いわゆる「センバツ」が終わった。高校生の全国的野球大会だ。このイベントの目玉は、済美高校の2年生投手・安楽智大(16歳)だ。球速は150キロを超え、変化球(主にカーブ)もいい。フィジカル的にも優れた逸材だ。安楽には、日本球界のみならず、米国MLBも注目しており、ダルビッシュの再来だという評価もあるらしい。
ところで、この大会の安楽の投球状況をみると、3月25日=232球、30日=159球、4月1日=138球、2日=134球、3日=109球という驚異的なもの。なんと、9日間で772球にのぼっているではないか。このことについて、米野球専門誌ベースボール・アメリカ電子版は3日、「酷使」だと眉をひそめ、「メジャーの投手なら5~6週間分に相当する球数。決勝はスピードが10キロ落ち、疲れ果てていた」と将来的な影響を危惧したという。
当然の指摘だ。安楽は、済美高校野球部監督から、4月の1日から3日まで、なんと3日連続登板・合計381球という狂気的な起用をされた。安楽は前出のとおり、まだ16歳の高校生。身体面では、肩、肘はもちろんのこと、全身が発展途上にあり、短期間とはいえ、身体の酷使は故障につながりやすい。更に驚くべきことは、日本のスポーツマスコミがこのような狂気の投手酷使を批判しないことだ。批判どころか、熱投、力投と賛美する。だれがどう考えたって、16歳の少年に9日間で772球も投げさせれば、いいことはないと考えるだろう。肩や肘に必要以上の負担がかかると考えるほうが普通だろう。
ところが、日本の野球風土では、それが当然だとさるばかりか、むしろ逆に称賛されるのだ。スポーツ医学会は、こういう現実を放置するつもりなのだろうか、「医者」の「良心」とやらはどこに行ってしまったのだろうか。そればかりではない。スポーツジャーナリズムも狂気の連投について警告しないどころか、このような現実を美談として称賛し、逆に推奨しようとする。「ジャーナリスト」の「良識」とやらは、どこに行ってしまったのだろうか。筆者にはまったく理解できない。
「センバツ」の前にWBCという、これまた野球の世界的イベントがあった。日本代表である「侍ジャパン」は準決勝でプエルトリコに負けた。このイベントはくだらないと思うものの、唯一評価できる点は、投手に投球数制限がかけられていることだ。細かいレギュレーションはここでは書かないが、まずもって連投はできない。もちろん、一人の投手が「センバツ」のように、第一試合から決勝戦まで、イベントすべての試合に投げることはあり得ない。当然だろう。
球数制限については、日本では、米国は肩、肘等を消耗品だと考えることが通念だと報じられることが多いが、もちろん、医学的側面もあるが、プロフェッショナルの場合、できるだけ多くの投手に登板機会を与えようという側面もある。雇用機会の増大だ。そのことを根拠にして、スターター、セットアッパー、クローザーという1試合の中の分業体制が整備されている。
日本の高校野球の場合、「エースで4番」という「スーパースター」に依存しているチームがほとんど。その「エース」が予選から本大会(甲子園)まで一人で投げ切るのが定番になっていて、今年の「センバツ」に限らず、夏の大会も含めて、一人の「エース」が狂気の投球数で大会を投げ切ることが義務となっている。
その結果どういうことが起こるのかというと、投手生命の短命化傾向だ。たとえば、日本の名球会会員(資格:日米通算で打者が2000本安打以上、投手が200勝以上、もしくは250セーブ以上)53人のうち、投手は15人、打者は38人と、打者優位の結果となっている。投手15人のうちスターター(岩瀬、佐々木、高津のクローザーを除く)は、なんと、12人にまで減少する。日本の投手は優秀だといわれながら、200勝以上を達成できた投手は意外と少数であることがわかる。
また一方、日本の投手は優秀だという評価を反映して、日本人投手のMLB移籍が頻発しているものの、抜群の実績を上げたのは野茂英雄ただ一人(ダルビッシュには大いに期待できるが)。野茂は1995~2008の13シーズンもMLBに在籍した。日本人投手では最長だろう。あの怪物・松坂大輔でさえ2007にMLB移籍して、活躍したのは2007、2008の2シーズンにとどまり、2012シーズン途中でトミー・ジョン手術を受け、2013シーズンどうなるかというところ(筆者は、MLB復帰は困難だとみているが)にきている。
例外は、黒田博樹で、38歳のベテランながら、今シーズンもMLBで活躍を続けている。ほかに、大家友和が1999~2009と在籍年数は長いものの、実績はいまひとつ。MLBから日本球界に復帰した石井一久も39歳で現役続行中だが、やはりMLBにおける実績はいまひとつ。そのほかの日本人投手のスターターで、MLBにおいて実績を残した者は思い当たらない。
日本野球は、日本の分厚い野球文化を背景にして、優秀な選手を輩出してきた。しかしながら、非科学的な「英雄主義」と、誤った「チーム献身思想」に毒され、逸材を思いのほか、早くに球界から去らせる結果を招いている。このような悲劇から若い才能を守るためには、リトルリーグ、高校野球、大学野球において、投球数制限をルール化することだ。さらに、野球を志す若い才能を多様化して認知することだ。先発型なのかブルペン型なのかを見極め、適所にあった選手起用をすることだ。スポーツ医学界も、若年層の連投、多投を制限するよう、アマチュア球界に働きかけてほしい。そして、なによりも、日本のスポーツメディアが、若年投手の連投、多投を非難・批判するような報道をすることだ。
日本のスポーツ界は、指導者が選手に暴力(「体罰」と言われているようだが)を行使し、根性を鍛えることが「強化」の常識と化している。この暴力風土は、小中学校、高校、大学体育会で常態化し、指導者は暴力で選手を鍛えれば強くなると信じている。そのため、指導者の暴力を嫌って、才能のある若者が運動部から退部することもまれではない。優秀なアスリートが、指導者の暴力の行使により、理不尽にも、逆にスポーツから遠ざけられているのだ。
高校野球の全国大会(甲子園)では、直接的な暴力ではないものの、監督(指導者)が非常識な投球数を一人の高校生投手に課すことが当たり前どころか、美化されている。このたびの済美の監督による安楽投手への連投命令は、まさに体罰=暴力に匹敵する。
スポーツ医学界、メディア、スポーツ指導者の3者が、若年アスリートの身体と競技の妥当かつ合理的な関係に目覚めるのは、いったいいつの日のことになるのだろうか。若きアスリートの身体を消耗させることでカネを儲ける者を、これ以上、許していいものなのだろうか。