2021年10月15日金曜日

『1932年の大日本帝国 あるフランス人記者の記録』

 ●アンドレ・ヴィオリス〔著〕 ●草思社 ●2600円+税

副題にあるとおり、アンドレ・ヴィオリスというフランス人ジャーナリストが1932年(昭7)の日本に滞在した記録である。ヴィオリスは「第一次上海事変」(1932.1.28)の最中に上海に滞在していて、日本軍と中国軍のあいだで繰り広げられた激しい戦闘を体験した直後、本邦にやってきた。

本書から、新たな歴史的事実が得られたわけではないのだが、日本で刊行されている近現代史の研究書等とは異なる視点から、日本(人)が破滅へと向かう過程が鮮明に読み取れるのが不思議である。その過程から、後世の者である筆者は、悲しみのような、不思議な感慨を覚えずにはいられなかった。そして、なによりも本書の貴重なところは、当時の日本軍のトップ、政治家、裁判官、事業者、社会主義者、国家社会主義者、極右愛国者といった、日本社会の各層の生の姿が再現されたところにある。歴史とはすなわち、人間の生の記録であることをあらためて思い知らされる。

ヴィオリスは日本の産業・経済・政治(家)・軍事(軍人)・都市問題・成金(資本家)・労働者・農民・人口問題などに対して、インタビュー取材とは別に彼女なりの分析を加えている。世界をまたにかけた百戦錬磨のジャーナリストの視線は、当時の日本に対してすぐれて批判的である。今日でも、‶世界は日本をどう見ているのか″という、外国人の言説に従った日本批判が行われることが少なくない。またその一方で、外国人の日本批判を嫌悪する傾向もなくはない。しかし、「日本」というものを常に相対化していくという意味において、外国人の日本批判をおろそかにしてはならない。そのことを本書から学ぶことができる。

興味深いのは、日本の議会(国会)について取材を重ねると同時に、独自のルートから情報を入手し、先入観にとらわれない見解を書きつけている点である。本邦では1925年には衆議院議員選挙についての男子普通選挙法が成立し、1924~32年にかけては〈憲政の常道〉の名のもとに、衆議院の多数派に基礎をおく政党内閣が実現したといわれている。しかしながら、天皇を統治権の総攬者とする帝国憲法の基本原理のもと、制度上も、衆議院に対する貴族院の原則的対等性、天皇(の勅令)による立法制度、予算審議権に対する制約、さらには統帥権独立の原則や、枢密院・重臣・元老などの存在によって制約をうけ、帝国議会の中心的地位を占めることはできなかった。日本の議会は「天皇」を超えるものではなかったのである。ヴィオリスは前出の通り、当時(明治憲法下)の日本の議会制度の構造的欠陥を踏まえつつ、政党の腐敗と堕落に鋭いメスを入れている。ヴィオリスを信じるならば、1930年代の日本が議会制民主主義国家であったなど、夢思わぬことである。軍部の独走を許した主因がそこにあった。