2021年7月31日土曜日

谷根千論争

  半月前くらいのことだろうか、東京の下町、谷根千地域について、ツイッター上で論争があった。発端は、谷中に開業したYANAKA SOWという宿泊施設の紹介記事からだった。同施設は閑静な寺町谷中に、著名な企画会社が企画をたて、積水ハウスが開発したもの。建設に際し、近隣から反対もあった。

『rojiroji‐magazine』 

 谷根千地域には、『rojiroji-magazine/ロジ・ロジ・マガジン』(以下『roji誌』)というタウン誌がある。同誌は谷根千界隈の小規模で個性的な飲食店等を取材・紹介し、紹介した店舗及び地元の書店等に雑誌を卸し販売してもらうという仕組みの雑誌である。刊行は不定期のようだ。
 同誌の編集・発行人のA氏が『Forbes』において、YANAKA SOWの紹介記事を書いた。その記事がYANAKA SOWの編集タイアップ広告記事なのか純粋取材記事なのか定かではないが、A氏は『Forbes』ではライターとして紹介されていて、そこに掲載されたプロフィールによると、複数のファッション誌の編集者を歴任後、通販サイトAmazonを経て、谷根千において前出の『roji誌』の編集発行に至ったとある。

M氏による『roji誌』攻撃

 『Forbes』におけるYANAKA SOWの記事をツイッターで攻撃したのがM氏。M氏は谷根千の名付け親であり、地域振興専門家として講演活動などをする一方、作家としても活躍している。M氏と谷根千の関係性については後述する。
 M氏のA氏に対する攻撃は常人の理解を超える内容だった。M氏はかねてより、谷根千界隈の変容ぶりを嘆いていた、というよりも怒っていた。外から来た資本による出店ラッシュにより、古い趣ある住宅、旅館、町工場、商店、公衆浴場等が撤退もしくは閉店する。その替わりに出店する店舗は谷根千らしくなく、表参道や代官山などの新しい繁華街のものとかわらないと。
 M氏の攻撃は、そうした谷根千の変容の責任のすべてが『roji誌』にあるかのような書きぶりだった。『roji誌』の編集発行人A氏の経歴から、M氏はあたかもA氏が高級ファッション企業=大資本の代表者であるかのように攻撃した。『roji誌』の最新刊特集が谷根千地域のファッション店の特集だったことからM氏がそう思ったのかもしれないが、そうであれば、M氏の認識の誤りである。
 ツイッター上で、M氏を支持する派と『roji誌』擁護派の双方が参戦し、論争は混乱した。短文のツイッター上における論争は、本筋から外れることが多く、今回も生産性に欠けた。かみ合わない論争に辟易したと思われるM氏が「ツイッターしばらくお休み」宣言を発して、論争は終息した。

『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』 

 『roji誌』を攻撃したM氏は、1984年に地域情報雑誌『谷根千』(正式には『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』)を創刊したメンバーの一人。前出のように、その後、作家として名を成すと同時に、〝まちおこし″の専門家として活躍中である。
 さて、谷中・根津・千駄木地域の特徴は、①東京大空襲の被害を免れた戦前からの古い町並みが残っていること、②神社仏閣が多い(谷中は江戸期からの寺町で、しかも広大な谷中霊園がある)こと、③高級住宅地と古い木造のしもた屋が混在していること、④小規模だが個性的飲食店、商店が集積していること、⑤レトロな商店街が発展していること、⑥行き止まりのような細い路地が多数あること、⑦界隈に猫が多く、猫好きが集まる地域でもあること(最近は減少)――である。いわゆる、下町レトロな風情を残した地域である。加えて近くには、東京芸大(上野公園)、東京都美術館(同)、国立西洋美術館(同)、上野文化会館(同)、太平洋美術会(西日暮里)等があり、音楽・芸術系の学生及びそのOBも多く住む。谷中には朝倉彫塑館、千駄木には森鴎外記念館もあり、文化的雰囲気が色濃い地域である。
 M氏らは、これら3地域の歴史、文化、生活に関する情報を自ら取材し、印刷加工し、『谷根千』という雑誌として販売し一定の読者を得た。まさに手づくりの地域雑誌の範を示した。 その影響として、▽企業誘致や大規模開発でまちおこしを行うことに注力していた従来の地域活性化手法に反省を促したこと、▽地域を新しい価値観で見直すことを提唱したことーーなどが挙げられる。
 また、谷中(やなか)・根津(ねづ)・千駄木(せんだぎ)の頭文字をとった「や・ね・せん」という名称は同地域の総称として、いわば固有名詞として全国に流通するほどの知名度を得た。そればかりではない。谷根千の知名度アップを嚆矢として、下町ブーム、レトロブームが巻き起こったと説明する者もいる。雑誌『谷根千』の創刊・発行は同地域の発展ばかりか、全国の地域活性化に計り知れない好影響を与えた。なお、同誌は2009年、94号をもって休刊した。

谷根千の変容

 谷根千の知名度アップと並行して、まちのようすは変わってきた。古くからの商店等は撤退、閉店し新しい店が出店し始めた。大資本のスーパーマーケット、マンションもなくはないが、多くは新たな事業機会を得ようと開業した若い起業家たちだ。カフェ、コーヒーショップ、レストラン、ワインバー、ハンバーガーショップ、クラフトビールパブ、手づくりアクセサリー・雑貨・靴のデザイン工房兼ショップ、蕎麦屋、古着屋、バッグ・帽子のアトリエ、骨董品店、居酒屋、惣菜店、ギャラリー・・・それらのショップ等の事業者がどのような状況を背負って谷根千にやってきたのかはわからないが、かれらは地上げをして谷根千に入ってきたのではないことだけは確かである。古くからの店舗・住宅等が閉店、撤退した理由もわからないが、後継者難、相続税対策、売上不振などが予想できなくもない。谷根千の新参者たちは、その結果生じた空き物件を借り受けて出店したのである。

谷根千の変容の契機、旅館「澤の屋」

 谷根千の変容の契機となったのは、私見では、旅館「澤の屋」(谷中)の営業方針転換からだと思われる。同旅館は創業70年余の老舗だが、外国人宿泊客を顧客ターゲットとしたことから、インバウンド観光客が谷根千地域に増加するようになった。さらに近年のSNSによる情報発信が盛んになったことにより、外国人の谷根千評価が高かったことが、逆輸入となって日本人に伝わり、とりわけ日本人の若者が谷根千に注目し始めた。コロナ禍前、谷根千は外国人と日本人の若者にとって、新たな価値を持ったまち(地域)として見直された。加えて、テレビの影響も大きかった。谷根千のどこかで、毎日のように、テレビクルーと思しき者がロケをしている光景が見られるようになった。もちろん、著名なタレント、俳優等の姿もある。このようなまち歩き番組のロケは、コロナ禍でもあいかわらず盛んである。
 旅館「澤の屋」が谷根千を破壊したと言いたいのではない。まちは変わる、それだけのことだ。大資本が古い建物を壊し新しいマンションやスーパーをつくる開発行為と、新鮮な価値を求めて集まる人々のための諸施設を準備する現象は異次元の話である。『roji誌』が取材・発信する谷根千情報は大資本とは無縁だし、「澤の屋」の集客戦略の変更も、それとは無縁である。『roji誌』は、M氏が地域雑誌『谷根千』を発刊していた時代とは異なる世代の嗜好に合わせた情報の発信媒体であり、「澤の屋」は、それまでの日本人客から外国人に合わせて情報を発信し、新たな顧客創造を成し遂げたまでのことである。

「受動的経済」

 手元に、『都市の経済学』(ジェーン・ジェイコブズ著)がある。そこにフランスのバルドー(バルドともいう)というまちの話が載っている。バルドーはローマ時代、ガリアがその属州になったとき、近隣の鉄製品の製造地域と道路でつながって発展したところだが、ローマ帝国の撤退をもって衰退が始まり、以降、20世紀に至ると、わずか3世帯が残るまでに落ち込んだ。ところが1966年、たまたま通りかかったドイツ人とアメリカ人のハイカー(フランス人ではない)に発見され、彼らが老人から土地を買い取り、さらに周辺の土地の買取りに成功すると、金利生活者、出版関係者らがやってくる地域へと変容した。さらにキャンパーなどがもたらす収入も増えるようになった。ある映画会社がロケ地としてこの村を借りることになったとき、お礼として水道配管設備を残してくれたという。ジェイコブズはバルドーの再興を「受動的経済」と呼ぶ。つまり、自力で経済的変化を創造せず、遠方の都市で生じた力に対応するだけの経済を示す例だという。バルドーの再興と谷根千の活性化は規模と時間に大きな隔たりがあるが、いずれも「受動的経済」の事例として近似している。
 もちろん、まちが経済的に発展すればいいというものではない。バルドーがローマ時代の風情をなくせば、都市の人々は離れていくだろうし、谷根千も下町レトロ風情を喪失すれば、観光客はこなくなる。

地域に根差した交流の場としてのパブ 

ビアパブイシイ
 谷根千らしさを維持する勢力として筆者が期待を寄せるのは、地元客と密着しつつ、小規模ながら個性的な店舗を運営する他所からの新参者たちだ。彼らの奮闘が、大資本の乱暴な進出を阻むパワーになる。その好例として、2013年、「よみせ通り」(谷中/千駄木)に出店した「ビアパブイシイ(BPI)」を挙げたい。BPIが開店準備に入った当時の「よみせ通り」は、夜になるとひっそりと人影もなく、飲食業が新たに開店するのは難しいように思えた。ところが、BPIは開店以来、地元の固定客とその関係者及びフリーの観光客が集うパブとしてうまく運営されている。地元の情報発信基地であり、自然で自由な交流の場として親しまれている。
 『roji誌』はBPIが育むような人と人の交流を媒介する地元タウン誌であり、M氏が断定したような、金持ち資本の情報誌では断じてない。M氏は戦う相手を間違えた、というか、戦うべき相手と戦わずして、〈M氏〉のもつ知名度・権威性をもって、弱小タウン誌に攻撃を加えた。谷根千で働く者に分断と差別をもちこんだ。その罪はけして軽くない。

2021年7月23日金曜日

猫さまから注意を受けるワレ

 昨夜、夕食後睡魔に襲われそのまま爆睡。

深夜3時ころ目が覚めて水分補給などしてふたたびベッドインしたものの、

飼い猫のニコがニャンニャンと鳴いて起こしにかかる。

あまりにうるさいので起きたものの、

エサはあげたばかりだし、水も新しい。猫用トイレもきれい。

家中チェックしたが異常なし。

ふたたびベッドに戻ったが、ニコが鳴き止まない。

いつもと違うのはなんなんだろうと考えたところ、

わかった‼︎愚生がパジャマに着替えていない!

まさかと思いながら、着替えてみたら、

ニコは静かになってどこかに消えた、恐るべし。

この先、飼い猫に説教される愚生の未來が見えてきたよ。

飼い主に対して、説教する猫になりそう

2021年7月17日土曜日

『啓蒙の弁証法』

 ●ホルクハイマー、アドルノ〔著〕 ●岩波文庫 ●1320円+税

本書が扱う啓蒙とは

本書の章立ては以下のとおりである。

・序文

Ⅰ.啓蒙の概念

Ⅱ.〔補論Ⅰ〕オデュッセウスあるいは神話と啓蒙

Ⅲ.〔補論Ⅱ〕ジュリエットあるいは啓蒙と道徳

Ⅳ.文化産業――大衆欺瞞としての啓蒙

Ⅴ.反ユダヤ主義の諸要素――啓蒙の限界

Ⅵ.手記と草案 

難解だといわれる本書だが、そのわかりにくさは、各章の関連が認めにくいところからくるのではないかとも思えてくる。各章が独立していて、読む者の前に放り出されているような感さえある。だが、関連性は十二分にある。Ⅰ章の書出しは次の通り。

古来、進歩的思想という、最も広い意味での啓蒙が追求してきた目標は、人間から恐怖を除き、人間を支配者の地位につけるということであった。しかるに、あます所なく啓蒙された地表は、今、勝ち誇った凶徴に輝いている。啓蒙のプログラムは、世界を呪術から解放すること〔2〕であった。神話を解体し、知識によって空想の権威を失墜させることこそ、啓蒙の意図したことであった。(P23)

訳者・徳永恂の訳注〔2〕を参照すると--

世界を呪術から解放すること(die Entzauberung der Welt);言うまでもなく、マックス・ヴェーバーが「合理化」の過程として世界史を捉えた定式を踏まえている。このことは、本書の批判の射程が、たんに18世紀以降のいわゆる「啓蒙期」や、近代合理主義批判に尽きるものでなく、歴史の発端以来の人類史の全体に関わることを示している。(P92)

この訳注がたいへん参考になるもので、このことを意識して読み進めると、全体の意図が明確になる。すなわち、啓蒙を概念化し(Ⅰ)、それを、神話等を使って補足し(Ⅱ、Ⅲ)、現在の情況(亡命先米国の情報化、大量消費社会、及び、米国・欧州で脅威となっている反ユダヤ主義)を批判する――という構成であることが理解できる。

神話と啓蒙

古い起源をもつ神話ではあるが、それは概ね以下のような物語性を有しているーー英雄が凶暴な荒ぶる神々の猛威等により危機に陥るのだが、それらを切り抜け、成功を勝ち取る。英雄は危機に対して、機知に富む判断や合理的行動によってそれらを退ける。荒ぶる神々は、異教・蛮族であり、彼らによって崇められた自然そのものの象徴である。

また、ときに英雄は見知らぬ神の呪術により身動きできなくなることもあるのだが、そのとき良き援助者の助けにより薬草等をすすめられ、意識・体力を回復することがある。このとき英雄が飲む薬草等は後世の科学を、英雄を助ける者は同じく科学者を暗示する。人類はこうして、啓蒙的思想を自然に身に着け、進歩を続けてきたと考えられている。

啓蒙と唯一神

ユダヤ的宗教の神への信仰は啓蒙なのか、反啓蒙なのか。答えは次のとおりである。

ヒュームやマッハによって否定された自我という実体は、自我という名辞とは同一のものではない。家父長の理念が神話の否定にまで進んで行くユダヤ的宗教においては、名辞と存在との間の紐帯は、神の名を口にしてはならないという戒律によって、依然認められている。ユダヤ人の「呪術から解放された」世界は、死すべきものすべての絶望に慰めを保証するような、いかなる言葉をも容赦しない。この宗教においては、希望はただ一つ、偽神を神と、有限なものを無限なるものと、偽を真と呼んではならないという戒律につながれている。(P56)

ユダヤ的宗教の神こそが啓蒙の根源である。18世紀以降、神を啓蒙と言い換えたのである。啓蒙批判を繰り返したロマン派を退けて、ホルクハイマー・アドルノは次のように主張する。

啓蒙の非真理は、その敵であるロマン派が昔から啓蒙に浴びせかけてきたような、分析的方法、諸要素への還元、反省による解体、などへの非難のうちにあるのではない。啓蒙にとっては、過程はあらかじめ決定されているということのうちに、啓蒙の非真理があるのである。数学的方法においては、未知のものは方程式の未知数になるとすれば、ある価値がまだ代入される前に、未知のものは、前から知られていたものという徴づけを帯びていることになる。自然は量子力学の出現の前後を問わず、数学的に把握されなければならないものである。わけのわからないもの、解答不能や非合理的なものさえ、数学的諸定理によって置き換えられる。よく考え抜かれた数学化された世界と、真理とが同一化されることを先取りして、啓蒙は神話的なものの復帰の前にも安穏としていられる。啓蒙は思考と数学とを同一視する。それによって数学は、いわば解放され、絶対的審級に祭り上げられる。(P58~39)

重要なのは〝啓蒙にとっては、過程はあらかじめ決定されているということのうちに、啓蒙の非真理がある″という箇所である。あらかじめ決定されている――決定しているのは神であり、神の決定を前提としているのが啓蒙なのだから、啓蒙は真理ではないと。

本書の今日性

本書全体に箴言のように読む者を覚醒する言辞が散りばめられている。ジェンダー問題、環境問題に対する、回答のような箇所を書き抜いておこう。

男は外に出て敵と戦って生き、活動し努力しなければならない。女性は主体ではない。女性は自ら生産にたずさわることなく、ただ生産する者の身の廻りの世話をやくだけだ。それは、はるか昔に消え失せた閉鎖的家内経済の時代の生きた記念碑である。女性にとって、男性から強制的に割り当てられた分業体制は、有利なものではなかった。女性は生物学的な機能を体現し、自然を象徴する者としてイメージされたが、この自然を抑圧することによってこそ、この文明に栄えある称号が授与されるのである。はてしなく自然を征服し、調和にみちた世界を無限の狩猟区に変えることが、数千年にわたる憧れの夢だったのだ。男性社会における人間の理念は、この夢に添ったものだ。これが人間が鼻にかけてきた理性の意味だったのだ。(P510~511)

今日のジェンダー問題、地球環境問題の根っこに啓蒙があることが、この言説から読み取れる。前出の数学の箇所に関連して、デジタル化、IT化の問題がある。啓蒙の延長線上に新自由主義思想とその経済活動があると筆者は考えている。本書は1939~1944年にかけて執筆されたというが、70年以上前とは思えない慧眼である。それらを今日的課題として深堀りする作業がいまの世代に投げかかられている。

2021年7月11日日曜日


 

2021年7月4日日曜日

PUNK! The Revolution of Everyday Life

加計学園が設立した倉敷芸術科学大学だけど、いいイベントだったようだ。
コロナ禍で見に行けなかったのでカタログだけネットにて購入。
デヴィッド・グレーバー、ウィーン世紀末芸術の代表者、カール・クラウスの短い論考も掲載されていいる。
パンクの文化的・社会的・政治的意味についても、この際だから、併せて考えてみたい。







 

2021年7月3日土曜日

中国茶

 Yanさんから中国茶をいただきました。

雲南省産のプーアル茶です。



Nicoが来た日

10年前のきょう、Nicoがうちにやってきた。