●寺山修司[著] ●岩波書店 ●1,800円+税
60~70年代、疾風怒濤のごとく駆け抜けた寺山修司(1935~1983)――彼の仕事は文学・演劇・映画といった、芸術の各ジャンルを超えた巨大なものだった。既存のアカデミズム・文壇を超えた“アンダーグラウンド”という寺山の仕事場は、時代状況を投影した鏡のようなものであって、特定のジャンルに拘って積み上げられた既存芸術とは大きく異なっていた。
<私>の寺山体験を僭越にも書かせていただければ、寺山の登場~最盛期~晩年に居合わせながら、寺山に関心を示すに至らなかった。彼の詩・評論等については、通俗ぶりが鼻について好きになれなかったし、実験的演劇・映画についても趣味に合わず、それを忌避した。寺山への無関心は、<私>の人生における最大の後悔の1つと言って過言でない。
<私>から遠い存在であった前衛・寺山だったが、唯一の例外が短歌だった。現代短歌の豊饒さを<私>に教えてくれたのは、寺山であった。沖積舎版『寺山修司全歌集』(以下『全歌集』という。)は<私>の愛読書の1つであり、齋藤史、村上一郎、岸上大作、福島泰樹、道浦母都子といった現代歌人の作品を読むきっかけになったのも、『全歌集』の影響だった。
さて、寺山は全歌集発刊を最後に、表向きは短歌創作を休止した。短歌創作休止の理由は、前衛の旗手である寺山が日本の伝統的韻文を創作し続けることは、自身の売り出し戦略にそぐわないという判断が働いたものかもしれないし、短歌という表現形式に限界を感じたからかもしれない。しかし、そのような愚かな推測に反して、寺山が全歌集刊行以降も、短歌創作を続けていたということは、寺山研究では定説であったらしい。
2008年初頭、あまりにも唐突に、『月蝕書簡-寺山修司未発表歌集』(以下「本書」という。)が発刊された。このことは、寺山が短歌を清算しなかったということ――定説の正しさを証明したことになる。
本書についての最大の興味は、寺山が全歌集以降、短歌に新しい企てを持ち込んだか否か――ではなかろうか。本書から、寺山の短歌に対する実験、試行、錯誤、断念、撤退のプロセスを読み取れるならば、という期待はだれもが抱くに違いない。
本書がそのような期待にこたえているかといえば、「ノー」だと思う。本書に掲載された作品の基本モチーフは、全歌集の域を越えない。それゆえ、寺山が未完として、封印した可能性もある。ただ、寺山が短歌創作を継続していたということは、短歌に描かれた世界が彼のアイデンティティであったことの傍証になるかもしれない。
ならば、そこから分岐した寺山の前衛とは何だったのか・・・という問いが、<私>の中で循環する。
(2008/03/31)