2014年12月29日月曜日

小保方晴子が生涯背負うこととなった「STAP細胞」の汚点

●「STAP細胞」の再現に失敗

日本中を騒がせた「STAP細胞」問題が終わろうとしている。12月19日、理研は「STAP現象の検証結果」を公表し、STAP細胞の存在が確認できなかったと結論づけた。この検証実験は、実験総括責任者として相澤慎一特任顧問の下、研究実施責任者に多細胞システム形成研究センターの丹羽仁史チームリーダーを充てたものと、小保方晴子の独自のものとが並行して行われた。検証結果は、そのどちらにおいても「STAP細胞」の再現には至らなかった。

●「STAP細胞」はES細胞の混入

12月25日、理研は「研究論文に関する調査報告書」(研究論文に関する調査委員会・委員長 桂 勲)を公表した。同委員会は「STAP細胞」や万能性の証拠とされたマウスなどが、すべてES細胞が混入したものだった可能性が高いと結論付けた。

だが、混入が意図的だったかどうかは「培養器具の不注意な操作による混入の可能性も考えられる。決定的な判断は困難」とし、混入した者を特定しなかった。同委員会によると、特定に至らなかった理由は、混入者を特定できなかったことだという。

作製した「STAP細胞」やマウスなどについて、調査委は「ES細胞の混入があった場合、当事者は小保方晴子氏と若山照彦氏しかいないように見える」と分析。だが実験が行われた若山の研究室は「多くの人が夜中に入ることが可能だった」ことから、「必ずしもそうとは言い切れない」と判断したという。また、調査の過程で小保方の研究室の冷凍庫からES細胞が見つかったが、これについて小保方、若山は知らないと回答。故意または過失による混入を全面的に否定したため、誰が混入したかは特定できないと結論付けた。

小保方が会見において「200回以上作製に成功した」とした発言は何だったのか。

●調査結果はNスぺ『STAP細胞 不正の深層』のとおり

理研の二つの調査結果は、なんのことはない、7月27日に放映された、「NHKスペシャル/『STAP細胞 不正の深層』」のとおりではないか。この番組が放映された直後に、笹井芳樹は自殺した。おそらく笹井はこの番組を見て観念したことが確認できた。

犠牲者(自殺者)を出し、日本の科学史に大きな汚点を残した「STAP細胞」問題の解決に要した時間とカネはいわゆる浪費である。いわんや人命の喪失は悲惨ともいえる。理研がすばやく処分をくだせば、このような無駄なカネも時間も命も損失しなかったのだ。

●小保方(弁護団)の立て籠もり作戦が悲劇を誘発

そもそもは小保方が弁護士を立てて立て籠もり、訴訟をちらつかして理研を恫喝したのがことの始まりである。小保方(弁護団)の罪は重い。小保方はすでに理研を退職している。理研がこの先、処分を発表したとしても当事者の小保方は理研にいないし、論文共著者で共同実験者の若山も外部の人間である。笹井はすでの他界している。理研の処分は実効性がない。ならば、小保方弁護団は小保方を守ったのだろうか。実効的処分を免れたのだから、少なくとも小保方を守ったと言える。

だが、はたしてそうなのだろうか。日本の科学史に汚点を残すような大事件の真相を隠蔽し、自殺者を出し、当事者を放免することが「守った」ことになるのだろうか。当事者の小保方は不正、捏造、偽証を償うことなく、この先も生きていくことになる。その人生は逃亡者のそれである。小保方は「STAP細胞」という罪障を背負って生き続けるのである。小保方を隠し続けた弁護団の作戦は、小保方のこの先における人生の汚点を消すことに失敗している。小保方は、不正、捏造の罪を償って再出発すべきだった。過而不改是謂過矣(過ちて改めざる、是を過ちと謂う。)

●当事者としての反省をみせない理研

小保方が「STAP細胞」の汚名を一生背負い続ける反面、理化学研究所にはどんな罰もくだらない。12月19日の「STAP現象の検証結果」を説明した実験総括責任者の相澤慎一は会見中、「科学者として・・・」を何度も連発していた。この期に及んで「科学者として云々」とは笑わせる。真っ当な科学者倫理をもった者が理研にいたのならば、こんな醜態をあらわすはずもない。理研の研究者に科学者倫理が徹底していなかったから、愚かな不正や捏造や偽証が続いたのではなかったのか。ありもしない「万能細胞」とやらを、若い女性研究員に割烹着を着せてメディアに発信したのは理研ではなかったのか。偉そうに「科学者として・・・」を連発するこの理研幹部に憐れみを感じた。

丹羽仁史も同類である。確かこの男、かつて会見において、「STAP細胞は存在する」という意味の発言をした記憶がある。筆者の記憶違いだろうか。丹羽にも反省は感じられない。

●不正の当事者特定こそが科学者倫理再構築の糸口

「研究論文に関する調査報告書」の調査委員長・桂勲の発言と態度も感心しない。桂は理研関係者ではないが、(自分たちは科学者であって)犯人捜しの役割をもたない――という意味の発言していた。犯人捜しは岡っ引きの仕事であって、科学者であるわれわれは、そんな(不浄な)仕事はしないんだ――という意識が表情にありありと浮かんでいた。

現状、少なくとも理研のような研究所において、純粋科学研究は存在しえない。科学は資本に密接している、いや、隷属しているといったほうがいい。先人たちのように、研究者が純粋に科学に向き合った時代とは違う。この委員会の長である桂に課せられたのは、研究論文に関する調査報告であって、不正、捏造の実行者(犯人)をあげることではない――という主張は間違いではないように思える。だが、本件、すなわち「STAP細胞」問題に限れば、実行者を特定し、その動機を解明することこそが、科学者倫理再構築の道筋だった。なぜ、実行者たちは科学者倫理を逸脱忘却し、不正、捏造へと暴走したのか。その切迫した心情と背景が解明できれば、理研という組織の問題点、研究者及び研究受託の現状と課題が明らかになったはずだ。少なくともその糸口くらいはつかめたかもしれない。岡っ引きの仕事こそが、理研において失われた科学者倫理を再生する契機となったかもしれない。

桂は調査の入り口を間違え、出口ではすでにネットやテレビ番組(NHK)において指摘されていた、「不正・捏造」を追認するにとどまった。残念というか期待外れである。一流の「科学者」が集まった調査委員会の仕事としてはお粗末すぎる。

●マスメディアの「STAP細胞」報道は誤報ではないのか

理研が「STAP細胞」作製実験に成功したと発表したとき、マスメディア、とりわけテレビは割烹着姿の小保方と漫画が描かれた実験室を一斉に報道した。「リケジョ」という新語まで流行らせた。この報道はいわゆる誤報ではないのか。メディアが誤報を訂正・謝罪した話は聞いていない。この問題の初期の一連の報道は、朝日新聞の従軍慰安婦報道や原発事故の吉田調書報道と変わらないように筆者には思える。