2019年6月28日金曜日

優勝絶対を義務付けられた原体制

日本プロ野球(NPB)は交流戦終了後の小休止状態。読売を除く11球団に動きはなかったので、読売の活発な補強がよけいに目立った。リリーフ投手陣強化を目的として、MLB経験のあるダイヤモンドバックス傘下3Aリノのルビー・デラロサ投手(30)を獲得。さらに日本ハムとのトレードで、藤岡貴裕投手(29)、鍵谷陽平投手(28)を獲得。巨人側の交換要員は吉川光夫投手(31)、宇佐見真吾捕手(26)だった。

外国人10人はいかにも過剰

デラロサの加入で読売の外国人選手は、スコット・マシソン、テイラー・ヤングマン、サムエル・アダメス、クリストファー・メルセデス、ライアン・クック、ルビー・デラロサの6人、野手がホルヘ・マルティネス、クリスチャン・ビヤヌエバ、アレックス・ゲレーロ、イスラエル・モタの4人で、なんと10人に膨れ上がった。一軍で使えるのは4選手だから、外国人選手の登録~抹消が前半以上に活発化する。

菅野、マシソンの早期復帰が叶わなければ

肝心の投手陣だが、交流戦最終試合のソフトバンク戦で先発したエース・菅野が絶不調で早々と降板した。その原因については、部外の筆者に詳しいことはわからない。考えらえるのは、①一時的体調不良、②過労、③故障――のいずれかだ。体調不良・過労ならいまの小休止で回復可能だが、腰、肘、肩等の故障だと読売にとってたいへんなマイナスとなる。交流戦で新たな先発投手として、桜井、田口、今村が台頭したので、菅野、メルセデス、山口と併せて先発6枚が揃うはずだった。ヤングマン、高橋優も先発復帰の可能性があるから、先発の駒は十分のはずだった。菅野が長期間離脱すると、先発で勝ち星が計算できるのが山口ひとりとなり、かなり苦しい。

救援陣は、勝ちゲームの6回、7回、8回が埋まらない。クローザー(ラストイニング)は中川でほぼ決まり。セットアッパーについては、これまで切り札だったマシソンの離脱が長期化するようだと、クック、デラロサ、澤村、畠、高木、鍬原、戸根、大竹、野上、宮國、田原、そして前出の新加入の藤岡、鍵谷のうち、調子のいい投手を相手の打順、打者等を勘案して登板させる方式に落ち着きそうだ。

さらに懸念されるのが、中川の離脱。前半戦で相当投げ込んでいるので、この先どうなるか。中川にはフルシーズン、緊迫した状況で登板し続けた経験がない。交流戦後の小休止で精神の緊張が緩んだとき、調子を落とすこともありがちだ。

カネで優勝は買えない

読売の投手陣を眺めると、素質は十分ありそうな選手がいるのだが、育ち切っていない。二軍から一軍に上げてテスト登板させ打たれれば、二軍に逆戻りのパターンが定型化している。一度目は好投できなくても、一軍に帯同させ、「次」の機会を与えてもいいのではないか。読売にその余裕がないのは、出戻り原監督に「絶対優勝」を義務付けているからだろう。かりに今シーズン、読売が優勝できたとしても、その先の展望はない。しかも、これだけ金銭を投入して優勝できなかったならば、焼野原しか残らない。チームには絶望感しか残るまい。カネで優勝を買おうとする読売球団は、球界から一日も早く消えてほしい。

2019年6月23日日曜日

日本プロ野球(NPB)は後半戦へ

6月23日(日)をもって交流戦が終了。交流戦優勝はソフトバンクであった。これより日本プロ野球(NPB)は後半に突入する。

さて、筆者の開幕前の予想は――
〔パリーグ〕
1.日本ハム、2.楽天、3.ソフトバンク、4.西武、5.オリックス、6.ロッテ

〔セリーグ〕
1.広島、2.読売、3.阪神、4.DeNA、5.ヤクルト、6.中日
であった。

交流戦終了時点で、パリーグが、1位・楽天、2位・ソフトバンク、3位・西武、4位・日本ハム、5位・ロッテ、6位・オリックス。

セリーグが1位・読売、2位・広島、3位・阪神、4位・DeNA、5位・中日、6位・ヤクルト となっている。

パリーグについては、故障者多数のソフトバンクがこの先、故障者の復帰に従い戦力を整え、首位に躍り出る可能性が強まった。筆者は3位と予想したが、外れそう。

セリーグは、筆者の開幕前予想のとおりAクラス3球団とBクラス3球団の実力の差異が鮮明で、読売ー広島のつばぜり合いが続きそう。阪神は打撃陣が弱体で、3位確保がやっとだろう。読売、広島のうち、投手力を整備できたところが優勝する。

「飛ぶボール」で本塁打量産の前半だったが

前半、顕著だったのが「飛ぶボール」。交流戦前、読売の坂本は50本超えのペースだったが、交流戦に入るや調子を落とし、彼の本塁打量産ペースは一段落した。坂本に限らず、交流戦では派手な本塁打が飛び交うゲームが激減。理由は定かではないが、ボールの質が変わった可能性が高い。リーグ戦に戻ってどうなるか、注目したい。

2019年6月14日金曜日

『Noでは足りない―トランプ・ショックに対処する方法』

●ナオミ・クライン〔著〕 ●岩波書店  ●2600円+税

本書は、トランプのビジネスマン時代のありようから、2016年アメリカ大統領選で民主党のヒラリー・クリントンに勝っての大統領就任、そして就任直後に発せられた過激な施策まで通したトランプ論である。トランプが大統領になれた背景、そして、彼を大統領にしたアメリカの深層をも明らかにしている。その手法は、著者(ナオミ・クライン)の過去の著作、『ブランドなんか、いらない』『ショック・ドクトリン』『これがすべてを変える――資本主義vs.気候変動』を踏まえたもの。冷戦後の世界を制覇した新自由主義革命をさらに進めようとするトランプの脅威に「NO」というだけではなく、それを超える「リープ・マニフェスト」で締め括られている。

「トランプ」というブランド

2019年2月28日、トランプの元顧問弁護士で連邦議会への偽証、選挙資金違反、脱税などの罪で禁固3年の有罪判決を受けたマイケル・コーエン元弁護士は、連邦議会でトランプ大統領による犯罪行為について証言をした。そのとき世界のマスメディアが取り上げたのが次の件(くだり)だった。

I am ashamed because I know what Mr. Trump is. He is a racist. He is a conman. He is a cheat.(トランプ氏は人種差別主義者で詐欺師でペテン師だ。)

もう一カ所注目すべき箇所がこの件である。

Donald Trump is a man who ran for office to make his brand great, not to make our country great. He had no desire or intention to lead this nation-only to market himself and to build his wealth and power. Mr. Trump would often say, this campaign was going to be the “greatest information in political history.(トランプ氏は、米国を偉大にするためでなく、自分のブランドを偉大にするために出馬した。彼はよくこの選挙活動は政治史上、最も偉大なインフォマーシャル(テレビの通販広告)だと話していた。)

コーエン元顧問弁護士が本書を読んでいたのかどうか確かめるすべはないものの、著者(ナオミ・クライン)も本書において、トランプをブランドという観点から分析している。その手法は著者(ナオミ・クライン)が『ブランドなんか、いらない』という著書で明らかにした、現代の生産と消費がブランドという記号によって支配されているという立論の延長線上にある。

今日、トランプ・ファミリーが展開している不動産事業は、土地建物を取得しそれを開発=加工(マンション、商業ビル、ホテル等)して付加価値をつけ譲渡するといった、従来型不動産開発業とは異なっている。トランプ式不動産業は、他人が開発した物件に自分の名前でありブランドである「トランプ」を付与して稼ぐというブランディング事業、イメージを売る事業に変質していて、トランプ・ブランドの展開は世界規模であるという。

不動産事業におけるこのようなブランド事業展開は日本ではあまり馴染みがないが、行われていないわけではない。かりに日本の某不動産開発業者が都心の一等地である青山あたりに高層分譲マンションを建て、それを「トランプ・タワー青山」と命名して売り出したとしたら、日本を含めた世界の富裕層は飛びつくようにそれを購入するだろう。トランプはそこで、ブランドライセンス使用料を徴収する。不動産事業も既にブランド、すなわちイメージを売る形態に変化している。ブランドはスポーツメーカー、ファストファッションなどの身近な業態から、不動産事業にまで広がっている。

トランプは自分のブランド力を上げるためにあらゆる手を尽くした。その成功例がテレビ『アプレンティス』というリアリティ番組の出演だった。この番組では成功する者とそうでない者が明確にされ、後者は「クビ(You`re fire)! 」の一言で切り捨てられる。

そしてもうひとつが、プロレスへの関与であった。トランプは、2007年に行われた「億万長者対決」でプロレス団体のWWEオーナーのヴィンスマクマホンとリング上で「対決」している(P62)。

テレビのリアリティ番組のなかの筋書き通りの「クビ宣言」、プロレスという筋書きに沿ったフェイクな闘い――トランプは空虚なイメージを拡散しつつ、トランプ・ブランドをアメリカのみならず世界に売り込んできた。大統領選立候補、当選、そして就任から今日に至るまで、トランプは夫人、娘及びその婿、息子たちを含めたトランプファミリーブランドを前面に出し続けた。そしてそのブランディングが失敗しているとはいい難い状況にある。著者(ナオミ・クライン)は次のように書いている。
フェイクの祝祭ともいうべきトランプ政権に、もしリアルな面がひとつだけあるとするなら、それはその中心にある飢餓――すなわち、純然たる強欲にほかならない。
(略)
その抑えることのできない飢餓――中心にある空虚さ――が物語るのは、きわめてリアルなものだ。それはトランプという人間の生み出した文化の中核にある、根深い空虚さにほかならない。そしてこの空虚さは、ライフスタイルブランドの隆盛と密接に結びついている。それがトランプに、絶えず拡大し続ける基盤を与えたのだ。あらゆるものを売るが、ほぼ何も所有することのない、中身の空虚なブランドが台頭してきたのは、それまで人々に共同体意識や共通のアイデンティティをもたらしてきた主要な組織が衰退していった数十年にあたる。すなわちこの時期、人々が互いを思いやり、気づかう緊密な近所づきあいや、終身雇用を約束する大規模な職場、普通の人が芸術をただ消費するだけでなく、自ら生み出すことのできる空間や時間、組織的宗教、顔の見える人間関係を基盤とする政治運動や労働組合、そして共通の会話を通して国の結束を強めることを目指す公益メディアなどが、急速に力を失っていたのである。(P71-72)
トランプというと、とりわけ日本においては、すぐにディール(交渉)という言葉が返ってくる。“トランプはディールの達人”というがごとくに。大統領就任後のトランプの言動から、そのようなキャッチフレーズが適正であるかのような印象を受けるかもしれない。北朝鮮キム・ジョンウンとの2度の会談がそのことを象徴する。トランプの伝記や彼が書いたビジネス本にはそう思わせるような言説であふれている。日本では、トランプはとてつもなく大きなプロジェクトをまとめ上げた――あるいは巨額の物件の売買を経験した――不動産ビジネスマンであるかのような受け取られ方が一般的である。もちろん、トランプにそうした経験がないとは言わないが、それは過去のことであり、しかも、失敗が多く何度も倒産寸前に追い込まれた。その後、トランプのビジネスは前出のようにブランドを売る形態に変わっていったのであり、彼が大統領選に立候補した動機も、前出のコーエン元顧問弁護士の発言のとおり、「トランプ・ブランドをインフォマーシャルする」ことだった。

トランプの登場は北米における歴史、文化、資本主義の帰結

トランプは大方の予想を裏切って共和党の大統領候補に勝ち上がり、さらに本選(2016)で民主党候補のヒラリー・クリントンを退けた。その理由は多くの研究機関等で分析されているが、とりわけ注目すべきは、「アメリカの有権者の大半はトランプに投票していない。ヒラリー・クリントンの得票数がトランプより290万票近く上回っている(P19)」という事実である。

ではなぜ勝てたのか。「そもそもトランプが勝てたのは、元はと言えば奴隷所有者の権利を守るために作られた選挙人制度のおかげだ(P19)」と、著者(ナオミ・クライン)は指摘する。選挙人制度の詳細について、著者(ナオミ・クライン)が本書において展開していないため、その真偽を確かめるには時間がかかる。だが、アメリカの大統領選挙制度がアメリカという特殊な歴史に規定された歪な構造をもったものだという指摘が重要である。換言すれば、アメリカもしくは北米の政治、経済、社会が普遍的なものではないということ。このことは改めて詳述する。

トランプの政治的・経済的もくろみ

著者(ナオミ・クライン)はトランプを次のように評する。
トランプは極端な人物ではあっても、異常というより、ひとつの論理的帰結――過去半世紀間に見られたあらゆる最悪の動向の寄せ集め――にすぎないということだ。トランプは、人間の生を人種、宗教、ジエンダー、セクシャリティ、外見、身体能力といったものを基準にして序列化する強力な思考システムの産物にほかならない。そしてこの思考システムは、北米の植民地化と大西洋奴隷貿易の最も初期の時代から、人種を武器として組織的に利用し、残忍な経済政策を推進してきた。(P11-12)
トランプが支持された素因は、アメリカ国民の保守と呼ばれる一団の深層的価値観とトランプの言動が共振したからにほかならない。それはヨーロッパから渡ってきた植民者が行ってきた先住民虐殺と排除の構造であり、労働力としてアフリカから奴隷として拉致してきたアフリカ系の人々への虐待と差別の正当化の論理である。人種の序列化は、WASP(白人、アングロサクソン系、プロテスタント)を頂点として、その下位にイタリア系、アイルランド系、東欧系…アジア系、アラブ系、アフリカ系を階層化するというシステムであり、加えて女性、LGBT、身障者等を下位に位置づける社会的価値観である。

アメリカは自由の国であり、努力して競争に勝てばほしいものは何でも手に入る、と日本人はこれまで信じて疑わなかったが、それは上層の者とそうでない層におけるごく少数の成功者、ほんの一部の者、に当てはまる例外的事項である。そしてトランプのアメリカでは、1%の勝者と99%の敗者の格差はこれまでになく広がる様相をみせている。

トランプ政権の内実

トランプ政権が打ち出している政治、経済施策とは、前出の「北米の植民地化と大西洋奴隷貿易の最も初期の時代」に培われた残忍な経済システムと「過去半世紀間に見られたあらゆる最悪の動向の寄せ集め」という、二重に最悪なものの寄せ集めである。著者(ナオミ・クライン)は、それを次のようにまとめている。
トランプの政治的・経済的もくろみの主要な柱は次のとおりである。規制国家の解体、福祉国家と社会福祉事業に対する徹底的な攻撃(人種主義的な敵意に満ちた恐怖の利用と、女性が権利を主張することへの非難によって部分的に正当化される)、国内に化石燃料ブームを起こすこと(気象科学を脇に追いやり、政府官僚の大部分の発言を封じることを必要とする)、そして移民と「イスラム過激派によるテロ」に対する文明的な戦い(その戦域は国内外で拡大しつづけている)。(P6-7) 
トランプ政権を担う者たち

トランプ政権の最高顧問たちは、発足当時から幾度となく交代があったとはいえ、基本的にはエネルギー産業、金融業・投資家、ゼネラルダイナミックス及びボーイングといった軍需産業の出身者が前政権までのように回転ドアを介さず、直接ホワイトハウスに乗り込んできた者たちだと言える。政権移行ではなく企業クーデターであると。エクソンモービル出身のレックス・ティラーソン国務長官(解任)、ゴールドマンサックス出身のスティーヴン・ムニューシン財務長官、投資家のウイルバー・ロス商務長官の名前は日本でもよく知られている。もちろん、最高顧問のほとんどは億万長者である。著者(ナオミ・クライン)はホワイトハウスの面々をこう評している。
主要な閣僚たちは単なる大富豪の代表サンプルというだけにとどまらない。トランプが任命した面々のなかには、地球上の最も脆弱な人々、あるいは地球そのものに――多くの場合、危機のさなかに――故意に害を及ぼすことで富を築いてきた人たちが驚くほど多く含まれている。あたかもそれが就任の条件であったかと思われるほどに。(P21)

新自由主義をより過激に推進するトランプ

トランプの経済運営は新自由主義の徹底化である。それは1970年代から世界中に波及した新自由主義革命と呼ばれる潮流であって、トランプが新たにつくりあげたものではない。しかしトランプが特異なのは、前出のアメリカの特殊な資本主義――アメリカ合衆国を誕生させた市場経済――セドリック・ロビンソンが「人種資本主義」(P116)と命名したアメリカ人の深層――を大統領選出馬から当選後に至るまでに大衆的に顕在化しつつ、それに新自由主義を上積みしたところを特徴とする。「人種資本主義」はその発展段階においては、先住民から奪い取った土地とアフリカから奪い取ってきた人々(奴隷という労働力)を土台とした。この二つはともに、人間の生と労働の相対的価値を序列化し、白人男性を最上位におく知的理論を必要とした(P116)。

地球温暖化に背を向けるトランプ政権

トランプは、大統領就任するや否や、先住民の聖地にあるダコタ・アクセス・パイプライン建設に関する環境調査を中止し、先住民の強固な反対を押し切って建設を再開する大統領令に署名した。2017年にはパリ協定からの離脱を宣言した。トランプ政権は、この二つの代表事例が物語るように、環境問題に後ろ向きである。その理由のひとつは、トランプを大統領に祭り上げた勢力がエクソンモービルに代表される化石燃料産業だからと説明できる。エクソンモービル社は、地球温暖化と二酸化酸素排出の因果関係は証明されていない、という知見を関連するシンクタンクに発表させた「実績」がある。トランプ政権はオイルまみれの政権(P88)なのである。

日本では、トランプはオバマの政策と真逆の政策を実行しようとしている、という説明がなされることが多い。前大統領への対抗意識をむき出しにしている、というふうに。そのような言説が間違いだとは言わないが、それよりも重要な視点がある。地球環境問題はトランプ政権誕生からアメリカ及び世界を席巻している新自由主義にとって“致命的な問題”であるということだ。

新自由主義とは何か

ここで新自由主義について改めて著者(ナオミ・クライン)の見解をまとめてみよう。トランプが不動産ビジネスを通じて目指したもの、そして大統領就任後に彼が目指す社会と経済を支配するイデオロギーは前出のとおり、新自由主義である。

新自由主義とは「多大な利益をもたらす一連の考え方であり、私がそれをイデオロギーと呼ぶことには若干のためらいを感じてしまう」(P98)と、著者(ナオミ・クライン)は言うが、「イデオロギー」と言うべきか「経済施策」と言うべきか、はたまた、「強欲への熱情」と言うべきかはともかくとして、著者(ナオミ・クライン)の新自由主義に係る定義は以下のとおりである。
新自由主義とは資本主義の極端な形態であり、1980年代にロナルド・レーガン政権やマーガレット・サッチャー政権が新自由主義に基づく政策を推進した。
(略)
新自由主義とは、言い換えれば、公共部門を敵視し、市場メカニズムや個々の消費者の判断以外のものを悪と見なす経済施策のことである。
(略)
新自由主義の世界観では、政府は民間企業が最大限の利益と富を得るのに最適な状況を作り出すために存在する。この考え方の基盤にあるのは、利益があがり経済が成長すれば、富裕層の富が流れ落ちて最終的にはすべての人に利益をもたらすという、トリクルダウン理論だ。
(略)
新自由主義のプロジェクトのおもな政策手段は、公営事業の民営化、企業領域における大幅な規制緩和、公共サービスの削減による減税など、馴染み深いものばかりで、これらはすべて企業に有利な貿易協定によって確定される。
(略)
新自由主義の中核にあるもの、それは強欲の正当化である。アメリカの億万長者ウォーレン・バフィットは数年前、CNNの取材に応えていみじくも(略)「この20年間続いてきた階級闘争で勝ったのは、私の階級だ…富裕層が勝ったのだ」と…(P97-98)
気候変動を解決できない新自由主義

新自由主義を信奉して経済を運営し、その価値観で社会をリードしたいトランプ政権にとって、地球温暖化に始まる地球環境問題は最大のネックである。トランプ政権が前出のとおり、化石燃料産業を代表とする面々により構成されていることは既にみた。地球温暖化対策としての二酸化炭素排出量規制は彼ら利益を損なうが故という面も否定できない。それもそうなのだが、「気候変動は現代の保守主義(新自由主義)が足場にするイデオロギーを粉々に打ち砕いてしまうのだ。気候危機が現実のものだと認めることは、新自由主義の終わりを認めることになる」(P98)と、著者(ナオミ・クライン)は言う。
筋金入りの保守派が気候変動を否定するのは、気候変動対策によって脅威にさらされる莫大な富を守ろうとするだけではない。彼らは、それよりももっと大切なもの――新自由主義というイデオロギー・プロジェクト――を守ろうとしているのだ。すなわち、市場は常に正しく、規制は常に間違いで、民間は善であり公共は悪、公共サービスを支える税金は最悪だとする考え方である。(P96)
新自由主義は市場原理主義とも言われる。市場がすべてを善に向けて解決するのだから、市場に公共(政府等)が関与すべきでないと。ところが、地球環境破壊は市場では解決不可能なのである。かつて公害問題が発生した時代に「外部不経済」と呼ばれたものだ。先進国では、公害が市場原理によって解決されたと経験的に語られるかもしれないが、公害は発展途上国や国内の過疎地・僻地に「外部化」されたのであって、根本的解決に至ってはいない。

地球温暖化を市場が解決することはできない。省エネ器具等が開発されることはあっても、化石燃料を使用し続け、環境にやさしい機種の機能を凌ぐ二酸化炭素が排出され続ける限り、地球温暖化は避けられない。すなわち環境問題は新自由主義(市場原理主義)のアキレス腱なのである。地球環境問題を重視することは、「トランプ的なもの」を打倒する重要なカギとなる。

「トランプ的なもの」を乗り越えろ!

本書では「トランプ的なもの」を乗り越える方針として、著者(ナオミ・クライン)が中心となってまとめ上げた「リープ(飛躍)・マニフェスト」が掲げられている(P325-330)。

その全文はインターネットに上がっていて、14か国語に翻訳されているが日本語訳はない。それを読めば、「トランプ的なもの」に対して、NOと言うだけでは終わらない、長い闘いの道標を手に入れる手がかりをつかめるはずだ。

本書第四部第12章「スタンディングロックで学んだこと――夢見ることを恐れない」で描かれた運動の様子は、本書を読む者すべてに感動を与えるものと確信する。スタンディングロックとは前出のダコタ・アクセス・パイプライン建設の現場であり、それを止めようとする先住民スー族の保留地でありかつ、彼らの聖地である。

そこで起きた建設反対運動は、反対派の数千人規模のボランティアはじめ、2千人以上の元軍人までもがスー族との連帯のために車を連ねた。キャンプが設営され、1万人以上の反対派が寝泊まりをした。「メディアの有名人や、世界的に有名なミュージシャン、ハリウッドの俳優らが刻々と変わる情勢を発信し、世界中のファンに向けて対決の現場を伝える(P268)」といった具合だ。日本では沖縄の美ら海、辺野古の土砂埋立てに反対のコメントを出した人気モデルがバッシングを浴びたことがあったが、そのことに比べれば、アメリカの民主主義運動も捨てたものではない。

ことほどさように、日本においては、トランプに全面的に恭順の意を表す首相の下、公共部門の民営化、軍備強化、憲法改正等による国家そのものの改悪が進もうとしている。日本型新自由主義の表徴である「自己責任論」や、「近隣国の人々への人種差別」「女性差別」が激しさを増す一方、マスメディアはそれらに対して無力である。日本はトランプのアメリカに隷属するばかりである。

日本にも「トランプ的なもの」を否定するだけでなく、彼が押しつけようとしている世界とは別の世界に跳躍するための哲学を構築する必要がある。本書を外国の大統領の話と突き放して読むのではなく、いまの日本にひきつけて、トランプや安部が紡いでいる物語を超える物語を語らなければならない。

著者(ナオミ・クライン)は、スタンディングロックで体験した運動の現場から、「リープ・マニフェスト」をまとめあげた。日本の左派が立ち返るべきは反安部運動の現場であり、そこから、それぞれの反対派の立場を超えた安倍政権打倒後の「マニフェスト」をまとめ上げる努力が求められる。そうした現場体験なき「人民戦線」は、党派間の調整の域を出ない空論に終わる。