●レジーナ・キング〔監督〕 ●ケンプ・パワーズ〔脚本〕 ●amazon prim video〔配給〕
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| 左から、ジム・ブラウン、マルコムX、サム・クック、カシアス・クレイ |
カシアスクレイが世界王者になった夜
あらすじは以下のとおり。
アフリカ系プロボクサー、カシアス・クレイ(のちにモハメド・アリと改名)がヘビー級世界チャンピオンになった夜(1964年2月)、前出のマルコムXが、サム・クック、ジム・ブラウン(アメリカン・フットボールのスーパースター)、そしてカシアス・クレイをマイアミのハンプトン・ハウスというモーテルに呼び寄せる。3人はアフリカ系でありながらアメリカで大成功をなしとげた、この時代のスーパーヒーローたちだ。呼ばれた3人はクレイのチャンピオンを祝うゴージャスなパーティーを予想していたのだが、場所はマイアミの3流モーテルの一室で、酒も出なければ、女性もいない。3人は戸惑った。
3人を呼んだマルコムは近々、アメリカ最大のイスラム教団ネーション・オブ・イスラム(NOI)を脱退し、新しい教団組織を立ち上げる途上で、全米の黒人に影響力のある3人に協力を依頼する算段だった。
3人はマルコムの計画に戸惑い、反論する。アフリカ系アメリカ人が大きな成功をとげようとも、差別から逃れられない苦悩を吐露しつつも、マルコムに反論する。「黒人が白人と同じになることはできないんだ」「白人社会からカネを巻き上げればいい」と。
3人の中でマルコムに強く反発したのがサム・クックだった。サムはポップ・ミュージックの歌い手としての成功にとどまらず、音楽ビジネスにおいても大きな成功をおさめていた。そんなサムにマルコムはボブ・ディランの Blowin'In The Wind のレコードを聴かせ、「ミネソタから出てきた若い白人がこんな曲をつくった」とサムに言う。
マイアミの夜以降、3人はそれぞれの道を歩み始める。サム・クックは、カネのための音楽から目覚め、解放を目指した A Change Is Gonna Come を歌い始める(ことに映画ではなっているが、この楽曲が公表されたのはサムの死去ののちであった)。
カシアス・クレイはイスラム教への改宗を宣言し、モハメド・アリと改名する。
ジム・ブラウンはアメフトを引退し映画俳優になると宣言する。
では、当のマルコムXは・・・
アメリカ社会の人種差別と公民権運動
アメリカにおける黒人解放運動の歴史は短くはないが、本格的な運動は1955年12月、モンゴメリー・バス・ボイコット事件〔註1〕をきっかけとした。この事件を契機として、全米に公民権運動が勃興する。公民権運動とは、人種差別を合法化(人種分離法)しているアメリカ合衆国に対する、アフリカ系・アジア系・先住民等による差別反対運動だ。人種分離および人種差別を受け続けていた有色人種が、アメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、「公民権運動(Civil Rights Movement)」と呼ばれる。
〔註1〕1955年12月、市営バスに乗車したローザ・パークスは「黒人優先席」の最前列に座っていた。次第に乗車して来る白人が増えてきたため、運転手のジェームズ・ブレイクは、黒人席の最前列を白人席に変更し、座っていた4人の黒人に席を空けるように指示したが、パークスはこれに従わなかった。運転手ブレイクはアラバマ州警察に通報し、パークスは、「運転手の座席指定に従わなかった」という理由で逮捕された。この逮捕をきっかけに、アラバマ州モンゴメリーで人種差別への抗議運動が起こり、公民権運動のきっかけの一つとなった。
公民権運動は、1963年8月28日のワシントンD.C.における「ワシントン大行進」で最高潮に達する。公民権運動に協力するボブ・ディランなどのミュージシャンはじめ、シドニー・ポワチェなどの映画俳優など、ルーツを超えた多くのビッグ・アイコンが参加した。
1963年11月、ときの大統領J・Fケネディが暗殺され、新大統領に就任したジョンソン政権下の1964年7月、公民権法(Civil Rights Act)が制定され、アメリカにおける法の上での人種差別は撤廃された。
しかし、アメリカ社会において人種差別がなくなったわけではない。前出のA Change Is Gonna Come をつくったサム・クックは曲が世に出る直前、不審死(筆者は暗殺だと思っているが)を遂げている。この曲はすべての人間が解放へと向かう時代へと変化の到来を願うものだった。
翌年、急進的黒人解放運動家のマルコムXも暗殺された。公民権法制定後、アメリカに暴虐の嵐を伴う暴力が激化した。黒人解放運動指導者のキング牧師および大統領の弟ロバート・ケネディ上院議員が1968年に暗殺された。後者は、1968年、アメリカ合衆国大統領選挙に出馬し、そのキャンペーン期間中に銃撃され、死亡した。
アメリカ国内ではベトナム反戦運動が勢いを増した。アメリカを含めた西側各国でスチューデントパワーが権力との衝突を繰り返した。「1968年革命」である。
人種資本主義――アメリカ繁栄の裏の顔
この映画は史実の再現なのか物語なのか――筆者にはわからないけれど、どちらでもいい。第二次トランプ政権において進行する人種差別(移民政策を含む)は、1960年代のアメリカよりも苛酷さを増しているかもしれない。2017年、トランプが最初に大統領に選出された際、ナオミ・クライン〔註2〕は次のようにトランプを批判した。
トランプは極端な人物ではあっても、異常というより、ひとつの論理的帰結――過去半世紀間に見られたあらゆる最悪の動向の寄せ集め――にすぎないということだ。トランプは、人間の生を人種、宗教、ジエンダー、セクシャリティ、外見、身体能力といったものを基準にして序列化する強力な思考システムの産物にほかならない。そしてこの思考システムは、北米の植民地化と大西洋奴隷貿易の最も初期の時代から、人種を武器として組織的に利用し、残忍な経済政策を推進してきた。(『Noでは足りない―トランプ・ショックに対処する方法』ナオミ・クライン〔著〕 /岩波書店/P11-12)
トランプが支持され、いまなお支持され続けているのは、アメリカ国民の保守と呼ばれる一団の深層的価値観とトランプの言動が共振したからにほかならない。それはヨーロッパから渡ってきた植民者が行ってきた先住民虐殺と排除の構造であり、労働力としてアフリカから奴隷として拉致してきたアフリカ系の人々への虐待と差別の正当化の論理である。人種の序列化は、WASP(白人、アングロサクソン系、プロテスタント)を頂点として、その下位にイタリア系、アイルランド系、東欧系…アジア系、アラブ系、アフリカ系を階層化するというシステムであり、加えて、移民、女性、LGBT、身障者等を下位に位置づける社会的価値観である。
トランプ政権が打ち出している政治、経済施策とは、前出の「北米の植民地化と大西洋奴隷貿易の最も初期の時代」に培われた残忍な経済システムと「過去半世紀間に見られたあらゆる最悪の動向の寄せ集め」という、二重に最悪なものの寄せ集めである。ナオミ・クラインは、それを前掲書にて、次のように指摘している。
トランプの政治的・経済的もくろみの主要な柱は次のとおりである。規制国家の解体、福祉国家と社会福祉事業に対する徹底的な攻撃(人種主義的な敵意に満ちた恐怖の利用と、女性が権利を主張することへの非難によって部分的に正当化される)、国内に化石燃料ブームを起こすこと(気象科学を脇に追いやり、政府官僚の大部分の発言を封じることを必要とする)、そして移民と「イスラム過激派によるテロ」に対する文明的な戦い(その戦域は国内外で拡大しつづけている)。(前掲書/P6-7)
トランプの(経済政策)が特異なのは、前出のアメリカの特殊な資本主義――アメリカ合衆国を誕生させた市場経済――セドリック・ロビンソンが「人種資本主義」(P116)と命名したアメリカ人の深層――を大統領選出馬から当選後に至るまでに大衆的に顕在化しつつ、それに新自由主義を上積みしたところを特徴とする。「人種資本主義」はその発展段階においては、先住民から奪い取った土地とアフリカから奪い取ってきた人々(奴隷という労働力)を土台とした。この二つはともに、人間の生と労働の相対的価値を序列化し、白人男性を最上位におく知的理論を必要とした。(前掲書/P116)
筆者はロビンソンの『ブラック・マルキシズム』を読んでいないけれど、アメリカの黒人が音楽やスポーツの分野で成功したとしても、アメリカ社会を支配する白人からは「質のいい奴隷」としかみなされないのではないか――黒人が富や名声を獲得しても、卑小な白人から蔑まれる現実がある――と想像することはできる。その根底には、ナオミ・クラインが指摘しているように、人間の生と労働の相対的価値を序列化し、白人を最上位におく「差別」がアメリカ社会に深く広く根を張っているからだ。アメリカの表の顔は、自由と公正な競争が保証された資本主義の国だといわれながら、人種資本主義の国という裏の顔を持っている。マルコムXは、それを根底から破壊しようとして銃弾に倒れた。〔完〕
〔註2〕Naomi Klein( 1970~- )は、カナダのジャーナリスト、作家、活動家。21世紀初頭における、世界で最も著名な女性知識人、活動家の一人として知られる。著書に『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』『『ブランドなんか、いらない――搾取で巨大化する大企業の非情』など。(Wikipediaより)
