2023年10月10日火曜日

ジャニーズ

  芸能人が歓び悲しみに係る受け答えをする場面をTVでみるとき、彼ら彼女らが本心からなのか、演技なのかを見通すことができない自分がいることに気づく。話題のジャーニーズ問題の記者会見でもそうだった。新しく同事務所の経営者に就任するという、同事務所所属のタレント二人の発言および受け答えだ。この二人は会見前に自らの頭の中に仕込んだセリフを発しているのであって、心のなかから湧き出た言葉で話していないのではないかと。  


 二回目の会見のとき、何度も手を挙げながらも司会者から当てられなかった取材者が怒りの抗議を発したとき、二人のうちの一人は「ルールを守りましょう、子供たちも見ている云々」とアドリブで会場の混乱を鎮めようと、沈痛な表情を浮かべてみせ、そのとき、会場にいた一部の取材者から拍手がわき上がった。「してやったり」と勝ち誇ったような表情を浮かべた彼だったのだが、後日、「NGリスト」とやらの存在が確認され、彼の一世一代のアドリブ(のセリフ)は、残念ながら迷演技、それこそ「NG」に終わった。「生放送」だから撮り直しはきかない。彼は人間性を疑われるまでに、彼のリライアビリティーは失墜してしまったのだ。
   同事務所の創業者ジャニー某は、おぞましい性犯罪者だったのだが逮捕されずにあの世に旅立ってしまった、と筆者は考えている。その罪障が発覚したいま、新会社としてその事業を引き継ごうとする彼ら二人はジャニー某のなにを守ろうとしているのだろうか。彼ら二人は操り人形にすぎないのか。 
 そればかりではない。「芸能レポーター」、日本放送協会を含むTV局、スポーツ新聞社、芸能雑誌社などの「エンタメ業界」周辺の「同業界内の従業者たち」――いまだかれらも、「ジャニーズ」と利益を一にする者たちなのだ。ほぼ半世紀にわたり、彼らはジャニー某の「犯罪」を黙認してきたのだから、いまだジャニーズと手を切ることができないのだろう。 
 もうひとつ、筆者の理解が及ばないのは、「ジャニーズ」を自らの青春に重ねようとする「ファン」の存在だ。この期に及んで、自らの青春を性加害者と性被害者に重ね合わせようとする心情が理解できない。同事務所のタレントに「罪はない」とファンは確信しているのかもしれないが、彼らが受けた心身の傷に思いを寄せることができなければファンの資格はないだろう。いまファンとしてできるのは、ジャニー某を断罪し、被害者に寄り添い、〈ジャニーズ〉および〈自らの青春の黒歴史〉と一刻も早く訣別することしかない。