2010年8月1日日曜日

『ポストモダンの共産主義-はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』

●スラヴォイ・ジジェク[著] ●ちくま新書 ●900円(税別)

本書は、1968年の反乱の再来を熱望するような、原理主義的マルクス・レーニン主義に基づく革命論ではない。であるから、本書にそのような期待を寄せて読めば、裏切られるだろう。暴論すれば、著者(スラヴォイ・ジジェク)の立場は、「反マルクス・レーニン主義」でさえあり、「1968年」革命を徹底的に批判するところから、コミュニズムの(けしてマルキシズムではない)再生を提言するものだといえる。

副題にある、“はじめの悲劇”とは「9.11同時多発テロ」(2001年)を、そして、“二度目の笑劇”とは、2008年に起きた、世界的金融大恐慌をさす。21世紀の最初の10年のはじまりとおわりに起きた衝撃は、フランシス・フクヤマのいう「歴史の終わり」、すなわち、リベラル民主主義と資本主義経済ユートピアの崩壊にほかならない、というのが著者(ジジェク)の基本的現状認識である。換言すれば、本書は、リベラル民主主義とポストモダン資本主義に対する闘争宣言である。では、ポストモダン資本主義とは何なのか。

著者(ジジェク)は、ポストモダン資本主義について、『資本主義の新たな精神』(リュック・ボルタンスキー、エヴ・チアベッロ[著])を手掛かりにして次のように説明する。ボルタンスキーとチアベッロは、資本主義の3つの連続した精神を――
  • 第一期:起業家の精神と表現し、資本主義の始原から1930年代の大恐慌まで続いた時期
  • 第二期:大企業から給与をもらう立場の取締役が理想=プロテスタンティズムの倫理による資本主義から「組織人」による企業経営の資本主義への移行と相似の時期
  • 第三期:資本主義は生産工程におけるフォーディズム的階級構造を廃していき、代わりに、職場の従業員の主導と自主性のもとに築かれた、ネットワーク型の組織形態を発展させた時期
こうして、資本主義は平等主義のプロジェクトとして是認される。そうやって、自己創出的な相互作用と自己組織化を強めつつ、極左のお得意のフレーズ「労働者による自主管理」までを奪い取って、このアンチ資本主義のスローガンを資本主義のものに変えてしまったのだと。

消費レベルにおける「文化資本主義」もその現われである。いまわれわれが商品を買うのは、利便性のためでも、地位の象徴としてでもない。商品が提供する経験を得るため、生活を楽しく有意義なものにするためである。そのことを本書では、ラカンの三つの「界」、すなわち、〈現実界〉としての、直接の利便性、〈象徴界〉としての、地位、〈想像界〉としての、楽しくて有意義な経験――の連想に照応させる。

さらに、デジタル資本主義である。この事項については、長文になるが、本書から引用する。
資本主義の新たな精神に呼応してか、社会主義が保守的、序列的、管理的に見えるようイデオロギー・歴史の物語全体が構築される。すると、68年の教訓は「さらば社会主義」ということであって、真の革命とはデジタル資本主義である。このこと自体が、68年の反乱の当然の帰結にして「真実」なのだ。もっと過激に表現すれば、68年の一連の出来事は「パラダイム・シフト」の格好の例として銘記される。
ここには神経科学における脳モデルと、社会の支配的イデオロギーのモデルとの相似が見て取れる。今日の認知科学と「ポストモダン」資本主義とは紛れもなく共振している。例を挙げれば、ダニエル・デネットが〈自己〉を措定するにあたり、「デカルト劇場」という意識の中央処理装置の概念から、複数の競合する自己創出的相互作用という発想へ移行させたことは、中央集権支配・計画がネットワーク・モデルへ移行することと、シンクロしていないだろうか?したがって脳が社会化されるだけでなく、社会もまた脳内で自然化されるのだ。・・・(略)・・・脳の意識が資本主義の精神とすっかり同一化してしまうことを避けるために、何をなすべきか?
『マルチチュード』の共著者マイケル・ハートとアントニオ・ネグリまでがこの相似を裏付ける。中心となる〈自己〉の不在を脳科学が教えているように、自ら統治するマルチチュードの新しい社会は、主導する中央集権なしの相互作用体のパンデモニズム(混沌状態モデル)としての自我という、現代認知科学の発想へと接近するだろう。ネグリの考えるコミュニズムが、不気味なほど「ポストモダン」のデジタル資本主義と似てくるのも無理もない。(P98)
  ポストモダン資本主義への移行は、「1968年革命」――先進資本主義国家において発生した反乱を境界として開始された。1968年の反乱を肯定的に評価する潮流は日本の言論思想界にも存在するし、一連の運動の継続的発展を志向するグループもある。しかし、著者(ジジェク)は、「1968年」を以下のとおり批判する。
(ポストモダン資本主義への)イデオロギーの移行は、1960年代の反乱(68年パリの5月革命からドイツの学生運動、アメリカのヒッピーに至るまで)の反動として起きた。60年代の抗議運動は、資本主義に対して、お決まりの社会・経済的搾取批判に新たな文明的な批判をつけ加えていた。日常生活における疎外、消費の商業化、「仮面をかぶって生きる」ことを強いられ、性的その他の抑圧にさらされた大衆社会のいかがわしさ、などだ。
資本主義の新たな精神は、こうした1968年の平等主義かつ反ヒエラルキー的な文言を昂然と復活させ、法人資本主義と〈現実に存在する社会主義〉の両者に共通する抑圧的な社会組織というものに対して、勝利をおさめるリバタリアンの反乱として出現した。この新たな自由至上主義精神の典型例は、マイクロソフト社のビル・ゲイツやベン&ジュリー・アイスクリームの創業者たちといった、くだけた服装の「クール」な資本家に見ることができる。・・・(略)・・・1960年代の性の解放を生き延びたものは、寛容な快楽主義だった。それは超自我の庇護のもとに成り立つ支配的なイデオロギーにたやすく組み込まれていった。・・・(略)・・・今日の「非抑圧的」な快楽主義…の超自我性は、許された享楽がいかんせん義務的な享楽に転ずることにある。こうした純粋に自閉的な享楽(ドラッグその他の恍惚感をもたらす手立てによる)への欲求は、まさしく政治的な瞬間に生じた。すなわち、1968年の解放を目指した一連の動きの潜在力が、枯渇したときだ。
この1970年代半ばの時期に、残された唯一の道は、直接的で粗暴な「行為への移行」――〈現実界〉へおしやられることだった。・・・(そして、)おもに3つの形態がとられた。まず、過激な形での性的な享楽の探求、それから、左派の政治的テロリズム(ドイツ赤軍派、イタリアの赤い旅団など)。大衆が資本主義のイデオロギーの泥沼にどっぷりつかった時代には、もはや権威あるイデオロギー批判も有効ではなく、生の〈現実界〉の直接的暴力、つまり、「直接行動」に訴えるよりほかに大衆を目覚めさせる手段はないと考え、そこに賭けた。そして、最後に、精神的経験の〈現実界〉への志向(東洋の神秘主義)。これら三つに共通していたのは、直接〈現実界〉に触れる具体的な社会・政治的企てからの逃避だった。(P99~103) 
 
「ポストモダン」資本主義の出現について、著者(ジジェク)は、1968年の抗議行動とは、資本主義の三本柱(とされたもの)に対する闘争だったと規定する。三本柱とは、①工場、②学校、③家庭、である。しかし、この各領域はのちに脱工業化型へ変容を遂げた。工場は外注化され、ポストフォーディズム的な非階層・双方向型共同作業に改編されている。学校は、公的義務教育に代わって私的でフレキシブルな終身教育が増え、伝統的な家庭に代わって多様な性的関係が生じている。

1968年に抗議行動を起こした新左派は、(日本の新左翼の場合は政治的に敗北したが、欧米においては、)まさに勝利の瞬間に敗北した。目前の敵は倒したものの、いっそう直接的な資本主義支配の新しい形態が出現したのである。「ポストモダン」資本主義においては市場が新たな範囲に、教育から刑務所、法と秩序などの国家の特権とされた領域にまで侵食した。社会関係を直接に生産すると称揚される「非物質的労働」(教育、セラピーなど)が、商品経済の内部で意味を持つことを忘れてはならない。これまで対象外とされていた新しい領域が商品化されつつある。日本の場合も同様に、新左翼の思想的傾向の多くが、新たなシステムや消費トレンドに包摂されていった。そのことを踏まえ、著者(ジジェク)は、マルクスの一連の概念の大幅な修正を試みる。マルクスは「一般知性」(知識と社会協働)の社会的側面を無視したので、「一般知性」自体が私有化される可能性まで予見できなかったのだ。この枠組みのなかでは古典的マルクス理論でいう搾取はもはや存在しえないから、直接の法的措置という非経済的手段によって搾取がおこなわれていることになる。
(ポストインダストリアル資本主義では、)搾取はレント(超過利潤)の形をとる。ポストインダストリアル資本主義は「生成する超過利潤」に特徴づけられる(カルロ・ヴェルチュローネ)という。つまり、市場で「自然」発生しない条件を課すための直接権限=超過利潤を引き出す法的条件が必要になる。ここに「ポストモダン」資本主義の根本的「矛盾」がある。理論上は規制緩和や、「反国家」、ノマド的、脱領土化を志向しながらも、「生成する超過利潤」を引き出すという重要な傾向は、国家の役割が強化されることを示唆し、国家の統制機能はこれまで以上にあまねく行きわたっている。活発な脱領土化と、ますます権威主義化していく国家や法的機関の介入と共存が、依存しあっている。
したがって、現代の歴史的変化の地平に見えるものとは、個人的な自由主義と享楽主義が複雑に張り巡らされた国家規制のメカニズムと共存する(そして支えあう)社会である。現代の国家は、消滅するどころか、力を強めている。富の創出に「一般知性」(知識と社会協働)が果たす役割が重く、富の形式が「生産に要した直接労働の時間とつりあわなく」なってきたら、その結果は、マルクスが予期していた資本主義の自己解体ではなく、労働力の搾取によって生じる利潤から、この「一般知性」を私有化して盗みとる超過利潤への漸進的・相対的な変化である。(P238~239)
著者(ジジェク)は、なぜ、多くの人がビル・ゲイツ(マクロソフト社)の製品を買っているのか? と読者に問う――“それは競合他社より低価格の優良ソフトを製造しているからではない。マイクロソフト社がほぼ世界標準化し(事実上)業界を独占して、ある意味、自身を「一般知性」化できたからだ”という。

(マイクロソフト社は、)「一般知性」の特殊形態に、何百万人という知的労働者を参加させて得たレント(超過利潤)をくすねてきたからだ。現代の知的労働者はもはや労働の客観的諸条件から切り離されていない(PCの自己所有など)、すなわちマルクスのいう資本主義の「疎外」とは無縁である、という。だが、根本的には知的労働者は、自らの仕事の社会領域、「一般知性」から分断されたままだ。なぜなら「一般知性」は私的資本によって提供されているのだから。(P240)
そして、著者(ジジェク)は、現代の先進国に出現した、「三つの主な階級」について説明する。生産過程の三要素――①知的計画とマーケティング、②物的生産、③物的資源の供給――は独自性を強め、各領域に分かれつつある。

この分離が社会に影響した結果、現代の先進国に、(一)知的労働者、(二)昔ながらの手工業者、(三)社会からの追放者(失業者、スラムなど公共空間の空隙の住人)を形成したという。そして、(一)は普遍者に相当し、開放的な享楽主義とリベラルな多文化主義を、(二)は特殊性に相当し、ポピュリズム的原理主義を、そして、(三)は追放者として、より過激で特異なイデオロギー、をそれぞれ、もつに至るという。

そして、三分割プロセスの結果として、社会生活が、三分派の集結する公共空間が、ゆるやかに完全に解体されていく。この喪失を補完するのが各派の「アイデンティティ」政治である。集団の利益を代弁する政治は、各派ごとに特殊な形態をとる。それは、(一)知的労働者の多文化アイデンティティ政治、(二)労働者階級の退行性のポピュリズム的原理主義、(三)追放者の違法すれすれのグループ(犯罪組織、宗教セクトなど)、である。これらの共通するのは、失われた普遍的な公共空間の代わりに、特殊なアイデンティティをよりどころとしていることだ。

著者(ジジェク)はもちろん、三分割されたプロレタリアートの団結を求めている。だが、“新たな「ポストインダストリアル」資本主義の状況において、労働者階級の三つの部分の団結は、すでに勝利である。しかし、この団結は、これを歴史のプロセスの「客観的傾向」であると規定する「大文字の他者」に保証されるものではない”といい、ここでも俗論的「史的唯物論」に警鐘を鳴らす。

本書の結びに、「われわれこそ、われわれが待ち望んでいた存在である」という唐突なスローガンが掲げられる。

“未来はヘーゲル主義にある。人類を待ちうける唯一真実の選択肢(社会主義とコミュニズムのあいだの道)は、ふたつのヘーゲル主義のあいだの道でもある”という。

その一つは、ヘーゲルの「保守的」な見方=「アジア的価値観をもつ資本主義」、すなわち、階級組織化され、管理する「公僕」と伝統的な価値観をもつ強大な権力国家に統制された、資本主義市民社会(=現代の日本、リーカンユーがつくったシンガポール、そして、中国)であり、もう一つは、ヘーゲルのみたハイチ革命である。

ハイチ革命(1791 – 1804)とは、西半球で起こったアフリカ人奴隷の反乱の中でも最も成功した革命ともいわれる。これにより、自由黒人の共和国としてハイチが建国された。革命が起こった時、ハイチはサン=ドマングと呼ばれるフランスの植民地であった。この革命によって、アフリカ人とアフリカ人を先祖に持つ人々がフランスの植民地統治から解放されただけでなく、奴隷状態からも解放された。奴隷が世界中で使われていた時代に多くの奴隷の反乱が起こったが、サン=ドマングの反乱だけが成功し、全土を恒久的に解放できた。フランス革命で「自由、平等、博愛」を掲げたフランス人は、海外では植民地において奴隷を使役し、自由を抑圧していたのだ。著者(ジジェク)は、バック=モースを引用して、「普遍的人間性が境界でみられる」ことを以下のとおり説明する。
人類の普遍性はむしろ、多様な異なる文化を対等に扱った集団的文化属性を介して間接に認識されるというよりも、歴史の裂け目に生じた出来事に現れる。自分のもつ文化の緊張を限界まで高めた人たちが、歴史の断絶面において限界を超越した人間性を表す。そしてこの人たちの言い分を理解できそうなのは、彼らの未熟で自由で傷つきやすい状態に私たちが同化しているときだ。文化の差異にかかわらず、共通の人間性は存在する。特定の集団に帰属しないでいることが、普遍的・道徳的情操を、現代の情熱と希望の源を引きつけうる、隠された連帯を可能にする。(P188)

前出のとおり、フランス革命(1789年)は、ハイチに波及した。当時の西欧知識人は、ハイチ革命について情熱をもって受け止めたという。その中の1人ヘーゲルがハイチ革命にみたものとは、“社会ヒエラルキーの「私的」序列に定位置を欠く、つまり社会的身体の「器官なき部位」であるがゆえに、普遍性を体現できる集団”であった。
正当なコミュニズム革命の熱狂は、この「器官なき部位」と単独的普遍性という立場との完全な一致に、無条件に根ざしている。(P206)
以下、著者のコミュニズム運動に対する見解を引用しておく。
もしかして解決は、そこで過去のすべてが清算されるという象徴的な〈最後の審判〉の幻想などを伴わない、終末論的な期待にあるのかもしれない。(P244)
新しい運動を起こすことよりも、現在支配的な運動を中断させること。これが今日あるべき政治活動のすることだ。(P244~245)
歴史は直線的に発展するという見方の内側では考えられないこと、それは、自らの可能性を過去に遡って開く選択または行為という概念である。もちろん、ここでいう過去とは、現実の過去ではなく〈SFじゃあるまいし〉、過去の可能性(正式な用語でいえば、過去についての様相命題の価値)である。(P246~247)
未来はわれわれの過去の行為から偶然に生みだされるが、その一方で、われわれの行為のありかたは、未来への期待とその期待への反応によって決まるのである。(P247)
真実の行為とは、われわれがそれについて充分な知識をもっている明白な状況への戦略的な介入などではない。逆に真実の行為こそが知識の空隙を埋めるのだ。この考察は、当然ながら「科学的社会主義」――科学的知識に導かれる解放のプロセスという概念を根底からゆさぶるものである。(P249)
そこで、著者(ジジェク)は、20世紀の左派が待望した、哲人王、哲学を学んだ統治者という考えとは決別すべきであり、くじによる選定こそ唯一真の民主主義的選択であるという、柄谷行人の提唱するプロレタリア独裁の形式を重んじる。そして、同様に左派がこれまで依拠してきた、「直接」参加型民主主義=ソヴィエト=評議会を否定する。
「われわれこそ、われわれが待ち望んでいた存在である」これこそ、待望久しいラディカルな社会改造を起こさせる新たな革命行為者の到来を待ち焦がれていた、左派知識人たちに対する唯一の回答である。(P251)
「歴史は人類の味方」だった古典派マルクス主義(プロレタリアートが全人類の解放という宿命的な使命を果たす)とは対照的に、現代では〈大文字の他者〉はわれわれの敵であると位置づけられている。歴史的発展の内なる強制力は、そのまま放っておけば、大惨事へ、破滅へと向かっていく。そのような災厄をくい止められるのは、純粋な主意主義、つまり歴史的必然に対抗する自由意志だけだ。(P254)
今日、アメリカからインド、中国、日本まで、中南米からアフリカまで、中東から東西ヨーロッパまで、世界中で第二、第三のクラフチェンコが登場してきている。そして支配者がもっとも恐れるのは、この人たちの声が互いに響きあい、支えあい、連帯していくことだ。破滅へ向かいつつあると認識しながらも、彼らは、いかなる困難にも立ち向かう覚悟を固めている。20世紀のコミュニズムに幻滅して「そもそもの始まりからはじめ」、新しい土台の上にコミュニズムを再構築している。敵からは、危険なユートピア主義者とけなされながらも、いまなお世界の大半をおおっているユートピア的な夢から実際に目覚めたのは彼らだけだ。20世紀の〈現実に存在した社会主義〉へのノスタルジーではなく、彼らこそわれわれ唯一の希望である。(P257)
※クラフチェンコとは、1944年にソ連から米国に亡命した外交官。回想録『私は自由を選んだ』を書いた。彼の本は、スターリニズムの恐怖、強制された集産主義とウクライナの大飢饉が詳述されている。

最後に、著者(ジジェク)は、コミュニズムへの回帰を呼びかける。
キリスト教世界では、自堕落な暮らしを送った人たちが年老いてから安全な避難所である教会に戻り、神と和解して天に召されるのは、かつては普通のことだった。同様のことが現代の多くの反コミュニスト左派にも起っている。晩年を迎えて、下劣な裏切りの人生ののちに、コミュニズムの〈大文字の概念〉と和解して天に召されたい、と望むのだ。後年になっての転向は、昔のキリスト教徒と同じメッセージを送っている。むなしい反抗に人生を費やしてきたが、心の奥底ではずっとそれが真実だと知っていたということだ。

クラフチェンコのような偉大な反(アンチ)コミュニストでも自分の信ずるところはある意味で戻れるのだから、今日のわれわれのメッセージはこうあらねばならない。恐れるな、さあ、戻っておいで! 反(アンチ)コミュニストごっこは、もうおしまいだ。そのことは不問に付そう。もう一度、本気でコミュニズムに取り組むべきときだ!(P258)

スラヴォイ・ジジェクは1949年スロヴェニア生まれ。日本でいう「団塊の世代」に属している。ジジェクが旧ユーゴスラビアでどのようなコミュニズム運動を体験してきたかは不勉強のため知らない。だが、ここで彼が“戻っておいで!”と呼びかけている相手は、日本における「団塊の世代」の者たち、あの「1968年革命」の経験者たち、のように思えてならない。