2012年11月27日火曜日

ますます動きが鈍くなった猫たち

寝てばかりのNico
抱かれたがりのZazie

2012年11月11日日曜日

猫の最近の動向

「なんにでも首を突っ込む」というのは、人間にあっては、あらゆることに生半可に興味をもつものの、なにごとも成し遂げられない、という意味。
気温の低下とともに、猫は人間との接触率が高くなる

2012年11月6日火曜日

中国から来た青年の話

先般、家人の中国関係の取引先の青年・章(ジャン)君と二度ほど食事をした。台州の出身だという。章君とカタコトの英語と漢字の筆談を交わしたところ、彼の曽祖父・祖父は地主・資本家であったため、毛沢東の文化大革命の渦中、投獄・財産没収の憂き目にあったということが判明した。章君は、筆者が紙に書いた「造反有理」の文字に×を付けた。

筆者は、文化革命があった当時の中国については、厳格なプロレタリア国家だと思っていた。だから、文化大革命が起きた理由を理解できなかった。毛沢東が革命を成功させたのが1949年、文化大革命の勃発が1960年代後半であった。文化大革命は、毛沢東率いる中国共産党による革命から10年超しか経っていなかった時点で起きた。筆者を含め多くの日本人は、中国がソ連・東欧と並ぶ巨大な労働者国家だと思っていた。

文化大革命当時、章君の家は富裕層(地主・資本家)に属し、道教関連の蔵書がたくさんあったが、それも革命勢力によって焼失させられたという。ということは、文化大革命当時の中国は、かなり貧富の差があったわけであり、旧勢力=地主・資本家層が温存されていたことがわかった。毛沢東が進めようとした革命後の革命、すなわち永続革命は、広大な中国社会に温存された旧勢力を一掃することだったのだろうか。

章君のような話を聞くと、多くの日本人は、文化大革命で被害を受けた旧勢力=地主・資本家層に同情したくなるのだが、地主・資本家層は、共産主義革命前はもちろんのこと、その直後まで、農民・労働者を暴力的に支配し、搾取を続けていた。中国共産党による革命の大義は、圧政に苦しむ農民・労働者を解放することにあった。ところが、1949年に権力奪取に成功した中国共産党であったが、全国的解放が一気に成し遂げられたわけではなかった。広大な中国のことだから、旧勢力が温存された地域も多かったのだろう。毛沢東は、温存された旧勢力の巻き返しを恐れ、革命の革命を続行しようとした。そのことが、造反有理が意味する根本思想なのだ。

台州は上海に近く、浙江省の省都・杭州から車で1時間もかからないところ。文化大革命が進められた1960年代後半、そんな都市部においても、権力の完全な移行は成し遂げられていなかったのだ。

しかし、文化大革命は頓挫し、天安門事件の大弾圧を経て、旧勢力の利益を代表する勢力が一気に台頭し、中国は巨大な官僚独裁資本主義国家に変容を遂げ、今日まで、いびつな経済的発展を遂げてきた。

さて、そんな章君は弱冠28歳の普通の青年だ。骨董品の買い付けを仕事にしている。彼が言うには、台湾・日本には中国の古い部分が色濃く残されているのだと。今日の巨大な官僚資本主義国家・中国は、文化大革命で喪失した自らの文化遺産を、日本や台湾に求めて、買い戻そうとしているわけだ。

章君は大学卒業後、友人と会社を興し、働き通しだったという。その後、いま勤務している会社の社長に見出され、骨董品バイヤーという職についたのだが、彼はそのことを喜んではいるものの、いずれ転職もしくは独立を目指しているようだ。

そのことをもって、中国の若者には夢がある、と速断してはならない。彼は恵まれた若者の一人にすぎない。たとえば、尖閣をめぐる問題で、仕事がみつからない多くの中国の若者が官制デモに参加し、「愛国無罪」に守られ、日本資本の小売業や工場を破壊した。彼らは日ごろの鬱憤を晴らし、中国政府は民衆のガス抜きを計る。その「主役たち」と筆者が出会う可能性は、今現在、限りなくゼロに近い。

将来に希望を抱く恵まれた章君には申し訳ないが――そして、筆者の勝手な希望的推測にすぎないが――いずれ近い将来、中国に新たな権力闘争が起こる可能性は低くないと思いたい。官制デモに参加した底辺層の民衆が造反有理を掲げる日が必ずや来ると思いたい。天安門事件が起きたのが1989年(23年前)。あの事件による数千といわれる犠牲者の鎮魂は、終わっていないのだから。

2012年11月2日金曜日

Zazie, Nico(11月)


昨日(1日)、猫の体重を測定したところ、Zazieが2.6㎏、Nicoが5.8㎏と、ともに前月比、0.3㎏減となった。

二匹ともマイナスというのが意外。秤が狂ったか・・・