1990)及びケインズ経済の本家本元アメリカのレーガン政権(大統領在任期間1981-1989)においてほぼ同時的に推し進められた。

本書においては、「新自由主義」は、社会主義、社会民主主義に徹底して反対したオーストリア学派(限界効用学派)の流れをくむ思想であり、新古典派の一部を継承するものだと位置づけている。
・・・広くみれば、新古典派ミクロ価格理論にも、社会主義の可能性を容認し擁護する一面を有していた一般的均衡学派や、生産手段の私有制にもとづく資本主義を前提しつつ、労働組合運動を許容して、社会民主主義による福祉国家を志向する一面を有するケンブリッジ学派の伝統を含んでいた。それにもかかわらず、いまや社会主義や社会民主主義に反対していたハイエク的なオーストリア学派の伝統のみが、狭く選びとられて「新自由主義」の理論的基礎とされた傾向が目につく。(P175)

オーストリア学派(限界効用学派)はウィーン学派とも呼ばれ、ウィーン大学教授C・メンガー(1840ー1921)の著書『国民経済学原理』を発端とし、第二世代のE・フォン・ベーム=パヴェㇽク(1851ー1914)、フォン・ヴィーザー(1851ー1926)を経て、第三世代L・E・フォン・ミーゼス(1881ー1973)やF・A・フォン・ハイエク(1890ー1992)へと至る。この学派について本書は以下のように整理している。
・・・まず人間の欲望充足に直接役立つ低次財(消費財)について、同じ財を追加的にえてゆくと、その欲望充足に与える満足度(効用)は低下してゆくとする「限界効用逓減の法則」が前提とされた。その前提からまた、限られた予算制約(所得)のもとで、多様な消費財を選択してゆくと、最終的な支出単位について各財からえられる満足度としての「限界効用均等化の法則」が成り立つさいに、主観的満足度が最大化されるはずであるとみなされた。
経済主体としての各個人がそれぞれに有する財やサービスを手放して、市場で他の消費財と交換し入手してゆくさいの主観的満足度も、こうした限界効用の逓減と均等化の法則にしたがう。そのような個人としての経済主体の所有し供給する財やサービスと、それへの需要としての限界効用をめぐる選択行為をつうじ、消費財の相互交換比率ないし相対価格は体系的に決定される。
こうして消費財についての受給均衡的な価格体系が与えられれば、それらへの生産への貢献度に応じて、高次財(生産財)についても、相対価格が与えられ、帰属してゆく。これが生産財についての交換価値の帰属理論といわれた(P135-136)

ミクロ経済主体の選択行為における限界効用の役割を重視し価格理論を提示展開する「限界効用逓減の法則」や「帰属理論」からは、消費者主権の発想が認められるものの、今日の「新自由主義」とは直結しない。今日の流れを形成したのは、同学派第二世代のベーム=パヴェㇽクが1896年、限界効用学派の観点から、マルクス価値論及び剰余価値論への批判を行ったことからだ。これに続き、第三世代のミーゼスとハイエクが1920ー1930年代にソ連型集権的計画経済の合理的存立可能性をめぐり、社会主義経済計算論争をしかけた。
・・・この学派が新古典派のなかで、とくにマルクス学派との対抗関係を重視し、方法論的個人主義により経済生活の社会的統御に反発する特徴をよく示している。(P139-140)
ハイエクは・・・競争をつうじ各個人主体が言語化されず一般化もされないような「暗黙知」を発見しつつ、新技術、新製品、さらには社会経済上の諸制度や組織を自生的に産みだす作用にあると、強調するようになった(D・ラヴォア(1985)西部忠(1996))。
それは、I・カーズナー(1930-)やラヴォアら、現代オーストリア学派といわれる一連の理論家たちが、市場を知識の発見、イノベーション(技術などの革新)の自主的創出過程とみなし、それによって、ソ連崩壊や新自由主義の意義を説く傾向に継承されている。(P144-145)

「新自由主義」とシカゴ学派

「新自由主義」の経済学は、「1973年以降の資本主義経済のインフレ恐慌、スタグフレーション(物価高騰をともなう不況)としての高失業とインフレの並存、ついで、高度情報技術による資本主義経済の再編過程に支配的潮流となった(P173)」という側面もある。だが、その最大の特徴の一つは、ケインズ経済に従って政策化された「ニューディール政策」に代表される国家による市場への関与を排除するところである。そのことは、ミルトン・フリードマン(1912-2006)の代表的著作『資本主義と自由』に詳しい。フリードマンの主張を大雑把に言えば、市場原理主義であり、経済、文化、社会における国家の排除であり、完全な自己責任主義となる。なお、フリードマンについては後述する。

アメリカ(シカゴ学派)による世界経済支配の完成

本書の導きから今日優勢な「新自由主義」が世界的に経済学及び経済倫理の主流となった根拠を推量すると、人々がソ連崩壊を契機として、自然発生的に社会主義経済を忌避し、「新自由主義」を選び取った結果のように思えなくもない。はたしてそうだろうか。

今日の「新自由主義」は、アメリカの世界経済支配戦略に基づき、周到に進められてきたものだ。アメリカはその経済支配が及ばなかった旧社会主義国家群(南米、ロシア、東欧、アジア)及び福祉政策を重視する西側諸国に対し、CIA等を使って政治的関与を深め、アメリカが主唱する「新自由主義」に基づく経済政策を支持する政権を誕生させてきた。

親米政権誕生後には、経済顧問団を当該国に送り込み、また、IMF等の国際金融機関により経済的支配を強めることにより、「新自由主義」を徹底した。

アメリカが送り込んだ経済顧問や、国際的金融機関の官僚たちはシカゴボーイズと呼ばれた。彼らは「新自由主義」の頭首でシカゴ大学教授ミルトン・フリードマンの下で経済学を学んだシカゴ学派の若き秀才たちだった。アメリカは、南米、アジア、旧社会主義圏、西側福祉国家を「新自由主義化」することに成功し、いまもって世界はその流れの中にある。

アメリカはそのことと並行して、自国における福祉国家的政策を切り捨て、ケインズ型マクロ経済学に基づく国家による市場への関与に係る制度・政策を一掃した。その経緯、詳細については、『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)に詳しい。

日本では、「ロン、ヤス」と呼びあったレーガン米国大統領と親密だった中曽根康弘政権(首相在任期間/1982-1987)の時代の国鉄、電電公社、専売公社の民営化達成を皮切りに、橋本龍太郎政権(首相在任期間/1996‐1998)の時代、「フリー、フェア、グローバル」を標語とした「日本版金融ビッグバン」と呼ばれた金融改革が実行され、続いて小泉純一郎政権(首相在任期間/2001‐2006)の時代の「構造改革」によって「新自由主義」経済政策が定着した。

こう振り返ってみると、「新自由主義」は経済学なのか、それとも資本主義を延命させるイデオロギーなのか――と、その判断に迷うことだろう。筆者はもちろん、後者だと確信しているが。

アメリカは、ソ連(社会主義経済)崩壊後の世界経済支配の経済原理として、「新自由主義」を掲げ実践してきた。その実践の対象は、第一に旧東側及びアジアであり、第二に自国(アメリカ)を含む先進資本主義諸国である。アメリカは前者に対して、剥き出しの資本主義である競争原理、市場原理の経済活動を強要し、労働者大衆が社会主義国家時代に既に享受していたセーフティーナットを簒奪した。後者においても、後期資本主義社会にビルトインされていた社会保障等の福祉制度、労働組合組織といった労働者大衆の既得権を、構造改革、規制緩和の名の下に簒奪していった。その結果が、今日の資本主義先進国における格差拡大、雇用問題、自然荒廃、福祉打切り等となって表れている。

その原動力となったのが、前出のアメリカ・シカゴ大学教授、ミルトン・フリードマンであり、彼の忠実なる学徒、シカゴボーイズである。今日の「新自由主義」をオーストリア学派から現実的に架橋したのは、シカゴ学派にほかならない。本書がシカゴ学派にまったく触れていないことに不満が残る。

2015年7月1日水曜日

7月の猫

猫がわが家に来たのが2011年の6月。

「3.11」の後のことだった。

このことは何度も書いたが、気が付いたら、猫が1匹、筆者に断りなくいた。

そしてその1カ月後、もう1匹がやってきて、2匹になった。

それから4年が過ぎ、はや5年目に入った。

2匹の猫は元気である。病気もしない。なによりのこと。

さて、今月の猫の体重。

Zazieが4.3kg(前月比300gの減)、Nicoが6.3kg(同200g増)。

増えたり減ったり。こんなものかな。


ZAZIE
NICO

2015年6月14日日曜日

『ユングとオカルト』


●秋山さと子 ●講談社現代新書 ●650円+税

本書は、“集合的無意識”の用語で知られる心理学者で精神科医、カール・グスタフ・ユング(1903-1955)のオカルトとの関わりを解説したもの。オカルトというと、現代日本では怪しげな迷信や似非宗教等の代名詞になっているが、本来は「隠されたもの」という意味である。

ユングは占星術、グノーシス主義、錬金術、ルネサンスのヘルメス学、カバラ等を研究し、人間の無意識の中に潜むと思われる、それら「隠されたもの」の関与を明らかにすることで、自らの心理学体系の構築を試みた。

彼(ユング)が好んで占星術に言及したのは、この一連のいわゆるオカルトに対する興味からだけではない。魚座の時代に続く水瓶座の世紀こそ、この分裂した自我が統合されるものと彼は信じていた。
(略)
ユングは無意識の中にうごめく力の奇妙な結晶体が、人間の意識を揺り動かすエネルギーを発して、それが人々の運命をリードするという意味で、占星術における運命決定論を許容し認めていたが、新たな水瓶座を示すイメージは、全人格的な原人アントローポスが、壺の水を魚の口に注いでいるもので、この象徴的イメージは、ユングによれば、意識と無意識をつなぎ、内にも外にも開かれた全人が、ようやくこの世にあらわれてくる前兆と考えられた。
それはこれまでずっと隠されたものであったが、いわゆる無意識的なものや、その投影として現実の世界を覆う幻像のようなものではない。ユングが実在すると信じた人間の世界の外に存在するなにものかであり、同時に心の中心として、意識と無意識、光と闇、善と悪などの人間の心の動きのバランスをとるシーソーの支柱のようなものである。この支柱は決して人間の意識でとらえ、保持できるような性格のものではない。そういう意味で、真に隠されたものであり、無意識の投影としてのオカルトではなく、隠されたという意味を持つオカルトという言葉の真の意味においてオカルト的なものといえよう。(P20~21)

本書は、「隠されたもの」の思想的本源、グノーシス主義の解説から始まる。グノーシス主義とは何かについては、本書を参照してほしいのだが、それは巨大な構成力をもった宗教であり、思想であり、哲学であった。西暦紀元前後、東方において成立し、原始キリスト教と教義において微妙に対立しつつ、紀元2世紀ころにはギリシア、エジプト、シリア、ペルシア等のヘレニズム世界において隆盛を極めた。ところが、カトリック教会のヘゲモニー掌握に従い異端として退けられ、表舞台からの消滅を余儀なくされた。

グノーシス(ΓΝΩΣΙ)とは、単語的意味では、「認識」や「知識」を意味する古代ギリシア語の普通名詞。グノーシス主義の特徴を大雑把にまとめると、
  • 多くの場合、イエス・キリストが宣教した神(=至高神)とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造神)は違うという教義をもつこと、
  • 創造神の所産であるこの世界は唾棄すべき低質なものとしたこと、
  • 人間もまた創造神の作品であるが、その中に、ごく一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれていること、
  • 救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれて至高神のもとに戻ること、
  • グノーシス主義が信奉するのは、この世界の外、あるいはその上にあるいわば「上位世界」そしてそこに位置している「至高神」であること、
  • 人間の霊魂も、もともとはこの上位世界、別名「プレーローマ」の出身であり、現在はこの世界に幽閉されている形になっていること、
  • この世界から解放され、故郷である上位世界に戻ること、それがグノーシス主義者にとっての「救済」であること、
  • こうした事情を人々に啓示するために上位世界から派遣されてきたのが救済者イエス・キリストであること、
  • グノーシス主義における教義には神話によって記述されているものもあり、それらには寓話的、おとぎ話的なものもある。
ユングは、キリスト教を相対化する根拠としてグノーシス主義に接近した。キリスト教が人々の拠り所でなくなり、思想的にも社会的にも行き詰まりを見せ始めた20世紀、西欧の知がキリスト教を超える信仰体系に傾斜するのは自然の流れである。

日本においても、社会の行き詰まりや精神の荒廃した状況が訪れた昨今において、現代日本社会の起源を「弥生」に求め、それを超えるユートピアとして「縄文」を対置する傾向がみられる。いまの日本は弥生時代の社会制度や思想の延長上にあるからだめなのだ、だから、縄文時代に回帰せよ、と。

本書にもあるように、ヨーロッパにおいては、グノーシス主義は歴史の表舞台から消えたものの、錬金術やヘルメス学等に受け継がれ、ルネサンス期に再興する。その後、カバラ、占星術等と融合し、17世紀には薔薇十字団、フリーメイソンといった秘密結社を誕生させていく。この流れは、1799年、フリードリヒ・シュライアマハーの『宗教について』の刊行により大衆に浸透し始め、そのおよそ100年後(1888年)、ブラヴァツキーの『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』による神智学、シュタイナーの人智学、アリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。第二次大戦後は、ニューエイジ思想として米国に流入開花し、今日に至っている。

ユングにとって、さまざまな神秘的な事象は、ただ迷信的に信じられるものではなかったが、だからといって、これを見ないですませたり、否定したりすることはできなかった。
これを認めるとすれば、人間の頭の中で想像できる唯一のことは、自然の中には原因と結果との結合性以外に、もう一つ別の因子が存在し、それが諸事象のなかに表現され、それが我々にとって、意味としてあらわれるものと考えなければならない。これがユングの考えていた隠されたる神の実在であり、すべてを包括する因子の存在という仮定である。(P208)

ユング再評価、過大評価の動きが日本にある。同時に、近年、日本社会におけるニューエイジ思想の浸透は想像以上である。前出のとおり、検証を伴わない「縄文至上主義」もその一つ。オウム真理教事件の反省を踏まえ、地道なユング精読が求められる。本書は、ユング心理学の手頃な入門書であり、ユング盲信を阻む一助となろう。

2015年6月10日水曜日

谷根千漂流

久々に旧友・佐藤さんと谷根千を漂流。集合は千駄木の「ペチコートレーン」。




さっそく、根津の「やま」へ。
ここで食べて飲んでカラオケと思いきや、あいにく地元の団体のカラオケーパーティー。
順番がまわってきそうにありません。
で早々に退散。


次に目指したお店はこんどは満員。
けっきょく、谷中・初音小路の「桃」へ。
一時間もしないうちに先客が帰ったため貸し切り状態に。
カラオケ、満喫です。



2015年6月3日水曜日

Zazie &Nico



ビニール袋に入ったZazie

顎枕のNico

2015年6月1日月曜日

6月の猫

猛暑の5月が終わり、今年も早6月である。

梅雨の到来も近そうだ。

今月の猫の体重測定である。

Zazieが4.6kg(前月比500g増加)、

Nicoが6.1kg(200g減少)。

ここのところ減少傾向にあったZazieが急増した。






2015年5月31日日曜日

『宗教学』(ブックガイドシリーズ 基本の30冊)

●大田俊寛〔著〕 ●人文書院 ●1900円+税

広大な領域をもつ宗教学

宗教学が扱う範囲は広大である。その範囲を思いつくままに列挙すると、▽宗教の起源をあきらかにしようとする試み、▽特定の宗教の教義を解釈・深化しようとする試み(神学)、▽宗教を克服しようとする哲学的試み、▽宗教から社会の在り方を探ろうとする試み、▽特定の宗教を実体験することを通じて、その教義・秘儀を明らかにすると同時に、その信者の心的構造を明らかにしようとする試み…等々が思い浮かぶ。

西欧においては、キリスト教の成立から19世紀まで、彼らの思想哲学を極論すれば、神(宗教)との係わりに規定され展開されてきた。青年ヘーゲル派の登場によって、「神は人間がつくった」という命題がくだされながら、いまだ神は死んでいない。人間の誕生と同時に宗教が成立したと考えるならば、宗教(神)の否定が試みられてからわずか200年しか経過していないことになる。21世紀の今日といえども、世界はいまだ宗教の支配下にある。

今日なお絶大な影響力をもつ宗教

20世紀末には、冷戦後の世界(国際政治)を考える文明論として、世界をそれぞれの宗教を指標に区分し、それぞれが互いに衝突しあう情況にあると解釈する試みが提起され、多くの支持者を集めた。(『文明の衝突』/サミュエル・P・ハンチントン著/1996)。ハンチントンによると、世界で生起している(あるいはこれから生起する)紛争は、それぞれの文明の境界(フォルト・ライン)において、異なった文明同士が衝突する結果だという。その真偽は別として、21世紀の今日、現代人が被る宗教の影響力は衰えたとはいえない。

わが国では、1995年、新宗教の一つ、オウム真理教が猛毒サリンを使用した無差別テロを敢行し、死傷者6千人を超える事件を起こした。また今日、国際的事件の多くが一見すると宗教的な様相を呈していて、中東に根拠を置くIS(イスラミック・ステイト)と自称する暴力集団の動向が報じられない日はない。

そのような状況の中での本書の刊行である。宗教を問い考えることは、古めかしい教養主義ではない。また、前出のハンチントンのような粗雑な世界情勢理解(=間違った「宗教文明論」)に足元をすくわれないためにも、宗教について本源的に接近する必要性が高まっている。

オウム真理教をとらえなおす契機

“ブックガイドシリーズ”とあるように、本書の役割は宗教学を勉強するための基礎文献の紹介にある。30冊という冊数が多いのか少ないかはわからないが、著者(大田俊寛)の選定は概ね適正だと思われる。一方、先述した世界情勢からすれば、イスラム教関連が少ないという批判もあるかもしれない。なかんずく、スンニ派とシーア派との「対立」の根源について知りたいという要望のほうが今日的かもしれない。が、そうした要望は、個別の著作物を当たればいいことだろう。

それもそうなのだが、著者(大田俊寛)の宗教学の今日的展開は、オウム真理教の暴発を契機としている。そのことは、本書の帯に、“オウム真理教事件の蹉跌を越えて、宗教について体系的に思考するための30冊”とあることからもうかがいしれる。著者(大田俊寛)の立場は、その著書『オウム真理教の精神史 ロマン主義、全体主義、原理主義』のタイトル付けで明白なように、オウム真理教の爆発の根源をロマン主義、全体主義、原理主義から解き明かそうと努めていた。

それゆえ、本書においては、前半よりも後半=第5部「個人心理と宗教」、第6部「シャーマニズムの水脈」、第7部「人格改造による全体主義的コミューンの水脈」、第8部「新興宗教・カルトの問題」(合計15冊)の解説に熱が入っているような気もする。第5部から第8部までに収められている書名・著者は以下のとおり。

〔個人心理と宗教―5冊〕
・フリードリヒ・シュライアマハー『宗教について』(1799)
・ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(1901-1902)
・アンリ・エレンベルガー『無意識の発見』(1970)
・ラルフ・アリソン『「私」が私でない人たち』(1980)
・E・キュブラー・ロス『死ぬ瞬間』(1969)
〔シャーマニズムの水脈―3冊〕
・ミリチア・エリアーデ『シャーマニズム』(1951)
・I・M・ルイス『エクスタシーの人類学』(1971)
・上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(1990)
〔人格改造による全体主義的コミューンの水脈―3冊〕
・ハナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)
・チャールズ・リンドホルム『カリスマ』(1992)
・米本和広『洗脳の楽園』(1997)
〔新興宗教・カルトの問題―3冊〕
・横山茂雄『聖別された肉体』(1990)
・小川忠『原理主義とは何か』(2003)
・大田俊寛『オウム真理教の精神史』(2011)
※(  )内は原著刊行年

シュライアマハーから始まったニューエイジ思想

一覧で明白なように、これらの書物は、シュライアマハーを除くと、現代に書かれた宗教論である。キリスト教から解放された世俗国家(国民国家)が立脚する合理主義が行き詰まりをみせた、ポストモダンといわれる今日の情況と宗教が分離できないことの証左でもある。逆にいうと、現代の宗教(カルトを含む)は、シュライアマハーを原基として奇妙な発展をみせた。著者(大田俊寛)は、シュライアマハーの宗教論を次のように要約する。

敬虔な宗教感情を、ロマン主義の世界観によって洗練させることにより、旧来のキリスト教思想の超克を試みるだけではなく、「宗教を侮蔑する教養人」すなわち、近代の啓蒙主義者に対抗しようとした・・・(本書137P)

シュライアマハーは既存宗教(経典/聖書等、教会、宗教団体、理性が解説する自然宗教…)を全否定し、直観による宇宙との接触が真の宗教だとした。著者(大田俊寛)はシュライアマハーについてこう論ずる。

『宗教について』という著作は、魅力的な筆致によって広く人気を集めると同時に、フリードリッヒ・シェリングのロマン主義哲学、カール・グスタフ・ユングの宗教心理学等、後代の諸思想にも大きな影響を及ぼしていった。
(略)
しかしながら、同書の刊行から200年以上が経過し、その後の宗教状況を見てきたわれわれには、彼の思想を無反省に肯定することは難しい。というのは、彼の宗教論は、欧米のニューエイジ思想や日本の精神世界論、さらには数々の「カルト」的宗教運動の源流の一つとなったのではないかと考えられるからである。(本書P142)

シュライアマハーから今日のニューエイジ思想・カルト的宗教に至る過程を大雑把に辿れば、その筆頭として、ブラヴァツキーが著した『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』を挙げなければなるまい。この書は1888年にドイツで刊行されたもので、19世紀半ばに発表されたダーウインの『進化論』を借用した、霊性進化(注;この言語は大田俊寛の造語)を基礎とした荒唐無稽の新宗教である。やがて神智学はシュタイナーにより発展的に継承され、人智学として成立を見る。さらにこの流れはアリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。

ニューエイジ思想の拡散と日本における成長

(一)オウム真理教と中沢新一

ドイツ敗戦により鎮圧されたはずの新宗教であったが、ドイツに戦勝したアメリカにおいて、それはニューエイジ思想として開花する。ニューエイジ思想は非常に広範囲な精神運動なので、明確に定義することはかなりむずかしいのだが、その特徴を列挙すると、▽反キリスト教を基本とすること、▽グル(導師、尊師、大師等ともいわれる)を頂点とした階層的コミューンを形成する場合が多いこと、▽教義に終末論を取り入れていること、▽グルは信者に修行を命じ、信者はシャーマン(グルが代行)による脱魂・憑依(イニシエーション)体験・神秘体験を通じ、あるいは、ヒンドゥー教・チベット仏教におけるヨーガ、日本仏教における禅等による瞑想を通じ、超自我的境地の獲得が目指されること、▽私有財産の否定・放棄、自然崇拝(エコロジー志向、自然農法の励行)、多神教優越主義、反機械文明、性の解放、家族制度の否定等の運動と一体化している場合も多い。

オウム真理教が隆盛を極めた1990年代、その信者の奇妙な修行の様子が、TVメディア等により幅広く報道されたことは記憶に新しい。その映像を思い出していただければ、ニューエイジ運動のおおよそのイメージはつかめるはずだ。つまり、オウム真理教も、ニューエイジ思想の日本への移入と密接に関連して、生成・発展・暴発したカルトの代表的存在であった。

日本のニューエイジ思想の流布に熱心だった宗教学者の一人が中沢新一である。著者(大田俊寛)は、当時、麻原彰晃を「本物の宗教家」として称揚した中沢新一、島田裕巳、山折哲雄らの宗教学者に対する批判をいまなお続けているが、とりわけ中沢については本書において、次のように論じている。

チベット密教の修業を自ら実践した宗教学者の中沢新一は、81年に『虹の階梯』を公刊した。彼はこの書物で、「心の本性」に到達するためのチベット密教の段階的な瞑想法を概説し、特にその修業においては、グルへの絶対的な帰依が必要であることを強調した。また、「ポワ」と呼ばれる身体技法に習熟すると、自分の意識を体外に離脱させ、生死を超えた境地から世界を眺めることができるばかりか、生前のカルマに応じて次の転生に向かう死者の魂を、より高い世界に引き上げることさえ可能になると論じたのである。(本書P231)

著者(大田俊寛)は本書においては、中沢、島田、山折らの批判を控えているが、中沢の『虹の階梯』の内容は、オウム真理教の尊師、麻原彰晃が信者に説いた内容とほぼ同じである。極論するならば、中沢新一と麻原彰晃は同一の宗教的実践を説いていたことになる。中沢はニューアカデミズム(ニューアカ)の新進思想家としてメディアを通じて彼の読者に向かって、また、麻原は彼を慕う信者たちに向かって、と、その対象は異なっていたけれど。このことから、1980年代~1990年代の日本の思想界・宗教界はニューエイジ思想を十分許容していたことがわかる。

(二)オウム真理教は「本物」だったのか

同じくオウム真理教を支持した山折哲雄の場合は、中沢新一とは位相が異なる。山折は1992年、雑誌における麻原との対談において、当時、熊本県などの地元民と軋轢があったオウム真理教が法廷闘争を行っているとき、「・・・宗教集団としては、最後まで世俗間の法律は無視するという手もあると思うのですよ」と、オウム真理教側への支持を明らかにした。

山折がオウム真理教に対して抱いたシンパシーは例外的なものではない。オウム真理教幹部だった上祐史浩、教団幹部・村井秀夫を殺害した徐史浩、司会役の鈴木邦夫による鼎談『終わらないオウム』(鹿砦社)において、鈴木は、オウム真理教を取り上げたTV番組『朝まで生テレビ!』について、次のように語っている。

鈴木 ・・・『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でやった「激論 宗教と若者」(91年)でのオウムと幸福の科学との対決とかもすごかったですね。あれでオウムはすばらしいと思った人たちもいたし、ぼくもそれを見てオウムは本物だと思いました。そのオウムに熱狂していく過程を知らずに今の結果だけを見れば、なんであんなバカらしいものにかぶれるのだろうと思うだけですよね。(『終わらないオウム』P102)

宗教は元来が革命的、反体制的

「オウムは本物だと思った」というのは、実に的をえた表現である。つまり何が本物なのかといえば、宗教がもつ非妥協性、否定性においてである。本書においては、村上重良が著した『ほんみち不敬事件 天皇制と対決した民衆宗教』が紹介されている。詳しくは本書を参照してほしいが、“ほんみち”とは、天皇を「唐人」と称して批判した、天理教原理派のこと。1925年に天理教から分派し、国家神道と厳しく対立したため、治安当局から弾圧を受けた。


今日の宗教は新旧を問わず、教義の過激性はともかく概ね体制内化していて、ビジネスに熱心なものが多い。しかし、宗教が現世の苦難からの救済を求める側面をもつ以上、苦難の元凶である体制の変革を目指すのは必然である。原始キリスト教は、当時支配者の宗教であったユダヤ教を批判・対立するところから出発しているし、西欧キリスト教における宗教改革は、それまで、カトリックの基盤をなしていた教会制度の抜本変革を求める運動であった。

現代においても、体制変革を目指した教団は数多い。1978年には、アメリカの宗教団体「人民寺院」がガイアナで信者の集団自殺事件を起こしたし、1993年には、同じくアメリカの宗教団体「ブランチ・ダビディアン」が治安当局と銃撃戦・火災事件を起こした挙句、信者多数が死亡している。

宗教が、現世よりも来世における幸福を期待する以上、生と死の区分は相対的である。自然崇拝が度を越せば、私有財産や現行の法制度を認めない教義が成立する余地は十分すぎるほどある。さらに、終末論的世界観が教義に備わっていれば、教団が最終戦争(ハルマゲドン)を準備し、実行に及ぶ可能性は高い。集団自殺、最終戦争、テロリズム等が信仰の名の下に実践される確率は低くない。

宗教指導者のカリスマ性は革命的エネルギーによって担保される。そして、そのエネルギーは信者以外にも感受され得る。当時、麻原をはじめとするオウム真理教幹部を、テレビ映像を通じて「本物」だと直感した鈴木邦夫や、オウム真理教を教団として認めた複数の宗教学者を責めることはできない。そのことが、教団の存在根拠なのであるのだから。

オウム真理教と宗教学者の責任

麻原を支持した宗教学者(前出の中沢新一、島田裕巳、山折哲雄ら)の非は、サリン事件後、自らがオウム真理教を容認した事実を封印したことにある。つまり、彼らは、麻原及びオウム真理教に対しシンパシーを表明しながら、事件後、そのことを「なかったこと」にしようと画策したか、沈黙した。つまり宗教学者として、オウム真理教を思想的に総括することを怠った。管見の限りだが、著者(大田俊寛)の批判に対し、中沢、島田、山折らは答えていない。

中沢、島田、山折らの宗教学者や鈴木のような政治団体指導者が、宗教家・麻原の本気度を認めたことは誤りでもなんでもない。「地下鉄サリン事件」を予期できなかったのは、宗教学者の責任ではない。日本の治安を預かる警察当局ですら、オウム真理教の体質を見誤り、その暴走を止められなかったではないか。そればかりか、「地下鉄サリン事件」の前にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」では、被害者宅の隣人を誤認逮捕するという失態を演じ、あやうく冤罪を犯しそうになったではないか。

宗教学の課題

日本の宗教学は、著者(大田俊寛)の登場によって、学問としての要件をようやく整えつつある、といっていいすぎではない。先述のとおり、それくらい、日本の宗教学は混迷状態にあった。しかも、今日の世界情勢は、宗教を外すことはできないものの、宗教対立に還元できるものでもない。宗教学が背負う課題は、とびぬけて大きい。

2015年5月27日水曜日

新居訪問

旧友のSさんが、長年住んでいた千駄木から西池袋に引っ越した。

落ち着いたところで、御呼ばれに預かり、新居を訪問した。


2015年5月17日日曜日

「お雇い外国人」の日本サッカー革命

日本代表監督のハリルホジッチが、ガラパゴス化したJリーグに変革をもたらそうとしている。代表監督がクラブの選手に助言・指導することは間違いではないが、欧州・南米等では起こりえない越権行為である。なぜこのようなことが生じたのかといえば、Jリーグ各クラブの指導者に指導能力がないから。

代表選手の高い体脂肪率に驚き

報道によると、ハリルホジッチが改善を指摘したのは、Jリーグの①選手のプレー・スピード(速いけど、プレー・スピードは速くない)、②球際(に強い選手がいない)、③代表選手の自信・勇気のなさ、④審判の判定(接触プレーのジャッジ)、⑤疲労回復の文化(がない)、⑥健康管理(体脂肪率が高すぎる)――についてだという。

なかで最も話題になったのが⑥体脂肪率で、ハリルホジッチは代表選手の体脂肪率の高さについて注意を促した。全選手の体脂肪率を赤(不適合)、黄(注意)、白(合格)で色分けし、8人が赤印となっていた。ワースト1位が興梠16.4%、同2位が太田15.2%、名前を挙げて注意を促したのが宇佐美の14.1%。海外組では川島、吉田も不適合だった。

まず、この数値に筆者は驚いた。筆者が通っているスポークラブの男性スタッフたちの体脂肪率は概ね10%を切っている(女性スタッフについては尋ねたことがない)。プロのサッカー選手の体脂肪率が15%近いというのは異常な高さ。Jリーグクラブの体調管理のいい加減さがうかがわれる。名前が挙がった選手たちは、そういわれてみればみなぽっちゃり体型で、アスリートというよりは裕福なシティボーイ風。体型から凄味が感じられない。クラブの指導者から体脂肪率管理などされたことがなかったのだろう。

ハリルホジッチのまっとうすぎるJリーグ批判

そればかりではない。前出のハリルホジッチが挙げた項目すべては、筆者の別のスポーツ専門コラムで何度も指摘したことに重なる。Jリーグ関係者はサッカーのプレー内容及び選手の質の向上を目指さずに人気回復策を探ろうとする。そういう思考方法がJリーグを停滞させてきた原因なのだ。Jリーグ関係者が行き着いた先は現行の前後期制度によるプレーオフ導入である。リーグをイベント化させて冠を付け、収入を上げようとする。目先の収入は上がるかもしれないが、プレーの質は向上しないから、エンターテインメントとしてはスペクタクル性が上がらず、人気は上がらない。大手広告代理店に頼る小手先「改革」ではすまないのだ。

Jリーグを引っ張る指導者の不在

その根底には、指導者の質の低さがある。宇佐美が所属するガンバ大阪の長谷川監督は、ハリルホジッチの体脂肪率公表について苦言を呈したというが、おかしな反応である。指導者としての質の低さを代表監督に指摘されて頭に来たのかもしれないが、指摘される前にきちんと選手を管理しろといいたい。

Jリーグの審判団は接触プレーのファウル基準を改めたそうだが、外国人にいわれなければ改めない体質が情けない。海外のリーグ戦の試合が毎日のようにTVに溢れている現代、それらを見て審判技術を自ら見直すのがプロの審判ではないか。ハリルホジッチに指摘されるまでは、自己流=日本流を貫こうとしていたのではないか。日本の審判技術は世界水準です、なんておだてる「サッカー評論家」が跋扈しているから、向上心もなくなるわけか。

世界との差を指摘しないメディア

考えてみれば、いまから数年前、ザッケローニが日本代表監督の時代、日本(代表)がW杯で優勝を狙うという大胆発言が主力選手からあり、それをまともに報道するメディアがあった。「自分たちのサッカー」という己惚れ発言が本気で取り上げられていた。もちろんそのときだっていまとかわらず、世界各国のリーグ戦、欧州CL、コパ・リベルタドーレス、ユーロ、南米選手権等々はTV中継されていた。日本サッカーのレベルがどのくらいなのか、万人が判断できる状況だった。にもかかわらず、日本のサッカー関係者、メディア、一部のサポーター等は、日本が世界の強豪と合い渉れると信じていたのだ。

日本サッカーを変えた「お雇い外国人」

W杯ブラジル大会の日本代表惨敗を境に、日本サッカーは名実ともに凋落傾向にある。だれもが世界との格差を思い知るようになった。そこにハリルホジッチの登場である。

日本サッカーをいい意味で変えた外国人といえば、クラマー、トルシエ、オシムが思い浮かぶ。そしてハリルホジッチが、彼らに次ぐ存在になろうとしている。4人の存在から明確なように、日本サッカーの危機は日本人指導者ではなく、外国人指導者によってもたらされるということだ。いまだ日本のサッカー界は明治時代と変わらず、「お雇い外国人」に教えを乞う状況にある。日本のサッカー選手は海外でもプレーできるまで成長したが、指導者はそこまでいっていない。

正当な批判を好まない「日本のサッカー村」

日本のサッカー指導者では、代表選手を束ねて体脂肪率について注意を促し、審判団の判定基準を糺し、プレーの質を改善するよう促すような発言ができない。自信がないのだ。ハリルホジッチのような発言をすれば、Jの各クラブの指導者、審判団、選手を結果的には貶めることになる。瑕疵を指摘すれば、指摘された側は傷つく、その結果、日本のサッカー村(サッカー業界)から村八分になる、メディアから叩かれる・・・そう考えると、おとなしくしていた方が…という結論に達するのかもしれない。正当な批判を許さない“なにか”が日本のサッカー村に蔓延している。それがガラパゴス化を生んでいる主因だろう。

「お雇い外国人」がガラパゴス化の流れを止める

日本サッカー界にあって、ハリルホジッチのような情熱を持った指導者を得たことは幸いだった。サッカー協会(JFA)の放った久々のヒットである。本来ならば、JFAやJリーグ幹部がやらなければいけないことを、「お雇い外国人」がやっているという寂しい情況であることは残念なのだが、だれかがやらなければガラパゴス化を防げない。

筆者がハリルホジッチに期待するのは、Jリーグ前後期制度の廃止である。日本の広告代理店主導から世界基準へ――サッカーを一日も早く正常化しなければならない。前後期制度の欠陥については、前期がおわったところでこれまた、万人が気づくであろう。

2015年5月8日金曜日

イギリスからお客様

娘のイギリスの友達がボーイフレンドを連れて遊びに来た。

ドラマーで、大阪の高槻の音楽祭に出演したという。

二人ともノッティンガムに住んでいる。


2015年5月6日水曜日

村上春樹インタビュー(共同通信配信)―No.2

ブランドと地名

村上は作品中、固有名詞(商品名、人物名等)を散りばめることで、読者を引き込む技巧を駆使する。たとえば、近作の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(以下「色彩を持たない~」と略記)では、日本の高級車、レクサスがしばしば出てくる。レクサスは確かに“今”の日本、すなわちこの小説が書かれた状況における断片的事象を象徴する記号として有効だろう。ただし、レクサスがブランド価値を喪失しない限りの有効性である。レクサスが「トロイの木馬」の「木馬」のように、永遠にその名を留める“モノ”になるとは思えない。村上の利用する固有名詞の有効期限、賞味期限は、神話的時間単位と比べるまでもなく短い。

地名もしばしば活用される。『色彩をもたない~』では北欧フィンランドのあまり知られていない町が舞台の一つとなる。村上はこの地を冥界にたとえる。

「だから(※つくる=前掲書の主人公が)行く場所はフィンランドでなくてはいけない。アメリカでは異界という感じがしてこない。フィンランドもさらに北のほうに行くという感じが大事なんです」

ここでつくるは、クロという女性に再会する。この箇所を村上は、「もちろんクロは生きているのですが、でもイメージとしては死んだ人、あちらの世界に行ってしまった人なんですね。(略)クロもある意味では死者のほうに退いているわけです」と説明する。

村上は現存する地、フィンランド北部の町から冥界のイメージを受け取り、さらに、そこで暮らす女性(クロ)との16年ぶりの再会を死者との再会とイメージする。このようなイメージの連鎖が村上作品の一般形である。先述したように、村上作品では、登場人物が時空を超越し、彼岸と此岸、人間界と動物界等を自由に越境する。

注目すべきは、村上の冥界の地の選択である。『色彩をもたない~』において村上が冥界に選んだ地は、北欧フィンランドのさらに北にある。そこには死臭、腐敗した肉片、飢餓といった負のイメージは抱かれない。村上の冥界はあくまでも清浄、無菌な「北欧風イメージ」である。冥界の住人であり死者であるクロからは、生活臭、汗、気忙しさといった要素が注意深く消去され、クロには豊かで静謐な自然の中、質素だが豊かな暮らしぶりが保証されているかのように描かれる。そこでは現実の生は昇華し、あたかも聖化されていて、現実界に虚無的姿勢をとる読者にとって理想郷である。

神話は生の人間の営み

神話にあって死者との再会の地が美しいところとは限らない。過酷な自然、獰猛な怪獣や蛮族等によって行く手を阻まれることもある。そればかりではない。神話では、日常における人々の営み――裏切り、欺瞞、愛憎、失意、恋愛、失恋、家族崩壊、喪失、姦計、不倫、謀略等が入り乱れる。神話の英雄たちはそれらを乗り越え、あるいは逆にそれらを駆使して、逆境を乗り越える。神話が個人の物語と重なるのは、そのような人間の現実界を織り込んでいるからである。

村上は、神話と称して、冥界・異界を“超都会化”する。そこで、都市生活者の一部=村上文学の愛読者=現実生活に対して虚無的な態度をとろうとする生活者から、強い共感を得る。人間界の諸々を捨象して、清浄・無菌な世界を冥界・異界とするのは、村上がそのような読者の切望に敏感に迎合するからである。

繰り返すが、村上のいう<神話>とは、都会の中で、実生活に虚無的な者によって理想化された世界の再現の物語にすぎない。

2015年5月2日土曜日

村上春樹インタビュー(共同通信配信)―No.1

ノーベル賞「候補」作家の村上春樹が自らの時代認識と小説について、記者(聞き手;共同通信編集委員・小山鉄郎)のインタビューにこたえた。村上文学を知るうえで重要な記事だと思えるので、所見を述べておきたい。

同記事は、「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る」(以下「時代と歴史と物語」。『東京新聞/2015/4/17/朝刊』)、「村上春樹さん、村上文学を語る」(以下「村上文学を語る」。同紙/2015/4/28/朝刊)の2回に分けて掲載された(掲載日は新聞各紙によって異なるらしい)。

「時代と歴史と物語」は記者の質問に村上が回答する形式、「村上文学」は両者のやりとりを聞き手が要約する形式となっている。新聞記事なので短いため、村上本人の意が尽くされたかどうかは不明だが、その分、村上の創造の核となる部分が簡潔に表現されていてわかりやすい。以下記事を読んでいない人のため、核心と思われる部分を書き抜いておく。

村上:先日「アルジェの闘い」という1960年代につくられた映画を久しぶりに見ました。この映画では植民地の宗主国フランスは悪で、独立のために闘うアルジェリアの人たちは善です。僕らはこの映画に喝采を送りました。(略)60年代は反植民地闘争は善でした。その価値観で映画を見ているから、その行為に納得できるのです。でも今、善と悪が瞬時にして動いてしまう善悪不分明の時代に、この映画を見るととても混乱してしまう。
(略)
村上:今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていることです。テロリズムという、国境を越えた総合生命体みたいなものが出来てしまっている。これは西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題です。(略)長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウンです。それはベルリンの壁が壊れたころから始まっている。
(略)
村上:僕の小説はある意味では「ロジック拡散」という現象に併走しているんじゃないかと思う。僕は小説を書くにあたって意識上の世界よりも意識下の世界を重視しています。意識上の世界はロジックの世界。僕が追及しているのはロジックの地下にある世界なんです。(略)ロジックという枠を外してしまうと、何が善で何が悪だかだんだん規定できなくなる。善悪が固定された価値観からしたらある種の危険性を感じるかもしれないですが、そのような善悪を簡単に規定できない世界を乗り越えていくことが大切なのです。でもそれには自分の無意識の中にある羅針盤を信じるしかない。
――村上さんの物語はその闇のような世界から必ず開かれた世界に抜け出ています。その善い方向を示す羅針盤はどこから生まれてくるのですか。
村上:体を鍛えて健康にいいものを食べ、深酒をせずに早寝早起きをする。これが意外と効きます。一言でいえば日常を丁寧に生きることです。すごく単純ですが。
(「時代と歴史と物語」より)
「自然な物語を書こうとするとき、最初からプランを作ってはいけないのです。森の中の獣を見るように、じっと目を凝らして、その獣の動きに従って自分の動きを作っていく。そうすると、どうしても無意識的なものにならざるを得ないのです」
その自然の獣の動きをじっと見るような動きは、神話の動きとよく似ているという。
「神話は人間の集合的な潜在意識を形にしたもの。物語を僕が書く、僕の潜在意識。ところが僕の潜在意識をずっと底の方までたどっていくと、集合的な潜在意識と重なってきます。神話と個人の物語は同じではないけれど、その動きは重なる部分が多いです」
(「村上文学を語る」より)
脱構築、脱領土、集合的無意識

村上の語り口から、脱構築、脱領土、集合的無意識という3つのキーワードが浮かんでくる。

  1. 脱構築→「今が善と悪が瞬時に動いてしまう時代」「長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウン」
  2. 脱領土→「今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていること」
  3. 集合的無意識→「神話は人間の集合的な潜在意識を形にしたもの。物語を僕が書く、僕の潜在意識。ところが僕の潜在意識をずっと底の方までたどっていくと、集合的な潜在意識と重なってきます」「意識上の世界よりも意識下の世界を重視」

さて筆者は、“今”についての認識において、村上とは異なる。“今”(2015年)の日本は、アジア太平洋戦争の敗戦によって日本にもたらされた戦後民主主義(1945)が、米国(軍)の対日占領政策の転換(1947)によって制限された――日本が米国(軍)の東アジア政策に組み込まれ、隷属的体制に固定化された――1947年以降の情況とまったく変わっていないと思っている。その間、村上がいうとおり、冷戦終結(ベルリンの壁崩壊)という世界史的大転換があったものの、中国・ロシア・イスラム圏の成長拡大を代替要因として、米国(軍)の対日政策は、冷戦構造を引き継ぎ今日に至っている。つまり、村上春樹がいう、「善と悪が瞬時に動く時代」なのかどうか――筆者は村上の“善悪不分明の時代”という時代認識に疑問を抱く。

“今”は果たして「善と悪が瞬時に動く時代」なのだろうか。日本の近現代において、善と悪が瞬時に動いたのは、明治維新(1868)、アジア太平洋戦争敗戦(天皇制ファシズムから戦後民主主義受容(1945~1947)、米軍の対日占領政策転換(1947~1951)、安保闘争敗北(1960)、「1968年革命」敗北等々が挙げられる。ただし、「安保闘争」「1968年革命」の敗北・挫折は、左翼陣営に属する動きであって、国民的体験ではない。かつ、この2つは1947年の米軍の対日占領政策の転換の帰結に属する。

つまり、日本の近現代において善と悪が瞬時に動いたのは、▽明治維新、▽アジア太平洋戦争敗戦、▽米国(軍)の対日占領政策転換――の3つしかない。そしてそれらのいずれも村上は実体験していない。それゆえ、村上が言う「善と悪が瞬時に動いた」という認識は、極私的な小情況に基づく可能性が高い。だから、外からはそれが何なのかを確言できないし、他者にとってはどうでもいいことかもしれない。

善悪に与しないのが村上の立ち位置

というよりも、村上は敢えて自分の立ち位置を善にも悪にも定めないことに決めたのではないか。“今”が善と悪が瞬時に動く時代なのではなく、“今”の村上が、善と悪のどちらにも与しない、と決めたに過ぎないのではないか。そのことによって、善と悪を相対化し、気分に任せ、善でも悪でもない言葉を垂れ流すこと、ロジックにとらわれないファンタジーを紡ぎ続けること――をもって、それを村上文学の「神髄」と定めたのではないか。

しかし、それだけなら村上文学はファンタジーだと自ら規定してしまうことになるから、カール・グスタフ・ユングの中心概念である集合的無意識を引っ張り出して、村上春樹という“個人の夢や空想に現れるある種の典型的なイメージ”を民族や国家を越えた神話として、国境を越えた(=脱領土的)物語と言い換え、普遍化して表現したのではないのか。

“僕(村上春樹)の小説は、民族や人類に共通に古態的(アルカイク)な無意識だから、世界的(脱領土的)に読者を獲得できるのです”と、説明しようとしたのではないか。そう説明することによって、自らの小説が、ノーベル賞に値すると。

村上は、“今”、ロジックの消滅、拡散、メルトダウンが世界規模で人々の気分のなかで横溢しているという意味のことを述べているが、今の時代における支配と被支配、搾取と非搾取、富者と貧者、北と南といった二項対立の関係と構造はロジックで説明できるし、説明しなければいけない。前出の映画「アルジェの闘い」の時代となんら変わっていない。ただ、植民地と宗主国という関係と構造が消滅し、どちらも独立国に変わったため、両者の関係と構造(宗主国-植民地)が“今”や見えにくくなっただけなのではないか。その背景に、脱領土的な多国籍企業の強力な影響力が働いていて、一国的な支配者と抵抗者という図式が見えにくくなっているとは思うが。

村上文学はハーレークイーンロマンス

村上春樹の小説が、世界的に多くの読者を獲得していることを認めないわけにはいかない。が、その現象は、「ハーレークイーンロマンス」が世界的に支持されていた現象と差異がないように思える。「ハーレークイーンロマンス」は定型に近い筋書きがあり、読者が期待する結末で終わる。一方の村上文学は、現実と非現実、動物界と人間界、彼岸と此岸、過去と現在の境界は自由に越えられる。両者の文学スタイルはまったく異なっているのだが、どちらも読者の気分に併走するという意味において差異がない。

無意識に依拠する村上の文学方法論は疑問

村上春樹の作品が村上自身の私的体験のイメージ化という一点において、その存在価値は認められる。それが村上文学ならばそれでいい。しかし、「物語を僕が書く、僕の潜在意識。ところが僕の潜在意識をずっと底の方までたどっていくと、集合的な潜在意識と重なってきます。神話と個人の物語は同じではないけれど、その動きは重なる部分が多い」というふうに方法化されると、ちょっとまってほしいといいたくなる。

村上がいう自動記述のような方法で作品ができあがるのかどうか、はなはだ疑問が残る。読み直し、書き直し・・・推敲を重ねるうちに、潜在意識とは別の要素が混入してこないのだろうか。その過程で洗練化された表現は、おそらく集合的潜在意識(「集合的無意識」)とかけ離れたものとなるだろう。

2015年5月1日金曜日

5月の猫

文字通りの五月晴れで5月が始まった。

猫の体重測定から記しておく。

Zazieは4.1kg(前月比100g減)、Nico は6.3㎏(同200g増)。

前者は4kg台前半、後者は6kg台前半で推移している。

成長して安定期なのか。



2015年4月24日金曜日

東京都現代美術館






山口小夜子・未来を着る人

1970年代から、世界規模のファッションモデルとして活躍した山口小夜子の展覧会である。

タイトルは「未来を着る人」(The Wearist, clothed in the future)とある。

しかし、同世代の筆者からすると、このタイトルには違和感を覚える。

小夜子は常に「今」を着るモデルであり表現者(パフォーマー)だったように思うから。

そして、残念ながら小夜子の「今」は、2007年をもって終焉してしまった。

同展は小夜子の、①演じる者としての作品(舞台女優、舞踏家、パフォーマー)、➁モデルとしての作品(ファッションモデル、コマーシャモデル・・・)、③クリエーターとしての作品(人形劇の衣装、洋裁学校時代のイラスト等)、④現代作家が小夜子に捧げた新作――によって構成されている。

小夜子が、いわゆるファッションモデル、CMモデルの枠を超えた存在だったことがよくわかる。

もう少し長く生きていてほしかった、と思うのは筆者ばかりではなかろう。