戦後、ナチス・ドイツの戦犯の一人、アイヒマンという人物が潜伏先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関によって拉致され、イスラエルに引き戻されて裁判で死刑に処せられた。この事件については筆者もなんとなく知っていた。本書巻末の年譜によると、1962年のことだというから、この出来事は半世紀以上も前に遡る。
この事件については筆者の記憶に蘇ることなく、時間が過ぎていた。ところが近年、「〇〇のアイヒマン」という表現がジャーナリスト、批評家等によって、しばしば用いられることが気にかかってきた。たとえば、安倍首相の側近で、総理直属の諜報機関・内閣情報調査室(内調)のトップである北村滋内閣情報官は「官邸のアイヒマン」と呼ばれているし、前・原子力規制委員会委員長の田中俊一氏も「原子力村のアイヒマン」と呼ばれた。
権力側にいる人物を「アイヒマン」と呼ぶのはもちろん、批判を込めた表現だ。そのイメージは概ね、不正義を承知のうえで権力側の命令や上司の意を粛々と進める非情な人物というものではないだろうか。今日の日本が多くの「アイヒマン」を輩出しているのだとしたら――筆者の時代に対する不安は、「アイヒマン」という呪文によって大いに増幅されている。そのことが本書を手にした動機だ。
アイヒマンの任務と死刑判決
カール・アドルフ・アイヒマン(1906-1962)はナチスの戦争犯罪人(絶滅収容所移送責任者)の一人。アイヒマンの任務は、第二次世界大戦中、欧州各地に散在していたユダヤ人を狩り出し、貨車を使って絶滅収容所に移送することだった。大戦後、米軍捕虜収容所から脱出し、アルゼンチンに潜伏していたが、戦後(1948)新たに中東パレスチナの地に建国されたユダヤ人国家・イスラエル政府による「ナチ狩り」によって、1960年、同国諜報員に確保されイスラエルに移送された。1961年、アイヒマンの裁判は本題のとおり、エルサレムで行われ、1962年5月29日、アイヒマンは死刑判決を受け、2日後の31日に同地にて絞首刑に処せられた。
以上のような概略が一般のアイヒマン理解として流通している。しかしそれだけなら、前出の「〇〇のアイヒマン」という表現が頻繁に用いられるはずがない。本書はアイヒマンの裁判資料等からユダヤ人問題に深く迫った力作だ。と同時に、出版時、世界中のユダヤ人から非難を浴びせられた問題作だったともいう。本書はユダヤ人問題の複雑さを知らしめると同時に、権力に支配された組織内にあって、人はいかに思考し行動すべきかを問うものともなっている。読了後、著者(ハンナ・アーレント)の知の深さを知ることとなる。
アイヒマン裁判の疑問点
(一)アルゼンチンにいたアイヒマンを拉致しイスラエルに連行することの正当性
アイヒマンがイスラエルの諜報員に確保されるまで、彼はアルゼンチンに住んでいた。潜伏していたというよりも、普通に暮らしていたらしい。彼がドイツからこの地に逃れたのは、非合法的国外脱出に当たるのかもしれないが、アルゼンチン国内において、他国の者がその国の居住者を強制的に拉致、連行することに正当性が認められるのか――もちろん、大戦中、ナチス・ドイツがユダヤ人を大量殺戮したことは歴史的事実であり、戦争犯罪であることは疑いようがない。しかし、イスラエル諜報員がアルゼンチンで行った行為はアルゼンチンの主権を侵害したことにならないだろうか。
アイヒマンの拉致・連行のケースと似たような事件が、わが日本の首都・東京で起こっている。「金大中事件」だ。この事件は、1973年、大韓民国の民主活動家および政治家で、のちに大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレスで拉致され、船で韓国に連れ去られたというもの。
その後、金大中はソウルで軟禁状態に置かれ、5日後にソウル市内の自宅前で発見された。この事件を主導したのは金大中の政敵であり、当時大統領であった朴正熙だった。事件現場となったのは前出のとおり、首都・東京のど真ん中だった。
当時、朴正熙と親和的関係にあった日本政府はKCIAの「犯行」を黙認したばかりか、国内メディアに対して、徹底した報道規制を申し渡したといわれている。当時のイスラエルとアルゼンチンの関係の詳細はわからないし、アイヒマンと金大中の立場がまったく同じとはいわないが、国家間の同意さえあれば、超法規的措置というのは大いにあり得るということは確かなのだ。
(二)イスラエルで裁判が開かれることの疑問
ホロコースト(大量殺戮)があった大戦中、イスラエルという国家は存在していない。イスラエル国家が誕生したのは前出のとおり、大戦後の1948年のこと。また、ユダヤ人に対するホロコーストが行われたのは欧州各地(ドイツ本国及びナチス・ドイツの占領地)においてであり、被害者はドイツ及びその占領地の国籍を持ったユダヤ系の人々だった。イスラエル国籍というのはなかったのだから。たとえば、ドイツ本国に在住していたユダヤ人は、ユダヤ系ドイツ人。ということは、アイヒマン裁判は欧州各国に住んでいたユダヤ系の〇〇人に対する犯罪であるから、その罪を問う裁判は中東のイスラエルではなく、国際法廷の名目で、欧州のどこかで開かれなければならなかったのではないか。
建国から十数年余のイスラエルがアイヒマンを自国で裁判を行った背景には、イスラエルという存在を国内外へアピール必要があったからだ。イスラエルの表玄関である国際空港はベン=グリオン空港と名付けられているが、その名は、イスラエル国民から“建国の父”と呼ばれているベン=グリオン(当時)首相の名を冠したもの。ベン=グリオンは独立運動の指導者であり、独立直後に起きた第一次中東戦争を乗り切ってイスラエルを不動の独立国の地位に高めた英雄だ。そのベン=グリオンは1953年、不祥事でいったん退任したが、1955年に再び首相に返り咲いた。再選後のベン=グリオンが自らの政治的求心力を高めるため、そして、イスラエル(ユダヤ)人の結束力を再度高めるため、アイヒマンという戦争犯罪人を政治的に利用したという説も頷けないものではない。
(三)アイヒマンという人物と彼が犯した戦争犯罪
アイヒマンはナチスの幹部というわけではない。ナチス親衛隊国家保安本部の課長職であり、肩書は中佐だった。彼の仕事は前出のとおり各地のユダヤ人を絶滅収容所へ移送すること。彼は裁判において、自分(アイヒマン)はユダヤ人を一人として殺していない、と供述していたという。確かに彼は自ら武器をとって面と向かってユダヤ人を殺したことはなかったのかもしれないが、ユダヤ人を貨車で絶滅収容所に移送したその結果について彼が知らなかったはずがない。そればかりか、自分はユダヤ人の指導者と友好的関係にあったとも証言したという。この発言に関するユダヤ人指導者の一部とナチスの微妙な関係については後述する。
課長、中佐という地位は、日本のサラリーマン世界では中間管理職に該当する。上からの命令を部下にやらせるマネジメント職ではあるが、重要な戦略を立案する立場にはないし、決定権もない。ユダヤ人絶滅計画を立案したのはヒトラーであり、その意を受けた幹部がアイヒマンに実務を下したのだ。アイヒマンがヒトラーの絶滅計画に反対したとしたら、軍法会議でそれこそ反逆罪に問われかねない。アイヒマンも法廷では、命令に従っただけだと主張した。
戦争犯罪を裁くということは難しい。戦勝国からすれば、敗戦国の政治・軍事・行政の指導者は戦争犯罪人だ。ではどこまでがその責を負うのか。ナチス指導者のうち、敗戦時に生きていた者はことごとく裁判で死刑に処せられた。その一方で、ナチスを熱狂的に支持した一般市民に罪はないのか。ユダヤ人問題に限定すれば、移送責任者のアイヒマンは裁判にかけられたが、隠れていたユダヤ人を親衛隊に密告したドイツ市民の罪は問われないのか、逃亡しようとしたユダヤ人を射殺した兵士の罪はどうなのか…
著者(ハンナ・アーレント)はホロコーストに関与したアイヒマンは人類に対する罪を犯したという。同時に、ドイツの都市を無差別爆撃した連合国軍の空爆作戦や、日本の広島・長崎に原爆を投下した米軍の軍事行動も人類に対する罪だという。アイヒマンが罪に問われるならば、無防備な非戦闘員である市民を無差別に爆殺する軍事行動も罪に問われなければならない。戦時においては、人類に対する罪を犯す可能性、すなわちその当事者になる可能性はだれにでもある。だからといって、アイヒマンを無罪放免するわけにもいかない。彼はナチス・ドイツ敗戦時に国外逃亡をはかったのだから。
アイヒマンの罪に対する意識
アイヒマンの人物像は、裁判を傍聴し、彼の供述を丁寧に読み直した著者(ハンナ・アーレント)の観察・分析によると、極悪非道のモンスターではないという。怪物というよりもごくありふれた普通人のようだ。出世欲があり、自分を大物に見立てる傾向がある一方、上層部には忠実で勤勉な官吏のようだと。このような人間像は、アイヒマンに限らず、ナチスの中堅幹部に共通するものかもしれない。『ヒトラー最後の代理人』(原題:The Interrogation、製作年:2016年、製作国:イスラエル、監督:エレズ・ペリー、脚本:エレズ・ペリー、サリ・タージェマン、キャスト:ロマナス・フアマン、マチ・マルチェウスキ)という映画をご存知の方も多いだろう。第2次世界大戦中にアウシュビッツ強制収容所の所長を務め、終戦後に死刑に処された実在の人物ルドルフ・フェルディナント・ヘスの自叙伝をもとに描いた歴史ドラマだ。
ストーリーは、ナチス・ドイツ敗戦後の1946年。アウシュビッツ強制収容所で最も長く所長を務めたルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘスは、ポーランドの刑務所で裁判にかけられるのを待っていた。ヘスの取り調べを担当する若き判事アルバートは、ヘスが持ち込んだシアン化合物系の殺虫剤ツィクロンBによって101万人もの人間が虐殺されたことなど、収容所で行われていた恐ろしい行為の数々を明らかにしていく。ヘスは戦犯としてポーランドで絞首刑に処せられた。なお、アウシュビッツ強制収容所所長のヘスは、ナチ党副総統(総統代理)のルドルフ・ヘスとは別人であり注意を要する。
この映画の大部分は判事アルバートによるヘスの取り調べ風景で占められている。ヘスは尋問に対してあたかも他人事のように、強制収容所のできごとを淡々と語る。そこに罪の意識をうかがうことができない。ユダヤ人を100万人以上も毒ガスで殺害しておきながら、あたかもモノを処理したような感覚しか、ヘスには残されていないかのようだ。
アイヒマンもおそらく、取り調べや裁判において、映画『ヒトラー最後の代理人』のシーンのように、淡々と取り調べを受け、陳述を繰り返していたのだろう。著者(ハンナ・アーレント)もアイヒマンの無機的な態度ーー他人事のような当事者意識の希薄さを幾度となく指摘している。
アイヒマンのユダヤ人に対する意識は、表現は適切ではないが、廃棄物処理のようなものなのではなかったか。散在しているそれを一カ所に集め、貨車で移送し、最終処理所(絶滅収容所)へ送るまで。アイヒマンは事務的に移送計画を作成し、関係各所に通達し、処理させる。不手際があれば現場に出向き修正を加え、万事つつがなく運ぶことが自分の使命なのだと、それが総統への忠誠だと。もちろん、最終地点=絶滅収容所では、彼が移送した(と命じた)大量のユダヤ人が殺戮されることは承知している。それは悪ではなく、ナチス・ドイツにとって必要なことなのだと。
著者(ハンナ・アーレント)はこう書いている。
被告(アイヒマン)やその犯行、また裁判そのものが、エルサレムで審理された事柄の範囲をはるかに超えた普遍的性質の諸問題を提起したことはもちろん疑いを容れない。(略)私(ハンナ・アーレント)が(本書の副題である)悪の陳腐さについて語るのはもっぱら厳密な事実の面において、裁判中誰も目を向けることのできなかったある不思議な事実にふれているときである。アイヒマンはイアーゴでもマクベスでもなかった。しかも〈悪人になってみせよう〉というリチャード三世の決心ほど彼に無縁なものはなかったろう。自分の昇進にはおそらく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。そうしてこの熱心さはそれ自体としては決して犯罪的なものではなかった。(略)俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。(略)彼は愚かではなかった。まったく思考していないこと――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。そのことが〈陳腐〉であり、それのみか滑稽であるとして、・・・やはりこれは決してありふれたことではない。(P394-395)ナチス・ドイツとユダヤ人
本書の第9章から13章まで、ヨーロッパ各地におけるユダヤ人の取扱いの状況が記されている。各地とは、◇ドイツ、オーストリア及び保護領、◇西ヨーロッパ―フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、イタリア、◇バルカン諸国―ユーゴスラビア、ブルガリア、ギリシャ、ルーマニア、◇中欧―ハンガリー、スロヴァキア、◇東欧の殺戮センター(ポーランド)に及ぶ。本書はエピローグを含めて16本の章だてだから、うち三分の一が割かれていることになる。この箇所は、ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の複雑さをかなり深く理解する助けになっていて、占領地のうちナチス・ドイツにきわめて協力的だった国とそうでない国とがあったことがわかる。
また、ユダヤ人勢力のうち、ナチス・ドイツと協力関係を結んだ組織があったことも忘れてはならない。その中心となったのがシオニストだ。シオニストとは中東パレスチナにユダヤ人国家、イスラエルを建国しようとする一団だ。第二次大戦前、パレスチナはイギリスにより委任統治されていた。パレスチナへの帰還を目指すシオニストからみれば統治国イギリスは敵であり、ナチス・ドイツはイギリスの敵であるから、シオニストにとって敵(イギリス)の敵(ナチス・ドイツ)は味方となって、反イギリスという立場からナチス・ドイツに協力することもあった。アイヒマンが進めたユダヤ人移送はシオニストの協力によって推進されたという面もなくはなかったのだ。アイヒマンがユダヤ人指導者と親密だったという証言は、シオニストから協力を受けたことを指している。
著者(ハンナ・アーレント)は本書において戦時中のシオニストのナチスへの協力を明らかにしたため、全世界のユダヤ人から非難を受けた。ユダヤ人問題というのは、日本人からすると、かなりわかりにくい面をもっている。
日本には無数のアイヒマンがあふれている
安倍政権下の日本において、森友学園問題に係る文書改竄が財務省の地方部局で行われた。改竄を命じられた職員は公文書管理の規定に基づき、改竄を心情的に拒否しつつ、実際に推進させられる自己矛盾に苦悩した挙句自殺した。自殺した職員はアイヒマンにならず、思考した。その挙句の決断が自死だったことは残念極まりない。ご冥福を祈るばかりである。ところが、それを命じた(当時)財務省理財局長は退職金をほぼ全額もらって退職している。裁判にかけられない「アイヒマン」である。
日本の多くの省庁の現場では「アイヒマン」であふれている。アベノミクスという愚劣な経済政策にとびついた経産省(職員)、家計学園問題では官邸幹部職員が虚偽証言の疑惑を持たれている。シロをクロといい続けて首相を守るのが職員の使命だと曲解している。いまの日本国の経産省、財務省、官邸といった中央官庁の幹部職員は「アイヒマン」を貫徹しながらも罪に問われることがなく、むしろ、「有能な行政官だ」と権力者(財務大臣)からお褒めにあずかるといった具合だ。そういえば、日本国のいま(2018/10/07現在)の財務大臣は、「ナチスの手口を学んだらどうか」と発言をした。
アイヒマンのような、思考しない悪の陳腐さが、とりわけ日本の行政機構を蝕んでいる。