2006年2月25日土曜日

『ラングドックの歴史』

●エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ[著] ●白水社 ●951円+税


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サンセルナン寺院
トゥールーズ
筆者撮影
ラングドックとは現在のフランス南西部を指す名称で、オック語という意味。オック語はラテン語起源の言語だが、現在のフランス語の祖語であるオイル語とは異なる。

この地方の最初の定住者については詳らかではないが、中欧起源のケルト民族の支配から始まり、ギリシャ人、イベリア人、ローマ人、ゲルマン人がこの地の支配者となり、今日に至っている。その間、オリエント、エジプト人もこの地を舞台に活躍した。

現在はフランスの一地域だが、古代から中世までは、ローマ教会に同調した北部フランスとは別の民族、言語、文化、宗教を築き、政治経済においても、独立した地位を保っていた。

筆者は“中世のラングドック”に興味を覚えた。その1つが「カタリ派」だ。「カタリ派」とはキリスト教の異端で、この地に勢力を伸ばした。「カタリ派」の教義についてはよく分からない部分も多いのだが、一夫多妻制を堅持していたといわれ、カトリックとはかけ離れた「キリスト教」だったらしい。北部フランスは、ローマ教会と共謀して「アルビジョア十字軍」を組織し、この地に侵攻を企てた。北部フランス=ローマ教会は「カタリ派」を軍事的に制圧・虐殺する。と同時に、同地の地方権力を倒して支配権を確立する。北部フランスの制圧と並行してオック語が後退し、いまのフランス語に近いオイル語が漸次定着していく。

もう1つの私の興味の対象は、この地に花開いた、トルバドゥール(吟遊詩人)の存在だ。吟遊詩人が好んだ素材は、なんと、人妻への思慕――人妻の肉体そのものへの憧憬・恋慕だというから、かなり屈折している。私は現代フランス語も中世オック語も解らないが、吟遊詩人の情念が気にかかった。中世、ラングドックの詩学は、禁欲的なカトリックの土壌からは生まれないものだ。

3つ目の興味はロマネスク美術だ。中世、スペインのガリシア地方に位置するサンチャゴ・デ・コンポステーラで聖ヤコブの遺物が発見された。欧州各地からサンチャゴを目指して巡礼が盛んになると、その経路には、ロマネスク様式の教会、聖堂等が多数建設された。ラングドック地方もその巡礼路に当たり、この地の最大都市トゥールーズにはロマネスクの至宝の1つといわれるサンセルナン寺院が残っている。

さて、こうして見ると、ラングドック文化は豊かで美しいのだが、この地は血塗られた歴史が認められる。「カタリ派」虐殺は前述したとおりだが、中世後期には、この地を舞台に、カトリックとプロテスタントの対立による宗教戦争が繰り広げられたし、18世紀にはフランス革命における王党派と共和派の闘争もあった。

本書はラングドックの通史である。そのため、筆者の興味の中心である中世に限定されたものではない。フランス革命以降、20世紀前半のマルクス主義の台頭と左翼勢力の定着の記述部分もある。ラングドックを知らずして、フランスを語るなかれ・・・といえるのかもしれない。