まったく、なんてことしてくれるんだ、というのが率直な感想。英国国内に断絶と分断を招き、世界経済を混乱に陥れたキャメロンの責任は極めて大きい。
そもそもリーダーとしての資質を欠き、不人気なキャメロン。失地回復、求心力アップを図って大博打(国民投票)を打った。だが、EU残留か離脱かの国民投票は、いまの時期、絶対にやってはいけない「政治的選択」の一つだった。Leave(離脱)、Remain(残留)のどちらに決まっても、悪い結果をもたらすことは明らかだった。
「キャメロンの国民投票」をポーカーにたとえるなら、自分の手は10の3カード、ここで勝負と全財産を張り込んで、「勝負」!と開けてみたら、相手はJの3カード。僅差だが負けは負け。キャメロンの保身のための大博打で世界中が大混乱だ。
英国人にも言いたい、もう少し理性をと。そして筆者が学んだ教訓――「国民投票」という手段の恐ろしさの実感――こいつは、極めて危ない手段なんだなと。
さて、EU=グローバリズムという論調が幅をきかせているみたいだけど、EUはむしろ経済のブロック化であって、いわゆるグローバリズムとは違う。渡航の自由、関税なし、統一通貨・・・は、EU域内の加盟国とその国民に限られた特権だ。小国が群生する欧州が、米国、ロシア、中国といった大国と経済的に合い渉る手段の一つだった。もちろん、戦争に明け暮れた欧州の歴史を終らせたいという理想主義も含まれていた。
EU離脱を促したのが「移民問題」だという。だが、英国は世界中に植民地を保有していた、「大英帝国」の歴史をもっている。英国は、自国及び保有する植民地の労働力確保するため、世界中から人間を強制的に移入してきた。植民地先住民は自由意志ではなく、奴隷として、強制的に英国及びその植民地に移送されたのだ。それだけではない。英国は自国の戦争のため、植民地の先住者を兵士として徴用してきた。それなのにいまさら、EU内から移民が流入したからといって、彼らを敵視する資格があるのだろうか。
英国で起きている格差の拡大は、それこそグローバリズムがその主犯であって、EU域内の渡航の自由の結果ではない。英国は米国に倣い、新自由主義、市場原理主義を掲げて福祉を切り捨て、民営化と金融資本主義の肥大化により、富裕層と貧困層が二極化した。貧困層は、自分の仕事を移民に取られたように感じるのかもしれないが、移民が行っている仕事は、もともと英国内の最下層が担っていた。グローバリズムの進行に従い、それまで厚く形成されていた中間層が崩壊、下層に転落した前中間層が職を求めようとしたら、移民が既にその職に就いていた、というわけだ。
新自由主義、市場原理主義を「よし」としたなら、社会の格差発生を覚悟して当然。「出来のいい」人間が富を独占することが新自由主義の鉄則なのだから。敗者には目もくれないのが新自由主義だ。それだけではない。コストを下げるのが市場原理。労働力ももちろんコストの一つ。だから、近年の英国は、東欧、南欧、アラブ、アフリカから、低賃金で働かせられる移民を歓迎してきたではないか。市場原理主義は「痛み」を伴うどころではない、人間を使い捨てることを「よし」とする経済システムであり、それを「よし」とするイデオロギーなのだ。
資本主義経済が社会に格差を生むことは19世紀にすでに広く認識されていた。西欧の先進資本主義国家はそこで社会民主主義を選択し、富の再配分に重きをなしてきた。労働者(組合)の政治参加を容認し、彼らの利益を社会に反映させる仕組みを取りいれてきた。福祉国家建設を第一としてきた。
このたびの英国のEU離脱が社民主義への復帰を掲げたものならば、筆者は大いに賛同しえた。ところが実際は、それと真反対――離脱主義者の政治理念は孤立主義、排外主義のように思える。「見えない敵」を見ようとする努力を怠り、人種、宗教といった、「見える」ものに対し、安直に敵意を向ける風潮が社会に蔓延する危険性を予感させる。それはヒトラーの「ユダヤ人」排除の思想と通底する。
英国のEU離脱の選択は、社会の格差をいま以上に広げ、より深刻な断絶と暴力を英国内に加速的に蔓延させる契機となるだろう。
2016年6月25日土曜日
2016年6月16日木曜日
2016年6月13日月曜日
Zazieがやってきてから5年もたった。
2011年の大地震のあと、家内が猫をどこからか連れてきた。
寝耳に水のできごとであった。
「動物は無理」と、常日頃から話していた。
動物がきらいではないが、負担が大きいと感じていたから。
メリットもデメリットもあるよと。
だが、すでに猫がいる。
もはや、選択の余地はなかった。
しこうして、これまで、猫との同居が続いている。
猫はもちろん可愛い。
猫の本も買って読んだ。
命を預かった以上、そのことは「好き、嫌い」を超えた状況なのだから。
猫を連れてきた家内は、すでに猫に関心を失っている。
2016年6月10日金曜日
『日本会議の研究』
●菅野完〔著〕 ●扶桑社新書 ●800円+税
本書を読み進めるうち、背筋が凍るような戦慄が走った。日本の政治(家)はここまで劣化してしまったのかと。それを推し進めてしまったのは社会の、いや私たち自身の劣化なのではないのかと。
誠に示唆多き書である。本題に研究とあるが、おかたい研究書ではない。きわめて今日的な、かつ、スリリングな書である。とりわけ、日本会議の黒幕ともいうべき幹部の正体を突き止める部分(最終章「淵源」)は、推理小説を読み進めているうち、犯人が特定されるかのような興奮に満ち満ちている。そのような意味においても、本書の一読をお薦めする。
日本会議についての印象
本書を読む以前、日本会議についての筆者の認識がきわめて甘かったことを告白する。その名称、すなわち「ニホンカイギ」という漠としたそれから受けた印象は、日本の保守勢力のゆるやかな結合組織というもののように思えた。著者(菅野完)も、日本会議のとある集会を評して、次のように書いている。
著者(菅野完)が強調する日本会議の世俗性
著者(菅野完)は、“日本会議には多くの宗教団体が参加している。しかしそれは決して「カルトによる支配」でも「宗教団体の陰謀」でもない。日本会議について知るためには、そうした幼稚で拙速な陰謀論的総括と誤解を排す必要がある。そうした認識を捨てたうえで、まずは、日本会議が辿ってきた歴史を振り返ってみよう」(P38)と書いている。
その一方、あるメディアは、日本会議をカルト集団と特定した。本書を読む以前、その規定を信じていなかったのだが、本書を読むと、著者(菅野完)が日本会議はカルトではないと強調するのとは裏腹に、それはまさしく、カルト集団以外のなにものでもなかった。その理由については後述する。
戦後70年目にして初めてイデオロギー政党となった自民党
さて、戦後71年間、自民党は、細川政権(1993-1994)、民主党政権(2009-2012)の短期間を除いて、ほぼ政権の座を維持してきた。
自民党の組織基盤については、宗教団体を別格として、小選挙区の場合、地元後援会(地縁者、縁故者等)を中核とし、地元への利益還元を候補者に託してきた。一方、大選挙区の場合は、事業者団体が自民党候補者を業界あげて応援するという構図であった。事業者団体のなかで大規模なものの代表としては、農協(中央組織JA)、建設業団体が挙げられる。また、小規模なそれとしては、理髪業組合、中小不動産業者団体などが身近な存在だ。数ある業界団体がそれぞれ政治連盟を組織し、たとえば参院選挙比例代表の場合は署名を集めるなどして、それぞれの業界団体が推薦する候補者の名簿上位順を上げる努力をしてきた。業界団体の支援を受けた候補者が当選した暁には、業法(規制法)を関係省庁の担当部署に整備させ、新規参入者排除等の業界利益を業者のためにはかってきた。筆者の記憶にすぎないが、こうした選挙における自民党と支持母体の関係は、西暦2010年前後までは盤石だったような気がする。
こうしたいわゆる政-官-財のトライアングルが今日まったくなくなったとはいわない。だが、構造改革、経済のグローバル化及び新自由主義の台頭等により、その関係は以前ほどではなくなった。加えて、数を頼んでいた中小事業者団体構成者の高齢化、事業者数の減少といった、事業者団体の弱体化もある。
日本会議を考える場合、このような自民党を巡る集票構造の変化を理解しておく必要がある。日本会議が自民党に接近できた背景には、業者団体の衰退及び経済的結び付きの弱化を見逃せない。経済的結び付きにおいては、イデオロギーは関係しない。あくまでも経済上のギブ・アンド・テークの関係が優先される。
いずれにしても、これまで自民党にとっての支持団体(=圧力団体)のはずの中小規模の事業者団体が衰退してしまった結果、自民党は新しい支持団体を必要とした。その中の一つとして日本会議が大いなる台頭を見せ今日に至った。自民党は戦後70年の経過をもって、初めてイデオロギー政党になった。
成長の家開祖・谷口雅春の『愛国聖典』
安倍政権の閣僚のうち公明党を除く自民党の閣僚のほとんどが日本会議に名を連ねていることから見ても、自民党が日本会議のイデオロギーの影響下にあることは間違いない。では日本会議のイデオロギーとはなにかといえば、「生長の家」開祖(「生長の家」では総裁と呼ぶらしいが)、谷口雅春(1893-1985)の教えということになる。谷口の教えを絶対的に信仰し実践することと換言してもいい。
なお、本書において再三注意喚起が促されていることだが、日本会議は現存する宗教法人生長の家(谷口雅宣会長)とは一線を画しており、著者(菅野完)は日本会議を「生長の家原理主義」集団と規定する。
〈日本会議〉と〈宗教法人生長の家〉の違いについての詳細は本書を読んでいただきたいのだが、端的に言えば、前出のとおり、日本会議は開祖谷口雅春の教えを一言一句忠実に守り、実践するというところにある。
谷口雅春の代表的著作『生命の實相』には、過激なカルト的傾向は認められない。しかし、Wikipediaによると、“谷口雅春はアジア・太平洋戦争期に急速に右傾。国家主義・全体主義・皇国史観・感謝の教えを説いた。こうした教えを記述した雅春の著作は、信徒間で「愛国聖典」と呼ばれた。「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど、教団を挙げて戦争に協力した。なお当時の信者には、高級軍人の家族が多くいた。”とある。
1970年前後、新左翼学生運動(全共闘運動)が隆盛を極めた時代、それに対抗して「民族派」と呼ばれる学生組織がいくつか結成されたのだが、「成長の家」の若き信徒がその中核を担っていたことはあまり知られていない。そして彼らは、新左翼各派と激しい暴力闘争を繰り広げた。このことは、本書に詳しく書かれている。
現在の日本会議の指導者は、当時、長崎大学園紛争において、左翼各派と闘争を繰り広げ、学園秩序を回復することに成功した、生長の家信徒の民族派学生組織の幹部であったことが本書に明らかにされている。日本会議の幹部は、左翼学生組織との闘争を経験する中で、谷口雅春の『愛国聖典』を忠実に受け継ぎ、それを今日まで運動の原点としてきたのではないだろか。
日本会議が目指すのは、日本国憲法を廃し、明治維新後の1889年に公布された大日本帝国憲法や「教育勅語」へと回帰することだ。そのことは、日本国民が先の戦争で300万人以上の犠牲者を出して手に入れた、▽国民主権、▽基本的人権の尊重、▽平和主義――等の理念の否定であり、▽言論の自由、▽信仰の自由――等の否定にもつながる。本書P221には、自民党政調会長・稲田朋美が生長の家の聖典『生命の實相』を掲げる写真がある。もはや、日本の政治(家)は、このような危険水域に達してしまったようだ。
日本会議は〈世俗的集団〉なのか〈カルト集団〉なのか
著者(菅野完)は、本書の後半、日本会議に係る自身の考察について自問自答しつつ、以下のとおりの回答を示す。
以下、本書においては、著者(菅野完)の回答の実証のための記述が続く。そして、次のような結論に至る。
と書きつつ、日本会議の成長の秘密について、彼らが左翼勢力のノウハウを学び、世俗的に成長を遂げたこと――その事務能力の高さと継続性――にあることを強調する。日本会議とは市民運動だと。
繰り返せば、日本会議とは、70年安保闘争における長崎大学園紛争の最中、右派学生活動家であった数人の学生が左派勢力に勝利して以来、生長の家原理主義者としておよそ半世紀にわたって、保守的「市民運動」を継続し、あまたの保守勢力を持ち前の事務能力の高さで束ね、今日、自民党を乗っ取るくらいの勢力に成長した――とする著者(菅野完)の解析はおそらく、そのとおりなのだろう。
だが、著者(菅野完)は、前出の本書最終章「淵源」において、日本会議が半世紀近く、彼らなりの市民運動を継続し得た〈秘密〉を明らかにする。その〈秘密〉をここで明かすわけにはいかないが、日本会議の幹部の紐帯こそが、日本会議が〈カルト集団〉である所以にほかならない。
著者(菅野完)はことさら、日本会議の世俗性を強調しながら、最終章において、その幹部たちが個人崇拝と神秘体験を肯定し、それを基盤として結束する〈カルト集団〉であることを苦労の末、明らかにしてしまう。さてかかる矛盾の指摘は、筆者の誤読の結果であろうか――
本書を読み進めるうち、背筋が凍るような戦慄が走った。日本の政治(家)はここまで劣化してしまったのかと。それを推し進めてしまったのは社会の、いや私たち自身の劣化なのではないのかと。
誠に示唆多き書である。本題に研究とあるが、おかたい研究書ではない。きわめて今日的な、かつ、スリリングな書である。とりわけ、日本会議の黒幕ともいうべき幹部の正体を突き止める部分(最終章「淵源」)は、推理小説を読み進めているうち、犯人が特定されるかのような興奮に満ち満ちている。そのような意味においても、本書の一読をお薦めする。
日本会議についての印象
本書を読む以前、日本会議についての筆者の認識がきわめて甘かったことを告白する。その名称、すなわち「ニホンカイギ」という漠としたそれから受けた印象は、日本の保守勢力のゆるやかな結合組織というもののように思えた。著者(菅野完)も、日本会議のとある集会を評して、次のように書いている。
(集会に集まったグループについて)一口に「保守系」といっても、動員対象となった各教団は、それぞれ掲げる政策目標も運動への温度差も違う。(略)全ての教団が従来の「保守」や「右翼」といった範疇に入るわけではない。そんな多種多様な人々が「なんとなく保守っぽい」という極めて曖昧な共通項だけでゆるやかに同居しているのが「日本会議」だともいえる。(P130)
著者(菅野完)が強調する日本会議の世俗性
著者(菅野完)は、“日本会議には多くの宗教団体が参加している。しかしそれは決して「カルトによる支配」でも「宗教団体の陰謀」でもない。日本会議について知るためには、そうした幼稚で拙速な陰謀論的総括と誤解を排す必要がある。そうした認識を捨てたうえで、まずは、日本会議が辿ってきた歴史を振り返ってみよう」(P38)と書いている。
その一方、あるメディアは、日本会議をカルト集団と特定した。本書を読む以前、その規定を信じていなかったのだが、本書を読むと、著者(菅野完)が日本会議はカルトではないと強調するのとは裏腹に、それはまさしく、カルト集団以外のなにものでもなかった。その理由については後述する。
戦後70年目にして初めてイデオロギー政党となった自民党
さて、戦後71年間、自民党は、細川政権(1993-1994)、民主党政権(2009-2012)の短期間を除いて、ほぼ政権の座を維持してきた。
自民党の組織基盤については、宗教団体を別格として、小選挙区の場合、地元後援会(地縁者、縁故者等)を中核とし、地元への利益還元を候補者に託してきた。一方、大選挙区の場合は、事業者団体が自民党候補者を業界あげて応援するという構図であった。事業者団体のなかで大規模なものの代表としては、農協(中央組織JA)、建設業団体が挙げられる。また、小規模なそれとしては、理髪業組合、中小不動産業者団体などが身近な存在だ。数ある業界団体がそれぞれ政治連盟を組織し、たとえば参院選挙比例代表の場合は署名を集めるなどして、それぞれの業界団体が推薦する候補者の名簿上位順を上げる努力をしてきた。業界団体の支援を受けた候補者が当選した暁には、業法(規制法)を関係省庁の担当部署に整備させ、新規参入者排除等の業界利益を業者のためにはかってきた。筆者の記憶にすぎないが、こうした選挙における自民党と支持母体の関係は、西暦2010年前後までは盤石だったような気がする。
こうしたいわゆる政-官-財のトライアングルが今日まったくなくなったとはいわない。だが、構造改革、経済のグローバル化及び新自由主義の台頭等により、その関係は以前ほどではなくなった。加えて、数を頼んでいた中小事業者団体構成者の高齢化、事業者数の減少といった、事業者団体の弱体化もある。
日本会議を考える場合、このような自民党を巡る集票構造の変化を理解しておく必要がある。日本会議が自民党に接近できた背景には、業者団体の衰退及び経済的結び付きの弱化を見逃せない。経済的結び付きにおいては、イデオロギーは関係しない。あくまでも経済上のギブ・アンド・テークの関係が優先される。
いずれにしても、これまで自民党にとっての支持団体(=圧力団体)のはずの中小規模の事業者団体が衰退してしまった結果、自民党は新しい支持団体を必要とした。その中の一つとして日本会議が大いなる台頭を見せ今日に至った。自民党は戦後70年の経過をもって、初めてイデオロギー政党になった。
成長の家開祖・谷口雅春の『愛国聖典』
安倍政権の閣僚のうち公明党を除く自民党の閣僚のほとんどが日本会議に名を連ねていることから見ても、自民党が日本会議のイデオロギーの影響下にあることは間違いない。では日本会議のイデオロギーとはなにかといえば、「生長の家」開祖(「生長の家」では総裁と呼ぶらしいが)、谷口雅春(1893-1985)の教えということになる。谷口の教えを絶対的に信仰し実践することと換言してもいい。
なお、本書において再三注意喚起が促されていることだが、日本会議は現存する宗教法人生長の家(谷口雅宣会長)とは一線を画しており、著者(菅野完)は日本会議を「生長の家原理主義」集団と規定する。
〈日本会議〉と〈宗教法人生長の家〉の違いについての詳細は本書を読んでいただきたいのだが、端的に言えば、前出のとおり、日本会議は開祖谷口雅春の教えを一言一句忠実に守り、実践するというところにある。
谷口雅春の代表的著作『生命の實相』には、過激なカルト的傾向は認められない。しかし、Wikipediaによると、“谷口雅春はアジア・太平洋戦争期に急速に右傾。国家主義・全体主義・皇国史観・感謝の教えを説いた。こうした教えを記述した雅春の著作は、信徒間で「愛国聖典」と呼ばれた。「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど、教団を挙げて戦争に協力した。なお当時の信者には、高級軍人の家族が多くいた。”とある。
1970年前後、新左翼学生運動(全共闘運動)が隆盛を極めた時代、それに対抗して「民族派」と呼ばれる学生組織がいくつか結成されたのだが、「成長の家」の若き信徒がその中核を担っていたことはあまり知られていない。そして彼らは、新左翼各派と激しい暴力闘争を繰り広げた。このことは、本書に詳しく書かれている。
現在の日本会議の指導者は、当時、長崎大学園紛争において、左翼各派と闘争を繰り広げ、学園秩序を回復することに成功した、生長の家信徒の民族派学生組織の幹部であったことが本書に明らかにされている。日本会議の幹部は、左翼学生組織との闘争を経験する中で、谷口雅春の『愛国聖典』を忠実に受け継ぎ、それを今日まで運動の原点としてきたのではないだろか。
日本会議が目指すのは、日本国憲法を廃し、明治維新後の1889年に公布された大日本帝国憲法や「教育勅語」へと回帰することだ。そのことは、日本国民が先の戦争で300万人以上の犠牲者を出して手に入れた、▽国民主権、▽基本的人権の尊重、▽平和主義――等の理念の否定であり、▽言論の自由、▽信仰の自由――等の否定にもつながる。本書P221には、自民党政調会長・稲田朋美が生長の家の聖典『生命の實相』を掲げる写真がある。もはや、日本の政治(家)は、このような危険水域に達してしまったようだ。
日本会議は〈世俗的集団〉なのか〈カルト集団〉なのか
著者(菅野完)は、本書の後半、日本会議に係る自身の考察について自問自答しつつ、以下のとおりの回答を示す。
ここで、本書の問題意識について改めて触れておこう。
「安倍政権の反動ぶりも、路上で巻き起こるヘイトの嵐も、『社会全体の右傾化』によってもたらされたものではなく、実はごくごく一握りの一部の人々が長年にわたって続けてきた『市民運動』の結実なのではないか?」(P220)
以下、本書においては、著者(菅野完)の回答の実証のための記述が続く。そして、次のような結論に至る。
彼ら(日本会議)の運動がスタートしたのは、70年安保の時代。
あのころからすでに50年近くの歳月が流れた。にもかかわらず彼らはいまだに当時の同志の紐帯を維持し、その輪を広げている。彼らは敵であった左翼学生運動がその後、内ゲバや離合集散を繰り返し、党派としてはおろか人間関係としても元の姿をとどめていないのと対照的だ。なぜそんなことが可能なのか?彼らの一体感はどこから生まれるのか?なぜ彼らは同志の紐帯を維持し続けられるのか?(P236)
と書きつつ、日本会議の成長の秘密について、彼らが左翼勢力のノウハウを学び、世俗的に成長を遂げたこと――その事務能力の高さと継続性――にあることを強調する。日本会議とは市民運動だと。
(日本会議の)個々の構成員は高齢でそのくせ考えが幼稚でかつ多種多様かもしれぬが、これを束ねる(日本会議の)事務方は、極めて優秀だ。この事務方の優秀さが、自民党の背中を押し改憲の道へ突き進ませているものの正体なのだろう。(P132)
繰り返せば、日本会議とは、70年安保闘争における長崎大学園紛争の最中、右派学生活動家であった数人の学生が左派勢力に勝利して以来、生長の家原理主義者としておよそ半世紀にわたって、保守的「市民運動」を継続し、あまたの保守勢力を持ち前の事務能力の高さで束ね、今日、自民党を乗っ取るくらいの勢力に成長した――とする著者(菅野完)の解析はおそらく、そのとおりなのだろう。
だが、著者(菅野完)は、前出の本書最終章「淵源」において、日本会議が半世紀近く、彼らなりの市民運動を継続し得た〈秘密〉を明らかにする。その〈秘密〉をここで明かすわけにはいかないが、日本会議の幹部の紐帯こそが、日本会議が〈カルト集団〉である所以にほかならない。
著者(菅野完)はことさら、日本会議の世俗性を強調しながら、最終章において、その幹部たちが個人崇拝と神秘体験を肯定し、それを基盤として結束する〈カルト集団〉であることを苦労の末、明らかにしてしまう。さてかかる矛盾の指摘は、筆者の誤読の結果であろうか――
2016年6月9日木曜日
2016年6月1日水曜日
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