2011年5月30日月曜日

南紀・熊野

南紀・熊野の旅行記をアップしました。
[別冊]旅の写真集

2011年5月25日水曜日

損壊寸前

@Yanaka

2011年5月23日月曜日

花と猫

@Yanaka

眠り



きょうの東京は寒い。気温が下がっただけではない。震災後、福島原発事故の状況に改善が見られないことが寒さの主因の1つだ。

政府・東電における事故直後の情報隠蔽、指示ミス、連絡ミス等の人災的要素が明るみに出てきている。なにをいまさら、という気がするばかりだが、国会でごちゃごちゃ議論している「政治屋」の姿が醜い。

いま現在、原発事故に係る思想・思考・行動の原点をどこに置くべきかといえば、いうまでもなく、被災者の方々のおかれた境遇だ。地震・津波に襲われ、さらに原発事故で故郷を追われ、いつ帰ることができるかもわからない。そんな人々の心の痛みではないか。

被災者の方々を一日でも早く救済するため、関係者はあらゆる努力を払うべきだ。瑣末な議論はあとにまわし、政府・学界・財界は叡智を結集すべきではないか。

原発事故被災者が、枕を高くして眠ることができるのは、いったい、いつのことなのか。

2011年5月22日日曜日

熊野

@Kii-Matsushima

@Taiji-Cho

5月17~21日まで、熊野に行ってきました。熊野は「熊野古道」というテーマで世界遺産に登録されたこともあり、日本で最も有名な観光地の1つとなっています。

この地は、海、山、川…といった自然が集約されていて、しかも、温泉が豊富。旅行好きな人ならば、一度は訪れたことがあることと思われます。

その一方、この地は中世以来の聖地の1つであり、独特の山岳宗教を産みました。山伏、修験者とよばれた宗教者が日本各地を歩き回り、布教活動と同時に、テクノロジー、説話といった諸々の情報を伝えました。やがて、彼らが歩いたルートは全国におよび、独自の山岳ネットワークを形成したのです。

また、海を生業とした人々は、海の彼方に極楽浄土を夢見たのでした。

こうした熊野の独自性は、歴史学、宗教学、民俗学、文学等の学問の対象となり、“日本人とは…”という問いかけの手がかりの一つとなって、今日に至っています。

そればかりではありません。今日では、この地の沿海部で栄えた鯨漁、イルカ漁が「環境テロリスト」からの攻撃対象となってしまいました。西欧的価値観に蝕まれた独善主義者たちは、無意味な事件や中傷攻撃を繰り返し、この地に住む人々をいたずらに苦しめています。

熊野の歴史と自然の偉大さを謙虚にリスペクトしなければ、この地の観光や旅行の楽しさはうまれてくるはずはありません。

2011年5月9日月曜日

ボディビル(3)






ボディビルに興味を示した知識人の代表は、管見の限りだが、三島由紀夫であろう。三島は、少年時代・青年時代を通じて、スポーツ・武道を嫌悪していたようだが、あるとき、剣道に、そして、ボクシング、ボディビルに熱中するようになった。

彼がなぜ、ボディビルに熱中するようになったのかはよくわからないのだが、筆者の想像では、文学・文芸に熱中し、武道・スポーツを嫌悪した反動と、近代知識人の身体性喪失傾向に対するアイロニーだったのではないか。筆者は、もちろん、三島のボディを実際に見たわけではないが、残された彼の写真や著作から推察するに、ボディビルダーとしての完成度は高かったようだ。

さて、三島が「肉体」について論じた代表的評論の1つが『太陽と鉄』である。同書には、彼が肉体に思いいれ、それについて論及した箇所が溢れんばかりであり、また、どの部分を引用しても、三島の筋肉への熱い思いが読み取れる。そのなかから、筆者が気になった部分を以下に引用しておこう(引用は講談社文芸文庫「三島由紀夫文学論集Ⅰ」から)。

つらつら自分の幼児を思いめぐらすと、私にとっては、言葉の記憶は肉体の記憶よりもはるかに遠くまで遡る。世のつねの人にとっては、肉体が先に訪れ、そこから言葉が訪れるであろうに、私にとっては、まず言葉が訪れ、ずっとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしていたところの肉体が訪れたが、その肉体は云うまでもなく、すでに言葉に蝕まれていたのである。(P16)

病んだ内臓によって作られる夜の思想は、思想が先か内蔵のほんのかすかな病的兆候が先かを、ほとんどその人が意識しないあいだに形づくられている。しかし、肉体は、目に見えぬ奥処で、ゆっくりとその思想を創造し管理しているのである。これに反して、誰の目にも見える表面が、表面の思想を創造し管理するには、肉体的訓練が思考の訓練に先立たねばならぬ。私がそもそも「表面」の深みに惹かれたそのときから、私の肉体訓練の必要は予見されていた。
私はそのような思想を保証するものが、筋肉しかないことを知っていた。病み衰えた体育理論家を誰が顧るだろうか。書斎にいて夜の思想を操ることは許されても、蒼ざめた書斎の肉体について語るときの非難であれ賛嘆であれ、その唇ほど貧寒なものがあろうか。これらの貧しさについて私はよく知りすぎていたので、ある日卒然と、自分も筋肉を豊富に持とうと考えた。(P31~32)

こうして、私の前に、暗く重い、冷たい、あたかも夜の精髄をさらに凝縮したかのような鉄の塊が置かれた。
以後、10年にわたる鉄塊と私との、親しい付合いはその日にはじまった。
鉄の性質はまことにふしぎで、少しずつその重量を増すごとに、あたかも秤のように、その一方の秤皿の上に置かれた私の筋肉の量を少しずつ増してくれるのだった。まるで鉄には、私の筋量との間に、厳密な平衡を保つ義務があるかのようだった。そして少しずつ私の筋肉の諸性質は、鉄との類似を強めて行った。(P33)

三島がいうところの“鉄との付合い”というのは、ダンベル、バーベル、ウエート(重り)といった、鉄製のボディビル用具を使用することを意味している。いまでこそ、筋力増強マシーンや、化学合成物質のウエート(おもり)が普及しているが、三島の時代のボディビルは、錆ついた鉄製の用具でトレーニングする特殊なスポーツにほかならなかったため、鉄は、ボディビルのシンボルであり、また、両者の抜き差しならぬ関係を象徴するものであった。三島はそれゆえ、「鉄」をこの特異な評論のタイトルの一角として選択したのであった。

当ブログは、『太陽と鉄』を読み解くことが目的でない。だから、同書からの引用はこのくらいにしておく。けれど、同書から、三島がボディビルに打ち込む姿を想像することができるし、彼の文学創造とボディビルとの密接なかかわりあいを知ることができる。そればかりではない。同書には、三島が後年傾倒した政治運動及び自衛隊基地突入、自害に至る思想的経緯を暗示している箇所が認められるという意味で、三島作品のなかでも、極めて重要な評論の1つである。極論すれば、かつ、検証抜きの直感でいえば、三島がボディビルを選択したとき、彼の「最後」が決定づけられていた・・・のかもしれないのである。

ボディビル(2)



一般にスポーツ(競技)においては、筋肉は目的をもって、鍛えられる。速く走る・泳ぐため、遠くに・高く飛ぶため、ボールを投げる・蹴るため、相手を倒す・殴るため等々だ。目的にそって、概ね特定の部位が限定的に鍛えられる。

一方、ボディビルには目的がない。ボディビルダーたちは、ただひたすら、己の全身の筋肉を大きく強く美しくするためにトレーニングに励む。その結果としてできあがった超肉体は、フリークとして、偏見的見方をされることが多く、彼らはマイナーな立場に置かれてきた。

一般性を欠き、少数派にとどまるという意味で、ボディビルは純文学、否、詩に近い。言語をある目的のために使用するのが小説・随筆・ノンフィクション、その他文芸の各領域であるならば、その方向とは逆の向きに、すなわち、言語そのものの美を追求する詩という領域が浮かび上がり、詩とボディビルは近い立場にあるような気がする。

詩の現在を問うことは、筆者の力量では困難なことだ。ただ、筆者が敬愛する詩人が「瞬間の王は死んだ」と詩の創作中止の宣言をして以来、詩は筆者から遠い存在になってしまったことだけは確かなのである。

近年、ボディビルは、本来、己の筋肉の美学にとどまるところから、フィットネス、健康ブームのなか、「筋肉トレーニング」という呼び名で復権している。ボディビルの現在は、新たな目的を付与されたのだ。

自身の筋肉の美学を追求するビルダーたちがその復権を、喜んでいるのかどうかは知らない。ただ、筆者はボディビルダーたちが追求する身体の原理主義・禁欲主義をリスペクトしている。彼らこそ、肉体の詩人なのだから。

2011年5月8日日曜日

ボディビル大会

ボディビル選手権大会に行ってきた。
ボディビルを見るのは2回目だが、1回目は遠い過去のこと。
しかも、海水浴場のイベントだった。
つまり、本格的な大会は初めてということになる。

ボディビルはフィギュアスポーツ。
採点制で勝敗を決めるから、最も近いのが、体操、フィギュアスケートということになる。
マオちゃんやユナのアイス・スケートとボディビルとでは天と地ほどイメージが違うが、競技の勝敗を決定する方法論は同一なのだ。




2011年5月4日水曜日

ゴールデンウイーク

今年のGWは2日ほど有給をとると、10連休になるらしい。

そんなカレンダーのめぐり合わせは何年に一度くらいのもの。

久々の大型連休となれば、海外旅行に出かける人も多いのがあたりまえ。

しかしながら、大震災・原発事故の影響であろうか、海外に出かける人が減ったらしい。

人々の心を覆う得たいのしれない不安のためだろう。

自分が優雅に遊んで楽しんでいること自体、被災した人に申し訳ない、すまない、という気持ちが働くのかもしれない。

もしかすると、旅行中、日本に地震がきて、家が滅茶苦茶になってしまったらどうしよう、という心配があるかもしれない。

そんな不安・心配が人々の遠出の願望を妨げる。