2016年3月16日水曜日

フランチャイズ意識を確立し、ノブレス・オブリージュの精神を育め―読売巨人軍野球賭博の闇と日本プロ野球再生論―

日本プロ野球の人気球団、読売巨人軍は8日、昨年秋に同球団の3選手が野球賭博に関わり無期失格処分を受けた問題で、新たに高木京介投手(26)も関与していたと発表した。これを受け、渡邊恒雄(以下「ナベツネ」)・最高顧問、白石興二郎オーナー、桃井恒和会長の球団幹部3人が引責辞任した。

続いて14日、巨人の選手が自チームの公式戦の勝敗を対象にしてカネをやりとりしていたことが判明した。選手が試合ごとに現金を出し合い、勝てば試合の円陣で「声出し」をした選手が総取りするルール。巨人もこれを認め、1試合あたり投手、野手で総額14万円が動いていたと説明した。野球賭博に関与して無期失格処分を受けた元巨人の笠原将生投手(25)は産経新聞などの取材に「1000円から連勝するごとに、3000円、5000円と、どんどん金額が跳ね上がる。レートが上がりすぎて(わざと)打たないことも可能だった」と、敗退行為による八百長すら示唆していた。

マスメディアは野球賭博事件の検証に集中せよ

この「声出し総取り」行為はサラリーマンの職場仲間で行われる賭け麻雀、賭けゴルフ、アミダ甲子園優勝賭博等と大差ない。敗退行為による八百長にまで発展するには一軍のプロ野球選手の年俸からすれば金額が少額すぎる。「李下に冠を正さず」の誹りは免れないが、野球賭博とは性格が異なる。もちろん危ない行為ではあるからやめたほうがいいに決まっているが、本質的問題は、日本のプロ野球選手が野球賭博を行っていたことにある。メディアがプロ野球選手の日常的賭け事にまで報道を広げすぎると、読売球団の4投手がのめり込んだ野球賭博の検証を怠る結果に陥りかねない。

高木京の野球賭博関与は危険レベル

さて、読売4投手の野球賭博に話を戻そう。この問題は、既に多くのブロガー等から指摘されているとおり、読売球団が極めて憂慮すべき状況に達していることを意味している。深刻度の指標とは第一に、高木京が一軍中継ぎ投手としてレギュラー格であること、第二に、高木京が彼の会見の発言から野球賭博仲介者から恫喝を受けていたと推測できること――だ。既に契約を解除された3投手は戦力としては高木京ほどではない。高木京は公式戦の勝敗を左右する立場にあった。野球賭博の延長線上には当然のことながら八百長がある。

当コラムで既に書き、さらに先述のとおり、読売球団選手に広がる野球賭博汚染は、サラリーマン社会で一般に行われている賭け麻雀、賭けゴルフ、甲子園優勝賭博のような「遊び」とはわけが違う。賭け麻雀経験者の筆者は、それらの禁止を主張するほど清廉な身ではない。本丸はあくまでも野球賭博。プロ野球の現役選手が野球賭博に興じるということは、その情報をもっとも入手しやすい立場の者が賭博行為を行うこと――株の投資におけるインサイダー取引に近い。むろん、インサイダー取引は違法行為だ。

なぜ、読売選手が賭博に関与するようになったのか

なぜ人気球団であり、かつ、日本プロ野球を主導してきた読売巨人軍において野球賭博が行われるようになってしまったのか。このテーマについて、読売球団、日本プロ野球機構(NPB)及びマスメディアが真剣に向き合わない限り、読売球団に巣食った病巣は取り除かれることがない。

日本のプロ野球界が抱える最大の問題は、コミッショナーに権限がなく、読売グループが球界を牛耳っているところにある。コミッショナーはお飾りで、主たる権限はオーナー会議にあり、そのオーナー会議は読売グループの実質的トップであるナベツネが事実上統括している。その歴史的経緯をかんたんに振り返っておこう。

(一)米国CIAエージェントによって創設された日本プロ野球業界

日本にプロ野球を根付かせたのは読売新聞社主・正力松太郎。彼は戦中、大政翼賛会に属していたが、戦後、米国CIAのエージェントとして、読売傘下の新聞等のメディアを駆使し、米国の対日政策に協力した。その代表事例が日本における原発建設推進であった。そればかりではない。読売グループは総力を上げて、敗戦国日本人が戦勝国である米国に対して敵対心をもたないような親米政策への協力に取り組んだ。いわゆる米国によるソフトパワー戦略への協力で、プロ野球普及もその代表事例の一つ。野球は米国の国技であり、戦勝国米国にとっても野球が日本人に広く受け入れられることに異論はなかったはずだ。

日本人の野球好き傾向は戦前からであって、読売だけの力で今日の野球の隆盛が導かれたわけではないが、読売のメディア戦略なくして、プロ野球が日本のスポーツ界におけるナンバーワンの地位を築くこともなかった。

(二)読売(正力松太郎)が描いたプロレス式プロ野球=常勝巨人軍構想

読売(正力)が描いた日本のプロ野球の構図は読売巨人軍を球界の中心に位置づけ、そのまわりに他球団を配するというもの。この構図は、テレビ黎明期、日本国民を惹きつけたプロレスのそれに類似している。プロレスはもちろんショーであって、純粋スポーツではない。しかし、プロレスは単純だが絶対的な構造を有していて、それが人々の心情をつかむ。その構造とは以下のとおり――プロレスラーの中心には絶対的ハンサム(善玉)が、そしてそのまわりにはヒール(悪玉)が配される。戦い序盤はハンサムが劣勢に立たされ苦戦するが、最終的にはヒールは敗退し、ハンサムが勝つ。

(三)読売のドル箱プロレス(力道山)と反社勢力とのつながり

前出のとおり、テレビ黎明期、プロレス中継は読売傘下のテレビ局(関東圏では日本テレビ)が独占中継権を持ち、爆発的人気を博した。そのときのハンサム役にして、最強のスターは力道山。ところがその力道山は、1963年12月、都内の高級クラブで反社会的勢力構成員とのトラブルで殺害される。読売グループのドル箱スター(力道山)は、反社勢力に極めて近い存在だった。力道山殺害事件が象徴するように、読売は力道山を介して、反社勢力と少なからず関係があったと推測できる。

にもかかわらず、日本人は読売傘下のテレビ局が中継する力道山のプロレス番組に大興奮し、視聴率は100%に近かった(ライバル局が少なかったという、今日とは異なる事情もあるが)。プロレスを見るためにテレビを買った家庭も多かった。読売(テレビ)が育てた力道山のプロレスは、読売(テレビ)の絶対的コンテンツとして時代の寵児となった。読売は自社の繁栄のためならば、昔から悪魔とも手を結ぶ。

(四)プロレス人気の終わりとともに始まった巨人V9

力道山殺害事件後、プロレスはスポーツとは異なるエンタメとしてそれなりに定着したが、テレビ黎明期ほどの勢いはなくなった。ナイーブ(ウブ)な日本人にも、プロレスがスポーツでなく、ショーであることに気づいた。プロレスはお茶の間のドル箱番組から、マニアのそれへと変質した。そして、プロレスの衰退と反比例して国民的プロスポーツの地位を獲得したのがプロ野球であった。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代の到来だ。

読売巨人軍は、プロ野球黎明期から積極投資をして有名選手を掻き集め常勝態勢を構築し、読売新聞(スポーツ紙を含む)のメディアの威力によって、日本一の人気球団になった。同時に、巨人軍のチケットはプラチナチケットと呼ばれ、読売新聞の販売促進ツールとして力を発揮した。それはまさに、読売グループの善循環形成への貢献だった。読売新聞は全国規模で新聞販売部数が増加、読売巨人軍は全国規模でファン数を伸ばした。もちろん「巨人戦」テレビ中継も高視聴率を維持した。

読売巨人軍は豊富な資金力を背景にして、他球団の主力選手を入団させ圧倒的戦力を誇り、1965年から1973年までV9達成という文字通りの「常勝球団」となった。読売が描いたプロレス式プロ野球の集大成だ。このときのV1(1965年)は力道山の死から2年後であった。読売の常勝を柱としたドル箱コンテンツは、プロレスからプロ野球に形を変えた。

(五)プロレス式プロ野球の遺産を継承したナベツネ

80年代までにに築かれた読売巨人軍の遺産を継承し発展させようとしたのが、前出のナベツネにほかならない。ナベツネは1989年、巨人軍中心のプロレス式プロ野球人気が下降に転じる時期に読売球団及びNPBに積極介入した。ナベツネは戦力均等化が果たされるドラフト制度に最後まで抵抗した。ドラフト制度導入後には、その代替としてFA制度を導入させた。また、中世ギルドのように12球団オーナーを結束させ、球団数増及び新規参入を拒んできた。しかし、時代はプロレス式プロ野球を拒否しはじめ、プロ野球人気は衰退傾向を強めた。

(六)巨人プロレス式野球衰退から地域密着型球団の台頭

流れを変えたのが、1988年のダイエー(現ソフトバンク)福岡移転、2004年の日ハム札幌移転、2004年の楽天仙台新球団創設等の新潮流だった。これら球団の経営方針は読売全国区の流れを止め、プロ野球を地域密着産業に組み替えた。ダイエーから経営を引き継いだソフトバンクがそれを加速させ、現在人気球団となりつつある千葉、横浜、広島もその流れの中にある。

腐敗を醸成する「常勝」という絶対性

読売巨人軍全国区人気という一極集中したプロレス式プロ野球は驕りと腐敗を内部に胚胎させる。読売巨人軍の若手選手が賭博に手を染めたのは、彼らが全国区人気の球団に所属することにより純粋培養された結果にほかならない。たいした成績を上げなくともチヤホヤされ、世間をしらないまま金銭感覚を失い、得体の知れない人物と交友を深めた挙句、野球賭博に引きずり込まれたのではないか。

このたびの賭博問題の前に世間を騒がせたのは、読売巨人軍に所属していたことのある清原和博の覚せい剤問題だった。彼が覚せい剤に手を染めたのは読売巨人軍在籍中だったといわれている。読売グループは、1963年に刺殺された力道山のプロレスはいうまでもなく、清原覚せい剤問題、そしてこのたびの野球賭博事件と、反社勢力との関係をうかがわせるような事案を起こしている。

球界健全化はコミッショナー権限の確立及びマスメディアの健全化

日本プロ野球界なかんずく読売グループ(=巨人軍)に内在する腐敗を一掃する方策は、第一にオーナー会議に集中した権限をコミッショナーに戻し、一元化すことだ。ナベツネは読売球団の最高顧問を辞めたけれど、代理人を使ってNPBを支配し続けようと図るだろう。彼はいまなお、読売巨人軍中心のプロレス式プロ野球の再来を夢想し続けている。そのことが健全なプロ野球経営を阻害し続けている。

もう一つ大事なことは、読売以外の球団が読売に依存することなく、自立した球団経営に注力することだ。読売巨人軍人気に依存していたセリーグ6球団ばかりでなく、プロ野球を通じて自社名がマスメディアで報道されればそれでいい、まともな球団経営よりも、自社名がメディアに載れば宣伝になるという考えから、他球団が脱却することだ。

そのことと並行して重要なのがマスメディアの体質改善だ。このことは、マスメディアのプロ野球報道を公平かつ正常に戻すことと換言できる。これまで、残念ながら、マスメディア及びスポーツメディアの業界は、読売のプロレス式プロ野球と利害が一致していた。全国規模で単一ブランドが売れれば取材の労力が省けて、簡単に売上を伸ばすことができた。巨人、巨人と報道するだけで全国津々浦々、新聞や雑誌がイージーに売れ、TV視聴率が稼げた。マスメディアは読売のプロレス式プロ野球の恩恵を受けてきたのだ。

地域密着型球団が選手にノブレス・オブリージュの精神を育む

最後に――それはコミッショナーの統括権限が確立したという前提(オーナー会議からNPBコミッショナーが権限を奪取した状態)において果たされる事項であり、かつ、筆者の従来からの持論でもあるのだが――NPBにおける球団数の増加を挙げたい。

日本の民力及び野球文化の普及状況に鑑みれば、現行の12球団から最低でも16球団に増やせる。かつ、増やしてなお、各球団の健全経営が可能だと考える。球団増により、地域密着した球団が増加すればするだけ、読売のプロレス式プロ野球は一掃される。

なぜならば、プロ野球球団が地域に密着すればするほど、プロ野球関係者(球団経営者、スタッフ、選手等)は、地域社会に対する責任を自覚するから。地域社会の一員として、彼らの地域社会への責任意識は重くなり、自尊心が高まる。プロ野球選手に「ノブレス・オブリージュ」の精神が育まれる。

その真逆にあるのが、読売のプロレス式プロ野球。それはプロ野球選手から社会意識を喪失させ、閉ざされた特殊感覚を醸成させてきた。その代表的現象がこのたび明らかになった金銭感覚のマヒであり、覚せい剤事件であり、具体的には若い有望選手を禁断の野球賭博へと導いてしまった。

プロ野球選手と社会との接点を媒介するものこそ、地域密着を掲げた球団の在り方であり、地域社会と共に歩むという、プロ野球球団の存在理念にほかならない。