<帝国>という言葉は古くて新しく、<帝国主義>という言葉が新しいようでいて古い。後者については、左翼、マルクス主義陣営では、レーニンの『帝国主義論』に規定され、20世紀初期から中葉までの間、たとえば、“○○帝国主義粉砕”というスローガンで広く流通してきた。ここでいう「帝国主義」とは、国民国家成立前からの欧米列強による第三世界への侵略・植民地主義、国民国家成立以降は、資本主義国家による発展途上国の属領化をいう。大航海時代から第二次世界大戦の終わりまでは、スペイン、ポルトガル、欄、英、仏等の西欧列強が、そして、ベトナム戦争までは、米国が帝国主義国家を代表してきた。さらに、社会主義革命後のスターリン主義国家であるソ連、中国を赤色帝国主義国家と呼ぶこともあった。
前者の代表はなんといってもローマ帝国であろうが、最後の帝国としては、第一次世界大戦後滅亡した、オーストリー=ハンガリー帝国(ハプスブルグ帝国)、オスマン帝国が挙げられるものの、帝国は国民国家成立後の近代以降には、地球上に存在していないというのが常識的認識だろう。
では、なぜ、いま(ポストモダンの時代)において、<帝国>なのか。
冷戦終結後、アメリカの一極支配といわれる。だから、いまはアメリカ帝国が世界を支配していると考えるのは早計である。<帝国>をアメリカのヘゲモニー抜きで語ることは不可能だが、アメリカを頂点とした帝国が世界を支配しているわけではなく、帝国は、グローバルなネットワークによって形成されている。帝国はだから、アメリカであり、日本であり、ロシア、英、仏、中国、インド・・・である。
帝国を牽引するアメリカは、英仏等から遅れて帝国主義国家として、アジア(フィリッピン等)の一部を支配していたのだが、帝国主義としてのアメリカの終わりは、1968年、ベトナム戦争で軍事的な敗北が決定した時点だった、と著者は言う。乱暴に言えば。1968年をポストモダンの開始年だと言っていい。
帝国の時代すなわちポストモダンの時代とはどんな時代なのか。
生権力が人びと(マルチチュード)を支配する時代だ。帝国主義の時代の社会は、規律社会と呼ばれる。人びとは、工場、監獄、病院等諸施設に従属することによって、身体的、精神的に馴致させられ生きている。だから、たとえば、労働者が工場を自主的に管理すれば、革命が成就されるという考え方もできた。
一方、ポストモダンの社会は、管理社会と呼ばれる。人びとは生そのものを権力によって管理される。規律社会の産業労働者はフォード主義、テーラー主義に基づき、一定時間で繰り返しの労働に従事し、高い生産性を上げることを強いられた。一方の管理社会における労働者は、時間(オフとオンの差異がない)に縛られず、情動的、情報的な労働――物質的生産に限定されることがない労働に従事する。管理社会は、柔軟で絶えず変化するネットワークにより、マルチチュードの脳を直接的に組織化する。それが、生権力(生政治的支配)の大きな特徴である。ポストモダンの世界を変革する主体は、プロレタリアート(規律社会の産業労働者)から、マルチチュード(生権力に管理された多数者)に変容したというわけだ。
《今日のポストフォード主義的な、情報化した生産体制に対応する労働者の闘いの局面において出現しているのは、社会労働者という形象である。社会労働者という形象には、非物質的労働者の多様な糸が編み込まれている。社会的協働という闘技場は柔軟かつノマド的に生産を行う場であるが、この闘技場にあって、大衆的知性と自己価値性とを結び付けている構成的権力こそが、今日において基調となっているものなのである。言いかえれば、社会労働者の行動目標は、構成を企図することなのである。今日の生産の母体のなかで、労働の構成的権力は以下のものとして自らを表現することができる。すなわち、人間の自己価値化(世界市場全域での万人に対する平等な市民権)として、協働(コミュニケートし、言語を構築し、コミュニケーション・ネットワークを管理する権利)として、そして政治的権力、つまり権力の基礎が万人の欲求の表現によって規定されるような社会の構成として、である。労働の構成的権力は、社会労働者や非物質的労働を組織化するものであり、マルチチュードによって指揮される生政治的統一体としての生産的かつ政治的な権力を組織化するものである――一言でいえばそれは、活動状態にある絶対的デモクラシーのことである。(P.508)》
これが、ポストモダンの革命のイメージというわけか。 (2008/03/31)