東北に仕事で出かけた娘夫婦からべアレン・ビールが届いた。うまい。
2021年1月8日金曜日
菅野智之の本心は「終生巨人軍」か?
菅野はNPB入団時、日ハムの指名を拒否して一浪、翌年、単独で読売の指名を受けドラフト破りをして希望通り、2年がかりで読売入団を果たした「前科」がある。今回もそんな匂いがする。菅野が本気でMLB入団を希望するのならば、大谷翔平のように金銭的条件を無視して「二刀流」のみを条件にしてMLBにとびこんだように、自分を最も必要とすると思われるMLB球団と契約すればよかった。菅野が本気ならば、入団時の低条件を実績で覆し、アメリカン・ドリームを勝ち取ればよかった。その自信も野心もないのか。
翻って、前出の菅野のNPBへのチャレンジを考えてみると、貴重な現役時代を1年浪費してまで、読売という金満のブランド・チームにドラフト破りで入団を果たしたわけは、彼の最終ゴールがMLBでないことの証だったのかもしれない。プロのアスリートとして、MLB志向があるのなら、ダルビッシュや大谷のようにNPBのなかで最も自由な日ハムに入団し実績を残し、MLBを目指す道を選択すべきであった。それをしなかったのは、けっきょくのところ、菅野の本心は終生「巨人の菅野」だったのかもしれない。読売入団後、実績を残した2020を自己の頂点と認識し、下り坂に向かう今後、今度はMLB挑戦をチラつかせて、読売からさらなる好条件を引き出そうと画策したのではないか。ドラフト破りの「前科」を踏まえ、菅野智之の行動原理には卑しさがつきまとう。世界チャンピオンへの挑戦オファーがありながら逃げ回って、終生日本チャンピオンでいいと思っているような志の低さを感じる。挑戦をやめたアスリートに魅力はない。終生「巨人軍の菅野」なんだから、MLB挑戦なんか、チラつかせないでほしい。
2021年1月1日金曜日
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
●加藤陽子〔著〕 ●朝日出版社 ●1700円+税
著者の加藤陽子は2020年9月、日本学術会議会員候補となりながら、菅首相によって任命拒否された当事者の一人である。筆者はこの問題がメディアで盛んに報道されたとき同書を購入した。任命拒否された学者の業績について、少しは知っておきたいと思ったからであるが、同書を読みだすまでにかなり時間を要した。その理由は、ほかに関わるべき事案を抱えていたことがあったためであって、それ以外ではない。
本書は、大学受験校として名高い栄光学園(神奈川県)の歴史研究会の生徒に対する特別授業をまとめたもの。本題が示すとおり、現代史がもつアポリアを特別授業として実施した栄光学園の教師及び学校長に敬意を表する。さて、読書中、著者(加藤陽子)が生徒に質問する箇所が何度も出てくるのだが、答えがわからなくて、あてられるとまずいなと、内心ドキドキした筆者の高校時代が思い出された。そのような緊張感にあふれている。以下に半世紀以上前に高校を卒業した筆者が本書から学んだポイントを挙げる。
(一)戦争とは何か
著者(加藤陽子)はルソーの「戦争および戦争状態論」という論文のなかの、戦争とは「国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の、憲法に対する攻撃、というかたちをとる」という記述を引用し、相手国の社会の基本を成り立たせる秩序=憲法にまで手を突っ込んで、それを書き換えるのが戦争だと定義する。本書の第一歩は、ここからである。ルソーは18世紀の思想家であるが、20世紀の戦争を見とおしていた。このことについては後述する。
20世紀、世界は2つの大戦を経験した。いうまでもなく、第一次及び第二次世界大戦である。日本は後者においてまさに当事国として戦い敗戦した。日本の敗戦に係る素因はいろいろ分析されてきたけれど、当時の日本のリーダー及び国民が前出のルソーの戦争の定義を理解していたならば、かくも多大な犠牲を払った選択を忌避しえたかもしれない。歴史に「if」はあり得ないのだけれど、第一次大戦の惨禍を身近に経験した欧州、そして大西洋を渡って参戦したアメリカは、その後に起こる戦争がそれ以前のものとまったく変わることを認識した。世界大戦は総力戦とも呼ばれる通り、軍隊同士の戦闘の積み重ねではない。民間人を含んだ全国民を対象とする。相手国の経済はもちろん、統治原理である憲法、文化、宗教までも含んだ、まさに国家を根底から変えるまで戦い続けることである。なぜならば、総力戦を支えるのは国民であって軍隊ではないから。別言すれば、総力戦は国民の支持がなければ起こりえない。戦闘員と民間人を区別してきたそれまでの戦争の対象は、総力戦となればその区別がなくなる。相手国の殺戮対象は軍隊及び国民となる。
第一次大戦の終結にあたって、戦勝国である英米仏は、敗戦国ドイツ帝国の統治原理を完全に崩壊させることをためらった。その失敗がナチスドイツを誕生させ、第二次世界大戦を誘発させた。ナチスドイツが欧州で侵略戦争を開始したとき、日本は中国から、東南アジア、西太平洋、アメリカハワイ島へと戦線を拡大した。そのとき、英米仏等にソ連を加えた連合国は、ドイツ、日本との戦争終結における妥協を考えなかった。無条件降伏という選択肢しか与えない戦争終結を決意していた。
日本も総力戦の思想を理解していたし、太平洋戦争を開始する準備として、総力戦体制を整えていた。しかし、日本が想定していた総力戦は名ばかりで、日本の対英米に対する戦争戦略は、短期的勝利で優位に立ち、そこで外交交渉に持ち込もうという、日清、日ロ、第一次大戦(対独戦争)の勝利体験の踏襲だった。このような日本の目論見は時代遅れだった。日中戦争において中国に持久戦を強いられ戦争が泥沼化するなか、切迫する経済危機を一点突破するために選択したのが英米に対する宣戦布告だった。そして一見無謀に見える戦争開始は、国民の支持を得た。
日本軍は西太平洋(真珠湾攻撃)及び南方への奇襲攻撃ではじめ優位に立ちながら、次第に英米に巻き返され、軍事拠点を次次に失っていった。敗色濃厚になった日本の総力戦の実体は、国民総動員に変容し、戦争が年単位に長期化するや、食料調達がままならないまま、戦地(兵士)、内地(非戦闘員)は飢えに苦しんだ。
連合国は日本に対して非妥協的だった。東京大空襲、沖縄地上戦、広島・長崎原爆投下、ソ連軍の満州侵攻により、多数の非戦闘員が殺害され、あるいは戦争捕虜になり厳冬のシベリアに抑留された。繰り返せば、連合国の戦争終結論理は、前出のとおり、18世紀にルソーが看破したとおり、日本の統治原理を完全に破壊する軍事行動だった。日本が降伏を申し出ようがしまいが、原爆投下は決定事項だったという。それが20世紀の世界大戦である。総力戦というのは国民の支持のもとに戦われる戦争である限り、殺戮対象はすべての国民である、というのが第一次大戦を総括した連合国の論理だった。
なお、ルソーの戦争論は、第二次大戦を最後に通用しなくなる。核兵器の出現である。ソ連が核兵器を保有するに至って以降、世界戦争は冷戦と地域戦へと変容した。日本の場合で言えば、東西代理戦争である朝鮮戦争により、日本の政治・社会体制は、敗戦前に復帰してしまった。多数の戦争犠牲者は、ついに報われることがなかったのである。
(二)日本帝国の前期と後期
筆者は、明治維新(1868)からアジア・太平洋戦争敗戦(1945)までの日本帝国を一括りに考えていたが、その考え方を大幅に修正された。読後の筆者の受止めとしては、前期は、維新から第一次世界大戦参戦(1914)まで。その間に、日清戦争(1894)、日露戦争(1904)があった。後期は、第一次世界大戦終結からアジア・太平洋戦争終結まで。その間に日中戦争(1937)があり、同戦争は1945年まで太平洋戦争と並行して継続する。前期と後期を大きく分かつのは、いうまでもなく世紀の更新(19世紀から20世紀)である。
(三)超大国の出現――第一次大戦後の世界
20世紀がそれ以前の世界と決定的に異なるのは、その後、超大国となるアメリカとソ連が出現したことである。日本はそのことにあまり自覚的でなく、ソ連に対しては共産主義という認識でそれなりの警戒心を抱いていたにすぎなかったし、アメリカの潜在的国力を見とおすことができなかった。そのため、日本帝国の軍部、政治家、官僚は、東アジアでこれまで展開してきた国益追求のための武力行使と外交で中国大陸における権益(満蒙権益)を確保できると考えていた。つまり、第一次世界大戦という世界大戦によって新たに形成された世界を強く認識できないまま、世界大戦を準備し、開始してしまったということになる。
(四)満蒙への国家的投資
日本帝国が英米に戦争を開始する前、日本は日中戦争を戦い続けてきた。戦争遂行の論理は、「満蒙は日本の生命線、生存権」という主張であった。この論理は安全保障の観点が大きいように思えるが、それよりも経済的要因を無視できない。日本側が満蒙に対して行った投資は借款、会社投資併せて14億2,034万685円でその内訳は満鉄等・日本政府で85%にのぼっていた(P280)。国絡みでカネを突っ込めば、引き下がれない。それが中国における展望なき戦争を継続した理由である。
(五)中国の対日戦争戦略
無謀とも思えるアジア・太平洋戦争に日本が突っ走った背景となったのが、前出の日本帝国の満蒙への執着とそれに反発する中国の抵抗であった。著者(加藤陽子)は中国の抵抗の論理として、胡適という学者で外交官の言説を紹介している。胡適は日中戦争開始前の1935年に「日本切腹、中国介錯論」を唱えた人物で、その意味するところは、世界の二大強国となるアメリカとソ連の力を借りなければ、中国は日本の侵略を止められない、という認識である。日本もアメリカ、ソ連の脅威を意識しているから、日米戦争、日ソ戦争が始まる前に中国に決定的ダメージを与える戦争を仕掛けてくる――実際、日米戦争は1949年12月、日ソ戦争は1945年8月だが、日中戦争勃発は1937年7月であった。そして、驚くことに、アメリカ、ソ連の介入を招くには、中国が日本との戦争をまずは正面にから引き受けて、2、3年負け続けることだ、と主張したのである。胡適の予言は見事に的中したわけで、中国はそのとおりに行動し、日本帝国軍は中国大陸で膠着状態に陥った。その間、世界は日本バッシングを始め、経済制裁を強め、日本は孤立、困窮化し、ドイツ、イタリアとの三国同盟に活路を見出すようになってしまった。そして日本は、英米に宣戦布告した。
(六)陸軍統制派の政治活動――社会主義的政策を掲げる
敗戦後に制定された日本国憲法下では、軍部は政治と厳しく一線を画され、軍による政治活動は禁じられている。ところが旧憲法下、陸軍統制派は陸軍パンフレット(通称「陸パン」)を使って、国民に戦争の意味や意義を宣伝していた。著者(加藤陽子)がそれを紹介している。
国防とは軍備増強だけではない(中略)国防は「国家生成発展の基本的活動」だと定義する。そして、いちばん大事なのは国民生活。「国民生活の安定を図るを要し、就中、勤労者の生活保障、農山漁村の疲弊の救済は最も重要」と書く。(P316)
また統制派が、34年1月に作成した計画書「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」にも、農民救済策が満載されていました。(中略)たとえば、農民救済の項目では、義務教育費の国庫負担、肥料販売の国営、農産物価格の維持、耕作権などの借地権保護をめざすなどの項目が掲げられ、労働問題については、労働組合法の制定、適正な労働争議調停機関の設置などが掲げられていた。戦争が始まれば、もちろん、こうした陸軍の描いた一見美しいスローガンは絵に描いた餅になるわけですし、農民や労働者の生活がまっさきに苦しくなるのですが、政治や社会を変革してくれる主体として陸軍に期待せざるをえない国民の目線は、確かにあったと思います。(P317)
「福祉国家は全体主義につうじる」とはハイエクの言説らしい。日本帝国陸軍統制派もポピュリズムをもって侵略戦争を正当化したのである。