●中塚明〔著〕 ●高分研 ●2200円+税
本題に〈明治〉という年号が含まれている。本書読了後の日から数日後、平成が終わり、令和が始まる。世の中、といってもテレビ、新聞の類の話だが、令和、令和…の大合唱だ。新しい時代の幕開けだと。
令和狂想曲―年号による時代区分の弊害
筆者は年号に反対だ。年号によって区分された「時代」に意味がないどころか、日本人に間違った歴史認識を与えると思うからだ。それに基づく時代区分は、日本人に歴史を深く顧みる習性を失わせる記号だと確信するからだ。
年号論は本書評と関係ないので詳しく論じないが、たとえば、昭和という「時代」が昭和20年8月以前とそれ以後で全く異なる顔をもっていることに異論はないと思う。このことからも年号による時代区分が意味をもたないことは明らかだ。
現存する日本人の大多数が昭和、平成生まれであることから、新しい年号である令和を迎えるにあたり、昭和、平成、令和と括られてマスメディアが騒いでいる。ところが、いま現在の日本人が思う〈昭和〉は、1960年以降の高度成長期以降から1989年(昭和天皇崩御)までを指している。それ以前の暗い時代、昭和元年(1926)から昭和20~24年ころまでにこの国で起こった事象――満州事変(5年)、2.26事件(10年)、日本軍ハワイ真珠湾攻撃(16年)、米軍本土無差別空襲(18年~)、沖縄地上戦、広島・長崎原爆被爆(20年)といった戦争・戦禍の記憶や、昭和20年8月以降の焦土と化した国土の情景、人民の飢餓の記憶すら忘れ去られ、先述したように、日本が高度成長を果たした昭和35年(1960)以降を昭和と称しているともいえる。昭和が戦争、敗戦、飢餓による夥しい死者を抱えた時代だったことをふり返らない。
明治時代という特異性
明治の開始は、それ以前の年号の時代と鮮明に時代区分できる。明治維新は、日本の大転換点であった。先ほど、〈昭和〉は、35年ころを境にまったく異なる顔をもつと記述をしたが、それでも、明治(維新)の前と後を境とした時代の差異の深さに比べれば及ばない。その理由の詳細は後述するが、いま現在(2019年)は、平成の末、そしてあと数日で令和が始まるといいながらも、日本としての国柄、いわゆる〈国体〉という観点からいえば、明治151年と数えていいほど、明治という時代と同質性、連続性を有していると筆者は考える。
〈明治〉とはなにか
明治維新によって徳川幕府を倒した薩長政府が行った改革は多岐にわたる。本書はそれを解説するものではないので詳細は省略するが、どうしても挙げなければいけないものとして、幕藩体制の解体――中央集権的国家の樹立――に触れておく。筆者は、この国家体制(システム)変更こそが、明治国家の基本だったと確信する。
幕藩体制というのはいうまでもなく、徳川幕府を国家権力頂点としながら、各藩(250余)がその地域を直接統治するものだった。徴税、司法、行政は藩が行い、法令も藩が定めた。藩が軍を持った。明治維新により藩は廃止され、全国一律の徴税制度、憲法、各法令が制定され、国会(議会)が開設され徴兵制度による常備軍が創設され、中央、地方行政が一律に執り行われ、それらが国家により、全国津々浦々に一元的に徹底化された。廃刀令とは、藩の軍備解除にほかならない。
そればかりではない。本書に従えば、明治中央集権国家のガイストは、▽神権天皇制、▽神話史観、▽神話国家、という概念で構成された(P22)。薩長政府が幕藩体制を破壊して中央集権的国家をつくりあげる基礎としたのは、理性に基づく市民社会を基盤とした民主的国家ではもちろんなく、神話、現人神、物語的歴史観に基づく支配構造の確立だった。そのようなガイストで成立した革命政府=明治国家は西欧列強を手本として、着々と対外侵略に取り組んでいく。その第一の標的が朝鮮であった。明治政府は、日本は神の国であるから、どんな敵にも勝てる、神の国の臣民(国民)は諸外国より優れている、と国民に教育し、とりわけ近隣諸国を蔑視する排外主義、国粋主義を国民に浸透させた。
明治政府が神話史観、神話国家の形成に利用したのが、古事記、日本書紀といった古代の物語だ。天皇の祖先は神、神(天皇)が建国した日本は神の国――という虚構の「歴史」を、神話教育を通じて国民に徹底した。
また、(旧)皇室典範等を整備し、新たにつくりだした擬似的な皇室儀礼・神事をあたかも、古来の伝承であるかのように装った。前出の年号(元号)もその一つ。年号が天皇の在位とともに更新される「一世一元の制」及び皇位継承における「直系男子への皇位継承優先」(皇室典範第1条:大日本國皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ繼承ス)は明治政府によって定められた。
天皇が皇祖である天照大御神が祀られているという伊勢神宮を参拝するようになったのも、明治天皇からのことからだという。旧皇室典範は日本が太平洋戦争に負け、米軍占領下で改変されたが、現在の皇室典範も明治政府に定められたものに概ね準拠している。
明治国家が今日の日本の基礎となっている
さて、本書である。今日、高名な歴史研究者の明治時代についての認識の批判から始まる。その研究者の明治観は、明治は日本が近代化を果たした栄光の時代だったのだが、大正を経て昭和になってから、軍人、一部政治家によって、明治の理想から逸脱してしまったというものだ。このような言説は、明治は建国と近代化の輝かしい時代、昭和初期から20年までは戦争の時代だとして、1868年から1945年までを分断し、歴史の連続性を否定するものと換言できる。小説家、司馬遼太郎がつくりあげた、いわゆる「司馬史観」も含まれよう。
本書の意図を大雑把にいえば、今日の「常識的」「一般的」な日本の近現代化理解――明治と昭和を分断する歴史観――を是正すること、そして、年号によって分断された歴史理解が今日の日本の危機的状況の根源なのだということを証明することだといえる。
本書は、明治の時代精神について、日本の帝国主義的海外侵略の礎を築いた時代だと規定する。その論証の素材として、朝鮮侵略の過程を外交文書、外交官及び政治家らの日記などを多角的に読み解き、明治政府が朝鮮をいかにして支配していくかを解明していく。日本の朝鮮侵略の延長線上に日清及び日露戦争があり、さらに満洲建国、中国侵略、さらにアジア太平洋戦争に至る日本の「進路」が示唆される。加えて、明治政府がつくりあげた日本人の近隣諸国蔑視や排外主義的傾向が、今日の日本社会に深く影を落としていることに警鐘を鳴らす。
明治政府による歴史修正、公文書改竄
明治政府が朝鮮侵略、日清戦争、日露戦争へと直進するなか、密かに行われたのが、日本軍隊による不法行為、国際法無視、戦史改竄であった。国家レベルにおける今日まで続く明治の悪しき継承は、近年、安倍政権下、南スーダンPKO派遣部隊の日報隠蔽やモリモト、カケ疑惑で公文書の書き換えが明るみに出、行政官の自殺まであったことにつながる。また、統計不正、経済指標の書き換え問題も同様だ。
このような日本国家の悪しき体質は、明治政府では当たり前のようになされていた。本書によると、日清戦争開始(明治27・1894年)の突破口となった日本軍によるソウル宮中占拠は、政府の「公式文書」によると、ソウル駐在の日本軍が朝鮮の兵士と偶発的に衝突したことと記されているというが、実際には、日本政府と軍が計画的に行った、軍事クーデターであったことが後年、明らかになっている。
朝鮮への偏見の増幅
本書では、朝鮮蔑視、偏見を増幅した知識人として、福田徳三(経済学者)、岡倉天心(美術行政家・思想家)、新渡戸稲造(教育者・思想家)、喜田貞吉(歴史学者・歴史教育者)を挙げる。朝鮮蔑視の根源には、古事記、日本書紀の三韓征伐の神話があり、明治維新直後には征韓論、福沢諭吉の「朝鮮の交際を論ず」があった(P205~206)。しかし、朝鮮停滞論、落伍論の隆盛は、日清戦争から日露戦争前後にかけて急激に勢いを増したという。
今日の日本では、ネトウヨと呼ばれる差別主義者、排外主義者が、近隣諸国民、在日外国人に対して、公然とヘイトスピーチをネットメディアで流している。新しい教科書をつくる会、日本会議等による右派団体による日本の近現代史の修正(南京虐殺捏造論など)の動きは勢いを増している。百田尚樹、桜井よしこ、竹田恒泰らの極右芸能タレント「知識人」が排外主義的、歴史修正主義的発言をマスメディアを通じて垂れ流している。
今日の日本の情況を見過ごしてはならない。前出のとおり、明治時代、日清戦争から日露戦争にかけてあった流れは、今日、安倍政権下で勢いを増している情況とかなり近いものがあるからだ。