●荻野矢慶記〔著〕 ●中公新書 ●1000円+税
ギリシャという国は、高校の世界史では古代文明の箇所で華々しく登場するものの、ローマ帝国の成立後、その記述から忽然と姿を消してしまう。ヨーロッパにおいて、古代、中世、近世のギリシャをイメージすることは、わが国の高校世界史においては、およそ不可能な状況にある。
学校が教える世界史は、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)がギリシア人の帝国であることを明記しない(少なくとも、筆者にはそう教えられた記憶がない)。最盛期におけるローマ帝国の東半分の実態というのがわからないまま、高校生は、ローマ帝国の分裂、西ローマ帝国の滅亡を学習し、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の成立を表層的に学ぶにすぎない。
ビザンチン帝国(東ローマ帝国)とは395年にギリシャ人がつくった強大な帝国であり、その滅亡を1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノーブル征服とみなすと、極めて息の長い帝国だったことに驚く。
にもかかわらず、ビザンチン帝国を世界史において軽視する傾向は、西欧偏重の歴史学が日本の教科書執筆者に与えた悪しき影響の1つと想像することができる。帝国の国家機構、軍事力、宗教は、同時代の西欧とは一線を画していた。皇帝に集中した権力のあり方、そして、東方教会が果たした役割は、西欧中世の封建制とは異なっている。そうしたビザンチン帝国の詳細は、歴史教科書に載っていない。
帝都・コンスタンティノーブルはトルコ人による小アジア進出、オスマン帝国の建国とともにイスタンブールと改名され、いまはトルコ人がつくったイスラム国家の面影を伝えている。ビザンチン帝国(東ローマ帝国)がつくりあげたビザンチン文化は、東欧・ロシア等の周辺国にその名残を留め、西欧とは趣を異にする、いかにもローカルで異端のようなイメージを与える。
ビザンチン帝国は西ヨーロッパ、地中海世界、オリエント、アジアにどのような影響を与えたのだろうか。この大きな設問に回答できる力量は、もとより持ち合わせていないものの、ビザンチン文化が、カトリック、ルネサンス、宗教改革、市民革命、産業革命へと進む世界史の「正史」とまったく隔たった存在であるとも思えない。
ビザンチン帝国は、成立後のある期間、偶像崇拝を厳しく禁止した。ところが、偶像崇拝を禁ずる聖書の原理主義が帝国に定着することはなかった。むしろ、偶像崇拝禁止令の解除ののち、東方教会においては、それまで以上にイコン制作が盛んになった。
イコンの技法は、ルネサンス以降の宗教画とは異なる。西欧の宗教画はルネサンスを境に、遠近法を取り入れた。遠近法は、ルネサンス期の大発見の1つであり、写真のような宗教画の誕生は、近代に通じる扉の1つでもあった。
その一方、ギリシャ、東欧、ロシアでは、依然として遠近法を無視したイコンをつくり続けた。東方教会のイコンはルネサンス以降の西欧のキリスト教絵画と比較して、稚拙で非科学的かつ野蛮に見えるかもしれないが、イコンのもつ力強いタッチから、そこに東方教会の影響下に暮らす人々の信仰のパワーを感じないだろうか。遠くにあるものを小さく描く必要などない、心の中に大きな比重を占める存在は、遠くにあっても大きく描くべきだ――そう思わないだろうか。だから、イエスキリストに係る物語を絵画で表現するとき、遠近法で描く必要はない。描く者と描かれる対象が分離したとき――信仰と絵画も分離したのである。ルネサンス以降、宗教絵画は滅びた。
さて、本書はギリシャ観光の目玉となる遺跡等の名所、街並みの写真とエッセーである。パルティノン神殿に代表される古代文明、ビザンチン帝国の遺産、オスマントルコの影響、そして今日まで続く、ギリシャの豊饒の歴史をうかがい知ることができる。15世紀、ビザンチンの帝都コンスタンティノーブルはイスラムの手に落ちたけれど、ギリシャ各所には帝国の名残がいくらでも残っている。本書を手にすれば、高校の世界史から忽然と消えた幻の帝国の面影を取り返すことができるかもしれない。もちろん、ギリシャに出かけて、自分の目で確かめることのほうがよい。
(2007/03/19)