2017年12月17日日曜日

日本サッカー界にとって誠に残念な12月

Jリーグが川崎フロンターレの逆転優勝で終了。それをもって一時期盛り上がりを見せた日本国内のサッカー界だったが、UAEで開催されたクラブワールドカップ(CWC)にアジア王者として出場した浦和が初戦で開催国枠出場のアルジャジーラに0―1で惜敗。さらに本田圭佑が所属するパチューカ(北中米王者)も南米王者のグレミオに負けて3位決定戦に。(※パチューカはアルジャジーラに勝って3位を確保したが、この試合、本田は出場しなかった。本田が出なかったからパチューカが勝ったとはいわないが、皮肉なものである。)

国内では東アジア(日本、韓国、中国、北朝鮮)の王者を決めるE1最終戦で日本代表が韓国代表に1-4という歴史的かつ屈辱的敗北で韓国に優勝をさらわれた。日本サッカー界にとってはなんとも後味の悪い2017年末である。

浦和の惜敗――これがサッカーだ


ACLを苦労して制した浦和が開催国枠のクラブに負けた。もったいない敗退ではあるものの、このパターンは日本開催の大会で何度も繰り返されてきた。昨年の日本開催大会で鹿島が演じた事例が思い浮かぶ。鹿島が欧州王者のレアルマドリードを追い詰めて日本中がわきあがったものだった。冷静に考えれば、サッカーに限らず、スポーツ全般におけるホーム優位の特性が再現されたに過ぎない。逆にいえば遠征先で勝つことの難しさ、アウエーで勝ててこそ、真の実力者といえる。

本田圭佑は本当に輝いたのか

パチューカは初戦(準々決勝)、アフリカ王者のウイダード・カサブランカに延長の末、1-0で辛勝したものの、準決勝で南米王者のグレミオに0-1で負けた。本田は2試合に出場して得点なし。カサブランカ戦ではいい動きを見せた場面もなくはなかったが、得点シーンに絡んだわけではない。続くグレミオ戦、その後半、本田の姿はテレビ画面から消えていた。

仮にこの2試合の本田のパフォーマンスを日本人以外の選手が見せたと仮定したならば、何の話題にもならなかったに違いない。2試合を見た日本人の誰一人覚えていないに違いない。日本人であるわたしたちは日本人選手の本田に注目するが故に、彼が目立ったように錯覚するのである。この2試合をもって、ロシアW杯における日本代表の右サイドを本田に託すという結論を筆者は保留する。

国内組の「実力」の証明

E1最終(韓国)戦は“国内組”日本代表の状況を白日の下に晒した。実力、気力において、韓国との差は明らかだった。引分以上で優勝と日本優位の条件だった。しかも、試合開始早々、PKで先取点をもらった。日本にとってこれ以上ない好条件がそろった展開になるとだれもが信じた。ところが、その後の状況は見てのとおり、高さに弱い日本の守備の弱点をつかれ、簡単に同点に追いつかれると、なすすべのないまま失点を繰りかえし敗退した。

さて、日本代表とはいえ、E1には海外組及び浦和の選手は招集されていない。つまり浦和の西川(GK)、興梠(FW)、槙野(DF)、柏木(MF)といったA代表クラスが招集できなかったというハンディが日本側にはある。けれども、海外組の招集がないのは韓国も同じだから、日韓の国内組代表選手の対決という構図でほぼいいと思う。その結果の日本代表の惨敗であるから、韓国の方が日本より全体のレベルとして上位にあるという結論が引き出せる。

ハリルホジッチの不可解な選手起用

韓国戦、ハリルホジッチ監督に常識では考えられない采配があった。その一つは、植田の右サイドバック(SB)起用である。この起用は韓国戦の前からだった。しかしタイトルのかかった韓国戦まで継続したのは、力のある韓国相手に植田の力量を見極めたかったからだと筆者は推測する。

その植田だが、テレビ解説のY氏が指摘した通り、常に位置取りが高く(相手のDFラインに近づきすぎるため)、攻撃のスペースを自身で消していた。いってみれば、SBとしての基本がなっていなかった。クラブチーム(鹿島)でも経験のないポジションだから、植田を批判するつもりはない。

大雑把にいえば、SBとはスペースに向けてラインに沿ってスピードをつけて駆け上がるポジション。植田のように前に張りすぎれば、SBの基本的機能は喪失する。高さのあるSBがサイドで起点をつくるという役割もなくはないが、ライン近くで、頭で起点をつくるプレーは効率的ではない。その場合は足元だろう。

ではなぜ、ハリルホジッチはそんな植田を使い続けたのか――植田と槙野の選択に係る結論を引き出すためだったのではないか――と筆者は推測する。槙野は先の欧州遠征でセンターバック(CB)として、安定したプレーをした。その槙野は右SBもできる。つまり、代表候補のDFとしてほぼ内定状態にある吉田麻也、及び、この試合でキャプテンを務めた昌子源に次ぐCBの三番手は槙野だと結論付けたかったのだと推測する。もちろん植田がロシアW杯の代表に選出されないと断言できるわけではないが、槙野と植田を比較すれば、槙野のほうが、ユーティリティーが高いとの結論は出た。

二点目は、大量リードされた局面で守備的MFの三竿健斗を交代で投入したこと。この交代は意味不明。理解できない。敢えて邪推するならば、このときすでにハリルホジッチは試合を捨てていたと推測するほかない。若手に経験を積ませた、ということか。いやほかの理由はないのか。

ハリルホジッチの深謀遠慮

因縁の韓国戦での惨敗。当然、ハリルホジッチ監督解任の声は高まる。叩かれて当然の試合内容である。しかし、ハリルホジッチは惨敗を通じて、重要なというか、彼の腹の内で燻っていた「反ハリル派」に対するメッセージを発したかったのではないか、と推測する。それは、「国内組を使え」という一部サッカーコメンテーターの声に対する反撃でもある。

日本のサッカーメディアの代表批判にはパターンがある。「海外組」で負けると、「国内組」を使えという声が高まること。攻撃陣を海外でプレーする選手で固めた試合に無得点で負けると、「Jリーグ得点王の〇〇をなぜ呼ばなかったのか」と。海外で試合に出ていない選手よりも、国内で活躍している選手を使えともいわれる。

このような凡庸な決めつけにも根拠がないことはない。海外クラブと契約しても、ベンチ外やベンチ要員で試合に出ていない選手はコンディションが悪くて当然だし、試合勘もない。だからそのような選手を名前だけで代表に招集することはやめるべきだ。かつて、「海外組」というブランドで代表チームを構成して失敗した代表監督がいたし、「海外組」と日本企業のCM契約を媒介した大手広告代理店からの圧力もあるから、協会が代表監督に圧力をかける。代表監督も職を失いたくないから、協会に忖度する。

さて、韓国戦である。前出のとおり、この試合は必然的に純粋国内組で代表選手を構成せざるを得なかった。国内組の実力を測るには絶好の機会である。そこでの惨敗。反ハリル派は批判の常套句である「国内組を使え」が口に出せない。その逆に、ハリルホジッチにしてみれば、これまで無媒介に「国内組」と叫び続けてきた反ハリル派の強弁を一蹴できる。「負け」をもって、反ハリル派への逆襲を試みたのではないか。

ハリル解任、勢いを増す

このようなハリルの開き直りは、彼の立場をより悪くした。反ハリル派は、ハリルホジッチ解任に向かうほかない。海外組で負ければ、国内組を使えと批判できるが、国内組で負ければ、批判の対象はハリルホジッチ本人に向けられる。反ハリル派にしてみれば、それ以外に批判の材料はないのだから。国内組、Jリーグで活躍した選手を…と強弁したサッカー評論家諸氏は、彼ら自身の論理的破綻を棚に上げ、ハリルホジッチの監督の力量への批判に向かう。かくして、この期に及んでハリル解任が強まることになる。

ハリル解任はハイリスク

ロシアW杯開催まで半年余りのこの時期、代表監督の交代にどれだけの効果が期待できるのか。ハリルホジッチの速い攻撃が日本に合わない、フィジカルの弱い日本人選手にデュアルを求めても仕方がない…などなど、時代遅れの批判がやかましいが、ハリルホジッチの言説はモダンサッカーの基本であって、彼独自のサッカー哲学ではない。世界のサッカー水準を日本代表に求めることは当然である。

問題は、日本サッカーの最大公約数であるJリーグがそこに達していないことである。岡崎や香川がクラブで活躍できるのは、所属するクラブチームのなかで居場所を得ているからである。そのことは、チームに調和した存在であると別言できよう。かれらが日本代表で活躍できないのは、所属するクラブチームの他の選手が彼らの特性を引き出せる力がある一方、日本代表の他の選手からは協力を得られていないからである。日本代表と調和していないからである。サッカーはチーム・スポーツであるから、個の力がいくら強くてもそれだけでは勝てない。フォルランが入団したセレッソ大阪やポドルスキが入団したヴィッセル神戸が即優勝できなかったように。

その反対に、居場所を得れば無名の選手が才能を開花させることもある。Jリーグで並の評価の選手が海外で億単位の報酬を得る選手に成長する可能性もある。だから、歴代の外国人日本代表監督のだれもが、Jの選手に海外移籍を勧めてきたのだと思う。

弱い国内組は日本サッカー界の歪みの投影

監督交代は劇薬に等しい。それを契機としてチームが再生することもあるし、より悪化して死に至ることもある。代表チームの場合、どちらかというと、後者のケースの方が多いように思う。国内組の実力とやらは、韓国戦の惨敗で明白になった。この惨敗はハリルホジッチだけの責任ではない。Jリーグのぬるま湯的環境、国内選手の臆病さ、フィジカルを求めてこなかった日本のサッカー指導方法、広告代理店主導の代表選手選考、サッカーメディア業界における論理性を欠いた定型化した代表監督批判の横行、そして幾度となく繰り返されたW杯本大会における敗退の責任を取らないサッカー協会の存在などなど・・・が、その原因であり、複合的なのである。だからそれを完治するには時間がかかる。代表監督を解任すれば解決するような安易な問題ではない。

日本サッカーはまるで勢いを失っている

筆者はW杯ロシア大会のアジア予選を日本が突破できたのは、ハリルホジッチの手腕によるものだと確信している。しかし、本大会のグループリーグを突破できるとは思っていない。世界との差は広がっている。

日本代表がロシアW杯グループリーグで敗退した場合、その責任は監督がとることになろう。それは必然である。だがそれだけで終われば、それこそトカゲの尻尾切り。真の反省はなく、新しい代表監督探しが始まり、4年に一度のお祭り騒ぎで日本中が騒然となる。このような意味のない循環を繰り返しても、日本サッカーは強くならない。W杯開催前に敗退の責任のあり方をかわしてもそれこそ無意味だが、進歩だけはしてほしい。日本サッカー界の無意味な循環をどこかで止めなければならない。