2018年9月27日木曜日

2018年9月19日水曜日

プロスポーツにおける「二刀流」は進化かそれとも退化か

“二刀流”といえば野球の大谷翔平の代名詞だが、陸上短距離100メートル世界記録保持者、ウサイン・ボルトもプロサッカー選手を夢見ているという。サッカーの本田圭佑は2018-19シーズン、選手(メルボルンビクトリー)と実質的な代表監督(カンボジア)の兼任に取り組んでいる。

大谷の場合は、日本プロ野球(NPB)で投手と打者(指名代打)の「二刀流」に成功し、2018シーズン、MLBに移籍したが故障し、現在(2018/09/14)、指名代打に専任していて、今シーズンに限っては成功していない。14日の新聞報道によると、大谷が所属するエンゼルスのソーシア監督が「大谷は来季マウンドに上がらない・・・2020年には二刀流としていい状態でプレーできるだろう」と語ったとある。大谷の二刀流は、今季はもちろん、来季も封印される。19シーズン以降、手術等を経て、「二刀流」で成功する可能性はないとはいえないが、筆者は二刀流の続行に悲観的だ。

本田の場合はAリーグがスタートしていないので、これも何ともいえないが、カンボジア代表監督としての初戦は黒星。なおボルトの場合は、どこまで本気なのかわからないので言及しない。

大谷の二刀流は100年前への回帰

大谷の二刀流挑戦は、野球というスポーツの新たな可能性を開いたという見方が一般的だと思われる。前人未到の世界への果敢な挑戦だと。すなわち二刀流への挑戦は野球選手として未知の世界に挑むこと――進化の過程だというのが日本のスポーツメディアの結論のようだ。

しかし、筆者はそのような見解に賛成しかねる。その理由は、筆者は拙Blogにおいて大谷の二刀流挑戦についてたびたび頓挫を予言したことと重なる。

MLB(アメリカにおける職業野球)の黎明期、偉大な天才、ベーブ・ルースが二刀流で実績を残したのが1910年代のこと。およそ100年前の出来事だ。その時代は9人野球が一般的だった。日本では高校野球等のアマチュア野球の世界が100年前のMLBのままで、いまだに「エースで四番」が幅を利かせている。

分業、専業化という進化

MLBはもちろんNPBにおいても野球は進歩に進歩を重ね、そのことは分業化・専業化とほぼ同義だ。投手と野手すなわち投法と打法は基本的に異なる運動であるため、投手は投手として進化を遂げ、打者も打者として進化を遂げている。

なぜ分業化(専門化)が進んだのかというと、野球がチームプレーであり、最終目標はチームが勝つことだからだ。勝つためには、ベンチに入った25名程度の選手が何をなすべきかに基づき役割が割り振られた。投手陣においては、先発、中継ぎ、抑えという分業化であり、野手では、打順ごとの役割の明確化や走塁スペシャリストの出現があり、守備専門選手もいる。登録枠およそ50~70名程度の選手も多種多様、それぞれの専門性が顕著になっている。

個人単位のフィギュア・スポーツ(たとえばフィギュア・スケート)ならば、打って投げることができる選手のポイントが高くなるかもしれないが、野球は前出のとおり、相手より1点でも多くあげて勝つことが最終目的なのだ。

大谷はエンゼルスの勝ちに貢献していない

大谷がMLBにおいて1シーズン、コンディションを維持して二刀流を続行し、はたしてどれだけの成績があげられるのか。先発で10勝、打率3割、20本塁打なら合格点だろうが、先発で5勝、打率2割5分、15本塁打程度なら、チームに貢献したとはいえない。大谷は打に専念する試合ではDH起用に限定される。DH専門なら、かなりの高打率、多本塁打が求められる。大谷が二刀流を放棄してどちらかに専念したとしたら、筆者の見立てでは、投専門で、MLBでも10~14勝が期待できるし、その反対にDH専門で打率3割以上、20~30本塁打はかたい。しかも、そのどちらでも、大谷が二刀流で中途半端な成績で終わるよりも、投手大谷、打者大谷のほうがチームの勝利に貢献する。

今季、エンゼルスは大谷の二刀流でメディアの関心を集め、集客、グッズ販売等が順調だから二刀流を容認したのだろうが、成績はア・リーグ西地区5チーム中の4位(73勝、74敗)、現地時間13日、15試合を残しワイルドカードによるプレーオフ進出の可能性が消滅している。つまり、大谷二刀流人気とは裏腹に、彼は戦力(=チームの勝利)には結果として、寄与していない。

大谷の二刀流はエンゼルスの今季限定「商品」にすぎない

エンゼルスは、来季に備え、チーム成績が回復するための方策を探らなければならない。前出のソーシア監督の発言は、来季、大谷を打者に専念させ、二刀流という中途半端な存在をチームから一掃するという球団の方針の代弁だろう。なぜなら、ソーシアは今季限りでエンゼルスを退任するからだ。来季の大谷の扱いは、次の監督が決めることになる。

大谷の契約期間は1年だが、エンゼルスが6シーズンの保有権をもっているので、この先、大谷がどうなるかは不明なまま。来季、大谷がDHでよほどの成績を上げなければ、売りに出されることもありえる。ことほどさように、大谷のMLBにおける地位は、日本人が思っている以上に不安定なのだ。

サッカーにおける監督と選手の兼任(本田圭佑の場合)

本田が所属するAリーグが開始されていない段階なので、本田の代表監督業と選手の兼任の結果については言及できない。ただ、本田が18日、ツイッターで指導者ライセンスについて問題提起しているので、その件についてふれてみよう。

本田のつぶやきは、「今のコーチングライセンス制度は廃止して新しいルールを作るべき。プロを経験した選手は筆記テストだけで取得できるのが理想。母数を増やして競争させる。クラブ側も目利きが今まで以上に求められる。ただ選択肢は増える。日本のサッカーはそういうことを議論するフェーズにきている」というもの。

本田は新自由主義者

本田の言及は、監督業における「規制緩和」を求めたもの。市場競争原理が善を導くとする新自由主義の発想にほかならない。筆者は新自由主義に批判的な立場にあるため、本田のライセンス制度への提言についても当然、賛成しかねる。その理由は、指導者、指揮官の資質と選手としての資質はまったく別ものと筆者は信じるから。

Jリーグが行っているライセンス制度が完璧だとは思わないが、筆者はその精神及び原理原則を支持する。ライセンス制度の根源には、すべての者(現役時代に実績を残した選手も無名の選手)も、指導者としてのスタートは同一であることが望ましい――という思想に基づくからだ。

かりに本田の提言のようにライセンス制度を廃止すれば、監督の職は有名選手で占められる可能性が高い。日本のスポーツ界では、有名選手が監督コーチを占める割合が高いからだ。たとえばプロ野球をみればいい。現役を引退した有名選手が即監督につくのが当りまえの業界だ。近年における、読売の高橋由伸、阪神の金本知憲の事例を見ればわかりやすい。名選手が指導者の訓練を経ず、監督に就任する不思議。このような日本独特の指導者に関する考え方は、指導者として資質をもつ現役無名選手等が監督やコーチの職を得られなくしている。有名選手が監督として失敗する事例は日本の野球界では珍しくない。本田の規制緩和が制度化された場合、そのことが日本サッカー界にもたらす弊害の第一は、Jのチームの監督の職は現役時代に実績を残した元スター選手で占められ、その陰で指導者としての資質を持った無名の者が疎外されるという現実だろう。そのことがもたらすサッカー界の損失は膨大なものとなろう。

〈有名選手・引退後指導者〉という日本スポーツ界の〈時間差二刀流〉

日本のスポーツ界では時間差はあれ、〈選手〉→(引退→)〈監督〉が兼任であり、その資質の差異は、まったくといっていいほど意識されない。本田のつぶやきが、自身のカンボジア代表監督と選手の兼任を正当化する詭弁としてなのか、もしくはJリーグの監督の職を狙ってのものなのか、それとも単なる思いつきなのか、あるいは新自由主義者を気取ってのことかはわからない。そのいずれにしても、本田の規制緩和は進化ではなく退化であり、日本のスポーツ界の時代遅れ、考え違いを肯定するものだ。

蛇足ながら、いま新しいスポーツアイコンとなったテニスの大坂なおみのコーチは、現役時代まったく無名だったサーシャ・バイン。大坂とサーシャの関係が、日本プロスポーツ界における指導者のあり方を改めようとしている。

2018年9月16日日曜日

根津神社例大祭

お祭りである。





2018年9月2日日曜日

秋の味覚・秋刀魚

秋の味覚、庶民の味といえば秋刀魚

居酒屋「やま」にていただきました。

居酒屋「やま」(根津)