2012年4月30日月曜日
2012年4月29日日曜日
『わが闘争 上下』
●アドルフ・ヒトラー ●角川文庫 ●上800円、下705円(+税)
ヒトラーという人物の詳細については、ここでは割愛する。本書をいま読み直す意味は、話題の大阪市長・橋下徹の思想の中にヒトラーの影響があるのかないのかを探るためだ。橋下大阪市長の強引とも思われる政治手法は、彼を支持しない勢力から「ハシズム」と呼ばれ、その言動、選挙運動、行政手法、独裁肯定の姿勢等がヒトラーと類似すると指摘される。ところが、橋下大阪市長は関西圏のみならず、広く日本中から支持を得ている。
ヒトラーの率いる国家社会主義ドイツ労働者党の台頭は、第一次世界大戦で帝政ドイツが敗戦国となり、旧体制=帝政が倒れ、1919年、新生・ワイマール共和国が成立(革命成就)した後からだった。
そのときのドイツの状況を大雑把に振り返れば以下のとおりになる――ドイツ=ワイマール共和国は、戦勝国側から求められた巨額の賠償請求支払、そして、戦災による生産施設等の損壊により、経済力が著しく低下し、失業者があふれていた。しかも、ロシア革命の成功により、ドイツ国内に共産主義革命勢力が膨張し、ストライキの頻発や治安悪化が進み、社会不安は増大するばかりだった。そんな中、ワイマール共和国の議会は機能不全に陥り、有効な施策が見いだせないまま、時間ばかりを浪費していた。いわゆる、議会が“何も決められない”状況に陥っていた。政治家は敗戦国ドイツの荒廃した状況について、なんら責任をとろとしなかった。そのため民衆は、議会と既存政党に絶望感を抱いていた――と。
橋下氏が大阪府知事選挙(2008年2月就任)に、そして、その後の大阪市長選(2011年11月就任)に勝利したときのわが日本の状況は、ワイマール共和国下のドイツに似ていないわけではない。二大政党制導入の「成果」により、戦後一貫して政権を担当してきた自民党政権が倒れ、新たに民主党政権が誕生した(革命成就)。
にもかかわらず、民主党政権は自民党と変わらないどころか、既存権益確保に奔走し続けている。2011年3月11日、大地震、大津波、福島第一原発事故が起こり、およそ2万人の人命が失われた。福島原発事故により、日本中の原発の安全性が疑問視されるようになり、日本各地の原子力発電所は運転を停止した。日本人は放射能汚染及び電力不足という、深刻な不安に日々、晒されることになった。
3.11前、2009年9月のリーマンショック以降、日本経済は不況の見舞われ、失業率上昇の改善はみられず、非正規労働者の増加も止められないままだ。それに大震災が加わった。今日の日本人は、もちろん、ワイマール共和国下のドイツ人の生活と比較すれば豊かには違いないけれど、不安に苛まれているという状況は似ている。
しかも、政権奪取後の参院選で敗北した民主党は参院で少数与党となり、議会(国会)はいわゆる「ねじれ国会」に陥り、“何も決められない”状況に陥ってしまった。政権与党の民主党、野党の自民党等は、議会(=国会)で膠着状態に陥り、日本人の多くは、既存政党に対する失望感を強く抱くようになってしまった。
話題の橋下大阪市長は、中央(国政)ではなく地方(大阪府・大阪市)において、既存政党が大勢を占める地方議会の“何も決められない”状況を批判し、強引ともいえる「改革路線」を掲げて首長に当選した。次いで大阪維新の会(=新党)を結党し、政治基盤を固めつつある。
ヒトラーは、青年時代、彼が過ごしたウィーン(ハプスブルク帝国の首都)の議会に強く失望し、第一世界大戦にドイツ軍兵士として参戦した。彼は敗戦後のドイツ=ワイマール共和国下のミュンヘンにおいて、ワイマール共和国議会=既存政党を批判し、国家社会主義ドイツ労働者党=新党に大衆の支持を集めることに成功した。(※国家社会主義ドイツ労働者党は厳密には、ヒトラーが結党した新党ではないが、ヒトラー参加前の同党は、少人数がサロン的に集まる小グループであって、地方政治にすら影響を及ぼすことはなかった。)
そればかりではない。前出のとおり、ヒトラーはドイツ国内で膨張する共産主義勢力と暴力的に対峙し、共産主義勢力と闘争をすることにより、ドイツ国内の反共的気分を抱く人々の支持を集めた。橋下市長も、大阪府・大阪市の職員組合に対峙することにおいて、反組合的気分を抱く大阪市民の支持を得た。この場合、大阪府・市の職員組合が共産主義者であるか否かは問われない。
さて、本書である。読了後の第一印象は、なんと“奇怪な書”であろうか――という一語に尽きる。ヒトラーが狂人であったかどうかの研究結果は出ていないようだが、本書に散見されるバランスを欠いた言説が不気味だ。ヒトラーの政治技術、政党組織、大衆扇動・組織化についての論述は極めて理路整然としていて、今日の専門家も舌を巻くような鋭さがある。
ヒトラーという人物の詳細については、ここでは割愛する。本書をいま読み直す意味は、話題の大阪市長・橋下徹の思想の中にヒトラーの影響があるのかないのかを探るためだ。橋下大阪市長の強引とも思われる政治手法は、彼を支持しない勢力から「ハシズム」と呼ばれ、その言動、選挙運動、行政手法、独裁肯定の姿勢等がヒトラーと類似すると指摘される。ところが、橋下大阪市長は関西圏のみならず、広く日本中から支持を得ている。
ヒトラーの率いる国家社会主義ドイツ労働者党の台頭は、第一次世界大戦で帝政ドイツが敗戦国となり、旧体制=帝政が倒れ、1919年、新生・ワイマール共和国が成立(革命成就)した後からだった。
そのときのドイツの状況を大雑把に振り返れば以下のとおりになる――ドイツ=ワイマール共和国は、戦勝国側から求められた巨額の賠償請求支払、そして、戦災による生産施設等の損壊により、経済力が著しく低下し、失業者があふれていた。しかも、ロシア革命の成功により、ドイツ国内に共産主義革命勢力が膨張し、ストライキの頻発や治安悪化が進み、社会不安は増大するばかりだった。そんな中、ワイマール共和国の議会は機能不全に陥り、有効な施策が見いだせないまま、時間ばかりを浪費していた。いわゆる、議会が“何も決められない”状況に陥っていた。政治家は敗戦国ドイツの荒廃した状況について、なんら責任をとろとしなかった。そのため民衆は、議会と既存政党に絶望感を抱いていた――と。
橋下氏が大阪府知事選挙(2008年2月就任)に、そして、その後の大阪市長選(2011年11月就任)に勝利したときのわが日本の状況は、ワイマール共和国下のドイツに似ていないわけではない。二大政党制導入の「成果」により、戦後一貫して政権を担当してきた自民党政権が倒れ、新たに民主党政権が誕生した(革命成就)。
にもかかわらず、民主党政権は自民党と変わらないどころか、既存権益確保に奔走し続けている。2011年3月11日、大地震、大津波、福島第一原発事故が起こり、およそ2万人の人命が失われた。福島原発事故により、日本中の原発の安全性が疑問視されるようになり、日本各地の原子力発電所は運転を停止した。日本人は放射能汚染及び電力不足という、深刻な不安に日々、晒されることになった。
3.11前、2009年9月のリーマンショック以降、日本経済は不況の見舞われ、失業率上昇の改善はみられず、非正規労働者の増加も止められないままだ。それに大震災が加わった。今日の日本人は、もちろん、ワイマール共和国下のドイツ人の生活と比較すれば豊かには違いないけれど、不安に苛まれているという状況は似ている。
しかも、政権奪取後の参院選で敗北した民主党は参院で少数与党となり、議会(国会)はいわゆる「ねじれ国会」に陥り、“何も決められない”状況に陥ってしまった。政権与党の民主党、野党の自民党等は、議会(=国会)で膠着状態に陥り、日本人の多くは、既存政党に対する失望感を強く抱くようになってしまった。
話題の橋下大阪市長は、中央(国政)ではなく地方(大阪府・大阪市)において、既存政党が大勢を占める地方議会の“何も決められない”状況を批判し、強引ともいえる「改革路線」を掲げて首長に当選した。次いで大阪維新の会(=新党)を結党し、政治基盤を固めつつある。
ヒトラーは、青年時代、彼が過ごしたウィーン(ハプスブルク帝国の首都)の議会に強く失望し、第一世界大戦にドイツ軍兵士として参戦した。彼は敗戦後のドイツ=ワイマール共和国下のミュンヘンにおいて、ワイマール共和国議会=既存政党を批判し、国家社会主義ドイツ労働者党=新党に大衆の支持を集めることに成功した。(※国家社会主義ドイツ労働者党は厳密には、ヒトラーが結党した新党ではないが、ヒトラー参加前の同党は、少人数がサロン的に集まる小グループであって、地方政治にすら影響を及ぼすことはなかった。)
そればかりではない。前出のとおり、ヒトラーはドイツ国内で膨張する共産主義勢力と暴力的に対峙し、共産主義勢力と闘争をすることにより、ドイツ国内の反共的気分を抱く人々の支持を集めた。橋下市長も、大阪府・大阪市の職員組合に対峙することにおいて、反組合的気分を抱く大阪市民の支持を得た。この場合、大阪府・市の職員組合が共産主義者であるか否かは問われない。
さて、本書である。読了後の第一印象は、なんと“奇怪な書”であろうか――という一語に尽きる。ヒトラーが狂人であったかどうかの研究結果は出ていないようだが、本書に散見されるバランスを欠いた言説が不気味だ。ヒトラーの政治技術、政党組織、大衆扇動・組織化についての論述は極めて理路整然としていて、今日の専門家も舌を巻くような鋭さがある。
大衆は外交官から成り立っているのではなく、また国法学者のみから成り立っているのでもなく、まったく純粋に理性的判断からでもなく、動揺して疑惑や不安に傾きがちな人類の子供から成り立っている。(上巻:P240)
民衆の圧倒的多数は、冷静な熟度よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決めるという女性的要素を持ち、女性的な態度をとる。しかしこの感情は複雑でなく、非常に単純で閉鎖的である。この場合繊細さは存在せず、肯定か否定か、愛か憎か、正か不正か、真か偽かであり、決して半分はそうで半分は違うとか、あるいは一部分はそうだがなどということはない。(上巻:P241)
・・・宣伝は、鈍感な人々に間断なく興味ある変化を供給してやることではなく、確信させるため、しかも大衆に確信させるためのものである。しかしこれは、大衆の鈍重さのために、一つのことについて知識を持とうという気になるまでに、いつも一定の時間を要する。最も簡単な概念を何千回もくりかえすことだけが、けっきょく覚えさせることができるのである。変更のたびごとに、宣伝によってもたらされるべきものの内容を決して変えてはならず、むしろけっきょくはいつも同じことをいわねばならない。だからスローガンはもちろん種々の方面から説明されねばならないが、しかし考察の最後はすべていつも、新しいスローガン自体にもどらなければならない。そのようであってこそ宣伝は統一的であり、まとまりのある効果をおよぼすことができ、また、効果がおよぶのである。(上巻:P243)
信念は知識よりも動揺させることがむずかしく、愛情は尊敬よりも変化をこうむることが少なく、怨恨は嫌悪よりも永続的である。この地上でもっとも巨大な革命の原動力は、どんな時代でも、大衆を支配している科学的認識にあるというよりは、むしろかれらを鼓舞している熱狂、また往々かれらをかり立てるヒステリーの中にあった。(上巻:P439)
大衆への影響を考えること、少数の点に集中すること、同一のことを絶えずくりかえすこと、教義のテキストを疑いのない主張の形式にまで自己に確信をもちまた自負心をもって要約すること、普及には最大の堅忍をもち、影響の期待に忍耐をもつこと・・・(上巻:P474)一方、国家論、社会・経済矛盾の究明、共産主義に対する所見については、まったく荒唐無稽かつ空想的で漫画的だ。ヒトラーがアーリア人=ゲルマン人の優位性を証明もなしに掲げ、アーリア人=ゲルマン人による純潔民族国家を理想としてドイツ国民に訴えたわけだけれど、そんなことは歴史的にも生物学的にも成立しない。ヒトラーは社会不安、経済不安、ロシア革命、ドイツ国内の共産主義勢力の膨張の主因をユダヤ人の陰謀だと一元化して喧伝し、議会主義=共産主義=国際主義=平和主義をユダヤ人による世界征服の手段だと単純化した。いまにして思えば、きわめて乱暴な決めつけだ。そもそも当のヒトラーは、自らが導き出した、ユダヤ人=諸悪の本源説を本気で信じていたのだろうか。
概してどんな時代でも、ほんとうに偉大な民衆の指導者の技術というものは、第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中することにある。民衆の闘志の傾注が集中的であればあるほど、ますます運動の磁石的吸引力は大きくなり、打撃の重さも大きくなるのである。いろいろの敵を認識することは、弱い不安定な性格のものにとっては、自己の正当を簡単に疑わせるきっかけだけをつくりやすいから、別々にいる敵でさえもただ一つの範疇に属していると思わせることが、偉大な指導者の独創性に属しているのである。(上巻:P161~162)
・・・マルクシズムは、人間生活のあらゆる領域で、人格のいちじるしい重要性を排除し、それを大衆の数におきかえようとして、ユダヤ人がもちこんだ正真正銘の試みのあらわれである。政治的には議会主義的政治形式がそれに応じたものであり、われわれはそれが地方自治体の最も小さい胚細胞から始まって、全ドイツの最高の統治にいたるまで、有害な作用を及ぼしているのを見る。(下巻:P102)
最良の憲法と国家形式は、民族共同体の最良の頭脳をもった人物を、最も自然に確実に、指導的重要性と指導的影響力をもった地位につけるものである。(下巻:P105)
組織の本質には最高の精神的指導者に、数多くの非常に感激しやすい大衆がつかえるときにのみ、成立しうるということがある。(下巻:P113)
この(国家社会主義ドイツ労働者党)運動が今日のわが議会主義的腐敗の世界の中で、ますますその闘争のもっとも深い本質を自覚し、自己を人種と人物の価値の純正な権化と感じ取り、またそれによって秩序づけられるならば、運動はほとんど数学的規則性に基いていつかその闘争を勝利させるだろう。……人種的堕落の時代に自国の最善の人種的要素の保護に没頭した国家は、いつか地上の支配者となるに違いない。(下巻:P404)橋下大阪市長がヒトラー並みの指導者であるとは思わないし、狂信的人種主義者、反ユダヤ主義者ではないことは言うまでもない。だが、石原東京都知事、小泉元首相を含め、今日、大衆的人気を博している政治家たちは、マスメディアを利用した大衆操作の技術をヒトラーに学んでいるような気がしてならない。ヒトラーに学んでいないまでも、彼らは無意識のうちに、ヒトラー的なものを引きずっている。「郵政民営化」「尖閣列島は東京都が守る」「大阪都構想」「維新の会」といった、彼らが掲げる勇ましい現状否定の政治的言語は、ヒトラーが採用した敵の一元化、単純化と類似するものだ。彼らは“決められない議会”“責任をとらない既存政党の政治家”、その背後に潜む官僚に代わって、“精神的指導者”的姿勢を誇示する。彼らの独善的政治言語・姿勢が、複雑な説明を排してマスメディアによって垂れ流されるとき、日本人の政治に対する思考過程は劣化し、損なわれていく。この一連の流れを「ハシズム」というのならば、それは誤りではない。
2012年4月18日水曜日
猫ひろしの国籍変更は、限りなく不純
“猫ひろし”という日本人のお笑い芸人が、国籍をカンボジアに変更して、マラソン競技の五輪代表を目指している。一部には、カンボジアの代表権を得たという報道もあったようだが、マラソン選手の五輪出場を認可する立場にある国際陸上競技連盟は、国籍を変更した選手の国際大会出場に条件を設けており、猫はそれらをクリアしていないという見解を示したという。猫が五輪出場の代表権を得られる最後の可能性は、「国際陸連理事会による特例承認」が得られるかどうかだというが、国際陸連によると、この規定は戦争や亡命などの特殊な事情でやむなく自国を離れた場合を想定していて、国際陸連の担当者は「われわれが知る限り、猫は(単に)国籍を変えただけで、特例には当てはまらない」と明言したという。
この段階で、猫がマラソン競技のカンボジア代表として、ロンドン五輪に出場する可能性は限りなく低くなったように思える。そもそも、猫が目指している五輪出場にどういう意味や意義があるのかが、よくわからない。筆者の推測にすぎないが、このような仕掛け=企画は、テレビ局もしくは芸能プロダクションによるものだと思う。
スポーツ選手の国籍変更はグローバルにみて、珍しくない。日本においても、ブラジル人だったラモス瑠偉が1989年に日本国籍を取得。W杯米国大会(1994)出場を目指してアジア予選に臨んだが、「ドーハの悲劇」で予選敗退し、W杯出場を果たせなかったことは記憶に新しい。
以下、ラモスの例に倣い、呂比須ワグナーが1997年に日本へ帰化し、日本とブラジルの二重国籍者となり、W杯フランス大会(1998)に日本代表として出場した。また、現在、名古屋グランパス所属の三都主アレサンドロは、日本の明徳義塾高等学校留学を経て、2001年、ブラジル国籍から日本国籍へ帰化。日韓大会(2002)及びドイツ大会(2006)の日本代表に選ばれている。先の南アフリカ大会(2010)では、闘莉王が日本代表に選ばれている。田中マルクス闘莉王は、日系人の父親と、イタリア系ブラジル人の母親を持ち、日本の渋谷幕張高校留学を経て、2003年に日本国籍を取得。現在も、名古屋グランパスで活躍中だ。
二重国籍の呂比須ワグナーを除いて、ラモス瑠偉、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王の3人は、生活の基盤を日本に置き、日本人と変わらない生活をしているように思える。もちろん、日本語をしゃべっている。将来、彼らがブラジルに戻るのかどうかはわからないが、いまのところ、彼らはW杯出場のためだけで国籍を変更したようには思えない。
一方の猫の場合、生活基盤はカンボジアにはなく、彼がカンボジア語を話すのかどうかはわからないが、彼の生計は、日本における芸能活動が基盤になっているように見える。猫のカンボジアへの国籍変更は、五輪出場に限定したものだと筆者も推測する。猫は、五輪出場というネタで、いまも、そしてこれからも、日本の芸能界で生きていこうとしている。「国籍」を弄ぶとはこのことだ。
猫のマラソン記録は、もちろん、日本における代表記録に遠く及ばない。だから、レベルの低いカンボジア国籍を得た。猫の目的は、先述したように、彼がカンボジアではなく、日本の芸能界で、「五輪ネタ」で生きていくためだ。
その一方、日本では、地方公務員生活を送りながら、五輪代表権を得ようとして得られなかった、川内優輝というランナーを知っている。川内は猫のこのたびの試みについてコメントしていないが、内心では、猫の不自然さに怒りを覚えているのではないか。芸能ネタのために国籍を変更し、五輪出場を果たそうという猫の、いや、猫を利用しようとする芸能プロ、その上にいるテレビ局の――不純さを軽蔑しているのではないか。筆者が川内の立場であったら、猫をめぐるこのたびの「国籍変更企画」を軽蔑する。
さて、五輪のスポーツにおける意味や意義を改めて問うてみよう。記録、実力を競うという位相では、五輪はスポーツにおける最高レベルの大会ではない。国別に出場選手が制限された五輪では、レベルの高い国に所属する選手は、国内予選で敗退すれば出場できないからだ。この間隙を縫って国籍変更を企んだのが、このたびの猫のカンボジア国籍取得であった。このことは、ブラジル国籍から日本国籍に変更した前出の4人についても同じことのように、一見すると、見える。
日本国籍に帰化したラモスら4人がサッカー最強国の1つである祖国ブラジルの代表選手となって、W杯に出場できる可能性は限りなく低かった。だから、彼らは日本に国籍変更をしたのかというと、実はそうではないように筆者には思える。ラモスを除く3人がW杯日本代表に選ばれたのは結果だった。国籍変更をしても、日本代表がアジア予選で敗退してしまえば、それまでであった。W杯に出られなくても、彼らは日本において、日本人のサッカー選手として、サッカー人生を続けていっただろう。ラモスが、いままさに、そうであるように・・・
猫ひろしを五輪に出場させない旨の判断をくだしたと言われる国際陸上競技連盟の判断は正当だ。彼らはスポーツの団体であって、芸能人のネタを助成する団体ではない。
最後に、カンボジア人は猫のことをどう考えるのだろうか。世界最貧国の1つであるといわれるカンボジアでは、だれが五輪代表になろうと関心を示さないかもしれない。
では、こう考えてみたらどうだろうか。アジア太平洋戦争敗戦後の日本が五輪出場を果たしたのが、第15回ヘルシンキ大会(フィンランド) <1952年7月19日~8月3>だった。そのとき、レスリングの「フリー・バンタム級」の石井庄八選手が唯一の金メダルを獲得。「フジヤマのトビウオ」という異名をとった、33回も世界記録を更新して期待された水泳の古橋廣之進選手は400メートル自由形決勝で無念の8位。
敗戦により焦土と化した日本国であったが、敗戦から7年後の五輪で、日本人選手が大活躍をしたのである。そのことが、すべての日本人に勇気と誇りを与えたはずだ。もしかりにも、どこかの外国人が日本国籍に帰化して、ヘルシンキ大会に出場したとしたら、日本人はどんな思いを抱いたであろうか。
カンボジアは第二次大戦終結後も、内戦に明け暮れた悲劇の国であり、いま復興の途上にある。彼らは彼らなりの方法で国づくりに励んでいる。五輪参加も、かつて日本がそうであったように、国づくりのプログラムの一部である可能性が高い。カンボジアのマラソン競技のレベルは低いけれど、カンボジア人が国家を代表するマラソン選手として、ロンドンの街中を疾走するならば、その姿を通じて、カンボジア国民が勇気を得ることは大いにあり得る。その姿が「猫ひろし」であっていいはずがない。
この段階で、猫がマラソン競技のカンボジア代表として、ロンドン五輪に出場する可能性は限りなく低くなったように思える。そもそも、猫が目指している五輪出場にどういう意味や意義があるのかが、よくわからない。筆者の推測にすぎないが、このような仕掛け=企画は、テレビ局もしくは芸能プロダクションによるものだと思う。
スポーツ選手の国籍変更はグローバルにみて、珍しくない。日本においても、ブラジル人だったラモス瑠偉が1989年に日本国籍を取得。W杯米国大会(1994)出場を目指してアジア予選に臨んだが、「ドーハの悲劇」で予選敗退し、W杯出場を果たせなかったことは記憶に新しい。
以下、ラモスの例に倣い、呂比須ワグナーが1997年に日本へ帰化し、日本とブラジルの二重国籍者となり、W杯フランス大会(1998)に日本代表として出場した。また、現在、名古屋グランパス所属の三都主アレサンドロは、日本の明徳義塾高等学校留学を経て、2001年、ブラジル国籍から日本国籍へ帰化。日韓大会(2002)及びドイツ大会(2006)の日本代表に選ばれている。先の南アフリカ大会(2010)では、闘莉王が日本代表に選ばれている。田中マルクス闘莉王は、日系人の父親と、イタリア系ブラジル人の母親を持ち、日本の渋谷幕張高校留学を経て、2003年に日本国籍を取得。現在も、名古屋グランパスで活躍中だ。
二重国籍の呂比須ワグナーを除いて、ラモス瑠偉、三都主アレサンドロ、田中マルクス闘莉王の3人は、生活の基盤を日本に置き、日本人と変わらない生活をしているように思える。もちろん、日本語をしゃべっている。将来、彼らがブラジルに戻るのかどうかはわからないが、いまのところ、彼らはW杯出場のためだけで国籍を変更したようには思えない。
一方の猫の場合、生活基盤はカンボジアにはなく、彼がカンボジア語を話すのかどうかはわからないが、彼の生計は、日本における芸能活動が基盤になっているように見える。猫のカンボジアへの国籍変更は、五輪出場に限定したものだと筆者も推測する。猫は、五輪出場というネタで、いまも、そしてこれからも、日本の芸能界で生きていこうとしている。「国籍」を弄ぶとはこのことだ。
猫のマラソン記録は、もちろん、日本における代表記録に遠く及ばない。だから、レベルの低いカンボジア国籍を得た。猫の目的は、先述したように、彼がカンボジアではなく、日本の芸能界で、「五輪ネタ」で生きていくためだ。
その一方、日本では、地方公務員生活を送りながら、五輪代表権を得ようとして得られなかった、川内優輝というランナーを知っている。川内は猫のこのたびの試みについてコメントしていないが、内心では、猫の不自然さに怒りを覚えているのではないか。芸能ネタのために国籍を変更し、五輪出場を果たそうという猫の、いや、猫を利用しようとする芸能プロ、その上にいるテレビ局の――不純さを軽蔑しているのではないか。筆者が川内の立場であったら、猫をめぐるこのたびの「国籍変更企画」を軽蔑する。
さて、五輪のスポーツにおける意味や意義を改めて問うてみよう。記録、実力を競うという位相では、五輪はスポーツにおける最高レベルの大会ではない。国別に出場選手が制限された五輪では、レベルの高い国に所属する選手は、国内予選で敗退すれば出場できないからだ。この間隙を縫って国籍変更を企んだのが、このたびの猫のカンボジア国籍取得であった。このことは、ブラジル国籍から日本国籍に変更した前出の4人についても同じことのように、一見すると、見える。
日本国籍に帰化したラモスら4人がサッカー最強国の1つである祖国ブラジルの代表選手となって、W杯に出場できる可能性は限りなく低かった。だから、彼らは日本に国籍変更をしたのかというと、実はそうではないように筆者には思える。ラモスを除く3人がW杯日本代表に選ばれたのは結果だった。国籍変更をしても、日本代表がアジア予選で敗退してしまえば、それまでであった。W杯に出られなくても、彼らは日本において、日本人のサッカー選手として、サッカー人生を続けていっただろう。ラモスが、いままさに、そうであるように・・・
猫ひろしを五輪に出場させない旨の判断をくだしたと言われる国際陸上競技連盟の判断は正当だ。彼らはスポーツの団体であって、芸能人のネタを助成する団体ではない。
最後に、カンボジア人は猫のことをどう考えるのだろうか。世界最貧国の1つであるといわれるカンボジアでは、だれが五輪代表になろうと関心を示さないかもしれない。
では、こう考えてみたらどうだろうか。アジア太平洋戦争敗戦後の日本が五輪出場を果たしたのが、第15回ヘルシンキ大会(フィンランド) <1952年7月19日~8月3>だった。そのとき、レスリングの「フリー・バンタム級」の石井庄八選手が唯一の金メダルを獲得。「フジヤマのトビウオ」という異名をとった、33回も世界記録を更新して期待された水泳の古橋廣之進選手は400メートル自由形決勝で無念の8位。
敗戦により焦土と化した日本国であったが、敗戦から7年後の五輪で、日本人選手が大活躍をしたのである。そのことが、すべての日本人に勇気と誇りを与えたはずだ。もしかりにも、どこかの外国人が日本国籍に帰化して、ヘルシンキ大会に出場したとしたら、日本人はどんな思いを抱いたであろうか。
カンボジアは第二次大戦終結後も、内戦に明け暮れた悲劇の国であり、いま復興の途上にある。彼らは彼らなりの方法で国づくりに励んでいる。五輪参加も、かつて日本がそうであったように、国づくりのプログラムの一部である可能性が高い。カンボジアのマラソン競技のレベルは低いけれど、カンボジア人が国家を代表するマラソン選手として、ロンドンの街中を疾走するならば、その姿を通じて、カンボジア国民が勇気を得ることは大いにあり得る。その姿が「猫ひろし」であっていいはずがない。
2012年4月16日月曜日
2012年4月1日日曜日
Zazie, Nico(4月)
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