このたびの歌舞伎役者「殴打事件」に係る報道のあり方は、日本の権力・管理機構が行使する、“犯人づくり”のパターンを踏襲しているように思われる。この事件の当初の報道について筆者は、「松本サリン事件」のときの誤認逮捕を思い出した。あのときの報道とよく似ている。しかし、このたびの事件の最大の謎の一つは、歌舞伎役者と暴走族グループとの関係、彼らはどのような間柄なのか、ということに尽きる。
○「まちの喧嘩」に警視庁が捜査
歌舞伎役者が泥酔して引き起こした喧嘩、揉め事であるにもかかわらず、マスコミ、歌舞伎業界、警視庁が共同して、歌舞伎界の「人気者」を守ろうとしたような気配が感じられた。だが、その思惑は外れたように思う。三者共同の情報操作は失敗し、マスコミ報道の流れは変わった。ある企業は、アルコール中毒の疑いのある、事件当事者の一人・歌舞伎役者の出演するCMを中止した。当然である。市場の判断に淀みはない。市場はこの事件の背後の闇に気がついている。
当局は歌舞伎業界の「証言」を検証なしに受け入れ、警視庁が捜査を担当した。そして、当局、歌舞伎業界の意を受け、マスコミは一方的に「犯人」のおどろおどろしいイメージを報道し広汎に流布させた。TV、新聞、雑誌等の芸能マスコミが仕立て上げた“犯人像”は、以下の通り――六本木界隈を暴れまわるギャンググループに属している凶暴な性格の青年。外国人とのハーフ、プロサッカーのユースに所属していたが、途中で選手になることを諦め、暴走族に入会、そして・・・というようなものだった。
六本木、西麻布界隈には、暴力団予備軍のようなギャンググループが複数結成されていて、芸能人、外国人に絡んで暴行に及んだり金銭を巻き上げたりしているといわれる。おとなしく酒を飲んでいた歌舞伎役者が、いきなり、そのような輩に絡まれ、暴行を受け、商売道具の顔に重症を負った。これは大事件、犯人を逮捕しろ・・・というわけで、警視庁がその青年の逮捕状をとった。
○マスコミはなぜ、アル中・歌舞伎役者を善良な「被害者」と報じたのか
ところが、事件の詳細が関係者の証言で分かりかけてきた。どうも、重症を負ったとされる歌舞伎役者が深夜、飲食店で泥酔した挙句、立ち回りを演じたようだ。このたびの事件は、まちの喧嘩にすぎない。喧嘩両成敗が妥当だろう。ところが事件後、前出の通り、マスコミは、歌舞伎役者が一方的に暴行を受けたかのように報道し、警視庁が出動し、暴行したとされる青年に逮捕状が出た。
その間、その青年の身体的特徴や父親の国籍等の属性がマスコミを使って流された。そこには、“凶悪なギャンググループ”が歌舞伎役者を襲撃したかのような印象を人々に与えようとする意図が感じられた。当コラムにて既に書いたように、マスコミは、その青年の人権を著しく侵害した。
歌舞伎役者~当局~マスコミの3者が共同して、喧嘩相手を「傷害犯」に仕立て上げ、泥酔歌舞伎役者の愚行を隠そうとした疑いが濃い。
○当局が歌舞伎役者から事情聴取をしないのはなぜか
警視庁は、「被害者」である歌舞伎役者の容態が悪く、事情聴取ができないと発表したようだが、12月2日に放映された某TV局のスクープ映像によると、歌舞伎役者は、スエットのようなズボンに白い半そでのTシャツ1枚、12月初旬ながら気温17度前後の暖かい日とはいえ、当局の事情聴取を受けられない「重病人」の装いではない。
顔にはマスクをつけ、薄いブルーのニット帽姿で、プラスチック製とみられるベンチを両手で軽々と持ち上げて、4メートルほど先の日だまりへ運んだ。事件で負った全身打撲の影響はない。白衣を着た、担当医師と思われる人物と談笑し、単行本のような書物を読んでいた。先月29日に左ほおの陥没骨折など顔の整復手術を受けた跡が気になるのか、時々マスクをはずし手で左のほおをなでるしぐさも見せた。医師と談笑はできても、当局の事情聴取には応じられないというわけか。当局は有名人を優遇するのか。
警視庁は、歌舞伎役者を「被害者」として入院させ、「被害者」である歌舞伎役者に対して、○○に係る検査をせず、××が体内から抜ける時間を与えたとも想像できる。
○まちの喧嘩にどうして警視庁が大勢の人員を投入するのか
繰り返すが、このたびの事件はまちの喧嘩。せいぜい喧嘩両成敗、示談でいい。交番詰めの警察官が2~3名事件当夜にかかわれば充分な事案である。ところが、警視庁は事件発生から事件現場を封鎖し、鑑識はじめかなりの人員を投入している。愚かである。税金がもったいない。
警視庁は多くの未解決事件を抱えているのではないのか。そのなかには、人命が奪われた凶悪犯罪がかなりの件数含まれているのではないのか。泥酔した歌舞伎役者が引き起こしたまちの喧嘩ごときに、多数の人員を割く余裕があるのか。
警視庁は注目される事案、有名人がかかわったものを特別に扱うのか。有名人は特別扱いなのか。歌舞伎が日本の伝統芸能だからか。それとも・・・
○逮捕状の出た青年はなぜ、出頭しないのか
逮捕状の出た青年を警視庁が逮捕しない理由はわからない。マスコミ報道では、行方がわからないとされているが、それを信じる人はごく僅かだろう。
筆者は、「被害者」とされる歌舞伎役者側と加害者とされる側=「逮捕状」が出た青年の間で、なんらかの交渉が行われているものと憶測・推測する。当局も、交渉の時間を両者に与えているのではないか。今後、歌舞伎役者側が被害届を取り下げ、示談とするかどうかが注目される。
○裁判になれば、歌舞伎役者の「過去」と「事件当夜」のすべてが明らかにされる
歌舞伎役者側が被害届を“無条件”で取り下げると、この歌舞伎役者が当夜行ったことすべてが暴露されてしまう可能性が残ってしまう。歌舞伎役者にとって、公開されると困る情報を、「加害者」側が握っている可能性が高いからだ。「加害者」側がマスコミに事件の顛末を話し、彼らが保有している情報が公開されると、役者側にとって失うものが、甚大すぎるのではないか。
いまのまま、被害届を受理した当局が「加害者」を逮捕し起訴すれば、公判となり、役者側の事件当日の言動はもちろんのこと、過去の言動のすべてが法廷にて、暴露されることになる。筆者が加害者とされる青年の弁護士ならば、当該歌舞伎役者が当夜にとったすべての言動・行動を明らかにする。関係者すべての証言、証拠写真等を弁護側証拠として法廷に提出し、歌舞伎役者の「非」を傍証する。つまり、本件が一方的傷害事件ではなく、歌舞伎役者が泥酔して起こした結果=喧嘩となった必然性を傍証する。
簡単にいえば、本件が役者の挑発によって起こされた“喧嘩”であったと主張する。事件当日、本件を目撃した者にとどまらず、過去において、歌舞伎役者が泥酔してとった愚行の数々を知る者を弁護側証人とし出廷させ、一部始終を証言させる。
加えて、当夜の行動の一部を撮影した映像等があれば、それも弁護側の証拠として、裁判所に提出する。かかる複数の証言、証拠は、歌舞伎役者が一般市民ならば持ち合わせているはずの常識をわきまえない人物であること、一般人とかけ離れた人物であること、を明らかにすることだろう。
そのとき、歌舞伎役者側に立つ検事は、逮捕した青年の過去をもって、いかに凶暴な性格であったかを傍証するだろう。しかし、そのことが世間に知れ渡ったとしても、その青年が失うものは何もない。
○歌舞伎役者と「ギャンググループ」との関係
筆者は「殴打事件」に興味を感じない。殴り合いがどのような経緯で起ろうとも、酒の上の喧嘩にすぎない。
筆者の関心は、「被害者」とされる歌舞伎役者と、夜の「ギャンググループ」が、いかなる関係で結ばれているかにある。歌舞伎役者は、当日予定されていた記者会見を「体調不良」で取りやめながら、六本木、西麻布界隈を取り巻き連中と飲み歩いていたことがわかっている。彼が酒好きの枠を超えた人物であることは想像がつくものの、その後、彼は取り巻きから離れ、単身で「ギャンググループ」に会うため、事件のあった会員制の飲食店ビルに出かけていったと想像することができる。いったいなぜ、そのようなグループと接触しようとしたのか――飲み友達だからなのか、いやいや、彼らから「なにか特別なもの」を貰い受けることが目的だったのではないのか。
歌舞伎役者はいずれ記者会見を開くと関係者に語っているようだ。本人の口から、このたびトラブルとなった「ギャンググループ」との関係を明確に説明してもらいたいものだ。飲食店で偶然会ったとされているが、どうもそうではなさそうな気がするからである。
水面下で行われている両者の交渉では、歌舞伎役者側が被害届を取り下げる条件を巡って、協議を重ねているように思われる。その条件とは、①事件当時者(逮捕状が出た青年及びそのグループ)が、当夜起ったことのすべてを口外しないこと、②両者の関係を口外しないこと、ではないか。無論、②のほうが、交渉の肝となっていることは容易に推測できる。