●秋山さと子 ●講談社現代新書 ●650円+税
本書は、“集合的無意識”の用語で知られる心理学者で精神科医、カール・グスタフ・ユング(1903-1955)のオカルトとの関わりを解説したもの。オカルトというと、現代日本では怪しげな迷信や似非宗教等の代名詞になっているが、本来は「隠されたもの」という意味である。
ユングは占星術、グノーシス主義、錬金術、ルネサンスのヘルメス学、カバラ等を研究し、人間の無意識の中に潜むと思われる、それら「隠されたもの」の関与を明らかにすることで、自らの心理学体系の構築を試みた。
彼(ユング)が好んで占星術に言及したのは、この一連のいわゆるオカルトに対する興味からだけではない。魚座の時代に続く水瓶座の世紀こそ、この分裂した自我が統合されるものと彼は信じていた。
(略)
ユングは無意識の中にうごめく力の奇妙な結晶体が、人間の意識を揺り動かすエネルギーを発して、それが人々の運命をリードするという意味で、占星術における運命決定論を許容し認めていたが、新たな水瓶座を示すイメージは、全人格的な原人アントローポスが、壺の水を魚の口に注いでいるもので、この象徴的イメージは、ユングによれば、意識と無意識をつなぎ、内にも外にも開かれた全人が、ようやくこの世にあらわれてくる前兆と考えられた。
それはこれまでずっと隠されたものであったが、いわゆる無意識的なものや、その投影として現実の世界を覆う幻像のようなものではない。ユングが実在すると信じた人間の世界の外に存在するなにものかであり、同時に心の中心として、意識と無意識、光と闇、善と悪などの人間の心の動きのバランスをとるシーソーの支柱のようなものである。この支柱は決して人間の意識でとらえ、保持できるような性格のものではない。そういう意味で、真に隠されたものであり、無意識の投影としてのオカルトではなく、隠されたという意味を持つオカルトという言葉の真の意味においてオカルト的なものといえよう。(P20~21)
本書は、「隠されたもの」の思想的本源、グノーシス主義の解説から始まる。グノーシス主義とは何かについては、本書を参照してほしいのだが、それは巨大な構成力をもった宗教であり、思想であり、哲学であった。西暦紀元前後、東方において成立し、原始キリスト教と教義において微妙に対立しつつ、紀元2世紀ころにはギリシア、エジプト、シリア、ペルシア等のヘレニズム世界において隆盛を極めた。ところが、カトリック教会のヘゲモニー掌握に従い異端として退けられ、表舞台からの消滅を余儀なくされた。
グノーシス(ΓΝΩΣΙ)とは、単語的意味では、「認識」や「知識」を意味する古代ギリシア語の普通名詞。グノーシス主義の特徴を大雑把にまとめると、
- 多くの場合、イエス・キリストが宣教した神(=至高神)とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造神)は違うという教義をもつこと、
- 創造神の所産であるこの世界は唾棄すべき低質なものとしたこと、
- 人間もまた創造神の作品であるが、その中に、ごく一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれていること、
- 救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれて至高神のもとに戻ること、
- グノーシス主義が信奉するのは、この世界の外、あるいはその上にあるいわば「上位世界」そしてそこに位置している「至高神」であること、
- 人間の霊魂も、もともとはこの上位世界、別名「プレーローマ」の出身であり、現在はこの世界に幽閉されている形になっていること、
- この世界から解放され、故郷である上位世界に戻ること、それがグノーシス主義者にとっての「救済」であること、
- こうした事情を人々に啓示するために上位世界から派遣されてきたのが救済者イエス・キリストであること、
- グノーシス主義における教義には神話によって記述されているものもあり、それらには寓話的、おとぎ話的なものもある。
ユングは、キリスト教を相対化する根拠としてグノーシス主義に接近した。キリスト教が人々の拠り所でなくなり、思想的にも社会的にも行き詰まりを見せ始めた20世紀、西欧の知がキリスト教を超える信仰体系に傾斜するのは自然の流れである。
日本においても、社会の行き詰まりや精神の荒廃した状況が訪れた昨今において、現代日本社会の起源を「弥生」に求め、それを超えるユートピアとして「縄文」を対置する傾向がみられる。いまの日本は弥生時代の社会制度や思想の延長上にあるからだめなのだ、だから、縄文時代に回帰せよ、と。
本書にもあるように、ヨーロッパにおいては、グノーシス主義は歴史の表舞台から消えたものの、錬金術やヘルメス学等に受け継がれ、ルネサンス期に再興する。その後、カバラ、占星術等と融合し、17世紀には薔薇十字団、フリーメイソンといった秘密結社を誕生させていく。この流れは、1799年、フリードリヒ・シュライアマハーの『宗教について』の刊行により大衆に浸透し始め、そのおよそ100年後(1888年)、ブラヴァツキーの『秘奥の教義(シークレット・ドクトリン)』による神智学、シュタイナーの人智学、アリオゾフィ(アーリア人至上主義、反ユダヤ主義)を経て、ナチズムに収斂する(ローゼンベルク『20世紀の神話』/1930)。第二次大戦後は、ニューエイジ思想として米国に流入開花し、今日に至っている。
ユングにとって、さまざまな神秘的な事象は、ただ迷信的に信じられるものではなかったが、だからといって、これを見ないですませたり、否定したりすることはできなかった。
これを認めるとすれば、人間の頭の中で想像できる唯一のことは、自然の中には原因と結果との結合性以外に、もう一つ別の因子が存在し、それが諸事象のなかに表現され、それが我々にとって、意味としてあらわれるものと考えなければならない。これがユングの考えていた隠されたる神の実在であり、すべてを包括する因子の存在という仮定である。(P208)
ユング再評価、過大評価の動きが日本にある。同時に、近年、日本社会におけるニューエイジ思想の浸透は想像以上である。前出のとおり、検証を伴わない「縄文至上主義」もその一つ。オウム真理教事件の反省を踏まえ、地道なユング精読が求められる。本書は、ユング心理学の手頃な入門書であり、ユング盲信を阻む一助となろう。