●ナオミ・クライン[著] ●岩波書店 ●上下各2500円(税別)
同時代を生きていながら、自分は何も知らなかった、感じていなかった、己の無知を恥じたい気分だ・・・読後の感想を率直に言えば、まあ、そんなところか。このことを換言するならば、歴史の変化というのは、その時代を生きていたからと言って必ずしも自覚できるものではない――己が気づかないうちに世界は変化していて、しかも、正義や道義に基づいて流れているとは限らない、己の価値観から外れることも多く、ときとして、深い暗部に向かって進んでいることもあり得るのだと。
それは1970年代、南米南部地域で起こっていた
変化は1970年代、南米南部地域のチリ、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、ボリビアで起こっていた、いや、起こされた。冷戦時代、キューバ革命の南米大陸への波及を恐れたアメリカは諜報機関を使って、当時同地域に成立していた社会主義政権を軍事クーデターで打倒した。倒された社会主義政権のうち、チリの人民連合(アジェンデ政権)は、日本でもよく知られていた。チリに新しくアメリカの後押しによって樹立されたのがピノチエット政権である。ピノチエットは、その誕生に抗議する共産主義者、社会主義者、民主主義者、さらには、一般市民をも弾圧し、彼らを誘拐、拘留、処刑し、転向を強要する拷問を繰り返した。
この歴史的事実は承知していたのだが、その軍事政権の経済政策にミルトン・フリードマンを頭首とするシカゴ学派の若手の経済学者、経済官僚(「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれた)が大いに関与していたことについては、本書で初めて知った次第である。
最初の1年半、ピノチェトはシカゴ学派の指示を忠実に守った。いくつかの銀行を含む国営企業の一部(全部ではなく)を民営化し、最先端の新しい形の投機的金融を許可し、長年チリの製造業者を保護してきた障壁を取り除いて外国からの輸入を自由化し、財政支出を10%縮小した(ただし軍事費だけは大幅に増大した)。さらに価格統制も撤廃したが、これはパンや食用油など生活必需品の価格を過去何十年間も統制してきたチリにとって、急進的な措置である。(P109)
フリードマンの経済学を大雑把に言えば、反ケインズ主義――政府による経済活動に対する規制・介入の撤廃、財政縮小、公共部門の民営化と反福祉政策である。自由市場のメカニズムに任せれば、自ずと均衡状態が生まれるというものである。シカゴ学派は、ケインズが主唱する政府による経済活動への関与及び社会福祉政策を敵視する。
それだけではない。シカゴ学派が南米南部地域に自由な市場経済を実現するためにとった政策は、これまであったものを“すべて白紙に戻すこと”だった。白紙に戻すためには、その国民に衝撃を与えてショック状態に追い込み(=人々を白紙状態にし)、そこから立ち直る前に、シカゴ学派の経済政策を即座に実行してしまおうという試みだ。「現実の、あるいはそう受け止められた危機のみが真の変革をもたらす」(ミルトン・フリードマン)というわけである。シカゴ学派の経済学者たちは、ある社会が政変や自然災害などの「惨事」「危機」に見舞われ、人々が「ショック」状態に陥ってなんの抵抗もできなくなったときこそが、自分たちの信ずる市場原理主義に基づく経済政策を導入するチャンスだと捉え、それを世界各地で実践してきた、と本書は言う。それを惨事便乗型資本主義という。
「ショック」とは、“シカゴ学派の経済政策”と“拷問”の二重のメタファー
それだけではない。ショックにはもう一つの意味が込められている。南米南部地域で政権についた軍事政権は、先述のとおり、自国の共産主義者、社会主義者、民主主義者、知識人のみならず、軍事政権に異議を唱えるならば一般市民に対してまでも、アメリカのCIA等の諜報機関が開発した拷問を使って弾圧をした。その拷問手法は1950年代に、アメリカCIAの援助によって、カナダのマギル大学で密かに研究されたもので、過剰な電気ショック、暴行、間隔遮断、薬物投与などを行って身体にショックを加えることによって、人間の脳を「白紙状態」に戻す実験に端を発するものである。
この拷問手法は、1970年代の南米南部地域の軍事政権から、21世紀の9.11以降のアメリカのイラク戦争、「テロとの戦い」においても常套化された。つまり、「ショック・ドクトリン」という本題は、シカゴ学派の経済政策推進における状況認識と、それを実行する暴力的拷問手法を二重化したメタファーである。
アメリカによって南米南部地域で実行にうつされたシカゴ学派による「反革命モデル」は、フォークランド戦争(1982年)を契機としてイギリス(サッチャー政権)に、さらに冷戦末期からソ連崩壊後のポーランド(1989年~マゾヴィエツキ政権)、天安門事件(1989年)後の中国(鄧小平政権)、アパルトヘイト廃止(1991年)後の南アフリカ(マンデラ政権)、ソ連崩壊(1991年)後のロシア(エリツィン政権)、通貨危機(1997年)に見舞われたアジア諸国(韓国、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン)、スマトラ沖大地震による大津波(2004年)に襲われたスリランカ等へと波及した。
惨事・危機に見舞われた国々は激しいインフレに襲われ、国内は大混乱に陥っているケースが多い。そんなとき、助けの手を差し伸べるはずの国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)は混乱に乗じて、危機に見舞われた国に対し、減税、自由貿易、民営化、福祉・医療・教育などの社会的支出の削減、規制緩和といった「反ケインズ主義的」経済政策の転換を矢継ぎ早に実行することを求める。また、アメリカが送り込んだ経済顧問団等がシカゴ学派の経済理論を基本とした経済政策を立案することもある。アメリカ政府、IMF、WTO職員等に「シカゴ・ボーイズ」が配置されているのである。このような“手口”こそが、シカゴ学派の常套手段である。
それだけではない。特筆すべきは、シカゴ学派の「反革命モデル」は、アメリカ国内において、たとえば2005年8月、大型ハリケーン・カトリーナに襲われたニューオーリンズ地域にも適用されていたことである。
コーポラティズム(惨事便乗型資本主義複合体)の台頭
この間、シカゴ学派による「反革命モデル」は、軍事政権における暴力的推進形態から、惨事便乗型資本主義複合体の台頭という変容をとげた。災害や戦争といった惨事を媒介として、市場原理主義を基本とする経済改革を進めるという基本に変化はないものの、本来、国家が行うべき災害復興や派兵・戦闘等の軍事行動はもとより、それに付随する通信・輸送、医療、インフラ整備、セキュリティー部門までもが、多国籍企業が国から受注するという形で、莫大な利益を得るような仕組みをつくりあげていった。このような資本主義と国家の複合的合体モデルをコーポラティズムと呼ぶ。
アメリカ国内では、前出の大型ハリケーン・カトリーナに襲われたニューオーリンズ地区において、被災後、インフラ整備、水道、教育等といった公共予算が大幅に削減され、公立学校は民営のチャータースクールにとってかわった。被災地に住んでいた低所得の住民(主にアフリカ系住民)は居住地域を追われ、まさに白紙化された土地に大手開発業者が進出し、大型の観光拠点を構築した。というよりも、カトリーナで堤防が決壊した主因は、すでに公共事業費の大幅削減により、行政が老朽化したダムを補修できなかったことによる、という説も有力である。
コーポラティズム国家アメリカ=イラク戦争で潤う多国籍企業
イラクには、奪い取れものが山ほどあった。世界第三位の石油埋蔵量だけではない。イラクはフリードマンの放任資本主義構想を基本とするグローバル市場化の流れに、最後まで抵抗した地域のひとつだった。ラテンアメリカ、東欧、アジアを征服してきたグローバル市場推進派にとって、アラブ世界は最後の未開拓地(フロンティア)だったのである。(P473)
イラク侵攻は、自由市場経済を目指す改革運動初期の残忍な手口への回帰をもたらした。一切の干渉を受けつけないコーポラティズム国家のモデルを建設するうえで障害となるものを力づくで排除、消去するために、究極のショック療法が駆使されることになるのだ。(P480)
今日、不安定な国際情勢で潤っているのは何もひと握りの武器商人だけではない。ハイテク化したセキュリティー産業や建設業者、負傷した兵士を治療する民間医療企業、石油やガス会社、そして言うまでもなく軍事請負企業も巨額の利益を得ている。
・・・同社(=ロッキード・マーティン社)は2005年だけで国民(アメリカ国民)の税金250億ドルを手にした。民主党のヘンリー・ワックスマン下院議員によれば、これは「アイスランドやヨルダン、コスタリカなど世界103カ国のGDPより多く、(中略)わが国の商務省、内務省、中小企業庁、連邦議会上下院の予算を合わせた額よりも多い」という。ロッキードそのものが「新興成長市場」だった(同社の株価は2000~05年の間に3倍に跳ね上がった)。アメリカの株式市場が9.11以降、長期的に下落しないですんだ大きな理由のひとつは、ロッキードのような企業が存在したからだ。通常の株価が低迷を続けるなか、「防衛、セキュリティー、航空各企業の株価の指標」であるスペード防衛インデックスは、2001年から06年までに年平均15%も上昇した。これは同時期のS&P500インデックス[アメリカの代表的500銘柄の株価に基づいて算出される株価指数]の上昇率のじつに7.5倍にあたる(P619)
「グリーンゾーン」と「レッドゾーン」に引き裂かれる社会
1970年代からイラク戦争までの現代史を本書に従い振り返ってみると、世界の動きというものが、あたかも一本の糸で結ばれているように思え、合点がいく部分が多い。そんななか、いまイラクの首都バクダッドでは、アメリカ軍の圧倒的軍事力で防衛され、要塞化された地域の内側(グリーンゾーン)では、イラク復興にビジネスチャンスを求める多国籍企業の人間や「占領者」アメリカ人が、極上のリゾート地のような環境でビジネスに励みつつ優雅な休日を楽しんでいる。一方、その外側(レッドゾーン)ではいまなお戦闘状態にあり、テロや略奪が絶えない。
この状態を国家戦略化したのがイスラエルである。イスラエル政府は2006年、これまでとってきたパレスチナとの親和路線を一転しレバノンに侵攻、ヒズボラとの全面戦争に突入した。
イスラエルの産業界にとって、もはや戦争を恐れる理由がないことは明らかだった。紛争は経済成長を阻害すると見みられていた1993年とは対照的に、レバノンとの悲惨な交戦状態にあった2006年8月、テルアビブ証券取引所の株価は上昇した。同年1月のパレスチナ評議会選挙で強硬派のハマスが圧勝したのを受けて、ヨルダン川西岸地区とガザ地区での紛争が激化した同年の第4四半期にも、イスラエル経済は8%(同時期のアメリカの経済成長率の3倍以上)という驚異的成長を遂げた。(P642)
世界規模の戦いの終わりなき継続というイスラエルの目論みは、9.11以降にブッシュ政権が生まれたばかりの惨事便乗型資本主義複合体に対して提示した事業構想と同じものだ。それはどこかの国が勝利するという戦争ではない。そもそも勝つことは重要ではない。壁の外側で低レベルの紛争が果てしなく続くことによって強化される要塞国家を築き、その内部の「セキュリティー」を保つことこそが重要なのだ。(P643)
イラク戦争終結後、いま現在シリアで起こっている――壁の外側で低レベルの紛争が果てしなく続く――内戦状態こそが、イスラエル及びアメリカを本籍とする多国籍企業が理想とする状態ではなかろうか。
シカゴ学派のイデオロギー
本書にあるとおり、1970年代以降、世界を暴力的に動かしてきたのがシカゴ学派の経済学である。前出のとおり、同学派は反ケインズ主義を第一義とし、政府による経済活度に対する規制・介入の撤廃、財政縮小、公共部門の民営化と反福祉政策を掲げる。自由市場のメカニズムに任せれば、自ずと均衡状態が生まれるとする。
ところが、本書にあるとおり、シカゴ学派が実行した「反革命モデル」は均衡状態をもたらせるどころではない。それは、南米南部地域の軍事政権による民衆弾圧によって守られていたし、3.11以降、世界中に戦争、内戦、テロを勃発させてきている。軍事政権下で行われた反政府活動家に対する不当拘留、拷問、惨殺は、「テロとの戦い」を掲げるアメリカ(軍)に引き継がれ、アブグレイブ刑務所、グアンタナモベイの米軍基地において、「イスラム過激派テロリスト」に向けられている。「経済活動の自由」のイデオロギーが、人民の生存を脅かし、自由を奪い、国民間の経済格差を広げる。このことをどう受け止めたらいいのであろうか。
なおここで、シカゴ学派のイデオロギーを表現する言葉を整理すると、それは市場原理主義(market fundamentalism)、 新自由主義(neo-liberalism)、自由市場経済(free market system)と言われることが多い。また、1990年代に台頭したネオコンの思想(Neo-conservatism)も同じである。この曖昧な表現が、シカゴ学派のイデオロギーの実態をわかりにくくしている。
さらに、シカゴ学派のイデオロギーを実践するアメリカが、外交上、反独裁、民主主義、自由主義を建前として掲げているため、その経済的野心が表に出にくくなっている。われわれがイラク戦争を仕掛けた米国の本心を知り得たのは、終戦後、イラクに大量破壊兵器がなかったことが判明した後であったことは記憶に新しい。
これらの思想は、いっさいの制約から放たれたこの自由こそが、まさにシカゴ学派経済(あるいは新自由主義(ネオリベラリズム)、アメリカでは「ネオコン」と呼ばれる)の神髄である。それは新たに考案されたものではなく、言うなれば資本主義からケインズ主義を取り除いたものであり、独占状態にある資本主義、勝手気ままなシステムである。民衆をお客扱いする必要もなく、どんなに反社会的、反民主主義で横暴な振る舞いも許される。共産主義が脅威であった間は、ケインズ主義が生き延びるのが暗黙のルールだったが、共産主義システムが崩壊した今、ケインズ主義的な折衷政策を一掃することが可能になった。半世紀前にフリードマンが改革の目標として掲げたことが、ついに成就できるときが到来したのだ。(P368)
シカゴ学派が自由市場に全面的拝跪する根源を探るには、思想史的アプローチを必要としている。18~19世紀、古典派経済学誕生の背景には、自然・科学・神(真理)はともに合理性に基づき運動するという西欧人の信念があるように思えるが、このことは別稿でふれてみたい。
日本へのシカゴ学派の影響は
日本の安倍政権が掲げる経済政策“アベノミックス”は、その具体的すがたをいまだ現していないものの、経済活性化指針として、開発独裁型の公共事業に依存したものとなりそうな雰囲気である。また、3.11(大地震、大津波、原発事故)という未曽有の大惨事後の日本であるが、消費税率アップを別にすれば、惨事便乗型経済改革が執り行われるような様子も認められない。安倍政権誕生後に起こった脱デフレ政策(円安、株高誘導)によって、日本経済がひとまず安定化したと思われているからであろうか。
日本の政界では、シカゴ学派を支持する政党は、みんなの党、日本維新の会、自民、民主の一部ではないか。日本ではいまなお、ケインズ主義が主流のように思える。
安倍政権は、国家安全保障会議(日本版NSCと称される)の創設に基づく、特定秘密保護法の制定に向かっている。日本版NSCとは、米国にある国家安全保障会議(NSC:National Security Council)をモデルにしたものと言われる。この動きは、集団的自衛権の行使容認、憲法改正、自衛隊から国防軍改名へと続いていくようだ。しかし、東北被災地の復興計画や、自然災害が続く気候変動を背景とした国土強靭化計画において、日本が反革命惨事便乗型経済改革の標的となる可能性を否定できない。経済特区創設、企業減税、派遣法改正等、TPP参加・・・等、シカゴ学派が望む規制撤廃の序曲が聞こえてくるような気もしないではない。“日本はだいじょうぶ”と言うのはまだ早い。