2026年2月6日金曜日

『対話 日本の詩の原理』

『対話 日本の詩の原理』という戦後詩に係る対論がWEBにて掲載中だ。対話者は批評家の池上晴之氏と詩人の鶴山裕司氏(以下敬称略)で、現在(2026/02/06)まで、26回を数えている。毎回、両者の鋭い分析と見解が戦わされると同時に、豊饒な感性と高い知性が織りなす文学空間になっている。今回は『「凶区』と鈴木志郎康の時代-渡辺武信、天沢退二郎、菅谷規矩雄』が題材だ。この対論は「総合文学ウエブ情報誌文学金魚」の提供とある。 

戦後詩人はどこにいったのか

筆者は現代詩について体系的に読んだことがないしよく知らないので、この対話について論じる文学的蓄積がない。そこで、この対談で触発された筆者の経験を踏まえた雑感を書いてみることにした。 

興味を覚えたのは、鶴山が作成した【「荒地」以降の主要同人誌と所属詩人】という表だった。表にあるように、戦後生まれの詩人をピックアップすると、60年代詩人=佐々木幹郎(昭22年生まれ)、70年代詩人=平出隆(昭25)、稲川方人(昭24)、荒川洋治(昭24)、80年代詩人=朝吹亮二(昭27)、松浦寿輝(昭25)、吉田文憲(昭22)、林浩平(昭29)となる。なかで、筆者が知っているのは佐々木幹郎氏と荒川洋治氏のみ。前者については、中原中也論を読んだほか、ドキュメンタリー映画『きみが死んだあとで』の「きみ」こと山崎博昭と大阪・大手前高校の同期生として映画に出演していたので覚えていた。山崎と佐々木は新左翼党派の(関西)中核派の活動家だった。 

後者は筆者が飲みに行っていた居酒屋の主人の友人で、たまたま居合わせたとき紹介を受けたからだが、話したことはなかった。残念ながら、筆者はご両人の詩を読んだことがない。戦後80年たったいま、鶴山は恣意的選択だとことわってはいるが、主要同人誌と所属詩人のほとんどを筆者が知らない事実に愕然とした。筆者の無教養ばかりではあるまい。おそらく、大衆が詩に興味を失うと同時に市場性を失ったからだろう。

アングラと詩 

1960年代末から1970年代にかけて筆者が新宿で吞んだくれていた時代、アングラ(アンダーグラウンド)と呼ばれた文化活動が新宿各所で行われていて、おおむね500円で缶ビールつきて鑑賞できた。出し物は暗黒舞踏(の真似)、前衛映画(8㎜)、ロック、フォークソング、前衛芝居などだが、必ず行われていたのが自作の詩の朗読だった。紙と鉛筆で自己表現できる詩作は、「1968年革命」と呼ばれる政治運動と並行して若者のあいだでマイナーではなかった。そればかりではない。雑踏に座り込んで自作の詩集を売る詩人がいたものだ。夜の新宿で石を投げれば、自称詩人に必ず当たったはずだ。彼らの多くが同人誌に集い発行していたかどうかはわからないが、いま、彼らの作品を読むことができない。その時代の詩のレベルが低かったというよりも、市場価値がなかったゆえ、あの時代の詩作に係るエネルギーは雲散霧消し、今日の詩の後退を招いたのだと思う。 

詩人はソングライターに代替された 

以下の記述は筆者の思いつきの段階なので、批判もあろうかと思う。現代詩は歌謡の世界にのみ込まれたのではないか――というのが筆者の推論だ。 

60年代後半から70年代、四畳半フォークと呼ばれた大衆歌謡が一世風靡した。それまでの歌謡曲は専門の作詩家が歌詞を書き、同じく作曲家が曲をつくった。ところが、アメリカのプロテスト・ソングの流入とともに、自分で作詩・作曲をして歌うシンガー・ソング・ライターが日本に続出した。もしかしたら、彼らがあの時代の詩作のエネルギーを継承し蕩尽してしまったのではないか、という仮説が立てられないだろうか。

たとえば、「現代詩文庫」に詩集が収録されている友部正人、中原中也の影響を強く受けた友川カズキ、「フォーク・クルセダーズ」解散後、作詞家として活躍した北山修、歌手であり「ディランⅡ」に楽曲を提供した西岡恭蔵らが思い浮かぶ。吉田拓郎、ユーミン、中島みゆき、井上陽水、ソングライターではないが、作詞家の喜多條忠(『神田川』作詩ほか作品多数、元日本作詩家協会会長)、阿久悠、なかにし礼を入れてもいい。 

ふたつの「神田川」


(一)道浦母都子 

神田川流れ流れていまはもうカルチェラタンを恋うこともなき(『無援の抒情』) 

歌人の道浦母都子氏(1947年 ~/以下敬称略)の作である。この短歌のキーワードは「カルチェラタン」で、それが意味するのは、①パリ「五月革命」(1968)の発祥地、②東京神田駿河台の学生街をパリのカルチェラタンのような解放区にしようとした新左翼党派による「神田カルチェラタン闘争」(1968.6)、③海外旅行先として気に入った場所――の3つが考えられるが、道浦の短歌創作の起点となっているのは①②であって、③はまずない。 

道浦の神田川は「1968年革命」当時も、そして、それが終わったいまもかわらず流れる自然(悠久の時間)を引き出す象徴である。道浦は、カルチェラタンすなわち「1968年革命」の高揚や祝祭性を恋うることもなき自分を虚無的に見つめるもう一人の自分を確認する。政治の季節が終わり挫折した〈自己〉が浮かび上がる。5・7・5・7・7の短詩としてすぐれた作品だと思うが、筆者はこの短歌に抒情の深さ・強さを感じとることができない。政治的高揚と挫折を端的に象徴するが、広がりがない。普遍的のようでいて、私的である。時代の感覚が限定的で共感を抱きにくい。 

(二)喜多條 忠


喜多條 忠(1947~ 2021)が作詞した『神田川』は以下のとおり。

貴方はもう忘れたかしら 

赤い手拭いマフラーにして 

二人で行った横町の風呂屋 

一緒に出ようねって言ったのに 

いつも私が待たされた 

洗い髪が芯まで冷えて 

小さな石鹸カタカタ鳴った 

貴方は私の身体を抱いて 

冷たいねって言ったのよ 

若かったあの頃  

何も怖くなかった 

ただ貴方のやさしさが怖かった   ※ 

 

貴方はもう捨てたのかしら 

二十四色のクレパス買って 

貴方が描いた私の似顔絵 

巧く描いてねって言ったのに

いつもちっとも似てないの 

窓の下には神田川 

三畳一間の小さな下宿 

貴方は私の指先見つめ 

悲しいかいってきいたのよ 

※くりかえし 

生活感があって私的のようだが、普遍的である。「1968年革命」に参加した者そうでない者が共有できる世界がえがかれている。高度成長から物質的・精神的を問わず脱落した男女の対話のような独白のような連語――平易で外来語に頼らない自然な言葉の選択に感心する。

※       ※

 短歌と楽曲用に提供された詩を比較するのはナンセンスかもしれないが、喜多条の「神田川」が現代詩の代替として大衆に浸透した代表的作品だと筆者は思わざるをえない。

新宿のアングラ会場で無数に吟じられた詩、そして、雑踏で売られた無数の詩集は、大衆歌謡の世界(市場)に継承され、今日に至っているのではないか、と筆者は思う。〔完〕