2017年7月26日水曜日

三流の証明―本田圭佑のパチューカ移籍

本田圭佑がACミラノを契約期間満了で退団し、メキシコリーグの名門、パチューカに入団した。この移籍について日本のスポーツメディアは概ね好意的で、“本田圭佑の新たな挑戦”であるとか、“先を見据えた戦略的移籍”といった、推測記事を載せている。

筆者に移籍の真相を知るよしもないのでそれらを否定も肯定もしないが、さはさりながら、筆者の推測は日本のメディアのそれとは異なる。本田の移籍の真相については、もっとシンプルなものだと考える。


本田のパチューカの年俸はメッシ(バルセロナ)の9分の一

注目すべきは本田の年俸――推測で4億5千万円(1年契約)。この金額は欧州の有力リーグ(イタリア、スペイン、イングランド、ドイツ)で活躍している一流選手のそれと比較すると、著しく低い。本田のミラン退団では移籍金が発生しない。前出の欧州有力リーグの、しかも優勝を争うクラブが本田を必要な戦力だと考えるならば、最低でも10億円程度の年俸を示したにちがいない。ちなみに、欧州有力4リーグのスターでレギュラークラスならば年俸20億円前後で、バルセロナのメッシは36億円(4000万ユーロ)、5年契約ともいわれている。パチューカが本田に支払う年俸4億5千万円は筆者のような凡人からすれば途方もなく高額だが、欧州のサッカー市場では三流レベルだ。

参考として、イングランド・プレミアのなかの金満クラブ・チェルシーFCの2012年の平均年俸を挙げると、なんと7億4700万円(Wikipediaより)と高額だ。また、2014年に『サッカーキング』が英紙『デイリーメール』からの引用記事を掲載していて、その記事から欧州有力5リーグの平均年俸がわかるので、以下に転載する。

1)イングランド・プレミア=4億1500万円
2)ドイツ・ブンデスリーガ一部=2億6600万円
3)イタリア・セリエA=2億4000万円
4)スペイン・リーガ一部=2億2100万円
5)フランス一部=1億8000万円

欧州有力リーグが本田にオファーしたとしたら、おそらく、その年俸は平均額程度だった可能性が高い。つまり、2億円程度だろう。それに比べれば、パチューカの4億5000万円は本田側にしてみれば破格で魅力的だったに違いない。

金銭と自尊心の調和

本田がパチューカに傾いたのは、いくつかきたオファーのうち、年俸が最高額だったからではないだろう。本田の広告塔としての価値を踏まえるならば、もしかしたら中国、米国(MLS)、中東、日本(Jリーグ)のクラブがパチューカ以上の年俸を提示したかもしれない。だが、これらのクラブでは本田の自尊心が満たされない。中東、中国は日本のJリーグよりレベルが低い。米国の場合、代表チームはW杯出場権を連続して得ているが、クラブレベルではメキシコのクラブに及ばない。近年、クラブW杯出場権を獲得しているのは、クラブアメリカ、パチューカ、モンテレイ、クルスアスルと、みな、メキシコリーグのクラブなのだ。

Jリーグはどうだろうか。本田にとって、Jへの復帰は屈辱以外にないだろう。結局、年俸と本田の自尊心を考え併せた最良の選択として、メキシコリーグのパチューカに行き着いた、というのが筆者の推測だ。

本田の移籍の道筋は“漂流”

本田は日本では神話化された現役サッカー選手だが、日本~オランダ~ロシア~イタリア~メキシコという移籍のプロセスは漂流に近く大失敗だった、と筆者は思っている。ACミランに入団できたのは幸運だったが、そのときの本田の力はピークを過ぎ、下降線をたどるばかりだった。それゆえプレーでチームに貢献することができず、本田の履歴に汚点を残す結果となった。イタリアにおいて、本田には広告塔(マーケティング)的価値しか存在しなかったことを実力(結果)において、証明してしまった。

大手広告代理店が守る広告塔としての本田の価値

日本における本田のメディアの扱いは意図的であり、大手広告代理店がコントロールしていると聞いている。メディアサイドは、本田のサッカー選手としてのありようを報道することができない。メディアが本田の商品価値を傷つけるような記述をすると代理店から規制がかかるため、記者も自粛するという。

大手広告代理店は本田を一流のCMタレントとして止めおき、日本のメディアのなかで、世界的「一流」サッカー選手と崇められるようその価値を維持してきた。今日、本田のサッカー選手としてのあり方は、海外で活躍しようとする日本人選手の悪しき見本となった。

“ホンダ”が虚像で終わるかパチューカの英雄で終わるか、注視しよう

本田がこれまで得てきた多額の収入は本田のある意味の実力の結果であって、よしんば、それが広告代理店と共同でつくられた虚構的価値からもたらされたのであっても、それをとやかくいうつもりはない。ただ、サポーターのアスリートの評価基準は、アスリートが稼いだ金額の多寡や、意図的な報道でつくられた虚像ではない。選手が一流の舞台でいかに輝いたかという、人々の記憶のなか以外にない。

本田がメキシコで「広告塔」でなく、「サッカー選手」として輝くことを祈ってやまない。