朝日新聞社が揺れている。「慰安婦問題」記事及び福島第一原発事故における「吉田調書」の記事において誤報を認め、謝罪会見をしたのだ。前者については実に32年前のことだという。誤報はあってはならないことだから、朝日新聞を擁護することはまったくできないが、筆者は、このたびの朝日の謝罪に違和感を覚えずにはいられない。なぜ、この時期に謝罪会見をしたのだろうか。
昨今、新聞が「社会の木鐸」であるとか、真実を伝える「報道機関」だと信じている人はおそらく少数派だろう。毎朝夕、家庭に配達されるこの不細工な印刷物は、ニュースの量、質、速度の面から考えても、時代にそぐわない。なんでこんなゴミに近い代物を日本人は購読料という形で買ってしまうのか不思議でならない。毎朝、食事をしながら新聞を眺め、政治、文化、家庭、娯楽、スポーツ等に区分された「情報」により、己の行く末に思いをめぐらすのが、日本人の身体化した「思想の形式」なのか。
3.11以降、筆者は新聞をやめた。ところが、家人の強い反対により再び購読し始めた。仕方がない。一度やめて、再び新聞を手にしたときの感慨としては、新聞というのは、印刷物(広告媒体)――しかも、かなり質の悪い――というものであった。
さて、謝罪した朝日新聞社である。日本の一部の知識人の中には、朝日新聞を左派だと信じている人がいる。だから、そのような朝日シンパは、このたびの問題をいま安倍政権の下で勢力を強めている右派(産経、読売、毎日、文春、新潮等)が、左派の頭目である朝日を屈服させようとして言論弾圧を仕掛けたのだと解釈している節がある。
だが、このような見方は、実にくだらない。朝日は左派ではないし、左派であったこともないからだ。アジア太平洋戦争前から開戦後にかけて朝日は戦争推進のキャンペーンをはっていた。開戦後は、大本営発表を垂れ流し続けていた。好戦、開戦、大日本帝国万歳の新聞だったのだ。
ところが敗戦後、こんどは平和と民主主義の旗手に変身した。その間、朝日新聞が戦争責任について国民に謝罪をしたとは聞いていない。
大日本帝国万歳から平和と民主主義への大変身がなぜ可能だったのかと言えば、朝日にはなんの哲学もないからだ。戦後は平和と民主主義の風潮に乗って、厭戦気分の残る日本国民に媚を売り、部数を伸ばしてきたにすぎない。32年前の慰安婦報道は、朝日の戦後の路線の延長線にすぎない。その路線が誤報を生んだのだ。日本の「進歩派」と呼ばれる一部大衆に迎合して、ガサに飛びついたまで。もちろん朝日の目的は部数拡大、拡販である。話題性があって、「進歩派」に受けることで、日本の「知性」を代表し、「平和と民主主義」を守る新聞だというポジションを維持したかったのだ。
原発事故における「吉田調書」報道においても、その名残が認められる。悪いのは「東電」なのだから、叩けば自分たちの株が上がるという思い上がりだ。
だが、かくも傲慢な朝日新聞が、なぜ、いま、謝罪に及んだのだろうか。慰安婦報道では32年間、報道機関の戦争責任という面では70年が過ぎようとしているのに、いまだ謝罪に及んでいない彼らが、なぜ突如、白旗を掲げたのだろうか。
巷間言われているのは、部数減だ。定期購読者の解約が止まらず、部数減に歯止めがかからなくなったらしい。これは朝日最大のピンチ。先述したように、新聞は広告印刷物であるから、部数が減れば広告収入も減額する。だから、謝っておこうという考えか。
もう一つ、筆者の見解にすぎないが、朝日がいよいよ、「進歩派」の看板を下ろそうと決めたのかなと察する。安倍政権が政権発足後から積極的に推進してきた裏の政策の一つにマスメディア封じ込めがあることはよく知られている。うるさいメディアを黙らせること、政権・政策批判をさせないという圧力をマスメディア(新聞、TV)にかけ続けてきた。
そもそも、朝日新聞は(朝日に限らないが)、そのときどきの状況に流される体質をもっている。前出のとおり、“鬼畜米英”から“平和と民主主義”、すなわち、野蛮から進歩への変身くらいはお手の物の新聞である。いまこの期に及んで、「進歩派」から安倍ファシズム政権に擦り寄ることくらいは平気の平左である。つまり、あの朝日新聞社長の謝罪会見は、安倍ファシズム政権に恭順の意を表するパフォーマンスだったのではなかろうか。いわば、朝日は朝日なりに、けじめをつけたのかもしれない。
朝日はかくして、産経、読売、毎日と横一線で並ぶ資格を得たのかもしれない。筆者は朝日新聞を読んでいないので、チェックのしようはないのだが、日本の大新聞すべてが、はっきりと安倍ファシズム政権に取り込まれたのならば、それは誤報よりも恐ろしい事態の到来だと言わねばなるまい。