ファッションデザイナー、三宅一生の仕事を集成した「MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事」を見た。
三宅一生はパリコレで大成功した日本人デザイナーの一人。同展は1970年から現在までの彼の仕事の足跡を集めたもの。
およそ半世紀に渉る創作活動を限られたスペースの展示場で再現するわけだから、展示物の選択は、キュレーターの主観性に委ねられることは仕方がない。今回の展示は、近作に重点が置かれているような印象を受ける。同展だけを見た若い観客は、三宅一生について、ITを駆使したファッションデザイナーであるかのような印象を持つかもしれない。
本展示は、三宅一生の「現在」のデザインの在り方を出発点として、過去のそれに遡っているのであって、過去から「現在」に向かった道筋は失われている。存命の作家の仕事を展示する宿命として、ましてやファッションデザイナーという「今日性」の維持が絶対条件の立場を尊重するがゆえ、この展開は致し方ない。
だがそうなればなるほど、三宅一生の独自の世界観は何なのか、表現のコアはどこにあるのかが必然的に希薄になる。
展示の出発点が横尾忠則の「タトゥー」のジャンプスーツ。そして現在に近づくと、「プリーツ」を結節点として、関口光太郎のコラボから、タブレット、リサイクル(ポリエステル)に象徴されるIT(情報技術)処理的デザインのイメージに変化する。出発点の横尾忠則は、1970年当時のデザイン界のリーダー的存在だった。三宅一生は、横尾のデザインに寄り添うことからスタートした。それが、三宅一生の出発点であり、それ以降、時代の主流に寄り添うことに注力した。本展示会は、三宅一生の過剰な時代性依拠の態度を透けて見せる。
作風の変化、時代の影響を否定しない。それを被らない作家はいないだろう。だが、それは創作の原点、世界観、存在の根源性があってのものだ。
三宅一生とは、まずその時代の主流に寄り添い、さらに、その時代その時代、彼が抱えた多数の無名スタッフのパワーを吸い取って、「MIYAKE ISSEY」というブランドであり続けた、いやこれからもあり続けようとしている。前出のコラボレイターとしてここに記名した作家は氷山の一角。三宅一生は、その意味において、優秀なディレクターであって、作家ではない。
国立新美術館 東京 |
見終わった後は、近くのミッドタウンにてランチとお茶して帰宅。