2015年5月31日日曜日

『宗教学』(ブックガイドシリーズ 基本の30冊)

●大田俊寛〔著〕 ●人文書院 ●1900円+税

広大な領域をもつ宗教学

宗教学が扱う範囲は広大である。その範囲を思いつくままに列挙すると、▽宗教の起源をあきらかにしようとする試み、▽特定の宗教の教義を解釈・深化しようとする試み(神学)、▽宗教を克服しようとする哲学的試み、▽宗教から社会の在り方を探ろうとする試み、▽特定の宗教を実体験することを通じて、その教義・秘儀を明らかにすると同時に、その信者の心的構造を明らかにしようとする試み…等々が思い浮かぶ。

西欧においては、キリスト教の成立から19世紀まで、彼らの思想哲学を極論すれば、神(宗教)との係わりに規定され展開されてきた。青年ヘーゲル派の登場によって、「神は人間がつくった」という命題がくだされながら、いまだ神は死んでいない。人間の誕生と同時に宗教が成立したと考えるならば、宗教(神)の否定が試みられてからわずか200年しか経過していないことになる。21世紀の今日といえども、世界はいまだ宗教の支配下にある。

今日なお絶大な影響力をもつ宗教

20世紀末には、冷戦後の世界(国際政治)を考える文明論として、世界をそれぞれの宗教を指標に区分し、それぞれが互いに衝突しあう情況にあると解釈する試みが提起され、多くの支持者を集めた。(『文明の衝突』/サミュエル・P・ハンチントン著/1996)。ハンチントンによると、世界で生起している(あるいはこれから生起する)紛争は、それぞれの文明の境界(フォルト・ライン)において、異なった文明同士が衝突する結果だという。その真偽は別として、21世紀の今日、現代人が被る宗教の影響力は衰えたとはいえない。

わが国では、1995年、新宗教の一つ、オウム真理教が猛毒サリンを使用した無差別テロを敢行し、死傷者6千人を超える事件を起こした。また今日、国際的事件の多くが一見すると宗教的な様相を呈していて、中東に根拠を置くIS(イスラミック・ステイト)と自称する暴力集団の動向が報じられない日はない。

そのような状況の中での本書の刊行である。宗教を問い考えることは、古めかしい教養主義ではない。また、前出のハンチントンのような粗雑な世界情勢理解(=間違った「宗教文明論」)に足元をすくわれないためにも、宗教について本源的に接近する必要性が高まっている。

オウム真理教をとらえなおす契機

“ブックガイドシリーズ”とあるように、本書の役割は宗教学を勉強するための基礎文献の紹介にある。30冊という冊数が多いのか少ないかはわからないが、著者(大田俊寛)の選定は概ね適正だと思われる。一方、先述した世界情勢からすれば、イスラム教関連が少ないという批判もあるかもしれない。なかんずく、スンニ派とシーア派との「対立」の根源について知りたいという要望のほうが今日的かもしれない。が、そうした要望は、個別の著作物を当たればいいことだろう。

それもそうなのだが、著者(大田俊寛)の宗教学の今日的展開は、オウム真理教の暴発を契機としている。そのことは、本書の帯に、“オウム真理教事件の蹉跌を越えて、宗教について体系的に思考するための30冊”とあることからもうかがいしれる。著者(大田俊寛)の立場は、その著書『オウム真理教の精神史 ロマン主義、全体主義、原理主義』のタイトル付けで明白なように、オウム真理教の爆発の根源をロマン主義、全体主義、原理主義から解き明かそうと努めていた。

それゆえ、本書においては、前半よりも後半=第5部「個人心理と宗教」、第6部「シャーマニズムの水脈」、第7部「人格改造による全体主義的コミューンの水脈」、第8部「新興宗教・カルトの問題」(合計15冊)の解説に熱が入っているような気もする。第5部から第8部までに収められている書名・著者は以下のとおり。

〔個人心理と宗教―5冊〕
・フリードリヒ・シュライアマハー『宗教について』(1799)
・ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(1901-1902)
・アンリ・エレンベルガー『無意識の発見』(1970)
・ラルフ・アリソン『「私」が私でない人たち』(1980)
・E・キュブラー・ロス『死ぬ瞬間』(1969)
〔シャーマニズムの水脈―3冊〕
・ミリチア・エリアーデ『シャーマニズム』(1951)
・I・M・ルイス『エクスタシーの人類学』(1971)
・上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(1990)
〔人格改造による全体主義的コミューンの水脈―3冊〕
・ハナ・アーレント『全体主義の起源』(1951)
・チャールズ・リンドホルム『カリスマ』(1992)
・米本和広『洗脳の楽園』(1997)
〔新興宗教・カルトの問題―3冊〕
・横山茂雄『聖別された肉体』(1990)
・小川忠『原理主義とは何か』(2003)
・大田俊寛『オウム真理教の精神史』(2011)
※(  )内は原著刊行年

シュライアマハーから始まったニューエイジ思想

一覧で明白なように、これらの書物は、シュライアマハーを除くと、現代に書かれた宗教論である。キリスト教から解放された世俗国家(国民国家)が立脚する合理主義が行き詰まりをみせた、ポストモダンといわれる今日の情況と宗教が分離できないことの証左でもある。逆にいうと、現代の宗教(カルトを含む)は、シュライアマハーを原基として奇妙な発展をみせた。著者(大田俊寛)は、シュライアマハーの宗教論を次のように要約する。

敬虔な宗教感情を、ロマン主義の世界観によって洗練させることにより、旧来のキリスト教思想の超克を試みるだけではなく、「宗教を侮蔑する教養人」すなわち、近代の啓蒙主義者に対抗しようとした・・・(本書137P)

シュライアマハーは既存宗教(経典/聖書等、教会、宗教団体、理性が解説する自然宗教…)を全否定し、直観による宇宙との接触が真の宗教だとした。著者(大田俊寛)はシュライアマハーについてこう論ずる。

『宗教について』という著作は、魅力的な筆致によって広く人気を集めると同時に、フリードリッヒ・シェリングのロマン主義哲学、カール・グスタフ・ユングの宗教心理学等、後代の諸思想にも大きな影響を及ぼしていった。
(略)
しかしながら、同書の刊行から200年以上が経過し、その後の宗教状況を見てきたわれわれには、彼の思想を無反省に肯定することは難しい。というのは、彼の宗教論は、欧米のニューエイジ思想や日本の精神世界論、さらには数々の「カルト」的宗教運動の源流の一つとなったのではないかと考えられるからである。(本書P142)

シュライアマハーから今日のニューエイジ思想・カルト的宗教に至る過程を大雑把に辿れば、その筆頭として、ブラヴァツキーが著した『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』を挙げなければなるまい。この書は1888年にドイツで刊行されたもので、19世紀半ばに発表されたダーウインの『進化論』を借用した、霊性進化(注;この言語は大田俊寛の造語)を基礎とした荒唐無稽の新宗教である。やがて神智学はシュタイナーにより発展的に継承され、人智学として成立を見る。さらにこの流れはアリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。

ニューエイジ思想の拡散と日本における成長

(一)オウム真理教と中沢新一

ドイツ敗戦により鎮圧されたはずの新宗教であったが、ドイツに戦勝したアメリカにおいて、それはニューエイジ思想として開花する。ニューエイジ思想は非常に広範囲な精神運動なので、明確に定義することはかなりむずかしいのだが、その特徴を列挙すると、▽反キリスト教を基本とすること、▽グル(導師、尊師、大師等ともいわれる)を頂点とした階層的コミューンを形成する場合が多いこと、▽教義に終末論を取り入れていること、▽グルは信者に修行を命じ、信者はシャーマン(グルが代行)による脱魂・憑依(イニシエーション)体験・神秘体験を通じ、あるいは、ヒンドゥー教・チベット仏教におけるヨーガ、日本仏教における禅等による瞑想を通じ、超自我的境地の獲得が目指されること、▽私有財産の否定・放棄、自然崇拝(エコロジー志向、自然農法の励行)、多神教優越主義、反機械文明、性の解放、家族制度の否定等の運動と一体化している場合も多い。

オウム真理教が隆盛を極めた1990年代、その信者の奇妙な修行の様子が、TVメディア等により幅広く報道されたことは記憶に新しい。その映像を思い出していただければ、ニューエイジ運動のおおよそのイメージはつかめるはずだ。つまり、オウム真理教も、ニューエイジ思想の日本への移入と密接に関連して、生成・発展・暴発したカルトの代表的存在であった。

日本のニューエイジ思想の流布に熱心だった宗教学者の一人が中沢新一である。著者(大田俊寛)は、当時、麻原彰晃を「本物の宗教家」として称揚した中沢新一、島田裕巳、山折哲雄らの宗教学者に対する批判をいまなお続けているが、とりわけ中沢については本書において、次のように論じている。

チベット密教の修業を自ら実践した宗教学者の中沢新一は、81年に『虹の階梯』を公刊した。彼はこの書物で、「心の本性」に到達するためのチベット密教の段階的な瞑想法を概説し、特にその修業においては、グルへの絶対的な帰依が必要であることを強調した。また、「ポワ」と呼ばれる身体技法に習熟すると、自分の意識を体外に離脱させ、生死を超えた境地から世界を眺めることができるばかりか、生前のカルマに応じて次の転生に向かう死者の魂を、より高い世界に引き上げることさえ可能になると論じたのである。(本書P231)

著者(大田俊寛)は本書においては、中沢、島田、山折らの批判を控えているが、中沢の『虹の階梯』の内容は、オウム真理教の尊師、麻原彰晃が信者に説いた内容とほぼ同じである。極論するならば、中沢新一と麻原彰晃は同一の宗教的実践を説いていたことになる。中沢はニューアカデミズム(ニューアカ)の新進思想家としてメディアを通じて彼の読者に向かって、また、麻原は彼を慕う信者たちに向かって、と、その対象は異なっていたけれど。このことから、1980年代~1990年代の日本の思想界・宗教界はニューエイジ思想を十分許容していたことがわかる。

(二)オウム真理教は「本物」だったのか

同じくオウム真理教を支持した山折哲雄の場合は、中沢新一とは位相が異なる。山折は1992年、雑誌における麻原との対談において、当時、熊本県などの地元民と軋轢があったオウム真理教が法廷闘争を行っているとき、「・・・宗教集団としては、最後まで世俗間の法律は無視するという手もあると思うのですよ」と、オウム真理教側への支持を明らかにした。

山折がオウム真理教に対して抱いたシンパシーは例外的なものではない。オウム真理教幹部だった上祐史浩、教団幹部・村井秀夫を殺害した徐史浩、司会役の鈴木邦夫による鼎談『終わらないオウム』(鹿砦社)において、鈴木は、オウム真理教を取り上げたTV番組『朝まで生テレビ!』について、次のように語っている。

鈴木 ・・・『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でやった「激論 宗教と若者」(91年)でのオウムと幸福の科学との対決とかもすごかったですね。あれでオウムはすばらしいと思った人たちもいたし、ぼくもそれを見てオウムは本物だと思いました。そのオウムに熱狂していく過程を知らずに今の結果だけを見れば、なんであんなバカらしいものにかぶれるのだろうと思うだけですよね。(『終わらないオウム』P102)

宗教は元来が革命的、反体制的

「オウムは本物だと思った」というのは、実に的をえた表現である。つまり何が本物なのかといえば、宗教がもつ非妥協性、否定性においてである。本書においては、村上重良が著した『ほんみち不敬事件 天皇制と対決した民衆宗教』が紹介されている。詳しくは本書を参照してほしいが、“ほんみち”とは、天皇を「唐人」と称して批判した、天理教原理派のこと。1925年に天理教から分派し、国家神道と厳しく対立したため、治安当局から弾圧を受けた。


今日の宗教は新旧を問わず、教義の過激性はともかく概ね体制内化していて、ビジネスに熱心なものが多い。しかし、宗教が現世の苦難からの救済を求める側面をもつ以上、苦難の元凶である体制の変革を目指すのは必然である。原始キリスト教は、当時支配者の宗教であったユダヤ教を批判・対立するところから出発しているし、西欧キリスト教における宗教改革は、それまで、カトリックの基盤をなしていた教会制度の抜本変革を求める運動であった。

現代においても、体制変革を目指した教団は数多い。1978年には、アメリカの宗教団体「人民寺院」がガイアナで信者の集団自殺事件を起こしたし、1993年には、同じくアメリカの宗教団体「ブランチ・ダビディアン」が治安当局と銃撃戦・火災事件を起こした挙句、信者多数が死亡している。

宗教が、現世よりも来世における幸福を期待する以上、生と死の区分は相対的である。自然崇拝が度を越せば、私有財産や現行の法制度を認めない教義が成立する余地は十分すぎるほどある。さらに、終末論的世界観が教義に備わっていれば、教団が最終戦争(ハルマゲドン)を準備し、実行に及ぶ可能性は高い。集団自殺、最終戦争、テロリズム等が信仰の名の下に実践される確率は低くない。

宗教指導者のカリスマ性は革命的エネルギーによって担保される。そして、そのエネルギーは信者以外にも感受され得る。当時、麻原をはじめとするオウム真理教幹部を、テレビ映像を通じて「本物」だと直感した鈴木邦夫や、オウム真理教を教団として認めた複数の宗教学者を責めることはできない。そのことが、教団の存在根拠なのであるのだから。

オウム真理教と宗教学者の責任

麻原を支持した宗教学者(前出の中沢新一、島田裕巳、山折哲雄ら)の非は、サリン事件後、自らがオウム真理教を容認した事実を封印したことにある。つまり、彼らは、麻原及びオウム真理教に対しシンパシーを表明しながら、事件後、そのことを「なかったこと」にしようと画策したか、沈黙した。つまり宗教学者として、オウム真理教を思想的に総括することを怠った。管見の限りだが、著者(大田俊寛)の批判に対し、中沢、島田、山折らは答えていない。

中沢、島田、山折らの宗教学者や鈴木のような政治団体指導者が、宗教家・麻原の本気度を認めたことは誤りでもなんでもない。「地下鉄サリン事件」を予期できなかったのは、宗教学者の責任ではない。日本の治安を預かる警察当局ですら、オウム真理教の体質を見誤り、その暴走を止められなかったではないか。そればかりか、「地下鉄サリン事件」の前にオウム真理教が起こした「松本サリン事件」では、被害者宅の隣人を誤認逮捕するという失態を演じ、あやうく冤罪を犯しそうになったではないか。

宗教学の課題

日本の宗教学は、著者(大田俊寛)の登場によって、学問としての要件をようやく整えつつある、といっていいすぎではない。先述のとおり、それくらい、日本の宗教学は混迷状態にあった。しかも、今日の世界情勢は、宗教を外すことはできないものの、宗教対立に還元できるものでもない。宗教学が背負う課題は、とびぬけて大きい。

2015年5月27日水曜日

新居訪問

旧友のSさんが、長年住んでいた千駄木から西池袋に引っ越した。

落ち着いたところで、御呼ばれに預かり、新居を訪問した。


2015年5月17日日曜日

「お雇い外国人」の日本サッカー革命

日本代表監督のハリルホジッチが、ガラパゴス化したJリーグに変革をもたらそうとしている。代表監督がクラブの選手に助言・指導することは間違いではないが、欧州・南米等では起こりえない越権行為である。なぜこのようなことが生じたのかといえば、Jリーグ各クラブの指導者に指導能力がないから。

代表選手の高い体脂肪率に驚き

報道によると、ハリルホジッチが改善を指摘したのは、Jリーグの①選手のプレー・スピード(速いけど、プレー・スピードは速くない)、②球際(に強い選手がいない)、③代表選手の自信・勇気のなさ、④審判の判定(接触プレーのジャッジ)、⑤疲労回復の文化(がない)、⑥健康管理(体脂肪率が高すぎる)――についてだという。

なかで最も話題になったのが⑥体脂肪率で、ハリルホジッチは代表選手の体脂肪率の高さについて注意を促した。全選手の体脂肪率を赤(不適合)、黄(注意)、白(合格)で色分けし、8人が赤印となっていた。ワースト1位が興梠16.4%、同2位が太田15.2%、名前を挙げて注意を促したのが宇佐美の14.1%。海外組では川島、吉田も不適合だった。

まず、この数値に筆者は驚いた。筆者が通っているスポークラブの男性スタッフたちの体脂肪率は概ね10%を切っている(女性スタッフについては尋ねたことがない)。プロのサッカー選手の体脂肪率が15%近いというのは異常な高さ。Jリーグクラブの体調管理のいい加減さがうかがわれる。名前が挙がった選手たちは、そういわれてみればみなぽっちゃり体型で、アスリートというよりは裕福なシティボーイ風。体型から凄味が感じられない。クラブの指導者から体脂肪率管理などされたことがなかったのだろう。

ハリルホジッチのまっとうすぎるJリーグ批判

そればかりではない。前出のハリルホジッチが挙げた項目すべては、筆者の別のスポーツ専門コラムで何度も指摘したことに重なる。Jリーグ関係者はサッカーのプレー内容及び選手の質の向上を目指さずに人気回復策を探ろうとする。そういう思考方法がJリーグを停滞させてきた原因なのだ。Jリーグ関係者が行き着いた先は現行の前後期制度によるプレーオフ導入である。リーグをイベント化させて冠を付け、収入を上げようとする。目先の収入は上がるかもしれないが、プレーの質は向上しないから、エンターテインメントとしてはスペクタクル性が上がらず、人気は上がらない。大手広告代理店に頼る小手先「改革」ではすまないのだ。

Jリーグを引っ張る指導者の不在

その根底には、指導者の質の低さがある。宇佐美が所属するガンバ大阪の長谷川監督は、ハリルホジッチの体脂肪率公表について苦言を呈したというが、おかしな反応である。指導者としての質の低さを代表監督に指摘されて頭に来たのかもしれないが、指摘される前にきちんと選手を管理しろといいたい。

Jリーグの審判団は接触プレーのファウル基準を改めたそうだが、外国人にいわれなければ改めない体質が情けない。海外のリーグ戦の試合が毎日のようにTVに溢れている現代、それらを見て審判技術を自ら見直すのがプロの審判ではないか。ハリルホジッチに指摘されるまでは、自己流=日本流を貫こうとしていたのではないか。日本の審判技術は世界水準です、なんておだてる「サッカー評論家」が跋扈しているから、向上心もなくなるわけか。

世界との差を指摘しないメディア

考えてみれば、いまから数年前、ザッケローニが日本代表監督の時代、日本(代表)がW杯で優勝を狙うという大胆発言が主力選手からあり、それをまともに報道するメディアがあった。「自分たちのサッカー」という己惚れ発言が本気で取り上げられていた。もちろんそのときだっていまとかわらず、世界各国のリーグ戦、欧州CL、コパ・リベルタドーレス、ユーロ、南米選手権等々はTV中継されていた。日本サッカーのレベルがどのくらいなのか、万人が判断できる状況だった。にもかかわらず、日本のサッカー関係者、メディア、一部のサポーター等は、日本が世界の強豪と合い渉れると信じていたのだ。

日本サッカーを変えた「お雇い外国人」

W杯ブラジル大会の日本代表惨敗を境に、日本サッカーは名実ともに凋落傾向にある。だれもが世界との格差を思い知るようになった。そこにハリルホジッチの登場である。

日本サッカーをいい意味で変えた外国人といえば、クラマー、トルシエ、オシムが思い浮かぶ。そしてハリルホジッチが、彼らに次ぐ存在になろうとしている。4人の存在から明確なように、日本サッカーの危機は日本人指導者ではなく、外国人指導者によってもたらされるということだ。いまだ日本のサッカー界は明治時代と変わらず、「お雇い外国人」に教えを乞う状況にある。日本のサッカー選手は海外でもプレーできるまで成長したが、指導者はそこまでいっていない。

正当な批判を好まない「日本のサッカー村」

日本のサッカー指導者では、代表選手を束ねて体脂肪率について注意を促し、審判団の判定基準を糺し、プレーの質を改善するよう促すような発言ができない。自信がないのだ。ハリルホジッチのような発言をすれば、Jの各クラブの指導者、審判団、選手を結果的には貶めることになる。瑕疵を指摘すれば、指摘された側は傷つく、その結果、日本のサッカー村(サッカー業界)から村八分になる、メディアから叩かれる・・・そう考えると、おとなしくしていた方が…という結論に達するのかもしれない。正当な批判を許さない“なにか”が日本のサッカー村に蔓延している。それがガラパゴス化を生んでいる主因だろう。

「お雇い外国人」がガラパゴス化の流れを止める

日本サッカー界にあって、ハリルホジッチのような情熱を持った指導者を得たことは幸いだった。サッカー協会(JFA)の放った久々のヒットである。本来ならば、JFAやJリーグ幹部がやらなければいけないことを、「お雇い外国人」がやっているという寂しい情況であることは残念なのだが、だれかがやらなければガラパゴス化を防げない。

筆者がハリルホジッチに期待するのは、Jリーグ前後期制度の廃止である。日本の広告代理店主導から世界基準へ――サッカーを一日も早く正常化しなければならない。前後期制度の欠陥については、前期がおわったところでこれまた、万人が気づくであろう。

2015年5月8日金曜日

イギリスからお客様

娘のイギリスの友達がボーイフレンドを連れて遊びに来た。

ドラマーで、大阪の高槻の音楽祭に出演したという。

二人ともノッティンガムに住んでいる。


2015年5月6日水曜日

村上春樹インタビュー(共同通信配信)―No.2

ブランドと地名

村上は作品中、固有名詞(商品名、人物名等)を散りばめることで、読者を引き込む技巧を駆使する。たとえば、近作の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(以下「色彩を持たない~」と略記)では、日本の高級車、レクサスがしばしば出てくる。レクサスは確かに“今”の日本、すなわちこの小説が書かれた状況における断片的事象を象徴する記号として有効だろう。ただし、レクサスがブランド価値を喪失しない限りの有効性である。レクサスが「トロイの木馬」の「木馬」のように、永遠にその名を留める“モノ”になるとは思えない。村上の利用する固有名詞の有効期限、賞味期限は、神話的時間単位と比べるまでもなく短い。

地名もしばしば活用される。『色彩をもたない~』では北欧フィンランドのあまり知られていない町が舞台の一つとなる。村上はこの地を冥界にたとえる。

「だから(※つくる=前掲書の主人公が)行く場所はフィンランドでなくてはいけない。アメリカでは異界という感じがしてこない。フィンランドもさらに北のほうに行くという感じが大事なんです」

ここでつくるは、クロという女性に再会する。この箇所を村上は、「もちろんクロは生きているのですが、でもイメージとしては死んだ人、あちらの世界に行ってしまった人なんですね。(略)クロもある意味では死者のほうに退いているわけです」と説明する。

村上は現存する地、フィンランド北部の町から冥界のイメージを受け取り、さらに、そこで暮らす女性(クロ)との16年ぶりの再会を死者との再会とイメージする。このようなイメージの連鎖が村上作品の一般形である。先述したように、村上作品では、登場人物が時空を超越し、彼岸と此岸、人間界と動物界等を自由に越境する。

注目すべきは、村上の冥界の地の選択である。『色彩をもたない~』において村上が冥界に選んだ地は、北欧フィンランドのさらに北にある。そこには死臭、腐敗した肉片、飢餓といった負のイメージは抱かれない。村上の冥界はあくまでも清浄、無菌な「北欧風イメージ」である。冥界の住人であり死者であるクロからは、生活臭、汗、気忙しさといった要素が注意深く消去され、クロには豊かで静謐な自然の中、質素だが豊かな暮らしぶりが保証されているかのように描かれる。そこでは現実の生は昇華し、あたかも聖化されていて、現実界に虚無的姿勢をとる読者にとって理想郷である。

神話は生の人間の営み

神話にあって死者との再会の地が美しいところとは限らない。過酷な自然、獰猛な怪獣や蛮族等によって行く手を阻まれることもある。そればかりではない。神話では、日常における人々の営み――裏切り、欺瞞、愛憎、失意、恋愛、失恋、家族崩壊、喪失、姦計、不倫、謀略等が入り乱れる。神話の英雄たちはそれらを乗り越え、あるいは逆にそれらを駆使して、逆境を乗り越える。神話が個人の物語と重なるのは、そのような人間の現実界を織り込んでいるからである。

村上は、神話と称して、冥界・異界を“超都会化”する。そこで、都市生活者の一部=村上文学の愛読者=現実生活に対して虚無的な態度をとろうとする生活者から、強い共感を得る。人間界の諸々を捨象して、清浄・無菌な世界を冥界・異界とするのは、村上がそのような読者の切望に敏感に迎合するからである。

繰り返すが、村上のいう<神話>とは、都会の中で、実生活に虚無的な者によって理想化された世界の再現の物語にすぎない。

2015年5月2日土曜日

村上春樹インタビュー(共同通信配信)―No.1

ノーベル賞「候補」作家の村上春樹が自らの時代認識と小説について、記者(聞き手;共同通信編集委員・小山鉄郎)のインタビューにこたえた。村上文学を知るうえで重要な記事だと思えるので、所見を述べておきたい。

同記事は、「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る」(以下「時代と歴史と物語」。『東京新聞/2015/4/17/朝刊』)、「村上春樹さん、村上文学を語る」(以下「村上文学を語る」。同紙/2015/4/28/朝刊)の2回に分けて掲載された(掲載日は新聞各紙によって異なるらしい)。

「時代と歴史と物語」は記者の質問に村上が回答する形式、「村上文学」は両者のやりとりを聞き手が要約する形式となっている。新聞記事なので短いため、村上本人の意が尽くされたかどうかは不明だが、その分、村上の創造の核となる部分が簡潔に表現されていてわかりやすい。以下記事を読んでいない人のため、核心と思われる部分を書き抜いておく。

村上:先日「アルジェの闘い」という1960年代につくられた映画を久しぶりに見ました。この映画では植民地の宗主国フランスは悪で、独立のために闘うアルジェリアの人たちは善です。僕らはこの映画に喝采を送りました。(略)60年代は反植民地闘争は善でした。その価値観で映画を見ているから、その行為に納得できるのです。でも今、善と悪が瞬時にして動いてしまう善悪不分明の時代に、この映画を見るととても混乱してしまう。
(略)
村上:今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていることです。テロリズムという、国境を越えた総合生命体みたいなものが出来てしまっている。これは西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題です。(略)長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウンです。それはベルリンの壁が壊れたころから始まっている。
(略)
村上:僕の小説はある意味では「ロジック拡散」という現象に併走しているんじゃないかと思う。僕は小説を書くにあたって意識上の世界よりも意識下の世界を重視しています。意識上の世界はロジックの世界。僕が追及しているのはロジックの地下にある世界なんです。(略)ロジックという枠を外してしまうと、何が善で何が悪だかだんだん規定できなくなる。善悪が固定された価値観からしたらある種の危険性を感じるかもしれないですが、そのような善悪を簡単に規定できない世界を乗り越えていくことが大切なのです。でもそれには自分の無意識の中にある羅針盤を信じるしかない。
――村上さんの物語はその闇のような世界から必ず開かれた世界に抜け出ています。その善い方向を示す羅針盤はどこから生まれてくるのですか。
村上:体を鍛えて健康にいいものを食べ、深酒をせずに早寝早起きをする。これが意外と効きます。一言でいえば日常を丁寧に生きることです。すごく単純ですが。
(「時代と歴史と物語」より)
「自然な物語を書こうとするとき、最初からプランを作ってはいけないのです。森の中の獣を見るように、じっと目を凝らして、その獣の動きに従って自分の動きを作っていく。そうすると、どうしても無意識的なものにならざるを得ないのです」
その自然の獣の動きをじっと見るような動きは、神話の動きとよく似ているという。
「神話は人間の集合的な潜在意識を形にしたもの。物語を僕が書く、僕の潜在意識。ところが僕の潜在意識をずっと底の方までたどっていくと、集合的な潜在意識と重なってきます。神話と個人の物語は同じではないけれど、その動きは重なる部分が多いです」
(「村上文学を語る」より)
脱構築、脱領土、集合的無意識

村上の語り口から、脱構築、脱領土、集合的無意識という3つのキーワードが浮かんでくる。

  1. 脱構築→「今が善と悪が瞬時に動いてしまう時代」「長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウン」
  2. 脱領土→「今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていること」
  3. 集合的無意識→「神話は人間の集合的な潜在意識を形にしたもの。物語を僕が書く、僕の潜在意識。ところが僕の潜在意識をずっと底の方までたどっていくと、集合的な潜在意識と重なってきます」「意識上の世界よりも意識下の世界を重視」

さて筆者は、“今”についての認識において、村上とは異なる。“今”(2015年)の日本は、アジア太平洋戦争の敗戦によって日本にもたらされた戦後民主主義(1945)が、米国(軍)の対日占領政策の転換(1947)によって制限された――日本が米国(軍)の東アジア政策に組み込まれ、隷属的体制に固定化された――1947年以降の情況とまったく変わっていないと思っている。その間、村上がいうとおり、冷戦終結(ベルリンの壁崩壊)という世界史的大転換があったものの、中国・ロシア・イスラム圏の成長拡大を代替要因として、米国(軍)の対日政策は、冷戦構造を引き継ぎ今日に至っている。つまり、村上春樹がいう、「善と悪が瞬時に動く時代」なのかどうか――筆者は村上の“善悪不分明の時代”という時代認識に疑問を抱く。

“今”は果たして「善と悪が瞬時に動く時代」なのだろうか。日本の近現代において、善と悪が瞬時に動いたのは、明治維新(1868)、アジア太平洋戦争敗戦(天皇制ファシズムから戦後民主主義受容(1945~1947)、米軍の対日占領政策転換(1947~1951)、安保闘争敗北(1960)、「1968年革命」敗北等々が挙げられる。ただし、「安保闘争」「1968年革命」の敗北・挫折は、左翼陣営に属する動きであって、国民的体験ではない。かつ、この2つは1947年の米軍の対日占領政策の転換の帰結に属する。

つまり、日本の近現代において善と悪が瞬時に動いたのは、▽明治維新、▽アジア太平洋戦争敗戦、▽米国(軍)の対日占領政策転換――の3つしかない。そしてそれらのいずれも村上は実体験していない。それゆえ、村上が言う「善と悪が瞬時に動いた」という認識は、極私的な小情況に基づく可能性が高い。だから、外からはそれが何なのかを確言できないし、他者にとってはどうでもいいことかもしれない。

善悪に与しないのが村上の立ち位置

というよりも、村上は敢えて自分の立ち位置を善にも悪にも定めないことに決めたのではないか。“今”が善と悪が瞬時に動く時代なのではなく、“今”の村上が、善と悪のどちらにも与しない、と決めたに過ぎないのではないか。そのことによって、善と悪を相対化し、気分に任せ、善でも悪でもない言葉を垂れ流すこと、ロジックにとらわれないファンタジーを紡ぎ続けること――をもって、それを村上文学の「神髄」と定めたのではないか。

しかし、それだけなら村上文学はファンタジーだと自ら規定してしまうことになるから、カール・グスタフ・ユングの中心概念である集合的無意識を引っ張り出して、村上春樹という“個人の夢や空想に現れるある種の典型的なイメージ”を民族や国家を越えた神話として、国境を越えた(=脱領土的)物語と言い換え、普遍化して表現したのではないのか。

“僕(村上春樹)の小説は、民族や人類に共通に古態的(アルカイク)な無意識だから、世界的(脱領土的)に読者を獲得できるのです”と、説明しようとしたのではないか。そう説明することによって、自らの小説が、ノーベル賞に値すると。

村上は、“今”、ロジックの消滅、拡散、メルトダウンが世界規模で人々の気分のなかで横溢しているという意味のことを述べているが、今の時代における支配と被支配、搾取と非搾取、富者と貧者、北と南といった二項対立の関係と構造はロジックで説明できるし、説明しなければいけない。前出の映画「アルジェの闘い」の時代となんら変わっていない。ただ、植民地と宗主国という関係と構造が消滅し、どちらも独立国に変わったため、両者の関係と構造(宗主国-植民地)が“今”や見えにくくなっただけなのではないか。その背景に、脱領土的な多国籍企業の強力な影響力が働いていて、一国的な支配者と抵抗者という図式が見えにくくなっているとは思うが。

村上文学はハーレークイーンロマンス

村上春樹の小説が、世界的に多くの読者を獲得していることを認めないわけにはいかない。が、その現象は、「ハーレークイーンロマンス」が世界的に支持されていた現象と差異がないように思える。「ハーレークイーンロマンス」は定型に近い筋書きがあり、読者が期待する結末で終わる。一方の村上文学は、現実と非現実、動物界と人間界、彼岸と此岸、過去と現在の境界は自由に越えられる。両者の文学スタイルはまったく異なっているのだが、どちらも読者の気分に併走するという意味において差異がない。

無意識に依拠する村上の文学方法論は疑問

村上春樹の作品が村上自身の私的体験のイメージ化という一点において、その存在価値は認められる。それが村上文学ならばそれでいい。しかし、「物語を僕が書く、僕の潜在意識。ところが僕の潜在意識をずっと底の方までたどっていくと、集合的な潜在意識と重なってきます。神話と個人の物語は同じではないけれど、その動きは重なる部分が多い」というふうに方法化されると、ちょっとまってほしいといいたくなる。

村上がいう自動記述のような方法で作品ができあがるのかどうか、はなはだ疑問が残る。読み直し、書き直し・・・推敲を重ねるうちに、潜在意識とは別の要素が混入してこないのだろうか。その過程で洗練化された表現は、おそらく集合的潜在意識(「集合的無意識」)とかけ離れたものとなるだろう。

2015年5月1日金曜日

5月の猫

文字通りの五月晴れで5月が始まった。

猫の体重測定から記しておく。

Zazieは4.1kg(前月比100g減)、Nico は6.3㎏(同200g増)。

前者は4kg台前半、後者は6kg台前半で推移している。

成長して安定期なのか。