2005年9月26日月曜日

『妖精のアイルランド』

●下楠昌哉[著] ●平凡社 ●760円(税別)

FI1892793_0E.jpg 19世紀、英国からの独立を目指したアイルランドでは、文芸復興及び民俗学が隆盛を極めた。この2つの領域は互いに影響を与えつつ、両輪としてアイルランド人自らのアイデンティティの確立=ケルト民族意識を育んだ。

その片一方である民俗学は、近代化の遅れたアイルランド農村部に言い伝えられている伝承物語の採集から始まった。採集された伝承物語により、アイルランドにおける物語の主役が妖精であることをアイルランド人は知ることになる。アイルランドがいまなお、妖精の国といわれる所以がここにある。

本書は、妖精の人間界に果たす役割から、アイルランド文学に認められる一定の構造を明らかにする。妖精が果たす役割とは、著者によって「アイルランドの言説のネットワーク」と呼ばれるもので、大雑把に言うと、妖精が生きた人間の魂をこの世からあの世に移行させてしまう状況もしくは現象をいう。

妖精の霊力がもっとも顕著に現れると信じられているのが、「取り替えっ子(チェンジリング)」だ。「取り替えっ子」とは、赤ん坊、幼児、あるいは妊婦といった境界領域にある人間の内面に妖精が侵入し、侵入と同時に、本来備わっていた魂をあの世に代わりに送ってしまうことをいう。魂を送られた幼児や妊婦は老婆の姿に変身したり、昏睡状態、仮死状態に陥る場合もあるし、異界からやってきた超人に変身することもある。

もっとも、本来、肉体に同居すべき魂がなんらかの契機で離脱し、残された肉体が仮死状態に陥ったり、あるいは、その代わりとして、獣の霊や悪霊が入り込む(憑依)といった言い伝えは、アイルランドに特有というわけではない、わが沖縄にも、また、アジア各地、南太平洋島嶼部にもある。たまたまアイルランドが欧州の「後進国」であったため、妖精伝説が他の欧州諸国より豊富だったに過ぎない。

さて、著者は本書を通じて、19世紀アイルランド文芸及び民俗学の大御所、イェイツ、ダグラス・ハイド(民俗学者)、プラム・ストーカー(ドラキュラの作者)、オスカー・ワイルド、ラフカディオ・ハーン、ジェームス・ジョイスの作品の基本構造に「取り替えっ子」が発見できることを実証していく。とりわけ、『ドラキュラ』に関する作品分析はみごとであり、なるほどと感心させられる部分が多い。

繰り返して言えば、アイルランド人は、支配者・英国に対する独立の根拠として、「ケルト」という民族概念を発見し、それを強く自覚した。そして、ケルト民族の独自性の実証手段として民俗学を発展させた。民俗学のフィールドワークにより、妖精の存在を発見し、妖精が人間に仕掛ける悪さ、すなわち、「取り替えっ子」により、人間が不可避的に受ける災禍の納得できる説明として用いてきた古代人の知恵を知った。自分達の祖先は、絶望を受け入れるために、妖精の存在を敢えて信じた――ことを学んだ。

19世紀当時、偉大な作家達は――愛国心に燃えたかそれに無関心であっかを問わず――、人間社会が体験する不条理性・悲劇性を文学化する際に「取り替えっ子」を基層として、物語を展開した。自覚的だったかどうかは分からない。いずれにしても、アイルランド人もしくはアイルランド系英国人が19世紀に残した文学作品の中には、アイルランドの農村に息づく妖精の影がちらついている。妖精が偉大な文学作品をこしらえたのかもしれない。