2006年9月18日月曜日

『三島由紀夫文学論集1』

●三島由紀夫〔著〕 ●講談社文芸文庫 ●1300円+税

三島由紀夫は好きな作家ではないし、作品も余り読んでいない。だが、いつも気になって仕方がない存在である。その理由は、言うまでもなく、三島が自衛隊市谷駐屯地に突入して、割腹自殺を図ったからである。その理由、その精神状態、その思想的根拠については、まだ十分に議論されていないし、不明な部分が多いように思う。方法としての「死」という論法に苛立ちを覚えるのである。

三島由紀夫はテロリストではない。彼は突入の日、だれも殺さなかったばかりか、傷つけてさえいない。「憂国の士」を気取りながら、三島は「2.26事件」の青年将校とは異なっていたし、彼が『奔馬』で描いた神風連や主人公(勲)とも異なっている。三島の死は、政治的脈絡ではなく、文学的な帰結だと考えられる。

三島の文学評論の中で、最も注目すべき作品が『太陽と鉄』である。本書は難解で理解しにくい。その理由は、評論という体裁をとりながら、はなはだ論理的ではないからである。

本題の<太陽>と<鉄>とはそれぞれ何か。

太陽との出会いは2度あったという。1つ目は1945年の敗戦の夏。三島15歳のときだった。部屋に篭り書物を読みふけり、夜を志向していた少年時との決別の瞬間である。そして2つ目は1952年、海外旅行へ出たときの船の上甲板で見た太陽だという。いずれの太陽も、夜=思考に対する反措定にほかならない。

鉄とは、三島が打ち込んだボディビルの用具――ダンベルやベンチプレスなどのウエイト器具のこと。三島はウエイトトレーニングを自らに課し、筋肉隆々の肉体を築き上げ、さらに剣道に熱中した。トレーニングで使用する鉄塊の量が増した分だけ、自分の筋肉の量が増えていく、と三島は本書に書いている。

太陽も鉄も、三島独特の反知識人論の象徴だと考えられる。1950~60年代の日本では、とりわけ文学者、作家・・・総じて知識人といわれる人種は、文壇に属し、夜な夜な酒を飲み、青白き「インテリ」というのが相場だった。思考=言語とはすなわち書物であり、書斎から生まれるものだった。三島はそれを太陽と鉄によって、否定して見せたわけだ。

しかし、そういう知識人のあり方、思考と肉体の関係が、実際の思想形成や作品創意に対して、どのような影響を及ぼすかについては、実際には論証しにくい。筋肉がつけば思想や創意が変化する、あるいは人間精神に変異が生ずるという実証は難しい。三島の太陽と鉄が、“健全なる肉体に健全なる精神が宿る”というような、卑俗な肉体精神主義と選ぶところがなくなる。少なくとも、本書でその関係が論証できているとも思えないのであって、そこが、本書の難解さの所以となっている。

本書には、三島の思想的核心をなしたと思われる3つの体験が書かれている。体験を啓示と考えて差し支えない。

1つは、三島が神輿を担ぎながら、青空を見上げたときのもの。三島は幼いころ神輿を担ぐ若者たちをみて、彼ら(集団)は何を考えながら神輿を担いでいるのかを想像していたという。そして、青年を過ぎて三島自身が神輿を担いだとき、

《(集団の中で)何も考えず、ただ空だけを見上げていた》ことを実感する。そして、三島は、《青空のうちに、私が「悲劇的なもの」と久しく読んでいたところのものの本質を見た》というのである。

もう1つは、三島が自衛隊に体験入隊したときの初夏の夕方のことである。三島は一人で宿舎に戻るとき、《そこには何か、精神の絶対の閑暇があり、肉の至上の浄福があった・・・私は正に存在していた!》と書きとどめている。そして、《そこでは多くの私にとってフェティッシュな観念が、何ら言葉を介さずに、私の肉体と感覚にじかに結びついていたのである。軍隊、体育、夏、雲、夕日、夏草の緑、白い体操着、土埃、汗、筋肉、そしてごく微量の死の匂いまでが》と続けた。

3つ目の啓示は、国立競技場のトラックを一人で走っていたときである。そこで三島はアンツーカーの煉瓦色に百合の花粉の色を見る。そして、《走りながら、1つの想念が私の心を占めていた。すなわち、夜明けの悩める百合と、肉体の清浄との関係・・・肉体の清浄と神聖に関する少年の偽善とのつながり、聖セバスチャンの殉教の主題》へと己の観念を馳せるのであった。
百合と聖セバスチャンとくれば、これは同性愛の暗示である。三島は『聖セバスチャンの殉教』というタイトルの自身のヌード写真集(撮影/篠山紀信)を出している。

最後に、三島はこうまとめる。
 肉体は集団により、その同苦によって、はじめて個人によっては達しえない或る肉の高い水位に達する筈であった。そこで神聖が垣間見られる水位にまで溢れるためには、個性の液化が必要だった。のみならず、たえず安逸と放埓と怠惰へ沈みがちな集団を引き上げて、ますます募る同苦と、苦痛の極限の死へとみちびくところの、集団の悲劇性が必要だった。集団は死へ向かって拓かれていなければならなかった。私がここで戦士共同体を意味していることは云うまでもあるまい。
 早春の朝まだき、集団の一人になって、額には日の丸を染めなした鉢巻を締め、身も凍る半裸の姿で、駆けつづけていた私は、その同苦、その同じ懸声、その同じ歩調、その合唱を貫いて、自分の肌に次第になじんで来る汗のように、同一性の確認に他ならぬあの「悲劇的なもの」が君臨してくるのをひしひしと感じた・・・われわれは等しく栄光と死を望んでいた。望んでいるのは私一人ではなかった。
何度も繰り返すとおり、『太陽と鉄』は難解な書である。「悲劇的なもの」の本質、「微量の死の匂い」「同性愛」そして、「戦士共同体」と続く記述に、「盾の会」結成から自衛隊市谷駐屯地突入までの行動の構想を読み取ることもできるけれど、徹底して反文学、反知性を貫く本書の三島の姿勢のどこまでが三島の心底の声であるかもわからない。三島由紀夫は依然、謎の作家であり続けるばかりだ。