●池田健二〔著〕 ●中公新書(中央公論新社) ●1,000円(+税)
ロマネスク芸術とは、11~12世紀、北方ノルマン人・イスラム勢力の侵入が沈静化しようやく秩序を回復した西欧社会に花開いた芸術様式をいう。ロマネスクとは、“ローマ風の”という意味だが、ローマ芸術の復興を意味するものでもなければ、キリスト教芸術の全面的開花という説明でおさまりきれる様式でもなかった。
ロマネスクは、中世前期西欧が、(一)キリスト教信仰と西欧の基層であるケルト、ゲルマンの異教的・前キリスト教信仰が並存していたこと、また、その一方で、(二)東方・イスラム文明との接触という、空間的拡大を獲得していたこと、――を今に伝えている。
ロマネスクがキリスト教の信仰拠点である教会・聖堂・修道院等を表現の場として花開いた芸術様式でありながら、西欧キリスト教世界を空間的・時間的に越えたところに大きな特徴があるのであって、この特徴こそ、中世前期の西欧世界においては、キリスト教が絶対的かつ単一的宗教権威でなかったことを傍証するものである。
前出のとおり、ロマネスク芸術を滋養した場所は、まさしくキリスト教だった。教会・聖堂等のファサード部分のタンパン回廊の柱頭・壁面に施された浮彫、天井部分に描かれたフレスコ画、写本などがロマネスク芸術の表現物だった。ロマネスクはキリスト教の布教を制作目的とした。文字が普及していない中世前期においては、キリスト教を布教しようと思えば、まずは口頭による説教に依拠しただろう。その後、教会建立が進むにつれて、聖書の一節、聖人の奇跡等を民衆に示すための布教装置として、浮彫、絵画等が用いられた。そうして、ロマネスク様式がキリスト教布教の流れとともに、西欧一帯を席巻した。
ロマネスク芸術が制作された当時、西欧においては、聖遺物信仰と聖遺物を保有する教会を巡る巡礼が盛んだった。スペインのサンチャゴ教会は、聖人ヤコブの骨を遺物として保有することで民衆の信仰を集め、巡礼の終着地点として発展した。サンチャゴ教会の巡礼に向かう巡礼ルートはフランスのパリを基点としたものがあり、本書に紹介されたフランスのロマネスク芸術は、巡礼地を結ぶ交通の要衝に建立された巡礼路教会のものが多い。
さて、本書では、フランスのブルゴーニュ、オーヴェルニュ、プロヴァンス、ラングドッグ、ルシヨン、リムーザン、ポワトゥー、ベリー、の8地方のロマネスク教会が紹介されている。それぞれに地方並びにその地のロマネスク教会及びそれぞれのロマネスク芸術がもつ宗教的意図の解説が施され、ロマネスク入門書として最もわかりやすいものの1つだろう。
ただ、ロマネスクと西欧の基層信仰とのかかわりについて、まったく言及していない点に不満が残る。本書の対象地域であるフランスは古代ガリアと呼ばれ、ケルト人の支配地域だった。本書にも紹介されている、ベリー地方・オルレアン郊外のサン・ブノワ・シュル・ロワール修道教会の柱頭に施された異形の神像は、先住のケルト民族の信仰が
キリスト教に習合したことを証明するものとして、よく知られている。口から伸びている植物の長い茎から、この像はケルトの神・ケルヌーノスであると推測されているのだが、本書ではそのような紹介がない。
また本書には紹介されていないが、フランスを代表するキリスト教の聖地・モンサンミッシェルやサンドニ教会の一部にもロマネスク装飾が残されていて、このいずれもが、ガリア人の聖地だったことが知られている。 (2008/04/06)