◎テレビ局解体が日本再構築の第一歩
島田紳助という吉本興業に属するタレントが、暴力団関係者との交際を理由として、突然、芸能界を引退した。紳助はテレビ界ではとりわけ売れっ子で、ゴールデンタイムに係る多数の番組のレギュラーを抱え、数社の企業とCM契約を結んでいたという。
しかし、紳助が大きなトラブルを起こしたのは、過去に3度あった。以下に、その記事を引用しておく。
【過去の紳助のお騒がせメモ】最初の東大受験騒動は、私見ではトラブルに当たらない。注目すべきは、2004年の女性マネジャー暴行事件だ。引退の引き金になったのは、2005~2007年にかけて行われていた暴力団関係者との交際を証するメール等の発覚だというから、2004年の暴行事件前後に何かがあったことは間違いない。また、引退会見では、紳助がかかわったなにがしかの事件の解決に向けて暴力団が動いたと報道されている。
▼1982年 ラジオの番組の企画で、東京大学への受験を突然宣言。共通一次試験の受験会場に出向いたが受験阻止を訴えるグループと騒動が起き、その場で受験票を破り捨てた。
▼2004年10月 司会を務める朝日放送系「クイズ!紳助くん」の収録前に、吉本興業の女性マネジャーの態度に腹を立て、殴る、髪をつかんで壁に打ちつける、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、全治1週間のけがを負わせた。女性の告訴により芸能活動の無期限自粛を発表。翌年1月に復帰した。
▼09年10月 TBS系特番「オールスター感謝祭」で後輩芸人・東京03があいさつをしなかったことを発端に、生放送中に紳助が詰め寄りどう喝。その姿がオンエアされてしまったためインターネット上で騒動になった。
(出典:2011/8/24-06:00 「スポーツ報知」)
紳助は女性マネジャー暴行事件前から暴力団との交際があり、彼は「自分には組織の後ろ盾がある」ということを意識していたのだと思われる。「組織」の後ろ盾を得た暴力的パワーが彼自身の行動・言動の抑制を欠如させ、暴力的体質を強めさせ、かつ、彼は暴力的傾向を前面に出すようになったのではないか。たまたま、女性マネジャー暴行事件だけが明るみになっただけで、水面下ではもっと多くの「事件」が起きていたのではないか。
そこで問題となるのは、紳助を起用し続けてきたテレビ業界だ。前出の女性マネジャー暴行事件が起きた直後、紳助は無期限自粛を発表したのだが、わずか3か月ほどで自粛は終わり、テレビ業界は彼を再び起用してきた。前出のとおり、紳助は事件解決のために暴力団と関係をもったと発言しているようだが、繰り返すが、紳助と暴力団との結びつきはかなり前から、もちろん女性マネジャー暴行事件発生の前から続いており、同事件発生の背景になっていたはずだ。
テレビ業界は、暴力団と密接な関係をもったタレントに対し、長年にわたり、ギャラを支払い続けてきたことになる。その間、紳助に支払われたギャラの一部が、「事件解決の謝礼」などの名目で組織に流れていたと考えるほうが自然だろう。
視聴率がとれれば、どんなタレントでもかまわない、おかしなことがあっても、表にでなければそれまで。表に出たときは、「無期限自粛」で時を稼ぎ、人の噂も75日で復帰させる。タレント等から上がる収益だけがすべて――というのが、日本のテレビ業界の体質だ。
テレビには倫理も正義もない。羞恥心も善悪の区別もない。視聴率=収益だけを価値観とする巨大なテレビ業界というものは、現代の魔窟だ。テレビの内部に棲む関係者はそこだけで通用する「業界的価値観」「業界的常識」「業界的××」に支配され蝕まれていく。テレビ局を解体することが、日本の再構築の第一歩となるはずだ。
◎「甲子園」を「神格化」した朝日新聞
先般閉幕した夏の全国高校野球選手権大会で、青森県勢として42年ぶりの準優勝を果たした光星学院高校は22日、所属する野球部員3人が昨年12月に飲酒をしていたと発表した。同校では3人を停学処分とする方針。この部員らは昨年末に帰省した際に、それぞれ別々に飲酒したという。このうちの1人がブログに飲酒している様子を自ら書き込んだことから発覚した。甲子園にみちのく旋風を巻き起こし、東日本大震災の被災地に勇気を与えたといわれている同校の不祥事に、波紋が広がっているという。
この「飲酒事件」が発覚したきっかけは、「2ちゃんねる」らしい。発覚に至る詳細については省略するが、同掲示板投稿者が、飲酒した男子部員の問題のブログを発見し、同掲示板に書き込み、その後にスレッドが乱立、高校側も飲酒の事実を隠せなくなったらしい。
「2ちゃんねる」の騒動の前にマスコミ(新聞・テレビ・雑誌等)が野球部員の飲酒を知っていて報道しなかったのか、知っていても報道しなかったのかは不明だが、飲酒事件発覚前、甲子園大会を実態上主催する朝日新聞社は、「天声人語」に以下のとおりの内容の駄文を掲載している。
「甲子園」はタイガースの本拠である阪神甲子園球場とは別物だと、江川卓さん(56)がスポーツ誌「ナンバー」で語っている。「春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けて下さる」と。「僕もそう思ってます」と応じたのは、対談相手の桑田真澄さん(43)である▼神々しさが極まるのが夏の決勝だ。3年続けてそのマウンドに立った桑田さんは「神様の声を聞いた」と言い、縁がなかった江川さんは「僕には何も言ってくれなかった」と笑う。神様は気まぐれだ▼聖地の空は、一戦ごとに盛夏のぎらつきを収め、柔和になる。秋めく甲子園で日大三(西東京)と光星学院(青森)が球譜に名を刻んだ。三高の豪打、恐るべし。疲れを見せぬ吉永投手にもしびれた▼片や光星。青森県出身者は少なくても、津波に襲われた八戸の期待を背に、「東北初」の夢をよくつないだ。親元を離れてでも聖地に足跡を残す。そんな個々の執念が、被災地の願いと一つになった▼大会の延長戦は最多記録に並ぶ8試合。満塁ホームランあり、サヨナラ劇ありの熱戦に奮い立った人も多かろう。そして決勝の両校には、残るべき理由があった。気まぐれに見えて、神様もなかなかやる▼節電による前倒しで、栄冠は昼前に輝いた。泥んこのユニホームや、揺れるアルプス席の残像を自分の力に転じるのに、週末の長い午後はあつらえ向きだ。野球の神様はいてもいなくてもいい。ただ聖地があってよかったと、特別な夏の終わりに思う。(出典:朝日新聞「天声人語」2011/08/23)ちなみに、桑田真澄氏といえば、プロ野球現役時代、「投げる不動産屋」と呼ばれ、バブル崩壊後に多大な債務を抱えたことで知られている。スキャンダルを恐れた桑田氏が属する巨人軍(=読売)は桑田氏の借金の肩代わりをし、桑田氏は巨人軍(読売)にいる間中、読売に返済を続けていたという。今現在、彼が債務を完済したかどうかはわからないが、迷惑を被っている人がいないことを祈っている。
そして、もう一人の江川卓氏にいたっては、ドラフト破りの「空白の一日」の主役として世に知られた人物。ドラフト制度を無視して読売入団を強行し、非難を受けた。江川氏は法を犯したわけではないが、プロ野球業界のルールを破ったことが日本の球史に刻印されている。そんなお二人が神や聖地を口に出すのは、誠に似合わないと思うのは筆者だけか。そんなお二人に甲子園に係る対談をさせたスポーツ誌「ナンバー」には、卓抜したブラックユーモアのセンスがあることは否定できないものの、それを甲子園賛歌として引用した朝日新聞「天声人語」は愚かというほかない。
さて、「天声人語」の駄文にいちゃもんをつけるのが本意ではない。問題なのは、マスコミが甲子園野球の裏側に潜む、多くの問題を隠ぺいしている実態にある。
問題の光星学院は被災地・青森の「代表」だそうだが、監督、選手の出身地は以下の通り。
監督:仲井宗基、大阪府生まれ、桜宮高~東北福祉大卒。投:秋田教良 (大阪太子中)、捕:松本憲信 (大阪菫中)、一:金山洸昂 (大阪堅下南中)、二: 榎本 慎 (和歌山東中)、三:田村龍弘 (大阪狭山三中)、遊:北條史也 (大阪美木多中)、左:和田祥真 (大阪守口四中)、中:川上竜平 (沖縄仲井真中)、右:沢 辰寿 (大阪守口一中)
(出典:高校野球情報.COM)
被災地・青森出身者はゼロ。大阪出身の高校生がなぜ、被災地・青森の高校にかくも多数集まっているのか筆者にはわからない。大阪から被災地・青森までボランティアに出向いたわけでもあるまい。筆者の推測では、大阪に足場をもつ監督が、大阪近辺にある有力な少年野球チームから才能のある中学生をスカウトして集め、青森の光星学院高校野球部をつくりあげ、3年間鍛え上げて甲子園に出場させたのだろう。監督も高校生も、みな、プロ野球選手なのだ。
引用の通り、朝日新聞を筆頭とするマスコミが甲子園を「聖地」に仕立て上げる一方、全国の私学経営者の一部は、野球の上手な中学生を全国から集めて寮に放り込み、名ばかりの高校野球部(実態はプロ集団)をつくって、日々猛練習をさせて予選を勝ち抜かせ、「聖地」とやらに出場させる。「聖地」とやらに出場した高校は、全国的知名度を得て、生徒が集まりやすくなり、少子化で縮小するなか、私学経営を軌道に乗せることができる。
マスコミは、「無私」で「純粋」な高校球児とやらが炎天下、「聖地」で「熱戦」を演じるさまを美辞麗句で飾り立てて報道し、自らがつくりだした偶像で視聴率やら販売部数等を増加し経営を安定させる。「聖地」に集まる高校生がまさか酒やタバコをやるはずもない。彼らは「純粋」な、神に召されし球児なのだから。
しかし、ごく普通に考えるならば、それが違法であろうとも、今現在、酒を飲む高校生は珍しくない。飲酒が発覚した高校生が処分されることもあるだろうし、不問に付されることもあろう。まして、大阪出身の中学生が、遠い青森という異郷の地で入寮生活を強いられたうえ、毎日過酷な練習に耐え、レギュラー争いに明け暮れるような生活を続ければ、ストレスもたまる。久々に帰郷して緊張がほぐれ、結果、飲酒や喫煙に走るようになる傾向は納得できなくもない。そんな問題を抱えた高校生は、全国に数えきれないほど存在している。それが実態なのだ。
筆者は当ブログで何度も「甲子園」を批判してきた。「甲子園」の裏側にいかなる実態が隠されているか、はっきりさせるべきなのだ。
高校生にとって、全国規模のスポーツ大会は必要であり、筆者はそれを否定するつもりはない。ただ、「甲子園」だけを特別視することは、もう、やめるべきなのだ。高校生のスポーツ大会としては、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)がある。野球という競技をそこに統合させればいい。報道の量も質も、現行のインターハイのレベルで十分だ。
インターハイにおいても、高校生のプロ化が進んでいるかもしれない。それでも、「甲子園」の過熱ぶりはないはずだ。インターハイには、高校経営者が期待する投資価値が見出せないからだ。インターハイで優勝したとしても、マスコミの扱いは甲子園と比較できないほど小さいため、彼らが「甲子園」に投資して得てきたリターンは期待できない。インターハイは高校経営者及びマスコミにとって、収益が上がらない無名のイベントにすぎない。インターハイは「神がつくった舞台」ではないし、「神聖」でもない。高校の体育系部活の全国大会に過ぎないからだ。でも、それで十分ではないか。
被災地の人々がどう考えているかは別として、高校生の野球が被災地をはじめとするそれぞれの故郷を代表するいわれはない。彼らが「勇気」や「感動」を被災地や故郷に与える義務はない。発展途上にある高校生に、そのような重圧を与えることは教育に反する。野球をする高校生たちの故郷は、高校の所在地とはまったく別なのだから。
「甲子園」の神聖化は、原発の「安全神話化」とまったく同じ構造をもっている。「甲子園」の裏側に、数えきれないほどの不正、反教育、非人間性、暴力等が行われていても、それらは「神」の名の下に隠ぺいされる。主催者、マスコミ、高校経営者等の売上・利益が上がれば、それでいいという態度だ。3.11の後、被災地の名の下に美化された「甲子園」のフィクションが明らかになったいま、高校生の野球を「甲子園」の呪縛から解放し、普通の部活動に一刻も早く戻すべきではないか。