2006年4月1日土曜日

『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる』

●佐藤幹夫[著] ●PHP新書 ●780円+税

FI2443608_0E.jpg 苦手な日本文学について書く。 筆者は村上春樹の小説のほとんどを読んでいる、熱心な“村上ファン”の一人だが、正直いって、本書を読んで驚いた。たとえば、村上の『羊をめぐる冒険』は、三島の『夏子の冒険』という週刊誌に連載された小説を下敷きにして書かれたものだということを初めて知ったからだ。

また、村上春樹の『ノルウェイの森』の登場人物の一人・小林緑という名前は、なんと三島の『豊饒の海』に登場するジャオ・ピーの恋人・ジンジャン姫のイメージから命名されたものだと。

筆者には著者の指摘の是非を断ずる能力がない。だから、本書を読み進めるたびごとに、“ふぉー”と叫びたくなるほど驚いた。確かに、『羊をめぐる冒険』(村上)にも『夏子の冒険』(三島)にも“冒険”とあるから、村上が三島を下敷きにしたことは確かなことのようだ。著者の指摘は、日本文学を知る人からみれば、驚くに当たらないものなのかもしれないが。

そればかりではない。村上は三島の小説の構造、人物配置、テーマにおいても強い影響を受け、それを発展的に再構築したという。

著者によると、小説家とは自己のイメージを意図的かつ戦略的に創造するものだそうだ。村上春樹の場合、米国に滞在し、米国文学を翻訳し、マスコミを使って、自身がアメリカ的な生活をしているかのようなイメージを与えていて、しかも、雑誌のインタビューで、「自分は、日本文学を読まなかった」と語っているという。

村上の小説に登場するキャラクターそのもの、小道具として使われる音楽、クルマ、ファッション・・・などなど、その小説に設定された衣食住はアメリカ的だ。たとえば、モダンジャズ、ファーストフード、コンビニ(ドラッグストアー)などが小説の舞台であると同時に、記号化されたメッセージになっている。主人公がとる朝食はパン、ハムエッグ、サラダ、コーヒーであり、白いご飯に納豆、味噌汁ではない。村上春樹の文体そのものが「翻訳的」だ。著者によると、村上はあえて日本文学(=三島)の影響を意図的に隠蔽しているのだという。

しかし、どんなに「翻訳的」な日本語であっても、日本語は日本語である。日本がいまから138年前の明治革命以来、欧米文化を積極的に取り入れ、さらに、61年前の大敗戦以来、米国の支配下におかれ米国文化を取り入れてきたにしろ、日本列島に日本人らしき民族が現れ日本語を話し始めてから、何千年のときが経過している。近代日本文学はおそらく、表層の変化と基層の不変の間で揺れてきたに違いない。

本書では三島の『奔馬』と村上の『ダンス・ダンス・ダンス』の類似性の指摘を分析した後、その差異として、『奔馬』には決起行動(革命)、すなわち、腐敗、不正義に対する「闘い」が渇望され、一方の『ダンス・ダンス・ダンス』には高度資本主義社会すなわち無駄で無意味で幻想的なものとの「闘い」の可能性が探られているという。

三島も村上も「闘い」を描きながら、両者には闘いの「相手」、闘いの「質」、闘い「方」に大きな隔たりがあるというわけだ。三島の晩年は政治の季節だった。村上の登場は、学生運動が終息しマルクス主義が後退した時代だった。

さて、著者は、志賀直哉、太宰治、三島由紀夫、村上春樹を一本の糸でつなぐ可能性を試行している。それが可能かどうかはわからない。可能・不可能というよりも、日本文学が日本語で書かれる以上、近代以降の小説家に基層の共同性を認めることは難しいことではない。村上が三島の小説の影響下で小説を書いた、という指摘も大いにあり得る。

日本の小説は、日本語で書かれる散文形式の1つ。時々の日本の小説には、過去現在の日本人小説家の互いの影響により、成立している。そこに換骨奪胎、本歌取り・・・が意識的にか無意識的にか行われることもあるし、日本の知識人の問題意識が意識的かつ無意識的に共有されることもある。結論は、“だからどうなんだ”ということ。