日本サッカー協会(JFA)が9日、都内のJFAハウスで会見を開き、田嶋幸三会長がバヒド・ハリルホジッチ(以下、「ハリル」と略記)監督の解任と、西野朗技術委員長を新監督とする人事を発表した。解任理由は、ハリルと代表選手とのコミュニケーション不足、摩擦などだという。ウクライナ戦の後、監督と選手の状況が悪化し、解任の決定打になったという。
ハリルの方針は日本代表に定着せず
今回のハリル解任劇を端的にいいあらわせば、〝JFAが一部選手の私利と企業利益の追求に屈した、悲しくも非常識な「惨劇」であった”といえる。それはサッカーというスポーツとは乖離した茶番ともいえる。このことの詳細を以下に示す。
筆者は直前の拙Blogにおいて、「ハリルの4年間の仕事は失敗」と書いた。アジア予選を突破したという実績がありながら、なぜ、失敗なのか。その回答は、先のベルギー遠征の2試合(3月23日マリ戦・3月27日ウクライナ戦)を見れば自明なこと。相手はアフリカ地区、欧州地区におけるW杯予選敗退国。ハリル率いる日本代表は、その2チームに対して、サッカー全般で劣っていた。ハリルのチームづくりは4年間、空転していたことは明らかだった。
日本のメディアに巣食う「反ハリル」の代弁者たち
ハリルの「縦に速い攻撃」が日本人には合わないとか、「パスを回せ」とかのメディアの騒音は一貫して日本のサッカーメディアの内側に存在し続けていた。サッカー評論家(元代表選手)、フリーライターがその発信元。彼らは明らかに、反ハリル勢力の代弁者であり、その筋の者、その筋のポチである。彼らは、ハリル解任に尽力した代表の一部の選手及びJFA、電通(アディダスを筆頭とする日本代表のスポンサー各社及びテレビ局の代理人)の意図を汲んだ発言者である。
ハリルの解任理由は、選手と監督の戦術面のディスコミュニケーションだというが、筆者にはそう思えない。監督と選手の関係は緊張に満ちたもの。監督の好みが選手起用を左右することは珍しくない。力がありながら、招集されない選手もいる。それが、代表サッカーである。監督の方針によって、W杯で招集されない選手、リーグ戦で試合に出られない選手・・・を数えたらきりがない。
商業的利益が優先するW杯メンバー
田島幸三JFA会長が解任理由として、監督と選手の関係が「こじれている」という意味の発言をしていたが、この発言は解任理由の核心を象徴しているように思える。つまり、解任がチーム強化やW杯ベスト16入りを果たすためといった、純粋スポーツ的見地でなされたわけではないということ。解任の真の理由は、ハリルの選考によって、W杯メンバーから外れる選手と、彼らとスポンサー契約をしている者が共同して、ハリルを追い出したという意味に聞こえる。かれらの利益を確保するために仕組んだ、反ハリル・クーデターだと考えるとわかりやすい。
「パスサッカー」は2010年を頂点に退潮傾向に
筆者は、ハリルの方針は間違っていないと確信している。前出の「サッカー評論家」が主張するパスサッカー、ポゼッションサッカーは、2010年W杯南アフリカ大会(スペインが優勝)をピークとして後退し、いま現在、モダンサッカーの主流はフィジカル重視、単純化していえば、「縦に速い攻撃」が世界標準になっている。その土台となるのが、「デュアル」である。
ハリルはその流れを日本代表に定着しようと、およそ4年間、指導を続けてきたが、残念ながら、モノにならなかった。前出の「ハリルの失敗」という意味は、指導理念は正しかったにもかかわらず、その実践がかなわなかったということである。ベルギー遠征の2試合、ハリルの苦悩がTV画面から伝わってきていたではないか。彼は本番直前まで自分の戦術に合致した選手を見つけようとテストをくりかえし、そのたびごとに勝利に結びつけることができなかった。「勝利ナシ」とシンクロして、「ハリル解任」の声がチーム内外で沸騰し、ついにウクライナ戦の敗戦で「ハリルの砦」は決壊した。
だが皮肉なことに、解任の引き金となったベルギー遠征において、中島、柴崎という2選手を見出したことは、ハリルにとって少しの光明ではなかったか。その矢先の解任なのだから、彼の心中が穏やかであるはずがない。
ハリルの甘さ
ベルギー遠征後、ハリルは苦境に立たされていたのだが、彼はそのことに気づかなかった。ベルギー遠征はハリルにとっては練習試合つまりテストにすぎない2試合だったのだ。しかしながら、このハリルのこの位置づけ及び見通し・認識は正しくない、本番(6月19日コロンビア戦)まで3カ月を切った遠征試合において、本番に向けた戦列整備がなされていなかったことを大衆的に明らかにしてしまったことは、ハリルにとって致命的なミスであった。その甘さは厳しく問われて当然である。ベルギー遠征に向けたハリルの姿勢は間違ったものであり、計算違いであり、彼は自ら「解任」の墓穴を掘ってしまった。
ベルギーの2試合の内容及び結果が惨憺たるものだったから、「反ハリル派」に解任の口実を与えてしまった。いまのハリルを取り巻く状況なら、解任はだれからも文句が出ないと見たのだろう。「反ハリル派」の目論見はみごと成功した。解任後の報道は、「仕方がない」「新しい出発に期待する」「巻き返しが始まる」「これで日本らしいサッカーができる」・・・と。メディアからは勇ましい「進軍ラッパ」が鳴り始めた。敗戦を転進と言い換えた「大本営発表」を報道する戦時中のメディアと同等の野蛮さが満ち満ちている。
この時期の監督解任は代表サッカーにおける非常識
ロシア大会で日本がベスト16に入るか入らなかは神のみぞ知るところ。しかし、この監督更迭のドタバタぶりを見てしまった以上、日本代表に期待するものはなくなった。そもそもJFAは、ハリルホジッチのサッカー観を理解して監督に迎え入れたのではないのか。それが4年間で達成できなかったならば、次の4年間を待つまでではないのか。4年間で日本にモダンサッカーが定着されなかったからといって、8年前に逆行してどうする。
今日の日本代表がモダンサッカーの流れに乗り遅れたのは、ハリルだけの責任ではない。南アフリカ大会(2010年)が終わった段階で、JFAは世界のサッカートレンドを読み違い、ザッケローニを招いてしまったことで、フィジカル重視の世界のサッカーの潮流から取り残された。その結果、ブラジル大会(2014年)で予選敗退した。ブラジル大会直前、当時の日本代表の主力選手は、「自分たちのサッカーをすれば(W杯で)勝てる」「(W杯で)優勝を狙う」と豪語していた。結果はどうだったのか。
いま時計は8年前に逆行しようとしている。そして、逆行のリーダーは、なんとブラジル大会惨敗の戦犯である。そんな輩がロシア大会出場を目論んでハリルの方針に反旗を翻し、スポンサー(大手広告代理店)、JFA、スポーツメディアを巻き込んで、クーデターを敢行し、それが成功したのが4月9日の「解任劇」の真相であろう。
代表のサッカーが日本サッカーの質を決定する
ロシア大会で日本がベスト16入りしたらハリル解任は成功と評価され、予選敗退すれば間違っていたと、総括されるだろう。サッカーが「代表監督」に還元されて、次の代表監督探しで日本中が騒がしくなるというわけだ。
もちろん、代表監督選びには、日本のサッカーの方針が象徴されるという重要な側面があるのだから、おろそかにしてはいけない。だが、それだけに一元化されてしまえば、日本サッカーの質の向上が問われなくなってしまう。代表のサッカーの方針が定まっても、Jリーグを頂点とする日本サッカー界がそれと異なる動きをしていたのではおかしなことになる。こう書くととてつもなく壮大な日本サッカー改革が必要だと思われるかもしれないが、大げさなことではない。世界で勝てるサッカーを日本代表が示せば、下は自然にその流れに同化し従属するものなのである。
JFAはどうすべきだったのか
ハリルの方針は代表に定着せず、ロシア行きから外されそうな選手は造反を煽り、チームの「実情」をメディアにリークする者もいたかもしれない。本番3カ月前でチーム状態は最悪だったことも事実だろう。このまま放置しておけば、ロシアで惨敗するのは目に見えている云々・・・
筆者ならば、最後までハリルに任せる。結果はどうあれ、ロシア大会はハリルのサッカー集大成なのだ。ハリルのサッカーを良かれと判断して代表監督に招致したのだから、その結果を待つしかない。ハリルに課されたの最大のミッションであるアジア予選突破は果たしたのだから、彼にはロシアに行く権利がある。彼が最終的に見極めた素材(代表選手)で戦って、結果を問えばいい。なにが足りなかったのか、負けても得るものはあったのかなかったのか。そうすれば、次の大会までの目標や選手選考の基準、日本サッカー界全体の指導指針も出てくるはずだ。
ハリルを更迭してしまった結果、いまの日本代表はまさに空虚である。指針があっての4年間の努力であり、それがあっての結果であり、その総括も可能となる。よしんば空虚なチームが勝ったとしても、それは偶然の勝利にすぎない。負ければさらに空に虚を重ねるばかりである。