2006年2月13日月曜日

『末期ローマ帝国』

●ジャン・レミ・パランク[著] ●白水社(文庫クセジュ) ●951円+税

 
本題の『末期ローマ帝国』とは、3世紀末から6世紀末までの300年間をいう。拡大を続けたローマ帝国が没落を迎える時期ではあるが、政治・経済・宗教・文化等の領域で、次代すなわち中世へ橋渡しをする重要なファクターがこの時期に育まれたという見方がある。最も重要なファクターの1つは、ローマ帝国がキリスト教を受容したことかもしれない。帝国の国境付近にはフン族に追われたゲルマン民族が帝国領内への侵入をうかがう。内に外にローマは帝国の存続を揺るがす問題を山積させていた。

ローマ帝国を“ラテン”という一つの概念で括ることはできない。ローマはラテンとギリシアの2つの文化圏の合成であった。キリスト教がローマ支配下のパレスチナで成立したことは常識だが、この宗教が西方に伝播する過程で多大な影響を受けたのがギリシア哲学だった。ギリシア文化の拠点都市として、アレクサンドリア、アンティオキアなどがあった。もちろん、後にローマが東西に分裂し、その一方である東ローマ帝国の首都となった小アジアのコンスタンチノーブルもその1つだ。

さて、領土拡大を続けたローマ帝国が支配地域を統治する制度として、必然的に採用せざるを得なかったのが「四分治制」だった。「四分治制」は293年に発足した。この分割統治の形態が、ローマ帝国分裂の下地となったともいえる。帝国が永遠に繁栄を維持することはできないものなのか。
年表で整理すれば、375年=ゲルマン民族大移動開始、 392年=キリスト教の国教化、 395年= ローマ帝国東西分裂、5世紀初め=ゲルマン人がヨーロッパ各地に建国、476年=西ローマ帝国滅亡、486年= フランク王国建国 、 527年=ユスティニアヌス、東ローマ皇帝に。ユスティニアヌス大帝は、ゲルマン人国家である東ゴート王国、バンダル王国を滅ぼし、以降、東ローマは800年以上存続した。

冒頭に書いたとおり、末期ローマ帝国は混乱と荒廃の時代だったが、筆者はこの時代のヨーロッパに魅力と興味を感じる。世界史の中で、もっともおもしろく、不思議な時代の1つなのではないか。強大な軍事力と統治能力をもったローマが、蛮族と呼ばれたゲルマン人と共存する道をなぜ、みつけられなかったのか。本書読了後もその回答は得られていない。