2024年6月9日日曜日

映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』


映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』(ユーロスペース)をみてきた。

70年代初頭、権力闘争に行き詰まった新左翼が党派間闘争(内ゲバ)を激化する契機となった私刑殺人事件を扱ったもの。樋田毅が著した『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋刊)の映画化である。樋田は殺害された学生とほぼ同時期に早稲田大学生だった。映画の中で関係者の一人として登場している。

映画によると、中核派シンパと目された一人の学生が中核派と敵対する革マル派の一団に拉致監禁され、「おまえは中核派のスパイだ」と恫喝され、「スパイであることを認めろ」と暴行を受け、死に至らしめられた。

当時、革マル派は早稲田大学において、学生自治会を掌握し、大学当局と通じつつ、大学の中に「革マル王国」を築いた。反対派には暴力をもって圧殺をも辞さなかった。

この映画では殺人事件後、革マル派に抗議し、同派の自治会委員長等のリコール運動を展開した複数の学生がテロを受けた体験を映画の中で語っている。革マル派がテロ専門部隊を編成していたこと、テロが計画的で暴力の強度がランク付けされていることなどを語っている。同派に敵対する活動家について、彼らから見た危険度の度合いに応じて、テロの暴力度が高まるということかもしれない。最高ランクが〈死〉である。

そればかりではない。この映画と同じように新左翼学生運動を扱った『きみが死んだあとで』でも中核派と革マル派の内ゲバが扱われており、映画の中で、革マル派に殺害された関西中核派2人の遺体をみた同派幹部は、「明らかに殺人のプロの仕業である」と発言していた。

革マル派とは、殺人テロを「革命のため」という理念で正当化し、自分たちの利に反する団体を「殲滅する」というカルト的革命論を党是とした、まさに反社会的組織なのではないか。

日本の左翼運動史における「革マル派」というセクトについて、その思想、組織、行動の原理をより明らかにする必要があると感じた。そうしなければ、当事者の高齢化とともに、すべてが闇に葬られてしまう。