湯河原の私邸への行き来に公用車を使用した疑惑に端を発した舛添要一東京都知事の政治資金不正使用問題。連日、TVが舛添バッシングに明け暮れている。
舛添を推薦した政権与党(自民・公明)の責任重大
思えば2014年2月投票の東京都知事選、舛添は自民党・公明党等(政権与党)の推薦を受け同年1月に立候補を表明した。舛添の主たる対立候補者は細川護熙元総理大臣及び宇都宮健児弁護士の2人。この選挙は、それまで都知事だった猪瀬直樹が裏金受領問題で辞任したことによる。舛添は、自公によると、元都知事の石原慎太郎、猪瀬に比して、カネにクリーンな人物という触れ込みだった。猪瀬は石原時代の副知事。石原~猪瀬と続いた東京都知事の職はカネまみれだったから、都民はとにかくクリーンな候補者を望んでいた。
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2014年都知事選、政権与党(自公)は舛添を推薦し支援した |
ところで舛添の政治家としてのスタートは、自民党の国会議員からだったのだが、自民党が政権の座を降りるや否や同党を離党し(除名)、新党を結成して反自民の立場をとった。筆者は、そんな舛添が自民党の推薦を受けて都知事候補となったことに違和感を覚えていたから、もちろん舛添には投票しなかった。
このたびの舛添攻撃の主たるネタは、舛添が自民党を離党して新党を結成してから都知事に当選するまで(2010-2013)の政治資金問題の使途であって、現職(都知事)のものではない。
自公は舛添=クリーンという不当表示を都民に謝罪せよ
とまれ舛添という政治家は、自民党を離党(除名)しながら、その自民党の推薦を受けて都知事に立候補したわけで、かなり怪しい政治姿勢の持ち主である。そんな舛添を除名した自民党があえて彼を都知事候補に祭り上げたのは、舛添がTVメディアに頻繁に登場するタレントとして知名度が高かったから。
おそらく、自民党及び御用メディアは、舛添が「クリーン」ではなく、政治資金を不正に使用していたことを知っていたはず。にもかかわらず、「クリーン」なイメージを舛添に付加して、善良でナイーブ(うぶ)な東京都民(有権者)を騙し、都知事に当選させたことになる。この所業は自民党及び御用メディアによる不当表示行為であり、今日、舛添の「悪事」が明確になりつつあるのだから、まずもって、自民党・公明党及び御用メディアが2014年当時の都知事選挙時における自らの不当表示行為について都民に謝罪することが筋である。
舛添攻撃は安倍政権及び電通の危機の目くらまし
舛添攻撃はなぜ、いまTVメディアによって集中的に行われているのか。その理由の第一は、政権の躓きにある。アベノミックスの失敗(株安、家計収入減等)、消費税率アップ問題、不透明なTPP交渉過程、貧困問題に代表される社会福祉政策の不備等の諸問題が山積していて、その解決の糸口がない。加えて、沖縄の基地問題も米軍関係者の犯罪によって、安倍政権を追い詰めつつある。
第二に、パナマ文書公開で明らかになったように、日本の富裕層による合法的脱税が明らかになり、重ねて(第三に)、日本国民に対する洗脳司令塔=電通の五輪招致不正送金問題がある。
第四に、オバマの広島訪問による、日本全体の反戦、反核意識の高まりも指摘できる。この意識が高まれば、安保問題(集団的自衛権行使容認等)見直しの動きを加速させ、憲法改正の動きを大幅に後退させるエネルギーに転化する可能性を秘めている。
いうなれば、この5月・6月は安倍政権最大の危機であり、7月の参院選で自公が大幅に議席を減ずる可能性も高まる。このことは、安倍政権及び洗脳司令塔(電通)にとって、最大の危機の到来とも換言できる。そこで、諸々の政治課題を隠蔽し、国民の目をくらます生贄、ガス抜きの対象として、舛添要一が選ばれた可能性は極めて高い。メディアを舛添攻撃に集中させ、政権批判をメディアから遠ざける効果を期待しているのだ。サミット開催に至れば、サミット報道を政権の宣伝に使う算段である。
そればかりではない。舛添は、東京都における巨大利権(2020東京五輪)において、組織委員(森喜朗=電通)と、ことごとく対立しているともいわれている。だから第五の要因として、東京五輪プロジェクトにおける阻害物=舛添「外し」が企てられた可能性も否定できない。
舛添バッシングは単一の要因からではなく、いくつかの要因が複合化した結果であり、それだけに強力な攻撃力となってメディア総動員で行われている。筆者は舛添に同情はしない。筆者は、前出のとおり、彼が2014年の東京都知事選に自公推薦で立候補した時点で、怪しいとにらんでいたからだ。それゆえ、ひるがえって考えるならば、いまのメディアの舛添攻撃はリンチ(私刑)に等しい。2014年、都知事選に舛添が立候補した時点で、彼の政治家としての本性をまともにメディアが報道していれば、都民は正しい選択ができた。
舛添を担いだ自民党・公明党も「知らなかった」では、すまされない。メディアは、当時の推薦者である自公をまずもって追求すべきであり、同時に、メディア自身が反省をしなければいけない。そのことを忘却して舛添攻撃に現を抜かすのであれば、筆者はケチな政治屋・舛添要一よりも、彼に一斉攻撃を仕掛けるメディアの方に恐怖を覚える。