2015年7月26日日曜日

『沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉』

●堤未果 ●集英社新書 ●740円+税


副題〈逃げ切れ!日本の医療〉が示すように、本書は『沈みゆく大国アメリカ』の姉妹(後)編に当たる。前編では、アメリカ版国民皆保険「オバマケア」の本質を暴きつつ、同国の強欲資本主義、暴力的コーポラティズムの実体をリポートした。「オバマケア」のまやかし・欠陥、そして同法案が作成されたメカニズムの分析を通じて、アメリカの医療崩壊の実態が示された戦慄の書であった。

“国民皆保険”と謳われた「オバマケア」だが、実は医薬品業界、保険業界、ウオール街の利潤追求の具であり、それを実現させるのが業界と政界を結ぶ「回転ドア」といわれる構造だ。そこでは業界の便を図る法律が、業界が政府に送り込んだ官僚(米国は日本の公務員制度とは異なり、多くの場合辣腕弁護士である。)の手により作成される。法案の本質は美辞麗句で彩られた政治的スローガンによって隠蔽され、議会で承認される。法案成立後、すなわち業界が目的を達成した後、彼らは政府を離れ、高額のサラリーでグローバル企業に重役として就職する。

健康保険制度とは社会保障

本書(後編)はそれを受けて、日本の保険制度の破壊をめざして市場進出を狙うアメリカの政財一体化した進出戦略及びそれに同調する日本政府の動向を明らかにしている。著者(堤未果)は本書を通じて読者に注意を喚起し、何度も警鐘を鳴らす。加えて、あるべき医療体制の日本における成功事例、予防医療を具体的に挙げることにより、健康保険制度とは何か、社会保障とは何か、医療とは何か、福祉とは何か、国家とは何か、生命とは何か――について問う。健康保険制度とは社会保障なのだと。

このような本書の組み立てからすると、帯にある「あなたは盲腸手術に200万円払えますか?」という広告コピーはいただけない。日本の皆保険制度がアメリカの強欲資本主義とそれに手を貸す現政権に破壊されればそうなることは間違いないし、本を売るためにはショッキングな広告コピーが必要なことはわかる。だが著者(堤未果)の意図は、具体から普遍――「知らない、わからない」から「知る、否定する、概念化する」――への上向であるからだ。

「無知は弱さになる」
本書の前編である『沈みゆく大国 アメリカ』の取材中、ニューヨークの貧困地域で出会った内科医のドン医師に、同じセリフを言われたことを思い出した。
〈気をつけてください。どんなに素晴らしいものを持っていても、その価値に気づかなければ隙を作ることになる。そしてそれを狙っている連中がいたら、簡単にかすめとられてしまう。この国でたくさんの者が、大切なものを、当たり前の暮らしを、合法的に奪われてしまったように〉(P33)
“素晴らしいもの”とは日本の国民皆保険制度のことであり、“それを狙っている連中”とはアメリカの強欲資本主義であり、それに手を貸す日本政府であり、アメリカ型資本主義に追随したい日本の大企業のこと。そして、“気をつけなければいけない”のは日本国民(生活者)だ。「だが実際、私たち日本人は、自分の住んでいる国や地域の制度について、どれだけ知っているのだろうか?」(P33)と、著者(堤未果)は危惧する。

強欲資本主義が人々を欺く手口

アメリカの強欲資本主義とそれに追随したい日本政府・日本企業は、社会保障=セーフティーネットの破壊とその商品化を実現するため、どのような手を使ってくるのか――筆者(堤未果)によると、それは、▽アメリカからの直接的外圧(MOSS協議、日米構造協議、年次改革要望書、日米経済調和対話等)、▽国内的には、経済財政諮問会議(という超法規的執行機関)によるたとえば「戦略特区」、規制緩和(新薬スピード承認等)、▽TPP(環太平洋パートナーシップ)及びTiSA(新サービス貿易協定)といった国際協定――を挙げる。もちろん日本政府による「後期高齢者医療制度」に代表される直接的な社会福祉制度の破壊、切捨てもある。

強欲資本主義先進国のアメリカでは、法案を数千ページという膨大な文書に仕上げ(誰も読まない)、「本質」を隠蔽する手口が横行しているという。前出のオバマケアがその好例で、同法案は3000ページを超えていた。膨大な分量の文書の内部に、保険会社、医薬品業者が実際に儲けられる仕組みをこっそりしのばせておいて、「国民皆保険」「貧しい人にも手厚い保険制度」といった謳い文句だけを政治家に声高に叫ばせるという手口だ。日本でも安保法制が10件の法案を一本にまとめて国会審議され強行採決されたケースも、アメリカの手口に近いかもしれない。

人気の(医療)ウエブサイトを広告料等の投入で買収し、そこに提灯記事を書かせるもの、TVで人気の芸能人、コメディアンに支持を表明させるもの、連続TVドラマで“刷り込む”手口も一般化している。もちろん、アカデミズムを抱き込む手口は常套手段。専門家が推奨することで国民の「理解を深める」という建前だが、「専門家」は概ね政府の代弁者というわけだ。日本の場合、安保法制ではアカデミズムが率先して「違憲」を表明したわけで、アメリカに比べれば、日本のアカデミズムのほうが健全かもしれない。

“普遍的問い”として答えよ
最速で高齢化する日本の行く末を、同じ高齢社会問題を抱える世界中がじっとみつめる経済成長という旗を振りながら、医療を「商品」にし、使い捨て市場となるのか。
世界一素晴らしい皆保険制度と憲法25条の精神を全力で守り、胸をはって輸出してゆくのか。
それは単なる医療という一つの制度の話ではなく、人間にとって、いのちとは何か、どうやって向き合ってゆくのかという、普遍的な問いになるだろう。
「マネーゲーム」ではなく、私たち自身の手で選ぶのだ。(P212)
本書の結びにあるとおり、TPP、安保法制、新国立問題、アベノミックス・・・と、われわれのもとに横たわるさまざまな社会問題及び変化を、“普遍的な問い”として受け止め、態度決定することこそがわれわれ一人ひとりに求められている。


憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   
    国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

2015年7月22日水曜日

新国立問題、騒ぐだけではなく、責任追及がメディアの使命

安倍総理大臣が東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとなる新しい国立競技場(以下、「新国立」と略記)について、「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで計画を見直すと決断した」と述べ、計画を見直す方針を表明した。これにより、迷走を続けた「新国立」問題は、いちおうの決着がついた。

新国立問題は安保法制衆院強行採決のめくらまし

迷走の経緯等については既に多くの報道があるので、ここでは繰り返さない。予算を大幅に超える建設費問題、工事が周辺環境に与える、景観上、衛生上等の悪影響、デザインの良し悪し、建設後の景観及び周辺環境に与える悪影響、維持管理費問題…と、誰が見ても現在の計画は無謀であった。それが見直されるのだから万々歳なのだが、白紙見直しには政権側の謀略も隠されている。

政権が白紙化を発表した背景には、安保法制強行採決による支持率低下の波及への懸念があった、という説がある。筆者もその説に反対ではない。アベノミックスの悪影響により家計を圧迫されている生活者の立場からすれば、へんてこりんなデザインの競技場に無駄な税金を使われたくない、という情念が働いて当然である。「新国立」問題は、「安保法制憲法違反」、「国会強行採決」によって、「あれ、安倍政権、なんかへんだぞ」と感じ始めた大衆の「反安部意識」を増幅するに十分すぎる素材である。だれだってあの奇妙なデザインには嫌悪感を抱くし、そこに血税を注ぎ込むというのは納得がいかない。

そればかりではない。支持率低下防止というよりも、大衆が抱いた安保法制への関心を「新国立」問題に逸らす意図がうかがえた。「めくらまし」である。そのことを実証するように、新聞、TVは一斉に、「新国立」叩きを、堰を切ったように始めた。人々は安保法制に疑問を抱き、政府与党の強行採決に怒りを感じた。その怒りの矛先を「新国立」問題に向けさせるためだ。怒りが怒りを呼ぶのではなく、怒りを「安保法制問題」から「新国立」に振り替えようというのが、安倍政権の意図のようだ。

良心的建築家及び市民運動団体が「新国立」に異議を唱え始めたのは、いまから2年以上も前のことだった。そのとき、マスメディアは彼らの異議申し立てを無視し続けた。しかるに、この期に及んで、マスメディアが「安藤叩き」「森喜朗叩き」「JSC叩き」を足並みそろえて始めたことの裏側になにかがある――と、想像することは自然である。この事例から、日本のマスメディアが権力の走狗、大衆操作の具となり下がったことを確認できる。

ハディド案の「新国立」は女性性器





マスメディアは報じないが、このたび白紙化された「新国立」のデザインは、女性性器をモチーフにしたものである。このことは、SNS上では常識になっていた。空から見た「新国立」の完成予想図(パース)は、神宮の森(陰毛)に女陰がぽっかりと口を開けている風景である。国際コンペに臨んだイラク出身、英国在住の女性建築家、ザハ・ハディドはおそらく、落選覚悟で遊んだのだろう。それが異議異論なく、当選してしまったのだ。今回の混乱の発端はそこにある。


「新国立」のデザインに係る混乱ぶり
  1. このたび白紙化されたデザインは2012年11月、建築家の安藤忠雄氏が委員長を務めた審査委員会が、建設費を1300億円とする想定のもと、前出のザハ・ハディドの作品を最優秀賞に選んだもの。
  2. そのことを受けて、建築家、環境保護市民団体等が同案に対する反対を表明し、反対運動を展開し始めた。
  3. ハディドのデザインを忠実に再現した場合、費用が想定の2倍を超える3000億円に上ることが分かり、去年5月にまとまった基本設計では、当初のデザインと比べ、延べ床面積を25%程度縮小するなどして1625億円まで費用を圧縮した。
  4. ところが、費用圧縮は不可能との検証結果が出て、結局費用が3000億円を超えるとともに、工期も間に合わないことが分かった。
  5. ハディドのデザインを換骨奪胎する修正案(開閉式の屋根の設置を、東京オリンピック・パラリンピックの終了後に先送りする等)が再提出され、2520億円になることが決まった。
  6. 安保法制衆院強行採決後、同修正案は白紙撤回となった。

ハディド案決定の裏側――専門家は「アンビルト」をなぜ選んだのか

さて、「新国立」のデザイン決定に関与したメンバーは以下のとおり。

審査委員 11名 (役職は当時)
★の3名は、有識者会議メンバーでもある。

◎有識者審査委員
(施設建築)
委員長;安藤忠雄 ★建築WG座長(建築家)
委員 ;鈴木博之・建築計画・建築史(青山学院大学教授)
委員 ;岸井隆幸・都市計画(日本大学教授)
委員 ;内藤廣・建築計画・景観(前東京大学副長)
委員 ;安岡正人・環境・建築設備(東京大学名誉教授)
(スポーツ利用)
委員 ;小倉純二 ★スポーツWG座長(日本サッカー協会長)
(文化利用)
委員 ;都倉俊一 ★文化WG座長(日本音楽著作権協会長)
◎日本国以外の籍を有する建築家審査委員
委員 ;リチャード・ロジャース・イギリス(建築家)
委員 ;ノーマン・フォスター・イギリス(建築家)
◎主催者
委員 ;河野一郎(日本スポーツ振興センター理事長)
◎実現可能性を確認する専門アドバイザー
;和田章・建築構造※技術調査員と兼任
技術調査員
総括管理 - 和田章(東京工業大学) ※審査委員の専門アドバイザーと兼任
建築分野 - 【構造】三井和男(日本大学)
建築設備 - 【メカニカル】藤田聡(東京電機大学)、【空調】川瀬貴晴(千葉大学、建築設備技術者協会会長)、【音響】坂本慎一(東京大学)
施工・品質分野 - 野口貴文(東京大学)
都市計画分野 - 関口太一(都市計画設計研究所)
積算分野 - 木本健二(芝浦工業大学)
事業計画分野 - 東洋一(日本総合研究所)
建築法規分野 - 【防災計画】河野守(東京理科大学)

ハディド案をおしたのが、安藤忠雄と、戸倉俊一だったという。専門家である安藤が「このデザインは東京、日本の輝かしい未来を象徴する」と発言したかどうか知らないが、おそらくそのような表向きの趣旨に従ってデザインが決定されたはずだ。

不可解な専門家の沈黙

このメンバー表を見ると、委員、技術調査員、アドバイザーを含め、日本の建築学会、建築界における超一流の頭脳が集結しているではないか。彼らがなぜ、ハディドのデザインがかくも高額になることを予想できなかったのか。真剣に検討したのかどうかおおいに疑問が残る。

デザインの良し悪しには主観性による。安藤忠雄がいいというのならば、折れることも構わない。だが、建築の専門家ならば当初の予算設定に疑問をはさむ余地は十二分にあったはずだ。今回の白紙撤回により浪費された経費は、彼らが個人資産で負担すべきだ。安藤忠雄が決定機関の委員長として会見を開いたが、自らの責任を明らかにしなかったし、謝罪もしていない。メディアも責任追求しない。この無責任体制はなんなのか。

予算無限大はゼネコンからのキックバック目当てか?

それだけではない。迷走を続けた同案の建設費の見通しは、見積漏れが何か所もあることがわかっている。つまり、メディアに流れた1300億、3000億超、2520億という予算額もいい加減な数字だったということ。さらに建築技術的諸問題点、廃棄物処理問題(物流問題)、建設技術者・労働者、建設機材、同物流車両等に係る確保が難航することが、否、不可能であることもわかっている。まさに、ハディド案は、事実上アンビルト(ザハの別名が「アンビルトの女王」であることは有名。)の代物だったのだ。

エジプトのピラミッド等に代表される古代の建築物はそのスケールの大きさにより、現代人を圧倒する。現代人が、クレーン等の建設機材をもたない古代人がなぜあんな勇壮な建築物をつくりあげたのか不思議に思う。その答えの一つに、“古代には予算も工期もなかったから”というのがある。ハディド案もそれに近い。オリンピックなんだから、カネはいくらでもつぎ込める――というのが、同案を決定した委員たちの本音なのだろう。それが証拠に、組織委員会長の森喜朗は、「国がなんで2600億円くらいだせなかったのか」と、同案白紙決定に不満を漏らしている。同案が「森喜朗古墳」と揶揄される所以である。

安藤忠雄、森喜朗に代表される「新国立」関係者たちは、予算がかさめば、ゼネコンからのキックバックもそれだけ大きくなると踏んだのではないか。森は、「白紙、見直し」が決まった直後のインタビューにおいて、「もともとあのデザインは嫌いだった」と述べている。これが森の本音である。彼らにとって、デザインはどうでもよい。彼らの関心は、“高い施工費、高いキックバック”――選考に当たって彼らの頭のなかを支配していたのは、このこと以外になかったのではないか。

騒ぐだけでなく責任追及がメディアの使命

ハディド案を白紙撤回したことにより、およそ100億円が消えるという。この責任はだれが負うのだ。安倍政権は、「新国立」問題を安保法制強行採決のめくらましに使い、マスメディアはその片棒を担いでいる。ならば、安倍政権打倒を目指す大衆は、「新国立」の不祥事を徹底追及し、スキャンダル化し、責任者を追及し、関与者の悪事を暴くことで、安保法制強行採決と併せて、ダブルパンチとして浴びせるしかない。めくらましを逆手にとって、安倍政権に二重の苦痛を与えることだ。

2015年7月15日水曜日

理想のボディより、強い体づくりを目指せ

健康ブームのなか、パーソナルトレーニングに特化したスポーツクラブR社が話題になっている。報道によると、このスポーツクラブの謳い文句は、入会金5万円、コース基本料金29万8千円(2か月・16回)で理想のボディを約束するというもの。

会員募集方法に特徴があり、有名人を起用したTVCMに集中して、年間70億円、販売管理費の約3割をそれに投入しているという。会員が受けられるサービスは、専属トレーナーによる筋トレ個人指導および食事指導である。

R社の指導方法はボディビルダーの調整法に近いかもしれない

R社の指導方法については、「ボディビルダーの大会前の調整と似ている」というネット上の指摘がある。筆者もその指摘に全面的に同意する。

ボディビルダーは大会出場から逆算して年間スケジュールを立てる。大会終了を起点として、その後のおよそ半年間は体を大きくする、いわゆるバルクアップに励む。バルクアップ期は体重増と並行して過酷なウエートトレーニングを重ね、体重増及び筋量増を目指す。この時期、例えば、65キロ以下クラスに出場すると定めた選手は75~80キロ程度まで体重をあげる。

バルクアップを終えると、体内の脂肪の除去にとりかかる。減量だ。減量期間は、炭水化物、糖類を極度に制限し、高タンパク質食材を摂取する。大会3月前くらいには、出場予定階級の体重制限を下回る見通しが立っていないといけない。

減量期において、もっとも難しいのが体重減に伴う筋量減の防止である。体重減とともにパワーは必然的に落ちる。たとえば、バルクアップ中ならば、ベンチプレス100キロを上げていた者でも、減量期には難しくなる。それを防止するのが、高蛋白質食材の大量摂取及び精神力である。バルクアップ期の重さを上げきれるか諦めるかで、体の仕上がり具合が変わってくる。

なお、ここではバルクアップ~減量の年2分割調整法を紹介したが、プチ増量、プチ減量を数回繰り返すような調整法もある。

筋トレにおいては、筋肉の形が鮮明に出るような特別なトレーニング方法、マシーン活用があり、ポージング(大会規定のポーズ及び選手オリジナルのフリー)の訓練も必要となる。また、専用サプリメントの摂取も大切である。こうして、大会直前に制限体重ぎりぎりに仕上げて、大会に臨む。大会入賞者の体脂肪率は概ね5%前後が一般的だ。

R社に入会する者は、筋トレの経験がないか、もしくは、それを休止していて、しかも体内脂肪比率(体脂肪率)の高い人だろう。そのような状態の者が入会後、筋トレ及び食事制限によるメニューを一気に実践にうつすことになる。ということは、R社の指導法は、一般人の体の状態をボディビルダーのバルクアップした状態にアナロジーし、そこから2か月間で減量を迫るものと考えていい。入会者は筋トレよりも、脂肪・糖質制限の食事制限により、体重を落とす。筋トレだけで脂肪を除去することはかなり難しい。体脂肪が高い者でも、もともと筋肉のある者なら、この食事制限により、筋肉の形が見え始め、体の外形的変化が認められるようになる。

体重減しても、筋量増は難しい

体重70キロの者が、R社の作成した筋トレメニューに従った場合、たとえばベンチプレス70キロの記録を、2か月後、体重65キロに落としたうえで、ベンチプレス80キロを記録できるのか、というと、おそらく、そうなっていない。体重減とともに脂肪が減り、筋肉の形が見えてきただけで、筋力アップにつながっていないと考えられるからだ。筋トレ経験の少ない人は、体重減とともに、パワーも減ずるのが一般的。つまり、体重減とともに筋量、筋パワーとも減少している可能性のほうが高い。

結論を言えば、R社のメニューに従った2か月間のトレーニング等では体脂肪は減少できても、筋量アップは見込めないだろう。

「理想のボディ」というのが謳い文句のようだが、人間の筋肉は、2カ月間ではそうそう強化できない。それができるのならば、だれもがボディビル大会で優勝できるし、パワーリフティング大会で勝てる。

トレーニングの目的は外形ではなく、強い体をつくること

筋トレ及び食事制限で理想のボディを手に入れようと努力することは大切なことだし、その試みを否定しない。ただし、どんなトレーニングでも、その目的は強い体をつくること。筋肉増とその強化が健康増進に直結することは医学的に証明済みなのだから、外形上の変化より、筋量増をメルクマールとしたトレーニング成果を追求したいものである。

「ローマは一日にしてならず」――筆者の経験では、強靭な体をつくるには、数年単位の筋トレの積み重ねが必要。たった、2か月で体の外形がある程度変わったくらいで、強い体づくりができたなんて、まちがっても思わないほうがいい。

2015年7月12日日曜日

『経済学からなにを学ぶか』

●伊藤誠〔著〕 ●平凡社新書 ●880円+税

本書は副題「その500年の歩み」とあるように、重商主義から重農主義(ケネー)、古典派経済学(スミス、リカード)、歴史学派、制度学派、新古典派経済学、そしてマルクス主義経済といった経済学について、歴史的、網羅的に解説したもの。たいへんわかりやすく、「新自由主義」に対抗する社会主義再生の道筋を示そうとした書といえる。

「新自由主義」はオーストリア学派(限界効用学派)の一部を継承するもの

いまの日本社会を支配する経済倫理が「新自由主義」と呼ばれる経済学に依っていることは否定しょうがない。それはネオ・リベラリズム、市場原理主義、フリー・マーケット・システムと呼ばれることもある。

この潮流が形成されたのはそう古いことではない。ソ連の崩壊(1991)の直前、欧州を代表する社会民主主義国家イギリスのサッチャー政権(首相在任期間1979-1990)及びケインズ経済の本家本元アメリカのレーガン政権(大統領在任期間1981-1989)においてほぼ同時的に推し進められた。

本書においては、「新自由主義」は、社会主義、社会民主主義に徹底して反対したオーストリア学派(限界効用学派)の流れをくむ思想であり、新古典派の一部を継承するものだと位置づけている。
・・・広くみれば、新古典派ミクロ価格理論にも、社会主義の可能性を容認し擁護する一面を有していた一般的均衡学派や、生産手段の私有制にもとづく資本主義を前提しつつ、労働組合運動を許容して、社会民主主義による福祉国家を志向する一面を有するケンブリッジ学派の伝統を含んでいた。それにもかかわらず、いまや社会主義や社会民主主義に反対していたハイエク的なオーストリア学派の伝統のみが、狭く選びとられて「新自由主義」の理論的基礎とされた傾向が目につく。(P175)

オーストリア学派(限界効用学派)はウィーン学派とも呼ばれ、ウィーン大学教授C・メンガー(1840ー1921)の著書『国民経済学原理』を発端とし、第二世代のE・フォン・ベーム=パヴェㇽク(1851ー1914)、フォン・ヴィーザー(1851ー1926)を経て、第三世代L・E・フォン・ミーゼス(1881ー1973)やF・A・フォン・ハイエク(1890ー1992)へと至る。この学派について本書は以下のように整理している。
・・・まず人間の欲望充足に直接役立つ低次財(消費財)について、同じ財を追加的にえてゆくと、その欲望充足に与える満足度(効用)は低下してゆくとする「限界効用逓減の法則」が前提とされた。その前提からまた、限られた予算制約(所得)のもとで、多様な消費財を選択してゆくと、最終的な支出単位について各財からえられる満足度としての「限界効用均等化の法則」が成り立つさいに、主観的満足度が最大化されるはずであるとみなされた。
経済主体としての各個人がそれぞれに有する財やサービスを手放して、市場で他の消費財と交換し入手してゆくさいの主観的満足度も、こうした限界効用の逓減と均等化の法則にしたがう。そのような個人としての経済主体の所有し供給する財やサービスと、それへの需要としての限界効用をめぐる選択行為をつうじ、消費財の相互交換比率ないし相対価格は体系的に決定される。
こうして消費財についての受給均衡的な価格体系が与えられれば、それらへの生産への貢献度に応じて、高次財(生産財)についても、相対価格が与えられ、帰属してゆく。これが生産財についての交換価値の帰属理論といわれた(P135-136)

ミクロ経済主体の選択行為における限界効用の役割を重視し価格理論を提示展開する「限界効用逓減の法則」や「帰属理論」からは、消費者主権の発想が認められるものの、今日の「新自由主義」とは直結しない。今日の流れを形成したのは、同学派第二世代のベーム=パヴェㇽクが1896年、限界効用学派の観点から、マルクス価値論及び剰余価値論への批判を行ったことからだ。これに続き、第三世代のミーゼスとハイエクが1920ー1930年代にソ連型集権的計画経済の合理的存立可能性をめぐり、社会主義経済計算論争をしかけた。
・・・この学派が新古典派のなかで、とくにマルクス学派との対抗関係を重視し、方法論的個人主義により経済生活の社会的統御に反発する特徴をよく示している。(P139-140)
ハイエクは・・・競争をつうじ各個人主体が言語化されず一般化もされないような「暗黙知」を発見しつつ、新技術、新製品、さらには社会経済上の諸制度や組織を自生的に産みだす作用にあると、強調するようになった(D・ラヴォア(1985)西部忠(1996))。
それは、I・カーズナー(1930-)やラヴォアら、現代オーストリア学派といわれる一連の理論家たちが、市場を知識の発見、イノベーション(技術などの革新)の自主的創出過程とみなし、それによって、ソ連崩壊や新自由主義の意義を説く傾向に継承されている。(P144-145)

「新自由主義」とシカゴ学派

「新自由主義」の経済学は、「1973年以降の資本主義経済のインフレ恐慌、スタグフレーション(物価高騰をともなう不況)としての高失業とインフレの並存、ついで、高度情報技術による資本主義経済の再編過程に支配的潮流となった(P173)」という側面もある。だが、その最大の特徴の一つは、ケインズ経済に従って政策化された「ニューディール政策」に代表される国家による市場への関与を排除するところである。そのことは、ミルトン・フリードマン(1912-2006)の代表的著作『資本主義と自由』に詳しい。フリードマンの主張を大雑把に言えば、市場原理主義であり、経済、文化、社会における国家の排除であり、完全な自己責任主義となる。なお、フリードマンについては後述する。

アメリカ(シカゴ学派)による世界経済支配の完成

本書の導きから今日優勢な「新自由主義」が世界的に経済学及び経済倫理の主流となった根拠を推量すると、人々がソ連崩壊を契機として、自然発生的に社会主義経済を忌避し、「新自由主義」を選び取った結果のように思えなくもない。はたしてそうだろうか。

今日の「新自由主義」は、アメリカの世界経済支配戦略に基づき、周到に進められてきたものだ。アメリカはその経済支配が及ばなかった旧社会主義国家群(南米、ロシア、東欧、アジア)及び福祉政策を重視する西側諸国に対し、CIA等を使って政治的関与を深め、アメリカが主唱する「新自由主義」に基づく経済政策を支持する政権を誕生させてきた。

親米政権誕生後には、経済顧問団を当該国に送り込み、また、IMF等の国際金融機関により経済的支配を強めることにより、「新自由主義」を徹底した。

アメリカが送り込んだ経済顧問や、国際的金融機関の官僚たちはシカゴボーイズと呼ばれた。彼らは「新自由主義」の頭首でシカゴ大学教授ミルトン・フリードマンの下で経済学を学んだシカゴ学派の若き秀才たちだった。アメリカは、南米、アジア、旧社会主義圏、西側福祉国家を「新自由主義化」することに成功し、いまもって世界はその流れの中にある。

アメリカはそのことと並行して、自国における福祉国家的政策を切り捨て、ケインズ型マクロ経済学に基づく国家による市場への関与に係る制度・政策を一掃した。その経緯、詳細については、『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著)に詳しい。

日本では、「ロン、ヤス」と呼びあったレーガン米国大統領と親密だった中曽根康弘政権(首相在任期間/1982-1987)の時代の国鉄、電電公社、専売公社の民営化達成を皮切りに、橋本龍太郎政権(首相在任期間/1996‐1998)の時代、「フリー、フェア、グローバル」を標語とした「日本版金融ビッグバン」と呼ばれた金融改革が実行され、続いて小泉純一郎政権(首相在任期間/2001‐2006)の時代の「構造改革」によって「新自由主義」経済政策が定着した。

こう振り返ってみると、「新自由主義」は経済学なのか、それとも資本主義を延命させるイデオロギーなのか――と、その判断に迷うことだろう。筆者はもちろん、後者だと確信しているが。

アメリカは、ソ連(社会主義経済)崩壊後の世界経済支配の経済原理として、「新自由主義」を掲げ実践してきた。その実践の対象は、第一に旧東側及びアジアであり、第二に自国(アメリカ)を含む先進資本主義諸国である。アメリカは前者に対して、剥き出しの資本主義である競争原理、市場原理の経済活動を強要し、労働者大衆が社会主義国家時代に既に享受していたセーフティーナットを簒奪した。後者においても、後期資本主義社会にビルトインされていた社会保障等の福祉制度、労働組合組織といった労働者大衆の既得権を、構造改革、規制緩和の名の下に簒奪していった。その結果が、今日の資本主義先進国における格差拡大、雇用問題、自然荒廃、福祉打切り等となって表れている。

その原動力となったのが、前出のアメリカ・シカゴ大学教授、ミルトン・フリードマンであり、彼の忠実なる学徒、シカゴボーイズである。今日の「新自由主義」をオーストリア学派から現実的に架橋したのは、シカゴ学派にほかならない。本書がシカゴ学派にまったく触れていないことに不満が残る。

2015年7月1日水曜日

7月の猫

猫がわが家に来たのが2011年の6月。

「3.11」の後のことだった。

このことは何度も書いたが、気が付いたら、猫が1匹、筆者に断りなくいた。

そしてその1カ月後、もう1匹がやってきて、2匹になった。

それから4年が過ぎ、はや5年目に入った。

2匹の猫は元気である。病気もしない。なによりのこと。

さて、今月の猫の体重。

Zazieが4.3kg(前月比300gの減)、Nicoが6.3kg(同200g増)。

増えたり減ったり。こんなものかな。


ZAZIE
NICO