2016年5月27日金曜日

MIYAKE ISSEY展

ファッションデザイナー、三宅一生の仕事を集成した「MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事」を見た。

三宅一生はパリコレで大成功した日本人デザイナーの一人。同展は1970年から現在までの彼の仕事の足跡を集めたもの。

およそ半世紀に渉る創作活動を限られたスペースの展示場で再現するわけだから、展示物の選択は、キュレーターの主観性に委ねられることは仕方がない。今回の展示は、近作に重点が置かれているような印象を受ける。同展だけを見た若い観客は、三宅一生について、ITを駆使したファッションデザイナーであるかのような印象を持つかもしれない。

本展示は、三宅一生の「現在」のデザインの在り方を出発点として、過去のそれに遡っているのであって、過去から「現在」に向かった道筋は失われている。存命の作家の仕事を展示する宿命として、ましてやファッションデザイナーという「今日性」の維持が絶対条件の立場を尊重するがゆえ、この展開は致し方ない。

だがそうなればなるほど、三宅一生の独自の世界観は何なのか、表現のコアはどこにあるのかが必然的に希薄になる。

展示の出発点が横尾忠則の「タトゥー」のジャンプスーツ。そして現在に近づくと、「プリーツ」を結節点として、関口光太郎のコラボから、タブレット、リサイクル(ポリエステル)に象徴されるIT(情報技術)処理的デザインのイメージに変化する。出発点の横尾忠則は、1970年当時のデザイン界のリーダー的存在だった。三宅一生は、横尾のデザインに寄り添うことからスタートした。それが、三宅一生の出発点であり、それ以降、時代の主流に寄り添うことに注力した。本展示会は、三宅一生の過剰な時代性依拠の態度を透けて見せる。

作風の変化、時代の影響を否定しない。それを被らない作家はいないだろう。だが、それは創作の原点、世界観、存在の根源性があってのものだ。

三宅一生とは、まずその時代の主流に寄り添い、さらに、その時代その時代、彼が抱えた多数の無名スタッフのパワーを吸い取って、「MIYAKE ISSEY」というブランドであり続けた、いやこれからもあり続けようとしている。前出のコラボレイターとしてここに記名した作家は氷山の一角。三宅一生は、その意味において、優秀なディレクターであって、作家ではない。



国立新美術館 東京


見終わった後は、近くのミッドタウンにてランチとお茶して帰宅。


2016年5月25日水曜日

舛添問題の裏側

湯河原の私邸への行き来に公用車を使用した疑惑に端を発した舛添要一東京都知事の政治資金不正使用問題。連日、TVが舛添バッシングに明け暮れている。

舛添を推薦した政権与党(自民・公明)の責任重大

思えば2014年2月投票の東京都知事選、舛添は自民党・公明党等(政権与党)の推薦を受け同年1月に立候補を表明した。舛添の主たる対立候補者は細川護熙元総理大臣及び宇都宮健児弁護士の2人。この選挙は、それまで都知事だった猪瀬直樹が裏金受領問題で辞任したことによる。舛添は、自公によると、元都知事の石原慎太郎、猪瀬に比して、カネにクリーンな人物という触れ込みだった。猪瀬は石原時代の副知事。石原~猪瀬と続いた東京都知事の職はカネまみれだったから、都民はとにかくクリーンな候補者を望んでいた。

2014年都知事選、政権与党(自公)は舛添を推薦し支援した

ところで舛添の政治家としてのスタートは、自民党の国会議員からだったのだが、自民党が政権の座を降りるや否や同党を離党し(除名)、新党を結成して反自民の立場をとった。筆者は、そんな舛添が自民党の推薦を受けて都知事候補となったことに違和感を覚えていたから、もちろん舛添には投票しなかった。

このたびの舛添攻撃の主たるネタは、舛添が自民党を離党して新党を結成してから都知事に当選するまで(2010-2013)の政治資金問題の使途であって、現職(都知事)のものではない。

自公は舛添=クリーンという不当表示を都民に謝罪せよ

とまれ舛添という政治家は、自民党を離党(除名)しながら、その自民党の推薦を受けて都知事に立候補したわけで、かなり怪しい政治姿勢の持ち主である。そんな舛添を除名した自民党があえて彼を都知事候補に祭り上げたのは、舛添がTVメディアに頻繁に登場するタレントとして知名度が高かったから。

おそらく、自民党及び御用メディアは、舛添が「クリーン」ではなく、政治資金を不正に使用していたことを知っていたはず。にもかかわらず、「クリーン」なイメージを舛添に付加して、善良でナイーブ(うぶ)な東京都民(有権者)を騙し、都知事に当選させたことになる。この所業は自民党及び御用メディアによる不当表示行為であり、今日、舛添の「悪事」が明確になりつつあるのだから、まずもって、自民党・公明党及び御用メディアが2014年当時の都知事選挙時における自らの不当表示行為について都民に謝罪することが筋である。

舛添攻撃は安倍政権及び電通の危機の目くらまし

舛添攻撃はなぜ、いまTVメディアによって集中的に行われているのか。その理由の第一は、政権の躓きにある。アベノミックスの失敗(株安、家計収入減等)、消費税率アップ問題、不透明なTPP交渉過程、貧困問題に代表される社会福祉政策の不備等の諸問題が山積していて、その解決の糸口がない。加えて、沖縄の基地問題も米軍関係者の犯罪によって、安倍政権を追い詰めつつある。

第二に、パナマ文書公開で明らかになったように、日本の富裕層による合法的脱税が明らかになり、重ねて(第三に)、日本国民に対する洗脳司令塔=電通の五輪招致不正送金問題がある。

第四に、オバマの広島訪問による、日本全体の反戦、反核意識の高まりも指摘できる。この意識が高まれば、安保問題(集団的自衛権行使容認等)見直しの動きを加速させ、憲法改正の動きを大幅に後退させるエネルギーに転化する可能性を秘めている。

いうなれば、この5月・6月は安倍政権最大の危機であり、7月の参院選で自公が大幅に議席を減ずる可能性も高まる。このことは、安倍政権及び洗脳司令塔(電通)にとって、最大の危機の到来とも換言できる。そこで、諸々の政治課題を隠蔽し、国民の目をくらます生贄、ガス抜きの対象として、舛添要一が選ばれた可能性は極めて高い。メディアを舛添攻撃に集中させ、政権批判をメディアから遠ざける効果を期待しているのだ。サミット開催に至れば、サミット報道を政権の宣伝に使う算段である。

そればかりではない。舛添は、東京都における巨大利権(2020東京五輪)において、組織委員(森喜朗=電通)と、ことごとく対立しているともいわれている。だから第五の要因として、東京五輪プロジェクトにおける阻害物=舛添「外し」が企てられた可能性も否定できない。

舛添バッシングは単一の要因からではなく、いくつかの要因が複合化した結果であり、それだけに強力な攻撃力となってメディア総動員で行われている。筆者は舛添に同情はしない。筆者は、前出のとおり、彼が2014年の東京都知事選に自公推薦で立候補した時点で、怪しいとにらんでいたからだ。それゆえ、ひるがえって考えるならば、いまのメディアの舛添攻撃はリンチ(私刑)に等しい。2014年、都知事選に舛添が立候補した時点で、彼の政治家としての本性をまともにメディアが報道していれば、都民は正しい選択ができた。

舛添を担いだ自民党・公明党も「知らなかった」では、すまされない。メディアは、当時の推薦者である自公をまずもって追求すべきであり、同時に、メディア自身が反省をしなければいけない。そのことを忘却して舛添攻撃に現を抜かすのであれば、筆者はケチな政治屋・舛添要一よりも、彼に一斉攻撃を仕掛けるメディアの方に恐怖を覚える。

2016年5月24日火曜日

天王寺(谷中)

 天王寺の庭はたいして広くないけれど、四季折々、さまざまな表情を見せてくれる。




2016年5月11日水曜日

谷根千の隣の日暮里へ

ジム友の一人が東日暮里に転居し、その周辺の居酒屋さんを開拓していた。

その中の一つ、『いな葉』に行ってみた。

日本酒の品ぞろえもなかなかのもの、料理も旨い。





2016年5月7日土曜日

未来の世界チャンプを応援に

プロボクシングスーパーフェザー級の期待の星、波田大和君を応援に、格闘技の聖地・後楽園ホールへ。

波田君は第3試合に登場し、相手のタイ人ボクサーを2R、TKOで破りました。

メーンイベントは三浦隆司 VS ジミー・ボルボン。

この試合も1Rで三浦のKO勝利。




試合後の波田君。顔はまったくの無傷

2016年5月1日日曜日

モーリのクリエイションクラブ展【神々のマスク】

マルチアーティスト、天才・モーリ(毛利臣男さん)がプロデュースするマスク展。

日本各地で開催されているワークショップ参加者から、たくさんの作品が集まりました。






と き:2016年4月30日~5月5日
ところ:ギャラリー枝香庵(銀座)