〔1〕明治神宮外苑再開発問題の根源
東京新聞2023/7/31社説「明治神宮外苑再開発 憩いの土地は誰のもの」をお読みになった方も多いと思う。同社説では、1951年、神宮外苑の土地の権利をめぐる神宮と国の綱引きについて触れている。まず、同社説は1951年の日本国の世情を次のようにまとめている。
《一九五一年はサンフランシスコ平和条約が調印され、太平洋戦争が名実ともに終わった年です。戦後日本の再出発が本格化し、旧体制の見直しが社会のあちらこちらで進んでいました。天皇主権と軍国主義を支えていた「国家神道」は解体され、東京・明治神宮とその外苑では、土地を巡る問題が浮上します。(東京新聞社説)》
このような時代認識は今日一般的だが、実はちがう。1947年を境に、朝鮮半島の緊張の高まりが顕在化し、米国はGHQ左派が進めてきた戦後日本の反戦平和民主化路線を修正し、日本を極東における反共国家へと改造、属国化することに努めてきた。1950年の朝鮮戦争勃発により、その傾向はますます強まっていった。日本国内では、戦前へのバックラッシュが吹き荒れていた。このことを頭にいれておかなければ、今日の「外苑再開発問題」の根源にたどり着けない。
社説は続ける。
《神宮と外苑は当時ともに国有地でした。神宮の土地は、国が神宮に無償譲渡する一方、スポーツ施設が集積する外苑は国有地のままスポーツ団体を交えた委員会が運営するという文部省(当時)案が五一年六月にまとまりました。(東京新聞社説)》
そもそも国有地であった神宮と外苑のうち、なぜ、神宮の土地を宗教法人である神社(神宮)に無償譲渡するという案の提出をみたのか。この時点ですでに、国が神宮に対して腰が引けていたことが透けて見える。神宮すなわち神社は神道という宗教であり、それ以上でも以下でもない。国が国の土地を一介の神社に無償譲渡する理由がない。ところが、
《これに神宮側は猛反発します。「神宮と外苑は一体」として、土地譲渡と神宮による施設運営を求めたのです。神宮は、官界を巻き込んだ陳情で優位に立ちます。文部省は五二年一月、施設運営を認める代わりに条件を神宮に示しました。(東京新聞社説)》
神宮側は更に国に対し、神宮と外苑の土地を一括で取得することを目指した。なんという強欲さであろうか。そこで出されたのが、国と神宮側の妥協案、いわゆる「四条件」だ。
▼国民が公平に使用できる
▼アマチュアスポーツの趣旨にのっとり、使用料・入場料を極めて低廉に
▼施設を絶えず補修する経費の見通しがある
▼民主的運営をする
《この四条件を神宮が受け入れ、土地も時価の半額で国が神宮に譲渡することで決着しました。以上の経緯は神宮発行の「明治神宮外苑七十年誌」から引きました。こうした歴史から分かるのは、外苑の公共性の高さが当時から認識され、土地が神宮に渡らない可能性もあったことです。(東京新聞社説)》
神宮側の強気の交渉で国は明治神宮に対して、神宮の土地は無償、外苑の土地は時価の半額で譲渡してしまった。森友学園もびっくりの叩き売りだ。それだけではない。この「四条件」はいかにも抽象的だ。とりわけ第三条の「施設を絶えず補修する経費の見通しがある」がポイントだ。神宮側が「経費の見通しを立てるため」、外苑の土地を「有効活用」する道が開かれてしまったのだ。「四条件」の曖昧さが今日の外苑再開発の合法性の根拠となってしまったように思われる。
その曖昧さは--敗戦後、国家神道という宗教の体裁をとったイデオロギーを払しょくできなかった--1950年前後の日本国の在りように起因する。明治天皇=MUTSUHITOは一人の人間であって、死後、神になることはない。日本の近代化と言われる明治期天皇制は、体制保持のイデオロギーとして、宗教の体裁をとったカルト=国家神道によって人民を洗脳し、戦争と人民搾取の暗黒時代を77年間維持し、昭和天皇(HIROHITO)の代、1945年8月15日に破綻した。
《外苑は国民の憩いの場として定着していました。神宮の私有地になったとしても、国民から預けられたようなものでしょう。
それから約七十年。神宮や三井不動産などによる外苑の大規模な再開発が始まりました。(中略)ちょっと待ってください。「四条件」に反しませんか。
まず疑問なのは、市民が気軽に参加できる施設を大幅に削り、プロスポーツを優遇する点です。アマチュアスポーツの観点から見ると、条件に明らかに反します。
民主的運営という視点からも疑問が尽きません。再開発が自然環境に与える影響を懸念し、中止を求めるインターネット署名は二十一万筆を超えました。ミュージシャンの故坂本龍一さん、小説家の村上春樹さんら著名人も声を上げています。
これだけの規模で反対が意思表示されながら、事業に関する法的手続きが淡々と進むことに、この国の街づくりの制度自体に違和感を覚えます(後略)。公共空間はすべての市民の財産であり、行政や大企業が好き勝手にしていいものではありません。多くの人々に愛される場を、将来の世代に残す。明治神宮外苑の再開発は日本の市民社会の在り方をも問うているのです。(東京新聞社説)》
この社説のような言説が「外苑再開発」反対派のスタンダードな論法だろうか。しかし、ここまでみた通り、外苑の土地は明治神宮が国から時価の半額で購入したものだ。一般に再開発事業は、土地所有者が再開発の意思を表示しなければ、動き出さない。外苑の土地所有者は明治神宮だから、明治神宮が計画しないか、計画したとしてもそれを再考するか、中止するかすれば、事業は進まない。つまり外苑再開発反対の声を受け止められる主体は、明治神宮以外にない。土地所有者の明治神宮が表に出てきて、再開発反対派と議論を闘わさない限り、埒が明かないのだ。
〔2〕ひとを神とする信仰
古代日本の神話は言うまでもなく神々が演ずる物語。そこに登場する神々を祀る神社が日本各所にいくらでもある。由緒を神話に求める神社は、人民が神話上の神々を畏怖し、崇拝する信仰の場所だった。やがて、古代末期から中世にかけて御霊信仰が成立し、たとえば菅原道真という人(ひと)が天神様(神)として祀られた。江戸初期、徳川家康は日光の東照宮に神として祀られた。
日本の近代化の始まりとされる明治維新、封建遺制のいくつかが廃絶される一方で、土俗と近代が奇妙にハイブリッドした天皇制が復古した。筆者はそれを明治期天皇制と呼ぶ。その初代天皇MUTSUHITOは、死後神として祀られ、明治神宮が建立された。
日本帝国敗戦後、明治期天皇制から戦後象徴天皇制に移行したが、明治神宮はそのままのこり、前出の通りMUTSUHITOが神として祀られ今日に至っている。このことを啓蒙主義的に考えれば、いかにも非合理的であるという結論に達する。歴史的に検証しても、MUTSUHITOの評価は一定ではないと最低限いえる。大事なのは、MUTSUHITOを神と信じる人も、信じない人もいていい、ということだけだ。イワシの頭も信心なのだから。
キリスト教においても聖人が教会等に祀られている。マザー・テレサの死から19年後の2016年、ローマ教皇フランシスコがテレサを列聖し、「聖人である」と宣言した。唯一神信仰からすれば聖人は神ではないが、超越的存在であり信仰の対象となっている。
架空の話、昭和の歌姫、美空ひばりを神格化したい人たちが「ひばり神社」を建立し、芸能の神として祀ることがあっていい。歌が上手くなりたい人や、芸能で身を立てたい人が美空ひばりを神として崇め、その神社を造営し参拝者を集めることは自由だ。もちろん、そこに国家が関与することはない。「ひばり神社」を建てるに当たり、国有地を国が時価の半額で譲渡することなどあり得ない。信者たちがカネを出し合い、その範囲で土地が手当てされ、神殿等が建設されるだろう。
神宮外苑は第一部で確認したように、戦後、象徴天皇制というあいまいな制度を日本国憲法の第一条で明文化してしまったがゆえ、明治期天皇制という遺制を清算できなかったことの象徴的存在となっている。
外苑再開発反対派がまずもって対峙すべきは、大手不動産会社や行政ではない。外苑の土地利用をめぐる議論は、1950年代、明治神宮という宗教法人が日本国から合法的に安価で入手した土地の処分をめぐる問題として始められなければならない。そのことを換言すれば、明治神宮はみずから起案した再開発事業によって、所有する土地を莫大な開発利益をもって、換金しようとしている。いかにも強欲な宗教団体ではないか。〔完〕