2007年3月19日月曜日

『ギリシャを巡る』

●荻野矢慶記〔著〕 ●中公新書 ●1000円+税

ギリシャという国は、高校の世界史では古代文明の箇所で華々しく登場するものの、ローマ帝国の成立後、その記述から忽然と姿を消してしまう。ヨーロッパにおいて、古代、中世、近世のギリシャをイメージすることは、わが国の高校世界史においては、およそ不可能な状況にある。

学校が教える世界史は、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)がギリシア人の帝国であることを明記しない(少なくとも、筆者にはそう教えられた記憶がない)。最盛期におけるローマ帝国の東半分の実態というのがわからないまま、高校生は、ローマ帝国の分裂、西ローマ帝国の滅亡を学習し、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の成立を表層的に学ぶにすぎない。

ビザンチン帝国(東ローマ帝国)とは395年にギリシャ人がつくった強大な帝国であり、その滅亡を1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノーブル征服とみなすと、極めて息の長い帝国だったことに驚く。

にもかかわらず、ビザンチン帝国を世界史において軽視する傾向は、西欧偏重の歴史学が日本の教科書執筆者に与えた悪しき影響の1つと想像することができる。帝国の国家機構、軍事力、宗教は、同時代の西欧とは一線を画していた。皇帝に集中した権力のあり方、そして、東方教会が果たした役割は、西欧中世の封建制とは異なっている。そうしたビザンチン帝国の詳細は、歴史教科書に載っていない。

帝都・コンスタンティノーブルはトルコ人による小アジア進出、オスマン帝国の建国とともにイスタンブールと改名され、いまはトルコ人がつくったイスラム国家の面影を伝えている。ビザンチン帝国(東ローマ帝国)がつくりあげたビザンチン文化は、東欧・ロシア等の周辺国にその名残を留め、西欧とは趣を異にする、いかにもローカルで異端のようなイメージを与える。

ビザンチン帝国は西ヨーロッパ、地中海世界、オリエント、アジアにどのような影響を与えたのだろうか。この大きな設問に回答できる力量は、もとより持ち合わせていないものの、ビザンチン文化が、カトリック、ルネサンス、宗教改革、市民革命、産業革命へと進む世界史の「正史」とまったく隔たった存在であるとも思えない。

ビザンチン帝国は、成立後のある期間、偶像崇拝を厳しく禁止した。ところが、偶像崇拝を禁ずる聖書の原理主義が帝国に定着することはなかった。むしろ、偶像崇拝禁止令の解除ののち、東方教会においては、それまで以上にイコン制作が盛んになった。

イコンの技法は、ルネサンス以降の宗教画とは異なる。西欧の宗教画はルネサンスを境に、遠近法を取り入れた。遠近法は、ルネサンス期の大発見の1つであり、写真のような宗教画の誕生は、近代に通じる扉の1つでもあった。

その一方、ギリシャ、東欧、ロシアでは、依然として遠近法を無視したイコンをつくり続けた。東方教会のイコンはルネサンス以降の西欧のキリスト教絵画と比較して、稚拙で非科学的かつ野蛮に見えるかもしれないが、イコンのもつ力強いタッチから、そこに東方教会の影響下に暮らす人々の信仰のパワーを感じないだろうか。遠くにあるものを小さく描く必要などない、心の中に大きな比重を占める存在は、遠くにあっても大きく描くべきだ――そう思わないだろうか。だから、イエスキリストに係る物語を絵画で表現するとき、遠近法で描く必要はない。描く者と描かれる対象が分離したとき――信仰と絵画も分離したのである。ルネサンス以降、宗教絵画は滅びた。

さて、本書はギリシャ観光の目玉となる遺跡等の名所、街並みの写真とエッセーである。パルティノン神殿に代表される古代文明、ビザンチン帝国の遺産、オスマントルコの影響、そして今日まで続く、ギリシャの豊饒の歴史をうかがい知ることができる。15世紀、ビザンチンの帝都コンスタンティノーブルはイスラムの手に落ちたけれど、ギリシャ各所には帝国の名残がいくらでも残っている。本書を手にすれば、高校の世界史から忽然と消えた幻の帝国の面影を取り返すことができるかもしれない。もちろん、ギリシャに出かけて、自分の目で確かめることのほうがよい。
(2007/03/19)

2007年3月18日日曜日

『マルチチュード』上下

●アントニオ・ネグリ マイケル・ハート〔著〕 ●NHKブックス ●各1260円

本書は、ネグリ=ハートの3部作『帝国』『マルチチュード』『革命(仮題)』の2作目に当たる。筆者は不覚にも1作目の『帝国』を後から購入したため、順番がおかしくなってしまった。それはともかくとして、久々に本格的な反権力・反米国・反資本主義の書に出会って新鮮な気分だった。

マルチチュードとは何か――本書を手にしたとき、だれもがそう思うに違いない。本書を通読することによりその答えが得られるのだが、イメージを伝える訳語としては、「多数性」という言葉が適当だろう。本書でそうルビがふってあった。マルチチュードは、プロレタリアート、人民、大衆、マス、国民とは異なっている。

本書によると、冷戦後、米国の単独行動主義による世界支配が完成した。その情況とは、国民国家同士による従来の「戦争」は姿を消し、「9.11」以降の「テロとの戦い」という、ボーダレスな内戦状態がグローバルに恒常化され、戦時体制により、民主主義は危機に瀕している。

また、グローバルな新自由主義経済が猛威をふるい、世界の富は北米、欧州、東アジアの一部に偏在し、南の多くの民は飢餓に苦しんでいる。19世紀に誕生した産業労働者(フォーディズム社会)は、20世紀後半から21世紀初頭にかけて労働の主役の座を下り、以降、情動的産業に従事する者(オフィスワーカー、デザイナー、サービス部門労働者等)がその主役となった(ポスト・フォーディズム社会)。つまり、19世紀的な産業労働者であるプロレタリアを率いる党が革命の主体となることはあり得ない。

こうした情況において、マルチチュードが、私的所有に根ざした新自由主義経済(資本主義)を排し、〔共〕に基づく経済の価値に従い、性、国家、言語、宗教等々の差異を前提としてゆるやかなネットワークを形成し結集(するとともに離散)し、多数者のための正政治を実現しようではないか――というのが本書のきわめて大雑把な論旨だろう。著者は、9.11以降の情況について次のように記している。
民主主義の新しい可能性は戦争という障害に直面している・・・現在の世界は全般化された永続的かつグローバルな内戦によって特徴づけられ、この絶え間ない暴力の脅威が民主主義の実現を効果的に阻んでいる。永続的な戦争状態が民主主義を無期限に差し止めているだけでなく、民主主義を推進する新しい圧力や民主主義の可能性の存在が、主権権力の側から戦争という応酬を受けているのだ。戦争は民主主義を封じ込めるメカニズムとして機能している。主権関係の均衡が崩れるにともない、あらゆる非民主的な力がその基盤として戦争と暴力を必要とするようになった。こうして近代の政治と戦争の関係は逆転したのである。戦争はもはや政治権力が限定された事例において自由に使える手段ではなく、戦争そのものが政治システムの基礎を規定するものとなりつつある。戦争が支配の形態となりつつある。(下巻P.238~P.239)
(2007/03/18)